妖奇退魔夜行/第五章 夢想う木刀
2020.11.26

陰陽退魔士・逢坂蘭子/第五章 夢想う木刀


其の壱


 夕暮れ進む街並み。
 クラブ活動を終えて帰宅途中と思われる女子の一団が歩いている。
 竹刀を収めた鞘袋や面・胴具を収めた防具袋を携えているところをみると、剣道部らし
い。
 クラブ活動中は真剣に剣術の修錬を行っていたのだろうが、今は緊張から解放されて、
勝手気ままなおしゃべりに夢中である。
 話題が全国高校総体大阪府予選のことになる。いわゆるインターハイである。
「今年のインハイ個人戦は、金子先輩できまりですね」
「そうでもないでしょ。今年は強敵も出てくるだろうからね」
「強敵って誰ですか?」
「一級下の逢坂蘭子だよ。中学の時に何度か対戦したが、ことごとくやられて結局一本も
取れずじまいだった」
「知っていますよ。阿倍野中学の女子剣聖とまで言われてましたね」
「ああ、その通りだ。今年から登場するだろうから気を引き締めていかなきゃな」
「でも、彼女。高校では剣道をやめて、弓道部に入ってやってるらしいです」
「なに! 弓道だと?」
「武道を広く浅くってところじゃないですか?」
「神社の道場で、合気道なんかもやってるみたいですよ」
「わからないなあ……。せっかく剣聖とまで言われるほどに精進したのに、それを捨て
る?」
「まあ、人それぞれ、考えはいろいろありますよ」
 それから明るい話題に切り替えて再び盛り上がる。
 若い女性は気分転換が素早い。
 前方から誰かが来るのが見えた。
 まるで闇の中から突然出現したかのようだった。
 やがて街灯に照らされて、はっきりとした様相を現す。
「なんだ、ありゃ?」
 部員達が訝しげに思うのも無理はない。
 剣道の面を覆い、右手には木刀を持っているのだから。
 夜とはいえ、とても街中に繰り出す格好ではない。
「なんだよ、おまえは?」
 それには答えずに、黙って木刀を正面に構えた。
「やろうってのかい?」
 部員達も鞘袋から竹刀を取り出して臨戦体制に入る。
 がしかし、不審者は素早く動いて、あっという間に取り巻き連中を倒した。見事なまで
の華麗なる動きだった。部員達の動きを完全に見切っていた。
 金子先輩と呼ばれた部員一人だけが残されていた。
 足元に気絶する後輩達を見て問い掛ける金子。
「どうやら、私と一対一の勝負がしたいらしいな」
 そのために邪魔になる雑魚連中を先に片付けたのだろう。
「問答無用」
 とばかりに再び木刀を構えなおす不審者。
「まあ、いいや。相手になってやるよ」
 鞘袋を解いて竹刀を取り出して相対する金子。
 共に正眼、気迫あふれる場面である。
 間合いを取りながら、少しずつ接近していく二人。
 先に仕掛けたのは不審者だった。
 軽く竹刀で受け止める金子。
 すぐに離れては、また打突と繰り返される攻防戦。
 激しい鍔迫り合いが続く。
 双方力量はほぼ互角。
 金子が勢いあまって転倒するが、不審者はご丁寧にも剣道ルールの『止め』を守って、
起き上がるのを待っている。
 意外にも律儀な一面を見せるが、発端はいわゆる辻斬りである。
 起き上がり構え直すが、周囲に野次馬が集まってきているが目に入った。
 油断が生じた。
 ここぞとばかりに、踏み込んでくる不審者。
 強烈な打突が金子の左肩を捕らえて食い込んだ。
 苦痛に歪む金子だったが、カウンターで不審者の面に竹刀が当たり跳ね飛ばした。
 面は宙を舞って、金子の足元に転がってくる。
 不審者の顔は?
 しかし不審者は、顔を手で覆い隠して、駆け足で立ち去ってゆくところだった。
「素早い奴だ。ちぇ、暗くて顔が見えねえ」
 その言葉を最後に、気を失う金子だった。
 野次馬が寄ってくる。
 誰かが呼んだのだろう、パトカーのサイレンの音が近づいてくる。


其の弐


 翌朝、逢坂家の食卓。
 蘭子と家族が食事を摂っている。
 TVでは朝のニュースが流れている。
「昨夜。午後七時頃、辻斬りがありました。
「辻斬り?」
 蘭子の眉がぴくりと反応した。
 TVに耳を傾ける。
 ニュースは、昨夜の住吉高校剣道部辻斬り事件を報道していた。
 関係者の談によると、高校総体を間近に控えて、実力者を闇討ちで討伐しようとしたの
でないかと憶測が流れているという。
「昨夜は何も感じなかったか?」
「いいえ」
「そうか……」
 妖魔が事件に絡んでいるのではなさそうである。
 蘭子は妖魔が放つ妖気を、どんなに微かでも感じる能力を持ち合わせていた。それが感
じられなかったということは単なる辻斬りか、でなければ悪霊の類である。怨霊なら怨念
を晴らしさえすれば勝手に成仏してくれるが、妖魔は容赦がないので放ってはおけない。
「もし怨霊の仕業だとしたら、インターハイにまつわる何かがあって、成仏できないでい
るのでしょう。この時期に事件が発生したことを考えれば」
「そうかも知れないな」

 阿倍野女子高校一年三組の教室。
 昼食を終えてのリラックスタイム。
 外へ遊びに出るものもいれば、惰眠をむさぼる者もいる。
 蘭子はというと頬杖をついて、ぼんやりと窓の外の景色を眺めていた。
「食え!」
 と、突然声がしたかと思うと、机の上にハムカツサンドが置かれた。
 振り返ってみると、中学時代の二年先輩の柿崎美代子だった。
 さらに、バンと叩きつけられたのは、入部届だった。
「サインしろ! 必要事項はこちらですべて記入してある」
「これはどういうことですか?」
「おまえは今日から剣道部の部員だ」
 入部届には剣道部と書かれ、その他必要事項がちゃんと記入されていて、後は自分の署
名を入れるだけとなっている。
「どうしてそうなるのですか?」
 柿崎は対面するように前の席に逆すわりして続ける。
「インターハイが近いな」
 というと顔をグイと睨めっこのごとく近づける
「そのようですな」
「おまえを団体戦と個人戦の出場選手として登録する。存分に戦え」
「だから、どうしてそうなるのですかと伺っているのです」
 柿崎は一方的に決め付けて掛かっていた。蘭子の質問には答えようとはしない。
「他の部員達も了承している。一年生ながらも実力は中学時代に証明済みだ。心置きなく
修業に励むことができるぞ」
「そうですか……」
 聞き耳を持たない相手に対して、蘭子の返事もぞんざいになってくる。
「中学時代には府大会試合では、常にベスト8をキープし、優勝も何度か経験している。
その腕前をみすみす埋もらせたくないのだ」
「関係ないでしょう」
「どうしてもだめか?」
「今は弓道部です」
「そうか……」
 しばし言葉が途切れた。
 じっと蘭子の瞳を凝視している柿崎。
 蘭子も負けじと睨み返している。
 まるで時が止まったように身動きしない。
 窓から拭きぬける風が二人の髪をそよがせている。
「ふっ……」
 と、深いため息をついて体勢を崩す柿崎。
 柿崎は立ち上がり、入部届を取りながら言った。
「まあ、いいわ。今日のところはおとなしく引き下がるけど、何度でもくるからね」
 そして一年三組の教室から退室した。
 机の上には、ハムカツサンドが残されていた。
 このハムカツサンドは、カツに入っている肉がとてもジューシーでおいしく、歯ごたえ
もなかなかで人気の商品となっており、購買部ではすぐに売り切れてしまう。
 いわゆるまぼろしのハムカツサンドと呼ばれている。
 それをわざわざ手に入れて持参したのは、蘭子を是が非でも剣道部へ入れようという強
い意志の表れなのであろう。
 さて、このハムカツサンドはどうするべきか?
 食べてしまえば、入部を承諾したことになるのだろうか?
 先輩は食べたからといって、それを口実に入部を迫るような性格ではない。純粋に差し
入れと考えていいだろう。
 すでに昼食は終えていたが、捨てるにはもったいなくて、生産農家の皆様には申し訳な
い。
 人気のハムカツサンドである。
 ハムカツサンドを取り、包装を解いて食べ始める。
 実においしかった。


其の参


 摂津国土御門家一門の陰陽師の会の寄り合いが、四天王寺近くの公民館で開かれていた。
 蘭子は総代である晴代の代理として出席していた。
 最近腰が弱くなってきて、外出を控えているからである。
 寄り合いの内容は、若狭にある安部有宣系統の土御門家に比べて、摂津土御門家の知名
度があまりに低いことをどうするかであった。
 摂津土御門家は本家ではないものの、分家の流れを引き継ぐ正統なる土御門一族の末裔
であることには違いない。
 いつものことであるが、寄り合いは何の解決策も見出せないままお開きとなった。
 寄り合いの帰り道。
 四天王寺境内を近道して家路についていた蘭子。
 何かが激しくぶつかり合う音を耳にして、その現場に向かうと、女子剣道部と思しきグ
ループが竹刀を振り回して、木刀を持つ覆面をした人物と乱闘していた。
 すでに何人かが倒れており、木刀の人物の技量の方がはるかに上だった。
「あ! あれは!!」
 覆面者の持つ木刀から怪しげなオーラが発せられていた。
 それは不定形だったり、人の形になったりしながら、覆面者にまとわりついていた。
 典型的な憑依霊。
 何者かの霊が木刀に憑依して、覆面者の精神を乗っ取り操っているのだ。
 魂に操られた身体は、時として人の能力を超越した力を発揮する。
 あっという間に剣道部員は全員倒されてしまった。
 満足げに踵を返して去っていく覆面者。
 後を追おうとしたが、倒れている剣道部員達の介抱が大切である。
 かがみ込んで手当てをしようとした時、懐中電灯に照らされ、数人の警察官に囲まれた。
野次馬の誰かが通報したらしい。
 そして不審人物として、最寄の天王寺警察署へと連行されることになったのである。

 取調室。
 膨れっ面をした蘭子がいる。
 もうかれこれ二時間以上も繰り返し、同じ尋問を受け続けていた。
 警察の執拗な尋問には際限がない。
 精神をくたくたにさせて、早く帰りたければ自白調書に署名しろと迫る。
 現場検証なり目撃証人探しなどの捜査を開始して、被疑者を特定するのが本筋なのであ
るが、いつ終わるとも知れない捜査に多くの人員を動員するのは面倒である。
 この際、現場にいた怪しげな人物に、詰め腹を切ってもらって被疑者になってもらおう
という魂胆である。
「何の取調べかね」
 ドアの外で声がした。
 蘭子はどこかで聞いたような声だと思った。
 やがて取調室の扉が開いて意外な人物が入ってきた。
 相手は蘭子を見るなり、親しげに声を掛けてくる。
「これは蘭子さん。またもや奇遇ですなあ。こんな所でお会いするなんて」
 大阪府警本部捜査一課の井上課長だった。
 尋問していた刑事達が立ち上がって敬礼する。
 天王寺警察署署長と同階級の警視にして、府警本部のキャリア組の刑事課長である。
 ノンキャリア組の彼らにとっては、緊張のあまりに固まってしまうぐらいの相手であっ
た。
「おい、君。どうして女性警察官を立ち合わせないのかね。相手が女性の場合はそうする
決まりだろう」
「し、失礼しました」
「この方は、私がお相手する。君達は現場の聞き込みに回りたまえ」
「判りました」
 あわてて取調室から駆け出してゆく刑事達。
 蘭子と井上課長が残されていた。
 相変わらず膨れっ面の蘭子。
「済まなかったね。二度もこんな目に合わせてしまって」
「もう十二分に味あわせていただきました」
「応接室に行こうか。罪滅ぼしに上等なお茶菓子を出してあげるよ」
 と案内するように取調室を出てゆく井上課長。
 立ち上がり井上課長に従う蘭子。

