特務捜査官レディー(十五)敬の復職
2021.07.19

特務捜査官レディー
(響子そして/サイドストーリー)


(十五)敬の復職

 某県警玄関前。
 さっそうとした身なりで敬が、そのスロープを歩いて玄関に入ろうとしている。
「帰ってきてやったぜ」
 ふと立ち止まって県警のビルを見上げながら呟く敬。
 万感の思いがよぎる。
 実に二年ぶりの登庁であった。

 生活安全局薬物銃器対策課のプレートが下がっていた。
「以前は薬物と銃器対策課は別だったんだけどな……」
 まあその方が捜査には便利である。
 報道関係から不祥事叩きを受けている警察も、ニュースにならないように、少しは改善しようという風潮がはじまっているというところであろう。
 おもむろにドアを開けて中に入っていく。
 中にいた警察官達の視線が集中する。
「う、うそっ!」
「まさか、冗談じゃないだろ!」
 敬の顔を知っている同僚が驚きの声を上げた。
 そりゃそうだろうね。
 殉職したことになっている人間が現れたのだから。
「か、課長! 沢渡です! 沢渡が戻ってきました!」
 書類に目を通していた課長にご注進する同僚。
「さ、沢渡……」
 課長も驚きは同じだった。
 唖然とした表情で、口に咥えていた煙草をぽろりと落としても気づかない。
「課長。沢渡敬、ただ今ニューヨーク研修から戻って参りました」
 一応儀礼的に挨拶をする敬だった。
「あ、ああ……ご、ご苦労だった」
 つい釣られるように答える課長。

 一斉に同僚が集まってきた。
「沢渡、生きていたのか!」
「そうよ。ニューヨークで殉職したって聞いて、びっくりしちゃんだから」
「生きていたなら、どうして今までずっと連絡しなかったんだ」
「おまえ二階級特進してんだぞ」
 次々に言葉を掛けてくる。
「悪い悪い、いろいろと事情があってな。麻薬捜査で組織に狙われて、姿をくらましていたんだ」
「それが殉職と関係があるんだな」
「そうなんだな」
 懐かしい同僚達との語らいだった。
「おい。沢渡君」
 課長が割って入った。
「はい、課長」
「これまで行方不明だった事情はともかく、君は一応殉職扱いで戸籍を抹消されている。戸籍の回復手続きをしなければならないし、君が望むなら警察官としての復職も元通りにな。それに必要な書類とか揃えるのをこちらで用意してあげようと思うのだが」
 局長はともかく、この課長は人情味溢れる模範的警察官であった。
 性同一性障害者の薫に対しても理解があり、女性警察官として自分の配下に置いて、いろいろと骨折りしてくれていた。薫に女性用の制服を支給し、麻薬没滅キャンペーンのチラシに他の女性警察官と一緒に載せたりもした。
 課長のおかげで、薫は署内でも一人前の女性警察官として扱われ、その職務を順調にこなすことができたのであった。
 敬が一番に課長の元を訪れたのは、そういった事情からまず最初に挨拶するべきだと判断されたのである。
「お願いします。死亡報告書を提出した警察側が動いてくれないと、戸籍復帰は適いませんからね」
「そうだな。で、ご両親の方には?」
「まだ会っていません。」
「いかんなあ。まず一番に知らせるのがご両親じゃないのか?」
「親はなくても子は育つですよ」
「なんじゃそれは?」
「あはは、順番はどうでもいいじゃないですか。ここの後でちゃんと帰りますから」
「うん。そうしてくれ」
 このように親のことにも気をつかう課長であった。
 ここを一番にしても罰当たりにはならないだろう。
「ところで……佐伯君の方なんだが……」
 言いにくそうに、もう一つの件を切り出す課長。
「残念ながら、薫は僕の腕の中で逝きました」
「そうか……好きな人の腕の中で逝ったのなら、少しは救われたかな」
「そうかも知れませんね……」
「後で、薫君のご両親にも挨拶しに行くことだな。君だけでも生きていたと知ると喜ぶだろう」
「そうします」
 世話話的な会話が続いている。
「ところで局長はどうされていますか?」
 今日の主眼ともいうべきことを切り出す敬。
「局長か?」
「はい」
 人事異動がされていないことを確認していた。
「相変わらず、と言っておこう」
「そうですか……」
「会いに行くのか?」
「行きます」
「そうか……まあ、気を静めてな。外出の予定はないから、たぶん局長室にいるはずだ」
 敬達をニューヨークに飛ばした事情を知っている課長だった。
 課長とて所詮組織の中の一人でしかない。局長の決定した敬達の処遇には、反対するべき立場にはなかった。
「ありがとうございます」
 麻薬銃器対策課を出て、生活安全局の局長室へと向かう。

