梓の非日常/第七章・正しい預金の降ろしかた(一)おしゃべり
2021.03.23

梓の非日常/第七章・正しい預金の降ろしかた


(一)おしゃべり

 放課後の校門前。
 手を振りながら別れる梓と慎二。
「梓ちゃん」
 自分の名を呼ぶ声に梓が振り返ると、絵利香とクラスメート達が歩み寄ってくる。
「ねえ。みんなでおしゃべりしようって、これから喫茶店に行くんだけど、梓ちゃんもいらっしゃいよ」
「ねえねえ。行きましょうよ」
 愛子が後ろから梓の肩を押していく。
 ……おしゃべりねえ。絵利香ちゃん以外の女の子同士の会話って苦手なんだけど……
「う、うん」
 近くの喫茶店に向かって歩きだす女子高生達。
 城下町川越の町並みをそぞろ歩きながらも、女の子の会話は尽きない。
 観光名所となっている初雁城址、時の鐘を経て蔵造りの町へと続く。
「あ、ここよ」
 菓子屋横丁の近くに店を構える和風喫茶に入る女の子達。
 テーブルは満席だったが、梓の姿を認めた一グループが、軽く会釈して席を開けてカウンターに移動したのだ。どうやら青竜会の一員のようだ。
「好意は無碍にするものじゃないものね」
 せっかく開けてくれたテーブル、相手に軽く手を振って遠慮なく座る梓とクラスメート達。
 六人席に座る女子高生のそれぞれの前に、それぞれが注文した品物が並んでいる。
「ねえ。真条寺さん」
「梓でいいわよ。あたしもあなたのこと愛子って呼ぶ」
「んーっ。じゃあ、梓さん」
「なに」
「沢渡君とはどういう関係なの?」
 単刀直入に切り出してきた愛子。
「なにを、いきなり」
「だって結構親しげじゃん」
「あいつとは何でもないよ。ただの喧嘩友達ってところよ」
「ふうん。喧嘩友達ねえ」
「二人は、沢渡君とは初対面だったんでしょ」
「うん。入学式にいきなり喧嘩して、投げ飛ばしちゃんだよね」
「なに、それ。沢渡君を投げ飛ばしちゃったっていうの」
「うん。あいつと会う時はなぜか喧嘩ばかりしてた」
 入学式の時、二人で暴漢達とやりあった時、そしてスケ番の時。それぞれの時の状況を思い出している梓。
「そうこうしているうちにさあ。何故か馬が合っちゃったというか……」
「でもさあ。沢渡君って、変わったわよね」
「そうそう、悪魔をも恐れさせると言われた、あの沢渡君よ」
「うん。沢渡君も、梓ちゃんといる時だけは、やさしい表情を見せるよね」
「そうなのかな……」
「やさしい表情といえば、ここ最近ぎらぎらした目つきのいかにもスケ番というような人達がいなくなったよね」
「そうそう。縄張り争いでさ、対抗グループが島荒らしをしていないか、見回りしてたみたいだけど」
「噂では、スケ番の二大勢力が一つに統合されたって聞いたけど。縄張り争いがなくなったせいじゃないかな」
「よほど強力な統率者が現れたんでしょう」
「ねえ。梓さん、沢渡君から何か聞いてない?」
「そうねえ。沢渡君なら、裏の事情をよく知ってると思うよ」
「さ、さあ……聞いてないわ」
 女子生徒達の会話に冷や汗かきっぱなしの梓。まさかその当事者が自分などとは口に出しても言えない。
 それを横目で見ながら、ほくそえんでいる絵利香。

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梓の非日常/第六章・ニューヨークにて(七)りんどうの花言葉
2021.03.22

