特務捜査官レディー(十二)麻薬取締官へ
2021.07.16

特務捜査官レディー
(響子そして/サイドストーリー)


(十二)麻薬取締官へ

 もう一度コンビを組むか……。
 それが可能だとしたら、やり残した例の事件、磯部ひろしの件を解決したいものだ。その黒幕の磯部健児を挙げるには、あたし一人じゃとうてい無理……だからこれまで何もしないでごく普通の女子大生として平穏に暮らしていたのだが……。しかも一介の警察官のままじゃ、あの生活安全局長にもみ消されてしまう。奴には恨みがある。あたしや敬がどんなひどい目に会わされたか、とことん思い知らせてやりたい。
 ただ、ニューヨーク市警署長のように暗殺じゃだめ。やはり罪状を世間にさらけ出して社会的に葬り去らなければ気が済まない。

 それを実現するには現状のままでは不可能だ。
 とにかくもっと上の組織じゃないと……。
 地方組織の警察じゃない国家警察的な組織。
 しかも麻薬を取り締まれる機関。
 一つの解答が浮かんだ。

 厚生労働省司法警察員麻薬取締官。

 いわゆる麻薬Gメンと呼ばれる組織員だ。
 これしかないと思った。
 そのためには資格がいる。
 国家公務員採用試験、II種(行政)以上の資格。
 もしくは国家資格の薬剤師の資格。
 どうしても二つの資格を取得する必要がある。
 どちらかでもいいのであるが、確実に採用されるためには両方あった方が良いに決まっている。
 しかも司法警察員たる法学の知識も必要だ。採用資格には示されていないが、採用後には法務省主催の検察事務官中等科、高等科研修などを受講するとともに、国外では、フィリピンにあるWHO西太平洋地域事務局で開催されている語学研修が行われることになっている。
 実際にも、採用試験合格採用者には法学部出身が優先しているくらいだ。
 採用後と言わずに、今からでも勉強しておく必要があるだろう。
 さらには、銃の取り扱いや逮捕術そして語学、麻薬取締官に必要な条件はありとあらゆる方面に渡っている。これに関しては、元警察官としての銃と逮捕術を習得した経験があるので有利だろう。もっともこれは薫としての経歴だから表立っては言えないが……。
 幸いにも薬科大学に通う斎藤真樹として薬剤師の道は開けている。
 問題は、もう一つの採用条件である国家公務員採用試験が残っているだけだ。

 まず自分がこれからしなければならないのは、薬科大学を無事卒業する事。これは両親を安心させるためにも、麻薬捜査官になることとは無関係に必要最低限なことである。
 国家試験を受けて薬剤師になること。
 国家公務員採用試験の受験と法学の勉強。

 受験日程を考えてみる。

 まずは薬剤師の方だ。
 国家資格の薬剤師受験のためには、薬科大学卒業か卒業見込み。
 受験場所。埼玉県さいたま市中央区新都心1番地1
  さいたま新都心合同庁舎1号館 関東信越厚生局。
 試験科目
  (1) 基礎薬学
  (2) 医療薬学
  (3) 衛生薬学
  (4) 薬事関係法規及び薬事関係制度
 試験日 平成17年3月12日(土)と13日(日)
 合格者の発表
  試験の合格者は、平成17年4月6日(水曜日)午後2時に厚生労働省及び地
方厚生局又は地方厚生支局にその氏名を掲示して発表するほか、合格者に対して合格証書を郵送される。
 というわけで、この春の卒業を待って受験ということになる。

 続いて国家公務員採用試験だが、どうせなら大学卒業なのだからI種(行政)を挑戦することにしよう。上を目指すならより上級であった方が後々都合が良いだろう。
 こちらは人事院の管轄である。

17年度実施要綱
 申込受付期間      4月1日(金)~4月8日(金)
 第1次試験日      5月1日(日)
 第1次試験合格者発表日 5月13日(金)
 第2次試験日(筆記)  5月22日(日)
 第2次試験日(人物)  5月25日(水)~6月10日(金)
 最終合格者発表日    6月21日(火)

