妖奇退魔夜行/第七章 血の契約
2020.11.28

陰陽退魔士・逢坂蘭子/血の契約


其の壱


 少女は美しくなりたいと願った。
 それは叶えられ少女は美しくなっていった。
 しかし、そのために多くの犠牲者を生み出すと知ったとき、少女は自分の運命を呪った。



 阿倍野女子高校校舎内廊下。
 一人の女子生徒がおどおどしながら歩いている。
 と、突然。いかにも柄の悪い連中が現れて女子生徒を取り囲んだ。
「おい。ちょっと顔貸せや」
 無理矢理校舎裏に連れて行かれる女子生徒。
 くちゃくちゃとガムを噛んでいる者、煙草をくわえている者、反教師的な態度を示す連
中に囲まれて、小さくなって震えている女子生徒。
「出せや」
 と、リーダー格らしき生徒が手を差し出す。
 多勢に無勢、逆らうことのできない生徒は黙って財布を差し出す。
 それをひったくるようにして受け取り中身を確認すると、
「何だよ、これっぽっちしかないのかよ!」
 と、怒りの声を上げる。
「それで、おこづかいの全部です」
「お、こいつ。口答えしよったで」
 腹を蹴られ、地面に平伏してしまう女子生徒。
「どうします? 安次郎に渡しますか?」
「援交かよ……。よせよ。こんなシミ・ソバカスだらけのブス女なんか紹介したら物笑い
ものだぜ」
「そりゃそうですけど」
「女なら誰でも、という男もおるで」
「信用問題なんだよ」
「そんなもんですかね」
「それにしても、こんなひどいブスはいないですよね」
「最悪のブスだな」
 ブスという言葉を語調を強めてからかうリーダー。
「本当ですね」
 一斉に笑い声を上げて同調するグループ。
 やがて女子生徒をその場に残して立ち去ってゆくグループ。
 地面に平伏したまま泣いている女子生徒。

 生徒の名前は佐々木順子という。
 顔にできたシミ・ソバカスが原因で陰湿な虐めにあっていた。
「どうしていじめられなきゃならないの……」
 順子は運命のいたずらを恨んだ。
 何度自殺しようかとも思っていた。
 鞄の中には手首を切るためのナイフが忍ばせてある。
 しかし勇気を出せずに、未だに自殺には至ってはいない。
 やはり命を絶つには、恐ろしさの方が先に立ってしまうからだ。

 魂って本当にあるのだろうか?
 死んだら身体から魂が抜け出して、天国や地獄へ行くことになるのだろうか?

 考えても仕方のないことであるが、どうしても思い悩んでしまう。
「死にたい……」
 結局、たどり着く思いは一つであった。


 と、突然のことであった。
『そんなに、死にたいのか』
 どこからともなく声が聞こえた。
 あたりを見回すが人影はなかった。
『死んでどうなる?』
 また聞こえた。
 声のした方へと意識を集中する順子。
『こっちだ』
 声はうっそうと茂る草むらの中から聞こえてくるようだった。
 這うようにして草を掻き分けていく順子。


 草むらの中、朽ちた木の根元に隠れるように小さな祠があった。
「こんな所に、祠があるなんて……」
 学校の敷地内にひっそりと安置されている祠。
 何かいわくのありそうな雰囲気であった。
『どうした? ここに祠があるのがそんなに不思議か?』
 こんどははっきりと聞こえた。
 まるで祠の中から聞こえてくるみたいだった。
 祠の扉の合わせ目には、何やら文字のようなものが書かれた札が貼られていた。
『済まぬが、その貼られた札を剥がしてくれないか』
「お札を?」
『そうだ』
 恐る恐る札を剥がしていく。
 札を剥がした途端だった。
 扉が勝手に開いて、中から一陣の風が吹き抜けた。
 何かが飛び出してきたように感じた。
 祠の中には木像の狐が安置されていた。
「稲荷神?」
 稲荷神は屋敷などの片隅や、最近ではビルの屋上などに祀られることの多い、ごく一般
的に日本で見られた風習の一つである。
 学校の敷地内にあっても、何ら不思議はないというわけである。
 ただ、この祠は長い間忘れ去られ、風雪に朽ちるままになっていたというところであろ
う。


