梓の非日常/第九章・生命科学研究所(八)炎の中で
2021.04.22

梓の非日常/終章・生命科学研究所


(八)炎の中で

 炎は依然として勢いを止めなかった。
 酸素マスクがなかったらとっくにガス中毒で死んでいるはずである。
 炎を見つめる二人。
「なあ、もし助かったら約束してくれるか?」
「約束?」
「ああ、もし助かったら、浩二のことは忘れて、女の子らしくしてくれないか」
「あたしは、女だよ」
「そうじゃなくって! 性格的にだよ。空手なんかに熱中してないで、もっとしとやかにして欲しいんだ」
「それが、おまえの好みか? つまりちゃらちゃらした綺麗なドレスなんかで着飾って社交界デビューするような」
「いや、今の梓ちゃんも十分好きだよ。しかしそれじゃあ……」
「婿になり手がいないか?」
「婿?」
「あたしが嫁にいくような生活してるか?」
「そうだな……。婿がいなくなる。まあ金目当ての奴ならいくらでもいるだろうがな」
「それでもいいんじゃない? 適当に男と遊んでできた子供を後継者にすればいい。真条寺家は女系家族だ。子種さえもらえば、あえて夫というものを作る必要もない」
「あ、あのなあ……」
「冗談だよ」
「こんな状況で、よくも冗談が言えるな」
「気を紛らしているんだよ」
「まったく、たいした女の子だよ」
「へえ。女の子と思ってくれるんだ」
「あたりまえだ。梓ちゃんは可愛いよ。だが男っぽい性格はいただけないな」
「そうか、一応ありがとうと言わせてもらおうか。で、話を元に戻すと、ここから助かったら、女の子らしくしろと言うことだよな」
「そうだ!」
「助かる方法があるのか?」
「いいから約束してくれ。そうでなきゃ、決意が萎む」
「なんか知らんか……いいよ。約束する」
「よし、指きりげんまんしようぜ」
 といいつつ小指を突き出す慎二。
「おまえは、子供か!」
 呆れた顔の梓。
「いいじゃないか。約束をする時にはこれが一番だ」
「わかったよ。ほれ」
 そういって同じように小指を差し出す梓。
「♪指きりげんまん嘘ついたら針千本のーます♪ きっーた!」
 小指と小指を絡ませて口ずさむ慎二。
 思わず苦笑しながらも成り行き任せの梓。
「よし、約束だかんな。助かったら女の子らしくすること」
「わかった! で、本当に助かる方法があるのか?」
 自信満々の表情で慎二が答える。
「一つだけ方法があるさ」
「方法?」
「ああ……もちろんだ。梓ちゃんのきれいな肌に火傷すらつけないで無事に外へ連れ出す方法がね。一つだけある」
「そんなことできるわけないじゃない」
「いや、あるさ。ただし……梓ちゃんには諦めてもらうしかないがな」
「諦めるって、何を?」
「こいつさ」
 と慎二が指差した先には、長岡浩二が眠っている冷凍睡眠カプセルがあった。
 勘の良い梓は、慎二の意図がすぐに理解できた。
「うまいぐあいに、このカプセルは冷凍されていて、中に入ればその余熱でしばらくは中の人間を炎の熱から守ってくれるだろう。多少の凍傷にかかるかも知れないけどな」
「そんなこと……あたしに中に入れと言うの? だれがこれを運ぶのよ。それにカプセルから出した浩二君はどうなるの」
「だから言っているじゃないか。諦めてもらうしかないって。どっちにしろ俺たちが死ぬと同時にこの人も死ぬんだ」
「でもこの人は、命の恩人なのよ。見捨てられないわ」
「どうして、そんなにこの人にこだわるんだよ。とっくに死んでいるも同然のこの人に」
「それは……」
 言葉に詰まる梓。
 どう説明したらいいものかと悩んでいる。
「いいわ。ほんとのことを話してあげる」
「ほんとのこと?」
「ええ。驚かないでよ」
「わかった」
 それからゆっくりと長岡浩二と自分自身との関係を話し出す梓。


