銀河戦記/機動戦艦ミネルバ 第三章 狼達の挽歌 IV
2019.03.30


 機動戦艦ミネルバ/第三章 狼達の挽歌


 IV 反磁界フィールド

 だが驚きはそれだけではなかった。
「こ、これは!」
 レーダー管制オペレーターが声を上げた。
「どうした!」
「レーダーから、敵艦が消えました」
「なんだと!」
「しかし、こちらの重力加速度感知器には敵艦の反応があります」
「どういうことだ?」
「わかりませんが、敵艦はなおもこちらに接近中です」
 艦橋内にざわめきが広がる。
 まるで姿なき魔物がひたひたと迫り来るといった概念に捉われつつあった。
 レーダーが機能しなければ、敵艦の位置や速度が測れないから、すべての誘導兵器
が使用不能という状況に陥ってしまっているということだ。
 このままでは、敵艦からの一方的な攻撃を受けるのみである。
「敵艦周辺一体に特異的地磁気変動が見られます」
「特異的地磁気変動だと?」
「はい。磁力線計測器によると、敵艦の周囲一体に磁場がまったく感知できません」
 その報告を受けて、しばらく考えていた副官が答えた。
「どうやら敵艦の周囲には、磁場を完全に遮蔽する反磁界フィールドが張られている
ものと思われます」
「反磁界フィールドだと?」
 艦長の疑問に、副官が詳しく説明を加える。
「超伝導によるマイスナー効果ですよ。敵艦の周囲には、磁界が完全に0の空間が作
り出されているのです。レーダー波は、磁界と電界が交互に繰り返されながら伝播す
る電磁波の一種です。その片方の磁界を完全に遮断すれば電磁波は伝わらない。つま
りレーダーは役に立たないということです。しかし重力までは遮断することはできま
せんから重力加速度計には感知されるわけです。あの戦艦は超伝導によるマイスナー
効果によって完全反磁性を引き起こして、地磁気に対しての反発力を利用した最新鋭
の超伝導反磁性浮上システムを搭載しているものと思われます。その反磁性の範囲を
艦体をすっぽり包むように拡げてバリアー効果をも発揮させているのです」
「反磁界フィールドか」
 副官の長い説明はさらに続く。
「陽電子砲の正体は荷電粒子です。荷電粒子が磁界によって曲げられてしまうのは周
知の事実です。リング状に設置されたサイクロトロンやシンクロトロンなどで荷電粒
子を加速させる原理に使われていますし、地球が地磁気によって太陽からの荷電粒子
(太陽風)から守られ、バンアレン帯を形成している事も良く知られています。さら
に、光が通過する空間において物性が変わった場合など、温度差による蜃気楼や光の
水面反射などの現象が起きます。そのことを踏まえて、ミネルバの状況を考えてみま
しょう。磁界が完全に0であるということは、逆に言えば無限に近い強磁界が存在す
るのと同じ効果が発生するのです。フレミングの法則でも知られる通りに、電界のあ
るところ必ず磁界も発生しますが、その対偶命題として磁界がなければ電界も存在し
えないと考えるのが数学の真理であり至極自然です。電界とはすなわち電荷の流れに
よって生じるところから、荷電粒子を完全遮断できるほどのバリアー効果となって現
れるのです」
 長い長い説明は終わったようだ。
「なるほど……などと関心している場合じゃない!」
「しかし、こちらから粒子砲攻撃ができないということは、向こう側も粒子砲を撃て
ないということです。それに反磁界フィールドを張るには莫大な電力が必要でしょう、
そういつまでも持つはずがありません。少しは気休めになるでしょう」
「気休めになるか! 向こうもそれを承知で接近してくるということは、それなりの
方策を持っているからに違いない。第一、反磁界フィールドのスウィッチを持ってい
るのは相手だ。粒子砲の発射準備をしておいて、フィールドを切ると同時に発射する
ことができるのだからな」
「粒子砲が使えないとなれば艦載機とミサイル攻撃しかありませんね」
「ちきしょう! 空戦式機動装甲機(モビルスーツ)が使えればな……」
「確かに、粒子砲が使えない以上、モビルスーツによる格闘戦しかありませんが、あ
いにくと我が軍が搾取した同盟軍のモビルスーツのOSの書き換え作業と動作確認に、
パイロットが使役されちゃいましたからね。機体はあるがパイロットがいなけりゃ動
かせません」
「とにかく、敵艦がいつフィールドを解除して粒子砲を撃ってくるかわからん。射線
上に入らないようにして、往来撃戦で戦う!」
「往来撃戦用意!」


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銀河戦記/鳴動編 第二章 ミスト艦隊 IX
2019.03.30



第二章 ミスト艦隊


                 IX

 別働隊指揮艦の艦橋。
 迫り来る敵艦隊との会戦の時が迫り、オペレーター達の緊張が最高潮を迎えようとし
ていた。
 正面スクリーンが明滅して、敵艦隊の来襲を知らせる映像が投影された。
「敵艦隊捕捉! 右舷三十度、距離三十二光秒!」
 目の前を敵艦隊が悠然と進撃している。
 ミスト艦隊が取るに足りない弱小艦隊とみて、索敵もそこそこにしてミスト本星へ急
行しているというところだ。
 手っ取り早くミストを攻略し、先遣隊が帝国皇女の拉致に成功した後に、この星に連
行してくるつもりなのかも知れない。
「時間通りです」
「ようし! 全艦攻撃開始だ」
 アレックスの作戦プランに従い、別働隊の敵艦隊に対する側面攻撃が開始された。

 敵艦隊の旗艦艦橋。
「攻撃です! 側面から」
 不意の奇襲に、声を上ずらせてオペレーターが叫ぶ。
「側面だと? こざかしい!」
「艦数およそ二百隻です」
「所詮は陽動に過ぎん。放っておけ。加速して振り切ってしまえ!」
「こちらは外洋宇宙航行艦、向こうは惑星間航行艦。速力がまるで違いますからね」
「競走馬と荷役馬の違いを見せてやるさ」
 別働隊の攻撃を無視して、速度を上げて差を広げていく連邦艦隊。

 別働隊指揮艦。
 正面スクリーンに投影された敵艦隊の艦影が遠ざかっているのが判る。
「距離が離れていきます。追いつけません」
「それでいい。作戦通りだ」
 落ち着いた口調で答える司令官。
 敵艦隊が別働隊の奇襲を無視して加速して引き離すことは予測していたことであった。
 アレックスの思惑通りに、事は運んでいた。
「さて、後方からゆっくりと追いかけるとするか……」
 艦橋にいる人々に聞こえるように呟く司令。
 頷くオペレーター達。
「よし、全艦全速前進!」
 ゆっくりと追いかけると言ったのは、敵艦隊のスピードに対しての皮肉であった。
 追いつけないまでも、敵艦隊に減速の機会を与えないように、後方から睨みを利かせ
るためである。

 その頃、連邦軍の艦影を捉えたミスト旗艦のアレックスは全艦放送を行っていた。
「……いかに敵艦が数に勝るとも、無用に恐れおののくことはない。わたしの指示通り
に動き、持てる力を十二分に引き出してくれれば、勝機は必ずおとずれる。どんなに強
力な艦隊でも所詮は人が動かすもの、相手を見くびったり、奢り高ぶれば油断が生じる
ものだ。その油断に乗じて的確な攻撃を敢行すれば、例え少数の艦隊でもこれを打ち砕
くことができるだろう……」
 感動したオペレーターが、思わず拍手をすると、その波はウェーブとなった。
 放送を終えて照れてしまうアレックスであった。
 しかし、アレックスにはもう一つの放送をしなければならなかった。

 敵艦隊の指揮艦。
 機器を操作していた通信士が報告する。
「敵の旗艦から国際通信で入電しています」
 戦闘に際しては、通信士の任務は重大である。
 味方同士の指令伝達は無論のこと、敵艦同士の通信を傍受して作戦を図り知ることも
大切な任務である。
「正面スクリーンに映せ」
「映します」
 オペレーターが機器を操作し、正面スクリーンにアレックスの姿が映し出された。
 スクリーンのアレックスが語りかける。
「わたしはアル・サフリエニ方面軍最高司令官、アレックス・ランドールである」
 途端に艦橋内にざわめきが湧き上がった。
 ランドールと聞けば知らぬ者はいない。
 そのランドールが、なぜミスト艦隊に?
 オペレーター達が驚き、隣の者達と囁きあっているのだ。
 スクリーンのアレックスは言葉を続ける。
「わけあって、このミスト艦隊の指揮を委ねられた……」
 疑心暗鬼の表情になっている司令官であった。
 ランドールと名乗られても、『はいそうですか』と即時に信じられるものではない。
 副官は機器を操作して、スクリーンに映る人物の確認を取っていたが、
「間違いありません。正真正銘のランドール提督です。それに、ミストから離れつつあ
る艦隊を捕らえました。サラマンダー艦隊です」
「どういうことだ。タルシエン要塞にいるはずのやつらが、なぜここにいる?」
 何も知らないのは道理といえた。
 ランドール率いる反乱軍は、堅牢なるタルシエン要塞を頼りにして、篭城戦に出てい
るのではなかったのか……。
「おそらくランドールの目的は銀河帝国との交渉に赴いたのではないでしょうか?」
「交渉だと?」
「はい。反政府軍が長期戦を戦い抜くには強力な援護者が必要です。帝国との交渉に自
らやってきて、補給に立ち寄ったこのミストにおいて、我々との戦いを避けられないミ
スト艦隊が、提督に指揮を依頼した。そんなところではないでしょうか」
「なるほどな……。とにかく大きな獲物が舞い込んできたというわけだ」
 すでにアレックスの挨拶が終わっていて、スクリーンはミスト艦隊の映像に切り替わ
っていた。
「敵艦隊、速度を上げて近づいてきます」
「全艦に放送を」
 通信士が全艦放送の手配を済ませて、マイクを司令に向けた。
「敵艦隊の旗艦には、宿敵とも言うべき反乱軍の総大将のランドール提督が乗艦してい
るのが判明した。その旗艦を拿捕してランドールを捕虜にするのだ。それを成したもの
は、聖十字栄誉勲章は確実だぞ。いいか、ランドールは生かして捕らえるのだ、決して
あの旗艦を攻撃してはならん」
「なぜです。捕虜にするのも、撃沈して葬るのも同じではないですか」
「ばか者。ここはミスト領内で、あやつの乗艦しているのはミスト艦隊だぞ。撃沈して
しまったら、どうやってランドールだと証明できるか? 宿敵艦隊旗艦のサラマンダー
ならともかくだ」
「そうでした……」
「指令を徹底させろ」
「判りました。指令を徹底させます」


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性転換倶楽部/特務捜査官レディー 強姦生撮り(R15+指定)
2019.03.29



特務捜査官レディー
(響子そして/サイドストーリー)


(四十二)強姦生撮り

 それからしばらくして、例の透視映像に三つの点滅が増えた。
 そして真樹のそばに近づいていった。
「一人はビデオカメラマンで、後の二人は……おそらく男優だろうな」
 と、ぽつりと黒沢医師が呟いた。
 強姦生撮り撮影が開始されるというわけである。
 男優一人では強姦生撮りは難しい。女性が必死で抵抗すれば事を成されることを防
ぐこともできる。
 そこで抵抗する女性を押さえつける役も必要というわけであろう。気絶させては迫
力ある強姦シーンにはならないからだ。
 あくまで泣き叫ぶ女性の姿が欲しい!
 というところだ。

 つと敬が腰を上げた。
「行くのか?」
 それには答えずに黙って車から降りて雑居ビルの方へと一人歩き出した。
「しようがないな……。まあ、恋人が犯されるのを黙ってみている訳にもいかないか
……」
 それを眺めて美智子が尋ねる。
「行かせてよろしいのでしょうか? 当初の予定ではここから売春組織のあるアジト
まで案内させるはずでしたよね。今踏み込んでしまえば、その機会を失うことになる
のではないでしょうか。彼らを捕らえたところで、そう簡単には組織を売るようなこ
とはしないでしょう」
「まあな。通常の手段で、奴らのアジトを吐かせることは無理だろう」
「では、なぜ?」
「私に考えがある。否が応でも吐きたくなるような方法をね」
 と言って、黒沢医師も車を降りて敬の後を追った。
 一人残された美智子。
「もう……。わたしは何のために来たのか……」
 実は、相手を策略に掛けてアジトを探し出し、売春組織を壊滅させる。
 そんなスリリングな期待を抱いていたのである。
 ここで踏み込んでしまえばそれでおしまいである。
「つまらないわ……」
 ぼそっと呟いて苦虫を潰したような表情の美智子であった。

 雑居ビルの一室。
 ベッドの上で眠っているその周囲でカメラ機材を並べている男達がいる。
 部屋の隅では男優とおぼしき男二人が服を脱いでいる。
 その傍らで勧誘員が説明をしている。
「今日は強姦生撮り撮影だ。女が目を覚ましたところからはじめるぞ。いつも通りに、
女が泣き叫ぼうがなんだろうが、構わずにやってしまえ!」
「女は処女ですか?」
「いや、そうでもなさそうだ」
「ちぇっ、それは残念だ」
「ふふん。で、今日はどっちが先にやるんだ?」
「今日は、俺からっすよ。前回はこいつでしたからね」
「しかし今日のは、ずいぶん綺麗な女じゃないですか。前回のはひどかったですから
ね。仕事だから仕方なくやりましたけど」
「だめっすよ。交代はしませんからね」
「とにかく一ラウンド目はいつも通り。ニラウンド目は、覚醒剤を打って淫乱女風に
なった状態で撮る」

 そんな男達の会話を、真樹は目を覚ました状態で聞いていた。
 うとうとと眠ってしまったが、男達が周りで動き回る音に目を覚ましたのである。
「ひどいことを言ってるわね……」
 覚悟していたとはいえ、いざ男達に取り囲まれ、強姦生撮りされると思うと、さす
がに緊張は極度に高ぶっていた。
 しかし、それもこれもより多くの女性たちを救うための人身御供である。
 何とかこの試練に耐えて、奴らのアジトに潜入しなければならないのである。
 身が引き締まる思いであった。