其の弐


 その祠の稲荷神が語りかけてくる。
『おかげで自由の身になれた。お礼におまえの願いをかなえてやろう』
 声は続いていた。
 というよりも、順子の頭の中に直接語りかけているという方がいいかも知れない。
「願い?」
『そうだ。何でも叶えてやるぞ』
 相手は姿が見えないが、神かそれに類するものだろう。
 本当に願いを叶えてくれるかもしれない。
 だとしたら……。

 美しくなりたい。
 シミ・ソバカスのない綺麗な肌がほしい。

 いじめに合うのはそれがため。
 願いを叶えてくれるというのなら……。

 順子はそれを言葉に出した。
『判った。その願いを叶えてやろう。ただし、それには儀式を執り行う必要がある』
「儀式?」
『なあに、簡単なことだ。願いを唱えながら、祠の中の狐の像に、自らの血を注ぐだけ
だ』
「血を注ぐ?」
『鞄の中にあるナイフで指先を少し切って血を流すだけで良い。自らの命を絶つことを考
えれば容易いことじゃないか』
「どうしてそれを?」
 声の主は、何でもお見通しのようであった。

 鞄の中にナイフが入っていること。
 それで自殺しようとしていたこと。

 鞄を開いて中からナイフを取り出して指先にあてがう順子であったが、さすがに勇気が
必要だった。
 そして気がついた。
 指先を切るくらいでこんなに躊躇してしまうような自分には、とても自殺などできない
のだろうと。
 指先に力が入る。
 いつっ!
 鋭い痛みが走って、指先から血が流れ出す。
 そして願いを叶えながら、その血を祠の中の狐像に注いだ。

 美しくなりたい!
 と……。

『願いは聞き届けたぞ。血の契約により、おまえは誰よりも美しくなり、傷一つない肌を
保つことができるようになるだろう』

 するとどうだろう。
 血を流していた指先の傷が見る間に治り、跡形すら消えてしまったのである。
 呆然とする順子。
 やがて立ち上がって、ゆっくりと校舎内へと入っていった。


 順子が立ち去った校舎裏。
 入れ替わるように蘭子がやってくる。
 異様な気配を感じ取って、校内を見回っていたのである。
「このあたりが特に感じるわね」
 ほどなくして、草むらの中の祠を探し当てる蘭子だった。
 そして剥がされたばかりと思われる呪符も見つける。
 当たり一帯に妖気が漂っているのを敏感に感じ取っていた。
 祠に封印されていた【人にあらざる者】が、何者かによって解放されてしまったらしい
ことを悟った。
 そして祠の中の狐像に付着した血痕。
 つい今しがた付けられたらしく、まだ乾ききっていない。
「血の契約か……」
 血の契約を結ぶそのほとんどが高級妖魔である。
 尋常ならざる戦いとなることは必定であろう。
「面倒なことになったわね」
 呪符を拾い上げて鞄の中にしまう蘭子。
 呪符にかけられた呪法を解析することで、何らかの手がかりが得られるかもしれないか
らである。
「何よりもまず、こいつを解放した当人を探し出す必要があるわね」
 この祠はどうするか?と一瞬迷ったが、中身がないものを持ち歩いてもしようがない。
 このまま置いておくしかない。

 狐像というと、誰しも稲荷神を思い起こさせるが、
「この狐……荼枳尼の狐のようだ……」
 荼枳尼(ダーキニー)とは、ヒンズー教やインド仏教において、人を惑わし食らう魔物
とされている。
 日本では稲荷信仰と混同されて習合し、一般に白狐に乗る天女の姿で表される。

「誰!」
 突然立ち上がって辺りを警戒する蘭子。
 誰かがこちらの様子を伺っている気配を感じたのである。
 しかし、次の瞬間には気配は消えてしまった。
「妖魔……じゃないわね。誰だったのかしら」
 祠を解放した人物ではないことは確かである。
 ただならぬ者であることは間違いなかった。