 長い話が終わった。
 いや実際にはそんなに時間は長くはなかったのだろうが、突拍子もない梓の説明を理解しながら聞くのに手間どり長く感じたのである。
「だから見捨てるわけにはいかないのよ」
「そうか……そうだったのか。それで、この人にこだわっていたのか……。何度もこの人に会いにきていたのはそのためだったのか」
「そうよ。わたしは、この浩二君の意識を移植されて生き返ったのよ。だから、わたしの意識の中には浩二君である部分も少し存在しているのよ」
「そうか……梓ちゃんに、どことなく男っぽいところがあったのは、そのせいなのか」「そうなのよ。だから、この浩二君は分身なのよ。見捨てることはできない。あたしだけが助かるなんてできないのよ」
「そうは言ってもな。実際問題として、一人でも生きる可能性があるなら、それに掛けるのはいいじゃないか。そのために犠牲になるのなら、この人も本望じゃないのかな。梓ちゃんを危機から救ってくれたのも、この人の性分だと思う。言ってたよ、
『女の子には優しく、時には守ってやるくらいの気概がなくてはいかんぞ。それが本当の男。男の中の男というもんだ』
ってね」
「でも……」
 いつまでも踏ん切りつかない梓。
 だがその背景には、梓が入ったカプセルを誰が運び出すかという問題があった。
 口には出さないが、判りきったことである。

「すまん!」
 と言うと梓に当身を入れる慎二。
「ううっ、し・ん・じ・く・ん……」
 そのまま気絶する梓。
「悪いな、梓ちゃん。これ以上、議論している時間がないんだ」
 言いながら、そろりと床に梓を横たえてから、冷凍睡眠カプセルに向かう慎二。
 操作パネルをじっと眺めて開閉ボタンを探し出す。
「これかな……」
 ボタンをぷちっと押すと、
 ぷしゅー!
 空気が抜ける音と共に、カプセルの蓋が開いた。
「長岡さん……。あなたにも、わかってもらえますよね」
 というと、その凍った身体を引きずり出した。
「さすがに冷たいな」
 床に横たえて、手を合わせる慎二。
「すみません長岡さん。これしか方法がないんです」
 立ち上がると、次の手順に入った。
「外れると思うんだが……」
 冷凍睡眠カプセルに繋がったケーブル類や、土台に固定している器具を取り外し始めた。
 そして力を込めてカプセルを引き剥がしにかかった。
 外壁についた露が凍っていて、カプセルはなかなか土台から離れなかったが、渾身の力を入れるとついにそれは動いた。
「よし。次はっと……」
 慎二は患者を運ぶ移送ベッドを持ってくると、そのカプセルをベッドの上に乗せた。かなり重くて苦労したが、何とか引きずるようにして移し変えた。
 そして床に気絶して横たわっている梓を、やさしく抱きかかえるとカプセルにそっと横たえた。
 童話の眠り姫のように美しいその姿。
 それが醜く焼け爛れていく様を見たくはなかった。
「俺はどうなってもいいが、梓ちゃんには無事な姿で生きていて欲しいんだ」
 そういうと、酸素を供給する酸素ボンベのバルブを少し開けて梓の脇に置き、静かにカプセルの蓋を閉める。
 さらに透明なガラス面から熱赤外線が入り込まないように上に手近な覆い布を被せて水をたっぷりと含ませる。
「さて、準備は整った……。問題は通路にも火が回っているかだな……」
 階段にたどり着くまでが勝負だった。
 床は平面で、移送ベッドを転がしていけるが、この重いカプセルを抱えて階段を昇ることは不可能だ。そうなると、カプセルから梓を出して抱えていかなければならない。もし火が階段から先まで延焼していたら万事休すだ。
「しかしやるしかないな」
 一分一秒、時間の経過と共に火は広がっていく。待ってはいられない。
 再び室内にあった水道の蛇口を捻って、体中に水を浴びて濡らし、さらにカプセルの多い布も水を含ませた。
「さて行くか……」
 大きく息を吸い込んで、
「なむさん!」
 叫ぶと、移送ベッドを力一杯押して炎の中へと飛び込んでいった。

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