梢ちゃんの非日常 page.16
2021.08.06

梢ちゃんの非日常(ルナリアン戦記前章譚)


page.16

 ロイヤル席。
 『イタチョウさん呼んでくるね』
 そういって真理亜が、厨房室につながる直通扉へと、梢の手を引いて入って行く。
 そこへ前田達が入れ代わりにフロアから入ってくる。
 絵利香の前に立ち並んだ三人。
『いらっしゃいませ、絵利香さま』
『前田さん。そちらのウェイトレス、確かにマニュアル通りの接客はまあまあだけど、少しでもマニュアルからはずれた行動をお客にとられると、しどろもどろで全然なってないわよ』
 早速叱責の言葉を投げかける絵利香。
『は、申し訳ございません』
 深々と頭を下げて陳謝する前田。
『新人教育が疎かになっているんじゃなくて? ウェイトレスの教育は、フロアマネージャーの下沢さんの担当だったわね』
『その通りでございます』
『ウェイトレスの人数が足りなくて、タイムシフトに苦労しているのは知っていますけど、新人にはベテランをそばにつけてやるのが本筋でしょう。いきなり一人きりで実務に出させるのは可哀想ですよ』

 一方、厨房室に入った真理亜。
 板前達の邪魔をしないように入り口付近より奥には入らないように心得ている真理亜。屋敷の厨房室にも、しょっちゅう顔を出すので、絵利香に中へは入らないように躾られているのだ。
 真理亜の顔を知っているチーフコックの深沢がやさしく声を掛ける。
『いらっしゃい、お嬢さま。お食事ですか?』
『うん。イタチョウさんは?』
『奥の部屋で、帳簿をつけてますよ。ほら』
 と指差す先には、部屋のガラスごしに帳簿をつけている松原板前長が見えている。
『イタチョウさん。来たよ!』
 奥に向かって大声を張り上げる真理亜。
 甲高い声が、調理の雑多な音にも遮られずに板前長の耳に届いたようだ。こちらに気づいて振り向いた板前長に、大きく手を振る真理亜。
 立ち上がり部屋を出て、真理亜のもとに歩み寄る板前長。
『真理亜ちゃん、いらっしゃい』
 と言いながら真理亜の前に屈みこむ。
 この板前長は、屋敷での夕食で特別料理が出される時に、必ず出張してきて腕を奮っている。だから真理亜も、大好物を料理してくれる彼を、イタチョウさんと呼んで親しんでいるのだ。ちなみにイタチョウは板前長の略なのであるが、真理亜は彼の名前だと思い込んでいる。
 彼は、日本料理店「しのざき」全米店の総板前長であり、前田ゼネラルマネージャーと同格の地位にあたる。

『お食事に来たよ』
『そう。じゃあ、腕によりを掛けなくちゃね。おや? そちらのお嬢ちゃんは』
『真理亜のお友達の梢ちゃんだよ』
『お友達ができたんだ。よかったね』
『うん!』
 大きく頷く真理亜。
『こんにちは、梢ちゃん』
 板前長がやさしく話しかけると、
『こんにちは』
 とにっこりと微笑み返す梢。
『さあ、ロイヤル席に戻ろうね』
 と言いながら、二人の手を引いてロイヤル席への直通扉から厨房室をでる板前長。ロイヤル席にいる絵利香の姿を見届けて歩み寄る。
『いらっしゃいませ。絵利香さま』
『松原さん。今日も、お手間かけさせます』


 それまで二人のマネージャーに、アルバイトのタイムシフトについて細々と注意をしていた絵利香だったが、板前長が見えたので、一旦打ち切ることにする。
『それでは下沢さん。以上の事、もう一度検討してください。明日の昼までに解答を出して屋敷に報告に来てください』
『かしこまりました』
 深々と頭を下げて退席する下沢。
『君はここに残っていてくれ。ロイヤル席にはウェイトレスを一人、給仕役として専属でつけることになっているんだ。これも職務の一つだ、覚えておいてくれたまえ』
 前田がウェイトレスに指示している。
『かしこまりました』

 二人の子供は、窓際にぺったりとへばりついて、展望ルームからの外の景色を眺めている。超高層からの眺望がはじめての梢は、瞳を爛々と輝かせて見入っている。
『すごいね。何もかもがちっちゃく見えるよ。道を歩いてる人も車も、点にしか見えないよ』
『ほら、あれがマンハッタンだよ』
 真理亜が指差す方向に、ニューヨークの名所マンハッタンのビル群が広がっている。日が落ちて明かりが灯る時間になれば、すばらしい夜景が見られるはずである。
『ねえ、絵利香。あっちとこっち。どっちが高いのかなあ』
『あのね……高さはあっちの方が高いけど、広さはこっちのほうが広いし、エレベーターの数も多いのよ』
『ふうん……』


