響子そして(十五)一同に会す
2021.07.19

響子そして(覚醒剤に翻弄される少年の物語)R15+指定
この物語には、覚醒剤・暴力団・売春などの虐待シーンが登場します


(十五)一同に会す

「お姉さん、社長がお呼びよ」
 その日の仕事を終えて、私服に着替えていると、わたしの事をお姉さんと慕う里美が、知らせに来た。
「社長が?」
 社長と言えば、わたしを覚醒剤から解き放し性転換手術によって真の女性にしてくれた産婦人科医にして、製薬会社社長黒沢英一郎氏のことだ。
「英二さんのとこにいた由香里も呼ばれたらしいわ」
「姿が見えないと思ったら、英二さんと一緒だったのか。お熱いわね」
「わたしも呼ばれてるから、三人娘揃いぶみね。何かあるのかなあ」
「以前英二さんに三人揃って食事に呼ばれた時は、由香里へのプロポーズだったわよね」
「もしかしたら、わたしかお姉さんのどちらかにお見合いの話しだったりしてね」
「お馬鹿言わないでよ。そんなことないわよ」
「うーん……。だとしたら、順番からしてお姉さんが先ね」
 聞いてない……。

 社長室に入ると、先に由香里と英二さんがいた。そして見知らぬ青年が一人。
「全員揃ったようだね……」
「親父……じゃなかった。社長、一体何のようだよ。俺達を呼び出して」
「響子さんに、お見合いの話しを持ってきたんだ」
「ええ? わたしがお見合い?」
 わたしは驚いた。
「ね、やっぱりでしょ」
 と、里美がわたしの小脇をつつく。
「申し訳ありません。以前にもお話ししました通り、わたしは結婚する意思がありません。お断り致します」
「どうしてだ。いい話しじゃないか」
 わたしは、社長さんの行為が納得できなかった。わたしの過去をすべて知っていて、その気持ちは理解してくれていると思っていた。明人以外の男性とはもう二度と交際するつもりはない。
「社長さんと、その男性の方とは、どういう関係なんですか?」
「実はこのひと、わたしの長男といったところだ」
「長男って……。まさか実は元は女で、性転換したってわけじゃないだろうな」
「まさか。わたしは、女にする手術はやるけど、男にする手術はやらないぞ」
「だったら何だよ」
「このひとは、脳移植されて生き返ったのだ」
「脳移植?」
「そうだ。身体は無傷だけど脳死状態に陥った患者Aと、身体は死んでしまったけどまだ脳は生きていた患者B。患者Aの身体に患者Bの脳を移植して蘇生させたのだ。戸籍的に患者Aが生き返って、患者Bは死んだことになってる。身体は患者Aだけど、心は患者Bなのだ」
「真菜美ちゃんと同じ事をなさったのですね」
 そういえば真菜美ちゃんは、呼んでいないようだ。結婚とかいう話しにはまだ早すぎる。もうじき十七歳のまだ子供だ。
「そうなだ、そのまま放っておけば二人とも死んでいたけど、脳移植で片方だけを生き返らせた。念のために二人とも男性だ」
「それで、生き返ったその人とわたしを一緒にさせようというのですね」
「その通りだ。一応我が社の営業部で働いてもらっている。年齢的に響子さんにぴったりだから、お見合い相手にどうかと呼んだ。いきなりの直接面談でびっくりしたかもしれないが。響子さんにはとってもいい話しだと思うぞ」
 とんでもないわ。
 いきなり見ず知らずの相手となんか……。
「何度も申しますが、わたし結婚する意思がありませんから」

