梓の非日常 第二部 第八章・小笠原諸島事件(十一)研究所
2021.04.02

梓の非日常 第二部 第八章・小笠原諸島事件


(十一)研究所

「さてと……」
 遭難信号を設定すれば後はただ待つだけである。
「島の中を調べてみましょう」
 そうなのだ。
 救助がすぐに来るとは限らない。
 最低限の生きるための手立てをしておかなければならない。
 島の反対側に、実は人の住む村があった! ということもありうる。

 並んで島内を散策をはじめる。

 手入れのなされていない自然林は、足の踏み場もないほど荒れ放題。
「蛭とかの毒虫がいないのを祈るのみだな」
 津波の爪痕と思われる倒木とか、枝葉の千切れた樹々もある。
 拾った枯れ木で下草・下枝を払いながら突き進む。
 やがて前方に開けた場所へと迷い出た。

 そこで二人が見たものは?

 コンクリートブロック積の壁に囲まれた建物があった。
「なんだこれは?」
「研究所? みたいな作りね」
「誰かいるのかな?」
 壁をぐるりと回って入り口にたどり着いた。
「門が開いてるぜ。不用心だな」
「ほぼ無人島みたいだからね。戸締りする必要がないのでしょ」
「ならば壁も必要ないだろ?」
「風や害虫除けなんじゃない?」
 玄関の前に立つ二人。
「扉は……開いてるぜ」
 鍵の掛かっていない扉を開けると、派手に散らかっていた。
「この中にも津波が侵入してきたようね」
「誰かいないのかな?」
「逃げ出したか、水の進入しないところに避難したんじゃない?」
「水が浸入しないところ?」
「例えば防水扉のある地下室とか……」
 とここまで話して言葉を中断する梓。
 かつて若葉台研究所地下施設での火災事件のことを思い出したようだ。
「おい! ここに潜水艦とかでよく見るハッチのある扉があるぜ」
「そこに隠れているのかしらね」
「回したら開くかな?」
 とハッチを回し始める。
「おお、回るぜ」
 クルクルと回しゆくと、
「開いた!」
 結構重い扉を開けると、中から風が吹き抜けた。
 水が浸入しないように、内側の気圧が高くなっていたのだろう。
「しかし、なんでこんな扉にしなきゃならなかったのかな?」
「そりゃ、津波とか台風の通り道だからでしょうね。浸水に備えているのよ」
「ということは、この扉の向こうに人がいるという可能性ありだな?」
「たぶんね。津波で荒らされてはいるけれど、人が生活している形跡があるわ」
「形跡?」
「例えば、机の上には埃がないし、家の中に蜘蛛の巣がないし、灰皿に煙草の吸殻とかね」
「なるほど掃除をしているというわけか」
「他人には知られたくない秘密の何かを研究しているのかしらね」
「ともかく扉の向こうへ行ってみようぜ」
「そ、そうね……」
 おっかなびっくりで扉をくぐる梓だった。

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梓の非日常/第八章・太平洋孤島遭難事件(一)ハワイ航路
2021.04.01

梓の非日常/第八章・太平洋孤島遭難事件


(一)ハワイ航路

 太平洋上を飛行するDC-10型改ジェット機。機首には日の丸、そして尾翼には篠崎重工のシンボルマークが記されている。
 DC-10はロッキード事件に絡む汚職事件、販売戦争によって欠陥機を増産して、事故が相次ぎ、1988年に生産終了となった。
 とはいえ、篠崎重工の技術陣によって、機体の改良と綿密な整備が図られ、今なお大空を飛び続けている。
 そのコクピット(操縦室)では、パイロットが青ざめた表情で計器を操作している。
「どうだ?」
 機長が神妙な面持ちで隣の副操縦士に確認している。
「だめです。やはり足りません」
「そうか……」
「申し訳ありません。私が計器確認を怠ったばかりに」
「それを言うなら、私も同じ事だ。ともかく麗香さまにこっちに来てもらおう。お嬢さま方には、まだ知られてはいかんからな」