出題分野
専 門 試 験(多枝選択式)
 80題出題、50題解答
 必須問題 政治学⑪、憲法、行政法⑫、経済学、財政学⑫の計35題
 選択問題 次の選択A ~ C の3つの選択分野から1つを選択し、計15題解答
  選択A 政治学⑤、行政学⑤、民法(親族・相続を除く。)⑤
  選択B 行政学⑤、経済政策⑤、統計学、計量経済学⑤
  選択C 国際関係⑤、国際法⑤、国際経済学⑤
専 門 試 験(記述式)
 次の6科目のうち3科目選択
  政治学、行政学、憲法、行政法、経済学、国際関係

 16年度においては、受験者数8569(女性3151)人のうち最終合格者60(同11)人という難関である。

 そういうわけで、6月には結果が判明することとなる。
 敬との約束には十分間に合う期日である。

 とにもかくも、これから忙しくなりそうである。
 ちなみに国家公務員試験を受けることを知った両親は、
「構わないけど……。国家公務員行政I種を合格採用なんてことになったら、男性が遠慮して嫁の貰い手が少なくなるぞ」
 と笑って言った。
 両親にとっては、良い条件で就職するよりも、素敵な男性を見つけて結婚、専業主婦として子供を産んで育てるという、ごくありきたりな女の子の将来を希望しているようだった。


文中の詳細は執筆当時のものです。
現在、国家公務員試験は、I種II種という区別がなくなり、I種は総合職、II種は
一般職となっています。
国家公務員総合職試験(院卒、大学卒)中央省庁に採用された者がキャリア官僚
国家公務員一般職試験(本省採用)(大学卒程度)
国家公務員一般職試験(大学卒程度)
国家公務員一般職試験(高卒者)
ちなみに、合格者の出身別では、法学部卒が圧倒的に多い。

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11
特務捜査官レディー(十一)CD-R
2021.07.15

特務捜査官レディー
(響子そして/サイドストーリー)


(十一)CD-R

 ある日の事だった。
「お母さん、ただいま」
 大学から帰ると母が伝えてくれた。
「お帰り、真樹。あなたにエアメールが届いているわよ。お部屋に置いてあるけど、ニューヨークから」
「ニューヨークから?」
「ええ。CD-ROMとか文字が書いてあったわよ」
「CD-ROM?」
 ニューヨークから何だろう。
 真樹さんに関係あることかな。
 ニューヨーク観光していたから、何か取り寄せで音楽CDでも買ってたのかな。
 部屋に戻って早速机の上のエアメールを開いてみた。送り主には見覚えがなかった。
「何これ?」
 封を開けてみると、どうみても音楽CDではなかった。
 手作りのそれもCD-Rだった。
 ノートパソコンを起動してCD-Rをマルチドライブに挿入する。
 あ、このノートパソコンは父親におねだりして買ってもらったものだ。
 父親は本当の娘として接してくれていた。おねだりしてそれが妥当な品だったら買ってくれるやさしい父親だった。
 以前の真樹が使っていたパソコンもあったのだが、WIN95では、時代遅れも甚だしい。今時のソフトは起動も出来やしない。最新のマルチドライブ搭載WIN10PCに買い替えてもらった。
 ドライブが軽い音を立てて回りだしたかと思うと、パスワード入力画面が現われた。
「パスワード?」
 エアメールの包みを調べてみたが、パスワードが記入されたようなものはなかった。
「そうだよね……パスワードと一緒にCD-R送ったら、パスワードの意味がないものね。しかし困ったわね……パスワードか……」
 その時脳裏にあるパスワードが浮かんだ。
 あたしが敬との交信に使っていたパスワードだった。
「まさかね……でも、他にどうしようもないし……」
 試しにそのパスワードを入力してみる。
「え? うそおー!」
 CD-Rが再び音を立てて回りだしたと思ったら映像が浮かび上がり、音声が流れてきた。
『やあ、薫……いや、今は斎藤真樹になってたんだな。真樹、俺は生きている。元気だ……』

 敬!