梓の非日常/第六章・ニューヨークにて


(七)りんどうの花言葉

 数ヶ月前に遡る。
 学校から帰ってきて自室で着替えている梓。
 その着替えを手伝っている美智子だが、顔色が悪く具合が悪そうだ。
「美智子さん。大丈夫ですか?」
 気がついた梓が心配そうに表情をうかがう。
「いえ。大丈夫です」
 脱いだ衣類を受け取ってワゴンに乗せ、押して行こうとした時だった。
 その場にうずくまってしまったのだ。
「美智子さん!」
 駆け寄って額に手を当てる梓。
「ひどい熱だわ。誰か、来て!」
 悲鳴にも似た甲高い梓の声に、メイド達が大慌てで集まってくる。
「お嬢さま、どうなさいましたか?」
「誰か主治医を呼んで来て頂戴。美智子さんが病気です」
「かしこまりました」
 ルーム・メイドの一人が医者を呼びにいく。
「お嬢さま……私は……」
 美智子が弱々しくこたえる。
「今日は部屋に戻って休みなさい。これは命令です。いいですね」
「は、はい。わかりました」
「美鈴さん。美智子さんを部屋に連れていって看病してあげてください」
「かしこまりました」
「明美さんは、麗香さんを呼んできて」
「はい」
 やがて麗香が梓のところにやってくる。
「美智子さんのこと聞きました」
「仕事の前の打ち合わせで、気がつかなかったのですか? 美智子さんの具合が悪いこと。ただ仕事の分担の打ち合わせするだけでなくて、メイド達の健康状態をチェックするのも麗香さんの役目でしょう?」
「もうしわけありません。配慮が足りませんでした」
「麗香さん。メイドのローテーションに問題があるんじゃなくて? 病気だというのに無理して働いたりして、きっと自分が休むと他のメイド達に迷惑かけるって思ったんでしょうね。本当は休日なのに出てきている時も、たまに見掛けます。あたしが指摘すると部屋に戻りますが。美智子さんは一番頭だから、自分が休んだら迷惑かけると思っているんでしょうね。そんな職場環境は改善しなければなりません。休日はちゃんと取れて、仕事のことを完全に忘れて身体を休められるように、メイドを一人増やしてください」
「わかりました。メイドを一人増やします」
「それと、麗香さん。あなた自身もです。お休みの日は、ちゃんと身体を休めていますか? 少し疲れているんじゃない? よく気がつく麗香さんが、こんな失態を犯すとは思わないから」
 思わず苦笑する麗香。
「大丈夫ですよ。わたしは、メイド達と違って肉体労働がありませんから。御髪を解かしたりして、お世話してさし上げてる時間が幸せと感じているんです。疲れも取れてしまいますのよ」
 二人の会話を聞いていた明美は、お嬢さまが使用人思いの素敵なご主人であることに感動し、メイドとしてこれからもしっかりとお嬢さまのお世話をしようと心新たにしたのである。

 翌日。
 美智子の部屋、美鈴が花瓶に青紫色の花をいけている。
「きれいな花。リンドウね」
「あら、目が覚めたのね。気分はどう?」
「少し楽になったわ」
「お嬢さまが、学校の帰りにわざわざ花屋さんに寄って、買ってきてくださったのよ」
「お嬢さまが?」
「正確にはエゾリンドウって言うそうよ。花言葉知ってる?」
「気遣う心、でしょ」
「そう、身体を気遣いなさいというお嬢さまの心遣いよ」
「お嬢さま、やさしいから……」
「とにかく休息をとることが肝心ね」
 開いていたドアをノックして、明美が入って来る。
「美智子は、頑張り過ぎなのよ。でもこれからは、少し楽になるわよ」
「明美、お嬢さまの方はいいの?」
「うん。ピアノのお稽古の時間だから」
 しばらくすると開いたドアから、ピアノの旋律が聞こえてきた。
「楽になるってどういうこと?」
「お嬢さまが、麗香さんにメイドを増やすように指示してたのよ」
 梓が麗香を叱責していたことを一部始終話す明美。
「お嬢さまが麗香さまを叱るところなんてはじめて見たわ」
「麗香さまを叱れるのは、この屋敷ではお嬢さまだけだものね」
 ピアノの旋律に耳を傾けながら、使用人思いの自分達の主人に思いをはせるメイド達であった。
 それから数日後。
「成瀬かほりです。よろしくお願いします」
 一般のメイドの中から選りすぐられた新しい専属メイドが梓に紹介された。
 顔を見合わせて微笑む美智子達。

 再びブロンクス屋敷。
 梓のピアノの旋律が聞こえている。
『ん……いろいろ思い起こせば、やっぱりお嬢さまはやさしい』
『わたし達の事を大事に思ってくれているよね』

第六章 了

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梓の非日常/第六章・ニューヨークにて(六)ピアノの旋律
2021.03.21

梓の非日常/第六章・ニューヨークにて


(六)ピアノの旋律

 執務室。
 本日の業務はすでに終了して、渚は居間の方でくつろいでいる。
 ニューヨーク市警から戻ってきてすぐ、麗香は梓同席の下、専属メイドを呼び集めていた。
『ああいった場合、お嬢さまを最優先で逃がしてさし上げるのが本道でしょう』
 梓を目の前にして、メイド達を叱責している麗香。
『いや、それは、あたしが……』
『お嬢さまは、黙っていて下さい!』
『え、あ……』
 麗香の強い口調に言葉を失う梓。
『確かに喧嘩をはじめてしまわれたのはお嬢さまかもしれませんが、それを無理にでもお止めするのが本筋でしょう。なのに、一緒になって喧嘩に参加するとは。本末転倒じゃないですか』
 自分が関わったことで、メイド達が直属の上司である麗香に叱責されているところを、目の当たりにすることほど、苛まれることはない。自分自身が直接叱責されるよりも辛いものである。
 もちろん、主人である梓を麗香が叱責できるはずもなく、そうすることで関節的に自嘲することを促しているわけである。