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響子そして(十四)新しい門出
2021.07.18

響子そして(覚醒剤に翻弄される少年の物語)R15+指定
この物語には、覚醒剤・暴力団・売春などの虐待シーンが登場します


(十四)新しい門出

 それからしばらくして、彼女は赤ちゃんを抱いて退院していった。
 わたしの方も覚醒剤からの脱却のプログラムが終わりを告げようとしていた。
「よおし、良く頑張ったね。もう覚醒剤はいらないよ」
「でも、量を減らしてきたとはいえ、完全にやめても大丈夫でしょうか?」
「その心配はいらない。ここ一週間、覚醒剤は射っていないからね」
「え? でも昨日まで注射してたじゃないですか」
「注射したのは、ぶどう糖だよ。いわゆる精神治療の一貫だよ。とっくに身体的覚醒剤からは脱却できていても、精神的にはなかなかその不安を取り除くことができない。特に覚醒剤はそうなんだ。だから覚醒剤と偽ってぶどう糖を打ち続ける。その後で事実を話してあげると、納得して安心できるというわけさ」
「そうでしたか……」
「ところで、退院ということになるのだが、住むところも働くところもないんだろ?」
「はい。祖父がいるんですが、裁判以降連絡がありません。たぶん勘当されていると思います。そうでなくてもこの身体ですから戻るに戻れません」
「だろうな……。そこでだ。君にいい就職先を紹介してあげようと思う。社員寮もあるから住む場所も心配しなくていい」
「ほんとうですか?」
「袖触れ合うも多少の縁というからな。あ、いかがわしい会社じゃないからな。安心したまえ」
「ありがとうございます」
「これが紹介状だ。期日は今日なんだが行ってくれないか。相手も忙しい身でね。他に時間が取れないんだ」
「でも、着ていく服がありません……」
「うん。身一つで入院したからな。服もこちらで用意してあるよ。後で看護婦が持って来てくれることになっている」
「何もかも……すみません」

 こうして看護婦が用意してくれた、リクルートスーツ一式で身を固めて、その会社へと足を運んだ。
 駅近くの一等地に自社ビルを抱える一流の製薬会社だった。
 それだけでも驚きなのに、まさか……、二次面接で社長室を訪れた時、そこに先生が座っているなんて、本当に驚いた。
 わたしは受付嬢としての辞令を頂き、早速その日から家具付きの社員寮に入る事ができた。入社祝いという事で、先生がポケットマネーを出してくれた。そのお金で衣料品や日用雑貨品を買い揃える事ができた。
 夢のような日々が過ぎていく。
 さらには先生の尽力で、戸籍の性別変更が認められて、磯部響子という正真正銘の女性になった。男性との結婚もできるようになった。
 会社の顔である受付嬢の仕事は大変だったが、やりがいもあった。
 十六歳の時から、飲みはじめた女性ホルモンのおかげで、完全な女性のプロポーションを獲得して、社内一の美人ともてはやされた。

 そしてある日、倉本里美というわたしより美しい女性が入社してきた。
 なんと! わたしと同じく先生から性別再判定手術を受けていたのだ。
 しかし、ほとんど強制的に知らないうちに手術を施されという。
 聞けば、あの研究所員が発明したという、ハイパーエストロゲンとスーパー成長ホルモンを注射されて、たった一日で豊かな乳房になってしまったというじゃない。あの話しは、ほんとだったんだと再認識した。
 そういうわけで、女性に成り立てて、まったく何も知らなかった。普通の性転換者は、女装や化粧を身に付けて、しっかりと女性の姿でいることに自信を持てるようになってから、手術を受けるものだ。
 化粧の仕方も、生理の手当てすらも知らない初な女性。それが里美だ。
 わたし達は、一緒に暮らすようになって、女性としての教育を里美に教え込んでいった。もともと素質があったのか、彼女はまたたくまに女性的な言葉や仕草を修得していった。
 わたしより二つ下で、共に生活しているうちに妹のように感じるようになっていた。里美の方も、わたしを姉のように慕っているようだった。里美は本当に可愛い。

