梓の非日常/第二部 第一章・新たなる境遇(二)ディナー
2021.04.27

続 梓の非日常/第一章・新たなる境遇


(二)ディナー

「そうねえ……」
 と考えてから……。
 絵利香はボーイを呼び寄せて何事か相談していた。
「少々、お待ちいただけますか? 支配人にお話を通してみます」
 丁重な態度で用件を確認してボーイがホテルに戻っていく。
「なに、相談してたの?」
「いえね。このホテルには結婚式場があるじゃない。来客用の貸衣装とか借りられないかと思ってね」
「へえ、貸衣装があるんだ……」
「ホテルなら大概あるんじゃない? レストランにだって、ウェイトレスが粗相して客の衣装を汚してしまった時のために、ちゃんと用意してあるよ」
「そうなんだ。便利だね」
 やがて支配人がやってきた。
 依頼人が、ホテルのオーナー令嬢である絵利香だから、支配人自ら直接出向いてきたのである。
「絵利香お嬢さま。ようこそおいで下さいました」
「こんにちは、お邪魔してます」
「お話をボーイから承りました。お召し物の件はこちらでご用意させていただきますので、ご安心くださいませ。お料理の方も、十分吟味致しましてご満足頂けるものをお出しいたします」
「ありがとう。お願いしますね」
「どう致しまして。それではお食事のご用意が整うまでホテルでおくつろぎくださいませ」
 深々とお辞儀をして戻っていく支配人。
「やっぱりいいね。お嬢さまか……心地よい響きだよね」
 この頃には、梓と絵利香が富豪令嬢であることは、クラスメートや知人にはとっくに知れ渡っていた。ロールスロイスで通学したり、親睦旅行でのことを考えればすぐに気がつく。

 その後プールからホテルのレストランに移動して、慎二の快気祝いの食事会となった。
 各人、ホテルの貸衣装室で思い思いのドレスを着込んでいる。
 熱傷で何ヶ月も意識不明の重体だったとは思えないほどの、見事な食べっぷりを披露する慎二。
「いつもながら豚並みの食欲だなあ」
「そうねえ。せっかくのタキシードが泣いてるじゃない」
「服で食べるんじゃないだろう」
 食べ物を頬張ったまま喋る慎二。
「だったらタキシードなんか着なきゃよかったのに」
「一度着てみたかったんだよ。これ」
「馬子にも衣装という言葉は、慎二君には合わないわね」
「ほっとけ!」
 そんな慎二とクラスメート達の会話を黙って見つめている梓。
「おとなしいのね」
 絵利香が囁くように語り掛けてくる。
「そうかな……」
「だいぶ気にしているわね。負い目とも言ってもいいのかしら」
「なんでそうなるのよ」
「そうじゃない」
「おーい。絵利香ちゃん、次の皿はまだなの?」
 マナーとかの持ち合わせもない慎二に、周囲の他のお客がくすくすと笑っている。
「相変わらずね。慎二君は、一人前じゃ足りないでしょ。いいわよ」
 というとウェイターを呼び寄せて、もう一人前プラスして都合二人前を慎二に出すように指示を出している。ホテルのオーナー令嬢だからこそできることだった。
「サンキューね」
 食べているときが一番幸せという表情で、もう一人前の皿に舌なめずりしながら、フォークとナイフをすり合わせてから、手をつけはじめる慎二。
 命の恩人とはいえ、こういう常識知らずな面を見るにつけ、このまま付き合っていてもいいのだろうかと煩悶する梓だった。
「まあ、こういうところが慎二君のまたいいところじゃない。天真爛漫で嘘偽りのない正直な性格をまんま出しているんだから」
 と絵利香は、慎二をアフターフォローするが、梓にはいまいち納得できないでいる。
「そうなのかな……」
「そうそう」
 なんにせよ、慎二とはこれからも付き合いを続けていくのだろう。


 ニューヨーク・ブロンクスにある真条寺家本宅。
 当主である渚の執務室の電話が鳴る。
 渚専属の執事の深川恵美子が相手先を確認する。
『お嬢さまからのTV電話が入りました』
『はい』
 渚が机の上のコンソールを操作すると、右手の壁際にするするとパネルスクリーンが降りてきて、梓が映しだされて話し掛けてくる。
『お母さん、ただいま』
 その画面に向かって応える渚。
『お帰り、梓』
 梓は制服姿のままである。屋敷に帰ってきてすぐに連絡をいれてきた証拠である。その姿勢が母親としてはうれしいものだ。
 本宅と別宅に別れた状態で、ただいまにお帰りというのは実際には変な気もするが、母娘の間には、遠く離れた地にあっても、心が通じ合っていれば矛盾は感じていない。
『それで慎二ったらね……』
 梓は、今日一日に起きた事柄を、逐一報告している。男性である慎二という存在も包み隠さず話してくれる、母親としては思春期にある娘の気持ちも察して、決していぶかることなく真摯に梓の話しに耳を傾けてあげている。

