思いはるかな甲子園~執念~
2021.07.01
思いはるかな甲子園
■ 執念 ■
さらに回は進んで八回の裏。
栄進の攻撃は九番の梓から。梓が出塁すれば、一番からの好打順が回ってくるという場面であった。得点は0対0。
「ここが最後のチャンスね。何としても塁に出なくちゃ」
バットを重そうに持ちながら打席に入る梓。
「ふん。女の子相手に変化球なんかいらねえや。ストレートのど真ん中で勝負してやるよ」
梓の様子を見て悟った投手の堀米は、捕手とのサインも交わさずに簡単にストライクを放りこんできた。
「ちきしょう。女の子だと思って、ど真ん中に投げてきやがる」
『ツーストライク。ツーストライクです。真条寺君、後がありません。ピッチャー、振りかぶりました。三球目』
梓は、それをカットしてファールで逃げた。
「しゃらくせえこと、しやがるな」
『ピッチャー、四球目を投げます。あっと! ファールです。真条寺君、ファールで粘ります』
『しかしピッチャーの堀米君。もう少し間合いをとってじっくり投げたほうがいいですよ。こうもぽんぽんと投げ込んでいては、なかなか討ち取れませんよ』
『おおっと、またもや、ファールです。真条寺君も、疲れきった身体に鞭打って頑張っています』
次第に焦りだす堀米投手。相手は投手、しかも女の子を討ち取れない。
『堀米投手、一旦プレートを外して、ロジンバッグを手に取りました』
梓も合わせるように、タイムを掛けてバッターボックスを出る。
『タイムです。双方、一呼吸するように、それぞれ間合いを取っています。真条寺選手、滑り止めスプレーをバットに吹きかけています』
『緊張して手に汗が出ますから、まあ自然でしょう』
その時、栄進高校側の応援席にちょっとしたざわめきが起こった。
長居浩二の母親が、遺影を抱えて入場してきたのだ。
それと知った応援団の一人が、観客に促し道を開けさせて、グラウンドが見渡せる最前列に案内する。
目ざとくそれを見つけたアナウンサー。
『栄進高校応援席をご覧ください』
マウンドを映していたTV中継のカメラが、観客席を映すカメラに切り替えられる。
『去年の決勝戦を直前にして亡くなられた、長居浩二君のお母さんのようです』
カメラは遺影をクローズアップする。
アナウンサーの手元のモニターに映し出された遺影。
マウンド上で、今まさにボールが指から離れた瞬間を正面から捉えた、ユニフォーム姿の写真であった。
『長居浩二君です。母親に抱えられて、母校の試合を観戦に、そして応援にきました』
応援席のざわめきによって、ダッグアウトの野球部員達も気付くこととなった。
もちろん梓も。
「母さん……来てくれたんだ」
目頭が熱くなり、涙がこぼれそうになる梓。
しかし今は泣いている場合ではない。
汗を拭うように、ユニフォームの袖で拭き取る。
そしてバッターボックスに戻る。
「プレイ!」
主審の声で試合再開。
『ファール!ファールです。真条寺君、相変わらずファールで粘って、絶好球が来るのをひたすら待つ戦法です』
『これは辛いですね。投手も打者も双方共に精神疲れます』
「ちきしょう。これでどうだあ!」
大きく振りかぶる堀米投手。
「コースと球種さえ判れば、このあたしにだって当てられるんだ。しかし、腕力のないあたしが打ち返すには、フルスウィングで真芯を捕らえるしかない」
ピッチャーが振りかぶると同時に、打撃態勢に入る梓。
バットに全精力を注いで、渾身の力を込めてフルスウィングする梓。
カキーン!
そしてバットは見事真芯を捕らえて、ボールはレフト方向へ。
『打った! 打ちました。前進守備の外野の間を抜けて、ボールはフェンス際を点々と転がっています。長打コースです。ランナーは一塁を蹴って二塁へ向かいます。がしかし足が遅い。レフトからの返球が早いか? いや、間に合いました。セーフです。二塁打。二塁打です』
『彼は、ファールで粘りながらも、タイミングを計っていたんでしょうねえ』
グラブを地面に叩きつけて悔しがるピッチャー。
「ちくしょう! この俺が、女になんかに打たれるなんて……」
それを見た捕手の金井主将が、タイムをかけて駆け寄る。
「どうした? 堀米、おまえが打たれるなんて」
「なんでもねえよ」
「ならいいが……とにかく」
といいながら梓を見る金井。全速力で走ったので肩で息をしている。
「あれじゃあ、彼女はとうてい走れないだろう。バッター勝負で行こう」
「わかってるさ」
グラブを拾う堀米。
『さあ、打順は一番に戻って打撃好調の木田君の登場です。二塁打と単打二つを打っています』
『やはりここは、真条寺君を楽に返してあげる為に、ホームラン狙いで振り回してくるでしょうねえ』
二塁に達した梓に視線を送りながら、一番の木田。
「絶対に梓ちゃんをホームに迎え入れてやる。しかし梓ちゃんは足が遅い、しかも疲れ切っているんだ。バントなんて姑息な手段は取れねえ、長打を狙うしかない……」
振りかぶって投球モーションに入る堀米。
「ちきしょう! 梓ちゃんが走れないことをいいことに、振り被りやがって」
ストライク!
梓、二塁上で息を整えながらも、敵の守備陣形を確認している。
「城東は、あたしが走れないと思ってる。となると警戒するのは、長打ということで、かなり深い守備陣形をとっているわ。ワンアウトだから補球を確認しなきゃ進塁できないし、ヒットになっても、フライでタッチアップしても、あたしの足じゃ三塁でアウトだ。やるっきゃないか……」
大きく深呼吸してから、バッターボックスの木田に合図を送る。
(なに! おい、嘘だろ?)
サインを見た木田が煩悶して再確認する。が、サインは変わらなかった。
(わかったよ。梓ちゃんが、そこまでやるというならな)
『ピッチャー、第二球投げました』
木田、ピッチャーの投球と同時にバントに構えた。
梓は、三塁へ突進する。
『あ! 木田君、いきなりバント! 真条寺君、走った。バンドエンドランだ』
打球は三塁線を転がっていく。
『これは、完全に球威を殺して、絶妙なバントになりました。サード、ボールを取りましたがどちらにも投げられません。内野安打です。真条寺君、楽々三塁に達しました。木田君も一塁に生きました』
『バッターが打撃好調の木田君ということで、一打逆転を警戒して、深い守備陣をとっていた城東の野手達。その裏をかいてのバント攻撃でしたね。確か、木田君のバントははじめてのことでしょう』
「へん。梓ちゃんに言われて、バントも練習していたんだよ」
鼻を鳴らしながら自慢気に呟く木田。
そして、センターから梓の後ろ姿を見つめながら感心する沢渡。
「さすが梓さんだ。守備の弱点を的確についてくる。しかも自分が一番疲れているはずなのに、常に全精力を出している。見習うべきだな」
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