特務捜査官レディー(七)さらばニューヨーク
2021.07.11

特務捜査官レディー(R15+指定)
(響子そして/サイドストーリー)


(七)さらばニューヨーク

 外に出ると、まぶしいばかりの光に、思わずよろけてしまった。いやそれだけでもない、ずっとベッドの上に横たわっていたのであるから、足腰が弱っているせいでもあった。
 真樹が泊まっていたホテルに連絡してみると、荷物をそのまま預かっているという。
 保管料を支払って引き取ってくださいということだった。
「置いていってはいけないでしょうね……」
 本来自分の持ち物ではないが、今の自分は斉藤真樹であり、日本に戻って真樹として生活するのに必要なものが入っているかもしれない。ホテルへ行って、荷物を引き取ることにする。
 タクシーを拾い、ホテルの名を告げる。ここニューヨークではタクシーを拾うのも十分に気をつける必要があるが、生死の淵をさ迷う自分を思えば、今更という感がないでもない。
 ショルダーバックには、パスポートと身分証の他、ホテルの預り証が入っていた。預かり品を受け取りにホテルに行ってみると、予想通り重たい長期旅行用スーツケースだった。国際線機内持ち込み制限寸法の115cmをはるかに越えている。大事なものや記念品とかが入っているかも知れないので、かなりの保管延長料を支払ってそれを受け取る。
 取りあえずは一日そのホテルに泊まることにする。
 部屋に通されて、スーツケースを開けて確認してみる。
 数日間を旅行するための衣類がきれいに畳んであった。薄いベージュのワンピースに、ピンク系のツーピーススーツ。そしてランジェリー
 その中に混じって手帳があった。
「アメリカ旅行記」という題目が書いてあった。
 旅先での思い出がつらつらと書き綴ってある。
 最初の訪問地はサンフランシスコ。ラスベガスのカジノで少しばかり儲けたらしい。シスコを拠点にして西部アメリカを観光した後に、横断鉄道に乗って東部アメリカへと向かう。そしてニューヨークで終わっている。
「ここで抗争事件に巻き込まれてしまったのか……。運が悪かったというところね。可哀相……」
 手帳の内容はほぼ把握できた。
 真樹の経験してきたことの一端を記憶に留めておく。
 手帳を閉じ、窓際に立って、ホテルからの景色を眺める。
 すっかり外は暮れていて、ニューヨークの夜景が美しく輝いていた。
「ニューヨークの夜景か……敬と一緒に見る約束だったのにな……」
 敬は、あの包囲網から逃げ失せただろうか?
 あれから舞い戻って自分、佐伯薫を探し回っているかも知れない。
 しかし、それを確認するために戻るわけにはいかなかった。
 佐伯薫の死体が消失したのを知って、組織が捜索のために動いているかもしれないからだ。
 今自分がするべき事は、佐伯薫としての自分のためではなく、斉藤真樹として日本に帰り、心配しているであろうその両親に無事な姿を見せてあげることである。
 翌朝。
 ケネディー空港では、組織の影に一抹の不安を抱きつつも、無事に通関ゲートをくぐって飛行機に乗り込むことができた。
 そして飛行機は飛び立つ。
 眼下に広がるニューヨークの展望に熱い思いが溢れる。
「さらばニューヨーク。さらば佐伯薫。そして沢渡敬、運命に女神が微笑みかけるならば、生きて再会しましょう」
 万感の思いを胸に、アメリカを離れ一路日本へと向かう。
 未来ある斉藤真樹としての生活を生きるために。


 ジェット気流に揺られる事、十余時間。
 何とかエコノミー症候群に陥ることもなく無事に成田に着いた。
 何はともあれ入国(帰国)手続きである。
 入国審査官にパスポートを提示する。もちろんパスポート写真は斉藤真樹のものであり、もちろん性別は女性である。整形して似せてあるが、果たしてばれないかと心臓は早鐘のように鳴り続けている。
 審査官は、パスポート写真とわたしの顔を、ためつすがめつ見比べて、本人かどうかを念入りに確かめた後に、
「結構です。お帰りなさいませ」
 とパスポートをぱたんと閉じて返してくれた。
 無事に斉藤真樹として帰国できたのである。