 その機内では、梓と絵利香に麗香が対面して座っている。
「ほら、見て。新しく買った水着」
 と梓が、バックから取り出した水着を見せている。
「へえ、可愛いワンピースね。梓ちゃんのことだから、ビキニかなと思ってた」
「う……ん。あたしも最初はビキニにしようかなと思ったんだけど、やっぱりね……。で、絵利香ちゃんは?」
「あまり見せたくないんだけど……」
「もう、どうせ海に出れば着るんじゃない」
 梓自身が水着を持ち出したことで、自分も仕方なく見せるしかないとあきらめる絵利香。
「なんだ、絵利香ちゃんもワンピースじゃない。遠慮するから、てっきり……」
「ビキニを着るってがらじゃないから」
「だよね。で、麗香さんは?」
「え? 私は、世話役としての仕事がありますから」
「ん、もう隠すなんてずるいわよ。自由時間を与えてるんだから、当然持ってきてるでしょ」
「仕方ありませんね」
 梓の前では、隠し事は許されない。
「わあーお! 黒に金縁のビキニだよ。さあーすが、麗香さん」
「うん。麗香さんのプロポーションなら、やっぱりビキニだよね」
「おだてないでください」
 そんな風に水着談義をしている梓達から通路を隔てた反対側には、美智子ら梓の専属メイド四人がトランプ遊びをしている。ここは篠崎重工の自家用機内、篠崎側の客室乗務員がいるので、美智子たちは機内にいる間は自由なのである。ここは機内勤務のプロに任せて、口出ししないほうが無難である。
「ねえ、あなた達はどんな水着持って来たの?」
 通路の向こうから梓が尋ねる。
 顔を見合わす四人だったが、棚からバックを降ろし、
「はーい。これでーす」
 と、一斉に水着を掲げ上げた。
 ビキニにワンピース、そして色と柄、それぞれの好みに応じた水着だ。
 結局全員の水着を取り出させた梓。何事も一蓮托生というところだろう。

 そこへ神妙な面持ちをした客室乗務員が麗香を呼びにくる。
「麗香様。機長がお呼びです。コクピットへお越しいただけませんか」
「コクピットへ?」
 乗務員の表情と、コクピットへの呼び出し。
 聡明な麗香のこと、非常事態が発生したに違いないと即座に判断した。梓の方をちらりと見てから、
「……わかりました」
 と立ち上がった。

 乗務員に案内されて、コクピットに入ってくる麗香。
「あ、麗香様」
「どうしましたか?」
「正直に申し上げます。飛行機がコースを逸脱、ハワイに到達するだけの燃料も足りません」
「どうしてそんなことになったのですか?」
「はい、直接の原因は、出発前に重量確認した数値と、現在の重量計が示す数値に食い違いが生じていることです。およそ八十五キロなんですが、それで計器に微妙な狂いが生じて、長距離を飛行する間に大きく航路が外れてしまったようです」
「今の今まで、重量オーバーに気づかなかったというわけですか?」
「申し訳ありません。出発前に点検したきりで、計器の確認を疎かにしてました。自動操縦装置に頼り過ぎていたようです」
「過ぎたことを今更責めてもしようがないでしょう。ともかく結論として、ハワイにはたどり着けないというわけですね」
「その通りです。それに近辺にも空港を持つ島はありません」
「どこか安全に着陸できそうな島はありませんか?」
「はい。探索中です」
「遭難信号は?」
「発信しています」
「わかりました。私は、お嬢さまがたに実情を話してきます。引き続き探索を続行してください」

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梓の非日常/第七章・正しい預金の降ろしかた(八)財閥令嬢
2021.03.31

