梓の非日常/第二部 第七章・船上のメリークリスマス(三)横須賀基地
2021.06.10
続 梓の非日常/終章・船上のメリークリスマス
(三)横須賀基地
梓一行を乗せた戦闘ヘリは、先行する飛行機を追跡する。
やがて目前にその姿が見えてきた。
『追いつきましたよ』
パイロットが指差す方角にエアプレーンが飛んでいた。
「何とか停止させることはできないの?」
「無理ですよ。空中でエンジンを止めれば墜落するだけです」
「まどろっこしいなあ。一発ぶち込んでやれよ。そうしたら俺が飛び込んで助け出してやる」
「どうやって? 助け出したとして、無事に地上に降りれるの?」
「だから……さあ……空中で再び戦闘ヘリに舞い戻るんだよ」
「本気? できるの?」
「さあ……やってみなければ判らないさ」
「もう、冗談は顔だけにして」
成功率百パーセントならお願いものだが、戦闘ヘリは回転翼が邪魔して空中で乗り込むのはほとんど不可能であろう。
「くやしいじゃないか。せっかくの最新装備があるのに……」
VZ/1Z Viperには、AIM/9サイドワインダー空対空ミサイル、AIM/92スティンガー地(空)対空ミサイル他が装備されている。
『まもなく海上に出ます』
前方に東京湾が広がっていた。
エアプレーンは東京国際空港や成田国際空港の飛行コースを避けるように低空飛行を続けていたが、千葉港に差し掛かった辺りで大きく右へと旋回をはじめた。
「こっちの方角には……」
米軍の横須賀基地があった。
と、思った途端。
F/Aー18F戦闘機「スーパー・ホーネット」(第102戦闘攻撃飛行隊)のお出迎えである。
基地に配備されている空母からスクランブルしてきたのであろう。
一瞬にしてすれ違ったと思ったら、後方で旋回して追撃してくる。
完全に後ろを取られてしまった。
ロックオンして攻撃してくるかも知れない。
M61A1/A2 20mm バルカン砲がこちらを睨んでいる。
がしかし、最大巡航速度:150kt /277.8km/h のバイパーとマッハ1.8のスーパーホーネットでは速度差があり過ぎる。
目の前を通り過ぎては、旋回して再び後方に回り込んでくるという仕草を繰り返していた。
やがて眼下に巨大な艦船が目に飛び込んでくる。
ニミッツ級原子力航空母艦の6番艦「ジョージ・ワシントン(CVN-73 George Washington)」である。その両翼には護衛艦のイージス巡洋艦とイージス駆逐艦を従えている。
そして少し離れて、アメリカ海軍第七艦隊の旗艦「ブルー・リッジ(USS Blue Ridge, LCCー19)」が仲良く並んでいた。
排水量 基準 81,600 トン
満載 104,200トン
全長 333 m
全幅 76.8 m
喫水 12.5 m
機関 ウェスティングハウス A4W 原子炉2基
蒸気タービン4機, 4軸, 260,000 shp
最大速 30ノット以上
乗員 士官・兵員:3,200名
航空要員:2,480名
兵装 RIMー7 シースパロー艦対空ミサイル
ファランクス20mmCIWS3基
搭載機 85機
厚木を拠点とする第5空母航空団
横須賀を拠点とする第5空母打撃群
前任の「キティー・ホーク」から任務を引き継いでいる。
RIMー7 シースパロー艦対空ミサイルとファランクス20mmCIWS(近接防御火器システム)が砲口をこちらに向けて自動追尾していた。
そんな中、エアプレーンは「ジョージ・ワシントン」の甲板へと着艦した。
なんで?