 ドアがノックされてメイドが入ってくる。
『お嬢さま、渚さまがお呼びでございます。居間の方でお待ちです』
『ん? 今、いく』
 向き直ってから、
『それじゃ、麗香さん。美智子さん達をあまり責めないで』
 と言い残して退室する。
 梓が退室したのを見て、声の調子を落とし、表情を和らげる麗香。
『お嬢さまは、屋敷から出られないあなた達を不憫に思われて、わざわざ観光にお誘いくださったのよ。そんな使用人思いのやさしいご主人なんてそうざらにはいませんよ』
 と微笑みながら諭していく。
『はい』
『私達の大切なお嬢さまです。自分がどうなろうとも、お守りして差し上げる。そんな気持ちでいられるようにしたいですね。どうですか?』
『はい。その通りでございます』
『そう。判れば結構です。今日はもう部屋に戻って休みなさい』
『かしこまりました』

 居間に姿を現した梓。
『なあに、お母さん』
 ソファーに腰掛けている渚が答える。
『幸田先生から連絡があったわよ』
『幸田先生?』
『ええ、音楽コンクールのピアノ部門、審査員特別賞だったそうよ』
『審査員特別賞?』
『金賞に準ずるんですってよ。課題部門は文句なく一位だったそうだけど、自由部門で見事なオルガンの演奏を弾いたものの、ピアノではないということで、特別賞に決まったらしいわ。ともかく参加者の中の一位には違いないって』
『ふうん……』
『ちゃんと言いつけを守って、ピアノのお勉強を続けていたようね。安心したわ。久
しぶりに、聞かせてくれるかしら。梓ちゃんのピアノの演奏』
『う、うん』
『コンクールの自由部門で弾く予定だった曲がいいわね』
『わかった……』
 ピアノの椅子に腰掛け、呼吸を整えて、静かに弾きはじめる。
 美しい旋律が屋敷内に流れていく。
 目を閉じ、娘の演奏に聞き入っている渚。
 麗香が入ってくるが、梓の演奏を邪魔しないように、音を立てないようにそっとソファーに腰を降ろす。
 屋敷内を行き来するメイド達も、足を止め、仕事の手を休めて聞き惚れている。

 一方、解放されて美智子の部屋に集まったメイド達。
 開けたままの扉の外から、梓が演奏するピアノの旋律が流れてくる。
『きれいな曲……お嬢さまが弾かれているのね』
『相変わらずお上手』
 じっと聞き耳をたてて聞き入っているメイド達。
『この美しい曲は、お嬢さまの心の内を現しているみたいね。わたし達を気遣うやさしさとか』
『気遣う心か……。ねえ、美智子さんが風邪でダウンした時のこと覚えてる?』
『覚えてる。お嬢さまがわざわざ学校の帰りにリンドウの花を買ってきてくださったのよね』
『そうそう、その一件があって、かほりさんが仲間入りしたんだよね』
 言われてメイド達は過去を思い起こしていた。

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梓の非日常/第六章・ニューヨークにて(五)暴漢者達
2021.03.20