「よし! ビデオの準備OKだ。はじめてくれ!」

 その合図で、男優達が動き出した。
 真樹の横たわっているベッドに這い上がってきた。
「きた!」
 思わず身を硬くする真樹であった。


性転換倶楽部/響子そして 真実は明白に(R15+指定)
2019.03.28


響子そして(覚醒剤に翻弄される少年の物語)R15+指定
この物語には、覚醒剤・暴力団・売春などの虐待シーンが登場します



(十九)真実は明白に

 すると今まで黙っていた、その青年が口を開いた。
「響子、意外に冷たいんだな」
「あなたに響子なんて呼びつけにされる筋合いはありません」
「そう言うなよ。響子というのは、俺がつけてやった名前じゃないか」
「ええ?」
「俺の母親の名前だ。忘れたか? ひろし」
「ひろしって……。そ、その名前をどうして? ま、まさか……」
 その名前を知っている限りには、わたしの過去の事情を知っているということ。響
子とひろしとが同一人物だと知っているのは……。そして母親の名が響子ということ
は。
「なあ、生涯一緒に暮らすから、性転換して俺の妻になってくれと言ったよな」
「う、うそ……。まさか……明人?」
「ああ、そうだ。俺の名は、遠藤明人。祝言をあげたおまえの夫だ。もっとも今は柳
原秀治って名乗っているけどな」
「で、でも。社長、明人は死んだって……」
「あれからすぐに臓器密売組織に運ばれてきてね。わたしが執刀医になったのさ。で
も脳が生き残っていた。明人のボディーガードの一人が、頭部を射ち抜かれて脳死に
なったのが同時に運ばれて来ていたから、二人から一人を生き返らせたわけ」
「じゃ、じゃあ。明人の脳を?」
「その通り」
「ほ、ほんとに明人なの? 担いでいるんじゃないでしょう?」
「何なら俺だけが知っているおまえの秘密を、ここで明かしてもいいんだぞ」
「それ、困るわ……」
「なら、俺を信じろ。嘘は言わん。俺は正真正銘のおまえの夫の明人だ」
 ああ……。その喋り方。
「明人……」
 わたしは、明人の胸の中で泣いた。
 明人はやさしく抱きしめてくれた。
 身体こそ違うが、わたしをやさしく見つめる目、その抱き方。間違いなく明人だ。
 明人がわたしのところに帰って来てくれた。
 ひとしきり泣いて、落ち着いてきた。
「でもどうして今まで黙ってたの?」
「それはね。脳移植自体は成功したけど、身体と精神の融合がなかなか進まなかった
のさ。身体も脳も生きているけど、分断したままという状態が長く続いた」
 社長が説明してくれた。
「俺は、生きていた。身体と融合していないから、真っ暗の闇の中でな。そしてずっ
とおまえのことを考えていた。おまえを残しては行けない。もう一度おまえに会いた
い。その一心だった。その一途な願いがかなってやがて俺の耳が聞こえるようになっ
て、さらに目の前が開けて来た。身体との融合が進んで耳が聞こえ目が見えるように
なったんだ。俺は生きているんだと実感した。だとしたらおまえを迎えにいかなきゃ
と思った。その思いからか、急速に回復していった。そして今ここにいる」
「明人、そんなにまで、わたしのことを思っていてくれたのね」
「あたりまえだろ。おまえを生涯養ってやると誓ったんだからな。それとも姿形が違
うとだめか?」
「ううん。そんなことない。明人は明人だよ。ありがとう。明人」
「ああ、言っておくけど……。俺は、今は柳原秀治なんだ。柳の下にドジョウはいな
いの柳に、そうげんの原、豊臣秀吉の秀、そして政治経済の治と書いて柳原秀治。覚
えていてくれ」
「柳原秀治ね」
「ああ。そうだ。秀治と呼んでくれていい」
「判ったわ。秀治」

「あははは!」
 突然、社長が高笑いした。
「なーんてね……。実は、里美君のご両親もここに呼んであるのさ」
「ええーっ!」
 今度は里美が目を丸くして驚いている。
「倉本さん。お入り下さい」
 社長が応接室に向かって声を掛けると、その人達が入って来た。
 そして里美の方をじっと見つめながら言った。
「やあ、元気そうだね。里美」
「ちっとも連絡してこないから、心配してたのよ」
 まだ紹介していないが、両親は里美がすぐに判ったようだ。何しろ母親と里美がそ
っくりだったのだ。
「パパ! ママ!」
「なにも言わなくてもいいわよ。みんな社長さんからお聞きしたから」
「ママ……」
 そういうと里美は母親に抱きついて泣き出した。
「えーん。本当は逢いたかったんだよ。でもこんな身体になっちゃったから……寂し
かったよー」
 まるで子供だった。
 パパ・ママなんて呼んでるから、笑いを堪えるのに苦心した。
 どうやら両親に甘えて育ったようね。道理でわたしをお姉さんと慕ってついてくる
理由が今更にしてわかったような気がする。
「泣かなくてもいいのよ、里美。ママはね、里美が女の子になって喜んでるの」
「え? どうして?」
「ほんとは女の子が欲しかったの。だから産まれる時、里美という名前しか考えてな
かったのよ。結局男の子だったけど、そのままつけちゃったの」
「でも、仁美お姉さんがいるじゃない」
「実をいうと仁美は、私達の子供じゃないんだ。パパの兄さんの子供なんだ。母親も
すでに亡くなっていたからうちで引き取ったんだ」
「先に癌で亡くなった伯父さん? そのこと、仁美お姉さんは知ってるの?」
「結婚する時に教えたわ。びっくりしてたけど、納得してくれたわ。わたしが産んだ
子じゃないけど、二人を分け隔てたことないわ。ほんとの姉弟のように育ててきたつ
もりよ」
「うん。知ってる」
「それにしても、ほんとうに奇麗になったね。もう一度近くでじっくりと顔を見せて
頂戴」
 見つめ合う母娘。
「えへへ。ママの若い頃にそっくりでしょ」
「ほんとだね、そっくりよ。だから入って来た時、里美だってすぐに判ったわ」
 そっかあ……。
 里美は母親似だったんだ。
 それにしても良く似ている。
 わたしや由香里も母親似だし……。
 男の子を女にしたら、みんな母親に似るらしい。
「でも、わたしが子供を産んでもママとは血が繋がっていないよ」
「そんなこと気にしないわよ。里美は、ママがお腹を傷めて産んだ子。その子が産ん
だ子供なら孫には違いないもの。里美はママと臍の緒で繋がってたし、里美の子供も
やはり臍の緒で繋がる。母親と娘は血筋じゃなくて、臍の緒で代々繋がっていくわけ
よ。そう考えればいいのよ。でしょ?」
「うん、それもそうだね」
 母親はやさしく包みこむように里美を諭している。
 臍の緒で代々繋がっていく。
 そういう考え方もあるのか……感心した。
 さすがは母親だと思った。妊娠し出産する女性にしか気づかない考え方ね。
 由香里も、なるほどと頷いて、納得した表情をしている。
「里美のウエディングドレス姿を早く見たいわね」
「社長さん達が、お見合いの話しを進めてるらしいから、もうすぐかも」
「楽しみね」
「うん」
 ほんの数分しか経っていないのに、すっかり打ち解け合っている。
 あれがほんとうの母娘の姿だと思った。
 ふと気づいたが、会話にはほとんど父親が参加していない。数えてみたらほんの二
言しか喋っていないし、抱き合っている母娘のそばで、突っ立っているだけで、まる
で蚊帳の外にいるみたいだ。
 こういうことは、男性はやはり一歩引いてしまうんだろうか?
 いや、それでもやさしく微笑んでいるから里美のことを認めているには違いない。
里美が最初に抱きついたのは母親の方だし、母娘のスキンシップを邪魔しちゃ悪いと
思っているのかも知れない。


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妖奇退魔夜行/蘇我入鹿の怨霊
2019.03.28



お知らせです。

2018年7月29日(日)11:00~15:00、会場:ツインメッセ静岡にて「刀剣乱舞オンリーイ
ベント、【百刀繚乱~君の心を白羽取り】開催予定

『刀剣乱舞-ONELINE』が、2018年9月29日から11月25日、京都国立博物館にて開催され
る特別展【京のかたなー匠のわざと雅のこころ】とコラボレーション。同作に登場する
刀剣が20振り以上展示されるほか、限定のコラボチケット(1000セット)発売予定。

 さて本文では、去年開催された京都文化博物館にて行われた「刀剣乱舞DAY」に間
に合わせようと筆を進めていたのですが間に合わず、今日の発表となりました。



陰陽退魔士・逢坂蘭子/蘇我入鹿の怨霊


(壱)刀剣乱舞

 大阪府立阿倍野女子高等学校。
 1年3組の教室。
 数人の女子生徒が集まって、とある話題に盛り上がっていた。

 京都博物館で開催されている『刀剣乱舞DAY』についてである。
 最近、若い女性達の間で流行っている、古代刀剣を擬人化したゲーム及びアニメであ
る。
 DMMゲームズとニトロプラスが共同開発したオンラインゲーム。
 いわゆるイケメンな男子が登場する。
 短刀・脇差・打刀・太刀・大太刀・槍・薙刀
 七つの刀種にそれぞれイケメン男子が当てられている。
 ちなみに打刀の一人?として、長曽弥虎徹があり、新撰組局長・近藤勇の所持剣とし
て『今宵の虎徹は血に餓えている』という決め台詞で有名。そして蘭子の御守懐剣でも
ある。
 話題を持ち込んできたのは、『刀剣女子』を自称する金城聡子である。
 刀剣女子とは、日本刀に愛着を持ち、全国各地の刀剣展覧会などを駆け巡る刀剣ファ
ン(オタクともいう)のことである。
 聡子が持ち込んだ雑誌のランキング表に一喜一憂するクラスメート。
「やっぱり私の『鶴丸国永』様が一番よ!」
「あーん『山姥切国広』様が準優勝なんて嘘よ!!」
 先日非公式のランキング投票が行われた発表で持ちきりであった。
「ねえ、蘭子の一押しの刀剣は?」
 聡子が話しかけてきた。
「あたし?」
「剣道部でしょ。好きな刀剣くらいはあるよね?」
「剣道部じゃないわよ。弓道部だからね」
「だって、剣道のインターハイに出てたじゃない」
「あれは、助っ人で出てただけよ」
 聡子の言っていることは、以前に木刀に憑依した怨念が、次々と剣道部員を闇討ちし
た事件において、陰陽師として解決するために、剣道の試合に出た時のことを指してい
るらしい。
「で、何が好き?」
 聞いちゃいない……。
「長曽弥虎徹よ」
 執拗に尋ねるのに呆れてつい答えてしまう。
「長曽弥虎徹ね……あった、37位だわ」
 その順位は後ろから数えた方が早い。
「あら、そう……」
 興味なさそうに答える蘭子。
 やがてチャイムが鳴って始業時間となり、各々の席へと解散するクラスメートだった。


 JRと近鉄の「京都駅」から地下鉄で「烏丸御池駅」下車【5】番出口から三条通り
を東へ3分。
 京都文化博物館の建物の壁には「刀剣乱舞DAY」開催中!という垂れ幕が下がり、玄
関入り口には立看板が立っている。
 京都文化博物館は、2・3階総合展示場で一般500円、大学生400円、高校生以
下は無料となっている。

 ちなみに、2017年2月25日~4月16日「刀剣乱舞DAY」の目玉である【短刀 銘 吉光
(号 五虎退)】の描き下ろしイラスト公開は年3月1日~5日まで、先着500名にクリア
ファイルの配布があった。
 現在、2017年10月3日~12月3日まで、4・3階展示室にてウッドワン美術館コレクシ
ョンが開催されている入場料は、一般1300円、大高生900円、中小学生400円。

 会場入り口付近には刀剣ファンである女子達が、開館時間前から数多く並んでいる。
 やがて時間となり、お目当ての刀剣目指して足早に急ぐ。
 そんな大勢の観客に混じって、金城聡子の姿もあった。
 国宝や重要文化財に指定された貴重な刀剣を、ショーケース越しに眺めながら、熱心
にメモを取っている。
 博物館内では、文化財保護のために、展示品やケースに触れないことの他、
 ・写真撮影
 ・鉛筆以外の筆記用具の使用
 ・飲食・喫煙
 ・携帯電話の使用
 ・ペットを連れての入館
 など、禁止されている項目がある。
 これらの禁則は、重要文化財を展示している全国各地の博物館などで行われているの
で注意が必要である。

「きみ……。刀剣に興味があるのかい?」
 と、声を掛けてきた者がいた。
 声をした方を振り向くと、優しそうに微笑む若者がいた。
「実は、僕も刀剣それも古代に伝わる伝説級とか妖剣とかいう類のものが興味があるん
です」
 刀剣の事に関しては、わざわざ大阪から京都にまで鑑賞するために来館した聡子であ
る。
 館内を廻りながら、それぞれの刀剣についての薀蓄(うんちく)を語る若者。
 聡子は、この博学な若者とはすぐに打ち解けてしまった。

「それにしても、いにしえの刀剣って皆京都や奈良に集中していて残念です」
「何をおっしゃいますか。京都だけでなく、あなたのお住まいの大阪にも国宝の刀剣が
あるじゃないですか」
「大阪に?」
「四天王寺に【七星剣】と【丙子椒林剣】という国宝剣がありますよ」
「知っています。でも、東京国立博物館に寄託されていて、模造品が飾られていますけ
どね」
「ご存知でしたか」
「宝物展とかで重要文化財の仏像とか書物とかは頻繁に名宝展とか開催するけど、七星
剣とかは模造品だからか展示しないのよね」
 やがて京都博物館を出た二人は、揃って京都観光を楽しむこととなった。

 名所旧跡を巡りながら、会話も弾む二人が急速に懇意になるのは必然だった。

 男のアパート自室。
 ベッドの中で裸で寄り添い眠る聡子と男。
 男がどうやって聡子を篭絡したかは分からないが、すでに深い関係に陥っていた。
 女はすべてを捧げたいと思い、男は自分の物にしたという達成感に酔いしれる。

