梓の非日常/第八章・太平洋孤島遭難事件(三)機長負傷
2021.04.04

梓の非日常/第八章・太平洋孤島遭難事件


(三)機長負傷

 コクピット。
 客室乗務員が機長達の介抱をしている。コクピットには、操縦桿や各種のレバー類など突起物が多いので、胸を強打したりして怪我は免れなかったようである。
 副操縦士は軽傷だったらしく、無線連絡と機器の確認を続けている。
「機長。肋骨が折れているようです。救援が来るまで絶対に席を動かないでください」
 着陸の衝撃で身体が前方に投げ出され、胸部が操縦桿のハンドルを基部の根元から折り、その基部が胸部を貫いたのである。
「息はできますか?」
「ああ、何とかな。幸いにも肺は突き破っていないようだ」
 あえぎながら答える機長。骨折では息をする度に肋骨に痛みを生じて、かなり辛いようだ。声もかすれて聞き取りづらい。
「とにかく絶対安静です。折れた肋骨が肺や心臓を突き破らないようにしなくてはいけませんから」
 機内の設備では、せいぜい当て木と消毒しかできない。傷口が大きく開いているので縫合も不可能である。傷口を消毒しガーゼを当てて、細菌感染を防ぐという応急処置しかできない。
「お嬢さま、お怪我はありませんでしたか」
 コクピットに現れた絵利香を気遣う機長。自分の方が肋骨を折る大怪我をしているというのに、ご令嬢の絵利香のことを気遣っている。
「わたしは大丈夫です。機長こそ、傷の具合は?」
「肋骨が折れています。絶対安静です」
 乗務員が機長に替わって答えた。

 絵利香はコクピットを一時退室して、乗務員に機長の容体を確認した。
「機長はどうなんでしょうか?」
「問題は、細菌感染です。傷口が皮膚を突き破って、内臓部にまでに達していますから、細菌が内臓を汚染しはじめたら助かりません。しかもこの暑さ、細菌繁殖も活発です。一刻も早い救助が必要です」
「そう……冷房は?」
「バッテリー駆動でコクピットだけに冷房を入れています。エンジンが停止していて機内全体を冷房することができません。電気の続く限りコクピットだけに冷房を利かせたいと思います。よろしいですね?」
「もちろん、そうしてください。梓ちゃん達には、暑さは我慢してもらいましょう。そしてコクピットへの出入りは必要最小限に」
「問題はもう一つあるんです」
「もう一つ?」
「呼吸をどこまで続けていられるかです。息をして肋骨が動く度に激痛があるんです。息をし、激痛に耐える気力・体力がどれだけあるか。腹式呼吸してもやはり肋骨は動きますから」
「麻酔は?」
「医者がいないので処置ができません。麻酔薬はあることはあるんですが、適量も判らずに素人処置すれば、死に至る可能性があります。今の状況では自発呼吸は無理でしょう。意識を確かに維持しつつ、痛みに耐えながらも自力で呼吸するしかないんです。つまり下手に麻酔を処置して眠ってしまったら呼吸が止まってしまうんです。取り合えずの鎮痛剤を飲んでもらってるだけです」
「ここは梓ちゃんに何とかしてもらえないかな……」
 完全に覚醒している梓。悪運強く無傷状態の慎二もそばに来ている。
「お嬢さま、携帯電話をお貸し願えませんか」
「いいわよ。はい」
 ハンドバックから携帯を取り出して麗香に渡す梓。
「おい。こんな太平洋のど真ん中で携帯が使えるのか?」
「さあ……、日本以外では、ブロンクスの屋敷前で一度使ったことあるけど」
「これは、国際衛星通信を使用している携帯電話なんです。世界中どこからでも使用できます」
 と説明しながら、早速電話を掛け始める麗香。
『麗香です。そう……お嬢さま方はご無事よ。航路は追跡してたわよね。位置は……そんなにずれたの? 最も近くを航行している船舶を大至急こちらに回して……それで構わないわ。三時間後ね、わかった。後、島に不時着したDCー10型機を回収できる、工作船かタンカーも手配して頂戴……。三日かかるのね、わかったわ』
 引き続き次の場所に連絡を取る麗香。英語の会話になっているのは、国際衛星通信だからだろう。
『麗香です。はい、お嬢さまはご無事です。代わります』
 携帯を受け取って話す梓。
『お母さん……うん、どこも怪我してないよ。ぴんぴんしてる。うん……やっぱりお母さん、動いてたんだ。たった三時間で船を廻せるなんて、そんなに都合いいことないもん……。予定コースをずれた時点から? ん……ちょっと待って』
 そばに深刻な表情の絵利香が立っていた。
『なに?』
 母親との話しの続きからか英語で尋ねる梓。絵利香も英語で答える。
『お母さんとお話ししてるの?』
『うん、そうだよ』
『頼みたいことがあるんだけど、いいかな』
『どういうこと?』
 絵利香は事情を説明した。そしてその内容をもらさず渚に伝える梓。
『え? でも……わかった』
 携帯を閉じる梓。
『どうなの?』
 心配顔で尋ねる絵利香。
『ごめん、絵利香ちゃん。三時間以内にここまで来られる救助ヘリはないって。今こっちに向かってる船には、ちゃんとした手術室とドクターがいるから、それまで待っていなさいって』
『そう……しかたないわね。ここ島だからジェット機は着陸できないものね』
『ああ、でもね。十分以内にジェット機で軍医を連れて来てくれるそうよ。この島までジェット機で飛んで来て、落下傘で降りてくる手筈になってるそうよ。せめて医者がいれば、応急手術ができて最悪の事態は避けられるだろうからって』
『軍医が来てくれるの?』
『うん。お母さん、太平洋艦隊司令長官と懇意だから。多少のことなら無理も通るの』
『そう……』
『さ、軍医さんを迎える準備しましょう。救命ボートを出さなきゃね。島には降下できる場所ないから海への着水になるものね』

