響子そして(九)回復
2021.07.13
響子そして(覚醒剤に翻弄される少年の物語)R15+指定
この物語には、覚醒剤・暴力団・売春などの虐待シーンが登場します
(九)回復
意識が戻った。
どうやらまだ生きている。
「気がついたようだね」
ベッドサイドに、聴診器を首に下げている医者らしき男性がいた。
「ここは、どこですか?」
「私の父親が経営している産婦人科病院だよ」
「産婦人科病院?」
「そうだ。どうだい、気分は?」
といいながら、脈を計っている。
「わたし、どうしたんですか? わたし自殺したはずですけど」
「奇跡的に助かったんだ。覚醒剤が体内に残っていて苦労したよ」
覚醒剤……。
そうだ!
それから逃げ出すために自殺したんだ。
「どうして助けたのですか?」
「それが医者の役目だからだよ」
「生き返ったって、またやつらの元に連れ戻されるだけなんです」
「君を捕らえた組織のことは心配しなくてもいいよ。二度と君の前には現われないさ」
「どういうことですか?」
「これでも組織には顔が通っていてね。わたしの下で君を保護するといえば、誰も手が出せなくなるんだ」
「ほんとうですか?」
「ああ、何も心配することはないんだ。だからもう自殺することもしなくていい」
「ありがとうございます」
あ、そういえば。この先生。わたしのこと性転換者ってこと気づいてるわよね。ここ産婦人科だと言ったから、産婦人科の先生よね。
「あの……。先生は、わたしのこと……」
「ん……? ああ、性転換していることかい?」
やっぱり、気づいてた。
女性の身体を知り尽くしているから、性転換者を見抜く事は雑作ないよね。
「まあ、その道のプロだからね」
「ですよね……」
「ついでに言えば、君が少年刑務所を仮釈放で保護観察の身だったことも知ってる」
「どうして、それを?」
「あはは、君のことなら何でもお見通しさ。覚醒剤に溺れた母親と、その愛人で売人の男を殺害したこともね」
「そんなことまでも……」
その時、明人が凶弾に倒れたまま、引き裂かれていたのを思い出した。この先生なら知っているはずだ。
「先生。明人がどうなったか、ご存じないですか?」
「明人か……。君の旦那だったね。残念だが、彼は亡くなったよ。失血死だった」
「ああ……。わたしの明人……」
わたしはどん底に突き落とされる感覚に陥り泣いた。
「安心しなさい。私の所にいる限り、すべてが丸くおさまる。何の心配もしなくともごく普通の女性として生き、何不自由なく暮らしていけるよ。保証してあげよう」
「いったい……。先生は何者ですか? ただの産婦人科医じゃありませんね」
「私は、この産婦人科病院の当直医だよ。それ以上のことは知らない方が良い。もし詮索してそれ以上のことを知れば、君はまた覚醒剤にまみれた裏の世界に引き戻されることになる。私を信じて黙ってついてくればいいんだ。いいね」
「わかりました。先生を信じます」
「よし、よし。いい娘だ。これから注射するけどいいね」
「注射?」
「覚醒剤だよ。君の身体は、覚醒剤に蝕まれている。短期間に多量を射たれたために、脳神経組織内に、覚醒剤に感受する特殊な受容体ができてしまったんだ」
「受容体?」
「その受容体は、常に覚醒剤を必要としていて、胃が空になったらお腹が空くように、覚醒剤に対する欲求反応を示す。判りやすくいえば、すでに覚醒剤中毒になっていて、急に薬を絶つとひどい禁断症状が起きて、精神的障害を起こすというわけだ。だから毎日、必要最低限の注射をして、その量を少しずつ減らしていく。すると受容体もそれにつれて退化していくんだ。受容体が消失すれば治療完了だ。わかるよね」
「理解できます」
「よし。じゃあ、射つよ」
「はい……」
止血バンドを巻かれ、腕を消毒薬した後に、ゆっくりと静かに注射される。
あ……。やっぱり違うなと思った。
奴等は消毒などしないで、いきなりところ構わずに注射する。注射された箇所があざになるのは、そのせいかなと思った。バイキンが入り込んだり、適切でない箇所だったりするから。薬さえ効けばそれでいいのだろうけど。