 さらに渡部由香里が妹に加わった。
 この娘は心身共に完璧な女性だ。その証拠に先生の息子で会社の専務である、英二さんと大恋愛し婚約するまでになった。潔白の精神の下に清い交際を続けたあげくのゴールだ。わたしも明人という旦那がいたにはいたが、それはセックスという行為で結ばれたものだった。わたしと明人との愛をはるかに超越した、男女の真の愛の姿というものを感じさせてくれる。
 他人も羨むほどの仲睦まじい関係なのだが、由香里の尻に敷かれている英二さんが情けない。会社では営業成績断トツの営業マンで、威風堂々の専務なのであるが、由香里の前では尻尾を振る飼犬に成り下がってしまう。
 しかもこの二人、お酒にめっぽう強いのだ。うわばみと呼んでもいい。
 英二さんがプロポーズした食事会のあの日。食事の後、二次会・三次会と称して飲み歩いたのだが、わたしと里美がダウンし、わたしのアパートに戻っても、自宅にキープしていたボトル五本を空にするまで、飲み明かした。しかも翌朝、二日酔いでふらふらのわたしと里美を尻目に、まったく平気な顔で出社していた。
「さあ、今夜は五次会だよお」
 とか言って、酒と肴をごっそりと買い込んできたのには、さすがに参った。
 婚約したのがよっぽど嬉しかったのだろうが、いい加減にしてほしいわよね。
 なお念のために言っておくと、先生の手による性転換の実施日はわたしの方が早いが、女装歴については彼女の方が長い。つまりわたしが仮出所した日より以前に、睾丸摘出の手術をされたらしい。

 そして桜井真菜美……。
 この娘は十六歳の高校生。
 わたしたち三人とは違って、正真正銘の女の子。
 自殺して脳死状態に陥ったが、さる男の脳を移植されて生き返った。
 思えば、この男の捕物帳における囮役は、男性経験豊富なわたし以外には考えられなかった。先生もそれを考慮して決定してくれたようね。
 あまりにも悲惨なわたしの過去は、妹達には一切秘密にしている。
 脳神経細胞活性化剤と女性ホルモンによって、脳の再分化が起こり女性脳に生まれ変わったのだが、真菜美ちゃんは記憶喪失状態。しばらくは元の男性の意識体がバックアップしてくれていたようだが、今は深層意識の奥底に潜り込んで表には出てこないそう。
 これから体験し記憶する事が新たなる人格形成となる。
 わたし達は、この娘の成長を温かく見守る事にしている。

 これまでのわたしは、波乱万丈というめまぐるしい人生模様が繰り広げられていた。
 わたしの人生は、常に性行為という男女の絡みが付きまとっていた。
 覚醒剤に翻弄された人生。わたしと明人の母親。わたし自身も危うくその毒牙に犯される寸前にあった。
 血液型では、両親を仲違いさせる原因となったが、明人の命を救った。

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特務捜査官レディー(十四)これから
2021.07.18

特務捜査官レディー
(響子そして/サイドストーリー)


(十四)これから

 身も心も結ばれた感動の余韻に浸りながら、並んで横になる二人。
 これまでの経緯からすぐには眠りに付けそうになかった。
 寝物語として、これまでの二人の生き様を披露しあう。
 真樹は、生死の境を乗り越えて、かの先生の手によって真の女性として生まれ変わった人生。
 敬は、追撃を振り切って特殊傭兵部隊に入り、ニューヨーク市警の所長暗殺に至った経緯。
 二人の話は尽きなかった。