軍艦にいとも簡単に着艦した民間のエアプレーン。
常識では考えられないことだった。
『相手側より連絡。眼前の空母「ジョージ・ワシントン」に着艦せよ』
ここは横須賀基地の制空権内である。一機の戦闘ヘリが太刀打ちできるものではない。
『指示に従います』
パイロットが応えて、高度を下げて「ジョージ・ワシントン」の甲板へと着艦した。
着陸した飛行甲板には、たくさんのジェット機が羽を広げて休んでいた。
いつでも飛び立てるように待機しているようだが、すべてエンジンを止めていて発進体勢の機はなさそうだ。
梓たちが戦闘ヘリから飛行甲板に降り立つと、すぐに周りを甲板要員が取り囲んだ。
やはりというべきか銃を構えている保安兵もいる。
やがて人並みが分かれて、高級士官らしき人物が現れた。
にこにこと微笑み両手を広げて迎え入れるように言葉を発した。
『ようこそ、ジョージ・ワシントンへ。艦長のジョン・ヘイリーです』
鷲のマークの階級章と、星にライン四本の肩章は、海軍大佐であることを示している。
火災事故を起こした前艦長のデービッド・ダイコフ海軍大佐に代わって就任したばかりである。
『あ、どうも……真条寺梓です』
訳が分からない一行は唖然とした表情で受け答えする。
そういった事情を知ってか知らずか、艦長は表情をくずさずに案内をはじめた。
『どうぞ、こちらへ。みなさんがお待ちになっております』
と、先に歩き出す艦長。
顔を見合わせる梓一行たちだが、ここは着いて行くしかないようである。
梓、慎二、麗華という順番で歩き出す。
いかに巨大な航空母艦といえども戦闘艦であるから、人がすれ違うのがやっとというくらいに、その通路は意外にも狭い。
特に浸水や火災などのダメージコントロール(damage control)対策としての防護壁が要所に配備されていて、その重厚な扉に身体を屈めてくぐらなければならなかった。
軍艦などの「ダメージコントロール」についての情報は最高機密扱いとなる。太平洋戦争中に大規模な海戦を経験したアメリカ海軍や大日本帝国海軍の頃の戦訓を取り入れた海上自衛隊の艦艇と比べ、それらの経験が比較的少ないヨーロッパ諸国の艦艇は、現在でも可燃性のある材質を使用していたり被弾しやすい箇所に弾薬庫や士官室が配置されているなどの点が見られる。
こういったものは実戦を経験して初めて得られるノウハウでもあるため、訓練等で補うのは難しく、フォークランド紛争においてイギリス海軍の駆逐艦シェフィールドがエグゾセ対艦ミサイルの攻撃を受けた際、不発だったにも拘らずミサイルに残された燃料による火災が発生。これに加えて信管の解体に失敗して爆発が起こり、シェフィールドは沈没している。
何度かの防護扉をくぐりぬけて、やっと広い空間に出た。
そこは、飛行甲板の真下の広大な格納庫だった。
多くのジェット機は飛行甲板に揚げられていて、ここに格納されているのは少数だ。
それもそのはずで、格納庫にはテーブルが並べられて、豪勢な料理が盛り沢山に飾られていたのである。
中央のテーブルには巨大なケーキが、据えられていた。
すると、
『メリークリスマス!』
誰かが叫んだ。
それを合図に方々でクラッカーが鳴らされ、
『メリークリスマス!』
の大合唱がはじまった。
数人の儀礼用の制服を着込んだ高級士官が歩み寄ってきた。
その中の一人の肩章には銀星印が三つ。
つまりは、階級が中将(Vice Admiral)ということになる。
ここ横須賀で中将となると、第46代・第七艦隊司令長官のジョン・ハート中将である。指揮艦「ブルーリッジ」から移乗してきたらしい。
米海軍作戦本部作戦次長(作戦・計画・戦略担当)に転出したウイリアム・クラウバー中将の後任である。
『ジョージ・ワシントン船上クリスマス・パーティーにようこそ』
と言われて、
『船上クリスマス・パーティー』
唖然とするばかりの梓だった。
『驚かせてごめんね』
背後から聞き覚えのある、懐かしい声が届いた。
振り向くと、
『ママ!』
梓の母親の渚だった。
実に久しぶりのご対面だった。
『ママが仕組んだのね』
母親が姿を現したことで、すべてが納得できた。
絵利香の誘拐は、梓をこのジョージ・ワシントンへと誘い込むための偽装だったのだ。
太平洋艦隊司令長官ボブ・ウィロード大将と懇意だからこんな演出も可能であろう。
渚の後方から絵利香が姿を現した。
『絵利香! 無事だったのね』
『無事も何も、渚様の企みだったのね』
『まったく……我が母ながらなんともはや』
