梓の非日常/第八章・太平洋孤島遭難事件(六)奈落の底
2021.04.07

梓の非日常/第八章・太平洋孤島遭難事件


(六)奈落の底

「おーい! 誰かあ、聞こえてるかあ」
 洞窟の底から、落ちて来た開口部に向かって大声を張り上げている慎二。
「たすけてくれえ! ほんとに近くにいないのかあ」
 呼べど叫べど、上からの答えは返って来ない。
「これだけ大声を出してりゃ、小さな島だ、聞こえないはずないのに」
「いくら叫んでもだめよ。周りの壁が音を吸収しているのよ」
「そうか……ちくしょう。付近を探しまわっても出口はないし」
 拳で壁を叩く慎二。
「あせってもしようがないわよ。助けが来るまでじっと待っていましょう」
 と水際に腰を降ろす梓。その隣に座りながら、
「しかし、なんでこんな小さな島に洞窟があるんだ」
 慎二がつぶやく。
「馬鹿ねえ。ここは環礁島よ。足元はもちろんの事、付近一帯は珊瑚礁なの。実際の地面はとうに海面下に水没して、その上に発達した造礁瑚礁や石灰藻類さらには貝殻や有孔虫類の殻とかで形成された上に、あたし達は立っていたというわけ。あの砂浜も実情は珊瑚の小さなかけらが堆積したもの。沖縄に星砂というのがあるがあれと同じよ。造礁珊瑚は海面より上には繁殖できないんだけど、こうして海の上にまで発達しているのは、氷河時代の海面下降とか、地殻変動で地盤の上昇と下降の繰り返しがあった名残だと言われているわ」
「で、それと洞窟とどんな関係があるんだ」
「珊瑚の主成分は何だか知ってる?」
「知らん」
「勉強不足ね。大部分が炭酸カルシウムと炭酸マグネシウムよ」
「そうなんだ」
「これはね、酸に溶けるのよ。雨が降ると空気中の二酸化炭素を溶かし込んで酸性になるから、それが珊瑚を溶かしていってこのような洞窟を造ったというわけ。山口県にある秋吉台秋芳洞のことぐらいは知ってるでしょ」
「ああ、地面の下にぽこぽこ穴が開いてるところだろ。ええと、鍾乳洞ってやつ」
「そうよ。鍾乳洞の正体は、雨水が空気中の二酸化炭素を溶かし込んで、石灰岩の地質を溶解してできたのよ」
「理科だか社会で、習ったな。石灰岩に塩酸をかけたら、水素が発生して溶けちゃうってやつ」
「そして石灰岩は、元々が珊瑚からできているというわけ」
「珊瑚から?」
「知ってる? 日本で産出する石灰岩の一部は、この島のような太平洋上にある珊瑚礁がマントル対流によって運ばれてきたのよ。海溝付近でマントルは地中に再び地下深く沈んでいくけど、比重の軽い珊瑚は日本本土に乗り上がる。そして現在の日本の石灰岩地層が出来上がっていったの」
「へえ、知らなかったよ」
「日本で唯一、戦前からもなお百パーセントの自国生産率を持つ鉱物資源で、世界最高品質水準のセメント工業立国として発展できたのも、環太平洋の珊瑚礁群のおかげというわけね」
「ふうん……」
「国家を興すには、その基幹産業としての鉄とセメントは不可欠。国中を縦横に走る道路網・電源確保のためのダム工事・都市開発には超高層ビルディング。第二次世界大戦後の国土の荒廃を逸早く復興できたのも、セメント工業という切り札があったからで、輸入を一切行わずすべて国産品だけで賄えたわ」
「それで……」
「とまあセメント自体は今後も供給の心配はないんだけど、その他に必要不可欠な骨材の問題が残されたの」
「骨材?」
「セメントに混ぜる砂や砂利のことよ。現在では、国内各河川からの砂はほとんど取りつくしてしまったわ。しかたなく、海底から採取した海砂利をしようするようになったんだけど、塩分の除去が満足にできなくて、その塩分によるコンクリートの早期ひび割れや鉄筋の破断という塩害の被害が深刻になってきているの」
「ほう……」
「……。おまえなあ、人の話しを聞いていないだろう」
 いきなりいきり立つ梓。
「だってよお……この状況下で、話す内容か?」
 といいながら、洞窟内を見回すようにする慎二。
「どっちかあつうと……脱出方法とか、外の連中が何してるかとか……そういった内容の話しをするべきじゃないのか?」
「ふん……喋ることで気を紛らしていたんだよ。先に調べたように脱出口はどこにも見当たらないし、連絡を取ろうにも携帯電話は水着になる時に麗香さんに預けたままだ。そんな気になってもしかたないだろ」
「そうか、梓ちゃんもやっぱり女の子なんだな。そういえば、喋り方も女の子っぽかったな」
「人のことなんだと思ってたんだ」
 とぺちんと軽く慎二の頬を平手打ちする梓。喋り方はいつもの慎二に対するものに戻っている。