 懐かしい敬の姿と声だった。
「敬が生きていた……」
 嬉し涙が止めどもなく流れた。
 声は続く。
『俺は今、とある特殊傭兵部隊にいる。俺を狙っている組織から逃げるために、傭兵部隊に入ったんだ。車を隠すなら車の中というように、狙撃者から逃げるには、こっちも狙撃者になったというわけさ。ニューヨーク市警の本部長狙撃事件の事は知っているか? あれは俺の仕業だ。真樹が死んだと思っていた俺は、仇を撃つために奴を高いビルの上から狙撃したんだ。へへえ、俺は今じゃ一流のスナイパーだぜ。もっともそれなりに苦労はしたがな。傭兵としての契約期間はあと一年ある。一年経ったらおまえを迎えにいく。今でも俺を愛してくれていたなら、丁度一年後の今日、はじめておまえとデートした思い出の場所で待っている。そしてもう一度コンビを組んで働きたいものだ。もし来なかったらしようがない、他に好きな男性ができたか俺に愛想をつかしたと思って、アメリカに戻り傭兵部隊に再入隊し、どこかの戦場で戦死するまで戦いの日々を送る事になると思う。それじゃあな、どっちにしても元気で暮らしていてくれ。以上だ……なおこのCD-Rは自動的に消滅……しないから適当に処分してくれ』

 もう……相変わらず使い古したギャグ言ってるんだから……。
 はじめてのデートの場所か……。
 敬とは幼馴染みだから、小さい頃からいろんな所へ二人で遊びに行ったものだが、改めてはじめてのデートと呼べるのは、お台場海浜公園からパレットタウンへ。その中でも一番思い出深い、大観覧車での夜景を眺めながらのファーストキッスだった。
 そして生涯を共にしようと誓い合った。
「ねえ、また一緒に来ようね」
「そうだな……。なあ、薫」
「なあに」
「薫さえ良ければ、生涯を共に添い遂げないか? 正式な結婚はできなくても一緒に暮らす事はできるだろ?」
「本気なの!?」
「いやか?」
「ううん、いやじゃない。嬉しいの。一生敬に付いていくわ」
 プロポーズだった。
 やはり逢い引きの場所は、パレットタウンの大観覧車前で、時間は二人が乗った午後八時とみるべきだろう。

 などと考えているとCD-Rが再び読み込みをはじめた。
「今度はなに?」
『真樹くん、元気かね。君の蘇生手術をした黒沢だ。新しい臓器は正常に機能しているか? そして新しい環境には慣れたかね?』
 え? なんで先生が、敬の送ってよこしたCD-Rに記録されているのよ。
『君が言っていた敬くんを探すのに苦労したよ。まさか傭兵部隊に潜り込んでいたとはね。君から聞いていた彼の性格から、仇を討つために市警の本部長を暗殺するだろうと、縄を張っているところに、彼が引っ掛かってやっと捕まえる事ができたよ』
 そうか、先生が敬を探し出してくれたんだ。
『私も敬君と同じくらいの頃に、日本に帰国できると思う。その時にまた連絡する。移植手術をした医師として、その後の君の身体の状態を診断する義務があるからな。まあ、そういうわけだが、このCD-Rを破棄する時は、再生できないように破壊してからにしてくれ。なにせ敬が市警本部長を狙撃した証言が入っているからな。万が一人手に渡ってデータを読み取られたら事件になる」
 確かに先生の言っていることは理解できた。
 そうか……二人とも一年後には帰ってくるのか。
 それまでには、女を磨いておいて驚かしてあげたいな。
 ふとそう思った。

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11
特務捜査官レディー(十)人生再出発
2021.07.14

特務捜査官レディー
(響子そして/サイドストーリー)


(十)人生の再出発

 とあるビルの屋上。
 一人の男が、背に負っていた長尺のケースから、ライフルを取り出し眼下のビルの
谷間にその銃口を構えた。いかにもスナイパーという風貌だ。
 H&K社製MSG90(狙撃銃)
 同社製のG3の技術を流用して開発された超高性能にして超高価なPSG1の廉価
版である。湾岸戦争において米国のデルタフォースなどの特殊部隊が使用していたこ
とで有名である。射撃性能はPSG1とほぼ同等に1.7kgの減量に成功した。街中を
隠し持って歩くにはちょうど良い。
 狙撃目標は、ビルとビルの谷間を縫った僅かな間隙の先にあるニューヨーク市警本
部の玄関先。数人の部下を引き連れて市警本部長が出てくる。