梓の非日常/第七章・正しい預金の降ろしかた


(八)財閥令嬢とは

 麗香と支店長が会話している間、絵利香につぶやくように話す梓。
「麗香さんに内緒にしてようと思ったのにね」
「預金通帳もキャッシュカードも持たずにお金を降ろそうとするからよ。だいたい十八歳未満のわたし達には、支払いに関する責任能力を認められていなくて、親の許可が必要なのよ」
「そうなんだ……知らなかったわ」
「まったく……」
 呆れてものも言えないといった表情の絵利香。
「お嬢さま、携帯をお返しします。引き続き麗香さまがお話しがあるそうです」
「はい、どうもです」
 支店長は携帯を梓に返すと保留していた頭取との通話を再開した。
「お待たせしました。ただ今、竜崎さまと……はい、承認番号は……」
 そんな会話を耳にしながら自分の携帯に話し掛ける梓。
「梓です」
 麗香の声が返ってくる。
『お嬢さま、お金の引き出しは可能ですが、金額が金額ですから、支店長が同行して銀行振り出し手形で支払うことになりました。正確な金額もおわかりになられていないようですしね』
「だってえ……値段を確認しなければ、物を買えないなら、それを買う資格はないって、麗香さんが教えてくれたんじゃない。で、手形ってなに?」
『小切手の一種とお考えください。まあ、購入金額はともかく、お嬢さまは十八歳未満ですから、契約には親権者の同意が必要です』
「うん、絵利香から聞いたよ。実は知らなかったんだ」
『だと思いました。それで支店長に親権者代行として契約書に署名してもらいます』
「そうなの……」
『質問してよろしいですか?』
「はい?」
『これほどの大金、一体何をお求めになられるのですか?』
「うーん……秘密って言ったら怒るかなあ」
『別に怒りはいたしませんけど、哀しいですね。私に秘密ごととなりますと』
「ごめんなさい。いずれわかるから……」
『……わかりました。聞かないことにします。石井さんを迎えに行かせましたので、ファントムⅥでお帰りください』
「わかった、待ってる」
 と、麗香に秘密にしていることに後ろめたさを覚えながらも、電話を終える梓。
「はい、わかりました。お嬢さまに付き添って支払いと契約締結します。手形は本店決済でよろしいのですね。……はい、万事失礼のないように」
 支店長の方も本店頭取との連絡が終わったようだ。
「あ、お嬢さま。本店から決済が降りましたので、七千万円でも三億円でもお支払い可能です」
「どうも、お手数かけます」
「それじゃあ、早速行きましょうか。そのお店へ」
 促すように立ち上がる支店長だが、
「あ、迎えの車が来ますから、それからにしましょう」
 と言われて、また腰を降ろす。
「それにしても、銀行員生活三十年になりますが、こんなことはじめてです」
「でしょう? まるで常識を知らないんですよね。通帳もカードもなしに預金降ろそうとするんだから」
 絵利香がちゃちゃを入れる。
「なによう。仕方ないじゃない、今まで、身の回りの事全部麗香さんがやってくれてたんだもん。でも高校生になったから、少しずつでも自分の事できるように、こうして来ているんじゃない」
「わかったわよ。そんなにむきにならなくても」
 そんな二人の会話を耳にしながら、自分の中にある常識というものを、書き換えねばならないと考える支店長であった。
 どうみてもごく普通の女子高生にしかみえないこの二人が、少しのためらいもなく数千万円からの買い物をしてしまうという、世界最大財閥の真条寺家と急成長著しい篠崎重工のご令嬢とは。
「支店長。お嬢さまのお迎えのお車が参っております」
 銀行員が伝えに来た。その表情は強ばっているようにみえるし、二人の令嬢をためつすがめつ見つめるような視線があった。
「そうか。ん、どうしたんだ?」
「い、いえ。何でもありません」
 銀行員が示した態度、その疑問は外へ出てみれば、すぐに氷解する。
 ロールス・ロイス・ファントムⅥ。
 その雄姿を目の前にすれば、誰しも畏敬の念を抱くのは当然であろう。ベンツやBMWなどはちょっと金を出せば誰でも手に入る時代、オーナーユーザーが増えて物珍しさも失せて、ステータスシンボルとしての価値はほとんどないに等しい。
 それに比べて往年の名車でありながら、実用走行可能なファントムⅥは、世界でもこれ一台といってもいいだろう。なにせガソリン代や整備点検料、輝くボディーを維持するため定期的に行っている車体塗装など、ベンツが買えるくらいの維持費が毎年かかっているのだ。
「これが噂に聞くロールス・ロイス・ファントムⅥか……まさしく真条寺家のご令嬢だな。さすがだ」
 梓が出てくると、いつものように後部座席を開けて乗車を促す石井。
「先に寄るところがあるからね」
「かしこまりました、お嬢さま。支店長は助手席にお願いします」