『ねえねえ。梢のお家が見えるよ』
 あれだけ大きな屋敷だ、ブロンクスの街を展望できる場所からなら、一目瞭然で見渡せる。広大な敷地に自然緑地や私設飛行場を抱えた雄大な屋敷が輝いている。
『うん。見えるよね』
 真理亜も、ここからの眺めの中に大きな屋敷があることには、以前から気づいていたが、それが仲良しの梢の家と知って感激している。
『真理亜ちゃんのお家は見えないね』
『真理亜のお家なら、こっちから見えるよ』
 と言って梢の手を引いてロイヤル席を出ていく真理亜。
『私、見て来ます』
 二人の身に万が一のないように、早苗が後を追う。
『お願いします』
 三人が出ていくのを、横目に見ながら、絵利香にオーダーを確認する板前長。
『さて、今日は、何を召し上がりますか?』
『そうねえ。まずは、牡蠣とほうれん草・まいたけのスープを頂こうかしら。次に一汁三采として、ご飯と伊勢海老の味噌汁・香の物添え、ロースカツと伊勢海老のジューシーフライ、京生麩と湯葉と姫さざえの和え物、かつおのたたきサラダ風以上です。そして松茸の茶碗蒸し。そしてデザートは……おまかせするわ。あ、大人二人と子供二人分ね』
『かしこまりました』
『何か、お薦めのものはありますか?』
『そうですね……。一昨日下関で取れたばかりの極上の白子が入ったトラフグが、空輸されて届いておりますので、ふぐ刺しなどはいかがでしょうか。もちろん白子も召し上がって頂きます』
『子供達はまだ食べたことがないわね……いいわ。それでお願いします。スープの後で出してください』
『かしこまりました。早速調理に入りますので、これで失礼します』
 と一礼して厨房に戻る板前長。
 そしてひと呼吸おいてから、
『おい。深沢』
 とチーフコックを呼んだ。
 この時、今まで子供達や絵利香と対していたようなやさしい表情ではなく、職人のきびしい表情に代わっていた。
『はい。板長、お呼びですか』
『絵利香さまからのご注文だ。おまえも手伝え』
『わかりました。なんなりとご指示を』
 深沢チーフは、真理亜が姿を見せた時から、サブチーフにすべてを任せて、身体を開けていたのである。
 今の時間帯は、寿司盛り合せや刺し身定食、天ぷら定食とかオムレツなど、近隣のサラリーマンとかファミリー向けのメニューがメインで作り置きもある程度できるし、本格的な日本料理の注文がないため、サブチーフの力量でも十分こなせるからだ。
『まずは、牡蠣とほうれん草・まいたけのスープからだ。具の方の下茹でをしてくれないか、牡蠣はあまり火を通さずに半生でたのむ。あ! 牡蠣の茹で汁は捨てるなよ。俺は、スープ本体を作る』
『かしこまりました』

↓ 1日1回、クリックして頂ければ励みになります(*^^)v


ファンタジー・SF小説ランキング


小説・詩ランキング



11
梢ちゃんの非日常 page.15
2021.08.05

梢ちゃんの非日常(ルナリアン戦記前章譚)


page.15

 地下五階、地上八十八階建ての篠崎ビルがそびえている。地下二階から地上十八階までがデパート、十九階から四十五階までがUSA篠崎グループとAFCグループ各社の本社オフィス、四十六階から八十五階までがホテル、そして八十六階から上が大展望レストランとなっている。また十三階は機械・総合電源調整室、残る地下三階から五階は駐車場と自家発電装置がある。さらにその下には震度7クラスの大地震にも耐えうる最新鋭世界最高水準の免震機構が設置されている。またビルの震動波長に応じた各階にも横揺れを吸収する免震バランサーが置かれている。ビルが傾いた時に、傾斜計と重力加速計が感知して、停電補償電源により駆動されるバランサーが適速度で逆方向にスライドして揺れを防ぐ仕組みである。このシステムは地震以外にもハリケーンのような暴風による揺れにも対応できる。
 免震機構以外にも、各階ごとに設けられた区画防火シャッターと強力排煙・消火装置。一区画で火災が起きても、防火シャッターが炎と煙を完全遮断して他区画への延焼を防ぐと同時に、消火装置が火を消しつつ排煙装置が煙を外に追い出す仕組みである。また超高層ビルで最も問題になる電気設備や電力ケーブルから発生する電気火災を防ぐために、通常の五倍以上の電力容量をもったケーブルなどの電気設備を使用し、さらに各階ごとに電力調整室が設けられ、十三階の総合電源調整室で二十四時間監視している。
 何せ篠崎財閥と梓財団が採算性を度外視して金に糸目をつけずに安全第一に建設した本社ビルなのだから。
 建築業界では、世界一安全で揺れのほとんどない免震高層ビルとして、各国から研究者がひっきりなしに視察に訪れるという。


 メインストリートに面したビルの南側がホテルの入り口・ロビーで、大駐車場に面した北側がデパートの入り口、そして東西にオフィス用の入り口と非常階段がある。デパートとホテル間には、連絡通路があるのでどちらの入り口からでも双方を利用することができる。

 ホテルの車寄せに停車するフリートウッド。
 すかさずドアボーイが寄って来て、後部座席のドアを開けると、待ちきれなかったように梢が飛び出して来る。そして車寄せから、ひさしのない、ビルを見上げられる位置まで駆け降りる。
『うわー! 高いね。てっぺんが見えないよ』
 そびえ立つ篠崎ビルの圧巻さ、最上階の方は霞がかかってはっきりと見えない。空を見上げ感嘆の声をあげる梢。これまでに超高層ビルを間近で見たことがなかったようだ。
『あのね。このビルは絵利香のものだって、グランパが言ってたよ』
 遅れてついて来た真理亜が解説する。
『そうなの?』
 尊敬のまなざしで絵利香を見つめる梢。
『あのね。このビルは絵利香のパパの会社のものなのよ。ただオーナーとして運営を任されているだけなの。それにビルが建っている土地は、梢ちゃんのママのものなのよ。ママから土地を借りてビルを建てたの』
『そうなんだ……。ママと絵利香はお友達だもんね』