そんな中ただ一人、ぽつねんと呆然としている男が一人。
沢渡慎二は圧倒されつづけていた。
第七艦隊司令長官の後方には、さらに高級士官が待機していた。
第五空母打撃群の司令官、リック(Richard)・アレン海軍少将。
第五空母航空団の司令官、マイク・ブラック大佐。
在日米海軍司令官、ジェームズ・D・カリー少将。
ジョージ・ワシントン新艦長ジョン・R・ヘンリー大佐。
横須賀基地司令官グレゴリー・コーバック大佐。
ドナルド・スプリング海軍長官(アメリカ合衆国海軍省における文官の最高位)。
そして駐日大使のトーマス・チーパー。
二度とはお目に掛かれない豪華なメンバーだった。
日本周辺及び極東の平和を守る世界最強の艦隊を運営する諸々の高級士官達である。
大人たちにはシャンパンが開かれ、梓たちにはレモンスカッシュが振舞われた。
そしてもう一度。
『メリー・クリスマス!』
第七艦隊最新航空母艦、ジョージ・ワシントン船上でのクリスマス・パーティーのひとときであった。
米軍所属の艦艇や所属などは、執筆当時のものです。
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梓の非日常/第二部 第七章・船上のメリークリスマス(二)大追跡
2021.06.09
続 梓の非日常/終章・船上のメリークリスマス
(二)大追跡
その時、前方から見知った大型バイクが近づいてきた。
乗員はフルフェイスのヘルメットを被っているので誰かは区別がつかないが、バイクは明らかに慎二のものだった。
こちらはファントムⅥ、相手が気づかないはずがなく、交差点でUターンして追いかけてきた。
側面に付けると、窓ガラスをトントンと叩いて、窓を開けるようにうながしている。
「白井さん、窓を開けてください」
窓が開く。
相手が大声で語りかける。
「梓ちゃん、そんなに急いでどこへ行くんだ?」
やはり慎二だった。
「絵利香が誘拐されたのよ」
風の音に負けないように、梓も大声を張り上げる」
「誘拐?」
「そうよ。今、追いかけているところよ」
「判った!」
すぐに事態を理解したらしく、慎二はファントムⅥの後方に付いて追従してきた。
一進一退が続いていたが、どうあがいても追いつけない情勢となっていた。
「石井さん。相手に飛行機に乗られて逃走されても、その軌跡を追跡できるわよね」
「もちろんです」
「なら、そうしてください。もちろん民間や米軍・航空自衛隊の管制センターではなく、真条寺家独自の管制センターでよ」
「判りました」
梓が言っているのは、若葉台研究所の地下に極秘裏に存在する衛星管理追跡センターのことである。
すでに臨戦態勢であるのはとっくのことであるが、梓にはまだ知らされていない。
「このまま飛行機で逃げられるのもしゃくね。石井さん、止めてくれるかしら」
「わかりました」
そして、窓を開けて後続の慎二に合図を送った。
気がついてそばに寄ってくる慎二。
「何か用か?」
「このままでは追いつけない。そっちのバイクに乗って追いかける」
「二人乗りでかい? しかもそのドレス」
「大丈夫よ、ミニドレスだから」
梓の着込んでいるパーティードレスは、丈の短い膝上スカートである。ドレスのままバイクに跨ることも可能であろう。
もっともドレスを着込んだ二輪ライダーというのも、道行く人々を驚かせるには十分であろう。
「しかし、この寒空だぞ」
「大丈夫。これくらいの寒さで凍えていたら、ミニの制服着れないわよ」
「そ、そうかあ?」
確かに、ただ歩くだけならミニでもいけるだろうが、自動二輪に跨って正面からの冷たい風をまともに受ければ凍傷にだってなるかもしれない。
「いいから、追いかけなさい。寒さは根性で耐えるから」
「わ、わかった」
二台の車が停車し、梓は自動二輪の後部座席に跨った。
「石井さん。済みませんけど、後から追いかけてきてください」
「かしこまりました」
後部座席の脇に取り付けられている予備のヘルメットを梓に渡す慎二。
受け取って頭に被る梓。
「しっかりつかまっていろよ」
「あいよ」
重低音を響かせて発進する自動二輪。
石井を残して、タンデムで先行する暴漢者の車を追いかける。
自動二輪の機動性と速度は、石井がいかにレースドライバーでも、ファントムⅥではとうてい出せないものだった。
メーター振り切れば、ゆうに時速二百キロは出る。
自動車で渋滞した道路でも、脇の隙間を縫うように走って、交通渋滞も皆無である。もちろんそれなりの運転テクニックが必要だが。
梓は、すさまじい風圧に耐えていた。
