梓の非日常/第七章・正しい預金の降ろしかた(四)わさびはほどほどに
2021.03.27

梓の非日常/第七章・正しい預金の降ろしかた


(四)ワサビはほどほどに

 食卓に並んだひと皿の品を差して訊ねる梓。
「これ、なんですか?」
「それは、お刺し身ですよ」
「お刺し……?」
「海の魚を生きたまま切り身にしたものです。おいしいですよ」
「生きたままですか?」
「そうよ。切り身にしても、なおも身がぴくぴく動いているのよ。これは時間が少したってるからもう動かないけど」
「食べられるの?」
「もちろんですよ。こうやって、刺し身にワサビを少しのせて、取皿の醤油につけて食べる」
「ふうん……」
 お手本通りにやって刺し身を口の中に放りこむ梓。
 次の瞬間言葉を失い、鼻筋を押さえて襲いくる刺激に耐えている梓。
「あはは、梓ちゃん。ワサビのつけ過ぎよ」
 目に涙をためて、何とか刺激を耐えぬいて、
「な、なにこれ……」
「ワサビはね、つけ過ぎると今のようになっちゃうのよ。梓ちゃんなら、だいたいこれくらいが丁度いいかな」
「もっとはやく言ってよ。もう……涙が出ちゃったじゃない」
「ごめん、ごめん。でもね、お刺し身好きな人なら、その刺激がたまらないってたっぷりつけるのよ。それが、通なんですって」
「こ、これくらいね」
 今度はワサビをほんの少しだけつけて、あらためて食べなおす梓。
「おいしい!」
「でしょ」
「うん」

「ほんと、あの時の梓ちゃんの表情ったら、可笑しすぎてお腹が痛かった」
 ぷっと思い出し笑いする絵利香。
「笑わないでよ」
「でもさあ、握り寿司ではトロより赤身が好きなんて変わってる。普通の人だったら、口の中でとろける感じがたまらないってトロを選ぶんだけど」
「そうかなあ……あたしにはとろけるというよりも、ねちゃねちゃしてて気持ち悪いよ」
「それは噛みくだそうとするからですよ。握り寿司のトロは数回噛んだら飲み込む感じかな」
「日本人ってさ、良く噛まずに飲み込む感じの、いわゆる喉ごしっていうのかな、そんな食文化が多いみたいねえ。ところてんとか、白魚の踊り食いとか、おそばだって通は噛まずに飲み込むっていうじゃない」
「うーん……やっぱり肉料理文化と魚料理文化の違いかしらね。日本人は牛肉も霜降りとかいって脂肪が多くて柔らかいのを好むし、あたしその値段聞いてびっくりしたわよ。あたしんちでアメリカの契約酪農家から取り寄せている極上のロースよりも、さらに倍以上高いんだから」
「牛肉に関しては、霜降りでなくても日本のお肉はべらぼうに高いのよ」
「さあさあ。お話しばかりしていないで、召し上がってくださいな」
 絵利香の母親が食事が冷めないようにと、気配りして話しを中断させた。
「あ、ごめんなさい。おばさま」

 食事が済み、居間の方へ移動して、談笑する一同。
「それでね、怪我しちゃったの」
「ははは。元気でよろしいじゃないですか」
「よくないわよ! そばで見てるだけのわたしは、いつも気が休まらないんだからね」

 玄関車寄せ。
 ファントムVIが停車し、麗香が後部座席のドアを開けて待機している。
「今日は、ひさしぶりにおじさまと色々とお話しができて楽しかったです」
「まあ、私とはたまにしか会えないとは思いますけど、いつでも気楽に遊びにおいで下さい」
「はい。そうさせていただきます」
 後部座席に腰を降ろしながら、
「それじゃ、絵利香ちゃん。また明日、いつもの時間にね」
「うん」
 麗香がドアを閉め、やがてゆっくりとファントムVIは発進した。
 その後ろ姿をしばらく見つめていると、
「お嬢さま、先生がお見えになられました」
 メイドが知らせにきた。
「わかりました」

 本殿と長屋の間に位置する中庭の片隅に修練場がある。本来は長屋に住まう武士達が日頃の鍛練をする場所だったのだが、武家から商家と身分を変えた篠崎家にとっては、武闘から護身へ、剣道から合気道の修練場となっている。
 袴道着を着込んだ絵利香と女性師範代が、相対峙して正座している。
「今日からは実情に即した稽古をはじめましょう」
「はい」
 静かに立ち上がる両者。
「まずはお嬢さまが経験されたという、後ろから羽交い締めされた時の対処法からですね」
「では相手からなされた通りに組んでください」
「はい」
 師範の背後から、竜子にされたように羽交い締めにする絵利香。
 だが次の瞬間には、投げ飛ばされ師範の足元に崩れてしまった。