『さあさあ、いつまでもここに立ってないで、中に入りましょう』
『はーい』
 二人の手を引いて、ビルの中へ向かう絵利香。
『いらっしゃいませ、絵利香さま』
 深々と頭を下げて絵利香を出迎えたのは、ホテル総支配人の田口であった。おそらくドアボーイから、オーナーの絵利香が来たという連絡を受けて、わざわざ出て来たのであろう。馴染みの客の顔をすべて覚えているドアボーイだ、絵利香を知らないはずはない。
『今日はどちらをご利用なされますか?』
『はい。この子達を連れてデパートの方へ』
『そうですか。あ、そちらのお嬢さまは真条寺家のご令嬢ではありませんか?』
『あたり! よくわかりましたね』
『いえ、梓さまに面影が似てらしたし、真理亜さまと同い年のお嬢さまがおられるとのことでしたので』
『あは、ホテル業界の人って、お客の特徴を覚えるのが上手なのね』
『はい。それがホテルマンの必須条件ですから』
『ともかく、昼食は展望レストランで取りますが、この子達のために食後の休憩をしたいと思います。一部屋用意しておいていただけますか?』
『かしこまりました。スウィートルームをご用意しておきますので、その時分に連絡していただければ、お迎えに参ります』
『お手数かけます』
『どういたしまして、それではごゆっくりお買い物を楽しんでくださいませ』
 挨拶が済むと同時に、真理亜が展望エレベーターまで駆け出して、昇降ボタンを押している。展望エレベーターには、コンパニオンがガイドとして常勤し、昇降の操作をしているので、一階には黙っていても降りて来てくれるから、昇降ボタンを押す必要はないのだが。

 デパート入り口側にもある二基の外面総硝子張りの展望エレベーターは、オフィス階を除く各階止まりで、通常速度で運行している。だから急ぐ人達は、ホテル階・オフィス階まで直通ノンストップの高速エレベーターを利用する。もちろん通常速度で運行する全階止まりの普通エレベーターもあるが、高速エレベーターの急激な加速度や気圧の変化に耐えられない、老人・婦人・幼児連れ、そして障害者の人々が利用するようだ。高速エレベーターにコンパニオンがいないのもうなずけることで、長時間乗っていれば内臓疾患や自律神経失調を引き起こすことは間違いない。


 デパートの最上階にある展望レストラン街。その一角にある日本料理店に、子供達を連れて入る絵利香と早苗。
 早速ウエイトレスが寄ってくる。
『いらっしゃいませ。誠に申し訳ありませんが、只今満席となっておりまして、しばらくお待ちいただくことになっておりますが、よろしいでしょうか?』
『ロイヤルボックス席は明いていますか?』
『え? 今は、明いていますけど……』
『じゃあ、使わせていただくわね』
『あ! ちょっとお待ち下さい。そこは特別予約席です』
『いいのよ』
『待ってください。困りますよ』
『あなた……』
『は?』
『新入りみたいね』
『は、はい』
『だったら、ゼネラルマネージャーの前田さんを呼んで来てくださるかしら。いるはずよね?』
『前田マネージャーですか?』
『絵利香が来たといえばわかるから』
 というとさっさとロイヤルボックス席に入ってしまう。

 数分後、前田マネージャーが、血相を変えて飛んでくる。
 前田は、絵利香の直属の配下であり、全米にある日本料理店「しのざき」の統括総支配人を務め、経営上の最高責任者である。
 本来、日本料理店「しのざき」は、篠崎グループの一角を担う国際観光旅行社のレストラン事業部の直営となっている。全世界に七十八店舗を展開しているが、全米十二店舗だけは、篠崎グループの常任取締役でもある絵利香が特別事業部長オーナーとして独立経営体系をとっている。そしてこのブロンクスデパート&ホテル「SINOZAKI」の中に、事業本部を置いて拠点としている。

 オーナーである絵利香が時々この店を利用することは知っているが、ウェイトレスを通して自分が呼ばれたのははじめてであったからだ。自分に用がある時は、直接事務所を訪れるか、屋敷に呼び寄せるかのどちらかだった。
『これは、ウェイトレスが何かまずいことをしたに違いない』
 しどろもどろのウェイトレスを見て、そう思った前田は、ウェイトレスを従え、途中フロアにいたフロアマネージャーの下沢も呼んで、絵利香の元に急いだ。
『あの方は一体、何者なんですか?』
『馬鹿! この店はもちろん、この篠崎ビルのオーナーだよ』
『ええ? それじゃあ、篠崎財閥のご令嬢?』
『そういうことだ』

↓ 1日1回、クリックして頂ければ励みになります(*^^)v


ファンタジー・SF小説ランキング


小説・詩ランキング



11
梢ちゃんの非日常 特別編/梢ちゃん宇宙へ行く!
2021.08.04

梢ちゃんの非日常(ルナリアン戦記前章)