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響子そして(十四)新しい門出
2021.07.18

響子そして(覚醒剤に翻弄される少年の物語)R15+指定
この物語には、覚醒剤・暴力団・売春などの虐待シーンが登場します


(十四)新しい門出

 それからしばらくして、彼女は赤ちゃんを抱いて退院していった。
 わたしの方も覚醒剤からの脱却のプログラムが終わりを告げようとしていた。
「よおし、良く頑張ったね。もう覚醒剤はいらないよ」
「でも、量を減らしてきたとはいえ、完全にやめても大丈夫でしょうか?」
「その心配はいらない。ここ一週間、覚醒剤は射っていないからね」
「え? でも昨日まで注射してたじゃないですか」
「注射したのは、ぶどう糖だよ。いわゆる精神治療の一貫だよ。とっくに身体的覚醒剤からは脱却できていても、精神的にはなかなかその不安を取り除くことができない。特に覚醒剤はそうなんだ。だから覚醒剤と偽ってぶどう糖を打ち続ける。その後で事実を話してあげると、納得して安心できるというわけさ」
「そうでしたか……」
「ところで、退院ということになるのだが、住むところも働くところもないんだろ?」
「はい。祖父がいるんですが、裁判以降連絡がありません。たぶん勘当されていると思います。そうでなくてもこの身体ですから戻るに戻れません」
「だろうな……。そこでだ。君にいい就職先を紹介してあげようと思う。社員寮もあるから住む場所も心配しなくていい」
「ほんとうですか?」
「袖触れ合うも多少の縁というからな。あ、いかがわしい会社じゃないからな。安心したまえ」
「ありがとうございます」
「これが紹介状だ。期日は今日なんだが行ってくれないか。相手も忙しい身でね。他に時間が取れないんだ」
「でも、着ていく服がありません……」
「うん。身一つで入院したからな。服もこちらで用意してあるよ。後で看護婦が持って来てくれることになっている」
「何もかも……すみません」

 こうして看護婦が用意してくれた、リクルートスーツ一式で身を固めて、その会社へと足を運んだ。
 駅近くの一等地に自社ビルを抱える一流の製薬会社だった。
 それだけでも驚きなのに、まさか……、二次面接で社長室を訪れた時、そこに先生が座っているなんて、本当に驚いた。
 わたしは受付嬢としての辞令を頂き、早速その日から家具付きの社員寮に入る事ができた。入社祝いという事で、先生がポケットマネーを出してくれた。そのお金で衣料品や日用雑貨品を買い揃える事ができた。
 夢のような日々が過ぎていく。
 さらには先生の尽力で、戸籍の性別変更が認められて、磯部響子という正真正銘の女性になった。男性との結婚もできるようになった。
 会社の顔である受付嬢の仕事は大変だったが、やりがいもあった。
 十六歳の時から、飲みはじめた女性ホルモンのおかげで、完全な女性のプロポーションを獲得して、社内一の美人ともてはやされた。

 そしてある日、倉本里美というわたしより美しい女性が入社してきた。
 なんと! わたしと同じく先生から性別再判定手術を受けていたのだ。
 しかし、ほとんど強制的に知らないうちに手術を施されという。
 聞けば、あの研究所員が発明したという、ハイパーエストロゲンとスーパー成長ホルモンを注射されて、たった一日で豊かな乳房になってしまったというじゃない。あの話しは、ほんとだったんだと再認識した。
 そういうわけで、女性に成り立てて、まったく何も知らなかった。普通の性転換者は、女装や化粧を身に付けて、しっかりと女性の姿でいることに自信を持てるようになってから、手術を受けるものだ。
 化粧の仕方も、生理の手当てすらも知らない初な女性。それが里美だ。
 わたし達は、一緒に暮らすようになって、女性としての教育を里美に教え込んでいった。もともと素質があったのか、彼女はまたたくまに女性的な言葉や仕草を修得していった。
 わたしより二つ下で、共に生活しているうちに妹のように感じるようになっていた。里美の方も、わたしを姉のように慕っているようだった。里美は本当に可愛い。

 さらに渡部由香里が妹に加わった。
 この娘は心身共に完璧な女性だ。その証拠に先生の息子で会社の専務である、英二さんと大恋愛し婚約するまでになった。潔白の精神の下に清い交際を続けたあげくのゴールだ。わたしも明人という旦那がいたにはいたが、それはセックスという行為で結ばれたものだった。わたしと明人との愛をはるかに超越した、男女の真の愛の姿というものを感じさせてくれる。
 他人も羨むほどの仲睦まじい関係なのだが、由香里の尻に敷かれている英二さんが情けない。会社では営業成績断トツの営業マンで、威風堂々の専務なのであるが、由香里の前では尻尾を振る飼犬に成り下がってしまう。
 しかもこの二人、お酒にめっぽう強いのだ。うわばみと呼んでもいい。
 英二さんがプロポーズした食事会のあの日。食事の後、二次会・三次会と称して飲み歩いたのだが、わたしと里美がダウンし、わたしのアパートに戻っても、自宅にキープしていたボトル五本を空にするまで、飲み明かした。しかも翌朝、二日酔いでふらふらのわたしと里美を尻目に、まったく平気な顔で出社していた。
「さあ、今夜は五次会だよお」
 とか言って、酒と肴をごっそりと買い込んできたのには、さすがに参った。
 婚約したのがよっぽど嬉しかったのだろうが、いい加減にしてほしいわよね。
 なお念のために言っておくと、先生の手による性転換の実施日はわたしの方が早いが、女装歴については彼女の方が長い。つまりわたしが仮出所した日より以前に、睾丸摘出の手術をされたらしい。