ドレスの裾は、風にあおられてひらひらと捲くり上がり、ショーツが丸見えとなっている。
道行く男達は一様に驚き、鼻の下を伸ばしている。
しかし、悠長なことは言っていられない。
絵利香が大変なことになっているやも知れないのである。
やがて暴漢者達の乗った自動車が目前に現れた。
ついに追いついたのである。
「あの車よ。脇に着けて」
「判った」
さらに加速して、暴漢者達の車にバイクを横付けする慎二。
その車の中に捉えられた絵利香の姿があった。
「絵利香!」
絵利香もこちらに気づいて、窓に両手を当てるようにして助けを求めていた。
「梓ちゃん!」
見つめあう梓と絵利香。
「待ってて、今助けるから」
その声が届いたかどうかは判らぬが絵利香の表情に赤みがさしていた。
ウィンドウを隔てての再会。
絵利香が何か言っているようだが、防音ガラスらしく聞こえない。
突然助手席の窓が開いて何かを握った手がでてきた。
自動拳銃である。
銃口はこちらを向いている。
危険を感じ取った慎二はすかさず後退して車の真後ろに回った。
「危ねえなあ。これじゃ、完璧に人質じゃないか」
どうしようもなかった。
相手が拳銃を持っているとなると、絵利香は人質に取られているといってよかった。
ただ追いかけるだけである。
桶川飛行場が近づいている。
「もっと飛ばせないの? このままじゃ逃げられちゃう」
「しようがねえだろ、タンデムで走ってるんだ。そうそう飛ばせるか!」
梓はポシェットに入れていた携帯を取り出した。
ボタンを操作すると、地図が現れて二つの光点が表示された。
ファントムⅥの端末で表示されたデータを、この携帯でも受信できるようになっていた。
「時間差にして約二分……」
カーチェイスにおいて二分の差は致命的である。
空でも飛ばない限り追い上げることはほとんど不可能である。
いつかの峠バトルのようにはいかない。
それでも少しずつではあるが、距離を縮めてはいた。
相手にアクシデントが発生するのを期待するだけである。
上空にヘリコプターが現れた。
それもただのヘリではない。
AH/1Z Viper と呼ばれる米軍海兵隊などに配備された最新鋭戦闘ヘリである。
これを所持しているもう一つの組織がある。
真条寺家私設軍隊とも呼ばれるAFCセキュリティーシステムズ所属の傭兵部隊である。かの研究所に侵入し逃亡しようとしたスパイを狙撃した、あのスナイパーの所属部隊である。
戦闘ヘリは明らかに桶川飛行場へと向かっていた。
「麗華さんが手配したのかしら?」
これで対等に渡り合えることができる。
桶川飛行場に近づいてきた。
すると一機の飛行機が飛び立ってゆく。
おそらく絵利香を乗せた誘拐犯達が乗り込んでいるのだろう。
やはり間に合わなかった。
とにかく急ぐ。
桶川飛行場に着くと、先の戦闘ヘリが待機していた。
誘拐犯の飛行機とすれ違った際に、撃墜してくれればと一瞬思ったが、絵利香が搭乗している限りそれは出来ない相談である。
いつでも発進できるようにエンジンをかけたままにしている戦闘ヘリから降りてきた者がいた。
竜崎麗華だった。
「いつでも追跡可能です」
「すぐに追いかけてください」
戦闘ヘリに乗り込む梓と麗華、そして慎二も。
エンジンの回転数が上がって、轟音と共に戦闘ヘリは宙に浮かび上がった。
「これを耳に当ててください」
渡されたのは騒音防止兼用の通話装置を備えたヘッドウォンだった。
戦闘ヘリの中では騒音がうるさくて生の会話など不可能であるからだ。
耳に宛がうと、スピーカーから麗華の声が聞こえてきた。
「絵利香さまを乗せた飛行機は海上へと向かっているようです」
「急いで! 見失わないで」
梓にパイロットが応答する。
「了解! まかせてください」
カーチェイスからエアレースに変わっての追跡劇が始まる。
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梓の非日常/第二部 第七章・船上のメリークリスマス(一)暴漢者達
2021.06.08
続 梓の非日常/第七章・船上のメリークリスマス
(一)暴漢者達
12月24日。
世の中はクリスマス一色でお祭り騒ぎである。
梓と絵利香の二人もクリスマスパーティに招かれて米国大使館へと向かっていた。
ファントムⅥの車中にて招待状を広げている梓。
その姿はパーティードレスに身を包んで、さすがにお嬢様という雰囲気に満ち満ちていた。
「慎二君も一緒に連れてくれば良かったのに」
てっきり二人揃って参加するものと思っていた絵利香だった。