特別編 梢、宇宙へ行く~軌道エレベーター~

 その朝は、梢にとって特別な朝となるだろう。

 ベッドの上で起きて目をこすっている梢。
 パジャマを着替えさせながら、梓がやさしく語り掛ける。
「いつもお利口にしているから、今日は特別な場所に連れて行ってあげるからね」
「とくべつ?」
「そうよ。とっても素敵なところよ」
 首を傾げながらも、ワクワク気分になる梢。
「朝食を食べたら出発しますからね」
「はーい!」
 と元気よく答える。

 真条寺邸から併設された私設国際空港へと移動する。
 CIQ(税関・出入国管理・検疫)を通り、専用の橋状構造物(ボーディング・ブリッジ)を渡って、屋敷に横付けされた飛行機に直接乗船できる。
「ひこうきだあ!」
 と言いながら、いつもの気分が良い時にやる飛行機走りする梢。
 一般客はおらず迷惑をかけることもないので制止はしない。
「いらっしゃいませ!」
 搭乗口で客室乗務員が頭を下げて挨拶すると、梢も真似てピョコンと頭を下げた。
 思わず微笑む乗務員。
「こちらへどうぞ」
 と言いながら、主翼がある機体中央より少し前方の席に案内した。
 主翼近く主脚部(ランディングギア)付近は飛行機の重心になり、揺れが少ないからである。少し前にするのは、展望の関係からで、翼のある場所は景色が見えにくいから。
「ここに座る!」
 と窓際の特等席に座る梢。
 幼児用のチャイルドシートが設置されており、座ったままで外を眺めることができる。
 梓は、隣の通路席に座った。
 付き添いのメイド達も、重心を考えながらその周囲に着席した。
「いらっしゃいませ!」
 と再び、乗務員の声。
 声の方を見ると、絵利香が搭乗していた。
「あ! 絵利香だ!」
「こんにちは、梢ちゃん」
 通路を隔てた側に座る絵利香。
「皆様他、搭乗員すべて揃いました。出発できます」
 乗務員が出発を促す。
「出発してください」
「かしこまりました。シートベルトをお締めくださいませ」
 梢のシートベルを締めてやってから、自分もベルトを締める。

 やがて飛行機は誘導路へと進み、滑走路に入る。
 機内スピーカーからポーンという音が鳴ると同時に、シートベルトサインが点灯する。この音は、運航乗務員が客室乗務員に離陸開始を知らせる合図である。その音で客室乗務員が乗客にシートベルト着用を促す。


 そして離陸。
「操縦士が手動で飛行機を飛ばすのは平均すると10分間にも満たない」とされるほど自動化が進んでいるが、離陸だけは手動で行われる。
 ボーイングやエアバスなど航空機メーカーから提供されるフライトマニュアルで「このモデルはこの高度、もしくは時間に達するまでは自動操縦を使ってはいけない」というルールがそれぞれ決まっている。
 やがて空へと舞い上がる。
 巡行高度四万~五万フィート(一万二千~一万五千メートル)前後に達したところで、シートベルトのサインが消える。
「あ! 飛行機が飛んでるよ」
 と梢が叫ぶので確認すると、平行するように米軍戦闘機が併進している。
 どうやら護衛で周辺警備しているようであった。


 目的地までは六時間近くかかる長時間フライトである。
 機外を眺めるのに飽きた梢は、機内放送幼児番組に見入っている。
 途中機内食を珍しそうに食べているうちに目的地が見えてきた。

 太平洋赤道直下にある孤島を拡張増設して、空港・港湾と軌道エレベータが造られた宇宙空港と呼ぶべき施設。
 地上から天空に向かって一直線に伸びる軌道エレベーターは壮大だった。
 カーボンナノチューブの円筒の中を、高度約三万六千kmの静止軌道上まで、ビル七階分に相当する耐圧カプセルが超伝導リニア方式で昇ってゆく方式である。簡単に言うと、リニア新幹線を宇宙へと走らせる感じである。
 平均速度は千二百km/hほど、都合片道三十時間の一泊二日の宇宙旅行となる。

 本日は、軌道エレベーター開通式典の日だ。
 主賓は、AFC総裁の真条寺梓と梢である。
「皆様、本日はご多忙の中をご臨席賜りまして、誠にありがとうございます。まもなく○○時より、オープニングセレモニーを始めさせていただきます。いま、しばらくお待ちください」
 司会者が開式予告を行っている。
 梢は、天空に伸びる円柱を見上げ続けている。
 その間にも、式典は進んでゆく。
「それでは、まず初めに主催者を代表いたしまして、財団法人軌道エレベーター社・会長のジェームス・スチュワートより、皆様にご挨拶を申し上げます」
 壇上に運営会社の社長が上がって挨拶を行っている。
 そのあとには、来賓祝辞・祝電披露と続いている。
 長い式典に、梢が飽きはじめているようだった。
「それではこれより、テープカットに移らせていただきます。お名前を申し上げますので、恐れ入りますがテープの前にお進みください」
 梢の名前が呼ばれ、アテンドの案内で、テープカット台の中央に立ち鋏を持たされる梢。その両脇には、梓と絵利香が立っている。
 ファンファーレが鳴り響き、司会者が合図する。
「それではテープカットをどうぞ!」
 隣の梓に耳打ちされて、小さな手でテープをカットする梢だった。

