梓の非日常/第七章・正しい預金の降ろし方(六)スーパーカー
2021.03.29

梓の非日常/第七章・正しい預金の降ろしかた


(六)スーパーカー

 とあるカーディーラーの前で足を止める梓。
「あ……ここだわ」
 梓はショーウィンドウに飾られたスーパーカーに釘付けになっている。
「どうしたの?」
「麗香さんがね……以前欲しがっていたんだよね」
「え? このスーパーカーを?」
「うん。入ってみましょう」
 といって、さっさと入ってしまう。
「いいのかなあ……」
 しようがないなあ……というような表情で後に続く絵利香。
 二人の姿を見つけて店員が早速寄ってくる。
「いらっしゃいませ、お嬢さまがた」
「こんにちは」
「お邪魔します」
「スーパーカーに興味がおありなのですか?」
「ええ。まあ……」
「この車は、篠崎重工が創業四百年を記念して、全世界でたった十台のみ限定生産したプレミアムカーなんですよ。F1やF0仕様のエンジン、排気量6000cc、最大出力500PS/5200rpm、最高速度240km/hというビッグマシンです。これでも公道走行車として、エンジン性能は押さえてあるんです。フルパワーを引き出せば、380km/h は出せるそうです」
 明らかに女子高生とわかる二人に対しても親切丁寧な接待である。いずれ二・三年もすれば購買年齢に入るので、今からしっかりと良い印象を与えておくことは大切だろう。小子化による子供可愛がりで、十八歳で車を買い与える親が増えているからである。
「篠崎重工? 絵利香ちゃん知ってた?」
「ううん」
 と首を横に振る絵利香。車にはそれほど興味がないからである。
「創業四百年の記念発表会とかには呼ばれなかったの?」
「創業祭とかの記念事業はグループ各社の事業部長クラスでそれぞれ開催しているのね。車なら自動車事業部だろうけど、わたしが呼ばれたのは本社主催の船上パーティーだったわね。梓ちゃんだって呼ばれたでしょ」
「ああ、それなら覚えてる。豪華客船の進水式からはじまったんだっけ。絵利香ちゃんと一緒にテープカットしたっけね。総排水量は九万トンだったっけ?」
「そうよ。最初の計画では、四百年記念事業にふさわしく、もっと大きな船だったらしいけど、パナマ運河をはじめとする既設の港湾施設が利用できなくなるとかで、九万トンに設計変更されたようね。合衆国艦隊の空母ジョージ・ワシントンが十万二千トンだからその大きさも並みじゃないのはわかるね」
「豪華客船なんだから、セコセコ近道なんかしないで、のんびりと喜望峰やホーン岬を通ればいいのよ。南太平洋の荒波なんか軽く乗りこなせるんだからね」
「そりゃそうだろうけど……」
「船の名前は、クイーン絵利香号だよね。今世紀最初にして創業四百年記念の超豪華客船に、絵利香ちゃんの名前をつけるなんて、大切にされている証拠だね」
「まあ、それはともかく。このスーパーカー買うつもりなの?」
「もちろんよ。あ、店員さん。試乗していいですか?」
「どうぞ、構いませんよ」
 許可を得て座席に腰掛けてその座りごこちを確認している梓。
「そうか! 麗香さんが欲しがっていたというから、プレゼントするつもりね」
「あたり! ん……ちょっとシートが硬いかな」
「はい、レースマシン仕様になっておりますので、頻繁なギヤチェンジやコーナリングに最適な運転姿勢をとるには、身体が沈みこむような柔らかいシートじゃ困りますので」
「そうだよね」
 ハンドルを回したり、ギヤをチェンジしてみたり、アクセル・ブレーキなど手当たり次第にいじくっている。