「実は聡子に頼みたいことがあるんだ」
「なあに」
「七星剣のことを話したよな」
「四天王寺の?」
「そうだよ。その七星剣を手に入れたいんだ」
「でも東京国立博物館に寄託されているんでしょう?」
「ああ、表の七星剣はね」
「表?」
「実は裏の七星剣があって四天王寺の地下に秘密裏に保管されているんだ」
「どういうこと?」


 とある深夜、いわゆる丑三つ時。
 四天王寺の人気の途絶えた境内を歩く聡子。
 表情は虚ろで、何者かに操られているような風であった。
 微かに怪しげな光を身に纏ってもいる。
 向かった先は中心伽藍から東側へ離れた場所にある宝物館。
 周囲をぐるぐると回りながら探っている様子。
 やがて探り当てたかのように壁に手を当てる。
 その時だった。
 境内の照明がすべて消えた。
 どうやら四天王寺全体の電源設備が、何者かによって操作され電源を遮断されたよう
である。
 なにやら呪文を唱えると、壁の一部に巧妙に封印され隠されていた扉が現れた。
「我に従い暗闇を開け!」
 静かに開く扉。
 庫内は真っ暗だが、見えているかのように確かな足取りを見せる聡子。
 そして刀掛台に据えられた一振りの刀剣の前で立ち止まる。
 刀剣から刀掛台に掛けて呪符が張られている。
 おもむろに呪符を引き剥がすようにして刀剣を手に取る。
 封印を解かれたさまざまな怨念が解放され、聡子に襲い掛かる。
 しかし手にした刀剣を一振りすると怨念は消し去った。
 そして何事もなかったように歩き出し宝物庫を後にして立ち去ってゆく。

 四天王寺境内の外に停車している車がある。
 刀剣を携えた聡子が近づく。
 扉が開いて出迎えたのは、かの男だった。
「ご苦労様」
 聡子は黙ったまま刀剣を手渡す。
 受け取り確認する男。
「よし、本物だ」
 刀剣が微かに震えていた。
「どうした、七星剣よ……そうか、血が欲しいか」
 無言で立ち尽くす聡子に目をやる男。
「そうだな。儀式を始めようか」


(弐)辻斬り


 夜の帳(とばり)が舞い降り、闇に包まれる街角。
 道行く人の往来もほとんどない物静かな丑三つ時。
 丑の刻とは、方位での鬼門である艮(ごん・うしとら)に入る時刻を指し、鬼門が開き
鬼や死者が現れる時間とされる。
 そんな闇に隠れるようにして、怪しい影が蠢く。
 右手に携えたキラリと光る切れ物から滴り落ちる鮮血。
 その足元には、バッサリと切られたばかりの女性の死体。

 夜が明ける。
 赤色灯を点滅させたパトカーが、街の一角を占拠している。
 一帯の交通規制が敷かれ、黄色いテープで周囲を立ち入り禁止にして証拠や痕跡を保護
する現場保存をする。
 鑑識員が現場の写真撮影や状況の記録や計測、痕跡の保存を行っている。
 そこへ覆面パトカーが到着し、一人の刑事が降り立つ。
 大阪府警捜査第一課長、井上警視である。
 被害者に覆いかぶされたシートを捲って、
「辻斬りか……」
 遺体を検分する。
 肩から胸元にかけてバッサリと明らかに刀で切られと思われる痛々しい傷。
 何度見ても見慣れることのない永遠のトラウマである。
 年の頃17・8歳というところか。
「これで何人目だ?」
「四人目です」
「凶器は?」
「まだ見つかっておりません」
「探せ!」
「はっ!」
「被害者の身元は分かっているのか」
「はい。阿倍野女子高等学校の生徒手帳を所持していました。美樹本明美。死亡推定時刻
は午前二時半頃だそうです」
「高校生が真夜中を出歩いていたということか?」
「クラブ活動で遅くなったのではないでしょうか」
「そんな時間までか?ご両親に連絡はしたか」
「連絡してあります」
「そうか……」
「遺体を運び出してよろしいでしょうか」
「ああ、たのむ」
「司法解剖に回しますか?」
「いや、とりあえずご両親の了解待ちだ」
 明らかなる殺人事件と確認できる場合、原則として遺体は司法解剖に回されるのが普通
である。
 また、死因が特定できない変死事件などは、遺族の承諾の必要がない行政解剖という手
順を踏む。
 先の、心臓抜き取り変死事件、夢鏡魔人の往来殺人事件などが行政解剖に回されている。
 しかし現状として、予算や医師不足などの理由から、警察の死体取扱い件数のほとんど
が司法解剖されていない。
 また、同様の事情により変死と思われるような状況でも、自殺や事故、心不全で片付け
られることもあるともいわれている。
 比較的司法解剖率の高い沖縄県警の17.3%を最高に、警視庁に至っては1.8%程度だとい
う。
 圧倒的に死亡報告が多い東京都がまともに司法解剖などやっていては、それだけで警視
庁予算の大半を飲み込んでしまう。

 図表1 図表2

 もっともこれらの数字は、あくまで警察庁に報告のあったものという注釈付きである。
 警察お得意の隠蔽工作のことを考慮すると、もっとお寒い状況になるのは必定であろう。
 既に死亡が確認されている被害者は、遺体搬送専用車に積み込まれ現場を後にすること
になる。
 ちなみに遺体搬送専用車は、一応緊急自動車指定となっている。
 往路は緊急走行が許されても、死亡が確認された帰路は急ぐ必要もないので通常走行と
なる。
 搬送車を見送る井上課長。
 四件の連続通り魔殺人事件。
 どう考えても人間の仕業ではなさそうである。
【人にあらざる者】
「やはり陰陽師の手助けを借りるしかないか……」
 土御門春代と逢坂蘭子が思い浮かぶ。
 ともかく今は全力で凶器を見つけ出さねばならない。
 その凶器に【人にあらざる者】が取り憑いていたとしたら、今後も殺人は繰り広げられ
る。
「ふ……。俺としたことが」
 いつしか妖魔などという摩訶不思議なるものを信じるようになっていた井上課長であっ
た。
 科学捜査が基本の現代犯罪捜査に【人にあらざる者】を考慮しなければならない事態と
は……。


 阿倍野女子高では、自校の生徒が被害にあったことを受けて、父兄を加えた全校集会が
講堂で行われた。
 警察からの捜査状況を受けて、父兄や生徒達への注意伝達事項が、壇上の校長から発表
された。
 殺人犯が明らかになるまでの間、放課後の即時帰宅とクラブ活動の自粛など。
「うそー!」
「なんでやねん!」
 などという女子高生達のブーイングが広がる。
「犯人が見つかっていないんだからしょうがないじゃん」
 極力保護者が送り迎えするようにとの要望も加えられた。
「いっそ、休校にしてほしいわね」
「賛成!」
 その中にあって、一年三組の生徒達の面持ちは暗かった。
 さもありなん、被害者の中にクラスメートの金城聡子が含まれていたからである。しか
も犠牲者第一号であった。


 数日後。
 金城聡子の自宅にて厳かに通夜と告別式が執り行われた。
「ご愁傷さまでした」
 お決まりの挨拶が交わされ、淡々と式は進行してゆく。
 蘭子達も、高校の制服姿で参列している。
 冠婚葬祭いずれにも着用できる、万能な高校制服は便利なものだ。
 蘭子にも焼香の順番が回ってくる。
 陰陽師という職業柄、何度も死体と出くわし、経験を積み重ねているので、感慨無量と
いう観念からは解脱している。
 たとえそれが同級生であってもである。

 遺体の胸元辺りには、守り刀と呼ばれる模造刀が、足元に刃先を向けるようにして置か
れている。
 模造刀なのは銃刀法からである。
 一般的に仏教では人は死後、四十九日かけてあの世へと到達し、成仏(仏に成る)する
とされている。
 そして死後から仏に成るまでの存在を「霊」と位置付け、中途半端で迷いの存在と位置
付けられている。
 元々仏教には遺体をケガレた(汚れ・気枯れ)存在とする風潮はなかったが、遺体をケ
ガレたものとして忌み嫌う神道の影響を受け、中途半端で迷いの存在である霊の期間を、
ケガレた存在と見るようになった。
 その為死者のケガレが生者に害を及ぼさないように、或いは死者のケガレが更なる外的
なケガレ(悪鬼・邪気)を呼ばないようする為の手段として、「守刀」が置かれるように
なった。
 その他にも
 ・邪気を払う
(特に猫は遺体をまたぐと化け猫になると信じられていた為、光り物を置いて、動物が近
づくのを防いだ。)
 というのもある。
 ・鉄により死者の肉体に魂を沈める
(死者のケガレた魂が生者に乗り移ったり、祟を防ぐ為)

 蘭子は思う。
 自分自身が死亡し、葬儀の対象となった時は、あの御守懐剣「長曽弥虎徹」を守り刀と
されることを祈ろう。

 なお浄土真宗においては、人は死後に阿弥陀様のお力により、即座に成仏すると言われ
ている(即身成仏)。
 その為、あの世までの道中のお守りとしての守刀や、上記のような土着信仰から来るケ
ガレがケガレを呼ぶ風習の一切を否定しており、守刀は不要である。
 同じ理由で死装束(旅支度)や野膳(道中のご飯)、また会葬者が塩を使って身を清め
るなどの行為も不要。


(参)糸口


 通夜の終わった金沢家。
 これまで葬儀のため遠慮していた井上課長が蘭子を連れて、聞き込みのために来訪し
ていた。
「午前二時半頃という真夜中に、聡子さんが出歩いていた理由をご存知ですか?」
 単刀直入に切り出す井上。
「いえ、何も。自分のことをあまり話したがらないものですから」
「そうですか……」
 親子断絶の機運ありありというところか。
「聡子さんのお部屋を見させて貰ってもいいですか?」
 蘭子が切り出す。
「え、ええ。どうぞ」
 許可を得て、二階の聡子の部屋に入る蘭子。
 聡子は被疑者ではないので、井上課長は遠慮して居間で母親からの事情聴取を続けて
いる。
 あたりをぐるりと見まわして、
「別に変わったところはないみたいね……」
 数々のヌイグルミが置かれたベッドサイド、アニメアイドルポスターの貼られた壁。
 ふと、机の上に置かれたチラシに目が留まる。

 京都文化博物館「刀剣乱舞DAY」開催!

 同館の戦国時代展は、刀剣女子を集客しようと4月16日まで開催されたもので、来場
者500名限定で、アニメイラスト「五虎退」のクリアファイルが配布されている。
 刀剣女子とは、2015年にオンラインゲームとして発表された「刀剣乱舞」というゲー
ムソフト及びアニメの流行によって、登場するキャラクターや刀剣について、多くの女
性ファンが集まり活発なSNSでの情報交換が行われているものである。
 上野・東京国立博物館では大盛況の「鳥獣戯画展」と同様に、本館1階の日本刀の展
示スペースが来場者の静かな興奮と熱気に満ちていた。
 栃木県足利市では、“刀剣女子”の間で評判になっている、連日にぎわいを見せた同
市立美術館(同市通)の特別展「今、超克のとき。山姥切国広、いざ、足利」(4月2
日終了)。連日1千人以上が訪れ、入館者記録を更新したという。
 ちなみに刀剣乱舞の打刀の部類に蘭子の持つ「長曾祢虎徹」も登場する。
「今、はやりの刀剣女子というとこかな……そして辻斬り事件」

 事件の解決に繋がる糸口が、微かながらも見えてきたというべきか。

 聡子の部屋から階下に降りてくる蘭子。
「何か見つかったかね?」
 井上課長が尋ねる。
「ええ、こんなものがありました」
 と、例のチラシを差し出す。
「刀剣乱舞か……」
 それを母親に見せながら、
「聡子さんは刀剣に興味を持たれていたようですが、何か心当たりありませんか?」
「いえ、これといって……」
「そうですか……このチラシは頂いてもよろしいですか?」
「どうぞ」
 チラシを折りたたんで胸ポケットにしまいながら、
「では、何か思い当たることが分かりましたら警察にご連絡下さい。今日はこれで失礼
します」
 これ以上訊ねることもないだろうと切り上げる井上課長。

 金沢家を退出する二人。
 表に駐車させておいた覆面パトカーに乗り込みながら、
「ほんの少し光明が見えてきたというところですね」
「殺害は刀のようなもので行われ、被害者は刀剣に興味を持っていた」
「こうは考えられませんか。聡子は日頃から刀剣に関わる展覧会巡りをしていて、犯人
に出会い交際をはじめたのではないでしょうか。そして何かがあって犯人は聡子を殺害
した」
「十分考えられるな。美術館なり博物館を捜査対象に入れよう。近くだと四天王寺宝物
館があるな」
「七星剣と丙子椒林剣ですね」
「しかし、どちらも東京国立博物館に寄託されているからなあ」
 四天王寺宝物館では、名宝展を春夏秋冬年に四回程度行っており、まれにではあるが
複製の国宝剣二点を展示することがある。
 刀剣などの展示会を行う所として、大阪市歴史博物館、大阪城天守閣、高槻市しろあ
と歴史館。
「ところで聡子はスマートフォンを持っていたはずです。部屋には見当たらなかったの
ですが、遺留品の中にありませんでしたか?」
「うむ、なかったはずだ」
「電話会社に問い合わせて、位置情報から場所を特定できませんか?」
「できるはずだ。ただ、スマホの電池が切れてなくて、電源も入っていればだが」
「重要な情報が入っているかも知れません」
「よし分かった。問い合わせてみよう」

 それから数日後、井上課長から連絡が入った。
「スマホの場所が分かったぞ。これから現場に向かうところだ。君も来てくれないか」
「分かりました。行きます」
「よし、覆面を向かわせるから、現場で落ち合おう」
「はい」
 数分後に覆面パトカーがやってきた。
 運転手は、例の課長の腰巾着ともいうべき若い刑事だった。
「早速、現場に向かいます」
 ものの十五分で、とあるアパートの前に到着した。
 井上課長は、覆面パトカーに乗車したまま、蘭子の到着を待っていたようだ。
 蘭子の到着を見て、井上課長が降車すると、ぞろぞろと他の車からも私服刑事らしき人物も降りる。