 式典が終われば、早速試乗会である。
 他の招待客と共に、絵利香と手を繋いで軌道エレベーターに乗り込む梢。
 カプセル内の一室(一区画)はホテル並みの施設があり、ベッドで休んだりTV鑑賞もできる。
 そんな区画が二十層に重なっており、最下層には厨房があって昇降機を使って各区画へ食事を届けるようになっている。エレベーター内のエレベーターがあるわけだ。
 長旅と長い式典に付き合わされたので、疲れて眠ってしまう梢だった。
「眠っちゃったわ」
 ベッドに寝かせつけて、縁に腰かけながらその寝顔を見つめている。
「この子が、大人になる頃には宇宙旅行も身近なものとなって、月には何千何万という都市が造られて、沢山の人々が暮らしているでしょうね」
「資源を巡る国家間の紛争も起きるかも知れないわ」
「21年6月の国連・宇宙空間平和利用委員会がオーストリアで始まったけど、中国は参加せず独自に開発する気満々だよ」
「そのうち、『月は古来より中国固有の領土だ』とか言い出すんじゃない?」

 やがてたどり着いた宇宙ステーションは、かの有名な『2001年宇宙の旅』でおなじみの円盤管状のチュープが、地表に対して水平となるように回転して、居住スペースに重力を発生させている。
 地球側と反対の場所には、ルナベースへと向かうスペースバスが運行されている宇宙ドックが接続されている。
 また接近する隕石や宇宙デブリを破壊・軌道変更させることのできる強力なレーザー砲が設置されている。そのことに関して『宇宙兵器じゃないか』との声も上がったが、平和利用であると主張の上、政治力で抑え込んでしまった。


 梢が目覚めたとき、そこは宇宙空間だった。

 静止軌道とは言っても名前の通りに静止しているわけではない。
 人工衛星というと地球の周りを回っているという感があるが、実際は地球の丸みに沿って落ち続けて(自由落下運動)いるというのが実体である。
 静止衛星は地球の自転方向に落下する角速度と、地球が自転する角速度が一致しているから静止しているように見えるだけだ。

 外壁シールドガラスにへばりつく様にしている梢。
「あれが地球よ」
「ちきゅう?」
「梢ちゃんの住んでいる星よ」
「ふうん……」
 宇宙とは何か、地球とは何か、三歳の梢に理解できるはずもない。
 瞳を真ん丸に見開いて、漆黒の宇宙に浮かぶ青く輝く地球に魅入っている。
 感動のあまりか、言葉を出すのも忘れているようだ。

↓ 1日1回、クリックして頂ければ励みになります(*^^)v


ファンタジー・SF小説ランキング


小説・詩ランキング



11
梢ちゃんの非日常 page.14
2021.08.03

梢ちゃんの非日常(ルナリアン戦記前章譚)


page-14

 ベッドの上でバスローブからパジャマに着替えた梢と真理亜が、ネグリジェ姿の絵利香を挟んで、絵本を読んでもらっている。梢の着ているパジャマは真理亜のものであるが、本人の許しを得ている。他人が見たら、仲の良い姉妹とその母親という風に、見間違えるほどしっくりと絵になっている。
 しばらくして眠りに入った二人の寝顔を、腕枕しながら見つめる絵利香。真理亜、梢、そして絵利香という順で並んでいる。梢を真ん中にしたのは寝相が悪いからである。真理亜も絵利香のすぐ隣に寝たがったが、絵利香が真ん中になると起きだすことが難しくなるので、説得して反対側に寝かせた。
『どんなにやんちゃでも、寝顔はやっぱり可愛いね』
 大きなあくびをして、
『さてと……今日は、梢を連れて歩き回ったから、疲れたわ。ちょっと早いけど、わたしも眠りますか』
 布団をかぶる絵利香。


 翌朝。
 ベッドで眠る梢と真理亜。絵利香はすでに起きだしていて、ここにはいない。
 扉が開いて、絵利香そしてぬいぐるみを抱えた梓が入ってくる。絵利香は昨日までの大まかなことを、梓に伝えてある。
『真理亜ちゃん、朝よ』
『梢ちゃん、朝ですよ』
 と、二人はそれぞれの娘を起こしにかかる。
『ん、おはよう。絵利香』
 真理亜はすぐに目覚めるが、
『ん……うん』
 寝起きの悪い梢は、目をこすりながらも、まだ夢うつつ状態である。
『早く起きないと帰っちゃうわよ』
 やさしい声で、梢の耳元でささやく梓。
 その声にやっと目覚める梢。
『ママ! ママ、お帰りなさい!』
 梓に飛びつく梢。二晩ぶりの再会に、感激してキスと長い抱擁がつづく。
『梢ちゃん。ママがいない間、お利口にしてたかな』
『うん。お利口にしてたよ』
『そう。じゃあ、約束のおみやげよ』
 と言って、コアラのぬいぐるみを手渡す。
『ありがとう、ママ』
 梢は、再びお礼に軽くキスをする。
『あのね。真理亜ちゃんと、お友達になったんだよ』
『そうなの。良かったわね。お友達ができて』
『うん!』
 真理亜の方に向き直って、
『真理亜ちゃん、梢ちゃんと、仲良くしてあげてね』
『うん。いいよ』
『ありがとう。それじゃあ、真理亜ちゃんにも、ハイ! 梢ちゃんと遊んでくれたお礼よ』
 と言ってコアラのぬいぐるみを手渡す梓。
『ありがとう』
 梓にお礼を言って、コアラを抱いて頬擦りする真理亜。女の子なので、ふわふわしたものには無意識に頬擦りしたくなるようだ。