 応接室でお茶菓子を頬張っている蘭子。
「ところでと……。目撃したことを詳しく話してくれないか」
 蘭子が落ち着いたところで、事件の詳細を尋ねる井上課長。
 井上課長は、蘭子を被疑者として考えていないようであった。
 見たままありのままを答える蘭子。
 怨霊が関わっていることも、井上課長になら正直に話せる。
「怨霊がその人物に摂り憑いているのかね」
「いえ、摂り憑いているのは木刀なのですが、それがその人物を操っているようです」
「なるほど、依代が木刀だと……。相手が怨霊だと警察は手も足も出せないな」
 それは蘭子に捜査協力して欲しいとも受け取れる発言だった。
 心臓抜き取り変死事件、夢鏡魔人往来変死事件と、蘭子の能力が発揮されて、事件は解
決した。
 言われるまでもなく陰陽師として【人にあらざる者】を退治するのは、自分に課せられ
た宿命でもある。
「この事件はインターハイと深く関わりがありそうです。試合中に事故で亡くなられた選
手とかはいませんでしたか?」
「それは調べれば判るが……」
「至急調べていただけませんか?」
「判った。調べてみよう。判り次第連絡するよ」
「お願いします」
 それから井上課長に覆面パトカーで自宅まで送ってもらった蘭子であった。


其の肆


 数日後。
 校内放送で校長室に呼ばれた蘭子。
 そこには柿崎美代子が先に来ていた。
 何かいやな予感がする蘭子だった。
「逢坂君。呪われた鏡の一件以来だね。あの鏡はどうしました?」
「魔人は退治しましたので、普通の鏡に戻ってしまいましたが、念のために封印して書庫
蔵にしまってあります。顛末はご報告したはずですが……」
「あ、いや。確認しただけだ。とにかくご苦労だったね」
 魔鏡のことはともかく、問題はそばにいる柿崎が気になっていた。
 校長は話題を変えて、核心に入ってきた。
「さてと……。君をここへ呼んだのは、クラブ活動についてだ」
 そらきたと思う蘭子。
 柿崎を見たときから、校長が何を言ってくるかが判っていた。
 学校からの要請という形で、剣道部員としてインターハイに出場してくれと、申し出て
くるに違いない。
 柿崎先輩が手を回したようである。
「逢坂君は、中学生の時は剣道で、府大会の上位成績を常に維持して活躍していたそうだ
ね。それが高校生になって弓道部に転向した。しかしせっかくの腕前、もったいないとは
思いませんか」
「クラブ活動を何にしようと、個人の自由です。束縛されるいわれはないと思いますが」
「確かにその通りだ。その通りなのだが……。学校側としても、君がインターハイに出場
して活躍してくれるのを期待しているのだよ」
「学校の名声が上がって、入学志望が増えますか?」
「ううむ……。正直言って否定はしない。聞けば弓道部の方では、一年生ということで今
大会には選手登録しないという。その点剣道では君には実績があるから、それを評価して
団体戦と個人戦に選手登録するという」
「その話は、柿崎先輩にはお断りしておいたはずです」
「君の将来のためにもなることだと思う。進学の際にも有利に働くとは思うのだが」
「よけいなお世話ではないでしょうか。将来のことは自分で決めます」
「ううむ……」
 蘭子の頑固さに言葉を失う校長。
 一方の柿崎は、学校側に要請した観点から口出ししない方がいいだろうと、黙って成り
行きを見守っているだけであった。
「とにかく、お断りします。失礼します」
 と言い残して、蘭子は校長室を退室してしまう。
 ほとんど同時に深いため息をもらす柿崎と校長。
「申し訳ありませんでした校長先生」
「いや、いいんだよ。逢坂君が、インターハイに出場することは、とても良いことだと思
うからね」
「恐れ入ります」
「まだ時間はある。時間をかけて説得することだ。今大会には間に合わなくてもね」
「はい。そうします」
 校長にお礼を言って、校長室を後にする柿崎。
 今日は部活は休みなので、そのまま帰宅することにする。
 校門前に意外な人物が待ち受けていた。
 住吉高校剣道部の金子である。例の辻斬りの最初の被害者である。
 片手に大きな袋を携えていた。
「傷の方は、もう大丈夫なのか?」
「ああ、大したことはなかったからな。ピンピンしているよ。それよりこれから一緒に付
き合え」
「それは構わないが……」
「ほれ、これは一応返しておくよ」
 と、ポンと放り出すように携えていた袋を渡した。
 開けてみると、剣道の防具の面だった。
「こ、これは?」
「どうした? 盗まれでもしたと思っていたか?」
「なぜ、おまえが持っている」
「ああ、ここでいいだろう。中に入ろう」
 喫茶店があった。
 話はそこでという風に構わず入ってゆく金子。
 訳が判らずも従ってゆく柿崎。
 渡された面は、確かに自分のものだ。ある日のこと、防具袋から消えていた。こんな物
盗む奴がいるのかと不思議に思っていたところだった。
 喫茶店のテーブルに対面するように腰掛け、オーダーしにきたウェイトレスに注文を入
れると、金子が単刀直入に尋ねてきた。
「私が辻斬りにあっていたその時間。おまえ、どこで何をしていた?」
「辻斬りの時か」
「ああ、三日前の午後七時頃だ」
 鋭い眼光で睨みつける金子。
「どうしてそんな事を聞く?」
「どうしても何も、その面は辻斬り野郎が顔を隠すために被っていた物だよ」
「辻斬りがこれを?」
 金子の言わんとしていることが判ってきた柿崎。
 自分を辻斬りの犯人だと金子は疑っているのである。
 しかし辻斬りなどやった覚えはないし、もちろんその後にも続いている事件も同様だっ
た。
「どうした、アリバイを言ってみろ」
 詰め寄られて、三日前のことを思い出そうとする。
 だが記憶が曖昧で、確証たるものが思い起こせなかった。
「答えられないだろう。辻斬りはおまえの仕業だ」
「そんなことはない!」
「ならばその面のことは、なんと釈明するつもりだ」
 証拠を突きつけられては、反論などできない。
 実際のところ、ここ最近記憶が曖昧で、朝になって脱力感に襲われることが多かった。
まるで前日に試合でもやって精神疲れ果てたみたいな。
「おまえには姉がいたな」
「ああ、試合中の事故が原因で亡くなったが……」
「おまえ、その姉の亡霊に魅入られていないか?」
「どういうことだ?」
「あの時、私を襲った奴の身のこなし方は、日頃のおまえのものじゃない。構え方、足の
運び、打突に入る瞬間の姿勢まで、おまえの姉の動きそのものだった。練習試合や大会で
何度も対戦しているから判るんだ」
 自分が姉の亡霊に魅入られている……。
 突きつけられた真実を受け入れられない気分だった。
「まあ、そんなところだ。真犯人が亡霊じゃ、おまを糾弾してもはじまらないだろう。お
まえ自身が知らないことだ。忘れてやるよ」
 注文した品物が運ばれてきて、黙ったまま食べ終わる二人。
 と、席を立ち上がる金子。
「ここの払いは、おまえもちだ。いいな」
「あ、ああ……」
 喫茶店に一人残され、思案に暮れる柿崎だった。


其の伍


 その頃、蘭子の携帯電話に井上課長からの一報が入ってきていた。
「亡くなったのは、阿倍野女子高校剣道部の柿崎恵美子。当時二年生だったが、決勝戦の
試合中に相手の突きをまともに食らって転倒、後頭部を強打して意識不明になり、そのま
ま亡くなったそうだ」
「当時の試合のトーナメント表はありますか?」
「もちろんあるさ。抜かりはないよ」
「これから伺いたいと思いますが」
「いや、私が君の家に出向くよ。協力を頼んでいるのは、こちら側だからな」
「では、土御門家の方においで頂けますか? 今、そちらの方にいますので」
「判った。十分後に着くと思う」
「お待ち申しております」
 それから程なくして、井上課長が土御門家にやってきた。
 晴代も同席の上で、事故の詳細を報告する井上課長。
「良く判りました。不業の死を遂げた柿崎恵美子さんの怨念が成仏できずに、この世を彷
徨っているものと思われます。そして愛用していた木刀を依代としたのです」
「木刀を依代として、誰に摂り憑いているのかね」
「もちろん、妹である柿崎美代子さんでしょう。同じ剣道部に所属していますしね」
「なるほど……」
「トーナメント表を見せて頂けませんか?」
「ああ、これだ」
 井上課長は懐から当時の試合のトーナメント表を取り出して見せた。
 それをしばらく見つめていた蘭子であったが、
「やはりそうです」
 と、トーナメント表を指差しながら説明をはじめた。
「ご覧ください。連夜の事件の足跡をたどってみますと、このトーナメント表に沿って起
きていることが判ります。一回戦の住吉高校、二回戦の天王寺高校、三回戦の清水谷高校
と、トーナメントで阿倍野女子高校が勝ちあがってきた相手校が、順番に辻斬りにあって
います」
「下から順番に敗戦校を襲っているのか、なるほどぴったりと符合するな。とすると最終
的には、決勝戦を戦った福島女子高校が狙われると?」
「そういうことになりますね」
「それで思いが遂げられれば、晴れて成仏してくれるのだろうか」
「いいえ。そうはならないでしょう。彼女の魂は、決勝戦の試合に臨んだまま時が凍って
しまっているのです。ですから、決勝戦を再現してあげることが肝心でしょう」
「再現?」
「阿倍野女子高校と福島女子高校が決勝戦に進出して試合をすればいいのです。しかも対
戦相手は柿崎恵美子さんと……」
「桜宮民子さんだ」
「そうです」
「しかしこればっかりは、実力次第、運次第だからなあ……」
「祈るしかありませんね」