「ふん。あんな奴を誘ったら物笑いになるだけよ」
と、鼻息を荒げて答える梓。
実際にも前例があるだけに、その気持ちも判らないではない。
二人の会話は、運転席との間に設けられた遮音壁に遮られて白井には聞こえないようになっている。
田園地帯をゆったりと進んでいる。一般車両みたいに先を急ぐような走りはしない。
仮にファントムⅥが細い道を塞ぐような状態になっても、クラクションを鳴らして急かしたり、無理やりに追い越そうなどという車はいない。
黒塗り高級外車=暴力団、という先入観があるからである。
やがて川越市から富士見市へと続く富士見川越バイパスへと進入する。
と、突然。
後方から猛スピードで追い上げてくる数台の自動車があった。
追い越しざまファントムⅥの前を封鎖するように急停車した。
さらに側面と後方にも停車されて身動きの取れない状況となった。
「な、なに?」
怯えたように絵利香が震えている。
「あたし達の追っかけファン……というわけでもなさそうね」
車外を見つめながら梓が答える。
「よく、落ち着いていられるわね」
「この程度のことじゃ、驚かなくなっていてね」
確かに、命を失う危険のある出来事に何度遭遇したことか。
「お嬢様、賊が出てこいと言っておりますが」
窓ガラスは防弾・防音となっているので、外の音は梓たちには聞こえない。運転上の必要性から白井だけに、外の音が聞こえるようになっている。
「ここは、おとなしく言うことを聞くしかなさそうね。ドアロックを開けて」
「かしこまりました」
ドアロックは運転席で白井が操作するようになっている。降りる際に不用意にドアを開けて、後続の車両に追突されるのを防ぐためである。白井は周囲に常に気を配って乗降の確認を取っていた。
「開けました」
ドアロックを解除する白井。
ドアを開けて車を降りる梓。
絵利香も続いて降りる。
その時だった。
「きゃあ!」
悲鳴を上げる絵利香。
暴漢者達が絵利香を抱きかかえるようにして乗ってきた車に押し込み、急発進して逃げ出したのである。
「絵利香ちゃん!」
残された梓だが、立ち塞がるようにしている居残りの暴漢者達に遮られて身動きできなかった。
絵利香が誘拐された?
成すすべがなかった。
絵利香を連れ去った車が遠く離れて見えなくなると、居残った暴漢者達は身繕いを整えると、乗ってきた車に乗って立ち去っていった。
自由になった梓は、早速携帯で麗華に連絡を取った。
「ああ、麗華さん。今から、衛星を使って追跡してもらいたいものがあるんだけど」
『追跡ですか?』
「実は、絵利香ちゃんが誘拐されたのよ」
『絵利香さまが誘拐された!?』
「そうなのよ。それで、絵利香ちゃんの持っている携帯からの電波を受信して追跡してもらいたいのよ。できるでしょ?」
『ええ、まあ……。できないことはありませんけど……』
「それじゃあ、お願いします」
『判りました。しばらくお待ちください』
ここは若葉台にある衛星管理追跡センター。
北アメリカ航空宇宙防衛司令部(NORAD)と見まがうばかりの設備機器及び人員が揃っている。
その任務は、地球軌道上に浮かぶ人工衛星の管理運営である。
これまでにも登場した【大容量高速通信衛星(AZUSA/1・2・3号機】【資源探査気象衛星(AZUSA/4・5・6・7号機)】などがある。
「軌道修正完了。発射位置に着きました」
「レーザー冷却装置作動中。BEC回路に異常ありません」
「燃料ペレット注入」
「AZUSA9号M機、発射体勢に入りました」
AZUSA9号は、原子レーザーを搭載した実験衛星である。末尾に(M)と付いているのは13機目ということで、実験衛星がゆえに世代交代が著しい。
若葉台研究所が開発した原子レーザーの宇宙空間における実用に向けての実験が繰り返されている。
その他、【多目的観測実験衛星(AZUSA/8・9・10号機)】という天体観測や宇宙実験を行う人工衛星もある。原子レーザー搭載の核兵器転用可能な実験衛星も含まれている。
「司令、麗華様より連絡。お近くのヴィジフォンに出て下さい」
「判った」
司令と呼ばれた人物は、すぐそばにあった端末を取って応えた。
「キャサリン・レナートです」
神妙な表情で連絡を受けているキャサリン。
通話を終えると副司令に向かって、
「彩香。急用ができた。後を引き継いでくれ」
指示を与えた。
彩香と呼ばれた副司令が応える。
「かしこまりました」
指揮を交代すると、別のオペレーターに指示を出すキャサリン。