 さて日本に無事帰ってこれたのはいいが、以前住んでいた警察寮には戻れないし、実家では死亡したとして葬式も済んでいるだろうからやはり無理がある。
 以前の自分はすでに死んでいる。もはや斎藤真樹として生きるしかない。
「やはり真樹さんの実家に行ってみるしかないわね。すべてを話して理解してもらおう。結果として拒絶され非難を浴びせられてもても致し方ない事、すでに真樹さんがこの世にいないことを伝えるだけでもしなければならないから……」
 真樹は、身分証に記された彼女の実家へと向かった。
「同じ都内で助かったわ。これが北海道とか九州沖縄だったら大変だよ」
 電車をいくつか乗り継いで、実家近くの駅で降り立つ。駅近くの荷物預り所にスーツケースを預け、さらに駅前交番で地図を見せてもらってメモ書きし、その場所へと歩いていった。タクシーに乗らずに歩いたのは、それほどの距離でもなかったし、自宅に近づくに連れて高まるだろう胸の鼓動を、鎮めるためでもあった。

「ここが真樹さんの家か……」
 4LDKと思しきごく中流家庭の民家だった。
「真樹、お帰りなさい」
 背後で声がした。
「え?」
 振り返ると自転車かごにスーパーの袋を満載に乗せた女性が立っていた。年の頃四十代前半くらい、真樹の母だと思った。
「どうしたの? 自分の家の前で突っ立ってるなんて。鍵をなくしたの?」
「違うんです。あたしは、真樹さんじゃないんです」
「何言ってるのよ。旅行疲れと時差ボケ? とにかく中に入りなさい」
 母は完全に真樹と思い込んでいるようだった。先生が施した整形手術は、母親でさえも気づかないほどに完璧に真樹にそっくりに形成されていたのだ。
 何にしても立ち話では、納得いく説明をすることができない。言われた通りに中に入ることにする。
 自転車かごのスーパー袋を降ろして持ってやり、母が家の鍵を開けるのを待って、一緒に中に入る。
「疲れているでしょうから、今日は夕食の手伝いはいいわ。お部屋で休んでなさい」
 そうか、真樹は夕食の手伝いをしているのか……。となると家の掃除や洗濯も、たぶん分担しているのだろうと思った。母一人でこの4LDKの家全体を掃除するのは骨が折れるはずだ。もし自分を真樹と認めてくれたら、ちゃんと手伝いをしてあげよう。
 台所でスーパー袋の食品を分けて、冷凍冷蔵庫や床下収納庫などへしまう手伝いをする。
 スーパー袋の内容をすべて収納を終えて、
「お茶にしましょう」
 ということで、食卓に着席してのティータイムとなった。
「ニューヨークはどうだった?」
 すっかり真樹と信じ込んでいる。このまま巧く立居振る舞いを続ければ、真樹として暮らしていけるかも知れないと思った。
 しかし元警察官の心意気か、人を騙す行為はできるはずがなかった。
「お母さん、聞いてください」
「なあに?」
 意を決して、真樹はすべてを話しはじめた。
 彼女が事件に巻き込まれて脳死状態であった事、組織に狙撃されて重体に陥った自分にその臓器が移植された事、自分の代わりに茶毘に伏された事。顔を真樹そっくりに整形して、彼女のパスポートを使って日本に帰国した事。
 そしてすべてを報告するために、この家を訪れた事を。

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特務捜査官レディー(六)出発の日
2021.07.10

特務捜査官レディー
(響子そして/サイドストーリー)


(六)出発の日

「さて、君に渡したいものがある」
「なんでしょう?」
「これだよ」
「ショルダーバック?」
「その中に、パスポートと身分証が入っている。今日から君は、そこに記されている、斎藤真樹として生きて日本に帰りたまえ」
 差し出されたショルダーバッグから取り出して確認する薫。
 そのパスポートには紛れもなく、整形した今の自分の姿が映っていた。
 脳死状態のために自分にすべての臓器を提供することになった女性。
「斉藤真樹? 他人に成りすますなんてできませんよ。あたしは警察官なんです」
「だからといって、今のままでは何もできないぞ。君はすでに死んだことになっている。ニューヨーク市警から死亡報告書が日本政府に提出され、戸籍を抹消されているはずだ。パスポートも使えないからどこへも行けないぞ。いまのままでは不法入国者ということになる」
「そんな……生きているのに」
「悪い事は言わない。黙ってその女性に成り代わって生きることだ。それ以外に生きる道はない」
「しかしこの女性は、査証相互免除国における観光目的の短期滞在で無査証で入国しているようです。滞在期限の九十日以内に、実際には入国からすでに二ヶ月経っていますから、残すところ三十日以内に帰国しなければなりません。そうなれば、当然家族や友人がいるはずです。この女性の振りをして日本に帰ってもいずればれてしまいます。友人は騙せても家族までは騙せないでしょう」

