特務捜査官レディー(六)出発の日
2021.07.10

特務捜査官レディー
(響子そして/サイドストーリー)


(六)出発の日

「さて、君に渡したいものがある」
「なんでしょう?」
「これだよ」
「ショルダーバック?」
「その中に、パスポートと身分証が入っている。今日から君は、そこに記されている、斎藤真樹として生きて日本に帰りたまえ」
 差し出されたショルダーバッグから取り出して確認する薫。
 そのパスポートには紛れもなく、整形した今の自分の姿が映っていた。
 脳死状態のために自分にすべての臓器を提供することになった女性。
「斉藤真樹? 他人に成りすますなんてできませんよ。あたしは警察官なんです」
「だからといって、今のままでは何もできないぞ。君はすでに死んだことになっている。ニューヨーク市警から死亡報告書が日本政府に提出され、戸籍を抹消されているはずだ。パスポートも使えないからどこへも行けないぞ。いまのままでは不法入国者ということになる」
「そんな……生きているのに」
「悪い事は言わない。黙ってその女性に成り代わって生きることだ。それ以外に生きる道はない」
「しかしこの女性は、査証相互免除国における観光目的の短期滞在で無査証で入国しているようです。滞在期限の九十日以内に、実際には入国からすでに二ヶ月経っていますから、残すところ三十日以内に帰国しなければなりません。そうなれば、当然家族や友人がいるはずです。この女性の振りをして日本に帰ってもいずればれてしまいます。友人は騙せても家族までは騙せないでしょう」

注 *1(米国は2004年10月26日以降において、機械読取り式旅券/MRP以外は、入国査証を求めるよう政府方針を変更しました。日本国内の旅券窓口で発行されるものはすべてMRPになっていますが、在外公館発行の一部にはそうでないものが含まれています。また2004年1月5日以降、査証を利用しての入国には、US-VISITプログラムと呼ばれる出入国管理システムが導入され、指紋スキャン・顔写真撮影が行われるようになりました)

「とにかく選択肢は三つだ。このままアメリカで不法入国者として暮らすか、日本に帰り極力彼女と関わる人物を避けて暮らすか、或は彼女の両親に会ってすべてを説明して納得してもらうかだな。私としては最後の方法がすべて丸く治まる可能性があると思うのだがね」
「両親の説得ですか……」
「何にしても、君の身体の中には彼女のすべてがあると言っても過言じゃない。無碍にはしないとは思うのだが……」
「そうかも知れないでしょうけど……」
「何にしても、彼女が事件に巻き込まれて脳死状態に陥ったのは不可抗力だ。その事に関しては君に責任がないし、君が重体に陥って臓器移植を必要としていたのも事実だ。二人とも死ぬ運命にあったところを、どちらかが生き残る。これもまた運命かも知れない」
 押し黙ってしまって、じっと考え込んでいた薫だったが、やがて呟くように声を出した。
「やはり斉藤真樹として生きるしかないんですね」
「そうだ。他に生きる道はない。辛い運命かもしれないが、耐えて生きるしかないだろう」
 ふうっとため息をついてから、
「わかりました。何とか生きてみることにします」
 はっきりとした口調で答える。
「それがいい」
 頷いて賛同する先生。
 意思が固まれば、話は急転直下で進展する。
「君が着ていた服は、穴だらけだったから、君に合いそうな服を用意しておいた。それを着ていくんだ」
 といって紙袋を手渡してくれた。
「何もかも至れり尽くせりで申し訳ありません」
「いや、気にすることはない。医者としてするべきことをしているだけだ」
「ところで治療代は?」
「要らないさ。手術の腕を磨く検体として利用させてもらったと考えてくれればいいさ。大学病院や総合病院などで最新手術を施す時など、よく研究目的による無償治療が行われるだろう。どうせここは組織が運営している闇の病院だ。どうにでもなる、気にすることはない」

 先生に渡された女性用の衣装を身に着ける。
 眠っている間に、身体のサイズを測られたのか、ぴったりと合っていた。別に悪気があったわけでもなく、医療上にも必要なこともあっただろうし。
 ごく普通にカジュアルなデザインの上下ツーピースのスーツだった。
「どこから見ても女性そのものだ。もともと女性的な身体つきしていたから当然だが、医者でなく事情を知らなかったら、プロポーズしているな」
「冗談はおっしゃらないでください」
「いや、本当の気持ちさ。まあ、今日からは本物の女性の斉藤真樹として、生きるのだからな。男であったことは、心の隅にでも置いておいて、女性としての生活をエンジョイするといいだろう」
「そう簡単には、気持ちの切り替えなどできませんよ」
「まあな……。少しずつ慣れていくことだ」
「はい」
「それじゃあ、これでお別れだ。元気で暮らせよ」
「先生こそ」
「生きていれば、またどこかで再会することもある。その時は、赤ちゃんを抱いて幸せな母親になっていることを祈ってるよ。もっとも旦那が見つかればの話だが」
「そうですね」

 こうして短い期間ではあったが、わたしの人生を百八十度変えてしまった、その先生との別れとなった。
 どんな人物なのか、まるで不思議な雰囲気のある先生ではあったが、このアメリカでは唯一信頼できる人間だ。いつかまた再会できそうな気がした。


注 米国事情は執筆当時のものです。

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