「おい、例のものは持ってきたか」
「はい、捜索差押許可状ですね」
 と、鞄から一枚の書状を取り出して渡した。
「これだ。これなしでは家宅捜索はできないからね」
「早かったですね」
「ああ、被害者がスマホを持っていたとなれば、裁判所の令状取って、電話番号から
通信記録を調べて、容疑者Aが浮かんだ」
「容疑者Aですか……」
「うむ。殺人犯とまだ特定されていないからな」
 警察関係者ではない、一般人の蘭子には実名を打ち明けられないということだ。
「通信記録とスマホの位置情報が特定されて裁判所の許可が下りた」
 殺人被害者のスマートフォンが、見知らぬ人物の手にある。
 それだけで十分許可状申請の裁判手続きは可能である。
「よし、踏み込むぞ。手筈通りに動け」
 部下に命じてから、突入班の数名を連れて、アパートの階段を上る井上課長。
 呼び出された管理人と蘭子は階段の下で待機させられた。

 容疑者Aの部屋の前で一旦止まる突入班。
「相手は殺人犯かもしれないから、銃を用意しておけ。場合によっては発砲も許可す
る」
「はい」
 胸元のホルスターから銃を取り出して構える刑事達。
「行くぞ」
 一応礼儀として玄関チャイムを鳴らす。
 が、しかし反応はない。
 三度鳴らしたが相も変わらず。
 ドアに耳を当てて中の様子を探るが物音一つしない。
「管理人を呼んで来い」
 下に待機させておいた管理人が呼ばれる。
 合鍵を使って開けようというわけだ。
 鍵が解錠される。
「あなたは下がっていて下さい」
 鍵が開けば取りあえずは、管理人には退避してもらう。
「行くぞ!」
 慎重に扉を開けて、中に突入する一行。
 警戒しながら各部屋を捜索開始。
「誰もいません」
「そうだな……」
 誰もいないことを確認して、警戒体制から通常捜査体制に移行させた。
「鑑識を呼んで来い。ああ、それから蘭子さんもだ」
 ここからは刑事ドラマで見慣れた場面となる。
 入室してきた蘭子は、その様子を見てふむふむと納得している。
「どこにも触らないで下さい」
 鑑識が注意する。
「わかりました」
 やおら携帯を取り出して、とある番号に掛ける井上課長。
 ややあって反応が返ってくる。
 ベッドの下でコール音が鳴り出したのである。
「やはり、あったか」
 鑑識がベッドの下に潜ってスマートフォンを取り出した。
「このスマホ、聡子さんのものに間違いありませんか?」
 と言われても、スマホなんてみな似たり寄ったりだし……
 コール音で反応したのだから、電話番号は間違いなく聡子のもの。
 だが、携帯ストラップには見覚えがあった。
 ハローキティ こうのとりキティ 根付けストラップ。
 コウノトリがキティーちゃんを運んでいるもので、くちばしが折れると妊娠すると噂
されている。
「聡子のものだと思います」
 所持者の鑑定など警察ならお手の物、一応の確認だろう。
「ところで……妖気とか感じないか?」
 井上課長が蘭子を同行させた理由がソコにあったわけだ。
 この事件は「人にあらざる者」が関わっている可能性が大だからである。
 実は入室した時からずっと精神感応で妖気を探っていたのだが、
「感じません……」
 と一言だけ。
「そうか」
 と井上課長も短く答えた。
「ま、そうそう事がうまく運ぶものでもないからな」
「そうですね」
「さて、今日はここまで、自宅に送るよ」

 数日後、井上課長から警察本部に呼び出された蘭子。
 捜査用のパソコンの前に座る二人。
「京都府警に応援を頼んで、京都文化博物館と周辺の防犯カメラの映像を調べて貰った
のだよ」
「聡子の足取りを?」
「そうだ。で、興味深い記録が残っていた」
 マウスカーソルで画面をクリックしながら、記録映像を閲覧する。
 国宝や重要文化財などが展示されている館内防犯カメラだけに、映像は鮮明で来館者
の表情までくっきりと映っている。
「まずはこれだ」
 ガラスケースの前で、チラシ片手に刀剣を眺めている人物の動画が再生される。
「聡子!」
 というところでポーズが掛けられ、クローズアップされる。
 間違いなく聡子であった。
「続けるよ」
 ボーズが解除されて再生は続く。
 やがて聡子に近づく人影。
 肩をポンと叩かれて振り返る聡子。
 その相手は?
 再度ポーズからクローズアップされる。
「容疑者Aだよ」
 その顔は蘭子の見知らぬ人物であった。
「協力して貰っている以上、実名を知らせても良いだろう」
「実名ですか?」
「石上直弘、氏は石の上と書いて(いそのかみ)と読む」
「石上(いそのかみ)!それって物部氏の後裔じゃないですか」


(肆)四天王寺


 土御門神社を訪れる意外な人物があった。
 摂津陰陽師の総帥である土御門春代を頼ってのことだった。
 蘭子とも顔なじみの四天王寺の住職であった。
 四天王寺は、蘭子の幼少期の遊び場であり、悪戯したりして住職からちょくちょく叱
られていたものだった。
「蘭子ちゃん、大きくなったねえ」
 と、頭をなでなでされそうになるが、丁重にお断りした。
「で、四天王寺の住職が何用かな」
 春代が要件を切り出す。
「実は、四天王寺の七星剣が盗まれたのです」
「七星剣?」
「そうです」
「それって、東京国立博物館に寄託されているのでは?」
「表の七星剣は……です」
「表……?では、裏があったということですか?それが盗まれたと」
「その通りです。家や車の鍵は必ず二個作成されますよね。それと同じで、祭祀を執り
行うに不可欠な神器も、万が一の紛失や破損に備えて予備を作ったとしても不思議では
ないでしょう」
「なるほど……」

 ここでちょっと四天王寺についておさらいをしておこう。

 仏教では、六道(地獄界・餓鬼界・畜生界・修羅界・人間界・天上界)という世界観
があり、地獄界から人間界を欲望渦巻く欲界という。
 その上位である天上界にも(竹自在天・化楽天・兜率天・夜魔天・とう利天・四大王
衆天)という六欲天がある。織田信長が自称したといわれる「六欲天の魔王」、その六
欲天である。
 とう利天、須弥山頂上に住む帝釈天に使え、八部鬼衆(天龍八部衆とは違う)を所属
支配し、その中腹で伴に仏法を守護するのが四天王(持国天・増長天・広目天・多聞
天)である。
  *とう利天のとう(Unicode U+5FC9)は、りっしんべん+刀と書く。
 『日本書紀』によれば仏教をめぐっておこされた蘇我馬子と物部守屋との戦いに参戦
した聖徳太子は、四天王に祈願して勝利を得たことに感謝して摂津国玉造(大阪市天王
寺区)に四天王寺(四天王大護国寺)を建立したとされる。(後、荒陵の現在地に移
転。)
 四天王寺は度々の戦乱・災害で焼失しその度に再建されている。織田信長の石山本願
寺合戦、大阪冬の陣、直近では大阪大空襲。落雷や台風などの被害も多かった。



 四天王寺の東側にある宝物館。
 ここには一般公開されていない、住職だけが知っている秘密の地下宝物庫があった。
 住職に案内されて、その扉の前に立つ土御門春代と蘭子。
 その扉が呪法の結界によって封印されていることが、二人には一目で分かる。
 一般人には、そこに扉があることなど分からないように、巧妙に隠されている。
「秘密の宝物庫です」
「なるほど」
 住職が封印解除を行い、その重い扉を開く。
「この扉の封印が何者かによって解かれていることに気づきました」
「陰陽師か、それとも妖魔の仕業?」
「それは分かりませんが……その日境内の防犯設備の電源が切られてしまったのです」
「防犯設備がですか?」
「はい。電源を操作した者と、宝物庫に侵入した者は別人かと思われます」
「複数の人間による盗難事件というわけですか?」
「そうでなければ、こうも簡単に宝物が奪われるわけがありません」

 永年もの間閉ざされていた宝物庫の空気は、重苦しく淀んでいた。
 薄暗い照明の中を進んで行くとガラスで隔たれた飾り台があり、紫色のビロードが敷
かれた上に太刀掛け台が置かれていた。
「ここに七星剣が飾られていました」
 太刀掛け台には剥がされたと思しき呪符の切れ端が残っていた。


「物事には必ず表と裏、光(陽)と影(陰)があるように、実は二振りの七星剣があっ
たのです。表の七星剣は東京、そして裏の七星剣は四天王寺の地下宝物庫に人知れず封
印されていたのです」
「封印されていた?」
「はい」
「実は、裏の七星剣には蘇我入鹿の怨念が封じ込まれていたのです」
「蘇我入鹿?ですか……蘇我入鹿首塚の怨霊伝説なら聞いたことがありますが」
「蘇我入鹿を斬首した剣が、この裏の七星剣だという説話が残っています」

 蘇我氏の怨霊ということなら、この四天王寺に伝承されていても不思議ではないだろ
う。
 崩御した推古天皇の後継者争いで、四天王寺を建立した聖徳太子の子、山背大兄王を
暗殺したのが蘇我入鹿である。


 欽明天皇の頃、崇仏派の蘇我氏一族と、排仏派の物部氏・中臣鎌足連合が争った。
 用明天皇崩御の後、継承争いとなり、穴穂部皇子を皇位につけようとした物部守屋に
対し、炊屋姫(後の推古天皇)の詔を得て、穴穂部皇子を誅殺し、さらに物部守屋の館
に討ち入ってその首を捕った。
 以降物部氏は没落することになる。

「蘇我入鹿首塚はご存知でしょう」
「はい。板蓋宮大極殿で中臣鎌足によって斬首された入鹿の首が620mほど南のかの地ま
で飛び、住民が手厚く葬ったという伝説によるものですね」
「その通り。葬られたものの入鹿の怨念は凄まじく、夜ごと奈良に現れ民を苦しめたと
いう。そこで陰陽師が招聘されて、入鹿の怨念を一つの剣に封じ込めたという。その剣
が、この裏の七星剣のもう一つの説話なのです。どちらにしても入鹿の怨念が籠ってい
たのは確かなようです」
「七星剣に入鹿の怨念が封じ込まれていたとしたら、その怨念を解き放って悪しき呪法
とすることができるでしょう」
「何か心当たりがあるのですか?」
「まだ何とも言えませんが、呪法が使われたと思われる事件がありました」
「それは困りましたね。何かお手伝いできることがあればおっしゃってください。出来
るものなら何でもご協力します」
「ありがとうございます」

 宝物庫から出てくる一行。
 住職は再び呪法を掛け直して扉を密封している。
 その作業を見ながら春代が尋ねる。
「これからどうする?」
「明日、明日香村に行ってみようと思います。何か手掛かりが見つかるかも知れません
から」
「そうか、そうすると良い」
「七星剣を盗んだ犯人は、妖魔か陰陽師の疑いが強いですね。例の石上直弘一人では、
この所業は不可能でしょう。
「つまり石上の背後で操っている物がいると?」
「はい」

 奈良行きを井上課長に伝えると、
「待て!私も着いて行こう。君一人を行かせる訳にはいかない」
 と、同行を求めた。


(伍)飛鳥寺にて


 飛鳥の代表的なお寺の一つが飛鳥寺である。
 ここは596年蘇我馬子が発願して創建された日本最古のお寺で、寺名を法興寺、元興
寺、飛鳥寺と変遷し、現在は安居院(あんごいん)と呼ばれている。奈良市にある元興
寺は平城遷都と共にこのお寺が移されたもの。
 このお寺はひっそりと建っているが、近年の発掘調査では、東西200m、南北300m、
金堂と回廊がめぐらされた大寺院であったようです。現在の建物は江戸時代に再建した
講堂(元金堂)のみを残す。
 又ここは大化の改新を起こした中大兄皇子と中臣鎌足が、有名な蹴鞠会で最初出会っ
たと伝えられ、蘇我入鹿を天皇の前で暗殺して大化の改新となる。

 〒634-0103 高市郡明日香村飛鳥682
 近鉄橿原神宮駅下車→岡寺前行バス10分→飛鳥大仏下車
 又は、近鉄橿原神宮駅下車 徒歩40分
 拝観料大人300円
 駐車場料金 普通車500円
 飛鳥大仏は写真撮影可能


「着いたぞ、飛鳥寺だ」
 駐車料金500円を払って、飛鳥寺に入場する二人。
 併設の駐車場は有料であるが、7分歩いたところには県立万葉文化館無料駐車場(普
通車110台収容)もある。
「拝観料は300円ね」

 飛鳥寺(安居院)の西門から西へ100m程度行ったところ、飛鳥川との間にある五
輪塔が蘇我入鹿の首塚といわれている。
 高さ149cmの花崗岩製で、笠の形の火輪の部分が大きく、軒に厚みがあるのが特徴で
ある。
 田畑の真ん中にこじんまりと安置されていて、入鹿塚だと言われなければ気が付かな
い。
 主な観光ルートには入っておらず、蘇我入鹿に興味ある熱心な歴史探訪家くらいしか
訪れることはない。

 
蘇我入鹿首塚のストリートビュー


 一通り首塚を調べる蘭子。
「その下に蘇我入鹿の首が埋葬されているのか?」
「伝承ではそういうことになっています」
「仮に埋葬されたとしても、後世のものによって掘り返されているだろうな」
「ありえますね」