梓の非日常/第六章・ニューヨークにて


(五)暴漢者達

 梓達一行を柄の悪い連中が取り囲んでいた。
『エルドラドを降り立った時から、ずっとつけていたみたいですよ』
『お金の話しをしながら歩いていたからかなあ』
『というよりも、大金を持ち歩いている日本人観光客は目をつけられているからですよ』
『あたし達、観光客に見えるんだ』
『十分観光客に見えますよ』
 梓達が流暢な英語を喋っているので、意外といった表情の暴漢達。
『おまえら、英語が判るのか?』
 暴漢の一人が確認してきた。
『判るもなにも、地元だよ。この街で生まれ育ったよ』
 梓が答える。明らかにニューヨークなまりとわかる本場の英語である。
『ちっ! はずしたか……。まあいいや。なら、話しは早い。金を出しな』
『おお! 単刀直入にきたか』
『車から降りるときに財布を手渡されたのを見てる。全部出せ』
 といいつつ手を差し出す。
『やっぱり、車からつけてきていたんだ』
『早くしな!』
『やだね』
 あかんべえをする梓。
 暴漢に囲まれているというのに、落ち着き払っていて、少しも脅えていない。
『なんだとお。少し痛い目に会いたいようだな』
『痛い目って、魚の目か?』
『また、言ってる! 今どういう状況かわかってるの?』
 絵利香が金きり声をあげる。
『うーん……暴漢者に囲まれてる』
 とぼけた表情で答える。
『このお、ふざけやがって』
 いきなり殴りかかってくる暴漢。
 しかし梓は冷静に体をかわして、その腕を関節技に極めて、相手の勢いに乗せて投げ飛ばした。
『うおおお、い、いてえよお』
 地面に伏した暴漢は苦しみのたうちまわっている。
 暴漢はまともに技が決まってどこか負傷したようだ。受け身を知っていれば何ということのない技なのだが、暴漢達が知る術もなし。
『肘の関節が外れたよ、早く医者に診てもらった方がいいぞ』
『こ、こいつ。柔道が出来るのか?』
 暴漢達が尻ごみする。いとも簡単に大男が投げ飛ばされたのだ。当然の事だろう。
『柔道? 合気道だよ』
『しようがないですよ。投げれば、柔道。蹴れば、空手。棒切れ振り回せば、剣道。ぐらいしか知識がないんですから。攻撃技のない合気道はメジャーじゃないんです』
 といいつつ自分に襲いかかってきた相手に回し蹴りを食らわしている美智子。
『へえ、あなた達も武道のたしなみがあるんだ』
『当然ですよ。でなきゃ麗香さまが、お嬢さまのこと任せてくれたりしませんよ』
 と平然と男を投げ飛ばす美鈴。
『専属メイドの採用条件に、英語堪能という他に武道の心得も必須になっているのです。お嬢さまの護衛の任もあるんです』
 今度は明美が、踵落としを決める。
『わたし達の得意はそれぞれ違うんですよね』
 美智子の縦拳が相手の顔面に炸裂して、もんどりうって倒れる暴漢。
 合気道、空手、柔道、テコンドー、日本拳法。まさに技のオンパレードであった。
『そうなんだ……おおっと、絵利香ちゃん危ない!』
 背後から絵利香に近づこうとした暴漢を、跳び膝蹴りで撃退する梓。
 武道の心得のない絵利香をかばように、梓やメイド達は動きはじめた。

 その頃、ブロンクス屋敷の執務室では、非常事態を察知して動きだしていた。
 梓の行動を二十四時間監視している人工衛星が、警報を鳴らしたのである。
 パネルスクリーンには暴漢達に囲まれている梓達が映しだされている。
『大至急、ニューヨーク市警のコードウェル署長に連絡して』
 渚が指令を出す。
『かしこまりました』
 いったん屋敷に戻っていた麗香であるが、取って返して梓の元へと、エルドラドを走らせていた。

『もう、いい加減にしてよ!』
 いくら倒しても切りがなかった。次々と新手が出てくし、そうこうするうちに倒した相手が起き直って再び向かってきたからだ。
 さすがに疲れが見えはじめた頃、遠くからサイレンの音が聞こえてきた。
 すると暴漢者達は、ここまでと撤退をはじめた。
 その後ろ姿を見つめながら、
『あの、執拗さ……どうやら、金目当てだけじゃなかったみたいね』
『もしかして婦女子誘拐団だったりして……誘拐した婦女子が財産家だったら、身代金をとり、庶民なら薬づけにして、売春とかをさせるあれ?』
『たぶんそうじゃないかな。だって高級車のキャデラックら降り立った所を見られてるんだもの。身代金目的で誘拐するつもりだったのかも』
 パトロールカーが梓達の前に集まってきた。
 警官達が降りてきて、倒れている暴漢者達を確保していく。
 そのうちの一人が梓に近づいてくる。
『真条寺梓さんですね?』
『え、あ……はい』
『やっぱり。渚さまに生き写しだからすぐに判りましたよ』
『あなたは?』
『ニューヨーク市警のコードウェルです』

 ニューヨーク市警本部。
 その署長室に集まった梓達。
 麗香も後追い到着していた。
『お久しぶりですなあ。お嬢さまがた』
『ええと……いつ、お会いしましたっけ?』
『あはは。そうか、覚えておられませんか。そうですねえ、まだ五歳でしたものね』
『コードウェル署長は、お嬢さまが五歳の時に、迷子になられた時の捜査責任者です
よ。当時は警視でした』
 梓達の身柄引取に市警に出迎えていた麗香が答えた。
『麗香さんは、その当時から世話役をなされていましたね。お嬢さまが迷子になったと、真っ青になって駆け込んできた十三歳当時のこと覚えていますよ。コロラド大学の一年生でしたっけ』
 麗香は才媛なために、成績優秀飛び級で大学進学を許されていた。
『はい。その通りです』
『五歳で迷子というと、セント・ジョン教会とヴェラザノ神父のことは覚えているけど……』
『ああ。そう言えば、ヴェラザノ神父、お亡くなりになったそうですね』
『はい。こちらに戻ってきたのは葬儀に参列するためでした』
『そうでしたか。神父は音楽に造詣の深いお方でしたね』