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梓の非日常/第二部 第八章 小笠原諸島事件(十)津波の後で
2021.03.26

梓の非日常 第二部 第八章・小笠原諸島事件


(十)津波のあとで

 津波は過ぎ去った。
 無事に生き残った生徒達が、恐る恐る地上へと降りてゆく。
「みなさん、大丈夫ですか?」
 IRが生存確認を始める。
 互いに見合わせるが、
「梓さんがいません!」
「沢渡君も見当たりません!」
 念のために島内に届く大声で、点呼を取ってみるが返事はなかった。
「流されたのか?」
 一人の女子生徒が前に出た。
「梓さん、あたしを木に登らせようと、お尻を押し上げようとしていたんです。その時……」
 とここまで言って、顔を手で覆って泣き伏した。
 他の女性達が寄り添って慰めている。
「沢渡君は、梓さんが流されるのを見て、救助しようと追いかけるように波に出たようです」
 引率していた生徒が行方不明になったことで狼狽える下条教諭とIR。
 無線機は津波に流されてしまって、連絡を取ることができない。
 津波が発生したことは、船の方でも分っているはずだから、安否確認のために島までやってくることを期待するしかない。


 それから数時間後。

 とある島の砂浜に打ち上げられている梓。
 気絶している梓の頬をさざ波が打ち付ける。
「ううん……」
 唸るような声を出して、梓が気が付いた。
 起き上がって周囲を見回すと、離れたところに慎二が倒れていた。
 駆け寄る梓。
「慎二!」
 身体を揺すって起こそうとする。
「ううん……」
 と一言唸ってから目を覚ます慎二。
「目が覚めたようね」
「ああ……」
 辺りを見回して、他の生徒がいないのを確認してから、
「みんなは?」
「いないわよ」
「なぜ?」
「どうやらあたし達だけ、別の島に流されたみたいよ」
「流された?」
「頭打ってない? 大丈夫?」
「大丈夫……みたいだ。それより、ここは?」
「分からないわ。津波に流されて、ここにたどり着いたってところ」
「他の生徒は?」
「それも分らない。ここに流されたのは、あたし達だけみたい」
「そっかあ……」
 すっくと立ちあがって、大声を張り上げた。
「誰かいませんかあああ!」
 しばらく待ったが、返事はなかった。
「やはり、他には誰もいないようね」
 というと、適当な木切れを拾って砂浜に何かを描き始める梓。
「なにやってるんだ?」
「救助信号のS.O.Sを書いているのよ」
「救助?」
「こうやって書いていれば、捜索出動で近くを通ったヘリコプターに『ここにいるよ!』って知らせることができるでしょ」

 梓ならば、救助ヘリではなくても、宇宙から人工衛星の探査カメラで確認できるだろう。
「慎二の着ているシャツを貸してくれない?」
「なにすんだよ?」
「いいから。でなきゃ、あたしが脱ぐしかなくなるでしょ?」
 何かしらんが……という顔しながら、シャツを脱いで渡す。

 シャツを受け取ると、信号を描いた棒にシャツを括り付けて、旗のようにして砂浜に突き刺した。
「これで船からでも、ここにいることが分かるでしょ」
「なるほどね」

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梓の非日常/第七章・正しい預金の降ろし方(三)和食のおもてなし
2021.03.25