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梓の非日常/第八章・太平洋孤島遭難事件(五)孤島にて
2021.04.06

梓の非日常/第八章・太平洋孤島事件


(五)孤島にて

 機体を仰ぎながら心配顔の絵利香。
 その側に寄り添っている梓。
「おーい。梓ちゃん、一緒に泳ごうよお」
 海水中に水着姿で入り、梓を呼んでいる慎二がいる。
「おまーなあ。死に直面している人がいるっているのに、よくもまあぬけぬけとしていられるなあ。しかも自分のせいでこんな状況になっているというのが、まだ判らないのか」
「そうは、言ってもなあ。俺達には、何もできないじゃないか。だったら気分転換に泳ぐのもいいんじゃないか。それに梓ちゃんだって水着じゃないか」
「しようがないでしょ。暑いんだから、水着にでもなってないとたまらん」
「ふうん……しかし……」
 梓の水着姿に戸惑い気味の慎二。
「おい。いつまでじろじろ見てんだよ」
「あ、いやその、つい……」
「ちぇっ。脳天気な奴。絵利香ちゃん、ちょっと周囲を見回ってくるよ」
 と言い残して、島の中程の茂みの方へ歩いていく梓。
「おーい。ちょっと待ってくれよ」
 梓の後を追い掛けていく慎二。

 島の中程のところを、すたすたと早足で歩く梓と、その後を追い掛ける慎二。
「おい。待ってくれよ」
「ついて来ないでよ」
「なに、怒ってるんだ」
「しつこいわね!」
 と慎二の手を振り払った時だった。
「きゃあ!」
 梓の足元の地面が突然に崩れたのだ。
「梓ちゃん!」
 慎二が手を差し伸べて梓の手を掴もうとする。しかし、地面はさらに大きく崩れ、二人とも真逆さまに墜落していったのである。

『ともかく胸の傷口を塞がねば、細菌感染を引き起こすし、肺の虚脱も完全に防げない。取り敢えずは傷口を仮縫合しておく。ここでは肋膜や骨折の治療ができんのでな。骨の折れ口にはガーゼを厚く巻いて肺を傷つけないようにしておく。迎えの船の手術室でちゃんと処置してから本縫合することになる。場合によっては、傷口が大きいから大腿か臀部の皮膚を少し移植するかも知れないな。現状では、深呼吸など出来ないだろうから縫合だけでいいだろう』
『移植ですか……』
『ドクターにもよるよ。縫合だけだと、完治するまでは皮膚が突っ張って痛むから、俺だったら移植して楽に呼吸ができるようにするね。他の部位と違って、寝ている間も呼吸しなきゃならんからな。痛みがあったら眠れないだろう』
『そうですね』
『美智子君。針と持針器、それと三号絹糸を頼む』
『かしこまりました』
 美智子は、再び手術キットから、要望された器材を取り出し、トレーに乗せて軍医に手渡した。
 傷口を手早く縫合しながら、
『機長。運が良いのか悪いのか判らんが、悪運だけは強いみたいだな』
『まあね、いろんな奴から言われてるよ』
『よし、完了したぞ。できる限りの応急手術はやった。後はすでに組織に入り込んだ細菌の繁殖がひどくならんように祈るんだな。ここは無菌室ではないからこれだけは俺にはどうしようもない』
『軍医殿、お手数かけました』
『こんな傷、実際の戦場に行けばかすり傷みたいなもんだが、取り敢えずはそばで観察しているよ』
『それでは私は、お嬢さまに報告してきます』
『よろしくお願いします』