『梢ちゃん。動物園はどうだった?』
『あのね、あのね。あしかさんと仲良しになって握手したよ。それからね、足し算の競争したよ』
『あしかさんと競争したのね。どっちが勝ったのかしら?』
『最初はね。梢、負けちゃったの。でも二回目は勝ったよ』
『じゃあ、引き分けね』
『うん。それからね、ぬいぐるみもらったよ』
 というとベッドを降りて、絵利香の勉強机の上に置いてある、あしかを持ってくる。
『これだよ』
『まあ、あしかさんね』
『うん』
 動物園で体験したことを、記憶に残っている限り身振り手振りで補いながらも、一所懸命に母親に伝えようとしている梢と、それをしっかりと聞いてあげようとする梓であった。母と娘のスキンシップのありかたは、梓が渚から身を持って教えこまれたものであり、それをそのまま自分の娘に対して実践している。
『これだったら、ママのコアラさんはいらなかったかな』
『そんなことないよ。ママのプレゼントのコアラさん、とっても嬉しいよ。そしてね、あしかさんは、絵利香のプレゼントだよ。だって、絵利香が動物園に連れていってくれたから、もらえたんだよ』
 絵利香と動物園に行く。あしかショウでぬいぐるみをもらう。だからあしかは絵利香のプレゼント。見事な三段論法である。三歳の梢がこれだけの論理を展開できるとは、感心する梓と絵利香だった。

『真理亜も動物園、行きたかったな』
 親指の爪を軽く噛んで、うらやましそうに梢と絵利香を見つめる真理亜。
『真理亜ちゃんとは、先週遊園地に行ったばかりじゃない』
『でも、ぬいぐるみもらえなかったもん。真理亜もあしかさん欲しかったな』
『次に行ってもあしかさん貰えるとは限らないわよ。たまたま貰えただけかもしれないし』
『ううん……でも』
 うらめしそうに絵利香をじっと見つめる真理亜。
『わかったわよ。動物園に連れて行ってあげるわよ』
『ほんと? いつ、連れていってくれるの?』
 目をきらきらと輝かせて真理亜が尋ねる。絵利香が嘘を言わないことを知っているからだ。
『そうねえ……来週の日曜日には、真理亜ちゃんの、保育園の入園式があるでしょ』
 保育園では共働きの家庭を考慮して、日曜日に入園式を行っていた。
『うん。真理亜、保育園に入るよ』
『だからね。その次の週の日曜日にしましょう』
『うん。それでいいよ』
『忘れないように、お部屋のカレンダーに印を付けておきましょうね』
『うん!』
 勉強机に歩いていき、正面に下げられているカレンダーの当日の日に赤丸をつける絵利香。すでに来週の日曜日には、入園式を示す赤丸がついている。その真下に赤丸が追加された。
『はい。これでいいわね』
『うん』
 ベッドの上からにっこりと微笑む真理亜。
 そんな二人を見つめながら、梓が梢にさらに問いかける。
『パンダさんはどうだった?』
『あのね。パンダさん、おねんねしててつまんなかった』
『なんだ。おねんねしてたんだ。梢ちゃんだって、お昼寝するから、パンダさんだって、お昼寝するのね』
『うん。絵利香もそう言ってた。それでね、起きてる時にまた来ようねって、言ってくれたよ』
『じゃあ、今度はママと一緒に行こうか?』
『うん。行く、行く!』
『そうねえ。真理亜ちゃんと、同じ日に一緒に行きましょう』
『うん。真理亜ちゃんと一緒だね』

 篠崎邸玄関車寄せにフリートウッドが停まっている。
 絵利香と真理亜、梓と梢が対面して、別れの挨拶をしている。
 真理亜は絵利香のスカートを握っているし、梢はあしかのぬいぐるみをしっかりと抱えている。さすがに大きくて二つ同時に持てないようだが、コアラでなくてあしかの方を持っているということは、よりそちらが大事に思えるらしい。動物園での絵利香との楽しい思い出がいっぱい詰まっているのだから。
 コアラは梓が持っている。
『今回は、本当に感謝しているわ。この借りはいつか返すわね』
『まあ、期待しないで待っているわ』
『梢ちゃん。絵利香と真理亜ちゃんにお礼言いなさい』
『絵利香、ありがとう。真理亜ちゃん、また遊んでね』
『どういたしまして』
『うん。またね』

『はい。梢ちゃん、乗って』
『はーい。ママ、ちょっと持ってて』
 ぬいぐるみを持っていては、邪魔になって車に乗れないので、一旦梓に渡してから車に乗り込み、席についたところで、再び返してもらう梢。
『今度からうちの屋敷に来る時は、真理亜ちゃんも一緒に連れてきてよ。梢ちゃんも喜ぶだろうから』
『そうね。そうするわ』
 以前から真条寺家を訪れる時に、何度か真理亜を連れて行こうかと思ったことがあるが、梢と違って人見知りをするので、ためらっていたのだった。幼児の記憶が発達するのは、三歳からということだし、幼児社会性が芽生え友達を求めるようになる時期に入る頃、それからでもいいだろうと判断していた。同い年の梢が友達になったことで、これからは遠慮はいらないだろう。
 やがてゆっくりとフリートウッドが動きだす。
 梢が、後部座席から後ろを振り向いて、さかんに手を振っている。絵利香と真理亜も、それに応えるように手を振る。