注 *1(米国は2004年10月26日以降において、機械読取り式旅券/MRP以外は、入国査証を求めるよう政府方針を変更しました。日本国内の旅券窓口で発行されるものはすべてMRPになっていますが、在外公館発行の一部にはそうでないものが含まれています。また2004年1月5日以降、査証を利用しての入国には、US-VISITプログラムと呼ばれる出入国管理システムが導入され、指紋スキャン・顔写真撮影が行われるようになりました)

「とにかく選択肢は三つだ。このままアメリカで不法入国者として暮らすか、日本に帰り極力彼女と関わる人物を避けて暮らすか、或は彼女の両親に会ってすべてを説明して納得してもらうかだな。私としては最後の方法がすべて丸く治まる可能性があると思うのだがね」
「両親の説得ですか……」
「何にしても、君の身体の中には彼女のすべてがあると言っても過言じゃない。無碍にはしないとは思うのだが……」
「そうかも知れないでしょうけど……」
「何にしても、彼女が事件に巻き込まれて脳死状態に陥ったのは不可抗力だ。その事に関しては君に責任がないし、君が重体に陥って臓器移植を必要としていたのも事実だ。二人とも死ぬ運命にあったところを、どちらかが生き残る。これもまた運命かも知れない」
 押し黙ってしまって、じっと考え込んでいた薫だったが、やがて呟くように声を出した。
「やはり斉藤真樹として生きるしかないんですね」
「そうだ。他に生きる道はない。辛い運命かもしれないが、耐えて生きるしかないだろう」
 ふうっとため息をついてから、
「わかりました。何とか生きてみることにします」
 はっきりとした口調で答える。
「それがいい」
 頷いて賛同する先生。
 意思が固まれば、話は急転直下で進展する。
「君が着ていた服は、穴だらけだったから、君に合いそうな服を用意しておいた。それを着ていくんだ」
 といって紙袋を手渡してくれた。
「何もかも至れり尽くせりで申し訳ありません」
「いや、気にすることはない。医者としてするべきことをしているだけだ」
「ところで治療代は?」
「要らないさ。手術の腕を磨く検体として利用させてもらったと考えてくれればいいさ。大学病院や総合病院などで最新手術を施す時など、よく研究目的による無償治療が行われるだろう。どうせここは組織が運営している闇の病院だ。どうにでもなる、気にすることはない」

 先生に渡された女性用の衣装を身に着ける。
 眠っている間に、身体のサイズを測られたのか、ぴったりと合っていた。別に悪気があったわけでもなく、医療上にも必要なこともあっただろうし。
 ごく普通にカジュアルなデザインの上下ツーピースのスーツだった。
「どこから見ても女性そのものだ。もともと女性的な身体つきしていたから当然だが、医者でなく事情を知らなかったら、プロポーズしているな」
「冗談はおっしゃらないでください」
「いや、本当の気持ちさ。まあ、今日からは本物の女性の斉藤真樹として、生きるのだからな。男であったことは、心の隅にでも置いておいて、女性としての生活をエンジョイするといいだろう」
「そう簡単には、気持ちの切り替えなどできませんよ」
「まあな……。少しずつ慣れていくことだ」
「はい」
「それじゃあ、これでお別れだ。元気で暮らせよ」
「先生こそ」
「生きていれば、またどこかで再会することもある。その時は、赤ちゃんを抱いて幸せな母親になっていることを祈ってるよ。もっとも旦那が見つかればの話だが」
「そうですね」

 こうして短い期間ではあったが、わたしの人生を百八十度変えてしまった、その先生との別れとなった。
 どんな人物なのか、まるで不思議な雰囲気のある先生ではあったが、このアメリカでは唯一信頼できる人間だ。いつかまた再会できそうな気がした。