「そろそろ飛鳥寺に戻りましょうか」
「うむ……」
飛鳥寺正門
 正門の「飛鳥大佛」と刻印された石碑の前で、
「記念写真撮りましょうよ」
 と、同意を求める蘭子。
 記念写真となれば、立っている所がどこであるかが明確に特定できる場所が最適であ
ろう。
「観光に来たのではなくて、捜査のために来たのだが……」
「いいから、いいから」
 背を押して石碑の傍に立たせるようにして、自分も隣に寄り添う。
「すみませーん。シャッター押して頂けますかあ」
 通りかかった観光客にスマートフォンを手渡してお願いする。
「いいですよ」
 観光客も快く引き受けてくれる。
「あ、このボタンを押してください。シャッターが降りますから」
 今時の若者にはスマートフォンの扱いなど朝飯前である。
「いいですか?撮りますよ」
「お願いしまーす」
「はい、チーズ」
 と、ピースサインを出す蘭子。
「はい。撮れましたよ」
 スマートフォンを返してくれる。
「ありがとうございました」
「どういたしまして」
 旅は道連れ世は情け、見知らぬ他人とて助け合うことができるというものだ。
 手を振って別れる観光客。

「次はどこへ行く?」
「蘇我入鹿が殺されたといわれる『飛鳥板蓋宮跡』に行ってみましょう」
「何かあるのかね?」
「いえ、何もありません」


 というわけで、飛鳥板蓋宮跡へやってきた二人。
「GPSナビがなきゃ、こんな辺鄙なところ来れないですね」
「まったくだな……。ド田舎の畑のど真ん中、こんな所に何の手掛かりがあるか……だ
な」
「まずは行動を起こすこと。捜査のいの一番ではなかったですか?」
「そりゃそうだが……」
「ここで蘇我入鹿が惨殺されたのです」
「何か感じるかね、怨霊とか」
「いえ、何も感じません」
「しかし、案内看板が一つあるだけで、本当に何もない所だな。建物一つない、休憩所
なり日陰となるものを作れば良いのに」
「観光地というよりも歴史的遺構という位置付けなのでしょうね」

飛鳥板蓋宮跡

 皇極天皇4年6月12日(645年7月10日)
 三韓(新羅、百済、高句麗)の使節の進貢に伴い、三国調の儀式が行われることにな
り、皇極天皇が飛鳥板蓋宮の大極殿に出御することとなった。
 従兄弟に当たる蘇我倉山田石川麻呂が上表文を読み上げていた際、肩を震わせていた
事に不審がっていた所を中大兄皇子と佐伯子麻呂に斬り付けられ、天皇に無罪を訴える
も、あえなく止めを刺され、雨が降る外に遺体を打ち捨てられたという。


 一応の調査を終えて、その夜の旅館へ。
 旅費の都合もあり、親子ということにして同部屋に泊まる二人。
「宿賃……本当にいいんですか?」
「もちろんだ。捜査費用として落とせるから」

 なにやら、旅館設置のTVとスマホを接続している蘭子。
「何をしている」
「スマホの画像データをこのテレビで拡大して観るの」
 次々と画像データをテレビに映している。
 来場客に頼んで撮ってもらったピース写真から次の写真に切り替えようとしたとき、
何気に見つめていた井上課長が声を上げた。
「ちょっと待て!」
「な、なに」
「その写真だ!」
「このピースしている写真?」
「違う!後ろの正門料金所の脇に立ってこちらを見つめている人物だ!」
「後ろ?」
「拡大できないか?」
「できますよ」
「やってくれ」
 何が何だか分からないが、言われたとおりにする蘭子。
「こ、こいつは!」
 拡大された画像に驚く二人。
 京都文化博物館で、金城聡子に言い寄っていた、あの石上直弘であった。
「後をつけてきたのか?」
「たまたま行動が一致したのかも。蘇我入鹿の怨霊が関わっているなら、明日香村へと
帰着するのが自然ですから」
「そうか……」
 としばらく考えていた井上課長であったが、
「この写真データを、府警本部の俺のパソコンに送りたいのだが、できるか?」
「メールアドレスが分かればできます」
 といいながら画像データを送信する操作を行ってから、
「どうぞ、メールアドレスを打ち込んで頂けますか」
 とスマホを渡すと、一心不乱にアドレスを打ち込んで、
「よし、送信!と」
 スマホを返してから、さらに自分の携帯を取り出して連絡を取っている。
「ああ、井上だ。今、俺のパソコンにメールで画像を送ったから至急見てくれ。大至急
だ」
 どうやら大阪府警に電話を掛けているようである。
「見たか?俺の後ろの方に映っている人物をよく見てくれ」
「そうだ。その通りだ。至急、奈良県警に合同捜査本部の設置を要請してくれ」
 電話を切りパタンと折りたたんで尻ポケットにしまう。
「なんとなく背景が見えてきたというところかな」
「動き回った甲斐がありましたね」
「うむ……明日から忙しくなるな」
「わたしは学校がありますから帰りますけど、課長はどうしますか?」
「ともかく奈良県警に協力してもらうために県警本部へ行くよ」


(陸)怨霊出現


 その夜。
 寝静まった室内に怪しげな光が浮かび上がった。
 気配を感じて、枕元の御守懐剣に手を伸ばす蘭子。
 怪しげな光は、その姿をさらにくっきりと現しはじめる。
「課長!起きてください」
 隣に寝ている井上課長に声を掛けるが応答はなく、ブルブルと痙攣している。
 明らかに呪詛を掛けられているようだった。
「虎徹、課長を守ってあげて」
 というと御守懐剣を課長の胸元に差し込んだ。
 やがて御守懐剣が輝きはじめて、そのオーラが井上課長を包み込み始めた。
 しだいに苦しみから解放されて安息の域に入っていく。
 御守懐剣である長曽弥虎徹は魔人が封じ込まれており、【魔の者】に対しては絶大な
る威力を発揮するが、【霊なる者】に対してはほとんど効力を持たない。
 それでも身を守る程度なら【霊なる者】相手でも効果があるようだ。
 井上課長の安全が確保されたのを見て、改めて侵入者と対峙する蘭子。
「さて、何者?」
 と問われて答える相手ではない。
 すでに相手は全体の姿を現していた。
 見た目、奈良時代の衣装を身に纏っている。
 蘇我入鹿の怨霊を使った外法、ないしは口寄せ術の類か。
 外法とは、髑髏(どくろ・しゃれこうべ)を使った妖術のことだが、入鹿の怨霊が封
じ込まれた七星剣があれば代用も可能であろう。
 虎徹が手元にない不利な条件下にあるが、怨霊相手の戦法はいくらでもある。

「臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前!」
 独股印を結んで口で「臨」と唱え、順次に大金剛輪印、外獅子印、内獅子印、外縛印、
内縛印、智拳印、日輪印、宝瓶印と印を結ぶ。
 さらに、不動明王の真言を三回唱える。

「ノウマクサンマンダ バザラダンセンダ
 マカロシャダ ソワタヤ
ウン タラタ カン マン」

 四縦五横に右手刀を切りながら、
「臨める兵、闘う者、皆陣列の前に在り!行、満、ぼろん、勝、破!」
 と手刀を前に突き出すと、九字印が怨霊に向かって飛んで行く。
 怨霊がひるむその瞬間、懐から呪符を取り出して、
「さまよえる魂よ、浄土へと成仏させたまえ!」
 と唱え奉る。

 やがて怨霊は、静かに退散していった。

 呼吸を整えながら、
「オン アビラウンケン ソワカ」
「オン キリキャラ ハラハラ フタラン バソツ ソワカ」
「オン バザラド シャコク」
 九字印の終了の儀式を行う。

 井上課長を見る。
 どうやら無事のようだ。
 胸元の御守懐剣を取り外し、起こそうかと思いつつも、まだ草木も眠る丑三つ時だ。
 朝まで寝かせておこう。
 外法を使ってきたということは、
「どうやら手出しはするなという警告のようね」


 翌朝。
 事の詳細を告げられた井上課長は、
「なぜ、起こしてくれないんだ」
 と、憤慨しつつも自分では役に立たなかったであろうことも良く分かっていた。
「何にせよ。向こうからも動いてきたということか」
「こちらが動けば、相手も動く。犯罪捜査のイロハですね」
 その時、井上課長の携帯が鳴った。
「ああ、私だ……なに、本当か!早速県警に……迎えに来る?分かった、ここで待てば
良いのだな」
 どうやら事件発生のようである。
「どうしましたか?」
「首切り事件が発生したよ」
「この奈良の地で?」
「ああ、奈良県警から迎えのパトカーが来るから、それで現場に急行する」
「昨夜の呪術者の仕業かも知れませんね」
「かもな。というわけで、君には帰らないで、もうしばらく同行してくれないか?」
「わかりました」
「学校の方には連絡させるよ。警察の協力ということで、出席扱いにしてもらう」
「ありがとうございます」

 井上課長がチェックアウトと宿代の支払いをしている間に、土産物屋で買い物をする
蘭子。
「これでいいかな」
 と、手にしたのはごくありふれた、お守り。
「五百八十円になります」

 そうこうするうちに、奈良県警のパトカーがやってくる。
 そのパトカーに乗って現場に向かう二人。
 課長の車は、別の警察官が運転して付いてくることになった。
 パトカーの中で、買ったお守りに呪法を掛けている蘭子。
「何をしているの?」
「お守りに護法を掛けています」
「護法?」
「昨夜のこともありますから、課長の身を守るためのお守りです。はい、どうぞ」
 というと、護法を掛けたばかりのお守りを手渡した。
「お守りねえ……」
 受け取り、しばらく見つめていた。
 釈然としない表情ではあったが、胸内ポケットにしまう課長であった。
 変死とか怨霊の仕業としか思えない事件を扱い、怨霊とも直に目にしてきただけに、
「非科学的な!」
 とは言い切れない心情になりつつあった。


 事件現場に到着する。
 
 物々しい雰囲気の中、現場検証が執り行われている。
 その中にあって、忙しく指図する人物がおり、現場責任者だと思われる。
 野次馬を掛け分けて、その人物に近づく井上課長。
「よお、おまえが担当か」
「なんだ、井上か」
 馴れ馴れしい挨拶を交わしているところをみると、どうやら顔なじみらしい。
 大阪府警と奈良県警では交流の機会はないだろうが。
「研修以来だな」
 国家公務員採用Ⅰ種試験合格者(キャリア)で警察庁に採用された者が、警部補に任
命された際に初任幹部科研修が行われる警察大学校の同期生というところか。

 蘭子に気が付いて、
「その娘は?」
「ああ、私の臨時助手だよ」
「見たところ高校生くらいのようだが……」
「学校側には許可を取っている」
「やはり高校生か、大丈夫なんだろうな」
「それは保証する。その辺の刑事より役に立つよ」
 というところで、お互いに紹介しあう。
「奈良県警刑事部捜査第一課の綿貫警視です」
「摂津土御門流派の陰陽師、逢坂蘭子です」
「陰陽師?君がか!?」
 さすがに驚くのも無理がない。

 奈良県警本部。
 連続殺人事件特別捜査本部が設置され、捜査本部長には県警本部長が任命され、副本
部長・事件主任官・広報担当官・捜査班運営主任官・捜査班長・捜査班員という編成で
運営されることとなった。
 なお一段下の「捜査本部」の捜査本部長は、県警本部長が任命する。

 綿貫警視は捜査班運営主任官として、事実上の捜査責任者となった。
 井上課長も応援要員として誘われたが、自身の大阪府警の捜査責任者でもあるので、
配下の警部補なりを向かわせることで落ち着いた。
「他県の者から指示命令されるのがウザいか?」
 とは綿貫の弁である。
 井上課長としては、蘭子との協力捜査に力を入れており、科学捜査が基本の奈良県警
とは一線を画す必要があるからである。

 まずは捜査線上に上っている石上直弘は、写真と共に公開指名手配となった。


(漆)石上神宮(いそのかみじんぐう)


 騒々しい特捜本部を後にして、独自捜査をはじめる蘭子と井上課長。
 石上直弘については、捜査本部でも未だに詳細が掴めていないようだ。
 蘭子と井上課長は、独自に捜査を続けることにした。
「さてと我々は、次にどうするべきかな?」
「そうですねえ、石上神宮へ行きましょう」
「石上神宮?」
「おそらく石上直弘は、物部氏の後裔にあたる石上神社宮司に繋がる血統だと思われま
す」
「そうか。では行ってみることにしよう」

石上神宮

 というわけで、石上神宮に到着する。
 日本書紀に、伊勢神宮と共に記載のある由緒ある古き神社である。
 当時の豪族だった物部氏の総氏神であり、拝殿をはじめとして国宝も多い。
 境内に入ると”神の使い”ともいわれる人懐っこい鶏がたくさんいる。
「おみくじがありますよ。占ってみましょう」
 御神鶏(ごしんけい)みくじ、400円である。
 目ざとく見つけた蘭子が早速、おみくじを引いている。
 捜査中だというのに、こういうことにちゃっかりとした行動を取るのは、やはりまだ
まだ高校生盛りというところである。

 石上神宮おみくじ 第十八番 大吉
 ・運勢 思う事思うがままに為し遂げて思う事なき家の内かな
   目上の人の思いがけぬ引き立てありて心のままに謳い、
   家内睦まじく暮らせる大吉の運なり。色を慎み身を正して
   目上の人を敬い目下の人を慈しめばますます運開く。
 ・神道訓話 敬神の前途に光明あり。神様の御蔭は拝めば知れる、
  甘い酸いは食べて知る。
   橙の酸っぱさ、柿の甘さも食べて初めて真の味がよくわかる。
   神様の有難さも拝んだ者でなければわからぬ。
   温かい神様の御蔭を受けたければ心正してまず拝め。
 そして、願望・待人・仕事・学業などなどの運勢が記されている。

「やったあ!大吉よ」
「これじゃあ、捜査に来たのか、観光に来たのか……」
「意外とこれ、当たるんですよ」

 さらに拝殿の前で拝礼する蘭子。
 土御門神社の巫女でもある彼女には、一応の礼儀を尽くすのが自然だろう。
 二拝、二拍手、一拝が一般的な礼儀作法である。
 拝とは、お尻を後ろに引くような感じで腰を90度に折り、この際手は膝の上のあた
りに置く。
 続いて、二回拍手で、手の高さは胸の高さ。
 拍手を打つ意味は、自分が素手であること、何の下心もないことを神様に証明するた
め。身元、祈願内容などを心の中で神さまに述べ、拝礼の間は心を込めて神さまに感謝
しながら祈念する
 終わったら手をおろし最後の一拝。深くお辞儀をして終了。