 阿倍野女子高校の体育館。
 剣道部が練習している。
 そこへ剣道の防具袋を携えた蘭子が入場してくる。
 一同が振り向いて注目する。
 柿崎が駆け寄ってゆく。
「蘭子!」
「柿崎先輩……」
「やっと入部してくれる気になったのね」
「条件があります」
「条件?」
「インターハイに限っての入部ということでしたら」
「いいよ、いいよ。それで十分よ」
「それともう一つ。入部前に先輩と一本勝負をさせてください」
「一本勝負? 判った、相手してやるよ」
 練習が一時中断して、一本勝負の準備に入った。
 一年二年生は、体育館の周辺に座り込んで観戦である。
 試合場となる区切りとして、白いラインテープが引かれており、両端に別れて対面して
正座。防具を着用する柿崎と蘭子。
 準備が整ったところで試合場に進み出る。
 二歩進んで礼をし、さらに三歩進んで蹲踞する。
 三年生が審判役に入って、
「はじめ!」
 の合図を掛ける。
 立ち上がって一本勝負のはじまりである。
 一年生ながらも、蘭子の腕前は二年三年生なら誰でも良く知っていること。
 阿倍野中学時代には剣聖とまで呼ばれ、柿崎主将でさえ幾度となく敗れていた。
 相手の様子を伺って、双方ともなかなか手を出さなかった。
 先に動いたのは蘭子だった。
 鋭く踏み込んで柿崎の面を捉えた。
 パーンと高らかな音が鳴り響く。
 がしかし、直前に体勢を崩しながらも竹刀で防御していた。
 有効打突と認められずに、再び離れて試合再開。
 それから激しい鍔迫り合いが繰り広げられていた。
 おおむね蘭子が優勢であったが、柿崎も執拗に食い下がって粘る。
「一本!」
 審判員の手が高々と挙げられ勝敗は決した。
 蘭子のすり上げ引き面打ちが見事に決まったのである。
 体育館に拍手が湧き起こった。
 両者礼をして試合場を出て面を脱ぐと、対戦の激しさを物語るように汗びっしょりとな
っていた。
「ようし、一年二年生は練習を再開して、三年生はちょっと集まって頂戴」
 柿崎が指示すると、それぞれに体育館に散らばって素振りの練習を再開した。
 三年生に改めて蘭子を紹介する柿崎。
「みんなも知っていると思うけど、中学時代に活躍した逢坂蘭子さんよ。その実力を評価
してインターハイの出場選手として登録するけど、意義ある方いるかしら」
 誰も異論を述べる者はいなかった。
「決まりね。これで蘭子は、剣道部員の仲間入りよ」
 インターハイに限っての入部という条件があるのだが、それはいつでも撤回させてみせ
るという意気込みをもっているようだった。
 ともかくも蘭子の剣道部入りが決定した。


其の陸


 インターハイがはじまった。
 剣道大会の組み合わせが抽選会によって、前年度優勝校の福島女子高校と阿倍野女子高
校とが決勝戦で顔を合わせることが決まった。もちろん順当に勝ち進めればの話であるが。
 実は抽選くじを引くときに、蘭子が式神を使役して、両校が決勝戦で対戦できるように
図ったのである。
「これぐらいのインチキは許してもらえるよね」
 この世に彷徨っている魂を成仏させるための細工なら許されてもいいだろう。
 そして試合がはじまる。
 蘭子のめざましい活躍によって、阿倍野女子高校は勝ち進み、とうとう決勝戦へと駒を
進め、福島女子高校も共に決勝進出を果たした。
 ここに因縁の対決が再現する運びとなったのである。
 決勝戦を前にして、柿崎の様子に変化が現れはじめていた。
 柿崎の対戦する相手は、姉を死に追いやった桜宮民子。
 いやがおうにもボルテージが上がる。
 蘭子は井上課長が調べた内容を思い起こしていた。
「実は、その試合。判定は下っていないんだ」
「判定が下っていない?」
「その時、桜宮の放った払い突きが決まったかに見えた。柿崎はこれを身一つ交わして反
撃体勢に移ろうとしたが、バランスを崩して転倒してしまった。いわゆるスリップダウン
だ。当然ルールによって『止め』が入って試合中断となる。しかし柿崎は二度と起き上が
らなかった」
「そうでしたか……。試合決着を果たせないまま、恵美子さんの魂は、この世に未練を残
して彷徨いはじめたというわけですね。恵美子さんを浄化させるには、当時の試合を再現
して決着を図るしかないでしょう。その魂はあの試合場の中に閉じ込められているので
す」
 控えの席に置いてある木刀からオーラが発しはじめ、やがて柿崎の身体へと憑依した。
 それに伴って柿崎の身体が輝きだした。
 もちろん一般の人の目には見えないし、蘭子のような霊能力者にしか見ることができな
い。
 恵美子は妹の身体を使って、果たせなかった試合の決着をつけるつもりでいるらしい。
 柿崎と桜宮が試合場に登場する。
 因縁の対決のはじまりである。
 技量は双方ともほぼ互角で、激しい鍔迫り合いを続けていた。
 何度かの止めが掛かって、先に一本を取ったのは柿崎だったが、その直後に一本を取り
返され、勝負は三本目に決まる。
 ちょっとでも隙を見せればやられる。息詰まる攻防戦。
 観客達も固唾を飲んで魅入っている。
 桜宮が大きく動いた。
 一瞬の隙をついての、喉元への突きが炸裂する。
 柿崎が身をかわして突進を避けるが、バランスを崩して転倒してしまう。
 桜宮の一撃は有効打とは認められず旗は揚がらない。
 転倒によって止めが入って、試合中断。
 倒れた柿崎は身動きしなかった。
 誰しもが身を乗り出していた。
「あの時と同じだ!」
 そうだ。
 柿崎恵美子が亡くなったあの時の状況が再現されていた。
 倒れたまま動かない柿崎。
 審判員が歩み寄って声を掛けている。
「君、大丈夫かね?」
「だ、大丈夫です」
 頭を軽く振って起き上がる柿崎。
 軽い脳震盪のようだ。
 ゆっくりと立ち上がって試合が再開される。
 ここに至って柿崎の発するオーラが一段と激しく揺れ動くのを蘭子は見た。
 柿崎が強く踏み込んで突進した。
 パシン!
 竹刀が桜宮の面を捉えて大きくしなった。
「一本!」
 旗が三つ揚げられて、文句なしの一本だった。
 勝敗が決して両者一礼し、試合場を出て面を脱ぎにかかる。
 柿崎の瞳から大粒の涙が止め処もなく流れていた。
「姉さん……」
 柿崎は気づいていた。
 姉が自分の身体を使って因縁の対決をしていたこと。
 今、思いを遂げた姉の魂が静かに天国へと旅立つ姿を、柿崎はその目にはっきりと見て
いた。
「ありがとう、美代子」
 その表情は、やさしい微笑を浮かべながら、静かに昇天していった。

 数日後の柿崎の自宅の庭。
 柿崎が木刀を使っての素振りをしている。
 松虫中学時代の親友である金子が、縁側に腰掛けて見つめている。
 素振りを中断して、金子の隣に腰を降ろす柿崎。
「辻斬りの件については、本当に済まなかったと思っている」
「気にするな。おまえ自身がやったわけじゃない」
「ありがとう……」
「姉さんは、天国へ無事にたどり着いたかな」
「たぶん……」
「ところで、その木刀」
「ああ、これね。亡くなったおじいちゃんの形見分けで、姉さんが子供の頃に譲り受けた
ものだよ。範士八段でとっても強かったらしいよ。姉さんは、おじいちゃんのように強く
なるんだと言って、この木刀で毎日素振りをしていた。だからこれに姉さんの情念が宿っ
ていたのかもしれないね」
「そうか……」
 二人揃って空を仰いでいる。
「ところで蘭子はどうしている?」
「インターハイ出場だけの入部という約束だったから、元の弓道部に戻ったよ」
「あれだけの才能、もったいないな」
「決勝戦まで進めたのは蘭子のおかげ。感謝しているよ。今度は弓道部で大活躍をするこ
とを祈るだけよ」
「そうだな」

 阿倍野女子高校一年三組の教室。
 昼食を終えた蘭子は、頬杖をついてぼんやりと窓の外を眺めている。
 今回の事件では、抽選くじを式神を使って細工した以外、呪法などは使わなかった。
 強力な呪法をもって除霊するだけが陰陽師の仕事ではない。怨霊とて元は人間である。
彷徨い出た原因を突き止め、うまく立ち回れば怨霊自ら成仏してくれることもある。
 それこそが本当の意味での除霊なのではないだろうか……。
 良い経験になったと思う蘭子だった。

「食え!」

 と突然声がしたかと思うと、目の前の机の上にハムカツサンドが置かれた。
 振り返ってみると、空手部主将の望月愛子だった。
「剣道部では大活躍したそうだな。今度はうちの空手部の助っ人を頼む」
 どうやら、ハムカツサンドで助っ人するという、間違った噂が流れているらしい。
 頭を抱えてしまう蘭子だった。

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妖奇退魔夜行/第四章 夢見のミサンガ
2020.11.25

陰陽退魔士・逢坂蘭子/第四章 夢見のミサンガ


其の壱


 近鉄南大阪線大阪阿部野橋駅。
 賑やかな界隈を連れ立って歩く蘭子たちがいた。
 それぞれにアイスクリームなどを頬張り、小脇に写生道具を抱えている。
「まったく……。美術の田丸の野郎!」
「ほんとに高校生にもなって、動物園で写生だなんて、何考えとんじゃ!」
「幼稚園児や小学生ならともかくだよ」
「じろじろ見られて恥ずかしかったよ」
「いつか焼き入れたるで!」
 彼女達が息巻いているのには訳があった。
 本日の六時限目の授業は、国語で担当教諭の都合で自習になるはずであった。六時限目
であるから帰ってしまうことも可能であったのである。
 ところが五時限目の美術教諭が、国語教諭の許可を貰って、二時限連続の美術にしまっ
たのである。そして天王寺動物園での写生授業となったのである。
 本来なら楽しいはずの自習時間が奪われてしまったのだから、彼女達が憤慨するのも当
然であろう。
「田丸の馬鹿やろう!」
 智子が叫びたくなるのも無理からぬこと。
 田丸教諭の悪口を言い合いながら歩き続ける一行。
 ビルとビルの狭間の窪地に露店を出している人物がいた。仲間の一人の京子が気がつい
て近寄ってゆく。
「あら占いかと思ったら、アクセサリー屋さんね」
 小さな机を黒いシーツで覆って、その上に数点のアクセサリーを並べているというみす
ぼらしいものだった。
「なんだ、これだけしか売っていないの?」
「はい。これだけです」
「売れているの?」
「いえ、売るために出しているのではないのです」
「売りものじゃないの?」
「はい。差し上げるためのものです」
「どういうこと?」
「つまりです。こんな暗い窪地に潜むようにしている私にあなたは気がつかれ声を掛けて
くださった。霊波の共振というか、霊感波長が似通っているのです。これは私とあなたの
間に共通するインスピレーションがあったからです。これらの品々はそんなあなたに幸せ
になってほしいとの願いから差し上げている夢見のアクセサリーなのです」
「夢見のアクセサリーね……」
「どうぞご遠慮なくお受け取りください。どれでも一つお気に召したものを」
 改めて机の上のものを品定めする京子。
 といっても指輪、ネックレス、イヤリング、ブローチ、ミサンガの五点だけしかない。
「このミサンガでいいわ」
 品物を取り上げて手首にはめてみる。
「でも、ただで貰うというのもね……」
 と言いながら、財布を取り出して、
「はい、五百円でいいわね」
 机の上に五百円硬貨を置いた。
「そうですか……。では、ありがたく頂いておきます」
 気にも留めずに普通に受け取る露天商だった。
「ありがとうね」
 手首にはめたミサンガをくるくると回しながら、その場を立ち去る京子。一同もその後
についていく。
「五百円は高かったんじゃない?」
「いいのよ。こういうのって気持ちよ。気持ち。何たって夢見のミサンガなんだから」
「まあ、京子がそう思っているのなら、どうでもいいけどね」
 ワイワイガヤガヤと、その場を離れていく一同。
 そして客のいなくなった露天商はというと……。
 ニヤリとほくそ笑んだかと思うと、スーと姿が消えてしまった。
 まるでそこには誰もいなかったような侘しい窪地があるだけだった。
 ふと立ち止まり、振り返る蘭子。
 何か気配を感じたようであった。
「蘭子、なにしてんのよ。行くよ」
 急かされて歩き出す蘭子だった。