「ふうん……六速あるんだ。ん……ねえ、これバックの時はどうするの?」
「はい。シフトレバーを下に押し込みながら一速に入れるんです」
「へえ、こうね」
「あんまり触っちゃだめじゃない」
 絵利香が注意するが、
「何言ってんのよ。これくらいの操作で壊れるようじゃ、レースマシン失格だよ。実際のレースじゃ一分間に何回ギヤチェンジするか知ってる? ヘヤピンなんかに入ると、目にも止まらないほどの間隔で素早く連続チェンジする必要があるんだ。クラッチ性能はスーパーヘビー級ものよ」
 と、聞く耳をもっていない。もうすっかり気に入ってしまったようだ。自分が気に入らなければ麗香にもプレゼントしにくい。
「あーあ。こういう車好きなところは、まったく母親ゆずりなんだよね」
「決めた! 買う、店員さん、この車売ってください」
 困ったような顔をしながら答える店員。
「ああ、お嬢さま。この車は売り物じゃないんです」
「売り物じゃないのに、展示してあるんですか?」
「話題性のためですよ。こういうものをショーウィンドウに飾っていれば、車好きのお客様なら興味を持って、店に入ってこられますから」
「話題性からはじめるのは、営業の基本ですね。言葉巧みに誘導して別の車を買っていただく。そうですよね」
「あはは、その通りです。まず店に入ってきていただけなければ、何事もはじまりませんからね。後は営業マンの腕次第です」
「そっかあ、売らないんだ……なんて聞くとよけい欲しくなるわね。ねえ、絵利香、おじ様にお願いして、同じものもう一台作ってもらえないかな」
「だめだよ。十台限定生産とうたって発売されたのなら、十一台目を作っちゃったら詐欺になるじゃない。この車の基本設計が、F1・F0用に開発されたものなら、きっと車体デザインが似ていて排気量などを下げた普及型があると思うよ。それで我慢したら?」
「あのね。あたしを誰の娘と思ってる? ブロンクスの屋敷にある名車の数々知ってるでしょ」
 梓が言っているのは、母親の渚が若い頃集めまわったという、往年の名車のことを言っているのだ。梓母娘が乗っている、ファントムVIもインペリアル・ル・バロンも、超高級車にして名車中の名車だ。大衆車などは眼中にまるでないのだ。世界一売れたという日産フェアレディーZも興味の対象になっていない。誰もがそう簡単には手に入れられない高級車だからこその収集家の威信というものである。それが大好きな麗香へのプレゼントならなおさらのことだろう。
「こういうところはやっぱり母娘ってところなのね」
「ということで……何とかなりませんか。どうしても欲しいんですけど」
 店員に向き直って嘆願する梓。
「といいましてもねえ……」
 困惑する店員。
「じゃあ、こうしましょう。ともかく、展示する車があればいいのよね。1995年にフェラーリが創立五十周年記念に発表した、F50・クーペ・ベルリネットはどうかしら。この車に匹敵するくらいの展示価値はあると思うけど、無料で貸し出ししましょう」
「ちょっと、それお母さまのものを勝手に」
「判ってるわよ。売るんじゃなくて貸し出すなら、お母さんだって許してくれると思う」
「そうかなあ……」
 あらためて店員に向き直り交渉をすすめる梓。
「展示するだけの車なら、購入しようと借り入れしようと同じでしょ? ね、いい話しでしょう。車の販売代金が入って、無料貸し出しの車を展示することができるのよ」
 すっかり当惑している店員。二人の会話の内容から、篠崎重工の重役かなんかのご令嬢らしいし、この車を購入するだけの資産を持っているのは確かだろう。
 フェラーリ・F50・クーペ・ベルリネットのことは良く知っている。排気量 4,700cc・V12エンジン、最高出力 520PS、最高時速 325km/h。独特のフロントフードのラジエータ用エア・アウトレット。ダンパーユニットを水平にセットしたプッシュロットタイプのサスペンション。冷却性能に優れたドリルブレーキディスクなどなど。
 確かに、篠崎重工のこの車よりも世界的にも有名なフェラーリの方が展示価値は高い。無料で貸してくれるというのなら千載一隅の機会というべきだろう。
「しばらくお待ちいただけませんか、本社に連絡してみます。販売が可能かどうか確認します」
 というと奥の事務所に姿を消した。
「ねえ。今のうちにお母さまに連絡してみたら? って、今向こうはまだお休み中か……」
「そうよ……事後承諾になるけど、一応無料貸し出しに関する契約書というか誓約書、麗香さんにおねがいしなくちゃね」
 やがて店員が戻ってくる。
「お待たせ致しました。お話しは応接室でいたしましょう。どうぞ、こちらです」
 店員に案内されて応接室に移動する二人。
 二人が応接セットに座ると同時にお茶が運ばれてくる。

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