 カーディーラー側でも、ファントムⅥに乗って戻って来た二人を、驚きの表情で迎えることになった。
 契約書作成のプロである支店長が手際良く書類を作成していく。後に不利益となるようなミスのない完璧な書類だ。
「それではお嬢さま、サインをお願いします」
「はい。英文字のサインでいいよね。漢字は下手だし、書くごとに字体が変わっちゃうから」
「結構です」
 書類を手渡されてサインをする梓。
 サインの仕方などは、日頃から練習しているせいか、見事な書体のものを記している。
「お嬢さま、今後は書類などにサインをすることもありますので、真条寺家にふさわしいサインの手法を修得されたほうがよろしいでしょう。他人に簡単に真似されないような、かつ美しいサインを練習しましょう」
 ということで中学入学以来から、麗香の手ほどきを受けていたのだ。
 通常ローンを組んでの自動車の購入には実印というものが必要だが、手形による一括決済のためその必要はない。ローン会社による抵当権設定がなく、直接所有権の移譲が実行されるからだ。
「支払いは、当行の銀行振り出し手形でよろしいですね?」
「はい、結構です」
 手形にもいろいろあるが、最も信用のあるものが、銀行振出手形である。
 しかも真条寺財閥が筆頭株主で大口預金者となっている新都銀行は、世界一安定した企業銀行としての地位を確保しており、そこから振り出される手形は、不渡りを絶対に出さない手形証券として、日本銀行券やドル紙幣・ユーロ紙幣にも匹敵する信用価値があった。

 梓の元に、スポーツカーが届けられたのは、その日から丁度十日目のことだった。
 ディーラーから鍵を受け取り、それを改めて麗香に渡しながら、
「以前欲しがってたでしょ。それでね、いつもお世話になってるから、お礼の気持ちを込めてプレゼントしようと思ったの。だから、麗香さんには秘密にしておこうと、全部自分でやってみようとしたんだけど、結局麗香さんの手をわずらわせちゃった」
「そうでしたの……」
「ごめんね。黙ってて」
「いいえ。自分のためではなく、人のために何かしてあげるという、お嬢さまのお気持ちが何より嬉しいです。お嬢さまが秘密にしたいとおっしゃった時、たぶんそうではないかと直感しました。自分の為ではなく、誰かのためにという思いが感じられましたので、あえて問わないことにしたのです」
「そうなんだ……」
「こんな高級車を頂くわけには参りませんが、車の登記上の所有者は梓様、使用者が私ということで、有り難く使わせていただきます」
「うん。そうしてね。それで、ちょっと質問したいんだけど」
「どのような質問でしょうか」
「新都銀行に預けてる、あたしの預金ってどれくらいあるの?」
「お嬢さまが、そのようなことを気になさるものではありません。そんなことお考えになるよりも、お勉強の方を大事になさってください」
「ちぇ、いつもはぐらかすんだから……」
「お嬢さまが家督をお継ぎになられましたら、お教え致しますよ」
「それって、いつのこと? 十六歳になったらかな……」
「渚さま次第でございます」

第七章 了

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梓の非日常/第七章・正しい預金の降ろし方(七)銀行預金の正しい預金の降ろし方
2021.03.30

梓の非日常/第七章・正しい預金の降ろしかた


(七)銀行預金の正しい降ろし方

 新都銀行川越支店。
 カウンターに腰を降ろし銀行員に告げる梓。
「お金を降ろしたいんですけど……」
「はい。通帳と印鑑はお持ちですか?」
 といわれてきょとんとする梓。
「何それ? そんなの必要なの? お金を降ろすのに」
「はあ……?」
 今度は銀行員が呆然としている。
 銀行通帳と印鑑、もしくはキャッシュカードと暗証番号。預金を降ろすのに必要なアイテムだ。それがなければ、たとえ何億円預金があろうとも一円も降ろせない。

 そんなことも知らずにお金を降ろしにきたの?

 そんな表情をして困惑している銀行員であった。
 そこに絵利香が間に入ってくる。
「あ、支店長に会わせて頂けますか? 筆頭株主の真条寺家のご令嬢が尋ねてきているとおっしゃってください」
「え? 筆頭株主?」
「早くしないと、この子短気だから、怒って株を全部売り払ったうえに、預金全部降ろしちゃうかもよ。預金は数百億円はあるかな……そうなれば銀行潰れちゃうよ」
「は、はい。し、しばらくお待ち下さい」
 筆頭株主と聞いて、あわてて後部デスクにいる上司に説明する行員。
「なんで、ここの銀行の筆頭株主だってこと知ってるの? あたし話したことあるのかなあ」
「聞かなくてもわかるわよ。篠崎重工も株主に名を連ねているから、株主名簿を見たことがあるのよ」
「へえ、そうなんだ……」