 やがて今後の問題に入った。
「ところでさあ……。一緒に仕事しようと言ったこと考えてくれた?」
「うん……その件だけどさあ」
 煮え切らない返答に、
「あ、別にいいんだよ。今は新しい両親の元で真樹として暮らしているんだし、俺と結婚して専業主婦になるってのでもいいんだ。親孝行も大切だからね。用は一緒に暮らせればいいんだ」
 と切り替えしてきた。
 確かにそれでもいいとは思っている。
 結婚し家庭に入って、子供を産んで育てる。ごく普通の主婦としての生活。
 それでも十分な幸せと言えるだろうし、今の両親の願いでもあるはずだった。敬はそのことを考慮して言ってくれているのだった。
 しかしわたしの意志は決まっていた。
「違うのよ。敬と一緒に仕事したいけど、ちょっと都合があって……」
「都合って?」
「はっきり言うわ。わたし、麻薬取締官になるつもりなの」
「麻薬取締官?」
「そうよ。どうせ一緒に仕事するなら、やり残したことをちゃんと片付けたいと思う」
「磯部健児か?」
 すぐに答える敬。
 彼も心の隅にずっと気に掛けていたようだった。
「でもね。一介の警察官じゃ、あの生活安全局の局長が大きな壁になる。健児を挙げるのも、局長の真の姿を暴くのも不可能だと思うのよ」
「そうだな。その権限を笠に掛けて握りつぶされるのがおちだな」
「最近の警察の不祥事のニュースを見ても判るとおり、警察内部は腐りきっているわ。身内を庇ったり、不祥事を隠蔽しようとしたり、毎日のように馬鹿げた報道が繰り返されている」
「俺達がニューヨークへ飛ばされた要因でもある縦割り行政の問題もあるからな。生活安全局、刑事局暴力団対策課、それぞれが縄張り争いしてる」
「ああ、それだけど。警察庁組織が改編されて、薬物銃器対策課というのが刑事局組織犯罪対策部の中にできたらしいの」
「そうなのか?」
「警察庁にはね。でも地方警察の方では、相変わらず生活安全局の中にあるところが多いわ」
「ふうん……まずは本庁から組織改編をはじめて、いずれ地方に手を掛けるんだろうな」
「でも、国家公安委員会の下の警察機構の中では一本化されつつあっても、薬物銃器対策の組織ととしては、依然として厚生労働省麻薬取締部や、財務省税関そして海上保安庁とがある。それぞれ独自に捜査を続けていて、綿密に連絡を取り合って情報を共有しあって、薬物銃器対策の捜査に役立てているところは皆無に近い状況だわ」
「どっちにしても今の警察はだめだ!」
「だから警察内でいくら足掻いても無駄なこと、治外法権的な立場から警察を暴くしかないわ」
「それが麻薬取締官か……」
「そうなの。行政組織が違うから、犯罪を立証しさえすれば警察内部に踏み込むことが可能だわ。あの局長だって逮捕することだってできるはずよ」
「麻薬取締官か……俺には無理だな」
「だから、以前申請していたじゃない。麻薬と銃器を取り締まる、それぞれの行政組織を一体化させた新しい組織の創設よ」
「ああ、局長に一握りで潰された話だな」
「麻薬犯罪は悪化の一途を辿っているわ。このまま手をこまねいていては、いたいけな少年少女までにも蔓延してしまう。何せ世界一の生産・輸出国家であるアフガニスタンや南・北朝鮮から大量に流出しているんですもの」
「とにかくだ。おまえだけでも麻薬取締官になれよ。国家公務員の採用試験は一年に一回しかないんだからな」
「うん。判った」
 愛し合う二人だが、それにもまして正義感に溢れることが、こんな会話を可能にしていた。
 正義を守って悪を絶つ。
 二人に共通する思いの丈であった。
「取りあえず俺は、元の警察官に戻るよ。沢渡敬としてね」
「敬として?」
「ああ、あの局長にこの生きた姿で会ってやる」
「驚くでしょうね」
「とにかく局長が俺達を陥れたという証拠はどこにもない。そのためにこそニューヨークへ飛ばしたんだからな」
 確かに今の腐敗した警察内部の不祥事は、報道関係が目を光らせている。一介の警察官が死んだというそれだけもニュースになる時代だ。だから、警察官の死亡など日常茶飯事のニューヨークへ飛ばし、抗争事件の巻き添えで殉職というシナリオを用意していたのだ。
「でも、生きて戻ってきたとなれば、また敬をどうにかしようと動き出すでしょうね」
「そこが狙いだよ。今度こそ、奴の首根っこを捕まえてやる。特殊傭兵部隊で鍛え上げた強靭な身体と根性を見せてやるよ。俺の命を狙うなら狙えってみろだ。返り討ちにしてくれる」
「大した自信ね」
「実際、幾度となく死線を乗り越えてきたからな」
「ほんとにね……」

 ともかくも、わたしは麻薬取締官、敬は元の警察官に戻ることを決めた。
 磯部健児を検挙し、犠牲となった磯部親子に報いるためにも、わたし達ができ得ることをしようと誓い合った。