 不時着した飛行機から、非常縄梯子を使って梓と絵利香が降りてくる。麗香はすでに降りていて、救命ボートの準備をしている乗務員の指揮を執っている。
 命を失い掛けている機長がいる。それを救うために十分以内にやってくる軍医を迎えるべく、救命ボートとその乗員が最優先で降ろされたのである。
「まもなく来ると思います。環礁の切り口付近で待機していてください」
「はい」
 小型発動機付きの救命ボートがエンジンを鳴らして、飛行機が開けた環礁の切り口へと出発する。それを見送る梓達。

 一方飛行機の昇降口では、
「いやん。結構高いよ。タラップとかはないの?」
 高所恐怖症の美鈴がぐずっている。
「あるわけないでしょうが。早く降りなさいよ。機内は空調が切れて蒸風呂状態なんだから」
 明美が急かす。
「だってえ……」
 簡単に降りられる脱出シュートもあるのだが、それだと再び機内に戻れないので、縄梯子を使っているのである。なお後部脱出口は損壊して利用できなかった。
「窓が開けられればいいのにね」
 とこれは、かほり。
「開くわけないでしょ。高高度を飛ぶのに気圧の関係とか、客が不用意に開けないように機体に固定されてるんだから。ほれほれ、あなたも、早くしなさい。後ろがつかえてるんだから」
 そして美智子である。
「おーい。早くしてくれよお」
 こういう場合は、レディーファーストである。慎二は最後まで残されていた。

 やがて島の上空にジェット機が飛来する。
「来たわ」
 復坐機の後部座席から緊急脱出装置を使って飛び出してくる軍医と思しき人影。その直後には、機体の下部荷物室から荷物が射出される。軍医も荷物も、パラシュートが開いてゆっくりと降下をしてくる。
 環礁に待機していた救命ボートが、すぐさま回収に向かう。

 ものの五分で救命ボートが軍医を連れて引き返してくる。
『早速だが、患者に会わせてくれ。一分・一秒を争う』
 乗員から機長の容体を聞いていたのであろう。挨拶もなしにいきなり診療行動に入ろうとする軍医。
『こっちです』
 麗香が軍医と共に縄梯子を伝って上がっていく。
 絵利香が心配そうにその後ろ姿を追っている。
「軍医が来たから、もう大丈夫だよ。心配しないでいいわ」
 絵利香の肩に手を置いて慰めている梓。
「うん……」
「お母さんが手配した軍医だもの。ベテラン中の名医に違いないからね」
 飛行機の昇降口。出迎えるように美智子が戸口に立っている。他の者が地上に降り立ったにも関わらず、一人居残っていた。
『美智子さん。あなた、看護士の資格を持っていたわね』
 軍医の到着と同時に麗香たちの会話が英語に変わっていた。ちょっとした情報でも軍医に理解できるようにである。
『はい』
『丁度良かったわ。手伝って頂戴』
『かしこまりました』
 どうやら診療の手伝いをするために、あえて残っていたようだ。

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