其の参


 その夜。
 帰宅途中の女性が襲われ変死を遂げるという事件が起こった。
 事件現場は物々しい警戒体制が敷かれ、パトカーが何台も出動して道を封鎖していた。
 何事かと集まってくる野次馬達。
 付近一帯の住民達への聞き込み捜査が開始される。
 現場責任者として府警本部から、殺人担当の我らが井上課長が派遣されていた。
 野次馬の中に巫女装束をした蘭子が現れる。
「こりゃ、近づいちゃいかん」
 仕切りロープをくぐろうとする蘭子を警察官が制止する。
「責任者の井上課長に取り次いでください。呼ばれてきたのですから」
「呼ばれた?」
 怪訝そうな表情をする警察官だったが、蘭子の声を聞き分けた井上課長がやってきた。
「その娘を中へ入れてやれ。私が呼んだのだ」
 許可を得て、仕切りロープをくぐって事件現場に足を踏み入れる蘭子。
「やあ、わざわざご足労いただいて感謝する。我々の手では解決できない事件が起きて
ね」
 被害者が科学では解明できない摩訶不思議な変死を遂げていたからである。
 そこで蘭子に陰陽師としての協力を依頼してきたのである。
「まあ、遺体を視てくれないか」
 と、鑑識に命じて遺体を覆っている布を取り除けさせた。
 その遺体は完全に干からびてミイラ状態となっていた。
 首筋に鋭い爪痕があって、そこから全身の体液を吸い取られたような感じだった。
 その衣装と体型から若い女性と判断はできるが……。
 さらに慎重なる観察を続ける蘭子。
 やはり【人にあらざる者】の仕業に違いないと結論するしかないだろう。
 頃合を計って井上が口を開き、
「もういいか?」
「はい」
「よし、行政解剖に回してくれ」
 と、鑑識官に指令する。
 遺体に再び布が掛けられ、担架に乗せられて護送車で運ばれていった。
「こんな街中でいきなりミイラ騒ぎだ。エジプトやインカならまだしも、ここは現代日本
だぞ。あの遺体はまぎれもなく日本女性だ」
 井上課長は憤慨しきりの表情だった。
「やはり【人にあらざる者】の仕業と思うか?」
「間違いありませんね」
「そうか……」
 深いため息をついて、肩を落とす井上課長。
 事件が起きたからには解明しなければならぬ。
 犯人がいるのならば検挙しなければならぬ。
 しかし……。今回の事件は明らかに【人にあらざる者】の仕業だろう。
 人間が手出しできるようなものではない。が、遺体がある以上は何らかの結論は導き出
さねばならぬ。
「またもや迷宮入りだな……」
「お察しいたしますが、事件はこれで終わりというわけではなさそうです」
「同じような事件が今後も続くというわけか」
「そのとおりです」
 蘭子は学校内にあった祠のことを話した。
 呪符が剥がされ【人にあらざる者】が解放されてしまったことを。
「難儀だな……」
 頭を掻く井上課長。
 おもむろに内ポケットから煙草を取り出し口に咥えて、百円ライターで火を点けた。気
を落ち着かせるように紫煙を吐き出し、ポケットから携帯灰皿を出して吸殻をしまった。
「さてと、蘭子君。君を呼んだのは他でもない。今回の事件には【人にあらざる者】が関
わっている事は確実だし、君の話からすれば同様の事件が今後も起こりそうだ。陰陽師と
しての君に協力を要請したい」
「判りました。ただし、夜の行動の自由を保障してほしいですね。不審人物として問答無
用で連行されたりしたら仕事になりませんから」
「承知している。その巫女装束を着用している君を見かけても一切手出ししないように全
署員に通達を出しておくよ」
「そうして頂くとありがたいです」