 麗香が飛行機を降りてくると、早速絵利香が駆け寄ってくる。
「麗香さん。機長の容体は?」
「はい。命には別状はありません」
「よかった……」
 ほっと安堵のため息をつく絵利香。
「ところで梓お嬢さまは、どちらに?」
「それが、島を探索するとかいって、慎二君と一緒に奥の方に行ったきり戻ってこないのよ」
「本当ですか? それはどれくらい前ですか」
「もうかれこれ一時間くらい経つかしら」
「まずいですね」
「慎二君と一緒だから?」
「そうではありません。この島の地形のことを言っています」
「地形?」
「一帯は石灰質の珊瑚礁です。おそらくあちらこちらに風穴が開いている可能性があります」
「いわゆる鍾乳洞みたいに?」
「はい。地上から見ただけでは、下の状況は判りません。地盤の薄くなった所を踏み抜いてしまったら、奈落の底に落ちてしまいます」
「みんなで探しましょうか?」
「それは考えものです。どこに風穴があり地盤の薄いところがあるのか判りません。二重遭難の危険がありますので、もうしばらく様子をみましょう。あるいは野暮なことをしてしまう場合だってありますから」
「そうね、いい雰囲気になって、時間の経つのも忘れているってこともあるのね」
「取り敢えずお二人の捜索は、船が迎えに来るのを待ってから行動に移りましょう」

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梓の非日常/第八章・太平洋孤島遭難事件(四)軍医の診察
2021.04.05

梓の非日常/第八章・太平洋孤島遭難事件


(四)軍医の診察

『おお、ここは冷房が効いているのか、助かる』
 コクピットに入るなり、その涼しさに感涙している軍医。派遣される野戦場や病院には冷房設備などあるはずもなく、汗だくだくで治療するのが常だったからだ。或は全くその正反対かのどちらかである。
『機長、傷口の痛み以外に、何か体調に異常は感じないか』
『大丈夫みたいだ』
『そうか、ならいい。今から神経ブロック麻酔をしてやる。脊椎注射だからちょっと痛いが我慢してくれ。麻酔が効けば楽になるからな』
『ああ……』
 ここへ来るまでに麗香からおよその症状を聞き出している軍医は、まず最初に何をすべきかを理解していた。
『麗香君、包帯を解いてくれないか』
『判りました』
 麗香が包帯を解きはじめると同時に、診察を開始する軍医。
『美智子君とか言ったかな、注射器の用意をしてくれ、それとプロカインのアンプルを出して。手術キットの中に必要器材が全部入っている』
『はい』
 看護士の資格と経験のある美智子は、少しの迷いもなく脊椎麻酔用の大きな注射器と針、そして局所麻酔剤のプロカイン(コカインの誘導体・副作用が少ない)のアンプルを用意していく。もちろん手術用の薄てのゴム手袋着用や器具の消毒も怠っていない。
 その間に軍医は、脈拍や心肺聴診・瞳孔検査など必要初診を続けている。
『包帯が取れました』
『よし』
 早速傷口の状態を確認している軍医。
『うーん。これはひどいな……しかし、肺肋膜はまだ感染していないようだ。なら助かるかも知れん。機長、以前に肋膜炎を患ったことがあるだろ』
『え? よく判りましたね。その通りです』
『肋膜が胸壁に癒着しているからな。普通、肋骨骨折で皮膚を貫通する傷を負えば、肺の虚脱と縦隔の振せんが起きて、呼吸困難に陥るのだが、肋膜の癒着で助かっている。過去の病気に救われたな』
 胸腔の内面は、二枚の肋膜(胸壁肋膜と肺肋膜)で覆われており、生理的に肺と胸壁の間には僅かの隙間がある。さらに肺は、呼吸の状態に関わらず常に大気圧よりも低圧になっていて、呼吸の手助けにもなっている。ところが皮膚を貫通して肺にまで達する傷(開胸)を負うと、低圧の肺が大気圧に押されて萎縮(肺虚脱)、呼吸困難になるのだが、肋膜の癒着があると萎縮が抑制されるわけだ。
 また縦隔の振せんとは、左右の肺を隔てている隔壁(縦隔)が、肺の虚脱によって呼吸のたびに移動する症状のことである。縦隔には、心臓や大血管・気管・食道などが収められているが、この振せんによって心臓や大血管などが、圧迫されて呼吸・循環障害を引き起こす。
 このために、開胸手術には低圧室による手術や気管カテーテル加圧呼吸法など、肺の虚脱を回避する手術法が不可欠である。