『最近のお嬢さまは、ほとんど毎日のように慎二君の事を話されていますね。それも本当に楽しそうにです』
『そうね。正直に話してくれるのは、母親としては嬉しい限りだけど。やはり年頃の娘を持つ親としては、少々心配だわ』
『このままの関係が続けば、お嬢さまは、彼を真条寺家の婿としてお選びになりそうな予感がします』
『これは一度、その慎二君とやらに直接会って話し合ってみる必要がありそうね。いくら命の恩人だからといっても、それがトラウマとなって相手の真の姿を見失っているのかも知れない。麗香さんにしても、あまりにも近くに寄り過ぎているから、正確な判断を下せないでいるだろうし、ここは第三者の目で冷静に観察すれば真実も判るでしょう』
 慎二が国際救急センターに移送されて集中治療を受けていた際、渚も面会に訪れてはいたが、相手の容体を考慮して短く挨拶しただけであった。
 そしてある程度快復すると共に、再び日本の生命科学研究所へと移っていった。
『お嬢さまのお誕生日に、お呼びしたらいかがでしょうか。お嬢さまもこちらにいらっしゃることですし』
『そうしましょう。早速、麗香さんに連絡して』
『かしこまりました』

 慎二のアパート。
 渚から直接指示を受けて慎二を招待するために尋ねたのである。
 麗香がアパート名を確認して、階段を登りはじめる。
「こういう所に来るのははじめてね」
 世話役として梓と共に暮らすようになって、財閥令嬢の優雅な世界にどっぷりと浸かっている麗香には、一般庶民の生活に触れるのはこれが最初の出来事となる。
 同じ人間でも生まれた環境によってまるで生活を隔たれてしまう。かたや財閥のお嬢さま、かたやアパート住まいの一般庶民。雲の上の存在と、地を這いずりまわるもの、本来なら接点すら有り得ないはずなのに、なぜか神はいたずらをする人間交差点。
 命を投げ出して梓を助けだしたあの長沼浩二という男、しかもその男は当時中学生だった沢渡慎二という少年に男の何たるかを教えた。彼が、梓と慎二を引き合わせたのは、間違いのない事実であろう。麗華の知らないところで神は悪戯をしているようだ。
 そして今、梓と慎二の関係に新たなる予兆が始まろうとしている。
「ここね」
 203号室。確かに沢渡というシールが貼られている。
 ドアをノックする麗香。
「開いてるよ」
 と中から慎二の声が返ってくる。
 入っていいということかしら。
「失礼します」
 ドアを開けて、部屋の中に入る麗香。

 そこは安アパートのどこでもありそうな、作り付けの一畳程度の台所と四畳半の居間の二部屋のみ。1Kとも呼べないおそまつな間取りであった。とは言っても1Kという言葉自体、麗華が理解できているかは疑問であるが。仮に5LDKだっとしても狭いと感じるだろう。
 折りたたみ式の食卓を部屋の中央に置いて、カップ状の容器から麺状のものを、割り箸で口へ運んでいる慎二。
「もしかして今食べてらっしゃるのは、カップラーメンとかいうものではないですか?」
「そうだよ。って、カップ麺も知らないの?」
「はい。食事は、料理人達が作ってくれるものを、毎日頂いていますから」
「つまり自分で料理したこともないのかな?」
「いいえ。ニューヨークで梓お嬢さまと寮暮らしをしていた頃は、ちゃんと自分達で料理はしておりましたが、カップラーメンの存在は知りませんでした」
「寮生活で料理していたと言ったって、どうせブルジョアの生活だろう。毎日の食卓には、それこそフォアグラだのキャビアだのが並んだりしたんだろな。ま、そこまではいかないにしても、生活費は全部母親からもらっていたんだ。毎月いくらいくらの予算内でやりくりしなきゃならん俺達庶民の生活は知らないんだ。だからカップ麺のことを知らないんだ。このカップ麺がいくらするか知ってるか?」
 素直に首を横に振る麗香。
「このカップ麺が一個、七十円台から高くても二百円台だよ。これ一個で毎度の食事が済むんだ」
「そ、そんなに安いのですか?」
「まあね。それでそのブルジョアの方が、庶民の部屋に何のようかな」
「え? あ、はい。実は……」
「あ、ちょっと待って。全部食ってから聞くことにする」
 いきなりカップ麺を胃の中へかき込む慎二。物珍しそうにその光景を眺めている麗香。そばにあった未開封のカップ麺の容器を手にとり、説明書きを読んでいる。
 ……熱湯を注いで三分で食べられるのね。こんなものがあったんだ……
 最後の汁を飲み込み終えて慎二が口を開いた。
「さてと、さっきの続きを聞こうかな」
「あさってが、お嬢さまのお誕生日なのですが、ご存じでしたか?」
「え、そうなの? 知らなかったよ。教えてくれなかったものな。ということは、十六歳になるんだ」
「はい。それでニューヨークのブロンクスの本宅で、お誕生パーティーを開きます。そのパーティーに沢渡様をご招待することになりました」
「ありがたいけど、俺パスポートとか持ってないから、アメリカに行けないよ。今から申請したって間に合わないんじゃないか?」
 ハワイから強制送還を受けたことを思い出していた。
「アメリカ大使館で特別入国許可証を発行してもらいます。すでにアメリカ政府{入国管理局}の事前承認を得ておりますので、大使館で簡単な質問に答えて頂けるだけで済みます」
「あんたら、何者なんだ。アメリカ政府にコネでもあるんか」
「渚さまを甘く見てはいけませんよ。アメリカ政府どころか、世界の経済の行く末を握ってらっしゃるのですから」
「そうなの?」
「ともかく、今日中に申請に必要な書類を手に入れて頂きます」

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