先生はベッドサイドに座ったまま、時計をみたり脈拍を調べたりしている。
「そろそろ、効いていると思うが、気分はどうかな?」
「気分はいいです。でも奴等のところで射たれた時は、意識朦朧になりました」
「それは、一時期に多量を射たれたからだよ。手っ取り早く覚醒剤漬けにするためにね。意識朦朧となっているのを利用して、催眠術のように言いなりにすることができる。奴等は、そうやって自分の言いなりになる性奴隷や売春婦に調教していくんだ」
「ええ。奴等が、そんなこと言うのを耳にしました。母もそうでした。常套手段なんですね」
「ま、とにかくだ。治療として処方する分には今の量で十分だ。ほんの少し気分が良くなる程度。禁断症状が起きないぎりぎりの線だよ」
「ぎりぎりということは起きる事もあるわけですね」
「ああ、その時は我慢してくれ。禁断症状といっても程度は軽い。君ならできるはずだ。他の薬、精神安定剤なんかとの重複服用も厳禁になっている」
「わかりました」
「何も心配ない。とにかく今日はもう休みたまえ」
「はい」
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特務捜査官レディー(九)真実は明白に
2021.07.13
特務捜査官レディー
(響子そして/サイドストーリー)
(九)真実は明白に
「そうか……そういうことだったのか……以前の真樹だったら酌なんかしなかったはずだからな。それでもアメリカに行って心境が変わったのだろうかと思っていた」
「申し訳ありませんでした。真樹さんの振りをして騙していました」
「この娘は、悪くないんです。わたしがお願いしたんですよ。あなたがこの娘を区別できるか試したんです」
「いや、すっかり騙されたよ。全然気がつかなかった」
「でしょう? わたしも、この娘が告白するまで判らなかったんですからね」
「うーん……。ほんとうに瓜二つだよ。誰がどこから見ても、真樹にしか見えないだろうな」
と改めて真樹の容姿を確認するように眺める父親。
「それで、おまえはどうするつもりなんだ?」
「もちろん、このまま一緒に暮らしますよ。この娘は、真樹なんですから。黙っていれば気づかれなかったのを告白してくれたんです。憎まれ蔑まれるかも知れないのを覚悟の上で、真樹が死んだ事を報告するために、わざわざ来てくださったんです。この娘は正直で澄んだやさしい心を持っています。そんな娘を見捨てるわけにはいきません」
「そうか……。おまえがそのつもりなら、私も反対はしないよ」
「いいんですか? 一緒に暮らしても……」
「しようがないだろ。聞くところによれば、真樹が死んだのには、この娘に責任はないんだし、このまま放り出すわけにはいかないだろう。この娘の身体の中に真樹が生きているというならなおさらだ。それに、すべての臓器の移植が何の支障もなく成功しているということは、真樹のヒト白血球抗原・HLAが完全に一致していると言う事。つまりこの娘と私達は、元々血縁的に繋がりがあるということだ。何せ非血縁者での一致率は数百から数万分の一なんだ。HLAで血液鑑定すれば間違いなく親子関係にあると断定されるはずだ。臓器移植に関わらず私達の娘と言っても過言じゃないということさ」
「その通りです。この娘が将来結婚して子供を産めば、真樹の子供、わたし達と血の繋がった孫になるんですから」
「ならいいじゃないか。私も、一緒に酌み交わす相手が欲しかったんだ。さあ真樹、お父さんと呼んでくれ、そして一緒に飲もう」
とビールを差し出した。
「はい……頂きます。お父さん」
そのビールをコップに受け取る真樹。
涙の混じったそのビールはほろ苦かった。
翌日は頭が痛かった。
真樹は酒に弱い事が改めて判明した。母が警告していたはずだが、一度飲みはじめると止められない性格だった。