『軍医殿、注射の用意ができました』
 美智子がトレーに器材を乗せて持ってくる。
『おお、よし。麗香君、機長の身体をずらして背骨側を横に向けてくれ』
 軍医が麗香に向かって指示する。
『はい。かしこまりました』
『いいか、そっとだぞ、そっと』
『はい』
 麗香が指示通りに機長の身体を横に向けていく。
『ところで鎮痛剤を飲んでるそうだが、薬のパッケージを見せてくれ』
 軍医の問い合わせに、乗務員が薬箱からパッケージを取り出して見せる。
『はい、これです。約一時間前に定量を飲んでもらいました』
『ふーむ……。なるほどね』
 鎮痛剤の薬効成分と量に応じて麻酔薬の量も加減しなければならない。パッケージに記された薬剤の種類と量を確認してから注射器を取り、アンプルから適量分を取り出している。
『機長、これから注射するが痛くても絶対動くなよ、心臓に繋がる交感神経がすぐそばを通っているんだ。ちょっとでも位置がずれると心臓麻痺を起こすぞ』
『わ、わかった』
『事前麻酔としてチオペンタールを静注すれば痛みを緩和できるんだが、こいつは呼吸中枢を抑制するから、肺機能の低下している現状ではやばいんだ』
 静脈注射麻酔チオペンタールは、バルビツール酸誘導体の一種で、直接の鎮痛作用はほとんどないが、強い睡眠作用を持っているので、その睡眠の間に手術を行うことが出来る。複雑な機器を使用することなく簡単に麻酔効果を期待できるので、野戦場などで活躍する軍医の常備麻酔剤だ。しかしこれ単独のみで麻酔作用を利用できるのは、五分以内の短時間の手術に限られる。
 ちなみにチオペンタールは、アメリカでは死刑執行に際して意識を喪失させるために使用していたが、製造中止を受けて代替品が使われることとなった。
 背骨を触診しながら注射ポイントを探っている軍医。
『君、ここを消毒してくれ』
 注射ポイントを探り当てて、消毒するように言う軍医。
『はい』
 美智子は、消毒綿をピンセットに挟んで、軍医が指差す箇所を消毒する。
『二人とも、動かないように押さえていてくれ』
『はい』
 機長の身体を両側から押さえる麗香と美智子。
『よし、注射するぞ』
『ああ……』
 ぐいと注射器を背骨に突き刺す軍医。

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梓の非日常/第八章・太平洋孤島遭難事件(三)機長負傷
2021.04.04