 スコープを覗いていた男が、焦点を正確に合わせるためにサングラスを外した。そ
の顔は死線を何度も掻い潜り、精悍な鋭い目つきをしていたが、まさしく沢渡敬だっ
た。
「薫はいずれ性転換し、戸籍性別変更の手続きを踏んで女性になるはずだった。そし
て俺はその薫と晴れて結婚するつもりだった。俺と薫の幸せな将来を踏みにじったお
まえの罪は重大だ。死んで薫に謝罪しろ!」
 引き金を引く敬。
 発射された弾丸は一直線に進み、市警本部長の眉間を撃ち抜いた。
 血飛沫をあげて倒れる本部長、駆け寄るSP達の慌てふためく姿が、スコープを通
して見える。
 命中を確認した敬は、ライフルをケースに戻し、排莢された空薬莢を拾ってポケッ
トに収めると、しずかにその場を立ち去って行った。

 帰国してからほぼ半年が過ぎ去っていた。
 やさしい母、理解のある父親。
 真樹として、両親は温かく迎えてくれた。
 何不自由なく幸せな日々が続いている。
 両親は、真樹の薫だった過去を聞きだそうとはせずに、そっとしておいてあげよう
というやさしい性格を持っていた。両親は薫が当然女性だと思っているし、真樹も告
白できないでいるのだが、もし移植された以外の臓器、元々の薫自身の組織のDNA
を調べられれば男性だったことが知られて、一悶着となっているに違いない。騙し続
けることになるのだが、だからといって今更どうすることもできない。過去はどうあ
れ現在は女性の何者でもないし、両親の血を引いた子供を産む事で、親孝行して返せ
ばいいと考えていた。
 真樹は薬科大学に在学していたから、成り代わって自分が女子大生として通学をは
じめて勉強することとなった。薬科大学での授業に対して、何の知識もなく当初は苦
労の連続だったが、持ち前の気力と根性で猛勉強し授業に付いていけるようになった。
 友達もできた。もちろん女性だ。


「ねえ、真樹」
「はい。何でしょうか?」
「あなた、実家には連絡くらいはしてるの?」
 実家という言い方をしているが、薫としての生家のことを示していた。
「え?」
「してないでしょう?」
「は、はい。でも、以前のあたしは死んだことになってますから……」
「あなたが生きていると知ったら喜ぶわよ」
「でも……」
「あなたの生活態度とかみると、いかにお母さんが大切に育ててくれたかが良く判る
わ。そんな素晴らしいお母さんがいるのに、黙って放っておくなんて親不孝よ。わた
し達だって、あなたを独り占めするのも申し訳ない気持ちで一杯よ。わたし達に気を
遣ってくれるのは嬉しいけど、たまには帰って元気なところを見せてあげなくちゃ。
とにかく一度帰りなさい。これは母の命令です」
 そこまで言われては断るわけにはいかなかった。
「判りました。実家に一度帰ってみます」
 気は重いが、正直には会いたい気持ちはあるにはあった。
 死んだことになってる自分に会って母がどういう気持ちになるかが心配だったので
ある。
 とにかく会うだけは会ってみよう。

 結局、実家に舞い戻ってきてしまった。
 
「あの……うちに、何かご用でしょうか?」
 振り返ると母が立っていた。
 見つめ合う二人。
「ちょっと、早く中に入って」
 急に態度が変わり、真樹の手を引いて中へ招き入れる。
 扉を閉めると表情を変えて話し出す。
「あなた、薫ね。整形してるみたいだけど……」
「どうして判るの……?」
「あなたの母ですよ。どんな姿になろうとも判りますよ」
「そうなんだ」
「生きていたのね」
「はい」
 そう言うと、真樹を抱きしめて涙を流しはじめた。
「よかった……ほんとうに良かった」
 心底再会できて感激している様子が感じられた。
「どうして今まで連絡を寄越さなかったのよ。警察の方からニューヨークで殉死した
という報告があって、葬式まで出して……」
「遺体もなしに葬式しちゃったんだね」
「しようがないでしょ。警察側から死亡報告書を提出されたんじゃ、葬式するしかな
いじゃない」
「でも遺体が見つからないから、心の底でもしかしたら生きているんじゃないかと思
ってたんでしょ。だから家の前で会った時に気づいたのね」
「そりゃそうよ。母だもの、この目で確認しない限り信用できなかったのよ」
「でも整形して容姿が変わってたのに、何を基準にあたしと判断したの?」
「雰囲気ですよ。身体からにじみ出ているの。さっきあなたは家を見つめながら、い
かにも懐かしいといった雰囲気を漂わせていたのよ。まるで嫁に行った娘が実家に帰
って来たという表情してたよ。そんな人間といえば薫しかいないじゃない」
「そうか……。そんな表情してたんだ」
「どうやら性転換……したみたいだね」
「うん。あたしの意志じゃなかったけど……、いずれはやろうとは思ってた」
「意志じゃない? まあ、それはともかく、玄関先で立ち話もなんだから、とにかく
上がりなさい」
「うん、そうだね。色々と積もる話しもあるから……」