 そして桜井真菜美……。
 この娘は十六歳の高校生。
 わたしたち三人とは違って、正真正銘の女の子。
 自殺して脳死状態に陥ったが、さる男の脳を移植されて生き返った。
 思えば、この男の捕物帳における囮役は、男性経験豊富なわたし以外には考えられなかった。先生もそれを考慮して決定してくれたようね。
 あまりにも悲惨なわたしの過去は、妹達には一切秘密にしている。
 脳神経細胞活性化剤と女性ホルモンによって、脳の再分化が起こり女性脳に生まれ変わったのだが、真菜美ちゃんは記憶喪失状態。しばらくは元の男性の意識体がバックアップしてくれていたようだが、今は深層意識の奥底に潜り込んで表には出てこないそう。
 これから体験し記憶する事が新たなる人格形成となる。
 わたし達は、この娘の成長を温かく見守る事にしている。

 これまでのわたしは、波乱万丈というめまぐるしい人生模様が繰り広げられていた。
 わたしの人生は、常に性行為という男女の絡みが付きまとっていた。
 覚醒剤に翻弄された人生。わたしと明人の母親。わたし自身も危うくその毒牙に犯される寸前にあった。
 血液型では、両親を仲違いさせる原因となったが、明人の命を救った。

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響子そして(十三)赤ちゃんのこと
2021.07.17

響子そして(覚醒剤に翻弄される少年の物語)R15+指定
この物語には、覚醒剤・暴力団・売春などの虐待シーンが登場します


(十三)赤ちゃんのこと

 それから数日後。
 わたしは、かの女性の病室を尋ねることにした。
 彼女が退院する前に、一度会っておきたかった。
 彼女は、丁度赤ちゃんを抱いて授乳させているところだった。
「こんにちわ。お邪魔します」
「聞いているわ。わたしと同じ性転換手術した女性が入院しているって。あなたね」
「はい。そうです」
 赤ちゃんは、一心不乱にお乳を飲んでいる。時々、その乳房を軽く揉むような仕草をみせるのは、お乳が出やすくするため本能的にやっていることなのか。
「ちゃんとお乳が出るんですね」
「当たり前よ。この娘を産んだ母親なんだから」
 十分飲み終えたのか、乳首から口を離した赤ちゃん。それを見計らったように、彼女は抱き方を変えた。
「赤ちゃんは、お乳と一緒に空気も飲み込んじゃうの。その空気を胃から追い出さなければならないけど、自分でげっぷを出せないから、こうやって縦だっこして背中をたたいて、出してあげないといけないの」
「へえ、そうなんだ」

「あの……。わたしに、抱かせていただきませんか?」
「どうぞ、構いませんよ」
 快く引き受けてくれた。そっと大切に受け取って抱き上げる。
 一瞬、とまどったような表情をした赤ちゃんだったが、やさしく声をかけてあやすと、安心したような顔に戻った。
 じっとわたしを見つめている。
「可愛いでしょう?」
「ええ、とっても。さっきからじっと見つめてるわ」
「それはね。赤ちゃんは本能的に、黒くて丸いものに反応する習性があるのよ。実際にそれは母親の瞳になるんだけどね。だからじっと見つめ合う格好になるわけよ」
 そういえば、鳥の雛が親鳥の口先の色に反応してそれを突つく習性があって、それが餌をねだる行為になっていうと聞いたことがある。
 指を頬に軽くあてると、それを吸おうとして顔をそちらに向ける。反対を触るとまたそっちに向こうとする。お乳を飲んで満足しているはずだが、頬に何か触ると反射的にそれを吸おうとするのだ。
 足の裏を触ると、足指を曲げる動作をする。くすぐったいからではなく、そのものを握ろうとする反射だそうだ。
 やがて、小さな口を精一杯開けてあくびをすると、そのまますやすやとわたしの腕の中で寝入ってしまった。
「あは……眠っちゃった。可愛い寝顔」
「それは、あなたを母親だと思って安心しきっているからですよ」
「母親?」
「赤ちゃんが眠りにつくには、心身ともにリラックスできる状態じゃないと、なかなか寝付けないのよ。母親に抱かれているという接触的安堵感、そしてやさしいその表情と声掛けがあって、自分は見守られているんだと本能的に感じ取って、はじめて安心して眠る事ができるわけね」
 そっと静かに、傍らのベビーベッドに寝かせて布団を掛けてあげる。
「あなたには、しっかりとした母性本能が身についているわ。これなら子供を産んでも大丈夫よ」
「そうかしら……」
「たった今、この娘が証明してくれたじゃない」
「それは、そうみたいだけど……」
「自信を持ちなさいよ。大丈夫、あなたならちゃんと母親になれわよ」