 応接室。
 応接セットに座りお茶を飲んでいる二人。
 支店長が入ってくる。
「お待たせしました、当行支店長の川崎です」
「はじめまして、真条寺梓です」
「おひさしぶりです。川崎さん」
 顔見知りなのか、親しく挨拶を交わす絵利香と支店長。
「おや。おひさしぶりです、絵利香さま」
「あら、絵利香ちゃんは支店長と知り合いなの?」
「うちは株主だってさっき言ったでしょ。一応篠崎の取り引き銀行の一つだから、たまに屋敷にいらっしゃることがあるの」
「そうですか。篠崎重工のお嬢さまとご一緒となれば、真条寺家のお嬢さまというのも本当みたいですな」
「もちろんですわ。正真正銘の真条寺梓ちゃん。わたしが保証します」
「はい、承知いたしました。真条寺さまとのお取り引きは、当行の頭取が直々にお屋敷に出向いて、お嬢さまや麗香さまにお会いしていました。ですから私自身は、お嬢さまや麗香さまとお会いする機会がございませんでした」
「そうでしょうねえ。真条寺家後継者のこの子に会えるのは大企業でも幹部クラスの一握りの人達だけなんですよ」
 と絵利香が説明する。
「わかりました。ところで、お嬢さま。預金をお引き出したいとのことですが、いくらほどご用立ていたしましょうか?」
「え、え……と。いくらだっけ? 絵利香ちゃん」
「あのねえ。金額も確認しないで車を買うつもりだったの?」
「全然、気にしなかったから。ん……とね、スーパーカーが買えるくらいだよ」
「は?」
「まったく……。支店長、この子が欲しがっている車は、正確な値段までは判らないけど、七千万円くらいする篠崎重工製スーパーカーです」
「な、七千万円ですか?」
「なんだ、そんなもの? F1・F0のレースマシン仕様の限定生産だから三億円からすると思ってたよ」
 二人のお嬢さまの口から飛び出した金額に驚愕する支店長。
 さすがにその金額は、現金扱いでは自分の決済範囲を越えていた。それだけの現金を引き降ろしたら当日窓口の営業に差し支えるからだ。
「お嬢さまがた、一応本店に確認致しますので、しばらくお待ち願えませんか」
「ん……? いいよ」

 しばらくして支店長が戻ってくる。
「只今、本店の方で確認しておりますので、しばらく……」
 とまで言いかけたところで、卓上の電話が鳴った。
 点滅する内線ボタンを押す支店長。
『支店長、本店頭取からお電話です。3番です』
「いやに、早いな……わかった」
 やはり相手が、真条寺家だからだろう。今やってる仕事を一時中断して、真条寺家に至急連絡したに違いない。
 と推測しながら、電話の回線番号3をプッシュして切り替える支店長。
「はい。川崎です……え? ですが……はい。わかりました」
「お嬢さま、当行の頭取の桂木がお話しをされたいそうです」
「頭取が?」
 送受器を受け取り話しをする梓。
「梓です。はい、お久しぶりです……どうもです。え? 携帯電話ですか、持ってますよ……。はい、支店長ですね」
 頭取との短い会話を終えて、送受器を支店長に返す梓。
「はい。替わってください、ですって」
「替わりました、川崎です。え? 携帯電話ですか?」
 というところで、梓の持っている携帯電話が鳴る。画面には真条寺家別宅執務室の第二代表電話番号と竜崎麗香の名前が表示されていた。ちなみに第一代表電話が梓の専用電話である。
「はい。梓です。う、うん。今銀行にいるよ。そ、新都銀行川越支店。支店長に替わるのね、わかった」
 といいながら支店長に携帯を渡す。
 支店長は本店からの電話を保留にしてから携帯に出る。
「はい。替わりました。支店長の川崎です。そうですか、間違いなく真条寺梓さまですね。わかりました。承認番号? 今メモします。はい、どうぞ」
 承認番号というものは、普通は金融機関側が発行するものだが……。この新都銀行は真条寺家が資本の大半を出資して設立されたものだ。事実上の経営権を握っているから、麗香が未成年の梓のために承認発行を出す事も当然と言えた。