「AZUSA10号と連絡を取ってくれ」
「はい」
AZUSA10号とは、情報収集宇宙ステーションのことである。常時十人のスタッフが滞在して、地球上のあらゆる情報を収集している。
飛び交う電波通信を傍受したり、海上の船舶や航行機などの追跡を行っている。
サンダーバード5号という異名で呼ばれることも多い。イギリスの特撮人形アニメに登場するメカであるが、詳しくはネット検索して欲しい。
「これから伝える電話番号を持つ携帯電話から発信される電磁波をキャッチして、その移動を追跡してくれ。番号は、090○○○○××××だ」
連絡を終えると、そばにいたオペレーターが尋ねた。
「何事ですか?」
「梓お嬢さまのご親友の絵利香さまが誘拐されたらしい」
「誘拐!」
「真条寺家の総力をあげて、絵利香さまをお救いするようにとの厳命だ」
軌道上に浮かぶ宇宙ステーション。
AZUSA10号の船内オペレーションルーム。
狭いながらも効率的に配置された機器・端末に向かって忙しそうに働いている。
「どうだ、確認できたか?」
というのは、チーフオペレーターである。
「はい。絵利香様の携帯電話番号の発振周波数が特定できました」
「よし、早速探知開始せよ」
「了解。発振電波を探知して位置を特定します。三分お待ちください」
「遅い、一分でやれ!」
衛星管理センターからの厳命があった。
一刻一秒でも早く、絵利香を探し出せと。
「特定できました! 現在川越市から桶川市へと移動中です」
「よし。それを衛星管理センターへリアルタイムで伝送しろ!」
「了解。衛星管理センターへ、リアルタイムで伝送します」
富士見川越バイパスの側道に停車しているファントムⅥに搭載している端末に、絵利香の位置情報が転送されて表示されていた。
「お嬢さま、データが転送されてきました。そちらのモニターにも絵利香さまの位置情報を表示します」
後部座席にもモニターがあった。
それにリアルタイムの絵利香の位置情報が赤い点滅で示されていた。
点滅は北へと向かっていた。
「おかしいわね。なぜ、北に向かうのかしら」
「この方角ですと桶川市に向かっているようです。その先には……桶川飛行場があります」
「それだわ! 陸上だと道路封鎖をされるから、飛行機を使って逃げるつもりね。急いで追いかけましょう。石井さん、お願いします」
「かしこまりました。シートベルトをしてください。飛ばします」
その走りは、とても石井とは思えないほどのものだった。
道行く車を片っ端から追い抜き、まるでカーチェイスでもやっているかのごとくのものだった。
それもそのはず、石井はかつてレースドライバーだったのだった。
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梓の非日常/第二部 第六章・沢渡家騒動?(五)そんでね……
2021.06.07
続 梓の非日常/第六章・沢渡家騒動?
(五)そんでね……
数日後。
慎二が学校からアパートに戻ると部屋に鍵が掛かっていた。
「おかしいな……」
ろくな家財道具を持たない慎二は、部屋に鍵を掛けたことがない。当然として鍵を持ち歩くこともなかった。鍵は部屋のどこかにあるはずだが、とっくにその置き場所は忘れてしまっていた。
「しようがないなあ。大家に合鍵借りるか」
と引き返そうとした時、階段の下に近藤が待ち受けていた。
「お待ちしておりました」
「近藤……」
「アパートの契約は、旦那様のご命令により解約いたしました。もうここには戻れません」
「なんだとう。余計なことしやがって」
「旦那様は、屋敷にお帰りになるようにとの仰せです」
「よけいなお世話だよ。成金主義で凝り固まった屋敷なんかにいちゃ、身体が腐っちまうぜ」
と、無視して立ち去ろうとする慎二。
「どちらへ?」
「野宿でもしながら暮らすさ。インターネット・カフェという手もあるしな」
「それではまるで浮浪者じゃないですか」
「浮浪者だよ。悪いか」
「そんなこと、この近藤が許しませんぞ。旦那様がお怒りになられます」
「親父なんかどうでもいいよ。親父は親父、俺は俺だ」
「実の親子ではありませんか。仲直りはできないのですか」
「仲直り? あいつがそんな殊勝な気持ちになるもんか。話はこれまでだ、近藤元気でな」
近藤を振り切って、歩き出す慎二。
「お待ちください! それでは、私の責任が果たせません」
近藤が強い口調で慎二の動きを制した。
「責任?」
振り返って近藤の顔を見ると、きびしい表情で慎二を睨みつけていた。
