梢ちゃんの非日常 page.17
2021.08.08

梢ちゃんの非日常(ルナリアン戦記前章譚)


page.17

『絵利香さま』
 前田マネージャーが耳打ちする。
『なに?』
『実は、夕食用にお屋敷の方にもフグが届けられているのですよ』
『あら、そうなの? こちらではお刺し身ということだから、夕食は鍋物にしましょうか』
『わかりました。お屋敷の方には、私から連絡しておきましょう』
『よろしくお願いします』

 ウェイトレスがマネージャーに耳打ちしている。
『どれもうちのメニューに入ってないようですが、大丈夫なのでしょうか?』
『大丈夫も何も、絵利香さまのご注文したものが作れなければ、板前長は失格だよ。明日から新しい板前長に変わるだけだ』
『そんなことがあるんですか?』
『絵利香さまは、この店にある食材はすべて把握されていらっしゃるのだ。その中から選んだ食材と調理方法を指示して注文を出される。牡蠣とほうれん草・まいたけのスープという具合にね。もちろん指示された食材だけでなく、その風味を壊さない程度に独自の判断で自由に追加してもいいし、スープと言われても多種多様のスープが存在するからね。しかも海と野と山からそれぞれ選ばれた、これはもう板前長の器量を試されるということだよ』
『板前長になるのも大変ですね』
『もちろんだよ。真条寺家の屋敷で開催される晩餐会で日本料理が出される時は、うちの板前達に依頼がくるからね。何と言っても各国の大統領や国王を招待しての晩餐会だ、料理の格も尋常ならざるを得ないからね。常日頃から腕を磨いておかないと、いざという時に役にたたないからね。絵利香さまは、それを考慮して、メニューにないお品をご注文されるのさ』
『もう一つ聞いてもいいですか?』
『かまわんよ』
『トラフグって猛毒を含んでいるんですよね』
『ああ、そうだ』
『よく輸入なんてできましたね』
『特別許可をもらってるさ。厳重な保管と輸送を実施することを条件にな。真条寺空港ならそれが可能だから、絵利香さまが真条寺梓さまに依頼して輸入できるようになったのさ。梓さまを介して、真条寺グループに働きかけることのできる絵利香さま、それがゆえに篠崎グループの常任取締役にもなってらっしゃる』

 しばらくして子供達が早苗と共に戻って来た。
 再び窓にへばりつく二人。
『あ! 見て見て。梢ちゃんのお家に飛行機が降りてくよ』
『ほんとだ。誰が来たのかな?』
『でもすごいね。お家に飛行場があるなんて』
『そうかな……』
 飛行場にしても、ベルサイユ宮殿並みの屋敷にしても、そこで生まれ育った梢にしてみれば、ごく日常生活のことなので、少しも気にしていないようだ。
(そういえば、子供の頃の梓も同じ様な反応をしてたっけ。やはり母娘ね)
『こんなビルを持ってる絵利香もすごいよ』

『絵利香さま。つかぬことをお聞きしますが、そちらのお嬢さまは、もしかして真条寺家のご令嬢さまですか?』
 子供達の会話に耳を傾けていた前田が尋ねた。
『その通りよ。梢ちゃんは、梓の一人娘。つまり真条寺家の正統な後継者よ』
『やはりそうでしたか。飛行場のある屋敷といえば、真条寺家ですからね』
『梢ちゃんには、これからもここを利用してもらうことになるから、覚えておいてね』
『かしこまりました』

『ねえ。絵利香……あれ? 椅子に何か書いてあるよ』
 振り向いた梢が、幼児椅子の背に文字が書かれているのに気づいた。
『えっと……M・A・R・I・A……って、真理亜ちゃん?』
『うん。これね。真理亜が書いたんだよ』
 その幼児椅子は、ロイヤル席専用のものなので、今のところ真理亜以外使用しないものだった。真理亜が度々ここを訪れる際に、一般席とは違う上質のこの椅子が必ず出されることに気がつき、孫に甘い祖父母の花岡一郎夫妻に連れられて来た時に、自分の名前を書いてしまったのである。自分の持ち物に名前を書くというのは、梢に感化されてのことである。真条寺家に遊びに行った時に、あちこちに梢の名前が書かれているのを見て以来である。