其の肆


 翌朝の逢坂家の食卓。
 TVニュースが昨夜の変死事件のことを報道していた。
「ミイラか……。やはり妖魔の仕業なんだろうな」
 父親が呟くように言った。
「間違いありません」
「そうか……。ミイラ取りがミイラにならないように気をつけることだな」
「はい」
 玄関の方でチャイムが鳴り響いた。
 智子が迎えに来たようである。
「はい。お弁当」
「ありがとう」
 母親お手製の弁当を受け取って、鞄にしまう蘭子。
 蘭子は毎朝弁当を作ってもらっていた。陰陽師としての仕事を抱えていると帰りも遅くなり午前様になることも多い。加えて本業の勉強もしなければならないから、家事手伝いや弁当作りすることができないからである。
 玄関に出ると、智子のいつもの明るい笑顔が出迎える。
「おはよう」
 お互いに朝の挨拶を交わして学校へと向かう。
「今朝のニュース見た?」
 早速の話題として取り上げる智子。
 天王寺という身近で起きた事件。
 学校中が大騒ぎとなることは予想に難しくないだろう。
 しかも今回は学校側も素早い対応を見せた。
 ホームルームにおいての校長のTV朝礼にて、日没後のクラブ活動の中止と夜間外出の自粛を求めたのである。
 事件が解決するまでの暫定的なものとはいえ、生徒達が納得するはずもなかった。喧々囂々(けんけんごうごう)の非難を浴びるのは担任である。
 一年三組の担任教諭の土御門弥生は矢面に立たされて困り果てていた。
 と、そこへ遅刻してやってきたものがいた。
 佐々木順子である。
「遅刻ですね」
「はい。済みませんでした」
 教室中が水を打ったように静かになっていた。
 皆の視線が順子に集中し、全員が言葉を失っていた。
 それもそのはずだった。
 今朝の順子は、あのシミ・ソバカスだらけの順子ではなかった。
 みずみずしいほどの艶やかな肌、気品の漂う美しい顔に変貌していた。
 本人もそれを自覚しているのか、決まり悪そうな表情をしていた。
 黙って席に着く順子。
 教室中が異様なほどまでに静まり返っていた。
 とりわけ担任の土御門弥生が、鋭い視線を投げかけていることに、蘭子は気づいていた。

 ホームルームが終わった。
 途端に智子が順子に飛びついた。
「順っ子! どうしたのよ、その顔」
 単刀直入に質問する。
「どんな化粧水使ったの? それともパック?」
「そ、それは……」
 答えられるはずがなかった。
 順子自身でさえ、朝起きて鏡を見て、驚きのあまりに固まってしまったのだから。

 まさか本当に美しくなるとは思ってもみなかった。
 それも、たった一日で……。

 しばし呆然として遅刻してしまったのである。
 稲荷神が願いを叶えてくれたとしか思えなかった。
 しかしこのことは口が裂けても言えないことだった。
 それが【血の契約】の条件でもあったからだ。

 登校することもためらわれたが、出席日数の関係で休むわけにもいかなかった。
 虐めにあうようになってから、学校を休みがちだったからだ。
 とにもかくにもその日の学校は、ミイラと順子の話題で持ちきりとなった。
 いつもは一人きりで寂しく過ごしていた順子に、取り巻きができるほどの人気者となっていた。
 しかし、それは嫉妬の対象となることをも意味する。
 物陰から伺うようにして、鋭い視線を投げかけるグループは一つだけではない。あちらこちらでひそひそと陰口が囁かれる。
 もちろん以前からいじめ続けていた例のグループも例外ではない。


其の伍


 放課後となった。
 取り巻き連中からやっと解放された順子が夜道を歩いている。
 と、突然行く手を遮られた。
 あの不良グループであった。
「顔貸せや!」
 いつもより迫力のある言葉である。
 以前ならば怯えながら付いて行った順子であるが、今日は様子が違っていた。
「お断りします」
 きっぱりと答えた。
 美しくなったという気概が心まで変えてしまったようだ。
「こいつ生意気やで」
 一人が順子の胸ぐらを掴んだ。
「離してくれませんか」
 と言いながら片手で、胸ぐらを掴んでいるその手を捻り上げるようにして、簡単に振り
解いてしまう順子。
 立場が逆転。
 手を捻り上げられてもがき苦しみながらも、スカートのポケットから何かを取り出した。
 剃刀である。
 指先に挟んで順子の頬を切り裂いた。
 順子の頬から血が滴り落ちる。
 かなり深手のようだった。
 しかし……。
 見る間に傷口が塞がっていき、元通りの傷一つない肌に戻ってしまったのである。
 これにはグループ全員が驚かされたようだった。