「そういや、こいつ。さっきから感情を出さずに淡々としゃべってやがった」
口癖であったお坊ちゃまという言葉も一言も発していなかった。
慎二のお守り役という立場ではなく、主人の命令に従う使者として来ているようであった。
説得に失敗して、慎二を連れ戻すことができなかった時、くびを言い渡されるか、さもなくば辞表を提出するしかない。それが責任問題であることは、慎二にも容易に想像ができた。
「ちきしょう、おやじのやつ。俺を連れ戻すために近藤を引き出しやがって」
慎二の脳裏に、幼い頃からの記憶が走馬灯のように現れては消えていった。
小学生の頃、近所の子供と喧嘩をして相手に怪我をさせた反省として土蔵に閉じこめられた時、窓から自分の弁当を差し入れてくれたこと。中学生の不良達に袋叩きにされている時、飛び込んできて慎二の身体に覆い被さり、身を呈してかばってくれたこと。入院した時も、家族の誰一人見舞いに来ない中、徹夜で必死に看病してくれたこと。
いつも近藤ただ一人だけが、親身になって慎二の事を思いやってくれていた。それは今も昔も少しも変わっていなかった。
慎二の瞳から、うっすらと涙がにじみでていた。涙がこぼれないように空を仰ぐ。
「わかったよ。家に戻ればいいんだろ」
上着の袖で涙を拭きながら、待ち受けていた車に乗り込む慎二。
「お坊ちゃま……」
近藤の目にも溢れる涙があった。
初雁城東高校。
登校する梓達。
その後方から、重低音のエンジンを鳴り響かせて、自動二輪車が追いかけてきた。
「よお、梓ちゃん。おはよう!」
慎二だった。
「おまえ、自転車通学じゃなかったのか? ガソリン代が払えなくてバイクは乗れねえとか言っていたじゃないか」
「ああ、ちょっとな。小遣いが入ったんだ」
「小遣い? 親父さんに貰ったのか?」
「その通り。実は家に戻ることになってね」
「おい、バイク通学は禁止だろう。先生に見つかったらやばいぞ。早くそれを隠してこい。詳しい話は教室でだ」
「判った!」
再び高らかなエンジンと共に走り去る慎二だった。
教室で慎二を囲んで談笑する梓達。
「ふうん。それで、屋敷に戻ったんだ」
「その近藤さんって、梓ちゃんとこの、白井さんと同じね」
「境遇が似ているから? 子供の頃からずっとお抱え運転手してると自然に情が移って、自分の子供みたいに思えるんじゃないかしら」
「天使と悪餓鬼という相違はあるけどな。それを守りぬこうとする固い意志が、働いていたのは共通しているみたいだ」
「いいなあ……わたしにはお抱え運転手いないから」
いつも梓と一緒で、送り迎えには白井の運転するファントムⅥに便乗することの多い絵利香には、お抱え運転手の必要性がなかった。
「何言ってるの、白井さんがいるじゃない。絵利香ちゃんのことも、しっかりサポートしてくれているわよ」
「それは知ってるし、感謝しているけど。やっぱりねえ……」
「戻ったはいいが、梓ちゃんを屋敷にお連れしろとしつこく言われ続けるのはかなわんぞ。今じゃすっかり梓ちゃんの信奉者だよ」
「行きたくないからね」
「そう言うと思っていたよ」
「お小遣いを貰えるようになったんだ。それじゃあ、アルバイトの方はどうするの? やめる?」
「続けるさ。相手も頼りにしているし、途中で放り出すのは無責任だよ」
「うん。それでこそ慎二君よ。ご立派」
「おだてるなよ。とにかく小遣いをくれるというなら、ありがたく貰っておくことにしたんだ」
「とにかく家に戻れて良かったじゃない。何があっても親子なんだから」
「まあ、そういうわけだから。これからもよろしくな」
「はい、はい」
慎二が貧乏生活を続けていることを心配していた梓達。
毎日インスタントラーメンだとかを食していて、身体を壊さないかと気を揉むこともなくなるわけである。
まずは、生活の安泰を祝して、
「よおし! 今日は俺が奢ってやるぞ」
慎二が提案した。
「いいね、それ」
「シャルル・ソワイエがいいんじゃない?」
「なんだよそれ?」
「知らないの? 今流行りの洋菓子店よ。マカロンがおいしいの」
「マカロン?」
「フランスでは人気のあるお菓子の一つよ」
「まあ、いいや。そこに行こう」
というわけで、授業を終えた放課後。
連れ添って、シャルル・ソワイエへと向かうクラスメート達だった。
第六章 了
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梓の非日常/第二部 第六章・沢渡家騒動?(四)お帰りはあちら
2021.06.06
続 梓の非日常/第六章・沢渡家騒動?