 彼女は、わたしが子供も産める女性になるために、本当の性転換を受けたけど、母親になる自信を持てないと思っているようであった。

「実はわたし、手術は二度めなんです」
「二度め?」
「最初は、人工的な造膣術を施しただけの手術で自分の意思で行いました。二回目の今度は、実は自殺して意識不明の間に先生が、本当の女性にする手術をしてくれました。そういうわけだから、わたし最初から、子供を産む事なんか考えもしなかったんです」
「へえ、自殺したんだ……。何か、いろいろと深い事情がありそうね。よかったら話してくださらないかしら? わたしでも相談にのってあげられることもあるかも知れないから」
 彼女は、わたしと同じ性転換者であり、悩みについても共通のものがあると思った。
 わたしは正直に話した。

「そうか……。大変だったわね。覚醒剤は、人生を狂わせる悪魔の薬。一度その毒牙にかかったら二度と抜け出せない。わたしの研究所でも、こっそり持ち出したり、使用量を偽ったりして、試しに使用してみる人が結構いるのよね。で、抜け出せなくなって、さらに持ち出して発覚してくびになってる。結局抜け出せなくなって廃人になってしまったのを何人も知っているわ」
「あなた、覚醒剤に関わっているの?」
「だって、製薬会社の研究所員ですもの。覚醒剤どころか、大麻・麻薬、今はやりの合成麻薬MDMAだって扱っているわよ。でも、わたしが担当しているのは、女性ホルモンとか性転換薬とかいった分野よ。つまり、あなたとわたしに直接関わるホルモン剤の研究してる」
「性転換薬なんてできるの?」
「できるわよ。原理は判ってるし、調合方法も完成しているの。ただ、原料がなかなか手に入らなくてね。苦労しているわ。もう一つの研究テーマである、ハイパーエストロゲンとスーパー成長ホルモンは完成してる。先生に臨床実験をお願いしているわ」
「なにそれ?」
「答える前にこちらから質問するわ。あなた最初の性転換手術する時、当然女性ホルモン飲んで胸膨らんでいたでしょう?」
「ええ、もちろん」
「それなりになるのに、何ヶ月かかった?」
「わたし、思春期にはじめたからAカップになるのに二ヶ月、半年でCカップだったわ」
「へえ、早いのね。わたしなんかAカップには半年かかったし、Bカップ以上にはならなかった。もっとも今は授乳のために臨時的にDカップくらいにはなってるけど。で、本題……。さっきのホルモン剤は、たった一晩で立派な乳房や女性的な身体を作り上げちゃうという夢の薬なの」
「ほんとうなの?」
「ほんとうよ」
「信じられないわ」

「話しは戻るけど、女性ホルモンだって、男性が飲みはじめて半年以上も経てば、睾丸が萎縮して、二度と元に戻れなくなる。一生飲み続けなければならないという点では、覚醒剤みたいなものね」
「それはそうだけど……。でも、わたし達は飲まなくてもいいんでしょ?」
「当たり前よ。卵巣があるんだもの。子宮もね」
「でも反面、毎月生理になるわ」
「それだからこそ、女性の喜びもあるわ。子供を産めるんだもの」
 と言って、ベビーベッドの赤ちゃんに目を移す彼女。
 実際に現実を目の当たりにしていると、彼女の言い分が正しいように感じる。