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梓の非日常/第二部 第八章 小笠原諸島事件 (九)津波襲来
2021.03.19

梓の非日常 第二部 第八章・小笠原諸島事件


(九)津波襲来

 生徒達が原始的生活に勤しんでいるその時だった。

「みんな、あれを見て!」
 生徒の一人が、海の方を指さして、異変を伝えた。
 水平線の一部が大きく盛り上がっていた。
「な、なに?」
 全員が海に注目した。
 海の盛り上がりは次第に大きく、そしてまさしく近づきつつあった。
 尋常でない事態が発生している。
「も、もしかして……津波じゃないのか?」
「つ、つなみ? まさか……」
「俺、TVで津波の映像見たよ。間違いないよ」
 
 天候は予報できるが、地震とそれによって引き起こされる津波は予測困難である。
「無線で救援を求めて!」
 無線を管理している下条教諭に伝える。
「今から連絡するが、到底間に合わないよ」
 言いながら無線機を手に取った。

「父島の方でも、ハワイの太平洋津波警報センターから地震津波速報を受けているはずだよ。今対策を講じているよ」

「みんな木に登るんだ! 津波がくるぞ!!」
 島全体に聞こえる大声で誰かが叫んだ。
 全員大慌てで、木に登り始めた。
 しかし、女生徒など木登りができない者もいる。
 男子が、その尻を押し上げる。
 恥ずかしいなどとは言っていられない。
 生命が掛かっているのだ。

 津波に関する次のようなデータがある。

① 津波の速度={水深mx重力加速度(9.8m/s*2)}の平方根
② 津波の高さ≒水深の四乗根に反比例(グリーンの法則)することが分かっているが、地震の規模や発生過程によって変わるので明確な公式はない。
③ 水平線までの距離=1.06{h(2r+h)}の平方根(h は観測者の目の高さ、r は地球半径)

 太平洋の平均水深は4800mであるから、①式に当てはめると津波の速度は時速約780kmとなる。新幹線を遥かに上回る波が押し寄せることになる。ちなみに水深100mくらいになると時速約100kmまで落ちる。
 1960年に発生したチリ地震(Mw9.5)では、地球の裏側17000kmの彼方から22時間かけて到達し、最大6.1mの津波が発生した。
 身長1m80の人間が見える水平線までの距離は③式から約5km。
 よって水平線に津波が見えたならば、約23秒後にはもう津波はやってくるということになる。

 周囲に何もない太平洋のただ中ならば津波はそれほど怖くない。
 津波という名の通りに、ただの波なので船に乗っていれば、上下に浮かんだり沈んだりするだけだ。縄跳びの一カ所だけを見れば上下に振れていることが良く分かるだろう。
 津波が怖いのは、陸地に近づいてから。
 大陸棚に入り深度が浅くなって速度が落ちることによって(②式)、後ろから続く波によって押し上げられるように高くなる。
 ただの波が海水の流れと変わって寄せるようになるからだ。

 孤島の場合を考えてみよう。
 確かに深度が浅くなって津波の高さが上がってくることが想像できるが、実際にはそれほど急上昇はしないはずだ。
 これは川の流れの中にある岩を考えれば分かる。
 水は岩に当たっても、両側に素直に分かれてしまうからだ。
 津波が頻繁に行き来する太平洋の中の小さな島国が生き残っていられるのもこのせいである。
 ところがこれが堰や堤防となると、行き場を失った水はそれを乗り越えて、場合にはそれを決壊させてしまう。陸地を襲う津波がこれである。

 津波はすぐそこまで迫っていた。
「背中側を波に向けるように木にしがみ付いて!」
 その態勢は、波が来ても身体が木に押し付けられる格好になるからである。
 波の方に顔を向けていれば、木から剥がされて流されるということである。

 そしてついに、到来した津波が生徒達を襲った。

 木に登った生徒達の眼下では、島に上陸した波が砂浜を洗っている様子が見られる。
 波の高さは50cmくらいであろうか、海がまるで川のように流れている。
 ずり落ちないように必死で木にしがみ付いている生徒達だった。

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