 長い話が終わった。
 ニューヨークでの事、斉藤真樹として帰国し、今は斉藤家の長女として不自由なく
暮らしている事。
「そう……。そういうわけだったの」
「うん。今はそのご両親の娘の真樹として暮らしてる。そして、お母さんが、実の母
に会って無事でいることを話してきなさいとおっしゃってくださったの」
「その方もできた人なのね。自分の本当の娘が亡くなって哀しいはずなのに、あなた
を実の娘として迎えてくれるなんて」
「だから今後もそのお母さんと一緒に暮らして、親孝行していくつもりなんだ。母さ
んには悪いと思うけど」
「当たり前じゃない。その方の娘さんの命を貰ったんだから、親孝行して恩を返さな
くてどうするんですか」
「うん……。でも時々は電話するよ」
「そうね、そうして頂戴。元気な声を聞けるだけでも安心できるから」
 姿形は代わっても、母娘の情愛には隔たりはなかった。
 どんな事でも許し、どんな事でも共感しあう。
 これからも母と娘という関係は続くのである。

「ところで、敬から連絡とかきてなかった?」
「きてないわ。たぶん敬くんのお母さんの方にも連絡はないみたいよ」
「そうか……」
「でも、あきらめちゃだめよ。わたしが、薫は必ず生きているとずっと信じていたか
ら、こうして帰ってきてくれたの。あきらめない限り、運命の女神がいつかどこかで、
その願いをかなえてくれると信じるの。いいわね」
「判ってるわ。自分がそうだったから、遺体を見せ付けられない限り、信じてずっと
待ってる。約束だもの、必ず迎えにきてくれる」
「そうよ。それでいいのよ」


 実家での実の母娘の水入らずな時間は瞬く間に過ぎて行く。
 名残惜しさを胸いっぱいに、実家を後にした。
「どうだった? ご両親、生きてたと判って、涙流して喜んでいたでしょ?」
 家に帰ると、母がやさしく微笑みながら出迎えてくれた。
「はい。でも、父とはまだ会っていないんです。まだ帰っていなかったので。母が申
しますには、肉体的精神的に強い絆で結ばれている母娘と違って、父親というものは
なかなか娘とは折り合えないだろうと、今日は取り合えず会わずに帰ることにしまし
た。これから少しずつ生きていることをそれとなく気が付かせるようにして、父がぜ
ひ会いたいという意思が固まった状態で再会した方がいいだろうという事になりまし
た」
「そうですねえ。真樹とお父さんのことを考えれば、確かに納得しますね。母娘と違
って父娘は、どこか隔たりがありますから」
「同性ということもあるでしょうし、やっぱり母娘はへその緒で繋がって産まれてく
ることにあるんですかしらね」
「そうでしょうね」
 納得する母娘であった。
「これからもたまには帰ってあげなさいね」
「いいんですか?」
「当たり前ですよ。あなたには二人の母がいるんだから。それぞれ平等に親孝行しな
くちゃいけないの。もちろん今のあなたの母はわたしですからね。それさえ忘れてい
なければ、会いたくなったら日帰りならいつでも帰って結構よ」
「ありがとうございます」
 真樹と今の母とは、実の母娘以上に親しい間柄になっていた。
 何でも気を許しあい、心と心が通じ合っていた。
 斉藤真樹としての居場所がここに確かにある。
 それを心に踏みとどめ、二人の母親への親孝行を忘れないように、日々の暮らしを
続けている真樹だった。

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特務捜査官レディー(九)真実は明白に
2021.07.13

特務捜査官レディー
(響子そして/サイドストーリー)