其の弐


 大阪府立阿倍野女子高等学校。
 一年三組の教室に、女子生徒がそれぞれにグループを作り談笑している。
 いつもの朝のひとときだった。
 そこへ一際明るい表情をした京子が入ってきた。
「おはよう! みんな」
「あら、ずい分ご機嫌そうじゃない」
「それがさあ、当たっちゃったんだ」
「当たった?」
「うん、スクラッチカードの宝くじだけど、一万円」
「へえ、一万円か。それでもいいよね」
「昨日、アクセサリー買ったでしょ。皆と別れた後、宝くじ売り場の前を通った時、何と
なく買ってみたのよ。そしたら大当たり、元を取り戻しちゃった」
「幸運のミサンガだってわけか」
 しばらくミサンガの話題で盛り上がるクラスメイト達だった。
 ただ一人蘭子だけが、京子の手首のミサンガを見つめながら怪訝そうにしていた。

 放課後、もう一度露店商のところへ行ってみようと、昨日の場所に向かったクラスメイ
ト達だったが、その窪地にはあの不思議な露天商の姿はなかった。
「いないわ……」
 残念そうな京子。
「やっぱりインチキなのよ。だから同じ場所には店を開けなくて移動しちゃったんだと思
う」
「そうね。宝くじが当たったのも、単なる偶然なのかも」
「そうかしら……。あの人、別にお金を取るつもりはなかったんだから……」
「毎日露店を開いているわけじゃないのかもよ。その日暮らしの気ままな生活で、気が向
いたらまたここに戻ってくるかも知れないよ」
 蘭子はグループから離れて、窪地に入って屈み込んで、何かを捜し求めている風だった。
「やはり、妖気のカスがこびりついている……」
 霊感の強い蘭子だから感じられる微かな気配だった。仮に妖魔だったとしたら、跡形も
気配を消し去ることができるはずだ。
「中級妖魔というところか……」
「ところで蘭子、そこで何してるの?」
 智子が不思議そうに尋ねる。
 立ち上がって、皆の所へ戻る蘭子。
「何してたの?」
「いえ、何でもないわ」
 とは言ったものの、妖魔がいたということは、誰かが犠牲になるかもしれない。その可
能性が一番高いのは京子である。
 横断歩道のある交差点の手前で立ち止まっているクラスメイト達。歩行者信号は赤であ
る。それが青になって渡り始める一行。
 その時だった。
 一台の自動車が、一行の列に猛スピードで突っ込んできたのだ。
「危ない!」
 誰かが悲鳴のような金切り声を出した。
 まさしく京子めがけて突進していた。
 交わしきれない。
 誰しもがそう思ったに違いない。
 奇跡が起こった。
 自動車が急激に右にそれて、横転しながら信号機に激突したのである。
 呆然と立ちすくむ京子。
 一体何が起こったのか、理解できないでいるようだった。


其の参


「119番だ」
「110番は、俺がしよう」
「自動車には近づくな! ガソリンが漏れているぞ、爆発の危険がある」
 野次馬が次々と叫んでいる。
「しかし、今の見た?」
「そうよね。車が急にカーブして激突したのよね」
「直前に女の子に気が付いて、急ハンドル切ったんなら、良くあることだよ」
 目の前で起こったスリリングな事故に、よほど急いでいない者以外は立ち止まって野次馬している。
「運転手は無事か?」
「この有様じゃ、即死だろ」
「そうね。こうもめちゃくちゃに壊れていたんじゃ、助けようにも助けられないよ。レスキュー待ちだね、生きていればの話だけど」
 さて、京子はというと、横断歩道にしゃがみ込んで、肩を震わせていた。
 いつまでのこうしているわけにもいかない。蘭子が肩を貸して立ち上がらせて、横断歩道を渡っていった。
 やがて四方からサイレンの音が近づいてくる。
 事故現場に到着したパトカーから降りてきた警察官は、事故処理班、交通整理班、事情聴取などに分担して、それぞれ活動をはじめた。
 救急車も追っ付けやってきたが、
「こりゃだめだな。レスキューを呼ばなきゃだめだ」
 一目見て、自分達では手の施しようがないと判断したようだ。
「それよりガソリンが漏れている、化学消防車もいる」
「もしもし、運転手さん、聞こえますか?」
 恐る恐る近づいて、自動車に閉じ込められた運転手に向かって、声を掛ける警察官。
 返事はなく身動きしないようだが、火を噴きそうな状況では、車の中に潜り込んで脈を診ることもできない。
 追っ付け救急車とレスキュー車、そして化学消防車が到着した。
「事故を目撃した方はいらっしゃいますか?」
 警察官が野次馬に向かって質問している。
「そんなもん。ここにいる連中みんなが目撃しているよ」
「白昼往来の事故だかんな」
「それでは、一番近くで目撃した方は?」
「それでしたら、そこの女子高生達ですね。何せ危うく轢かれそうになったんだから」
「轢かれそうになった?」
「赤信号無視の自動車にね。奇跡でしたよ」
「判りました。早速聞いてみましょう。おい、君はこの人や他の人から証言を取ってくれ」
 別の警察官に指令して、蘭子たちに近づいていく。蘭子たちが未成年だし、より多くの証言を得るためだろう。できればこれだけ大勢の野次馬がいるのだから、いろいろな角度からの目撃証言も欲しいところだ。
「君達いいかな?」
 やさしく微笑みながら話し掛けてくる警察官。轢かれそうになったと聞いて、怖がらせないようにしているのだろう。
「事故の証言を取りたいんだけど、話せる人はいるかな?」
 蘭子が手を上げた。
「私がお話しましょう」
「お名前と住所、それから学校名もお願いします」
「阿倍野女子高校一年生の逢坂蘭子です。ここにいるのはみんなクラスメイトです。住所は阿倍野区……」
「阿倍野女子高というとすぐ近くだね。それで事件の様子は?」
「この横断歩道の反対側で赤信号で待っていました。歩行者信号が青になったので、渡り始めた途端でした。突然猛スピードで自動車が交差点に突っ込んできたんです」
「交差点に突っ込んできたんだね」
「はい。あちらの方からです。良く『黄色当然、赤勝負』とか言われるでしょう? 信号無視の暴走で横断歩道を渡る歩行者にも視線に入っていない。そんな感じでしたね」
「黄色当然、赤勝負……ですか。なんとなく状況が理解できそうです」
「横断歩道に差し掛かる直前でした。突然、車が右へ急カーブして、横転しながら信号機に激突しました」
「なるほど、急ハンドルで横転ですか……。ブレーキ音とか聞こえませんでしたか?」
「いいえ、聞こえませんでした」
「聞こえなかったと……。確かにブレーキ跡はなさそうですね。ブレーキとアクセルを踏み間違えて、暴走ということが良くありますが、どれくらいのスピードが出てたみたいですか??」
「どれくらいと言われても、スピードメーターが見えたわけじゃなし、とにかく全速力という感じでしたね」
「全速力ねえ……。やっぱり踏み間違えたのかなあ。横断歩道を渡る君達に気がついて、目一杯ブレーキを踏み込んだがアクセルだったとかね」
「ああ、それは判りませんけど」
 それから身振り手振りを交えての実況検分に入った。自動車がどういうコースを走ってきて、どのように急カーブして、どんな具合に横転して信号機に激突したか。チョークで自動車の推定軌跡を描き、メジャーで測量していた。
 そんな間にも、レスキュー車の救出作業は続いている。
 運転席を下に横転して、信号機にめり込むように激突しているために、極度に困難な状態である。まず自動車を信号機から引き離して、横転した状態を起こしにかかる。そして運転席側からカッターや溶断機でドアを外して運転手を救出するのである。
 化学消防車は、こぼれたガソリンなどに引火しないように、中和剤を撒いている。


其の肆


 大阪府立阿倍野女子高等学校グラウンド。
 体育の授業で、蘭子達が準備運動している。学校指定のジャージスタイルである。
「集合!」
 体育教諭が笛を鳴らして、鉄棒前に一同を呼び集める。
「今日は、鉄棒の蹴上がりのテストをする」
「ええ、テスト!」
「いきなり、ひどいよ」
 黄色い悲鳴が沸き起こる。
「蹴上がりができなければ、逆上がりでもいいぞ。何でもいいから鉄棒に這い上がれ。で
きた者は、一対のバスケットゴールを使って、自由にプレイしてよい。できない者は、で
きるまで特訓だ!」
「きゃあ! 横暴教師よ」
「セクハラよ」
「誰がセクハラじゃ。勝手なこと抜かすんじゃない。出席順一番からはじめるぞ。石
川!」
「はい!」
 一番の石川久美は、一度目は失敗したものの、二度目にはくるりと鉄棒に這い上がった。
逆上がりである」
「よし、合格}
 合格したものの一人では何もできないので、少し離れた所に腰を降ろして、他の合格者
が出るのを待っている。
「あたし、鉄棒苦手なのよね。小学校の時に結局できずじまいだった」
「わたしだってそうよ」
「ご同輩!」
 京子達が抱き合って、苦しみを分かち合おうとしていた。
「逢坂蘭子」
 名前を呼ばれて蘭子が鉄棒に向かう。
 精神統一をはかってから、リズムカルに身体を動かす。美しいフォルムを見せて、鉄棒
の上に這い上がる。反動を利用した完璧な蹴上がりで、そのまま大車輪に移行できるくら
いの余裕があった。
「さすがだな、逢坂。合格だ」
「ありがとうございます」
 律儀に礼をして、久美の横に並ぶ蘭子。
 何を隠そう。蘭子はスポーツ万能だったのである。特に武道と呼ばれるスポーツには
並々ならぬ力量を持っている。小学校の時は柔道、中学校の時は剣道と大阪大会の個人戦
では、いつもベスト4に勝ち上がっていた。
 そして高校生になった今は、弓道に所属しているが、往年の活躍を知っている先輩達か
ら、剣道部や柔道部への入部を勧められている。
 京子の番がやってきた。
 彼女はできなかった口らしい。おどおどと鉄棒に手を掛けるが、なかなか動こうとはし
ない。小学校の時にできなかったことは、大人になってもできないままというのは良くあ
ることである。自転車に乗れないという大人も少なからずいる。
 ともかく蹴上がりか逆上がりである。
 できなければ居残り特訓。バスケットチームへの方には回れない。
「京子、頑張れ!」
 智子が声援を送る。
 京子が観念して動き出す。
 するとどうだろう。
 あれだけおどおどしていたのに、軽く体重を持ち上げて鉄棒の上に這いがったのである。
 信じられないといった表情の京子であった。
「ようし、合格だ。次!」
 ゆっくりと鉄棒を降りて、蘭子のそばに腰を降ろす京子。
「できたじゃない。おめでとう」
 祝福する蘭子の言葉にも、呆然とした表情の京子。
 その時、智子は鉄棒に這い上がれずに悪戦苦闘していた。
「おい。鴨川、本気出しているのか? おまえができないはずないだろう」
「そうなんだけど……。おかしいな」
 智子は学業はとんとサッパリだが、体育にかけてはずば抜けた運動神経と反射神経を持
っていた。中学生の時には、テニス部のキャプテンを任され、この学校でも先輩に誘われ
てテニス部に入部。一年生ながらも試合に出場して好成績を収めている。
「深夜映画の見すぎで疲れてんじゃないのか?」
「そうかも……。BS2でいい映画やってるから」
「とにかく不合格だ。居残れ!」
「ほえ~」
 だらしない声を出して居残り組みに入る智子。
 一通りのテストを終えて、居残り鉄棒組みと、合格バスケット組みとに判れての授業が
はじまった。