注 米国事情は執筆当時のものです。

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特務捜査官レディー(五)新たなる人生
2021.07.09

特務捜査官レディー
(響子そして/サイドストーリー)


(五)新たなる人生

 とある部屋。
 ベッドの上で天井をじっと見つめたままの薫がいる。
「ここはどこだろう……」
 ついさっき意識を回復したばかりだったのだ。
「確か……撃たれて死んだのじゃなかったのかな?」
 身体を動かそうとしたがだめだった。何かで身体全体を縛られているようだった。
「どうして?」
 その時ドアが開いて誰かが入ってきた。
「やあ、気がついたようだね」
「あなたは?」
「医者だよ」
「あたしに何をしたのですか?」
 と身体を揺する薫。
「ああ、まだ身体を動かさない方がいい。移植した臓器がずれてしまう」
「移植?」
「そうだよ。君は銃撃を受けて内臓をずたずたにされてしまったんだ。道端で死にかけていた君を拾ってあげてここに運び、内臓を移植して蘇生させたのだ。移植した臓器がずれたりしないように、君の身体をベッドに縛り付けて拘束させてもらっている。まあ、そんなわけだから、臓器が落ち着くまでもうしばらく我慢して身体を動かさないでくれ」
「……ちょっと待ってください。移植したということはドナーがいるはずですよね。その人はどうなったんですか?」
「残念ながら、救いようのない脳死患者でね。生き返ることがないのなら、それを必要とする人間、つまり君に移植したんだ」
「そうでしたか……」

「あ……あの、あたしの身体見ましたよね……」
「まあね……。睾丸摘出していたようだね。最初てっきり女性かと思ったんだが……胸は女性ホルモンで大きくしたんだね。プロテーゼは入ってないようだから」
「はい……」
「恥ずかしがる事はないよ。実は、私は産婦人科が専門なんだ。性同一性障害についても理解があるつもりだよ」
「産婦人科ですか?」
「そうだ。ついでだから話すと、君の身体には卵巣と子宮、そして膣などの女性器のすべても移植してあるんだ」
「女性器? じゃあ、死んだのは女性ですか?」
「ああそうだ。彼女自身は死んだが、臓器は君の身体の中で生きている。しかも卵巣と子宮もあるから、君がその気になれば彼女に変わってその子供を産む事もできる。死しても子孫を残せるなら、彼女も本望じゃないかな。女性ホルモンを投与し、睾丸摘出している君なら、性転換しても拒絶しないだろうと思った。だから移植した」
「じゃあ……。あたし、本当の女性になったんですね。それも子供を産む事のできる……」
「ああ、そうだ。もはや完璧な女性だよ」
 それが本当なら、敬の子供を産む事ができる? 自分自身の子供ではないが、父親が敬ならそれで十分だ。
「しかしこの状態どうにかなりませんか。寝返りが打てないから身体中が痛いんですけど」
「あはは……、我慢我慢。一つの臓器だけならまだしも、腹腔にある臓器のほとんどを移植したんだ。生きているだけでも感謝しなくちゃ」
「そんなにひどかったのですか?」
「もうずたぼろ状態。これが消化器系の腹腔だから助かったが、循環器系の胸腔だったら即死だったな」

 それから二週間ほど経った。
 その間ずっと考え続けてきたのは敬の安否だった。
「ちゃんと逃げ出せたかな……」
 自分の方は、敬の「最期の最期まで生きる希望を捨てるな」という言葉を守って? 生きる執念が実って、どうやら危機を脱して生き延びたようだ。しかも念願の性転換というおまけもついて。
 敬が別れ際に言った言葉を思い出した。
「いいか、おまえも最期の最期まで、生きる希望を捨てるなよ。簡単に死ぬんじゃないぞ、俺が迎えにくるのを信じて、命の炎を絶やすんじゃない」
 そう言ったからには、絶対にあたしを見捨てたりはしない。必ず生き延びて迎えにきてくれる。敬は、そういう男だと、信じていたい。