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梓の非日常/第七章・正しい預金の降ろし方(六)スーパーカー
2021.03.29

梓の非日常/第七章・正しい預金の降ろしかた


(六)スーパーカー

 とあるカーディーラーの前で足を止める梓。
「あ……ここだわ」
 梓はショーウィンドウに飾られたスーパーカーに釘付けになっている。
「どうしたの?」
「麗香さんがね……以前欲しがっていたんだよね」
「え? このスーパーカーを?」
「うん。入ってみましょう」
 といって、さっさと入ってしまう。
「いいのかなあ……」
 しようがないなあ……というような表情で後に続く絵利香。
 二人の姿を見つけて店員が早速寄ってくる。
「いらっしゃいませ、お嬢さまがた」
「こんにちは」
「お邪魔します」
「スーパーカーに興味がおありなのですか?」
「ええ。まあ……」
「この車は、篠崎重工が創業四百年を記念して、全世界でたった十台のみ限定生産したプレミアムカーなんですよ。F1やF0仕様のエンジン、排気量6000cc、最大出力500PS/5200rpm、最高速度240km/hというビッグマシンです。これでも公道走行車として、エンジン性能は押さえてあるんです。フルパワーを引き出せば、380km/h は出せるそうです」
 明らかに女子高生とわかる二人に対しても親切丁寧な接待である。いずれ二・三年もすれば購買年齢に入るので、今からしっかりと良い印象を与えておくことは大切だろう。小子化による子供可愛がりで、十八歳で車を買い与える親が増えているからである。
「篠崎重工? 絵利香ちゃん知ってた?」
「ううん」
 と首を横に振る絵利香。車にはそれほど興味がないからである。
「創業四百年の記念発表会とかには呼ばれなかったの?」
「創業祭とかの記念事業はグループ各社の事業部長クラスでそれぞれ開催しているのね。車なら自動車事業部だろうけど、わたしが呼ばれたのは本社主催の船上パーティーだったわね。梓ちゃんだって呼ばれたでしょ」
「ああ、それなら覚えてる。豪華客船の進水式からはじまったんだっけ。絵利香ちゃんと一緒にテープカットしたっけね。総排水量は九万トンだったっけ?」
「そうよ。最初の計画では、四百年記念事業にふさわしく、もっと大きな船だったらしいけど、パナマ運河をはじめとする既設の港湾施設が利用できなくなるとかで、九万トンに設計変更されたようね。合衆国艦隊の空母ジョージ・ワシントンが十万二千トンだからその大きさも並みじゃないのはわかるね」
「豪華客船なんだから、セコセコ近道なんかしないで、のんびりと喜望峰やホーン岬を通ればいいのよ。南太平洋の荒波なんか軽く乗りこなせるんだからね」
「そりゃそうだろうけど……」
「船の名前は、クイーン絵利香号だよね。今世紀最初にして創業四百年記念の超豪華客船に、絵利香ちゃんの名前をつけるなんて、大切にされている証拠だね」
「まあ、それはともかく。このスーパーカー買うつもりなの?」
「もちろんよ。あ、店員さん。試乗していいですか?」
「どうぞ、構いませんよ」
 許可を得て座席に腰掛けてその座りごこちを確認している梓。
「そうか! 麗香さんが欲しがっていたというから、プレゼントするつもりね」
「あたり! ん……ちょっとシートが硬いかな」
「はい、レースマシン仕様になっておりますので、頻繁なギヤチェンジやコーナリングに最適な運転姿勢をとるには、身体が沈みこむような柔らかいシートじゃ困りますので」
「そうだよね」
 ハンドルを回したり、ギヤをチェンジしてみたり、アクセル・ブレーキなど手当たり次第にいじくっている。