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響子そして(十三)赤ちゃんのこと
2021.07.17

響子そして(覚醒剤に翻弄される少年の物語)R15+指定
この物語には、覚醒剤・暴力団・売春などの虐待シーンが登場します


(十三)赤ちゃんのこと

 それから数日後。
 わたしは、かの女性の病室を尋ねることにした。
 彼女が退院する前に、一度会っておきたかった。
 彼女は、丁度赤ちゃんを抱いて授乳させているところだった。
「こんにちわ。お邪魔します」
「聞いているわ。わたしと同じ性転換手術した女性が入院しているって。あなたね」
「はい。そうです」
 赤ちゃんは、一心不乱にお乳を飲んでいる。時々、その乳房を軽く揉むような仕草をみせるのは、お乳が出やすくするため本能的にやっていることなのか。
「ちゃんとお乳が出るんですね」
「当たり前よ。この娘を産んだ母親なんだから」
 十分飲み終えたのか、乳首から口を離した赤ちゃん。それを見計らったように、彼女は抱き方を変えた。
「赤ちゃんは、お乳と一緒に空気も飲み込んじゃうの。その空気を胃から追い出さなければならないけど、自分でげっぷを出せないから、こうやって縦だっこして背中をたたいて、出してあげないといけないの」
「へえ、そうなんだ」

「あの……。わたしに、抱かせていただきませんか?」
「どうぞ、構いませんよ」
 快く引き受けてくれた。そっと大切に受け取って抱き上げる。
 一瞬、とまどったような表情をした赤ちゃんだったが、やさしく声をかけてあやすと、安心したような顔に戻った。
 じっとわたしを見つめている。
「可愛いでしょう?」
「ええ、とっても。さっきからじっと見つめてるわ」
「それはね。赤ちゃんは本能的に、黒くて丸いものに反応する習性があるのよ。実際にそれは母親の瞳になるんだけどね。だからじっと見つめ合う格好になるわけよ」
 そういえば、鳥の雛が親鳥の口先の色に反応してそれを突つく習性があって、それが餌をねだる行為になっていうと聞いたことがある。
 指を頬に軽くあてると、それを吸おうとして顔をそちらに向ける。反対を触るとまたそっちに向こうとする。お乳を飲んで満足しているはずだが、頬に何か触ると反射的にそれを吸おうとするのだ。
 足の裏を触ると、足指を曲げる動作をする。くすぐったいからではなく、そのものを握ろうとする反射だそうだ。
 やがて、小さな口を精一杯開けてあくびをすると、そのまますやすやとわたしの腕の中で寝入ってしまった。
「あは……眠っちゃった。可愛い寝顔」
「それは、あなたを母親だと思って安心しきっているからですよ」
「母親?」
「赤ちゃんが眠りにつくには、心身ともにリラックスできる状態じゃないと、なかなか寝付けないのよ。母親に抱かれているという接触的安堵感、そしてやさしいその表情と声掛けがあって、自分は見守られているんだと本能的に感じ取って、はじめて安心して眠る事ができるわけね」
 そっと静かに、傍らのベビーベッドに寝かせて布団を掛けてあげる。
「あなたには、しっかりとした母性本能が身についているわ。これなら子供を産んでも大丈夫よ」
「そうかしら……」
「たった今、この娘が証明してくれたじゃない」
「それは、そうみたいだけど……」
「自信を持ちなさいよ。大丈夫、あなたならちゃんと母親になれわよ」

 彼女は、わたしが子供も産める女性になるために、本当の性転換を受けたけど、母親になる自信を持てないと思っているようであった。

「実はわたし、手術は二度めなんです」
「二度め?」
「最初は、人工的な造膣術を施しただけの手術で自分の意思で行いました。二回目の今度は、実は自殺して意識不明の間に先生が、本当の女性にする手術をしてくれました。そういうわけだから、わたし最初から、子供を産む事なんか考えもしなかったんです」
「へえ、自殺したんだ……。何か、いろいろと深い事情がありそうね。よかったら話してくださらないかしら? わたしでも相談にのってあげられることもあるかも知れないから」
 彼女は、わたしと同じ性転換者であり、悩みについても共通のものがあると思った。
 わたしは正直に話した。