(四)お帰りはあちら
「あら、もうこんな時間……。ずいぶんとお話に夢中になっておりましたわ。お忙しいのでしょう?」
梓が先に切り出した。
「あ、はい」
「お引止めして申し訳ありませんでした」
「いえ、どういたしまして」
安堵の表情を見せる沢渡夫妻。
この息苦しさからやっと解放される。
「どうもお邪魔いたしました」
立ち上がり、おいとまする沢渡夫妻。
「機会がございましたら、またお越しくださいませ。今度は慎二様とぜひご一緒にどうぞ、歓迎いたしますわ」
とは言われたものの、沢渡夫妻は二度と来たくないと思った。
本物の財閥令嬢との格差を痛感させられ、身の程知らずで来訪した自分達の馬鹿さ加減を思い知らされていた。
慎二が良く言っていた。
「あんたらは単なる成金主義に凝り固まり、人を見下している。本当の金持ちがどんなものか知らないだろう。きっといつか後悔するよ」
まったくそのとおりだと思った。
バルコニーを退散する沢渡夫妻。
梓のお見送りはなしである。
椅子に腰掛けたまま、夫妻が出て行くのを見守っていた。
「ご夫妻がエレベーターにお乗りになられました」
途端に笑い転げるメイド達。
エレベーターに乗れば、笑い声も届かないからである。
「お嬢さま、いったいあの方とはどのような事情があったのですか?」
普段の梓お嬢さまからは、想像もしないような身の振り方を見れば、何かがあったと考えるのが自然である。
明らかに沢渡夫妻に対して、やり込めようという意思が見え見えだった。
「実はね……」
沢渡家で手酷い扱いを受けたことを正直に話す梓。
「まあ、お客さま扱いしないなんて、とんでもありませんわね」
「人を差別するなんて最低です」
「確かに慎二君は不良っぽいところはありますが、その友達まで不良だと断定するなんて」
「あのね、慎二は不良なの! そこのところ間違わないでね」
「不良は不良でも、正義の味方の不良です」
「意味深な言い回しね」
事情を納得したところで、
「あの方達、またお見えになりますかね」
「来ないんじゃない?」
「そうですよね。成金主義だといいますから、プライドだけは高いでしょう」
「プライドが皮を被った人間です」
「その話はやめてお茶にしましょう。マカロンが丁度十二個残っていますから、二個ずつね」
沢渡夫妻は結局、お茶菓子には手を付けなかったので、そのままそっくり残っていたのである。
あの日、聞こえよがしに、
『よけいな客には、茶菓子は出さんでいいと言ったはずだぞ』
と言った手前から、普通の神経を持ち合わせていれば当然だろう。
「いいんですか?」
「もちろん」
「やったあ!」
「このマカロン、とてもおいしいんですよね」
梓を囲むようにしてテーブルに着席するメイド達。
一般的に、主人と同じ席にメイドが座ることなどあり得ない事だ。
梓と一緒にティータイムをくつろぐメイド達。
そこへ、沢渡夫妻を見送った麗華が戻ってくる。
「あ、ごめんなさい。麗華さんの分ないの」
「いえ、結構です」
メイド達が仕事を休んで、くつろいでいる風を見ても、咎めない麗華だった。
梓お嬢さまの意向であることは明白だろうと気にも止めていない。
いつものように冷静に報告をする。
「ご夫妻はお帰りになられました」
「満足してる様子だった?」
「いえ、それは計り知れませんが……」
「お嬢さまは、仕返しをなされたのです」
美鈴が横槍を入れた。
「仕返し?」
首を傾げる麗華に、梓に代わってメイド達が事情を説明していた。
「なるほど、そういうわけでしたか」
「仕返しするなんて、感心しないことなんだけど、あまりに酷い客扱いだったから」
「お手本をお見せしたということですか」
「まあ、そういうことになるかしら」
「屋敷の者達には半数ずつ交代で休息を取るように伝えてあります」
国賓クラスの接待で従業員を総動員させたための処置であろう。
働くときには一所懸命働く、休むときには心を楽にしてゆっくりと休む。
真条寺家に働く従業員のための訓示七か条の一つである。
「ご配慮ありがとうございます」
「それでは私もこれから休憩に入ります」
「ごゆっくりどうぞ」
麗華がくるりと背を向けて自分の部屋へと向かった。
その後姿を見つめながら美鈴が呟くように言った。
「麗華さまは、ちょっとお疲れのようですわね」
「そりゃそうでしょ。粗相のないように屋敷の者全員に目を配っていたんですから」
「最高責任者の気苦労ですね」
麗華が休息を終えて戻って来たときには、メイド達はそれぞれの配置について専属メイドとしての役目を果たしていた。
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