梓の非日常/第八章・太平洋孤島遭難事件


(三)機長負傷

 コクピット。
 客室乗務員が機長達の介抱をしている。コクピットには、操縦桿や各種のレバー類など突起物が多いので、胸を強打したりして怪我は免れなかったようである。
 副操縦士は軽傷だったらしく、無線連絡と機器の確認を続けている。
「機長。肋骨が折れているようです。救援が来るまで絶対に席を動かないでください」
 着陸の衝撃で身体が前方に投げ出され、胸部が操縦桿のハンドルを基部の根元から折り、その基部が胸部を貫いたのである。
「息はできますか?」
「ああ、何とかな。幸いにも肺は突き破っていないようだ」
 あえぎながら答える機長。骨折では息をする度に肋骨に痛みを生じて、かなり辛いようだ。声もかすれて聞き取りづらい。
「とにかく絶対安静です。折れた肋骨が肺や心臓を突き破らないようにしなくてはいけませんから」
 機内の設備では、せいぜい当て木と消毒しかできない。傷口が大きく開いているので縫合も不可能である。傷口を消毒しガーゼを当てて、細菌感染を防ぐという応急処置しかできない。
「お嬢さま、お怪我はありませんでしたか」
 コクピットに現れた絵利香を気遣う機長。自分の方が肋骨を折る大怪我をしているというのに、ご令嬢の絵利香のことを気遣っている。
「わたしは大丈夫です。機長こそ、傷の具合は?」
「肋骨が折れています。絶対安静です」
 乗務員が機長に替わって答えた。

 絵利香はコクピットを一時退室して、乗務員に機長の容体を確認した。
「機長はどうなんでしょうか?」
「問題は、細菌感染です。傷口が皮膚を突き破って、内臓部にまでに達していますから、細菌が内臓を汚染しはじめたら助かりません。しかもこの暑さ、細菌繁殖も活発です。一刻も早い救助が必要です」
「そう……冷房は?」
「バッテリー駆動でコクピットだけに冷房を入れています。エンジンが停止していて機内全体を冷房することができません。電気の続く限りコクピットだけに冷房を利かせたいと思います。よろしいですね?」
「もちろん、そうしてください。梓ちゃん達には、暑さは我慢してもらいましょう。そしてコクピットへの出入りは必要最小限に」
「問題はもう一つあるんです」
「もう一つ?」
「呼吸をどこまで続けていられるかです。息をして肋骨が動く度に激痛があるんです。息をし、激痛に耐える気力・体力がどれだけあるか。腹式呼吸してもやはり肋骨は動きますから」
「麻酔は?」
「医者がいないので処置ができません。麻酔薬はあることはあるんですが、適量も判らずに素人処置すれば、死に至る可能性があります。今の状況では自発呼吸は無理でしょう。意識を確かに維持しつつ、痛みに耐えながらも自力で呼吸するしかないんです。つまり下手に麻酔を処置して眠ってしまったら呼吸が止まってしまうんです。取り合えずの鎮痛剤を飲んでもらってるだけです」
「ここは梓ちゃんに何とかしてもらえないかな……」
 完全に覚醒している梓。悪運強く無傷状態の慎二もそばに来ている。
「お嬢さま、携帯電話をお貸し願えませんか」
「いいわよ。はい」
 ハンドバックから携帯を取り出して麗香に渡す梓。
「おい。こんな太平洋のど真ん中で携帯が使えるのか?」
「さあ……、日本以外では、ブロンクスの屋敷前で一度使ったことあるけど」
「これは、国際衛星通信を使用している携帯電話なんです。世界中どこからでも使用できます」
 と説明しながら、早速電話を掛け始める麗香。
『麗香です。そう……お嬢さま方はご無事よ。航路は追跡してたわよね。位置は……そんなにずれたの? 最も近くを航行している船舶を大至急こちらに回して……それで構わないわ。三時間後ね、わかった。後、島に不時着したDCー10型機を回収できる、工作船かタンカーも手配して頂戴……。三日かかるのね、わかったわ』
 引き続き次の場所に連絡を取る麗香。英語の会話になっているのは、国際衛星通信だからだろう。
『麗香です。はい、お嬢さまはご無事です。代わります』
 携帯を受け取って話す梓。
『お母さん……うん、どこも怪我してないよ。ぴんぴんしてる。うん……やっぱりお母さん、動いてたんだ。たった三時間で船を廻せるなんて、そんなに都合いいことないもん……。予定コースをずれた時点から? ん……ちょっと待って』
 そばに深刻な表情の絵利香が立っていた。
『なに?』
 母親との話しの続きからか英語で尋ねる梓。絵利香も英語で答える。
『お母さんとお話ししてるの?』
『うん、そうだよ』
『頼みたいことがあるんだけど、いいかな』
『どういうこと?』
 絵利香は事情を説明した。そしてその内容をもらさず渚に伝える梓。
『え? でも……わかった』
 携帯を閉じる梓。
『どうなの?』
 心配顔で尋ねる絵利香。
『ごめん、絵利香ちゃん。三時間以内にここまで来られる救助ヘリはないって。今こっちに向かってる船には、ちゃんとした手術室とドクターがいるから、それまで待っていなさいって』
『そう……しかたないわね。ここ島だからジェット機は着陸できないものね』
『ああ、でもね。十分以内にジェット機で軍医を連れて来てくれるそうよ。この島までジェット機で飛んで来て、落下傘で降りてくる手筈になってるそうよ。せめて医者がいれば、応急手術ができて最悪の事態は避けられるだろうからって』
『軍医が来てくれるの?』
『うん。お母さん、太平洋艦隊司令長官と懇意だから。多少のことなら無理も通るの』
『そう……』
『さ、軍医さんを迎える準備しましょう。救命ボートを出さなきゃね。島には降下できる場所ないから海への着水になるものね』