「そうか……。大変だったわね。覚醒剤は、人生を狂わせる悪魔の薬。一度その毒牙にかかったら二度と抜け出せない。わたしの研究所でも、こっそり持ち出したり、使用量を偽ったりして、試しに使用してみる人が結構いるのよね。で、抜け出せなくなって、さらに持ち出して発覚してくびになってる。結局抜け出せなくなって廃人になってしまったのを何人も知っているわ」
「あなた、覚醒剤に関わっているの?」
「だって、製薬会社の研究所員ですもの。覚醒剤どころか、大麻・麻薬、今はやりの合成麻薬MDMAだって扱っているわよ。でも、わたしが担当しているのは、女性ホルモンとか性転換薬とかいった分野よ。つまり、あなたとわたしに直接関わるホルモン剤の研究してる」
「性転換薬なんてできるの?」
「できるわよ。原理は判ってるし、調合方法も完成しているの。ただ、原料がなかなか手に入らなくてね。苦労しているわ。もう一つの研究テーマである、ハイパーエストロゲンとスーパー成長ホルモンは完成してる。先生に臨床実験をお願いしているわ」
「なにそれ?」
「答える前にこちらから質問するわ。あなた最初の性転換手術する時、当然女性ホルモン飲んで胸膨らんでいたでしょう?」
「ええ、もちろん」
「それなりになるのに、何ヶ月かかった?」
「わたし、思春期にはじめたからAカップになるのに二ヶ月、半年でCカップだったわ」
「へえ、早いのね。わたしなんかAカップには半年かかったし、Bカップ以上にはならなかった。もっとも今は授乳のために臨時的にDカップくらいにはなってるけど。で、本題……。さっきのホルモン剤は、たった一晩で立派な乳房や女性的な身体を作り上げちゃうという夢の薬なの」
「ほんとうなの?」
「ほんとうよ」
「信じられないわ」

「話しは戻るけど、女性ホルモンだって、男性が飲みはじめて半年以上も経てば、睾丸が萎縮して、二度と元に戻れなくなる。一生飲み続けなければならないという点では、覚醒剤みたいなものね」
「それはそうだけど……。でも、わたし達は飲まなくてもいいんでしょ?」
「当たり前よ。卵巣があるんだもの。子宮もね」
「でも反面、毎月生理になるわ」
「それだからこそ、女性の喜びもあるわ。子供を産めるんだもの」
 と言って、ベビーベッドの赤ちゃんに目を移す彼女。
 実際に現実を目の当たりにしていると、彼女の言い分が正しいように感じる。

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特務捜査官レディー(十三)再会の日
2021.07.17

特務捜査官レディー
(響子そして/サイドストーリー)


(十三)再会の日

 卒業式を迎えることとなった。
 女子大生よろしく、袴スタイルで着飾って友人達と仲良く記念写真におさまる。
 大学生活をエンジョイしながらも、国家資格試験&採用試験に向けての勉強は忘れていなかった。
 その年の六月までには二つの試験に合格し、八月に行われる予定の麻薬捜査官の受験資格を得たのである。
 実際に受験するかは、敬と相談の上で決定することにする。
 敬は一緒に仕事しようとは言ってくれているが、それはあくまで警察官同士ということだと思う。だから麻薬捜査官になるのには難色を示すかもしれない。国家公務員と地方公務員では、同じ職場を共にすることはできないからである。
 しかし地方公務員では、あの局長と健二を捕らえることはできない。

 そしてついに、敬との再会の日を迎えた。

 その日は朝から、念入りに化粧を施し、時間を掛けて慎重に衣装を選んだ。
「どうしたの? 今日はずいぶんとおめかしして」
 母が何事かと首を傾げている。
「うん……ちょっと」
「デートかしら?」
 図星を当てられて当惑する。
「やっぱりね。女の子ですもの、好きな人ができて当然。楽しんでらっしゃい」
 母親として理解ある言葉だった。
「できれば、その男性を紹介してくれると嬉しいんだけど……」
「はい。もしそれができるようでしたら、紹介します」
 敬のことだ。会ってみて、以前のままのやさしい彼だったら、現在の母にも会ってくれるはずだ。
 ただ傭兵部隊に入隊していたというから、それがどんな部隊か判らないが、スナイパーとして腕を磨いたという発言から、人殺しも是とする集団なら、心が荒んでしまっている可能性もある。

 あの日以来、連絡はなかった。
 今日会ってすべては動き出す。
 意気投合し、仕事を共有した後に幸せな結婚生活になるか。
 相容れずに別離の果てに敬は傭兵部隊の一員として戦場で散り、自分は涙に暮れるか。