(九)真実は明白に

「そうか……そういうことだったのか……以前の真樹だったら酌なんかしなかったはずだからな。それでもアメリカに行って心境が変わったのだろうかと思っていた」
「申し訳ありませんでした。真樹さんの振りをして騙していました」
「この娘は、悪くないんです。わたしがお願いしたんですよ。あなたがこの娘を区別できるか試したんです」
「いや、すっかり騙されたよ。全然気がつかなかった」
「でしょう? わたしも、この娘が告白するまで判らなかったんですからね」
「うーん……。ほんとうに瓜二つだよ。誰がどこから見ても、真樹にしか見えないだろうな」
 と改めて真樹の容姿を確認するように眺める父親。
「それで、おまえはどうするつもりなんだ?」
「もちろん、このまま一緒に暮らしますよ。この娘は、真樹なんですから。黙っていれば気づかれなかったのを告白してくれたんです。憎まれ蔑まれるかも知れないのを覚悟の上で、真樹が死んだ事を報告するために、わざわざ来てくださったんです。この娘は正直で澄んだやさしい心を持っています。そんな娘を見捨てるわけにはいきません」
「そうか……。おまえがそのつもりなら、私も反対はしないよ」
「いいんですか? 一緒に暮らしても……」
「しようがないだろ。聞くところによれば、真樹が死んだのには、この娘に責任はないんだし、このまま放り出すわけにはいかないだろう。この娘の身体の中に真樹が生きているというならなおさらだ。それに、すべての臓器の移植が何の支障もなく成功しているということは、真樹のヒト白血球抗原・HLAが完全に一致していると言う事。つまりこの娘と私達は、元々血縁的に繋がりがあるということだ。何せ非血縁者での一致率は数百から数万分の一なんだ。HLAで血液鑑定すれば間違いなく親子関係にあると断定されるはずだ。臓器移植に関わらず私達の娘と言っても過言じゃないということさ」
「その通りです。この娘が将来結婚して子供を産めば、真樹の子供、わたし達と血の繋がった孫になるんですから」
「ならいいじゃないか。私も、一緒に酌み交わす相手が欲しかったんだ。さあ真樹、お父さんと呼んでくれ、そして一緒に飲もう」
 とビールを差し出した。
「はい……頂きます。お父さん」
 そのビールをコップに受け取る真樹。
 涙の混じったそのビールはほろ苦かった。


 翌日は頭が痛かった。
 真樹は酒に弱い事が改めて判明した。母が警告していたはずだが、一度飲みはじめると止められない性格だった。
 以前の自分ならあれくらい何でもないのだが、今の自分の内臓は真樹のものだ。それもアルコール分解に関わる肝臓は、その処理能力が低い、つまり下戸に近いということだった。
 しくじったな……。
 ふと時計を見ると丁度午前六時だった。
「あ! いけない!」
 ゆっくり寝ているわけにはいかない。
 昨日の母との会話から、真樹が食事の手伝いをさせられている事に気づいていたからだ。朝食の支度を手伝わなければいけなかった。
 朝食は父親の出社時間に合わせて早めに取るらしかった。
 ベッドを飛び降り、パジャマを脱いで大急ぎで着替えると台所へ向かった。
 すでに母は起きて朝食の用意をしていた。
「おはようございます。お母さん」
「おはよう。お寝坊さんね、真樹は」
「すみません。今手伝います」
「飲み過ぎるからですよ。エプロンはそっちに掛かっているわ」
 指差した先の食器棚のそばの衣紋掛けにエプロンが掛かっていた。それを被って準備を整えると炊事にかかった。
「お味噌汁を作ってくれるかしら。わたしは煮魚と他のもの作ってるから」
「はい。わかりました」
 味噌汁は食事の基本である。それを任せるのは、真樹の料理の腕を見てみようということであった。すでに昨日、夕食の味噌汁を食べている。斎藤家の味噌汁の味を出せるかどうか、どれだけ近づけられるかを試されているのだ。もちろん真樹が男性だったとは露も知らず、女性なら味噌汁くらい作れるだろうという判断だし、朝早く起きて手伝いにきたのだから当然できると思っている。真樹にしたって料理ができるから手伝いに起きてきたのだ。
 冷蔵庫を開けてみると、味噌汁の具として豆腐としじみがあった。昨日、スーパーで買ってきたものだ。
「しじみの味噌汁でいいわね」
 こんぶと鰹節でダシを取ることにする。
 こんぶは水から煮出しをはじめ、鰹節は頃合を見計らってすぐに上げられるようにストレーナーを使う。しじみからも旨味成分が出てくるので、それを考慮に入れている。次にしじみを入れ、味噌を味噌漉しを使って入れる。
 豆腐をきざんで味噌汁の中に落としこんでいく。
 やがて味噌汁のいい香りが漂いはじめる。
 味見をしてみる。
「こんなものかしら」
 だいたい出来上がったようだ。
 火を消す前に、
「お母さん、味見をお願いします?」
 念のために母にみてもらうことにした。
「どれ、みせて」
 小皿に味噌汁をすくって味を見ている母。
「ちょっと味が薄いようだけど、はじめてにしては上出来よ」
「ありがとうございます」
 火を消してコンロから降ろし、鍋敷きを敷いた食卓の上に置いた。そしてすぐさまコンロの周囲の汚れを布巾できれいに落とす。冷めて固まると落としにくくなるし、後からだとついつい億劫になってそのまま放置がちになってしまうからだ。
「あなた料理上手ね。まさかこんぶと鰹節でダシを取るところからはじめるなんて思いもしなかったわ。適当に味の素で味付けするかと思ったのにね。コンロの汚れもすぐに落としていたし、あなたのお母さんに教えられたの?」
「はい。母がいつも作るところを手伝っていましたから」
 それは本当のことだった。
 料理好きだった母から料理の基本から教えこまれた。母は、真樹(薫)が性別不適合者として女性の心を持っていると理解してくれていて、女性としてのたしなみを徹底的に教え込んてくれていたのだ。炊事・洗濯・掃除からはじまって、立ち居振る舞いから化粧方法まで丁寧に教えてくれたのだ。
「これだと、わたしが教えることはないわね。あなたのお母さんに感謝しなくちゃ。後は斎藤家の味に近づけるだけね。お父さんの味覚は保守的で、ちょっと味が変わっただけでも味噌汁を残しちゃうの」
「はい、教えてください。努力します」
「まあ、真樹さんが直接造った料理だったら、文句言わずに全部食べてくれるだろうけど、やはり長年食べ慣れた味じゃないとやっぱりね……」
「あたしもそう思います」