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響子そして(十二)出産
2021.07.16

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(十二)出産

「おお! そろそろ出てくるぞ」
 女性の膣から、胎児の頭部が出てきていた。
「うーん……どうかな……」
 先生は妊婦の足元に歩み寄り、その頭部の出かけているのをじっと監察している。そしてやおら、頭部が押し広げている、外陰部のあたりを触診しはじめた。
「よし、大丈夫だ。会陰切開しないでも済みそうだ」
 そう言うとわたしの所に戻ってきた。
「えいんせっかい、ってなんですか」
「ああ、膣と肛門の間のところを会陰というのだが、分娩の際に赤ちゃんの頭部が大きすぎたり、外陰部の柔軟性が足りなかったりすると断裂することがあるんだ。そうならないように、わざとメスを入れて切開してやると、すんなりと赤ちゃんが出やすくなる。後で糸で縫わなければならないが、断裂した場合より治りが早いんだ。医者によっては、全員を会陰切開してしまうのもいるな」
「先生はなさらないのですか?」
「ああ、産後の肥立ちにかかわるからね。切らないで済めばそれだけ治りも速くなるし、二度目以降の出産にはすんなり胎児が出てこれるようになる。一度切開しちゃうと今後も切開しなくてはならなくなる。縫合痕は大概肉が盛り上がって、組織が固くなってしまうからね、次回の分娩の妨げになるんだ」
 先生は妊婦から目を離さないようにしながら喋っている。急激な容体変化を見落とさないようにしているのであろう。
「君だって、最初の性転換術を受けた時には、拡張具を使って膣拡張をやっただろう?」
「ええ……」
「あれと同じだよ。はじめて拡張具を使う時は、どんなに細いやつでもかなり痛い。慣らして慣らして、痛みを堪えながら少しずつ太くしていく。やがて一番大きなのでも自由に出し入れできるようになる。それと似たようなものさ。一度大きなものが通れば、二度目以降にはすんなりいく。初産はそれこそ、陣痛開始から丸二日もかかる時があるが、経産婦ならたった六時間くらいで出てくる」

「さあ、もうすぐよ。大きくいきんで、力一杯に。最後の力を振り絞って」
 助産婦の声も大きくなっていた。意識朦朧とする妊婦に声掛けして、頑張らせてい
るのだ。
「う、うーん」
 妊婦が、力一杯いきむと、
「おぎゃあ! おぎゃあ!」
 部屋中に響き渡る元気な産声と共に、赤ちゃんが生まれ落ちた。
 脱力感でぐったりとしている女性。
 呼吸が楽に出来るように鼻腔に残った羊水の吸引、へその緒の処置がなされて、赤ちゃんは付着した血液などを落とすために沐浴に連れて行かれる。
 先生が再び、妊婦のところに行って、後処理をはじめていた。
「もう少し我慢するんだよ」
 やさしく声を掛けている。
 膣からずるずると何かが出てきた。
 たぶん胎盤だと思った。妊娠から今日まで、胎児に栄養補給と呼吸を助けてきた胎盤も、赤ちゃんが出たことで用がなくなり、排出されたのだ。
「よしよし。もう大丈夫だ。すべてが終わったよ。お疲れさま」
「先生。ありがとうございます」
 しかし不思議なものだ。しっかり子宮に張り付いていたはずの胎盤が、分娩を境に、大出血を起こす事もなく、跡形もなくきれいに剥がれ落ちてくるのだから。じつに巧妙な仕組みで、一体どこから指令がでているのだろうか?
 やがてきれいになった赤ちゃんが妊婦に手渡される。
「はい。女の子ですよ」
「可愛い……。あたしの赤ちゃん……」
 幸せ満面の表情の彼女。あれだけ苦しんだのに、赤ちゃんを抱いたことで、すべてが水に流された感じだ。
 こっちまで、なんか温かものが込み上げてくる。
 しばらくすると赤ちゃんは、引き離されて保育室へと運ばれていった。
 彼女もおむつと丁子帯をあてられ、分娩台から降ろされて病室に戻った。

「どうだ。分娩に立ち会った感想は? 同じ女性として、何か感じ取れるものはなかったかい?」
「正直に感動しました。生命の誕生がこんなにも真剣勝負で、自分もこうやって生まれてきたんだと思うと、改めて母の愛情の深さを感じました」
「その通りだよ。母の愛情を一心に受けて人は生まれてくる。その一端を君も担うことができるんだよ」
 わたしの心のどこかに、将来もう一度恋をするような事があったら、産んでもいいなという思いが生まれていた。
「わたし、本当に子供を産む事ができるのでしょうか?」
「それは保証するよ。何も心配しないでもいい。君は、正真正銘の女性に生まれ変わったんだから」
「わかりました。もう一度考えなおしてみます。将来の事」
「それがいい。君はまだ若いんだ。先は長い。じっくり考えて答えを出すんだね」
「はい……」
「さあ、病室に戻ろうか」