 ともかくも敬と会って相談して決めよう。

 そして今、約束の大観覧車の前に立っている。
 敬の姿はない。
「ここでいいんだよね……時間は午後八時。ちょっと少し早いけど……」
 果たして姿形の変わったわたしを、敬が気づいてくれるだろうか?
 あの日のデートの時に着ていた服にすれば良かったかな……。それには実家に取りに行かなければならないし、いくら母がいつでも帰っていいよと言ってくれているとはいえ、そうそう帰ってもいられない。但し電話連絡だけは欠かしていない。母親というものは、病気してないだろうかと毎日のように心配しているからである。
 大観覧車に乗車する人々は、午後八時という時間からかほとんどがカップルであった。家族連れには遅すぎる時間帯である。
 楽しそうに乗車するそれらのカップルを見つめながら、自分と敬も一組のカップルとして乗り込んだものだった。
 一人の女性として交際してくれる敬に、ぞっこん惚れていた。プロポーズされた時の嬉しさは言葉に尽くせない感動であった。

 大観覧車の営業終了時間が迫っていた。
 日曜ならば深夜四時(最終乗車)まで営業しているが、今日のような平日は午後十時までである。再会の約束の時間としては、大観覧車が動いている時間帯と考えるのが妥当のはずだ。
 客達は帰り支度をしている。
 大観覧車の周囲には客はほとんどまばらになっていた。
 この時間となれば、二十四時間営業の東京レジャーランドへと、客は移動して行く。
 未だに敬は現れない。
 やがて大観覧車の営業が終了した。
 通行人たちの奇異な視線を浴びながら、たった一人寂しく大観覧車の前で佇むわたし。
「どうして? どうして敬は来ないの?」
 涙に暮れながら、現れない敬のことを心配していた。
 来る途中で、事故にでもあったのだろうか?
 一年前のこの場所で、こんなわたしにプロポーズしてくれた敬。
 あの逃亡劇の最中の別れ際、必ず迎えに来ると誓った。
 死線を乗り越えて生き残り、CD-Rに託して再会しようと言ってくれた。
 そんな敬が、わたしを放ってどこかに行ったりはしない。
 必ず迎えに来てくれると信じている。
「よっ! 待たせたな」
 背後から声がした。
 振り返ると、懐かしい顔がそこにあった。死線を乗り越え、傭兵部隊に入隊して精悍な表情をしているが、まさしく敬だった。
「待たせて悪かったな。実は今日成田に着いたばかりなんだ。飛行機は遅れるし、成田エクスプレスは……」
 言葉を言い終わらないうちに、わたしは敬の胸の中に飛び込んでいた。
「敬! 会いたかった」
「俺もさ……」
 それ以上の言葉はいらなかった。
 時のたつのも忘れて、二人はずっと抱き合っていた。
 これまでの時間を取り戻すかのように。

 数時間、二人はモーテルのベッドの上だった。
「あつっ!」
「あ、ごめん。痛かった?」
 長い間離れ離れになっていた愛し合う二人が結ばれるのに時間は掛からなかった。
 当然の成り行きと言えるだろう。
 しかし真樹は処女だった。
 初めて迎え入れる男性に対して少なからず抵抗を見せていた。
 処女膜を押し広げて侵入してくるものを拒絶するように痙攣にも似た感覚が全身を駆け巡る。
 敬の動きが止まった。
 真樹の身体を慈しむようにやさしい表情で見つめている。
「ううん。いいの。そのまま続けて」
「ほんとにいいんだね」
「うん。愛しているから」
 身も心も一つに結ばれたかった。
 真樹として守り続けてきたバージンを捧げたかった。
 本当の女性になるための最初の試練でもあった。
「いくよ」
「うん……」
 さらに腰を落としてくる敬。
 愛する人のために耐える真樹。
 子宮に敬のものが当たる感覚があった。
 完全に結ばれた瞬間だった。
 以前の真樹、つまり薫だった頃には不可能だった行為が、果たせなかった思いが、今実現したのだった。
 感動的だった。
 女として生きる最大の喜びに打ち震えていた。
「愛してるわ」
「俺もだよ」
 確認しあうように短い言葉を交わす二人。
 そしてゆっくりと動き出す敬。
 やがて絶頂を迎えて、真樹の身体にそのありったけの思いを放出する敬。
 身体の中に熱いものがほとばしるのを感じながら真樹も果てた。

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