 先生が診察に来た。
「よく頑張ったね。もう大丈夫だ、起き上がってもいいよ」
 先生に支えられて起き上がりベッドの縁に腰掛ける。
「あの……。あたしのあそこ見せて頂けませんか?」
「やっぱり気になるだろうね。いいだろう、見せてやるよ。今鏡を持ってきてやる」
 先生が持って来てくれた手鏡を股間の前にかざして、じっくりと観察した。
 いつも見慣れたペニスはすでになく、まさしく女性そのものの外陰部がそこにあった。大陰唇・小陰唇、隠れるようにクリトリスと尿道口、そして男性を受け入れる膣口が開いていた。
 ああ……。とうとう女性に生まれ変わったんだ。
 それは長い間待ち望んでいた姿だった。自分のためでもあったが、それ以上に敬のためでもあった。
「傷が見当たりませんが……?」
「ああ、針と糸を使った従来の縫合では醜い痕ができるから、特殊な生体接着シールを使ったからね。ただ急に動いたりすると剥がれて傷が開いてしまう。それもあって当初君の身体を縛って動けなくしたんだ。もちろん内臓のほうも急な動作は厳禁だった」
「そうだったんですか」
「満足してくれたかね」
「はい。もちろんです」
「うん。それでこそ、手術した甲斐があったというものだな」
 今まで股間ばかりを映していた鏡に、自分の顔が入った。
「ちょ、ちょっと……。この顔は?」
 鏡に自分の顔を映して食い入るように見つめている。
「ああ、言わなかったけ……。顔も少しばかり整形して死んだ女性に似せてあるよ。喉仏も切削して平らにした。何せ君は組織に狙われている身だ。そのままの顔で外を出歩いては、生きている事がばれてしまうじゃないか。また命を狙われるに決まっている。私が精根込めて生き返らせた意味がなくなる」
「それは、そうですけど……あたしの知人にも判らなかったら、困ります」
 知人とはもちろん敬のことだ。
 愛している敬が、自分が判らなかったら生きていてもしようがない。
「仕方ないな。うまく接触して納得させるんだな」

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特務捜査官レディー(四)蘇生術
2021.07.08

特務捜査官レディー(R15+指定)
(響子そして/サイドストーリー)


(四)蘇生手術

 とある部屋、手術台に乗せられ裸状態の薫がいる。数本の輸液の管が腕に刺され、
酸素呼吸装置に繋がれ、何とか自発呼吸を続け生命を取り留めている様子だった。万が一に備えての人工心肺装置も用意されていた。
 薫の開腹手術が始まった。
「こりゃあ、だめだな……」
 マシンガンの掃射を受けて内臓はずたずただった。弾丸を摘出したくらいでは修復は不可能だった。手当は移植しかなかった。実際これだけの弾丸を受けて生きているのが不思議なくらいだ。たった一発の弾丸を受けただけでも、その衝撃で心臓麻痺を起こして死ぬ事もあるのだ。
 生に執着するよほどの執念でもあるのだろうか?
 英一郎は、硝子越しに見える隣の部屋のベッドに横たわる患者を見た。
 二十歳前後の日本女性で、頭部に弾丸を受けて脳死状態になってすでに十二時間以上立つ。呼吸中枢はまだ生きていて自発呼吸を続けてはいるが、いずれ完全死を迎えるのは必死だ。治療は不可能だから、このまま臓器を摘出しても構わないのだが、身体は無傷で心臓も動いている状態では、やはり躊躇してしまう。しかも同じ日本人だ。
 ショルダーバックに入っていたパスポートと身分証から、東京在住の薬学部に在学する女子大生と判明している。観光かなんかでこのニューヨークを訪れていたが、運悪く事件に巻き込まれてしまったらしい。同じく一緒にいた友人らしき女性は、心臓を射ち抜かれて即死、すでに臓器を摘出してここにはもういない。
 とにかく、このまま放っておいては二人とも死んでしまう。女性の患者は助けられないが、男性の方は臓器を移植すれば助かる可能性がある。
「やってみるか……」
 本当なら脳をそっくり移植することができれば、身体に一切傷をつけることなく生き返らせることができるのだが……、頭部に傷は残るが髪で完全に隠れてしまうから見破られることはないだろう。しかし、自分には脳神経外科の技術を持っていない。ほんのちょっとの傷をつけたり、ほんの数秒血流が跡絶えただけでも麻痺が残ってしまうデリケートな組織なのだ。傷をつけることなく、血流を跡絶えさせることもなく移植を完了させることは不可能だ。
「免疫反応はどうかな……」
 ここにはヒト白血球抗原(HLA)を調べる設備がなかった。
「例によって簡易検査で済ますか」
 二人の肝臓を少し採取して組織をばらばらにし、片側には人体無害の蛍光染料で染めてから、両組織を混ぜ合せて培養基に移して、しばらく蛍光顕微鏡で観察してみる。
 肝臓の細胞は不思議なもので、細胞分裂・増殖の速度が他の組織よりはるかに早くて、顕微鏡下で見ている間にもどんどん増殖していくのが観察できる。それは肝臓が人間の臓器の中で唯一、細胞内に核を二組持っている理由からだとされている。減数分裂時の生殖細胞を除けば、通常細胞の核は一組しかないが、なぜか肝臓は二組の細胞核を持っているのだ。
 もう一つ面白い現象がある。細胞同士が隣り合うとその間隙に毛細胆管組織を形成するように働く。肝臓は毒物などを処理した廃物(胆汁)をその毛細胆管に排出し、それらの毛細胆管が寄り集まって胆管となり、やがて胆汁分泌器官の胆嚢へと集合進化していくのである。
 増殖しながらも接触する細胞と連携しながら胆管組織を形成していく、二人のそれぞれの肝臓組織の動向を観察する。蛍光染料で染められた細胞とそうでない細胞がどう働いているか?
 もし拒絶反応があれば、接触した細胞は胆管形成することなく離れていくはずだ。
 結果は、二人の細胞は互いに仲良く寄り添うように増殖と胆管形成を繰り返していた。拒絶反応はまったく見られなかった。
「よしよし、オーライだ。免疫はパスだ」
 確率数万分の一というまさしく偶然の一致だった。同じ日本人だからこその結果だろう。もし二人の民族が違っていたらまず有り得なかったことだ。
「今、生き返らせてやるからな」