 不時着した飛行機から、非常縄梯子を使って梓と絵利香が降りてくる。麗香はすでに降りていて、救命ボートの準備をしている乗務員の指揮を執っている。
 命を失い掛けている機長がいる。それを救うために十分以内にやってくる軍医を迎えるべく、救命ボートとその乗員が最優先で降ろされたのである。
「まもなく来ると思います。環礁の切り口付近で待機していてください」
「はい」
 小型発動機付きの救命ボートがエンジンを鳴らして、飛行機が開けた環礁の切り口へと出発する。それを見送る梓達。

 一方飛行機の昇降口では、
「いやん。結構高いよ。タラップとかはないの?」
 高所恐怖症の美鈴がぐずっている。
「あるわけないでしょうが。早く降りなさいよ。機内は空調が切れて蒸風呂状態なんだから」
 明美が急かす。
「だってえ……」
 簡単に降りられる脱出シュートもあるのだが、それだと再び機内に戻れないので、縄梯子を使っているのである。なお後部脱出口は損壊して利用できなかった。
「窓が開けられればいいのにね」
 とこれは、かほり。
「開くわけないでしょ。高高度を飛ぶのに気圧の関係とか、客が不用意に開けないように機体に固定されてるんだから。ほれほれ、あなたも、早くしなさい。後ろがつかえてるんだから」
 そして美智子である。
「おーい。早くしてくれよお」
 こういう場合は、レディーファーストである。慎二は最後まで残されていた。

 やがて島の上空にジェット機が飛来する。
「来たわ」
 復坐機の後部座席から緊急脱出装置を使って飛び出してくる軍医と思しき人影。その直後には、機体の下部荷物室から荷物が射出される。軍医も荷物も、パラシュートが開いてゆっくりと降下をしてくる。
 環礁に待機していた救命ボートが、すぐさま回収に向かう。

 ものの五分で救命ボートが軍医を連れて引き返してくる。
『早速だが、患者に会わせてくれ。一分・一秒を争う』
 乗員から機長の容体を聞いていたのであろう。挨拶もなしにいきなり診療行動に入ろうとする軍医。
『こっちです』
 麗香が軍医と共に縄梯子を伝って上がっていく。
 絵利香が心配そうにその後ろ姿を追っている。
「軍医が来たから、もう大丈夫だよ。心配しないでいいわ」
 絵利香の肩に手を置いて慰めている梓。
「うん……」
「お母さんが手配した軍医だもの。ベテラン中の名医に違いないからね」
 飛行機の昇降口。出迎えるように美智子が戸口に立っている。他の者が地上に降り立ったにも関わらず、一人居残っていた。
『美智子さん。あなた、看護士の資格を持っていたわね』
 軍医の到着と同時に麗香たちの会話が英語に変わっていた。ちょっとした情報でも軍医に理解できるようにである。
『はい』
『丁度良かったわ。手伝って頂戴』
『かしこまりました』
 どうやら診療の手伝いをするために、あえて残っていたようだ。