 近鉄南大阪線大阪阿倍野橋駅。
 構内の自動改札口を通る京子がいる。
 彼女は電車通学である。
 3番ホームに発着する準急か急行電車に乗り、河内松原駅で降りる。急行なら一駅だが、
準急なら途中駅で急行通過待ちがある。急行は早いが混雑しているし、準急は遅いが座れ
ることが多い。その時の体調や荷物量、急いでいるかどうかでどちらかに決める。
 丁度、準急が発車待ちで停車しており、しかも後続急行のない河内松原先着なので、都
合よく乗り込むことにする。座席に腰を降ろし、鞄から本を取り出して読もうとした時に、
はす向かいに憧れの人が座っているのに気が付いた。
 同じ阿倍野区にある大阪府立住吉高等学校の二年生で、両校との間には古くからの交流
があって、生徒間の交流も盛んである。
 京子は、演劇部の交流会において、顔見知りになっていた。
 相手と視線が合った。
「あれ……?」
 明らかに京子に関心を持ったようだ。
 席を立ってこちらに向かってきて、京子の前に立った。
「君、阿倍野女子高校の演劇部だろ?」
「は、はい。そうです」
「名前を聞いてもいいかい?」
「真谷京子です。一年三組です」
「そうか、君も近鉄通学組みなのか……。駅はどこ?」
「河内松原駅です」
「僕は河内天美駅だよ。隣に座ってもいいかい?」
「はい、どうぞ」
 礼儀正しい少年だった。
 大阪府立住吉高等学校は公立にしては制服がなく、髪型自由でピアスも可という粋な校
風である。平成17年のスーパーサイエンスハイスクールの指定校となっている。
 それから二人は演劇の話で盛り上がった。
 憧れの人と知り合え、仲良く慣れそうな雰囲気に幸せそうな京子であった。
 出会いがあれば、別れもある。
 そばにいたカップルが言い争いをはじめた。
「もうあなたとは付き合わないわ。さよならよ」
「ちょっと待てよ」
 電車を降りる女性と追いかける男性。
「いい加減にして!」
 男性の頬に力強い平手打ちを食らわして、さっさと改札口から出て行った。
 取り残され呆然と立ち尽くす男性。


其の伍


 数週間が過ぎ去った。
 演劇を通して知り合った少年と急速に仲を深める京子。時刻を合わせて同じ電車に乗り
合わせるようにして一緒に通学するようになっていた。休日には劇場や映画を一緒に観覧
したり、公園を散策したりしている。
 しかし、他人の口に戸は立てられない。
 二人が一緒にデートしているのを見たという噂話が、阿倍野女子高校及び住吉高校の生
徒達の間に広がるのも早かった。
 情報屋の芝桜静香が、登校してきた京子に駆け寄ってくる。
「聞いたわよ、見たわよ。住高の大条寺明人君と交際してるんだって?」
 興奮を身体中にたぎらせて抱きついてくる。
「ちょ、ちょっと」
 とまどい気味の京子に、おかまいなくマシンガンのような質問攻めを聞いてくる。
「なりそめは何?」
「いつから付き合っているの?」
「毎日一緒に通学しているの?」
 隠してもしようがないと観念した京子は、クラスメイトの前でなりそめや近況報告をし
たのである。
「うらやましいわ。大条寺君といえば、住高演劇部の花形的存在で、ハムレットをやらせ
るならこの人との名声も高い。何でも父親が宝塚の劇場監督、母親がパリオペラ座の名優。
両親から演劇の素質を受け継いだ期待の星との呼び声もあるわ。
「へえ、そうなんだ」
 一同目を見張り、耳の穴をかっぽじいて聞き入っている。
「でもいいのかな……」
 蘭子がぼそりと呟いた。
 それだけの有名人となれば、いわゆる『取り巻き』と呼ばれる連中が付きまとっている
のが通常である。嫉妬や羨望という危険ともいえる状態にさらされることになる。『明人
の恋人』と自称する人物もいるかもしれない。そういった連中の耳に噂話が流れたら、逆
上して何をするか判らない。
 よけいなお節介かも知れないが、一応京子に注意を喚起した。
「お付き合いもいいけど、控えめにしておいた方がいいわよ」
「それは考えすぎじゃない?」
「そうそう、考えすぎだよ」
「しかし……」
 皆は一様に考えすぎだと言う。
 蘭子は腑に落ちない点があるのに気が付いていた。
 京子があの露店商に会ってあのミサンガを手に入れてから、運が回りはじめていること。
「あの露店商……」
 確かに妖気を身にまとっていた。
 霊感波長が似通っているとも言った。
 京子が幸せになる度に、誰かがその犠牲になっているのではないかと、思うようになっ
ていた。
 交通事故を起こした運転手。あのスピードで九十度に近い急カーブなど科学的に不可能
だと、事故調査に当たった警察官も言っていた。
 体育の鉄棒のテストで、できないと言っていた京子が合格し、体育好きの智子が不合格
になった。その後、智子は逆上がりを簡単に披露してくれた。
 そして大条寺明人の件では、嫉妬にかられる女子生徒が大勢いるはずである。
 その他にもまだまだありそうな感じである。
「きっと何かが起こる!」
 蘭子は確信していた。

 その日はほどなくやってきた。
 夕暮れに沈む阿倍野女子高校の校舎。
 校門前にたむろする女子グループがいる。見た目にも柄の悪く、学生鞄を持っていると
ころをみると、制服自由の住吉高校あたりか。
 そこへ腕時計を気にしながら、京子が出てくる。
 演劇部の練習で、こんな時間になってしまったのである。
「来たよ」
 顔を知っているらしい一人が声を掛けると、全員が素早く動いて京子を取り囲んだ。
「真谷京子だろ?」
「そうですけど……」
「話があるんだ。ちょっと顔貸しな」
 その口調には問答無用という響きがあった。
 黙って付いていくしかないようだ。
 夜道を連れ立って歩く一行。
「この先は……」
 京子は、一行が向かっているのは、阿倍野土御門神社だと気が付いた。
 土御門晴代が宮司を務めている神社である。
 蘭子がいるかも知れないと期待感が湧き起こる。
 この時間帯には、神社内の修錬場で合気道の稽古をしていると聞いたことがある。
 境内の人気のない所に連れて行かれる。
「おまえ、最近大条寺君と交際しているんだってね」
 いかにもリーダー格と思える生徒が尋ねてくる。
 おびえていて声が出ない京子。
 たとえ真実だとしても、素直に認めてしまうと、生意気だと思われる。
 どうせ知られているなら黙っていた方が良い場合も多い。
「まあ、いいや。ともかく別れてくんないかなあ」
 威圧的な態度で迫ってくるリーダー。
「そ、そんな事言われても……」
「ああ、こいつ口答えしよったで、生意気やなあ」
 いきなり胸ぐらをを掴まえられて、息が苦しくなって、その手を振り解こうとした時に、
手首のミサンガがきらりと輝いた。
 いち早くそれに気がつくリーダー。
「ミサンガか。噂聞いているよ。何でも幸福を呼ぶミサンガらしいな」
 手下に合図してミサンガを取り上げるリーダー。
「それを返してください!」
 青ざめて取り返そうとするが、多勢に無勢である。
 悦に入ったようにミサンガを眺めていたリーダーだったが、
「もらっとくよ」
 勝ち誇ったように腕にはめた。


其の陸


 と、その時だった。
 リーダーの表情に異変が起こり始めた。
 急速に老いさらばえていったのである。
 頬がこけて髪は総白となって、まるで老人のようである。
「困るんだよね……。そういうことされると」
 突然、林の中から声が聞こえ、一人の少年が姿を現した。
 話題の人、大条寺明人であった。
「明人君!」
 思わず駆け出して、その背中に隠れる京子。
「もう大丈夫だよ」
 やさしく声を掛ける明人。
 しかし不良グループには強い口調で言い放つ。
「さあ、それを返してもらいましょうか。君達には百害あって一利なしの代物なんだか
ら」
 百害あって一利なし。
 その意味が、この場にいる者には理解ができないようだった。
 ただ言えることは、それを手にはめたリーダーが老人のようになってしまったという事
実である。
「そのミサンガは、僕と霊感波長の合ったこの娘にしか手首にはめられないのだからね」
 霊感波長……?
 どこかで聞いたような言葉である。
「その言葉、忘れていないぞ」
 修練場の方から、玉砂利を踏みしめながら、巫女服に身を纏った蘭子が現れる。
「おやおや、立ち聞きですか。無作法ですね」
「ひとつ聞きたい。露店商は儲かるか?」
「何のことでしょうねえ」
 霊感波長という言葉からも、あの露店商と同一人物であることは確かなようであるが、
当人は薄らトボケている。
 もしかしたら、大条寺明人という人物に摂り憑いているのかも知れない。
「もう一つ聞いてもいいか?」
「どうぞ」
「人の運命を弄んで楽しいか?」
「さて、何のことでしょうねえ」
「おまえは京子に幸せを与える代わりに、他人の幸せを奪って不幸にしているだろう」
 鋭い目つきで、大条寺を睨み付ける蘭子。
 すると突然、大声で笑い出す大条寺だった。
「あはは……。なるほど、あなたには隠し立てはできないようですね。もちろん私の正体
も?」
「大条寺明人、その正体は悪しき妖魔。摂り憑いたか?」
 一般人のいる前で、口には出したくなかったが、認めさせるにはいたし方がない。
「そのとおりですよ。さすがですねえ」
「なぜ、他人を不幸に陥れる?」
「それは簡単ですよ。いくら僕でも無から有は作り出せませんからね。だから幸せを持っ
ている人と交換しているのですよ。もっとも少しばかりの手数料として、何らかの代償も
頂いていますけどね。それで私は生きているというわけです」
「そうやって運転手の命も奪ったのか?」
「ああ、あれね。あの事故では、本当は京子さんが一生回復のない植物人間になるはずだ
ったのです。それでは可哀想でしょう」
「良く言うな」
「私と京子さんは、霊感波長が合っているせいか、その未来も見えてくるのですよ。です
から、あの運転手さんと運命を取り替えて差し上げたのです」
「植物人間になるはずだろ。なぜ殺した? それが手数料というわけか」
「ご理解頂いてありがとうございます。そういうことです」
「許せない!」
 突然、蘭子たちのいる空間が変化した。
 京子や女子生徒達は身動き一つせず、瞬きすらしない。
 それまで鳴いていた虫の声、そよぐ風の音も止まった。
 まるで時が凍ってしまったかのように。
「ほう。奇門遁甲八陣の結界空間ですか。つまり閉じ込められてしまったというわけです
ね」
「これで心置きなく戦えるだろう」
「戦う? 僕はフェミニストでして、女性の方とは戦いたくありませんから」
 それにしても妖魔にしては良く喋るものだ。
 こうした場合、何か弱点があってそれを悟られないように、気を反らそうとしているこ
とが多いものだ。或いは相手の反応を見ながら付け入る隙を見出そうとしている時もある。
夢鏡魔人がそうであったように。
「臨、兵、闘、者、皆、陣、烈、在、前!」
「おやおや、問答無用というわけですか。仕方ありませんね、お相手いたしましょう」
 戦いがはじまる。
 妖魔の魔法と、蘭子の呪法とが互いに交差して炸裂する。
 緒戦は相手の手の内を読みあうせめぎ合いが続くが、妖魔はぴょんぴょんと跳ね回って、
はぐらかすように容易に隙を見せない。
 まるで本気で戦う意思がないようである。
「白虎!」
 式神を召還する蘭子。
 地を駆け回る猛虎にして、最も敏捷性が高い。
 逃げ回る妖魔を追い込むには一番であろう。
 十二天将のうち、この白虎だけは呪法を唱えなくても呼び出せることができる。蘭子が
三歳の時だった。晴代が召還した白虎に面白がって近づいて、手なずけて仲良くなってし
まったのである。いわゆる霊感波長が共振したというべきだろう。以来、白虎を呼び出し
ては、その背中に乗って一緒に遊んでいたという。その様子を見た晴代は、蘭子の陰陽師
としての並々ならぬ才能を見出し、御守懐剣の長曽弥虎徹と土御門家当主の座を譲り渡す
決断をしたという。