 次の瞬間。
 順子が左手で少女の首筋を掴んで、いとも簡単に持ち上げた。
 その足が地面から離れて宙に浮く。
 さらに順子の爪がその首筋に食い込んで鮮血が流れ始める。
 と、苦しみもがく少女に異変が起こり始めた。
 老いさらばえ、次第にミイラ状になってゆくのだった。
 やがてすっかりミイラ化した少女を地面に転がして、グループの方に向き直る。
 その瞳は異様なまでに輝いて、身体からオーラが発散されていた。
 グループ全員が怯えて後ずさりを始める。
「化け物!」
 そして蜘蛛の子を散らすように逃げ出してしまった。
 入れ替わるように姿を現したのが蘭子だった。
「正体を現したな」
「蘭子!」
「順子。それとも妖魔と呼ぶべきかな」
 正体を見透かされても、落ち着いた表情で答える順子。
「どちらでもない。私は私だ。まあ好きなように呼ぶが良い」
「順子の身体を乗っ取って、この世に仇なすつもりか?」
「乗っ取ったつもりはないが、契約に従って借り受けているだけだ」
「血の契約か?」
「そうだ」
「どうせ、おまえに都合の良い契約だろう」
「彼女は美しくなりたいと願った。だから叶えてやっただけだ」
「しかしそれには代償として、別の女性の命を奪うことを、ちゃんと説明したか?」
「説明の必要などないだろう。彼女にとっては自分さえ美しくなればそれで良いこと。眠
っている間に起こることを説明してどうなる。目が覚めれば何も覚えていないのだから
な」
「妖魔らしい考え方だな」
「お褒めの言葉と受け取っておこう」
 その時、蘭子の背後から白虎がのそりと現れた。
「白虎ですか?」
「戦ってみるか?」
「いや、よしておきましょう。今夜は顔見せということにしましょう」
 というなり、闇の中に消え去った。
 その消えた空間を見つめたまま動かない蘭子。
 白虎が猫がじゃれるつくように、蘭子の足元に擦り寄ってくる。
「え? どうしてみすみす見逃したかですって?」
 蘭子と白虎とは、言葉によらない意思疎通ができた。
 応えるように小さく唸る白虎。
「それは、あいつは妖魔であると同時に、クラスメートの順子でもあるからよ。妖魔とし
て倒せば、順子も死に追いやることになる。順子には傷つけずに、妖魔だけを倒す方策を
探さない限り手が出せないのよ」
 とはいえ、それがほとんど不可能であろうことは十分承知していた。
 血の契約によって結ばれた両者を引き離すことはできない。
 いよいよとなれば、妖魔もろとも順子を葬り去るしかないのである。
 白虎は納得したように吠えた。


其の陸


「さて、井上課長を呼びましょうか」
 ミイラとなってしまった被害者を放っておくわけにはいかない。
 救急車や警察を呼ぶわけにもいかず、ここは直接井上課長と連絡を取った方が良い。
 懐から携帯電話を取り出して井上課長に連絡する蘭子。
 十数分後に井上課長が、鑑識を伴ってやってきた。
「二体目のミイラか……」
 頭を掻きながら、地面に伏している遺体を検分する井上課長。
 蘭子は事件の詳細を報告した。
「なるほどね」
 呟いたかと思うと、内ポケットから煙草を取り出した。
 どうやら癖になっているらしく、頭を抱えるような難問に遭遇した時、無意識に煙草を
吸いたくなるようだ。
「ペストとか、病変ということで処理できませんかね」
 いつも腰巾着のように付き添っている若い刑事が提案した。
 このミイラ化の状況をペスト(黒死病)で片付けようというつもりのようである。
「それこそ大変なことになるぞ」
 ペストには幾つかの病型があるが、その中のペスト敗血症は黒死病とも呼ばれ、罹患す
ると皮膚が黒くなり、高い致死性を持っている病気である。十四世紀のヨーロッパで大流
行し、全人口の三割から六割が命を落としたという。
 その他の病型には、腺ペスト、肺ペストなどがあるが、いずれも発病して2日から1週
間以内に死亡するという。
「だめですかね……。エボラ出血熱とか」
「まあ、一考の余地はあるがな。妖魔とかよりは現実味が出るが、ペストの流行か?なん
て報道が出たら大騒動になるぞ」
 天を仰ぐようにして煙草の煙を一気に吐き出す井上課長。そしていつものように携帯灰
皿に吸殻を入れる。
「仕方がない。病変という線でいくことにするか……。それが一番妥当だろう」
「そうそう、そうですよ」
「問題はこの爪痕だな。これをどう説明するかだ」
「獣に爪を立てられて、傷口から菌が浸入したというのは?」
「ううむ。ちょっと無理があるな。どう見ても人間の爪痕だと判るからな」
「困りましたね」
「ああ……」
 いくら考えても答えは出ない。
 堂々巡りの繰り返し。