↓ 1日1回、クリックして頂ければ励みになります(*^^)v




にほんブログ村 本ブログ 小説へ
にほんブログ村



11
梢ちゃんの非日常 page.13
2021.08.02

梢ちゃんの非日常(ルナリアン戦記前章譚)


page.13

 食事を終えて、リビングでくつろぐ一同。
『ねえ、今晩も、よそでおねんねするの?』
 寂しそうな表情を見せて真理亜が口を開いた。
『ごめんね』
『真理亜、つまんない』
 真理亜は、昼間は一緒に外出するなどして遊んでもらったり、夜は寝入るまでの間、絵本を読んでもらったりしていたのである。昨晩に続いて今晩も絵利香が外泊すると聞いて寂しがっているのだ。梢が絵利香に感じているように、真理亜もまた絵利香に母親のような感情を抱いている。
『梢ちゃんはね。今晩もママがいないのよ。真理亜ちゃんもママがいないと寂しいでしょ』
『うん。でも……』
『ごめんね。真理亜ちゃん』
 梢が、真理亜の手を取りながら謝った。
『う、うん……』
 当の本人の梢に謝れては、真理亜も致し方なしといった表情を見せた。仲良しになった梢のためと思い直したようだ。しかし、それでもあきらめ切れない。
『あのね。真理亜、いいこと考えたよ』
『何かな』
『梢ちゃんが、この家でおねんねすれはいいんだよ』
 真理亜は、どうしても絵利香と離れたくないようだ。一晩ならともかく、二晩は我慢できない。梢が泊まれば、真理亜も梢も絵利香と離れなくて済むことに、気づいたようだ。
『そうねえ。それもいいかも知れないわね。梢ちゃん、この家でおねんねする?』
『梢が? ここでおねんねするの?』
 一方の梢は外泊した経験がなかった。梓は泊まりになる出張には梢を連れて行かなかったからである。その代わりに絵利香が呼ばれてお守り役を任された。
『そうよ。絵利香のお部屋で真理亜ちゃんと一緒におねんねするの』
『あのね。絵本も読んでくれる?』
『いいわよ』
『じゃあ、おねんねしていいよ』
『さ、決まりね。そうと決まったら、お風呂に入るわよ。真理亜ちゃん、梢ちゃんをお風呂に連れていって頂戴。わたしも後からすぐに行くから』
『わかった。梢ちゃん、こっちよ』
 真理亜と梢が仲良く手をつないでお風呂の方へと向かう。絵利香が外泊しないとわかれば元気なものである。
『子供に好かれるのも苦労が絶えないわね。真理亜ちゃんたら、母親の私よりも、絵利香のそばにいたがるんだから。私の立場がないわよ』
『あははは……』
 言葉が見つからなくて苦笑する絵利香。
『さてと……。一応、梓と渚さまに連絡しておかなくちゃ』
 といいながら、携帯電話で連絡を取り始める絵利香。