其の漆

 戦いは一進一退を続けていた。
 だが妖魔が見逃していたことがある。
 ここが土御門神社だということである。
 敷地内には、様々な呪法や道具立てによって常に清浄に保たれ、怨霊や物の怪、悪しき
魔物など一歩も入れないようになっている。
 白虎の攻撃をジャンプで交わして、地に足を付けた瞬間だった。
「呪縛!」
 蘭子が素早く呪法を唱えると、妖魔の足元が輝いて曼荼羅の方陣が現れた。
 身動きを封じられる妖魔。
「こ、これは……」
「気が付かなかったろうが、その足元には妖魔には見えない特殊な曼荼羅が描かれている
のだ」
「曼荼羅?」
「しかもここは敷地の丁度真中に位置する。結界呪縛は一段と強力だぞ。極楽浄土に送っ
てやる、仏に帰依してその罪をあざなえ」
 密教真言を唱え始める蘭子。
 右手を前に水平に伸ばして、広げた指先を少しずつ折り曲げていくと、それにともなっ
て方陣が狭まっていく。
 苦しみもがく妖魔。
 そこへ白虎が飛び込んで最期の一撃を与えた。
 やがて断末魔の叫び声を上げて、光と共に消滅する妖魔。
 白虎が蘭子の足元に擦り寄ってくる。屈み込んで
「ありがとう、白虎。おまえのおかげで奴を曼荼羅に追い込むことができた」
 と、身体をやさしく撫でてやる。
「もう一つ、お願い。この子達の記憶を消して欲しいの。この神社で起きたすべての事
を」
 すると白虎は、それに応えるように吠えると、すっと姿を消した。
 蘭子は立ち上がると、奇門遁甲八陣の結界を解く呪法を唱え始める。
 そして両手を、パンと叩くと、すべてが元に戻った。
 時が流れ、虫が騒ぐ俗世界へ。
 老いさらばえていたリーダーも、元の姿に戻っていた。
 ただ一つ消えてしまったものがある。
 あのミサンガである。
 妖魔が消滅したためだろうと思われる。

 翌朝の大阪阿倍野橋駅プラットホーム。
 通勤通学で混み合っている急行電車から、京子が飛び降りるように出てくる。先行く
人々を掻き分けながら急ぎ足で駆けてゆく。
「あーん。遅刻しちゃうよ」
 どうやら寝坊したようである。
 注意力散漫になって、案の定誰かとぶつかってしまう。
「ごめんなさい」
 大きな声で謝り頭を下げると、わき目も振らずにそのまま立ち去ってしまう。
 ぶつかられた人物は、苦笑いしながら呟く。
「よほど、急いでいるんだな」
 大条寺明人は何事もなかったように、人ごみの中へと消え去った。

 予鈴の鳴り響く阿倍野女子高等学校。
 一年三組の教室は今日も元気だ。
 ワイワイガヤガヤと席にも着かずに談笑している。
 そこへ京子が息せき切って飛び込んでくる。
「滑り込みセーフ!」
 恵子が右手を高々と挙げて宣言する。
「ビリッケツだぞ」
「へいへい」
 肩で息をしながら自分の席に鞄を置く京子。
「今日も寝坊ですか?」
「深夜映画かしら」
「まあね……」
 と、頷く視線の先に自分の手首が目に入った。
 じっと見つめたまま動かない京子。
「あれ?」
 何かを忘れてしまったような、何かが足りないような……そんな感情が湧き起こる。
 しかし、
「しっかりしなさいよ。授業中に居眠りしなさんなよ」
 背中をポンと叩かれて正気に戻る京子。
「大丈夫だってばあ」
 笑って返す京子。
 そんな様子を斜め後方の席から蘭子が見つめている。
 妖魔とミサンガが消滅して、人の記憶からも消し去られている。
 何事もなかったように時が過ぎ去ってゆく。
 蘭子と妖魔との戦いも人知れずに、日夜繰り広げられていることも知らずに。

第四章 了

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11
妖奇退魔夜行/第三章 夢鏡の虚像 後編
2020.11.24

陰陽退魔士・逢坂蘭子/第三章 夢鏡の虚像 後編


其の拾壱

 道子の自宅は程遠くないところにある。
「そういえば、先日おまえが妖魔から救ったという娘はどうしておる? 魔によって女子
にされたという」
「恵子ね。元気にしていますよ。あ、そこの家です」
 と、鴨川姉妹の家を指差す蘭子。
 その家をじっと眺め、妖魔の気配のないのを確認しているようすの晴代。
「そうか……。妖魔から完全に解放されたということだな」
「はい」
 再び歩き出す晴代と蘭子。
 やがて道子の自宅の前にたどり着く。
「ここです」
 立ち止まる二人。
 二階の窓を見上げる晴代は、そこに鬼火のようなものが点滅しているのを見い出してい
た。
「あれが見えるか、蘭子」
「はい。道子の魂が苦しんでいます。早くしないと手遅れになります」
「その通りだ」
 門をくぐって玄関に回りインターフォンを押した。
 ややあって、答が返ってくる。
「はい。どちら様ですか?」
「クラスメートの逢坂蘭子です」
「ああ、蘭子ちゃん……」
 しばらくの間があってから、玄関の扉が開いて暗い表情の母親が顔を出した。
「せっかく来ていただいたのだけど、道子が熱を出してしまって、今夜はご遠慮して頂戴
ね」
「実は、その道子のことでお伺いしたんです」
「どういうことですか?」
 ここで、後に控えていた晴代が前に出てきた。
「ちょっと失礼しますよ」
「あら、これは土御門神社の宮司さん」
 神社では季節の折々に祭礼が開かれており、町内会などの寄り合いなどに、晴代は宮司
としてかかさず参加している。阿倍野で暮らす人ならば、知らない者はいないという顔で
もある。
「娘さんの症状は、風邪などの病気ではなく、悪魔が取り憑いているせいじゃ」
「悪魔? まさか科学的な世の中にオカルトなんて」
「いや、信じられないのは良く判りますが、娘さんの症状は本当に熱だけですか? 他に
不思議な現象はありませんですかな」
 じっと母親を凝視する晴代。
 耐えられなくなって目をそらせ、喉を詰まらせたように話し出す母親。
「じ、じつは……娘は……」
 言いかけた時、奥からこの家の主人が出てきた。
「加代。娘の部屋に案内して、その目で確かめてもらった方が良い」
 その腕には痛々しいほどの包帯が巻かれていた。
「あなた!」
「その腕は、どうなされた?」
「いやはや、娘に噛み付かれましたよ。しかも尋常な力じゃない。筋肉を引き裂いて、骨
にまで歯型がついています」
「なるほど。やはり悪魔が憑いていますな」
「とにかく見てやってください」
「それでは失礼しますよ」
「お邪魔します」
 草履を脱いで家に上がる晴代と蘭子。
 母親に案内されて、二階の道子の部屋に着く二人。
「十分気をつけてください。信じられないことが中で起こっていますから」
 と言いながら、部屋の戸を開ける母親だが、怖がって中へ入ろうとはしない。
 部屋の中は惨憺たるものだった。
 箪笥は倒れ、カーテンは引きちぎられ、床には飾り物・置物などが散乱していた。壁際
にある紅い染みは、父親が噛まれた時の血飛沫だろう。
「まるでポルターガイスト現象ね」
 ふと、呟く蘭子。


其の拾弐


 ひとまず、その部屋を退散して、応接間で相談することにする。
「ご覧になられた通りです。やはり悪魔かなんかに魅入られてしまったのですか?」
「いかにも、今夜中にも何とかしないと、娘さんは助からない」
「助からないって……。そんな、娘が……」
 相変わらず涙ぐんでいる母親。
 その肩をやさしく抱き寄せながら、
「大丈夫だよ、ママ。陰陽道の大家である土御門宮司がいらっしゃっということは、娘を
助ける算段があるということだよ。ですよね?」
「いかにも」
「本当ですか、娘は助かるのですか?」
 母親の目が輝いた。
「土御門家の名誉にかけて」
 すると気が緩んだのか、顔を手で覆ってワッと泣き出した。

 その時、玄関のインターフォンが鳴った。
「私が出よう」
 いまだに泣き伏せっている母親に代わって父親が玄関に回った。
 玄関で何やら問答が聞こえていたが、戻ってきた父親に着いて、二人の男性が付いてき
ていた。
「井上課長さん!」
 蘭子が思わず声を出した。
 それもそのはずで、心臓抜き取り変死事件で、散々な待遇をしてくれた相手。大阪府警
本部刑事課長の井上警視だったからである。
「これはどうも……。逢坂蘭子さんでしたね。その節はどうも……」
 と、蘭子を認識して頭を下げる井上課長だった。
「知り合いかね」
 晴代が蘭子に尋ねる。
「例の心臓抜き取り変死事件の担当捜査官よ」
「ああ、あれか……」
「大阪府警刑事課の井上です」
 言いながら、晴代に名刺を差し出す。
 受け取って、記されている正式な肩書きを読んで尋ねる晴代。
「捜査一課の刑事課長さんが、わざわざお見えとは、何事か起こりましたかな」
「この近くで殺人事件が起こりましてね。目撃者によりますと、こちらの娘さんが関わっ
ているらしいとのことで、事情聴取に参った次第でして」
「ほう、殺人事件とな。どのような……」
「目撃者によりますと、こちらの娘さんに若い男が絡んでいたらしいのですが、突然男の
腕が捻じ曲がり、頭が首からもぎ取られるように吹き飛んだというのです。実際の現状も
その通りのままでして……。まるで怪力の持ち主かプロレスラーでもないと、ああにも…
…」
「とてもか弱い娘さんには不可能だとおっしゃるかな」
「その通りです。頭を抱えていたのですが、蘭子さんがこちらに見えているのをみて、少
し納得できたような気がします」
「納得とは?」
「はたまた悪霊かなんかの仕業ではないかと……」
「科学捜査しか信じない警察の言葉じゃないね」
「まあ、組織的にはその通りなのですが、個人的には蘭子さんに教えられましてね。科学
では解明できないものもあるということをね」
「ふん……」
 と、鼻声で答えて、両親の方に向き直る晴代だった。
「それでは、ご両親にお尋ねいたしますが、娘さんが帰宅された当時のことを、詳しく話
していただけますかな」
「よろしいでしょう。お話いたしましょう」
 父親が意を決したように語り出した。