 翌朝。
 阿倍野女子高一年三組。
 いつもの授業前のひととき。
 再び起こったミイラ化変死事件の話題で盛り上がっていた。
 そこへ順子が入ってくる。
 昨夜のことは、まるで覚えていないようである。
 また一段と美しくなっていた。
「おはよう!」
 お互いに挨拶を交わしながら、世間話に花が咲く。
「またミイラ化した遺体が発見されたわね」
「やっぱりインカ帝国のミイラを誰かがばらまいてんじゃないの?」
「日本人でしょ」
「知らないの? インカの民も日本人も、同じモンゴロイドだから、ミイラ化しちゃった
ら区別なんてつくもんですか」
「でも、ペストとかエボラ出血熱とか、未知の病原体に感染した可能性があるというのが、
新たに発表されたわよ」
 順子はそんな会話を教室の片隅で聞いていた。
 引っ込み思案な性格までは、そうそう簡単には変わらないようである。
 クラスメート達も、いきなり美しくなったことで、声を掛けづらい一面もあった。
 やがて授業がはじまる。
 そして最後の国語の授業が終了した時。
 国語及び古文を担当する土御門弥生教諭が順子と蘭子を呼び止めた。
「佐々木順子さん、逢坂蘭子さん。国語科教務室まで来ていただけるかしら。お話があり
ます」
 何事かと国語科教務室へと向かう蘭子。
 土御門弥生教諭は、その名が示すように陰陽師家とは縁があるらしい。
 順子も呼ばれているところをみると、二人を呼んだ訳がありそうだ。


其の漆


 国語教務室に入る二人。
「お茶を入れるわ。そこに座ってて」
 部屋の中央に小さな食卓のようなテーブルと椅子が置かれていた。
 部屋に入った時から違和感を感じていた蘭子であるが、すぐに理由が判った。
 四角いテーブルというものは、その角を部屋の四隅に合わせるようにするのが普通であ
る。
 しかしこのテーブルは、ほぼ正確に四十五度となるような角度に置かれていた。
(まるで魔方陣だな)
 すなわち部屋の四辺四角と、テーブルの四辺四角とで、奇門遁甲八陣図のような図形を
描くような配置になっている。
 改めて周囲の本棚を見ると、日本現報善悪霊異記・太平百物語・行脚怪談袋・葛の葉・
山海経・封神演義という書物が並んでいる。
 いずれも妖怪や妖獣、奇跡や怪異現象といった内容のものが記されているものばかりだ。

「ミルクを切らしているので、レモンティーで許してね」
 とテーブルの上に三客の紅茶カップを置く弥生教諭。
「さあ、どうぞ」
 勧められて一口すすって、
「おいしい!」
 と感嘆の声を漏らす順子だった。
「弥生先生、私達を呼んだわけを聞かせてください」
 蘭子が用件を切り出した。
「そうね。そろそろいいわね」
 というと棚から風呂敷包みを手に取り、テーブルの上に置いた。
 ゆっくりと包みを解く弥生教諭。
 中から現れたのは古ぼけた祠。校舎裏の茂みにひっそりと安置されていたものだ。
「こ、これは……」
 順子の表情が明らかに曇った。
「どう? 見たことあるかしら」
 椅子を引いて立ち上がる順子。
 いつの間にか、部屋全体が妖しく輝いていた。
「結界の間か」
「その通り。逃げられはしないぞ」
「こしゃくな!」
 順子が鋭い爪を立てて蘭子に襲いかかる。
「なんでこっちに来るのよ」
 とっさに守護懐剣の虎徹で受け止める。
 見た目には普通の短剣ではあるが魔人が封じ込まれているので、妖魔に対しては絶大な
る威力を発揮する。
 矛先を変えて、弥生に襲いかかる順子。
 しかし、弥生が手を前にかざしただけではね飛ばしてしまう。
「おまえは人間の首筋にその鋭い爪を突き立てて精気を吸い取ることしかできない。自分
を守ったり他を攻撃する能力は一切持ち合わせてはいない。こうして篭の鳥となっては何
もできない」
 くやしさを表情いっぱいに浮き上がらせる順子。
「唯一の能力といえば、おまえは不死ということだ。たとえ一端は死んだように見えても
やがて再び復活する。だから、おまえへの対処法は封印することしかない。蘭子! 祠の
中から狐像を取り出して」
 言われた通りに狐像の像を取り出す蘭子。
「…………」
 蘭子には意味不明の呪文を唱えはじめる弥生。
 苦しみ始める順子。
 やがてその身体が輝きだしたと思うと、狐像の中へと吸収されてしまった。
 弥生は狐像を祠の中に納めながら言った。
「蘭子。あなたの持っている呪符を出して!」
「え? ああ……」
 懐から呪符を取り出す蘭子。
「これね」
 それは祠に貼られていたと思われる呪符だった。妖魔について調べようとしたのである
が、祖母の晴代に尋ねても結局判らずじまいだった。
 弥生は蘭子から呪符を受け取ると、掌の上に置いて呪文を唱えてから、ふっと軽く息を
吹きかけると、呪符は宙を舞って祠の扉に貼り付いた。
 一瞬、悲鳴が聞こえたような気がした。
「終わったわね」
 ため息をつく弥生。
 と同時に、結界陣が解けた。
 床に倒れている順子を抱き起こす蘭子。
「良かった。生きているわ」
「しばらくすれば目が覚めるだろう」