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特務捜査官レディー(八)抱擁
2021.07.12

特務捜査官レディー(R15+指定)
(響子そして/サイドストーリー)


(八)抱擁

「そうだったの……」
 と母は重苦しく呟いたまま口黙ってしまった。
「ごめんなさい……」
 真樹はただ謝るばかりしかできなかった。涙が溢れて次から次へと頬を伝って流れていく。
 やがて母が口を開いた。
「もう一度確認しますけど……。あなたの身体の中に、真樹のすべてが移植されたというのは、本当なんですね?」
「はい。もし将来結婚して子供が産まれたら、ご両親の血を引いていることになります。間違いありません」
「そうですか……。わざわざ報告しにきてくれて、ありがとう。あなた自身、どうしようかと随分悩んだんでしょうね」
 真樹は立ち上がって、お暇することにした。すべてを告白してしまったからには、ここには居られない。
「それじゃあ、あたし帰ります」
「帰るって……。住むところはあるの? あなた自身の家には戻れないんでしょう?」
「何とかなると思います。駅前にビジネスホテルがありましたから、取り敢えず二三日泊まりながらアパートを探します。しばらく暮らせるだけのお金もありますから。ただ、真樹さんの戸籍を使わせて下さい。あたしが生きるためには必要なんです。お願いします」
「それは……、真樹が死んでしまったというなら構わないけど……」
 玄関に降り、靴を履こうとした時だった。
「やっぱり、あなたがこの家を出ていくことはないわ」
「え?」
「いいえ、あなたは真樹よ。わたしが産んだ娘に違いないわ」
「でも……」
「あなたの身体の中では、真樹が生き続けているんでしょう?」
「そうですけど……」
「だったら、わたし達から、真樹を取り上げないでください。真樹は一人娘なんですよ。娘がいなくなったら生きてく希望を失ってしまいます」
「じゃあ、どうすればいいんですか?」
「このまま、わたし達の娘の真樹として暮らしていただけませんか?」
「え?」
「お願いです。一緒に暮らしましょうよ、母娘として」
「いいんですか? こんなあたしで」
「だって、あなたは真樹なんですから……」
 そう言って真樹を強く抱きしめながら涙を流した。
「お母さん……」
 真樹も感激に身体を震わせて泣いていた。
 それ以上の言葉はいらなかった。
 二人は抱き合いながら涙を流し続けた。