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梓の非日常/第八章・太平洋孤島遭難事件(二)不時着
2021.04.03

梓の非日常/第八章・太平洋孤島遭難事件


(二)不時着

 梓達のもとに戻ってくるなり、一同に寸部違わず報告をする麗香。
「何ですって?」
 一番驚いたのが絵利香だった。
 この自家用機の機長以下乗務員は全員、篠崎グループ傘下の篠崎航空から派遣されてきている。当然何か起きれば全責任は、篠崎が負うことになる。
「機長に会うわ」
「お待ち下さい。機長達は、全精力を注いで着陸できそうな島を探索中です。邪魔をしてはいけません」
「そんなこと言っても、こんなことになったのは、わたしの……」
「絵利香さま、落ち着いてください。責任を感じていらっしゃるのは、良く判りますが、私達には機体を救う手だてはありません。とにかく落ち着いて行動することです」
 というように絵利香を諭す麗香は沈着冷静であった。護身術などで培った精神修養のおかげであろう。
「麗香さま、わたし達どうなるんですか?」
 メイド達が青ざめた表情で尋ねた。
「今、機長達が着陸できそうな島を探しています。おそらく胴体着陸となると思います。救命胴衣を着用しなさい」
「は、はい」
 震える手で出発前に教えてもらった通りに胴衣を着込むメイド達。
「さあ、お嬢さまがたもご着用ください」
 麗香が手渡す胴衣を受け取りながら、
「それでコースがずれた原因はなんなの?」
 なぜか落ち着いている梓が尋ねた。一度は死んで生き返った経験ゆえなのだろうか。
「はい。出発前に計量した荷物の重量と現在の重量に食い違いが生じているからです」
「どれくらい食い違っているの?」
「およそ八十五キロほど、重量オーバーしています」
 八十五キロという数字を聞いて、ぴくりと眉間にしわをよせる梓。以前に慎二との会話の中に、体重の話しが出た時のことを思い出した。
『へえ。梓ちゃんてば、四十五キロなんだ。軽いなあ。俺、四十キロ重い八十五キロね』
 席を立ち、つかつかと後部貨物室へと歩いていく梓。
「梓ちゃん、どこいくの」
「梓さま、危険です。席にお戻りください」
 貨物室のドアを、ばーんと勢いよく開けて暗闇に向かって叫んだ。
「慎二! 隠れてないで出てきなさい」
「え? 慎二ですって」
 貨物室からがさごそと音がして、のそりと慎二が姿を現わす。
「や、やあ……」
「やあ、じゃないだろ。おまえのせいで、飛行機がコースを外れて燃料切れになったんだぞ」
 慎二に詰め寄る梓。
「ほんとうか?」
 事情がまだつかめない慎二。
 その胸倉を掴んで詰問する梓。
「おまえなあ、飛行機がどこ飛んでるか判ってるのか? 海の上なんだぞ。燃料が切れたら海の上に墜落して最悪海の底へ沈むんだ。自動車みたいに道路脇に止めてレスキューを待つこともできないんだ。飛行機というものはな、ペイロードつまり積載重量によって航続距離が大きく変わるんだよ。たった一キロ増えただけでも大量の燃料を消費するんだぞ。だからと言って燃料を必要以上にたくさん積んだら、それもまたペイロード加算となって重量が増えて燃料浪費するだけだから、到着空港及び悪天候代替空港まで(stage length)の燃料分しか積まないんだ。そんなシビアな運航しているのに、密航して重量を増やせばどうなるか、そんなことも知らなかったのか」
「や、やけに詳しいじゃないか」
「お母さんに会いに、ブロンクスへ時々飛んでいるから。その飛行中の合間に、麗香さんが教えてくれたんだよ」
「そうなんだ……」
「ふん! これ以上おまえに言ってもしようがない。ほれおまえも救命胴衣を着ろ」
 といいながら自分の持っていた胴衣を放り投げる梓。
「麗香さん」
「はい、どうぞ」
 と胴衣を再び手渡してくれる麗香。
「ところで、麗香さん。この非常事態のこと、お母さんの方には連絡が伝わっているのかしら」
「はい。一番に連絡してあります。おそらく救援体制を整えていると思います」
「そう……」