 さて、神社では当然、神にお願い事をすることがあるだろう。
 神社で祈るとき、合掌しながら心の中で何を言えばいいか。正しい祈り方をご紹介し
ます。

 まずは住所・氏名を伝えます。

 はじめにあなたが誰なのかを伝えます。この「個人」の特定は神さまにとって重要で
す。せっかく家族の健康を祈っても誰の家族かわかりませんよね?
 あなたが誰なのか住所と氏名を神さまに伝えてください。名乗るのは礼儀でもありま
す。

 参拝できたことへの感謝を伝え、願いを一つお伝えします。
「参拝させていただき、ありがとうございます」など感謝を伝えましょう。

 その後に願い事を使えますが、あれこれ伝えるのではなく、お願いごとはひとつだけ
にしてください。

 祝詞とよばれる神道の祈の言葉を唱えます。

「はらいたまえ きよめたまえ かむながら まもりたまえ さきわえたまえ」
意味は「罪、穢(けがれ)をとりのぞいてください。神さま、どうぞお守りお導きくだ
さい」です。「はらいたまえ きよめたまえ」だけでも大丈夫です。



 今の蘭子の祈ることは一つ。

「大阪市阿倍野区阿倍野元町1-◯番地」の逢坂蘭子です。参拝させていただき、感謝申
し上げます。最近世間を騒がす、怨霊使いを発見、無事に退治できますように。はらい
たまえ きよめたまえ かむながら まもりたまえ さきわえたまえ」

 とにもかくにも、昨夜に呪詛を仕掛けてきた外法者退治しかない。


 蘭子が拝礼している間に、井上課長が石上神宮の宮司に事情聴取すべく掛け合ってい
た。
「宮司から話が聞けることになったぞ」
 というわけで、社務所で宮司の話を聞くことになった。
 石上神宮の宮司は、世襲として忌火(いんび)職を務め、物部氏の本宗にあたる森家
が代々勤めている。
 現在の宮司は、森正光である。
 事件の概要を簡単に説明した後、
「石上直弘という人物をご存知ですか?」
 単刀直入に尋ねる井上課長。
「石上直弘……ですか?」
「心当たりありませんか?」
「と言われても……ご存知かと思いますが、物部氏や石上家に連なる家系は、それこそ
数限りなくありますからねえ」
「陰陽師をやっている方とかはご存知ないでしょうか?」
 軽く首を振る宮司。
 いろいろと突いてみるが、石上直弘のことや関係者のことは知らないようだ。
 せっかく来たのだからと、石上神宮の歴史を語り始めた。

物部氏系譜

「誰かが、私を呼んでいます」
 つと立ち上がる蘭子。
「どうした?」
 突然の行動に不審がる井上課長。
「行かなければ」
 憑き物に取りつかれたような表情を見せる蘭子。
 尋常ではない蘭子の態度に心配する二人。
「ついていきましょう。何かが起こりそうです」
 神官でもある宮司にもその気配を察知したのであろう。
 蘭子の後を追う二人。

 蘭子は社務所を出て拝殿後方へと回り込んだ。
 行く先は「禁足地」と呼ばれるところのようだった。

 拝殿後方の、「布留社」と刻字した剣先状の石製瑞垣(みずがき)が取り囲む、東西
44.5m、南北29.5m、面積約1300平方mの地を「禁足地」といい、当神宮の神域の中でも
最も神聖な霊域として畏敬(いけい)されています。
 明治以前は南側の半分強(南北約18m、面積約800平方m)だけで、当神宮御鎮座当初
からのものかどうかはあきらかではありませんが、古来当神宮の御神体が鎮まる霊域と
して「石上布留高庭(いそのかみふるのたかにわ)」或いは「御本地(ごほんち)」、
「神籬(ひもろぎ)」などと称えられてきました。


 石上神宮禁足地入口

 両側の石柱に渡してある注連縄(しめなわ)を右手で持ち上げてくぐろうとする蘭子。
 注連縄は神域と現世を隔てる結界の役割を持ち、禁足地の印にもなる。
 気づいた職員の一人が注意を促した。
「これ、そちらは禁足地です」
 しかし蘭子には、注意も聞こえていないようだった。
 何かに誘われるように、禁足地に足を踏み入れる蘭子。
「ちょっと!待ちなさい」
 後を追ってきた宮司が止めた。
「何者かに憑かれているようだ。様子を見てみよう」
 職員を制止する宮司。
「我々は中に入れないのですか」
「だめです。禁足地ですから、ここは蘭子さんに任せましょう」

 蘭子が禁足地に入ると同時に、無意識にか千鳥足のような足取りになった。
 禹歩(うふ)という鎮魂のための歩行術
「天蓬」「天内」「天衝」「天輔」「天禽」「天心」「天柱」「天任」「天英」
 という言葉を唱えながら一歩ずつ踏みしめて歩く。
一、スタート時点で両足をそろえて立つ
二、左足を一歩前に出す。右足を左足より一歩前に出す。左足を引きつけて右足とそろ
える。
三、右足を一歩前に出す。左足を右足より一歩前に出す。右足を引きつけて左足とそろ
える。
四、左足を一歩前に出す。右足を左足より一歩前に出す。左足を引きつけて右足とそろ
える。
以下繰り返し。

 禁足地の中ほどに来た時、右側の森が薄明るく輝いているのに気が付いた。
 まさかかぐや姫か?
 という冗談はさておき、近づくにつれて、それは人影のように浮かび上がった。
 奈良時代のものと思しき衣装を身にまとっている女性の姿。
 どうみても生身の人間ではなかった。
 地縛霊か?それとも浮遊霊か?
 危害を加えるような存在ではないようだ。
「あなたは?」
 蘭子は尋ねてみる。
 すると蘭子の意識に直接語り掛けてきた。
「布都……」
 か細い声で答える女性。
「物部守屋の妹の布都姫ですか?」
「そうじゃ」
 布都姫は、物部守屋の妹であり、蘇我入鹿の妻である鎌足姫の母親という説がある。
「わたしをお呼びになられたのは、あなたですね?」
「布都御魂に召されて参った」
「召された?」
「そなたに授けるようにと……」
 と、地面を指さした。
 女性が指さした地面がほのかに輝いている。
「ここに何かあるのね」
 小枝を拾って地面を掘ってみると、古びた鉄の塊が出てきた。
 土くれを取り払ってみると、錆びた刀剣だった。
「これを、わたしに?」
 女性は答えず、軽く頷くと静かに姿が薄らいでいき、そして消えた。


(捌)布都御魂剣(ふつみたまのつるぎ)


 禁足地から蘭子が出てくる。
 一振りの刀剣を携えて。
 蘭子の姿を見とめて出迎える井上課長。
「おお、帰ってきたか心配したぞ」
 目ざとく蘭子の持つ刀剣に注視する宮司。
「刀剣のようですが、見せていただけませんか?」
 断るわけもなく刀剣を手渡しながら、事の詳細を話す蘭子。
「そうでしたか……」
 じっと検分していた宮司であるが、
「こ、これは!布都御魂剣(ふつみたまのつるぎ)です」
 驚きの声をあげる。
「え?それって御神体として、本殿に奉納されているのでは?」
 と、井上課長。
「確かにそうですが……1894年に禁足地を発掘した際に大量の神宝が出土しました。そ
の中に伝承の中にある霊剣に相似したものがありました。それをご神体として祀り立て
たのですが……。七星剣に表裏があったように、布都御魂も同様ではないかと」
「つまり確証はないけど、たぶん伝承にある布都御魂の二つ目じゃないかということで
すか?」
「どちらが本物の布都御魂かどうかは、誰にも分からないでしょう」
「現在ある布都御魂の真偽はともかく、禁足地には布都御魂が埋められたのは確かなこ
とですから」

 この地では、須佐之男命(素戔嗚尊)が八岐大蛇(ヤマタノオロチ)を退治した時に
用いたという神剣、天羽々斬剣(あめのはばきり、あめのははきり)が出土している。
 また、建御雷神(たけみかずちのかみ)が葦原中国(あしはらのなかつくに)を平定
した際に用いたといわれる霊剣、布都御魂(ふつのみたま)も、この地に一時埋められ
るが再度掘り起こされて、石上神宮の祭神として祀られている。


 納得いかないような表情の井上課長であるが、
「で、その刀剣は蘇我入鹿の怨霊に対して効果があるのかね?」
「神から遣わされたものです。信じるしかないでしょう」
「それはそうだが……」
「森宮司にお願いがあります」
「何かね」
「ご説明したとおりに、蘇我入鹿の怨霊退治には、この布都御魂が必要と思われます。
しばらくお貸し願えないでしょうか」
「ああ、もちろんだとも。ご神体のご意向となれば拒否するすべがない」
「ありがとうございます」


 石上神宮は物部氏ゆかりの地である。
 物部氏は蘇我氏に滅ぼされたという怨念がある。
 蘭子が蘇我入鹿を退治したいという願いを訴えたとき、
『ならば儂が適えてやろうじゃないか』
 と、祭神の布都御魂大神(ふつのみたまのおおかみ)が降臨し、布都姫を使わせて、
布都御魂を授けてくれたのではないだろうか。



「布都御魂……だっけ。そんな錆びた剣が役に立つのかね」
「神様が遣わしてくれた霊剣ですからね。きっと役に立ちますよ」
 ここで問題となるのは、布都御魂が日本刀などの銃砲刀剣類が適用されるかである。
 銃砲刀剣類に関しては、日本刀など文化財としての教育委員会のものと、警察官携帯
の拳銃など武器としての公安委員会のものと、二種類の登録制度がある。
 銃砲刀剣類所持等取締法第14条に該当するものは、美術品・骨董品として価値ある
ものとして、都道府県教育委員会に登録申請する。
 少なくともこの布都御魂は、錆びて朽ちており美術品としては該当しないだろう。
 今の時点では、御神体として奉納する価値はあるかもしれないが、石上神宮の対応次
第である。
 ともかくも刀剣であることには違いないので、都道府県公安委員会の銃砲刀剣類所持
許可手続きは必要であろう。
「しかし……お堅い公安委員会の許可証が取れるかが問題だな。未成年だしな。ともか
くその剣を持ち歩くに当たって、まずは石上神宮のものとして刀剣類発見届出書を提出
して、入手した上で、申請しなくてはならない。そして人目につかないように、剣道の
竹刀鞘袋にでも入れて持ち運ぶことだ」
 井上課長は、大阪府警捜査第一課長の身分を最大限に利用して、捜査協力のためとし
て事件解決までの期間限定の特別所持許可証を手に入れてくれた。また奈良県警捜査第
一課長の綿貫警視も一役買ってくれた。
 もっとも変死事件があれば、怨霊や陰陽師の仕業と噂される古都奈良特有の事情もあ
ったのだろうが。
 ちなみに古都とは、「古都における歴史的風土の保存に関する特別措置法」に規定さ
れる京都市・奈良市・鎌倉市の他、同法の第二条第一項に定める政令で天理市・橿原
市・桜井市・斑鳩市・明日香村・逗子市・大津市などが挙げられる。
「これが許可証だ。剣と共に肌身離さず持っていてくれ」
「分かりました」

 さて、蘭子は陰陽師としての行動をする時、御守懐剣「虎撤」を携行しているが、
 銃刀法第22条「業務そのた正当な理由による場合を除いては、内閣府令で定めると
ころにより計った刃体の長さが6CMをこえる刃物を携帯してはならない。以下略」
 または軽犯罪法第1条1項2号「正当な理由がなくて刃物、鉄棒その他人の生命を害
し、又は人の身体に重大な害を加えるのに使用されるような器具を隠して携帯していた
者」
 とあるとおり、陰陽師としての業務遂行のために所持しているので、一応違反とは言
えない。

 もっとも昇進のための検挙率を稼ごうと、何が何でも違法だと決め付けて検挙しよう
とする、根性腐った悪徳警察官も多いので要注意である。
 陰陽師の仕事は、夜半がメインである。
 夜中に出歩いていれば、警察官の職務質問に遭遇することもあるだろう。
「バックの中身を見せてください」
 と、所持品検査もされる。
 職質も所持品検査も任意なので断ることができる。
 警職法2条3項、「刑事訴訟に関する法律の規定によらない限り、身柄を拘束され、
又はその意に反して警察署、派出所若しくは駐在所に連行されることはない」
 と、刑事訴訟法によらない強制の処分を禁止している。
 ところが、根性腐った悪徳警察官は、わざと腕を掴んだり、前に立ちはだかるなどの
行動をとり、うざいからと、手を振り払ったり、警察官の胸を押したりすると、
「公務執行妨害だ!」
 と大げさに、警察官に暴行を加えたとして、現行犯逮捕される。
 こんな場合は、
「違法行為はやめてください!」
「いやです!」
「手を離してください!」
 と大声を張り上げて、毅然とした態度で対応するのが正しい。
 サッカーなどの試合で、審判に抗議する監督などが、退場処分にならないように、決
して手を挙げないのと一緒である。

 井上課長が所持許可証にこだわったのは、そういう警察の事情があるからである。
 布都御魂を収める竹刀鞘袋を、奈良県警察署道場の講武会から借りてくれた。


 その夜のことである。
 旅館で一息ついていた時、布都御魂を収めた鞘袋が震えて微かに輝いている。
「布都御魂が感応しています」
「ほんとうか?奴が七星剣を持って動き回っているのか」
「そのようです」
「応援を呼ぶか?」
「いえ、多人数で行動すれば感ずかれます。私一人で対応します」
「女の子が一人で夜に出歩けば、警察官に職質されて身動きできなくなる。私が一緒に
いた方が良い。それに万が一の時にはコレがある」
 と、背広の内側に隠しているホルダーから拳銃を取り出して見せた。
 怨霊に対しては拳銃が役に立つはずがないが、少なくとも人間である石上直治に対し
ては有効であろう。
「わかりました。課長と二人だけで行動しましょう」
「良し」
 旅館を出て、夜の街へと出陣する二人であった。
 布都御魂に導かれるままに……。


(玖)飛鳥板蓋宮跡へ


 夜の帳が舞い降りた街中。
 辻を吹き抜ける風は、淀んで生暖かい。
 夜道を歩いている女性。
 時々後ろを振り向きながら、小走りで帰路を急いでいる。
 後ろにばかり気を取られていたせいか、前方不注意で何かに躓いて倒れてしまう。
「痛い!」
 足元の暗がりを探るように見たそこにあったものは人のようであった。
 泥酔で寝込んでしまったのか、交通事故のひき逃げで倒れているのか。
「もし、大丈夫ですか?」
 声をかけても返事はない。
 それもそのはず……。

 首がない!