 ひとしきり泣いて落ち着いた頃、
「さあ、真樹。お茶の続きをしましょう。とっておきのお菓子があるのよ」
 と、精一杯の笑顔を見せながら、手を差し伸べてくれた。
 その手を取って答える。
「はい。お母さん」


 母が夕食の準備をはじめた。
 手伝いますと言ったが、
「さっき言ったでしょ。疲れてるだろうから休んでなさい。でも明日からは手伝っていただきますからね。あなたはわたしの娘なんだから」
 ということで、台所を追い出されてしまった。
「着替えてらっしゃいな。あなたのお部屋は二階へ上がってすぐ右手の部屋です。部屋のものはすべてあなたが自由に使って結構よ」
 言われるままに、真樹の部屋に行き着替えて、居間でTVを見て過ごす事になった。
 エンジン音が轟いて、外で車が止まった。
 そしてシャッターを開ける音がして、車庫入れしているエンジン音が続いて響いてくる。
「お父さんが帰ってきたわ。ちょっと試してみましょう」
「試すって?」
「もちろん、あなたが本物の真樹かどうかを区別できるかよ」
「いいのかしら、そんな事して」
「いいから、いいから。見てなさい」
 といいながら玄関先に出迎えに行く母。
「あたしも玄関に迎えにいった方がいい?」
「以前の真樹はそんな事しませんでしたよ。父親が帰っても動かなかったわ」
 あ、そう……。
 しばらくして、玄関から声が聞こえてくる。
「お帰りなさいませ。真樹が帰ってきたわよ」
「そうか、帰ってきたか。無事で何よりだ」
 やがて父親が居間に姿を現した。
「お帰りなさい、お父さん」
 真樹は笑顔を作って挨拶する。
 はじめて会う相手だが、努めて親しげに話し掛ける。
「ああ、ただいま。おまえこそ、無事で何よりだ。心配していたんだぞ」
 気づいていないようだった。
 母の方を見ると、微笑んでウィンクを返してきた。
 ね、気づかないでしょう?
 そう言っているように感じた。
「お食事になさいますか? それとも先にお風呂に入りますか?」
「風呂は後でいい。ビールを持ってきてくれ」
「わかりました」
 すぐに冷たいビールが運ばれてきた。
 真樹はビール瓶を受け取って、父親に酌をしてあげた。
「お父さんどうぞ」
「おお、済まんね」
 父親が差し出すコップにビールを注いであげる真樹。
「どうだ。真樹も飲むか?」
「お父さん、真樹にビールは無理ですよ」
「何言ってる、もう二十歳じゃないか。社会に出れば、飲まなければならない事もあるんだ。どうだ?」
「じゃあ、少しだけ頂きます」
「そうこなくっちゃ。おい、コップをもう一つだ」
「しようがないわねえ、二人とも」
 と言いつつ、母はコップを持ってきてくれた。
「真樹、ほどほどにしなさいよ。あなたお酒は飲めないんだからね」
 そうか……、飲めないのか。母は忠告してくれたのだ。
「はい」
 本来なら酒を飲んでいられる状況ではなかった。
 しかし、この後に母から父親に告白されることを考えると、アルコールの助けを借りたい気分だったのだ。母もそれに同意してくれているようだった。取合えずコップ一杯くらいならいいだろう。と思っていたのだが……、気がついたら一緒になって飲んでいた。長年の癖はなかなか直せないものだ。
 しばし父親と娘で酌み交わす酒。
 世間一般として年頃の娘と父親の関係というものは、何かと断絶の風潮があるものだ。それがこうして仲良く娘と一緒に飲めるというのはやはり嬉しいことのようだ。
 ほろ酔い気分になった父親をみて、頃合よしと判断した母が切り出した。
「ところでお父さん。真樹を見て、何か感じませんか?」
「何かって何だよ。こうして一緒に酒を飲んで、少し大人びた感じはするがな」
「ですが、あなたの目の前にいる娘は、本当の真樹じゃないんですよ」
「真樹じゃない? どういうことだ」
 父親の真正面に居を正して腰を降ろし、説明をはじめる母。
 その隣で小さくなっている真樹。

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