 その頃、敬は追っ手を何とか振り切り、一息ついていた。
 旅立ちの時に空港での、薫の母との会話を思い出していた。
「じゃあ、敬くん。薫をお願いね。あなただけが頼りなんだから」
「まかしておいてください」
 申し訳ない気持ちで一杯だった。薫を守る事もできず、その場に残したまま逃げ回っている。男として情けなかった。
「ちきしょう! せめて真樹の仇を討たねば済まさないからな」
 よろよろと歩きながら、夜の闇にかき消えるように姿が見えなくなった。

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特務捜査官レディー(三)逃亡
2021.07.07

特務捜査官レディー
(響子そして/サイドストーリー)


(三)逃亡

 宿舎を目前にした所で、急に敬が立ち止まった。
 険しい目つきになり宿舎前に停車している車を凝視している。
 野生の勘が立ち止まらせたようだ。
「どうしたの? 立ち止まって」
「逃げるぞ」
「え! なんで?」
 だが、次の瞬間銃声がしたかと思うと、二人のすぐそばに着弾した。
「撃ってきた! あたし達を狙っているの?」
「そういうことだ。どうやら俺達は、局長にはめられたんだ」
「どういうこと?」
「ニューヨーク市警研修は口実だ。俺達を日本から遠く離れたニューヨークの地で抹殺するのが目的だったんだ」
「そんな……」
「日本では何かと警察官の不祥事続きで風当たりが強いからな。こっちでならどのような風にでも事件をでっち上げられると思ったのだろう。適当に死亡報告書が提出されて日本に遺体で帰るという算段だろう」
「ひどい!」
「とにかく逃げるが先だ」