其の拾参


 夜道をとぼとぼと歩いている道子。
 制服は乱れて至る所が破れている。
 自宅にたどり着き、玄関の戸を開けると無言で上がる。
 その物音に気づいた母親が台所から顔を出す。
「道子なの? 遅かったじゃない」
 しかし、その汚れた姿に驚いて、
「どうしたのよ。その格好は?」
 と、声を掛ける。
「何でもないわ」
「何でもないわじゃないでしょ。誰かに襲われたの?」
 気が気でない声で尋ね返すが、
「ちょっと転んだだけよ」
「転んだだけで、そんなになるわけないでしょ」
「いいから、放っておいてよ」
 母親の手を振り払って、階段を昇ってゆく道子。
「待ちなさい! 道子」
 居間の方で、二人のやり取りを聞いていた父親が呼び止めるが、無視して自分の部屋に
入ってゆく。
「あなた、道子に何があったのでしょうか?」
「わからん。ちょっと見てくる」
 階段を昇り、道子の部屋の前に立ちノックする父親。
「パパだよ。入るけどいいよね?」
 中から返事はない。
 静かにドアを開けて中に入る父親。
 道子はベッドに俯けに伏せっていた。
「道子……」
 声を掛けると、道子が父親に向けて、激しい声で怒鳴った。
「出てってよ。何でもないんだから」
「そんなこと言っても……」
 さらにベッドに近寄る父親だったが、突然道子が起き上がって、右腕に噛みついた。も
のすごい顎の力だった。筋肉を引き裂き、骨まで歯が食い込み、鮮血が辺り一面に飛び散
る。思わずのけ反って、右腕を押さえ苦痛にゆがむ父親。
 開けたドアのすき間から、母親が心配そうに覗いていたが、それから信じられないこと
がはじまった。
「ここから出て行け!」
 と、道子が叫ぶと、ぬいぐるみなど部屋中の置物が両親めがけてくる。タンスが大きな
音を立てて倒れ、カーテンが引き裂かれた。
 命からがら部屋を抜け出した両親は、まず父親の腕の治療のために、夜間診療救急病院
へと車を走らせた。入院治療を勧める医者の言葉に、
「娘を放っておけるか!」
 と、自宅に舞い戻ってきたのである。
 だからといって何ができるというわけでもなし、時々娘の部屋を覗きこむが、ベッドに
伏せって身動き一つしなかった。しかし、不用意に近づいて様子を見ることもかなわない。
 ほとほと困っている時に、蘭子達が訪問してきたのである。

「なるほど、良く判りました」
 父親から事情を説明され、納得した晴代が答えた。
「お願いします。娘を助けてやってください」
 必死の表情で懇願する母親。
「大丈夫です。そのために伺ったのですから」
 見つめ合って安堵する両親。
 横から井上課長が声を掛けた。
「あの……。私達に何かお手伝いできることはありますか?」
「何もありませんな。ご両親と一緒に、命が助かるよう祈っていて下さい」
「はあ……。相手が悪霊の類だと、我々には手も足も出ないということですか」
「いかにも、これから蘭子と二人で娘さんの部屋に入りますが、一切立ち入り禁止、部屋
には絶対に近づかないで下さい。ご心配でしょうが、儂らを信じてすべてを託して欲しい。
守れますか?」
 一同が見つめって確認しあう。
「判りました。仰せの通りにいたします。刑事さんたちもよろしいですね」
 父親が確認すると、大きく頷いて井上課長が答えた。
「無論です」
 井上課長は思い起こしていた。心臓抜き取り変死事件での、あの母親の猟奇殺人におけ
る、凍って時の止まった部屋のことを。悪霊というものが存在し、一般人にはとうてい解
決できないものがあることを身に知らされていた。
「いくぞ、蘭子」
「はい!」
 晴代が掛け声と共に立ち上がり、蘭子が応えて風呂敷包みを抱えて従った。


其の拾肆


 道子の部屋の前に立つ晴代と蘭子。
「陰形{おんぎょう}の術をかけておくぞ」
 陰形の術は、平安時代前期の文徳天皇・清和天皇の頃に活躍した宮廷陰陽家の滋丘川人
{しげおかのかわひと}が得意とした呪法。身を隠し守る護法の一つである。
 静かにドアを開けて中に入る二人。
 相変わらずの酷い惨状であるが、ある程度片付けなければ仕事にならない。
 床に散らばっている物を拾い上げて端に寄せ、ガラステーブルを中央に据えて作業台と
する。ベッド回りも邪魔にならない程度に片付ける。
 奇門遁甲八陣の方位に当たる部屋の周囲に燭台を置いて、ローソクに火を点し、死門の
位置に夢鏡魔鏡を設置する。道子と夢魔鏡とを結ぶ直線上の中心に対して直交する位置に、
夢魔鏡と鏡魔鏡を平行かつ等距離に置く。
「例のものは持ってきたな」
「はい」
 蘭子は懐から紙粘土を取り出して中心点に置いた。この紙粘土には自身の髪の毛を、呪
法を唱えながら練りこんで形代としたもので、夢の世界と鏡の世界を移動する蘭子の分身
ともいうべきものである。さらに式神を呼び出すための呪符をその下に敷いた。
 部屋中に張り巡らされた方位陣、虚空の世界を往来するための魔鏡の配置など。
 すべて準備が整った。
「蘭子、覚悟はいいな」
 おごそかに晴代が言った。
 場合によっては、夢鏡魔人との戦いに敗れ、命を失うかもしれないし、鏡の中に閉じ込
められて二度と出られなくなるかもしれない。陰陽師としてのすべての力を出し切り、命
がけの戦場へと向かう蘭子の心意気は本人にしか判らない。
「はい。いつでも結構です」
 と、目を閉じ手を合わせて、精神統一をはかった。
「では、いくぞ」
 晴代が心身解縛の呪法を唱え始めると、蘭子の身体が輝きだした。身体と魂の遊離がは
じまったのだ。やがて魂が完全に離れ、いとおしそうに身体にまとわりついている。
 さらに虚空転送の呪法を唱え始める晴代。すると蘭子の作った形代が輝きだした。
「夢の中へ、いざ!」
 晴代がカッと大きく目を見開いて、手を合わせてパンと鳴らすと、蘭子の魂が形代の中
へと、スッと消え入った。
 大きなため息を付いて肩を下ろす晴代。
 しかし、これで終わったわけではない。深呼吸をすると再び呪法を唱え始めた。道子の
生命を保ち続けるための呪法に取り掛かった。
 晴代と蘭子が全身全霊をかけた戦いが幕を下ろしたのである。


其の拾伍


 その頃、蘭子は摩訶不思議なる空間を彷徨っていた。
 呪法が成功して道子の夢の中に入り込んだようである。
 それにしても、目に見える景色が異様なまでに形容しがたいもので、抽象画のキュビズ
ムのようだったり、墨流しのようだったり、刻々と変化を続けていた。
 無理もないかもしれない。他人の夢など具象化できるものではないだろう。
 それでは夢鏡魔人は、その光景をどのように見ているのだろうか。
 その時、するどい突き刺さるような声が轟いた。
「誰だ! 私の神聖な領域を侵す奴は」
 景色の一角がスパイラル状に動いたかと思うと魔人が姿を現した。その姿が見えるのは、
道子が見ている夢ではなく、実際として虚空に存在しているからだろう。
「あなたが夢鏡魔人ね」
「ほう。現世では、私のことをそう呼んでいるのかね」
「なぜ、夢に入り込んで人を苦しめるのか。そして殺してしまう」
「なぜ? それは、人が食物を摂取するのと同じだよ。私が生きるためであり、人が苦し
みもがく負の精神波を命の糧としているからだよ。悪夢を見せるだけでもいいんだがね。
それではつまらないから、当人に殺人を犯させたりして、より苦しむところを眺めて楽し
んでいるのさ。まあ、道楽みたいなものだ」
「道楽ですって? 許せないわ。謄蛇よ、ここへ!」
 蘭子が叫ぶと、火焔に包まれた神将が現れた。式神十二神将の中でも桁違いの通力と生
命力を有する四闘将【謄蛇・勾陣・青龍・六合】の一神である。
「なるほど、式神というわけか。しかし、式神では私を倒せないことは知っているのでは
ないか?」
「おまえの精神力を削ぎ落とすくらいはできるはずだ。その間に、弱点を探し出して倒し
てみせる」
 はったりであった。
 おそらく、この道子の夢の中では、鏡の世界に本性を持つ夢鏡魔人は倒せないだろう。
もちろん魔人の方も蘭子を倒せないのは同様である。
「こざかしい真似を……。ならばこうしてくれるわ」
 蘭子の身体が浮かび上がり、空間に出現したスパイラルの中へと、魔人共々吸い込まれ
ていった。
 残された式神は自然消滅していった。

 そこはうって変わって荒涼としたただ広い空間だった。
 至る所に無数の鏡が浮かんでおり、足元にも水溜りのような水面が広がっている。
「これが夢鏡魔人の世界?」
「その通りだ」
 背後から声が掛かり、振り向くと夢鏡魔人がふてぶてしい表情で立っていた。
「ここは私の世界だ。鏡を通して世界中どこへでも往来できた……。しかし今は封印され
て、この魔鏡のみからしか現世へ渡れなくなってしまった」
 魔人のそばに一つの鏡がスッと寄ってきた。
 そこには、道子の部屋の中の様子が映し出されていた。部屋の八方に点されたローソク、
ガラステーブルの上に置かれた二対の魔鏡。そのそばで一心不乱に呪法を唱える晴代がい
た。
「なるほど……。二人掛かりというわけか。娘の夢の中にいたせいで、こんな仕掛けをし
ていたとは気づかなかったよ。なるほどたいした陰陽師の術者のようだな」
「おまえを倒すための方策は十分にとってある。覚悟することね」
「まあ、そう急くな。私のとっておきのコレクションを見せてあげよう」
 と、パチンと指を鳴らすと、別の鏡が現れた。
 そこに映る光景を目にして息を呑む蘭子。


其の拾陸


 若い女性が数人の男達に押さえつけられて輪姦されていた。
「この鏡には、女性達が苦しむ最も残酷な場面が残留思念として、魂と共に閉じ込めてあ
るのだ。つまりこの女性の魂は未来永劫輪姦され続ける思念に苦しめられるというわけだ