『ねえ、絵利香。こっちの椅子には梢の名前書いてもいい?』
 自分の家では、梓の目を盗んでは問答無用で書きまくっている梢だが、ここではお利口にするという約束があるので、一応絵利香の承諾を得てからにするようだ。
『しようがないわね。書いていいわよ。はい、サインペン』
 すでに真理亜が自分の名前を書いているのに、梢にはだめとは言えるわけもなし。仕方なく了承して、バックからサインペンを取り出して渡す絵利香。
『ありがとう。じゃあ、書くよ』
 絵利香からペンを受け取って椅子の背に自分の名前を書きはじめる梢。
『K・O・Z・U・E……っと。これでいいね』
『気が済んだかしら』
『うん!』

 軽い鈴のような音が静かに鳴り渡った。
 その音を聞いて、前田がウェイトレスを連れて厨房室へと入っていった。
 やがて板前長と共に、ワゴンを押して戻ってくる。
『お待たせ致しました。牡蠣とほうれん草・まいたけのスープです』
 ウェイトレスと前田が、ワゴンから料理をテーブルに並べている。
 料理が運ばれて来たので、それぞれの席に着く子供達。
『二人とも食べていいわよ』
 という絵利香の声に、スプーンを手に取り食べはじめる。
『いただきまーす』
 何が入っているのかな? というような表情で、スープカップの中身をスプーンで確認している真理亜。
『あ! ほら、牡蠣が入っているよ』
 嬉しそうにスプーンですくい上げて見せている。とにもかくにも牡蠣さえ入っていれば上機嫌なほど、大好きなのである。
『えへへ。梢のにも入ってるよ』
 もちろん梢も大好きであるし、同じ品なので両方に牡蠣が入っているのは当たり前。
 牡蠣が入っているのに納得して、スープを食べはじめる二人。
『どう、おいしい?』
 絵利香がやさしく尋ねると、
『うん。おいしいよ』
 と、二人ともご満悦の様子だ。
『どれ、わたしも頂いてみますか』
 スープを一口すすってみる。
『うん。いいじゃない』
 絵利香がスープを口にしたのを見て、傍らにいた板前長が説明をはじめた。
『鍋にバターとベーコンを入れて火を通し、バターが溶けたら玉葱とセロリを加えて炒めます。玉葱が透き通って来たら、小麦粉を加えてさらに炒めながら、適宜に切りそろえた人参・じゃがいもを順次加えて、別に下茹でしていた牡蠣の出し汁を加えて十分ほど煮込みます。さらに牛乳と下茹でしていた牡蠣・ほうれん草・まいたけを加えて二・三分煮詰め、塩・胡椒で味を調えました。器にとってパセリのみじん切りと破砕クラッカーをまぶしました』
『基本の調理方法は、クラムチャウダーみたいですね』
 クラムチャウダーとは、アメリカではお馴染みの人気メニューで、クラム(あさりなどの二枚貝)をたくさんの野菜とベーコンと共にチャウダー(語源はフランス語で大釜・鍋の意味。煮込み料理やスープを意味する)したもの。牛乳や生クリームを使わず、ケチャップなどでトマト風味にしたものがニューヨーク風。
『お察しの通りです。クラムの代わりに地中海産のブロム牡蠣を使っていますけど。お嬢さま方にはこちらの料理の方が食べやすいでしょう』
『そうね。日本料理店だからといって、何も和風にこだわることはないでしょう。日本で大衆レストランに入ると、和洋中を問わず大概カレーライスがメニューに加わっています。この店のランチメニューにもアメリカ的なクラムチャウダーが入っていても不思議ではないでしょう。前田さん、検討してみてください』
『かしこまりました。ランチメニューに入れるかどうか、従業員にも試食をしてもらって検討してみます』
『よろしくね』
『それでは、絵利香さま、次のフグ刺しの調理に入りますので、これで失礼いたします』

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