其の捌


 順子を保健室に運んで寝かせ、二人は校舎裏へとやってきた。
 祠を古木の根元の茂みの中に戻す弥生。
「これでいい」
「土の中に埋めた方がいいのではないですか?」
「無駄だよ。土の中に埋めたとて、いずれ這い出してくる。封印されていたとしてもそれ
くらいの芸当はできる。この祠の材料は、この古木の枝から作られたらしい。ゆえに封印
を保持するには、ここが一番らしいのだ。古木の精霊が祠を覆い隠して一般人の眼には映
らないようになっている」
 蘭子は思い当たった。
 夢鏡魔人もそうであった。
「つかぬことをお聞きしますが、弥生先生は陰陽師でいらっしゃいますね」
「陰陽師か……。確かにその類ではあるが、私は代々この祠を守り続けてきた防人(さき
もり)だ」
「防人?」
「この妖魔は絶対不老不死の能力を持っているから封印するしかない。そして万が一封印
が解かれた時のために選ばれたのが我が家系というわけだ」
「代々防人の家系ですか?」
「まあね……。さてと、もう一度。今度はゆっくりとお茶を頂きましょうか」
 いつものやさしい口調に戻る弥生教諭。
 二人仲良く並んで教務室へと戻ってゆく。
「ところで後ろからついてくるのは、あなたのペットかしら?」
 後ろを振り向くと、白虎がついてきていた。
「あら、また勝手に出てきたのね」
 しゃがみ込んで白虎の背中を撫でる蘭子。
「白虎みたいね」
「判りますか?」
「それくらいのことは」
 と弥生が手を差し出そうとすると、白虎は低く唸り声をあげて威嚇した。
「あら、嫌われちゃったみたいね」
 あわてて身を引く弥生。
「ごめんなさい。私以外にはなつかないんです」
「でしょうね。守護獣というところ?」
「はい」
「うらやましいわね」
 弥生は思った。
 十二天将にして四聖獣と言われる白虎を手なずけるなんて……。さすが摂津土御門家の
総帥土御門晴代の孫。その実力は計り知れないものがあると……。
 白虎は蘭子の前では猫のようにおとなくじゃれている。
「後で遊んであげるからね」
 頷くように小さく吼える白虎だった。

「あなたの武勇伝を伺いたいものね」
「武勇伝なんて、そんな大したことはやっておりません」
「噂は聞いているよ。心臓抜き取り変死事件とか、剣道部員闇討ち事件とか、みんな君が
解決したそうじゃないか」
「どうしてそれを?」
「防人とはいえ、まあこれでも陰陽師のはしくれだからね。一応そちら方面の情報は流れ
てくるよ」
「そうでしたか」
 校舎を見上げながら弥生教諭が呟くように言った。
「この校舎は建てられて随分と経つ。魑魅魍魎ちみもうりょうや怨霊の類の巣窟になっている。一般人に
は見えないだろうが、我々陰陽師にははっきりと見える」
「確かにその通りです」
「おそらくこれからも、そんな輩が起こす騒動が起きるだろう。私には防人としてしか働
けないが、その他多くの事件解決には君の活躍に期待しているよ」
「努力します」
「ああ、そうしてくれないか」
「はい」
「さてと話がそれてしまった。お茶の時間にしよう」
 と言いながら歩き出す弥生教諭と、それに付いていく蘭子。

 一陣の風が吹きそよぎ、祠をなでていった。

血の契約 了

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