 角を曲がった時だった。目の前に銃を構えた追っ手が立ちふさがっていた。
 だが、敬の反応の方が早かった。間髪入れずに回し蹴りを食らわすと、どうっとばかりに相手は地面に突っ伏した。
「ふん! 日本の警察官を甘く見るなよ」
 その懐から落ちた手帳を拾い上げる薫。
「見て、敬!」
「なんだ」
「こいつ警察官よ」
「ほんとうか!」
「ほら、警察手帳」
 といって懐からこぼれ落ちた手帳を開いて見せた。
「そういうことか……、市警本部長もグルだったんだ」
「そんなあ、警察が相手だったら逃げきれないわ」
「ああ、空港に張り込まれたら、国外脱出もできない。袋のねずみだ」
「せめてニューヨークからでも離れないとだめね」
「とにかくこいつは貰っておこう」
 拳銃を拾い上げる敬。
「シグ・ザウエルP226か……。警察官というのは本当みたいだ」
 P226は、スイスのシグ社とドイツの子会社ザウエルが製造している、FBIやCIA及び各警察署のご用達の拳銃だった。全長196mm・重量845g・口径9mmx19・装弾数15+1発だ。日本の陸上自衛隊も使用しているP220(9mm拳銃)の性能を向上させ、マガジンをダブルカアラム化して装弾数を増加させたものだ。
シグザウエルP226
 銃を手にした敬は、立ちふさがる刺客を次々に撃ち倒しながら、ついでに倒した相手の銃の補充を繰り返しながら逃げ回っていた。
「敬、射撃の腕、上がったね」
「命が掛かっているからね。火事場の何とやらだ。それに図体がでかいから当てやすいしな」
 とにかく相手は警察だ。
 赴任してきたばかりで、まるで知らないニューヨーク。身を寄せる場所も隠れ場所もなかった。
 やがて事態は深刻になってきた。
「奴等、拳銃じゃ埒があかないと、マシンガン持ち出してきやがった」
「敬……ちょっと待って……」
 薫が立ち止まった。息があがり苦しそうだ。
 まずいな……。薫は体力的に限界だ。これ以上走れそうになかった。
 こうなったら俺が囮となって奴等を引き付けて、その隙きに逃げださせるしかない。

「薫、いいか。おまえはここでうずくまって隠れているんだぞ、いいな」
「敬は、どうするの?」
「俺が奴等を引き付ける。そして銃声が遠ざかっていったら、おりをみてここから逃げ出してニューヨークを離れろ」
「いやだよ。あたしは、ずっと敬と一緒にいるんだから。誓い合ったじゃない」
「今はそんなことを言って……」
「危ない!」
 薫が急に立ち上がって、俺の背後に回った。
 マシンガンが掃射される。
 俺はすかさず拳銃で相手を倒した。
「た、たかし……」
 薫が、か細い声を出し、地面に崩れ落ちた。
「か、薫!」
 その腹部に無数の弾痕と血が吹き出していた。
「う、撃たれちゃった。ごめんなさい、あたしはもうだめだわ。あたしを置いて、敬一人で逃げて」
「馬鹿野郎、おまえを放っておけるわけがないだろう。俺達はどこまでも一緒だろ」
「ふふ……。それさっきあたしが言った言葉。でも、あたしは助かりっこない。自分でもわかる」
「おまえを置いてはいけない」
 敬は薫を抱きかかえるとゆっくりと歩きだした。敬とて疲れ切っていた。それを薫を抱いていくとなると余計に負担がかかる。腕が痺れ足が棒のように固くなった。

「最後のお願いよ。あたしを愛しているのなら、生き抜いて頂戴。生きて生き抜いて、あたしの分まで長生きして欲しいの。だから、あたしを置いて、一人で逃げてお願い」
「そんなこと……できるわけ……ないよ。愛してるからこそ、死ぬ時は一緒だよ……」
「そんな哀しい事言わないで。もういいの。こんなあたしと、今日までずっと一緒にいてくれてありがとう」

 再び足音が近づいてきた。
「ちきしょう。しつこい奴等だ」
「敬、はやく逃げて。あたしを愛してるのなら、逃げて生き残って」
「……。判ったよ」
 そっと薫を地面に寝かせつける敬。
「いいか、おまえも最期の最期まで、生きる希望を捨てるなよ。簡単に死ぬんじゃないぞ、俺が迎えにくるのを信じて、命の炎を絶やすんじゃない」
「判ったわ、待ってる」
「それじゃあ、行くよ」
「ええ、頑張って」
 立ち上がり、駆け出す敬。
 その後ろ姿を見つめる薫。
「必ず、生きぬいて……」
 やがてゆっくりと目を閉じて動かなくなった。
 そのそばに駆け寄る抹殺者達。
「死んでるな。こいつは放っておいて男を追うぞ」
 一目見て判断し、敬を追い掛ける。

 静寂を取り戻した路地裏。
 横たわる薫に近づく人影があった。屈みこみ、薫の頸部に指を当てている。
「まだ、脈があるな。助かるかも知れない」
 そう言うと、薫を抱きかかえて運び、乗ってきた車に乗せていずこへと走り去ってしまった。

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