「ふうん……六速あるんだ。ん……ねえ、これバックの時はどうするの?」
「はい。シフトレバーを下に押し込みながら一速に入れるんです」
「へえ、こうね」
「あんまり触っちゃだめじゃない」
 絵利香が注意するが、
「何言ってんのよ。これくらいの操作で壊れるようじゃ、レースマシン失格だよ。実際のレースじゃ一分間に何回ギヤチェンジするか知ってる? ヘヤピンなんかに入ると、目にも止まらないほどの間隔で素早く連続チェンジする必要があるんだ。クラッチ性能はスーパーヘビー級ものよ」
 と、聞く耳をもっていない。もうすっかり気に入ってしまったようだ。自分が気に入らなければ麗香にもプレゼントしにくい。
「あーあ。こういう車好きなところは、まったく母親ゆずりなんだよね」
「決めた! 買う、店員さん、この車売ってください」
 困ったような顔をしながら答える店員。
「ああ、お嬢さま。この車は売り物じゃないんです」
「売り物じゃないのに、展示してあるんですか?」
「話題性のためですよ。こういうものをショーウィンドウに飾っていれば、車好きのお客様なら興味を持って、店に入ってこられますから」
「話題性からはじめるのは、営業の基本ですね。言葉巧みに誘導して別の車を買っていただく。そうですよね」
「あはは、その通りです。まず店に入ってきていただけなければ、何事もはじまりませんからね。後は営業マンの腕次第です」
「そっかあ、売らないんだ……なんて聞くとよけい欲しくなるわね。ねえ、絵利香、おじ様にお願いして、同じものもう一台作ってもらえないかな」
「だめだよ。十台限定生産とうたって発売されたのなら、十一台目を作っちゃったら詐欺になるじゃない。この車の基本設計が、F1・F0用に開発されたものなら、きっと車体デザインが似ていて排気量などを下げた普及型があると思うよ。それで我慢したら?」
「あのね。あたしを誰の娘と思ってる? ブロンクスの屋敷にある名車の数々知ってるでしょ」
 梓が言っているのは、母親の渚が若い頃集めまわったという、往年の名車のことを言っているのだ。梓母娘が乗っている、ファントムVIもインペリアル・ル・バロンも、超高級車にして名車中の名車だ。大衆車などは眼中にまるでないのだ。世界一売れたという日産フェアレディーZも興味の対象になっていない。誰もがそう簡単には手に入れられない高級車だからこその収集家の威信というものである。それが大好きな麗香へのプレゼントならなおさらのことだろう。
「こういうところはやっぱり母娘ってところなのね」
「ということで……何とかなりませんか。どうしても欲しいんですけど」
 店員に向き直って嘆願する梓。
「といいましてもねえ……」
 困惑する店員。
「じゃあ、こうしましょう。ともかく、展示する車があればいいのよね。1995年にフェラーリが創立五十周年記念に発表した、F50・クーペ・ベルリネットはどうかしら。この車に匹敵するくらいの展示価値はあると思うけど、無料で貸し出ししましょう」
「ちょっと、それお母さまのものを勝手に」
「判ってるわよ。売るんじゃなくて貸し出すなら、お母さんだって許してくれると思う」
「そうかなあ……」
 あらためて店員に向き直り交渉をすすめる梓。
「展示するだけの車なら、購入しようと借り入れしようと同じでしょ? ね、いい話しでしょう。車の販売代金が入って、無料貸し出しの車を展示することができるのよ」
 すっかり当惑している店員。二人の会話の内容から、篠崎重工の重役かなんかのご令嬢らしいし、この車を購入するだけの資産を持っているのは確かだろう。
 フェラーリ・F50・クーペ・ベルリネットのことは良く知っている。排気量 4,700cc・V12エンジン、最高出力 520PS、最高時速 325km/h。独特のフロントフードのラジエータ用エア・アウトレット。ダンパーユニットを水平にセットしたプッシュロットタイプのサスペンション。冷却性能に優れたドリルブレーキディスクなどなど。
 確かに、篠崎重工のこの車よりも世界的にも有名なフェラーリの方が展示価値は高い。無料で貸してくれるというのなら千載一隅の機会というべきだろう。
「しばらくお待ちいただけませんか、本社に連絡してみます。販売が可能かどうか確認します」
 というと奥の事務所に姿を消した。
「ねえ。今のうちにお母さまに連絡してみたら? って、今向こうはまだお休み中か……」
「そうよ……事後承諾になるけど、一応無料貸し出しに関する契約書というか誓約書、麗香さんにおねがいしなくちゃね」
 やがて店員が戻ってくる。
「お待たせ致しました。お話しは応接室でいたしましょう。どうぞ、こちらです」
 店員に案内されて応接室に移動する二人。
 二人が応接セットに座ると同時にお茶が運ばれてくる。

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