以前の自分ならあれくらい何でもないのだが、今の自分の内臓は真樹のものだ。それもアルコール分解に関わる肝臓は、その処理能力が低い、つまり下戸に近いということだった。
しくじったな……。
ふと時計を見ると丁度午前六時だった。
「あ! いけない!」
ゆっくり寝ているわけにはいかない。
昨日の母との会話から、真樹が食事の手伝いをさせられている事に気づいていたからだ。朝食の支度を手伝わなければいけなかった。
朝食は父親の出社時間に合わせて早めに取るらしかった。
ベッドを飛び降り、パジャマを脱いで大急ぎで着替えると台所へ向かった。
すでに母は起きて朝食の用意をしていた。
「おはようございます。お母さん」
「おはよう。お寝坊さんね、真樹は」
「すみません。今手伝います」
「飲み過ぎるからですよ。エプロンはそっちに掛かっているわ」
指差した先の食器棚のそばの衣紋掛けにエプロンが掛かっていた。それを被って準備を整えると炊事にかかった。
「お味噌汁を作ってくれるかしら。わたしは煮魚と他のもの作ってるから」
「はい。わかりました」
味噌汁は食事の基本である。それを任せるのは、真樹の料理の腕を見てみようということであった。すでに昨日、夕食の味噌汁を食べている。斎藤家の味噌汁の味を出せるかどうか、どれだけ近づけられるかを試されているのだ。もちろん真樹が男性だったとは露も知らず、女性なら味噌汁くらい作れるだろうという判断だし、朝早く起きて手伝いにきたのだから当然できると思っている。真樹にしたって料理ができるから手伝いに起きてきたのだ。
冷蔵庫を開けてみると、味噌汁の具として豆腐としじみがあった。昨日、スーパーで買ってきたものだ。
「しじみの味噌汁でいいわね」
こんぶと鰹節でダシを取ることにする。
こんぶは水から煮出しをはじめ、鰹節は頃合を見計らってすぐに上げられるようにストレーナーを使う。しじみからも旨味成分が出てくるので、それを考慮に入れている。次にしじみを入れ、味噌を味噌漉しを使って入れる。
豆腐をきざんで味噌汁の中に落としこんでいく。
やがて味噌汁のいい香りが漂いはじめる。
味見をしてみる。
「こんなものかしら」
だいたい出来上がったようだ。
火を消す前に、
「お母さん、味見をお願いします?」
念のために母にみてもらうことにした。
「どれ、みせて」
小皿に味噌汁をすくって味を見ている母。
「ちょっと味が薄いようだけど、はじめてにしては上出来よ」
「ありがとうございます」
火を消してコンロから降ろし、鍋敷きを敷いた食卓の上に置いた。そしてすぐさまコンロの周囲の汚れを布巾できれいに落とす。冷めて固まると落としにくくなるし、後からだとついつい億劫になってそのまま放置がちになってしまうからだ。
「あなた料理上手ね。まさかこんぶと鰹節でダシを取るところからはじめるなんて思いもしなかったわ。適当に味の素で味付けするかと思ったのにね。コンロの汚れもすぐに落としていたし、あなたのお母さんに教えられたの?」
「はい。母がいつも作るところを手伝っていましたから」
それは本当のことだった。
料理好きだった母から料理の基本から教えこまれた。母は、真樹(薫)が性別不適合者として女性の心を持っていると理解してくれていて、女性としてのたしなみを徹底的に教え込んてくれていたのだ。炊事・洗濯・掃除からはじまって、立ち居振る舞いから化粧方法まで丁寧に教えてくれたのだ。
「これだと、わたしが教えることはないわね。あなたのお母さんに感謝しなくちゃ。後は斎藤家の味に近づけるだけね。お父さんの味覚は保守的で、ちょっと味が変わっただけでも味噌汁を残しちゃうの」
「はい、教えてください。努力します」
「まあ、真樹さんが直接造った料理だったら、文句言わずに全部食べてくれるだろうけど、やはり長年食べ慣れた味じゃないとやっぱりね……」
「あたしもそう思います」
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