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響子そして(十一)分娩
2021.07.15

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(十五)分娩

「先生。そろそろ、分娩室にお越しください」
 看護婦が病室に呼びに来た。
「どこまで進んでいる」
「80%です」
「そうか、もうすぐだな……」
 と言いながら視線をわたしに移した。
「丁度良い機会だ。響子君。分娩に立ち会いたまえ」
「分娩ですか……遠慮します」
「いいから、きなさい!」
 先生に無理矢理病室を連れ出されて分娩室へ。
 腕力では男の先生にはとうてい適わない。ぐいぐいと引っ張られていく。
「痛い、痛い! 先生、痛いです。判りましたから、引っ張らないでください」
 手を離してくれた。
「もう……。あざができちゃう」
「ああ、悪かったな」
 手術見学用の白衣を着て、分娩室に入る。
 分娩台の上に足を大きく開いた状態で、女性が寝かされている。そのまわりを医者
や助産婦らしい人々が忙しなく動いている。
「この娘はね。君と同じ性転換手術を受けた女性だよ」
「う、うそでしょ」
「嘘を言ってどうなる。ほんとの事だよ。この娘は生まれついての性同一性障害者で
ね。とある会社の健康診断で、女性ホルモンを飲んで胸が膨らんでいた彼女に出会っ
た。免疫型の一致する脳死患者が出た際に、手術を受けるかどうか尋ねると、即答で
お願いしますと言った。早速手術してあげ、戸籍変更の手続きもして、本当の女性に
生まれ変わった。そして見合いをさせて結婚させ、妊娠した。そして出産のためにこ
こにいる」
 信じられなかった。妊娠し出産することのできる完璧な性転換手術。それを目の当
たりにしている。先生の話しが本当なら、まったく同じ手術が施されたのなら、わた
しは今の彼女と同じように子供を産むことができるのか?

「陣痛がはじまってどれくらいになる?」
「約十四時間です」
 わたしが入室してかれこれ四時間、分娩は一向に進んでいないように見えた。
「やっぱり性転換手術してちゃ、無理なんじゃないですか?」
 あまりにも長いので心配になって尋ねてみた。
「なあにこれくらい、初産ならどんな女性でも経験することだよ。赤ちゃんの頭は大
きいからね、骨盤腔のあたりで引っ掛かっていて、狭い産道の中どうやって抜け出そ
うかと、一所懸命に体位を変えながら、出られる場所を探しているんだ。赤ちゃんの
頭骨は隙間だらけで柔らかい、そのままなら狭い骨盤腔を通れなくても、頭を変形さ
せてまでして、そこを通り抜けようとする。しかし初産の人達は緊張しているから、
産道も緊迫していて中々降りてこられないんだ。だからああしていきんで押し出して
やろうとしているんだ」
「先生は手出ししないんですか? 産婦人科医なんでしょ?」
「出産そのものは助産婦があたって赤ちゃんを取り上げるし、産まれた後の赤ちゃん
は、小児科医の担当だ。わたしの役目は、妊娠から分娩台に上がるまでの、胎児と母
体の健康管理が本来の仕事でね。分娩中は母体と胎児に異常がないかを見ているだけ
だよ」
「出産って、ほんとうに苦しい作業なんですね」
「そうだよ。しかし人類創世以来すべての女性が体験してきたことだよ。確かに分娩
中は苦しいが、胎児が産まれ出た瞬間には、至極の絶頂感があるそうだよ。だから二
人目・三人目を産みたくなる」
「でしょうね。人類が存続発展するためには、途中死亡を考慮にいれて女性達が、そ
れぞれ三人の子供を産まなければだめなんですよね」
「道を歩いてて急に大がしたくなって、我慢に我慢を重ね、失禁寸前にトイレに駆け
込んで無事排便できて空になった時、実に気持ちが良い。あれに似ているんじゃない
かな」
「もう……汚い話ししないでください」
「汚くはないよ。排便も出産も動物の自然な生理の一つだと言いたかったんだ。人間
として動物として、生きるための生理現象には、生命が地球上に発生して以来、何十
億年もかけて自然淘汰されてきたんだ、何一つ無意味な事はない」
「分娩の苦しみが、親子関係をスムースにさせると聞いたことがあります」
「その通り、こんなにも苦労して産み出したんだ。どんなことがあっても、その子を
ぞんざいにはできるはずがない。そしてそんな女性の一人が君なんだ」
「……」

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