 コクピットから放送が入った。
「お嬢さまがた、着陸できそうな島が見つかりました。これより着陸を試みます。乗務員の指示に従って非常事態着陸態勢を取ってください」


 広大な太平洋に浮かぶ孤島、周囲を珊瑚礁がぐるりと囲んでいる。
 その島を大きくゆっくりと旋回しながら高度を下げている飛行機のコクピット内。
「いいか、まずは珊瑚礁から離れた海表面に胴体着陸を試みる。極力水平かできれば後部を下げるような状態で着水するんだ。そのため、フラップ角度とスロットル加減を、コンマ秒単位で微妙に調整しなきゃならん。さらに勢いで珊瑚礁を乗り越えて礁湖内に進入、そして島に乗り上げるようにして停止する」
「うまくいきますかね」
「そんな弱気でどうする。絶対に成功させる気概を持て。俺達が確認を怠ったせいでこうなったんだからな」
「そ、そうですね。お嬢さまがたをなんとしても助けなければいけませんよね。たとえ着陸に失敗して機首が潰れても客室だけは無事に島に着陸させましょう」
「その意気だよ。幸いというべきか、燃料はほとんど皆無で爆発炎上はしないだろうから、着陸さえできればOKだ……」
「準備完了です」
「よし、ゴーだ」

 客室。
「機首を下げた。いよいよ着陸するわ」
 梓が声を上げると同時に機内放送が入る。
「これより着陸体制に入ります。お嬢さまがた、準備はよろしいですか? 着陸三分前です」
 放送を聞いて頭を抱えてうずくまる一同。
「ああ……神様、もし死んだりして生まれ変わるなら、再びお嬢さまのお側にお願いします」
 美智子が祈りを上げている。
「あ、わたしもです」
「わたしも」
「右に同じです」
 絵利香達や乗務員達が防御体制を取るなか、梓だけが一人ぼんやりと窓の外を眺めて思慮していた。
 ……ここで死んだら、どうなるのかな? あたしの魂そしてもう一人の存在にしても……
「一分前です」
 窓の外に海面が見えてきた。機体が海面すれすれに飛行をはじめたのであろう。やがて大きく旋回をはじめ、傾いた主翼が巻き上げる海水の飛沫が窓を濡らす。
「三十秒前」
 機体と海表面とが巻き起こす乱気流に、激しい震動がはじまっている。
「十秒前。まもなく着水します」
 緊張の度合が限界まで高まる。心臓は張り裂けんばかりに鳴動している。
「着水!」
 耐え難い震動が機内を揺るがす。歯を食いしばってそれに耐えている一同。喋ろうものなら舌を噛んでしまうであろう。

 島の砂浜に乗り上げて停止している飛行機。
 飛行機が進んできた後には、珊瑚礁が深くえぐれている。
 客室。
 不時着のショックで気絶している一同。梓も例外なく前部シートの背もたれに突っ伏している。
「お嬢さま、お嬢さま。大丈夫ですか?」
 その声に次第に意識を回復していく梓。
「う、うーん……」
「お嬢さま」
「あ、ああ……麗香さん」
 はっきりと目を覚まして、麗香に答える梓。
「お怪我はありませんか? 痛いところは?」
「どうかな……」
 立ち上がり通路に出て、屈伸運動などしながら身体に異常がないか確認している。
「どうですか?」
「うん。大丈夫みたい」
「良かったですね。でも、この島を脱出して内地に戻られましたら、念のために精密検査を受けましょう。交通事故などでも数ヶ月経ってから、鞭打ち症状が出ることも良くありますから」
「わかった……ところで、絵利香ちゃんは?」
「はい。先に気がつかれて、お嬢さまを起こそうとしておられましたが、後を私に託されて、機長を見にコクピットの方へ行かれました」
「そっか。やっぱり気になるんだろうね」

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