 脱衣場で服を脱いでいる、真理亜と梢。どちらもまだ三歳なので、手際よく服を脱ぐことができない。特にボタンを外すのにてこずっている。箸使いをすぐに覚えた梢も、ボタンの掛け外しは、さらに繊細な指先の器用さが必要なので巧くいかない。通常ボタンの掛け外しが自由にできるのは、個人差はあるものの四歳くらいだと言われている。
 そうこうしているうちに絵利香がやってくる。
『あらあら、まだ脱いでなかったのね』
 二人の服のボタンだけ外してあげて、あとは自分で脱いでもらう。全部手伝ってしまうといつまでたっても着替えができないからである。脱いだ服は脱衣籠に入れてから、風呂の中へ向かう。
 篠崎邸の風呂場は総大理石の床で総面積は京間の八畳程度ぐらい、浴槽も大人二人がゆったりと入れる程度の広さがある。住宅事情で窮屈な思いをしている日本家屋とは比べようがない。
 風呂に入らない昼間は、扉を開けておくと真理亜が水遊びすることがあるので、鍵をかけて入れないようにしてある。勝手に浴槽に水を張ったあげくに、落ちておぼれないようにとの配慮である。
 浴槽の湯量は子供が楽に立てる高さに、温度も少しぬるめにしてある。いつも一番に入る真理亜のために美紀子が設定しているのだ。浴槽は幼児には深く一人では出入りできないので、絵利香が抱きかかえて入れてあげる。
 複数の幼児が水のあるところでやることといえば、水かけ遊びである。
『きゃっ、きゃっ! きゃはは』
 と叫びながら、お風呂のお湯を、小さな手でさかんにかけあっている真理亜と梢。
 こういった遊びを通して、二人の絆がより深くなってくれるようにと、今日は特別に好きなようにさせている絵利香。自分と梓がそうであったように、遊びは真の友情をはぐくむ大切な行為のはじまりなのだと。
 などと考えていると、いきなり顔にお湯を掛けられる。
『んもう……どっちがやったの?』
 二人を問い詰めようとすると、
『知らない』
 と、とぼけた表情で、ぷるぷると首を横に振る梢。隠し事をしていることを示す、癖になっているその仕草が命取り。そうでなくてもこんなことするのは、やんちゃな梢に決まっている。
『梢ちゃんがやったのね。嘘ついてもわかりますよ』
 絵利香も反撃してお湯を梢に掛けはじめる。とはいっても大人の手のひらは、三歳の梢たちよりもはるかに大きいので、指先を揃えてちょいちょいと軽くお湯をすくう程度である。
『あーん。ごめんなさい』
 なんで嘘がばれてしまったのか、梓ゆずりの癖に気づいていない梢は、ただ謝るばかり。
『罰として、梢ちゃんから、身体を洗うわよ。はい。そこに座って頂戴』
 梢を抱きかかえて浴槽から引っ張りだすと、バスチェアーに座らせる。
『あん。いやん』
 遊びの場となっていた浴槽から引き出されたので残念がる梢。
『真理亜ちゃん。梢ちゃんにスポンジ貸してあげてね』
『うん。いいよ』
 棚に置いてある動物の形をしたスポンジの一つを手にとってシャボンをつけて梢に渡す。
『梢ちゃん。自分で洗えるところは洗ってね』
『うん』
 手足とか前部は梢に洗わせて、絵利香は背中を重点的に洗ってあげる。
 自分でできることは多少時間がかかってもやらせる。躾の基本である。
 身体の次ぎは髪の毛であるが、これは梢にはまだ無理なので、絵利香が洗ってあげる。梢の髪は、長い上に細くてしなやかなので、髪がからまないように慎重に洗ってやらなければならない。
 床にバスマットを引いて正座して、
『はい、梢ちゃん。ここに頭を乗せて頂戴』
『はーい』
 上向きに膝枕させた上に、折ったタオルを額に乗せてシャボンが目に入らないようにする。
『タオル押さえててね』
『うん』
 準備が整ったところで、髪にシャボンをつけて丁寧に洗いはじめる。
『シャボンが目に入ったら言ってね』
『うん』
 梢が髪を洗ってもらっている間、真理亜は浴槽に動物のおもちゃを浮かべて一人遊びしている。
 髪を洗い終わって、タオルで水気を丁寧に拭ってやって、梢を解放してやる。
『はい。次ぎ真理亜ちゃんね』
『はーい』
 素直に返事をして、身体を洗ってもらう真理亜。日頃から洗ってもらっているから慣れたもので、自分で洗えるところは、動物状のスポンジにシャボンをたっぷりとつけて洗っている。髪の毛はやはり絵利香が洗ってあげるが、梢みたく長くないので、短時間で終了する。
 梢も真理亜も、赤ん坊のころから、梓・絵利香・美紀子らによって、毎日一連の洗い方をされてきたので、もうすっかり慣れていて、遊び疲れている時などは、洗髪の途中で居眠りしてしまうことさえある。
『はい。オッケーよ』
 洗髪を終え、真理亜を解放してあげる。
『それじゃあ。今度は、絵利香が洗う番ね』
 すると二人が絵利香の背中に回って、
『真理亜、背中流してあげるね』
『梢も、流してあげるよ』
 と言って、二人はスポンジにシャボンをつけはじめた。
『ありがとう。じゃあ、お願いね』
 子供達の好意は素直に受けておくものである。背中を洗う力加減が足りなくて、汚れがきれいに落ちないのは承知の上だが、人のために何かをしてあげようとする心意気は、大切にしてあげなければならない。
 スポンジで一所懸命に絵利香の背中を洗っている二人。実際には遊びの延長線上にある行為なのかもしれない。
 やがて絵利香も洗いが終わり、子供達の最後の仕上げに入ることにする。
『それじゃあ、20まで数えたらあがっていいわよ』
 といって梢を抱えて湯船に肩まで入れる絵利香。梢も真理亜も数えられる上限は20までである。21から上は、舌が回らなくてうまく発音できないし、また13と30などの語尾変化の違いも判らない。
『1・2・3……19・20』
『はい。いいわよ。次ぎは真理亜ちゃんね』
『うん』
 梢と入れ代わりに真理亜を入れる絵利香。
『真理亜ちゃんも、20数えようね』
『はーい。1・2……20!』
 真理亜を浴槽の外に出して、自分も上がる絵利香。
『さあ、今日の入浴タイムはおしまいよ。二人とも、お外に出てバスローブに着替えてね』
『はーい!』
 濡れた足でぺたぺたと脱衣場の方に出て行く二人。その後に続く絵利香。脱衣場の棚には美紀子が用意してくれたバスタオルとバスローブが置いてある。バスタオルで軽く濡れた身体を拭ってから、幼児用のバスローブを着る二人、そして絵利香も。流れる汗が引くまでの間、バスローブでくつろぐのが日課のようになっている。
 脱衣籠の中に脱いだ衣類は、後で美紀子が洗濯してくれるはずだ。
 風呂から上がり部屋に戻った梢と真理亜は、早速追い掛けっこをはじめて、バスローブのまま部屋中を駆け回っている。活発でやんちゃな梢にじっとしていろというのは、無理な話しである。食事の前は、まだ会ったばかりで気心がはかれなかったので、二人で静かに絵を描いていたが、仲良くなったら、もう自由奔放である。真理亜もそれに引きずられて、一緒になってはしゃいでいる。

↓ 1日1回、クリックして頂ければ励みになります(*^^)v


ファンタジー・SF小説ランキング


小説・詩ランキング



11

- CafeLog -