梓の非日常/第七章・正しい預金の降ろしかた


(三)和食のおもてなし

 純和風建築の篠崎邸の平棟門を通って、客殿玄関先車寄せにベンツが入ってくる。
 ベンツの後部座席から降りてきたのは、この屋敷の主であり絵利香の父親の篠崎良三であった。ふと車庫の方に、中に入りきらないではみだしているファントムⅥを見出して、
「ロールス・ロイスがあるところをみると、梓お嬢さまが見えてるようだな」
 と出迎えに出ているメイドに尋ねる。
「はい。只今絵利香お嬢さまのお部屋にいらっしゃいます。今夜はお泊まりになられるそうです」
「そうか。どれ、お会いするとするか。しかし……車庫をもっと広げなきゃいかんな」
 頭を掻きながら屋敷の中へと入ってゆく。
 全体的には畳や障子で構成される和風様式だが、家族が出入りする客殿から続く渡り廊下の先に、絵利香の部屋や食堂など洋式に改造された棟がある。こういった改造が自由にできるのも、文化財指定を受けていない理由である。
 絵利香の部屋。制服から着替えを済ませて仲良く談笑している二人。時々泊まりにくることがあるので、衣装タンスには数日分の梓の衣装が用意されていた。
 ドアがノックされる。
「お父さんだよ。絵利香入っていいかい?」
「いいわよ」
 絵利香の許可を得て、良三が入って来る。
「お帰りなさい。お父さん」
「ただいま、絵利香」
「お邪魔してます、おじさま。今晩、おせわになります」
「やあ。気がねなく、ごゆっくりしていってくださいな」
「はい。でも、この時間におじさまが帰ってらっしゃるなんて、めずらしいですわね」
「ん? お嬢さまがいらっしゃるような予感がしてね。仕事を切り上げてきましたよ」
「うそつき。仕事の虫のお父さんが、仕事を放り出すなんてことないでしょ」
「ははは。今日はたまたま早く予定が終わったのさ」
 しばしの談話を続ける三人のもとに、メイドが知らせにきた。
「旦那様、お食事の用意が整いました」
「おう、すぐ行く」
 腕を差し出す良三。
「それでは、参りましょうか。お嬢さま」
 梓はその腕に自分の腕をからめて歩きだす。
「もう、お父さんたら。梓ちゃんには甘いんだから」
 しようがないなあ、といった表情で二人の後をついてくる絵利香。
 父親を早くに亡くしている梓には、良三は身近にいる唯一の親しい男性であり、理想の父親像を当てはめてなついていた。それを知っているからこそ、梓にもまた実の娘に匹敵するくらいの愛情を抱いている良三であった。

 食堂。テーブルを囲んで談笑する篠崎一家と梓。
 なお念のために述べておくと、真条寺家では家族同様の扱いで、一家の食事の列に同席を許されている麗香達世話役は、他家に招かれての食事会やお茶の席では、ただの使用人でしかないので席をはずしている。その間、麗香や運転手の石井は、使用人達用の食堂で食事をとることになっている。もちろん主人達に出されものとまったく同じメニューである。使用人だからといっても、上客には違いないからである。と言ってしまえば聞こえがいいのだが、かつて封建制度の色濃く残る昔、主人に出される料理のお毒見係り、というのが本当の役目だったというのが実情なのだ。真条寺家も篠崎家も戦国時代から綿々と続く豪族旧家なので、そんな風習が残っていても不思議ではないが、もちろん今日ではそんなことの有り様がない。
「わあ、今日は、お刺し身に天ぷらですね」
 鮪と鯛の刺し身。車海老と野菜の天ぷら。さざえの壺焼き。鰆(さわら)と絹さやの炒めもの。つくし・ぜんまい・せりのゴマ和え。舞茸と人参の吸い物。大根の吉野本葛あん掛け。筍と小松菜のおひたし。椎茸と銀杏の蒸し碗。山の幸、海の幸、ほどよく取り混ぜて食卓を賑わしている。
 梓が来訪した時の篠崎家のメニューは必ず和食になる。
 真条寺家別宅では、和食料理が出されることはない。フランス料理を専門とする第一厨房、中華料理を主としてその他の調理をする第二厨房、そして寄宿舎にある従業員用厨房、いずれも和食を調理できるような厨房になっていないからだ。
 以前に和食をメニューに入れられるように一流処の板前を雇おうとしたが、和食を調理できる厨房がないのと、何よりも屋敷全体の装飾や調度品があまりにも欧風にカスタマイズされているために、和食に合わないと無碍に断られてしまったのだ。
 自宅では和食を食べられない梓のために、篠崎家は和食をもって歓待することになったのだ。もちろん梓も来訪する時は、午前中までに知らせることにしている。突然のメニュー変更で食材の調達が必要になるかも知れないからだ。
 真条寺家の三代前の家督長の茜と、篠崎家の先々代の社長夫人の涼子は、大の仲良し幼馴染みで、以来両家は親戚同様の付き合いを続けている。梓と絵利香が紹介され仲良しになり、共に暮らせるようになったのも、そんな事情があったわけで、二人が双方の屋敷を遠慮なく出入りできるような環境が整っている。和食が食べたくなったらいつでも篠崎家を訪れる梓であった。
「でもはじめてお刺し身を出された時は、面白かったわね」
「しようがないじゃない。お魚を生で食べるなんて習慣なかったもん」

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