 悲鳴を上げる女性。
 その悲鳴を聞いて駆け寄る人影。
「どうしましたか?」
 尋ねられても声が出せず、横たわる遺体を指差す。
「こ、これは!」
 遺体を確認して、携帯無線を取り出す。
 巡回中の警察官だった。
 女性の一人歩きを心配して、声を掛けようとしていたのである。
「こちら警ら132号、本部どうぞ」
『こちら本部、警ら132号どうぞ』
「こちら警ら132号、鳴門町132番地にて殺人と思われる事件発生。遺体は首が切
断され遺棄された模様。302号連続殺人犯の犯行と思われる。至急、応援急行を乞
う」
『こちら本部了解した。直ちに応援を向かわせる。現場の保存に尽力せよ』
「こちら警ら132号、了解」
*注・警察無線はデジタル化以降、どのように行われているか不明。
各警察機構によっ
ても違いがあり、一応の目安ということで……。


「遅かったか……」
 蘭子と井上課長が到着したのは、五分後のことであった。
「いえ、まだ反応はありますよ。追いかけましょう」
 現場警察官が留めようとするので、
「任務遂行中だ!}
 警察手帳を見せて先を急ぐ。
 警視という階級を確認して、直立不動になって敬礼する警察官。
 ヒラの巡査にとって、キャリア組の警視という階級は雲の上の存在。
 布都御魂の導きに従って、犯人を追跡する二人。
「どうやら飛鳥板蓋宮跡へ向かっているようです」
「入鹿が暗殺されたという現場か?」
「怨念が封じ込まれた剣と、怨念が自縛霊となっている場所。相乗効果がありそうです
ね」
「のんきな事を言っている場合か。昼間行った時には何事もなかったよな」
「時刻が問題なんです。鬼門の開く丑三つ時……」
「なるほどね。相手は時間と場所を選んだというわけか」
 その後しばらく無言で走り続ける二人。

 数分後、飛鳥板蓋宮跡の入り口へと到着する。
 井上課長は胸元の拳銃、SIG SAUER P230 を取り出しマニュアルセーフティーを解除
して、いつでも発砲できるようにして再びホルスターに戻した。
 発砲といっても、米国のように無条件で撃てるのではなく、正当防衛かつ緊急事態に
のみ発砲が許されている。例えば、犯人が蘭子に襲い掛かり正に刀を振り下ろそうとし
た瞬間とかである。

 慎重に跡地内へと入っていく二人。
 周囲に照明となるなるものがないために、ほとんど暗闇状態で星明りだけが頼りだっ
た。それでも暗順応とよばれる視力回復が働く。
 陰陽師として深夜半に行動することが多い蘭子は、霊を見透かす霊視に加えて、周囲
の状況を見ることのできる暗視能力にも長けていた。

 
 暗順応:
 角膜、水晶体、硝子体を通過した光は、網膜にある視細胞で化学反応を経て電気信号
に変換される。視細胞には、明暗のみに反応する約1億2000万個の桿体細胞と、概ね3種
とされる色彩(波長)に反応する約600万個の錐体細胞がある。光量が多い環境では主
として錐体細胞の作用が卓越し、逆に光量が少ない環境では、桿体の作用が卓越する。
夜間などに色の識別が困難になり明暗のみに見えるのは、反応する桿体の特性である。
桿体、錐体ともに一度化学反応をすると、再び反応可能な状態に復帰するまでにはある
程度の時間が必要である。視界中の光量が急減した場合に一時的に視覚が減退するのは、
明所視中において桿体細胞内のロドプシンのほとんどが分解消費してしまっており、桿
体細胞が速やかな反応のできない状態になっているからである。暗い環境の中で時間が
経過すると、ロドプシンが合成されて桿体細胞が再び反応できるようになり、視覚が働
くようになる。 明順応に対し、暗順応に時間がかかるのは、ロドプシン合成の方がロ
ドプシン分解に比べて長い時間を要するためである。wikipediaより




 突如、落ち武者の姿をした亡霊が地の底から湧いて出るように出現した。
「課長、気をつけてください。犯人が外法で霊を呼び出しています」
「霊?といわれても、私には見えないぞ」
 といいつつ胸元のホルスターから銃を取り出す井上課長。
 辺りを見回すが猫一匹見ることはできなかった。
「銃は無駄です!相手は怨霊です」
「どうすりゃいいんだ」
「夜闇を払い、光を降ろす五芒の印!」
 暗視の術を唱えると、井上課長の目にも見えるようになった。
 おどろおどろしい怨霊の姿にたじろぐ井上課長。
 そりゃそうだろう。
 怨霊などというものに、普段から接したことなど皆無だから。
 お化け屋敷とは違うということである。
 と、上着の内側が微かに光っているのが見えた。
 内ポケットに入れたお守りが輝いていた。
 おもむろに取り出してみる。
 するといっそう輝きを増して、襲いかかろうとしていた怨霊を消し去った。
「なるほど……これは良いな」
 蘭子が護法を掛けていた効力のようである。
 怨霊程度ならお守りでも役に立っている。
 それを確認した蘭子は、安心して犯人と対峙できる。

「臨・兵・闘・者・皆・陣・烈・在・前」
 怨霊を九字の呪法で消し去りながら、板蓋宮跡の中へと歩みを進める二人。
 やがて跡地の中ほどに人影が現れた。
「待っていたよ」
 暗がりで佇む人影は、近づくにつれてはっきりと表情を読み取れるようになる。
 石上直弘その人だった。
「石上だな!」
 井上課長が尋ねる。
「その通り」
 続いて蘭子が続く。
「なぜ、罪もない人々を殺(あや)める」
「なぜだと?」
「そうだ。金城聡子をなぜ殺した!」
「足手まといになったからだ」
「足手まといだと?」
「七星剣に封じ込まれた入鹿の怨念を呼び起こすためには、血を吸わせる必要があった
のだ。剣を手に入れる助手として、かつ最初の生贄として彼女が必要だった」
「なんてこと……そのために人の命を弄ぶとは」
「妖刀とは血を吸うものじゃないかな?」
 妖刀として名高いものに村正が上げられる。
 徳川家康の祖父清康と父広忠は、共に家臣の反乱によって殺害され、家康の嫡男信康
も織田信長に謀反を疑われ、死罪と成った際に使われた刀もそろれぞれ村正である。
「話がそれたな。おまえら、一人は刑事のようだが、娘の方は……陰陽師か?」
「その通りよ」
「なるほどな。で、どうするつもりだ?」
「その刀、七星剣を返しなさい」
「せっかく手に入れたものを、返せと言われて返す馬鹿はいない」
 至極当然な反応である。



 しばらくありふれた問答が続いたが、
「この場所へおまえらを呼び寄せたのは何故だか分かるか?」
 と、先に切り出したのは石上だった。
 この場所、板蓋宮跡は蘇我入鹿が惨殺された所である。
 伝承では、斬首された首が数百メートル先へ飛んでいったとか、村人を襲ったとかと
かで首塚が作られているのであるが……。
 「さらし首」なという見せしめは、武家社会になってからであり、貴族社会であった
当時なら、野外に遺体ともども打ち捨てられたものと思われる。
 ならば……。
「蘇我入鹿か?」
 当然の反問である。
「見るがいい」
 というと、七星剣を上段に構えたかと思うと、えいやっとばかりに地面に突き刺した。
 地面から稲光が放射状に光ったかと思うと、無数の魑魅魍魎(ちみもうりょう)が湧
き出てきた。
 石上がさらに右手を水平にかざすと、手のひらから、霊光(オーラ)のようなものが
地面へと伸びていく。
 その地面が盛り上がりを見せたかと思うと、何かが土中より出現した。
 それはゆっくりと上昇して、石上の手の上に。
 骸骨だった。
「蘇我入鹿の首だよ」
 おどろおどろしいオーラを発しているその首を差し出しながら、
「入鹿の首と、怨念の籠った七星剣、入鹿が討ち取られた板蓋宮跡。そして時刻は鬼が
這い出る丑三つ時。道具はすべて揃った」
「何をするつもりだ?」
「知れたことよ」
 と言いながら地に突き刺した七星剣を抜いて、天に向けて捧げた。
 凄まじい気の流れが怒涛の様に周囲に広がり、闇の中から無数の怨霊が沸き出し、奈
良の街中へと拡散していった。
 毒気を含んだ黒い霧が流れ出し、道行く人々が次々と倒れてゆく。
 街中に溢れ出した怨霊は、至る所で災いを巻き起こし、人々を渦中に引きずり込んで
いく。
 台所のコンロが自然点火して火事となり、交差点信号が誤作動を起こして交通事故が
あちらこちらで発生する。
 板蓋宮跡にいる蘭子達からも、街や村が火に包まれていくのを目の当たりにすること
となった。

「問答無用ということですね」
 竹刀鞘袋から布都御魂を静かに引き抜く蘭子。
「そういうことらしいな」
 石上も入鹿の首を地面に置いて、七星剣を構える。
 蘭子が石上に向かって布都御魂を振りかざす。
 もちろん生殺しないように、当身を狙ってである。
 だが、いとも簡単に受け止められてしまう。
「おまえが剣道の猛者ということは知っている。だが、自分も四段の腕前でね」
 鉄と鉄が交差する度に火花が飛び、瞬間暗闇を照らす。
 井上課長は思う。

 貴重な文化財を使って、チャンバラとは!

 しかし、心配はご無用。
 どちらも怨霊の籠った霊剣である。
 そうは簡単に折れたりはしなかった。
「なるほど『霊験あらたか』ということか」
 納得する井上課長であった。


(拾)魔人登場


 手に汗握る戦いであったが、若さと柔軟さに勝る蘭子が押していた。
 とはいえ、少しでも気を抜くと致命傷を受ける真剣勝負なのだ。
 相手を傷つけることをも躊躇してはいけない。
 切っ先を合わせること数十回、ついに決着が着いた。
 石上が大上段から振り下ろす剣を見切り、その剣を弾き飛ばした。
 空中を舞いながら井上課長の足元に突き刺さる七星剣。
 井上課長が拾おうとするが、
「だめ!触らないでください!」
 蘭子の警告に手を引っ込める。
 怨霊の籠った剣に触れば、憑りつかれる可能性があるからだ。
「ふ……。さすが剣道の達人だな」
 切っ先を交わした際に傷ついたのであろう、右手から血を流していた。
「観念しろ石上」
 井上課長が拳銃を構えて投降を呼びかける。
 石上は後ずさりしながら、入鹿の首の所まで戻った。
「まだ終わったわけではない。これからが本番よ」
 というと、懐から短刀を取り出して、傷ついた右腕をさらに切り刻んだ。
 ボタボタと滴り落ちる鮮血が、足元の入鹿の首に注がれる。
「入鹿よ我に力を与えたまえ!」

「課長!撃ってください!」
 蘭子が慌てたように叫んだ。
 何がなんだか分からない井上課長。
「何のための拳銃ですか!早く撃って!」
 拳銃は所持していても、必要最低限の条件と緊急性がなければ、発砲などできない警
察官の性がトリガーを引くのを躊躇わせた。
 どんなに悪人でも、日本警察は容易く撃たないよう訓示されている。
 そうこうするうちに、入鹿の首からオーラが発して、石上直弘の身体を取り囲んだ。
 見る間に、その身体がおどろおどろしい姿へと変身してゆく。
「魔人か!」
 蘇我入鹿の怨霊どころではない!
 紛れもなく魔人が本性を現したのである。

 ズギューン!