「なんてことを……」
「しかもこの女性は男達に襲われたのではない。私がその身体を乗っ取って、男達の前で
衣服を脱がせて淫乱女を演じさせたのだ。だが身体を乗っ取られても意識ははっきりと覚
醒し、目の前で意にならないことが起きていることをどうすることもできない。この女性
は清廉潔白で純真無垢な生娘だったよ。さぞかし心痛な思いであっただろうな」
「貴様! 人の純真な心を無残にも踏みにじるとは許せん!」
 怒り心頭にきて我慢の限界であった。
 蘭子は片膝を付いて呪法を唱え始めた。
「バン・ウーン・タラーク・キリーク・アク」
 心臓抜き取り変死事件の時に使用したあの呪法である。
 構えた両手の間に五芒星の印が現れる。
「はっ!」
 蘭子が気を放つと同時に五芒星は魔人の額を捕らえたが、すぐに消えてしまった。
「効かない?」
「何かね、今のは? そんな呪法など、私には効かない。それでは、こちらからも攻めさ
せてもらおうか」


其の拾漆


 一進一退が続いている。
 蘭子は次第に気力が衰えているのに気づき始めていた。
 一方の魔人は平然としていた。
 目の前に鏡が迫っていた。
 それに反映された自分の疲れきった表情。
 間一髪身をかわして鏡攻撃を避けるが、バランスを崩して青龍の背中から落下して地に
伏した。同時に青龍の姿も消え去っていた。
「そうか……。鏡は、私の精神波を吸収しているのか……。そして奴は」
 その時、どこからもなく精神波が届いてきた。
「その通りじゃ蘭子」
 晴代の思念波だった。魔鏡を通して鏡の世界へ思念波を送り込んでいるのだ。
「おばあちゃん!」
「いいか、良く聞け蘭子。魔人はそこら中にある鏡の中に閉じ込められた魂から、無限と
もいえる精神波を吸収して、消耗した体力を回復させているのだ。そしておまえは、鏡に
精神波を吸収されて、体力を消耗するだけだ。落ち着くんだ。怒りの精神波は、邪念や恐
怖といった負の精神波に近い。それこそが奴の活力の源なのだからな。そのままだと、他
の魂と同様に鏡の中に封じ込まれて、永遠に鏡の中を彷徨うことになるぞ。怒りを鎮めよ。
冷静さを取り戻せ!」
 そこで、思念波は途切れた。
「そうか……。そうだったのね」
 ゆっくりと立ち上がる蘭子。
 魔人が輪姦シーンの鏡を見せたりして、わざと怒らせて興奮させるような言動をしたの
は、蘭子の精神波を負の力へと導くためのものだったのだ。
 邪念を捨て、精神統一をはかる蘭子。
 冷静さを取り戻し始め、やがてその身体からオーラが輝き出しはじめた。
 魔人の放つ鏡が、そのオーラによって砕け散ってゆく。
 正義に燃える精神波が、負の精神波である鏡に打ち勝ったのだ。
 目を閉じ、静かに呪法を唱える蘭子。
 突然、歯で指を噛み切って血を流し、その滴る手を高く掲げて叫ぶ。
「虎徹よ。我の元へいざなえ!」

 現世の土御門家の晴代の居室。
 棚に置かれた御守懐剣が輝いて一瞬にして消えた。

 鏡の世界の中空の一点から強烈な光条が蘭子を照らし出した。
 そして一振りの剣が、ゆっくりと蘭子の差し出した手元へと、ゆっくりと舞い降りてそ
の手に収まった。
 虎徹に封じ込まれた魔人の精神波が解放されて怪しげに輝きだす。
「それは? 魔剣か!」
 さすがに夢鏡魔人も、これには驚かされたようだった。
 虎徹の本性も【人にあらざる者】であり、その実体は魔人である。
 鏡の世界の中へ飛び込んでくるくらいは簡単にできるはずであった。


其の拾捌


 魔人を倒すには、魔人をもってあたるべし。

 魔人はそこいらの妖魔と違って、桁違いの神通力と生命力を持っている。
 陰陽師家の大家でも封印するのがやっとの相手である。
 蘭子が魔人である虎徹を呼び寄せたのは、正しい判断と言える。
「その通り。魔には魔を。負の精神波には負の精神波を。魔を封じ滅する退魔剣なり」
 剣を上段に構え直し、地を踏みしめるように一歩前へと進む蘭子。
 その気迫に押されて、思わず後退する夢鏡魔人。
 相手が人間やその魂なら何とも思わない。
 しかし魔人が相手となると話は違ってくる。
 正真正銘の魔と魔の戦いとなり、どちらの魔力が勝っているかによって分かれ目である。
しかも強い念を持った陰陽師も付いている。
 この勝負、自分の方が不利と悟った夢鏡魔人は交渉を持ち掛けてきた。
「ま、待て。話し合おうじゃないか……。そうだ、ここにある鏡の中に封じ込めた魂達を
浄化してすべて解放しようじゃないか。そして私は、この魔鏡から二度と現世に出て、人
を殺めたりしないと誓おう。おまえは現世に戻って、この魔鏡を完全封印してくれ。な、
これでいいだろう?」
 魔人との口約束など当てにはならないだろう。永遠の命を持つ魔人なら、蘭子との誓い
を反故にして後世に再び災厄をもたらすのは明らかなることだった。

 この虎徹たる退魔剣に封じ込めたる魔人とは、古来のしきたりにのっとって正式なる【
血の契約】を結んでいるからこそ、意のままに従わせることが可能なのである。
 しかし、この鏡の世界の中では、血の契約を結ぶことは不可能であるし、そう簡単には
契約など結べないものである。
 夢鏡魔人の申し出は、急場凌ぎの言い逃れに過ぎないのである。
「人の世に、仇なす魔を断ち切る!」
 一刀両断のごとく、渾身を込めて退魔剣を振り下ろすと、解き放たれた魔人の精神波が、
夢鏡魔人に襲い掛かる。たとえそれを交わしても執拗に追いまわしてくる。
 突然、蘭子が気を放った五芒星の光が夢鏡魔人の背中を捉えてその動きを封じた。
「た、たのむ。見逃してくれ。同じ魔人じゃないか」
 目の前に迫ってくる魔人に、最期の許しを乞う夢鏡魔人だった。しかし蘭子との契約に
従う魔人には、何を言っても無駄である。
「ぎゃあ!」
 退魔剣に封じ込まれし魔人が夢鏡魔人に襲い掛かった。
 断末魔の悲鳴を上げて消え去ってゆく夢鏡魔人。
 蘭子との共闘により退魔剣が勝利した瞬間であった。
 宙に浮いていた無数の鏡が、次々と落下しはじめ地上で粉々に砕かれてゆく。そして封
じ込まれていた魂達が開放されて静かに消えてゆく。
「終わったのね……」
 その表情は、苦しい戦いを無事に乗り切った充実感に満ちていた。
 空に青龍が現れて蘭子を祝福するように吠えた。
「ありがとう、青龍。そしておまえもな」
 退魔剣に目を移すと、応えるようにひとしきり輝いた。
 やがて大地が崩れ出した。
 鏡の世界を支持する力が消滅したために、崩壊をはじめたのである。
 退魔剣は虎徹へと戻り、それを高く掲げて叫ぶ蘭子。
「現世へ!」


其の拾玖


 道子の部屋。
 ベッドに寄りかかるようにしていた蘭子の意識が戻った。
「大丈夫か、蘭子?」
「はい。大丈夫です」
 答える蘭子の懐からは、御守懐剣の虎徹が覗いていた。
「そうか……。虎徹を呼び寄せたのか」
「苦しい戦いでした。呪法や式神だけではとても……」
「そうかも知れないな」
 二人ともが揃って道子の方に視線を向けた。
 夢鏡魔人は倒した。残る問題は道子の容体だけである。
「道子は?」
「大丈夫だ。かなり弱ってはいるが、護法をかけておけば、二三日ですっかり良くなるだ
ろう」
「ありがとう。おばあちゃん」
「なあに、友達を助けようと一所懸命に勉強し、命を掛けて頑張ったんだ。そんな孫娘の
ためなら、いくらでも力を貸すさ。さてと……、後片付けをするとしようか」
「はい」
 手分けをして、部屋の周囲に置いた燭台や魔鏡などの道具を丁寧にしまい込み、ついで
に道子(魔人)が散乱させた部屋もきれいに片付けてゆく。倒れたタンスは式神を使役し
て元に戻した。

 やがて、道子の両親と刑事二人の待つ居間へと降りてくる二人。
「宮司!」
 その姿を見て、両親が立ち上がる。
「大丈夫です。娘さんは助かりました。取り付いていた魔物は退治しましたから」
「本当ですか?」
「無論です。しばらく安静にしていれば、元気になりますよ」
「あ、ありがとうございます。様子を見に行ってもよろしいですか?」
「もちろんですとも」
 喜々として階段を上がって道子の部屋へと向かう母親。
 その姿を見送りながら、父親が晴代に礼を述べる。
「本当にありがとうございました」
「いやいや、礼なら孫娘に言ってやってやってください。魔物を退治したのはこの孫です
から」
「蘭子ちゃん、ありがとう。道子が聞いたらどんなにか喜ぶでしょう」
「とんでもない。当然のことをしたまでですよ」
 両手を横に振って礼を言うまでもないことを表現している蘭子。
 とにかく円満解決した喜びに溢れている一同であった。
「さてと……」
 晴代が井上課長に向き直る。
「刑事さん達は、これからどうなさるおつもりじゃ」
 夜道で道子に絡んで惨殺された事件が残っていた。
 証言を裏付けるための事情聴取が必要ということで、この家を訪問したのであるから、
何もしないで帰るわけにもいかないのだが……。
「ともかく今夜は、このまま引き上げましょう」
 しばらく安静という判断なら、枕元での聴取もかなわないだろう。

 道子の家を出てくる刑事二人。
「どうしますか? 報告書」
「どうしますかと言われてもな……。男に絡まれていた、か弱い少女が、自分の力で図太
い二の腕を捻じ曲げ、その首根っこから頭をもぎ取って、十数メートル先に放り投げた。
と、証言通りに書くのかね?」
「上層部は信じないでしょうね」
「まあ、暗がりのことでもあるし、目撃者の見間違いということで落ちだな。犯人は通り
すがりの怪力男ということにしておこう」
「それが無難ですかね……。なんか、今回も迷宮入りになりそうです」
「運がないと、あきらめようじゃないか。さて、もう一度、殺害現場に行ってみるか」
「はあ……」
 刑事達が立ち去った後に、蘭子と晴代も出てきた。
 大きな背伸びをする蘭子。
「あ~あ。気分がいいわ」
「眠くはないのか?」
「どうかな、ついさっきまでは、気が張り詰めていたから。横になって目を閉じたら、そ
のまま朝までバタン・キューかもね」
「丁度明日は日曜日だ。昼まで寝ていると良い。晴男には儂から言っておく」
「ありがとう。でも大丈夫よ。若いんだから」
「あてつけかね、それは」
「あはは……」
 仲良く並んで談笑しながら、夜の帳の中へと消えてゆく二人だった。

夢鏡の虚像 了

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