 井上課長が発砲する。
 しかし、もはや拳銃などでは歯が立たなくなっていた。
 人間の姿でいる間に撃てば、あるいはという状況ではあったが、時すでに遅し。
 魔人が相手では、拳銃だろうと布都御魂であろうと太刀打ちできない。
 どうやら魔人が蘇我入鹿をして石上直弘を操っていたのだろう。

「課長。布都御魂を預かってください」
 と霊剣を手渡す。
「どうするつもりだ?」
「霊には霊、魔には魔です」
 おもむろに懐から御守懐剣を取り出す。
 御守懐剣「長曾祢虎徹」には、魔人が封じ込まれている。
 魔人を呼び出して戦わせようというわけだ。
 魔人を召喚するには、本来長い呪文が必要なのであるが、それは最初の時の場合であ
って、契約を交わした魔人との間には、急を要する時のための短縮呪文が存在する。
 双方が納得して取り決められれば、どんな作法となっても問題ない。
 蘭子の御守懐剣「長曾祢虎徹」に封じられた魔人の場合は、剣を鞘から抜き、
「虎徹よ、我に従え!」
 と、唱えれば召喚が成立する。
 とはいっても、虎徹に宿った魔人には姿形はなくオーラそのもの。
 いわゆるエネルギー体のような存在である。
 アーサー王伝説に登場する「エクスカリバー」と言えば分かりやすいだろう。



 時を遡ること数か月前。
 板蓋宮跡を訪れる一人の青年がいた。
 石上直弘というその青年は、ごくありふれた平凡なサラリーマンに過ぎず、日々の生
活にも困窮する時もあった。
 ある日、インターネットで探し物をしていた時に、『刀剣乱舞-ONELINE』という京都
国立博物館で開催される刀剣展示の催しが目に留まった。
「刀剣乱舞か……」
 多種多様な刀剣類に意志が宿って、擬人化されたキャラクターが主人のために悪と戦
うという設定だが。
 アニメの刀剣乱舞はともかくも、歴史上最も有名なものは、日本書紀にも記述がある
須佐之男命が出雲の国を荒らしまわっていたヤマタノオロチを退治したと言われる『天
羽々斬剣(あめのははきり)』別名『天十拳剣(あめのとつかのつるぎ)』であろう。
 その霊剣は当初、備前国赤坂郡(岡山県赤磐市)の石上布都神社に祀られていたが、
崇神天皇の代に奈良の石上神宮に移された。石上神宮では、その天羽々斬剣を布都御魂
と名を変えて奉っている。
「石上神宮か……」
 石上(いそのかみ)という独特な読み名に興味を持った彼は、自分が物部氏に繋がっ
ているかも知れないと、自分の戸籍を調べ始めた。いわゆるルーツ探しである。
 探していくうちに、とある旧家にたどり着き、保管されていた石上家の家系図に巡り
合えたのである。
 そして自分が、正しく物部氏に繋がることを発見した。
石上家の系譜
 物部氏の後裔であることを知った彼は、歴史探訪の旅に出ることを思い立ったのだ。

 そして、こうして板蓋宮跡の地を訪れたのである。
 見渡す限りの水田ばかりの風景が広がる。
「何もないな、ここで蘇我入鹿が惨殺されたとは、想像すらできない温和な風景だ」
 かつての自分の祖先である物部守屋が蘇我氏の一団によって暗殺され、今度は蘇我入
鹿も中臣鎌足によって、天皇の御前で惨殺されるという血で血を洗う抗争のあった宿命
の地であったのだが。
「見るものもないな」
 数枚の写真を撮って帰ろうとした時だった。

『そのまま帰っていいのか?』

 背後から声がした。
 振り返ってみるが誰もおらず、殺伐とした田園風景が広がっているばかり。
 しかし、声は続いている。
『力が欲しいとは思わぬか?』
「力?」
『おぬしが望むなら、ありとあらゆる力を与えることができる』
 どうやら直接、自分の脳裏に語り掛けているようだった。
『その力を使えば、今の生活から抜け出すこともできる。金がないのだろう?金が欲し
ければいくらでも手に入るようになる』
「どうすればいい?」
 思わず姿なき声の主に問いかける石上。
『簡単なことだ』
 すると、足元の大地が盛り上がってきて、地中から何かが出現した。
 髑髏(どくろ)だった。

『血の契約をしなければならない』
「血の契約?」
『そうだ。おぬしの血を髑髏に注ぎ込むのだ』
「血を注ぐというのか?」
『それが魔人との契約の証だからだ』
「魔人?魔人だというのか!?」
『その通り。信じるも信じないも、おぬし次第だがな。さて、どうする?』
「一つ確認したい」
『なんだ?』
「ほんとうに、ありとあらゆる力を与えてくれるのだな?』
『いかにも』
「分かった。その契約とやらをしよう」
『その前に、もう一つ必要なものがある』
「もう一つ?」
『入鹿の首を落とした「七星剣」を手に入れることだ。それには入鹿の怨念が籠ってい
るのだ。術式には是が非でも手に入れねばならぬ』
「七星剣?」
『それは四天王寺にある』
「東京国立博物館に寄託されているはずだが?」
『もう一つあるのだ。物事には必ず表と裏があるように、裏の七星剣があるのだ』
「裏の七星剣……」
『裏の七星剣は、四天王寺の宝物庫の地下施設に呪法に守られて、厳重に保管されてい
る。手に入れるには仲間が必要だ。仲間を見つけろ』
「仲間といっても」
『七星剣を目覚めさせるには、血を吸わせることが必要だ。いずれその仲間も必要とし
なくなる。最初の犠牲者には最適だろう』
「仲間を斬るのか?」
「所詮足手まといになるのが関の山だ。斬って捨てるのだな』
 考え込む石上。
『それでは血の契約の儀式を始めようか』


(拾壱)戦いの終わり


 蘭子と魔人のバトルに戻る。
 魔人に対して、長曾祢虎徹を構える蘭子。
『ほほう。使い魔を従えていたとはな』
 魔人が初めて口を開いた。
「この剣の本性が見えるの?」
『儂に勝てるかな?』
「やってみなければ分からない」
『ならば、かかって来るがよい!』
 誘われるように、八相の構えを取る蘭子。
 左上段の構えから、剣を下ろし、鍔(つば)が口元に位置し、左手は身体の中心、剣
は45度傾けて、刃を相手に向けた構えである。長期戦に備えて、無駄な体力を消耗し
ない態勢である。
「いざ、参らん」
 地面を蹴って、えいやっとばかりに切りかかる蘭子。
「やった!真っ二つだ」
 井上課長が小躍りする。
 見事に魔人を両断したかと思った瞬間、魔人は霧のように消え去った。
「なに!消えた?」
 きょろきょろと周りを見回す井上課長。
「後ろだ!」
 蘭子の背後に姿を現す魔人。
 反転して、再び剣を振る蘭子。
 しかし、今度も剣は宙を舞うだけだった。
 姿を現しては、また消えるを繰り返す魔人。
 斬りかかっても、斬りかかっても、剣は宙を舞うだけだ。
『どうした、先ほどの威勢は虚勢だったのか?』
(おかしい……手ごたえがない)
 冷静になって雑念を払い魔人の気配を探す。
(相手が目に見えるからいけないのよ)
 静かに目を閉じて意識を研ぎ澄ます。
 ゆっくりと周囲を精神感応で魔人の気配を探す。
 とある一点、凄まじい気の流れを感じて目を開けると、蘇我入鹿の首が怪しく輝いて
いる。
「分かったわ、本体はそこよ!」
 蘭子は、虎徹を入鹿の首に投げつけた。
 それは見事突き刺さる。
『ぐああっ!』
 悲鳴のようなうめき声を上げる魔人。
 とともに、目の前の姿が消え去った。
 どうやら幻影と戦わされていたようだ。
 髑髏から靄のようなものが沸き上がり、魔人本体が姿を現した。
 すかさず駆け寄って、虎徹を引き抜き、本体に斬りかかる。
『お、おのれえ!』
 今度はダメージを与えたようであった。
 さらなる追撃を掛ける蘭子。
 虎徹を握りしめ精神集中すると、剣先がまばゆいばかりのオーラを発しはじめる。
「いけえ!」
 全身全霊を込めて剣を振るうと、オーラが怒涛のように魔人に襲い掛かった。
 オーラが魔人の全身を覆いつくす。
『ぐ、ぐあああ』
 断末魔の声を上げながら、消えゆく魔人。
 後には、放心したような石上直弘がゆらりと佇んでいた。
 次の瞬間。
 その眉間に弾丸が突き刺さり血飛沫を上げる。
 先ほど井上課長が撃った拳銃の弾が、今更にして命中したというところだ。
 どうやら、石上の周りが時空変異を起こしていたようだ。
 どうっと地面に倒れる石上。
 蠢いていた魑魅魍魎も地に戻っていき、姿を消してゆく。

 やがて静寂の闇が辺り一面を覆う。

「終わったのか?」
 井上課長が尋ねる。
「ええ、終わりました。彼は?」
「死んでいるよ」
「そうですか、助けたかったですね」
 魔人と血の契約を交わした者は、魔人が倒れれば自身も倒れる。
 悲しい現実である。


 戦いは終わった。

 石上直弘と魔人は倒したものの、街中に広がった怨霊達が残っていた。
 各所で燃え上がる火災、火の粉が風に乗ってここまで飛んできていた。
 見つめる蘭子の頬をほのかに赤く照らす。
「課長。布都御魂を返していただけますか」
「ああ、わかった。ほれ」
 預かっていた布都御魂を蘭子に返す井上課長。
「ありがとうございました。さてと……、これからが大変です」
「どうするつもりだ?」
「これを使います」
 と、布都御魂を示した。
「布都御魂?」
「ただチャンバラをするためだけに、託宣されたと思いますか?」
 頬笑みを浮かべながら、儀式の準備を始めた。

 まずは地面に突き刺さっている七星剣を、布都御魂と刃を重ね合わせるようにして引
き抜く。
 七星剣を単独で扱うと、祟られる可能性があるからである。布都御魂の神通力をもっ
て、それを押さえつけるのだ。
 二つの刀を捧げ持ち、板蓋宮跡の中心部にある「大井戸」と推定されている窪みに入
り屈み込んで、その縁に刀を安置した。
板蓋宮跡
 両手を合わせて祈るように、眼を閉じて静かに大祓詞の詠唱をはじめる。
大祓詞全文資料によっては、文言の異なる祝詞が多数存在します。
 井上課長も手を合わせ、目を閉じて祈っていた。
 災禍によって命を失った人々はもちろんのこと、石上直弘に対しても憐れみを持って。

 やがて布都御魂剣と七星剣が輝きだし、光は四方八方に広がってゆく。
 それとともに町中の怨霊達が、引き寄せられるように集まってくる。
 そして布都御魂に吸い込まれるように消えてゆく。
 声を掛けようとした井上課長であるが、一心不乱に祝詞を唱える蘭子に躊躇を余儀な
くされた。実際にも、精神集中している蘭子には、声は届かないだろうが。
 最後の祝詞が詠唱される。
「……今日の夕日の降の、大祓いに祓へ給ひ清め給ふ事を、諸々聞食せと宣る」
 パンッ!
 と手を叩いて手を合わせて、しばらく黙祷。
 静かに目を開き、深呼吸する蘭子。
 辺り一面の怨霊達は姿を消し、平穏無事な世界が広がっていた。
 ゆっくりと立ち上がって、井上課長のもとに歩み寄る蘭子。
「終わりました」
「そうか……お疲れ様」
 携帯を取り出して、奈良県警の綿貫警視に連絡をとる井上課長。
 押っ取り刀で駆け付けた奈良県警の現場検証が始まる。
 石上直弘の遺体の写真撮影、遺留品の回収など手っ取り早く進められてゆく。
 事情聴取には、井上課長が詳細な報告を伝えていた。
「時間も遅いですから、詳しいことは明日にしましょう」
 女子高生である蘭子に配慮して聴取は切り上げられた。

 旅館に戻った二人。
「証拠物件として、これが取り上げられなくて良かったです」
 と、竹刀鞘袋に納められた二振りの剣。
 七星剣と布都御魂。
「綿貫警視が骨折ってくれたからな」
 怨念が籠っているから、一般人が触ると呪われる。
 蘇我入鹿の怨霊事件が再び繰り返し起こしたいのか?
 そうやって脅しをかけて強引に、陰陽師である蘭子に、刀剣の所持を継続許可したの
である。


 布都御魂を元の地に返すために、石上神宮禁足地へと戻ってきた蘭子。
 布都姫が現れた。
「ありがとうございました」
 蘭子がお礼を述べると、軽く頷くような素振りを見せて、静かに消え去った。
 足元の地面を掘り起こし、元の様に「布都御魂」を埋め戻してゆく。
 手を合わせて静かに黙祷する。

 禁足地の外では、井上課長が、蘭子の帰りを待っていた。
 やがて戻ってきた蘭子に話しかける。
「本物の布都御魂かも知れないのに埋め戻すのかね」
「何百年間もの長い年月、人知れず眠っていたのです。元の場所でそっと静かに眠らせ
てあげましょう」
「そういうものかねえ……」
「御神体がいくつもあったら、有難さも薄れるじゃないですか」
「それはそうですけどね……」
 その後、拝殿に参拝して神に事件報告する蘭子。
 神様のお告げで布都御魂を授けられたのであり、お礼参りするのは当然。
「明美も刀剣に興味を持たなければ、事件に巻き込まれなかったのに」
 空を仰ぎながら、一粒の涙を流す蘭子だった。

 社務所で談話する奈良県警の綿貫警視と宮司。
「布都御魂を埋め戻して良かったのでしょうか?あちらが本物かも知れないのに」
「あちらの方は、蘭子さんが神のお告げで授かったものです。同様に埋め戻せというお
告げがあったのでしょう。今でも禁足地を掘ってみれば、刀剣類がいくらでも出てくる
でしょう」
「またぞろですか?」
「そうです。真偽のほどは神様にしか分かりません。悩んでみたところで仕方なし、伝
承にいう剣と思しきものが出土した。我々は、それを布都御魂と信じて奉るしかないの
です」
 傍らには、宮司らの手によって除霊されたばかりの「七星剣」が置かれている。

 翌日の四天王寺宝物殿。
 井上課長と土御門春代、そして四天王寺住職が秘密の地下施設扉前に揃っていた。
 開錠の呪文で封印を解いて、開いた扉から入館する一同。
 七星剣を元の刀掛台に戻して、改めて拝礼する住職。
「戻ってきて良かったです。それもこれも蘭子ちゃんのお陰です」
 向き直ってお礼を言うと、
「取り戻したとはいえ、多くの人々の尊い命が失われました」
 春代が悲しげに答えた。
「はい。重々心に刻んで、弔うことにしましょう」

 宝物殿を退出して、再び呪法で密封する住職。
 井上課長が告げる。
「今回の事件に際して、七星剣のことは闇に封じます。科学捜査が基本の現在の警察事
情では、怨霊や魔人による犯罪だった……なんて公表できませんからね。裏とはいえ、
これも立派な国宝の一つでもあるし。証拠物件として提出わけにもいかないし」
「ご配慮ありがとうございました」
 四天王寺境内を歩きながら、
「蘭子ちゃんに会いたかったですな」
「高校生ですから、授業中です」
「そうでしたな」

 阿倍野女子高等学校、1年3組の教室。
 静かな教室内に、教師の教鞭の声とノートに書き写すペンの音。
 窓際の机に座りながら、外を眺めている蘭子。
 吹き渡るそよ風が、その長いしなやかな髪をかき乱してゆく。

 一つの事件は解決したが、蘭子の【人にあらざる者】との戦いはこれからも続く。


蘇我入鹿の怨霊 了


お疲れさまでした。('◇')ゞ
蘇我入鹿の怨霊.zip(36kb)


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