銀河戦記/鳴動編 第二部 第十五章 タルシエン要塞陥落 Ⅱ
2021.08.21

第十五章 タルシエン要塞陥落の時





 数時間前に遡る。
 タルシエンの橋を、共和国同盟領に向かって進軍する艦隊があった。
「閣下。無人戦闘機全機発進完了しました。タルシエン要塞に向けて進軍中!」
 副長が報告する。
「よし。空母を下がらせて、氷の戦艦を前に出せ! 作戦第二弾だ」
「了解! 氷の戦艦を前に出します」
 後方に待機していた氷の戦艦と呼ばれた艦艇が前方へと移動してゆく。
「廃艦寸前の艦艇でも役に立つところを見せてやろう」
 艦隊の指揮を執るのは、バーナード星系連邦の若き英雄ともいうべきスティール・メイスン中将である。
 共和国同盟を屈服させて、マック・カーサーに占領を任せて帰国した後、クーデターを起こした際に、旧式戦艦をもかき集めていたのだった。
 その退役した戦艦の周りに分厚い氷の結晶を蒸着させ、その前面を鏡のようにピカピカに磨き上げた艦だった。
 氷の戦艦を作るには、特別な工作機械など必要はない、真空中で水を吹き付けるだけで良いので費用も格安だ。いわゆる真空蒸着である。
 水を真空中に放出すると沸騰するが、気化熱を奪われてすぐさま氷になる。つまり沸騰しながら氷になるという面白い現象を見せる。

「要塞に強力なエネルギー反応!」
 やっぱり来たかという微笑を洩らして、
「要塞砲が来るぞ! 氷の戦艦を盾にして並べろ!」
 氷を纏った戦艦が、ずらりと隙間なく並んで頑丈な氷の壁を形成させた。
「整列完了!」
 その時、要塞砲の強烈なエネルギーが氷の壁に襲い掛かる。
 真空中では氷が一瞬にして昇華し、エネルギーを吸収する。
 水の分子の比熱及び融解熱と蒸発熱は、宇宙に存在する物質で最も高いと言ってもいいくらいである。
 1gの氷を昇華(水蒸気へと状態変化)させる熱は約2,836J{ジュール}必要。
 さらにライデンフロスト効果に似たような現象を起こして、強力なバリアーが発生していた。
 ほぼ氷と塵の塊である彗星が、太陽近日点を通過して長い尾をたなびかせつつも、溶けて消え去らないのもこの現象である。

 さしもの要塞砲も氷の壁によって完璧に防がれていた。
 そのエネルギーの一部は、鏡のようになった面で反射されて、要塞の方へと向かった。

「敵さん、撃ったエネルギーが戻ってきてビックリするでしょうね」
「よし。氷の戦艦を盾にしながら、前進する! 空母は用済みだ、帰還させろ」
「了解。空母を帰還させます」
 無人戦闘機の回収予定はなかった。
 この作戦以降使用されることもないだろうから、箪笥の肥やしになるより断捨離してしまおうということだ。近くの恒星にでも落下させる予定だった。

参考 水の比熱=4.2kJ/kg・℃ 融解熱=333.6 kJ/kg 蒸発熱=約2,250kJ/kg

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2021.08.21 08:05 | 固定リンク | 第二部 | コメント (0)
銀河戦記/鳴動編 第二部 第十五章 タルシエン要塞陥落 Ⅰ
2021.08.20

第十五章 タルシエン要塞陥落





 銀河帝国でアレクサンダー皇太子によって、内乱が集結され統一がなった頃、タルシエン要塞では一大事が起きていた。

 タルシエン要塞内に鳴り響く警報音。
「タルシエンの橋に感あり! 何者かが橋を通過しているもよう」
「ついに来たか!」
 要塞防御指揮官であるフランク・ガードナー少将は指令を下す。
「戦闘配備につけ!」
「戦闘配備!」

「あれはなんだ?」
 タルシエンの橋から、まるで蜂の巣を突いたように、数えきれないほどの戦闘機が沸いて出てくる。
「戦闘機です!」
「カーグ少佐とクライスラー少佐に迎撃させろ!」
「すでに発艦済みです」
 無数の戦闘機群に対して、ジミー・カーグ少佐とハリソン・クライスラー少佐が出て迎撃する。
「戦闘機の数、あまりにも多すぎて計測不能です。百万機以上は軽く突破します!」
 要塞の周囲に展開していた戦艦だったが、小さな戦闘機に悪戦苦闘していた。
「だめだ! 戦艦では小さな戦闘機の相手にならない。カーグ少佐達に任せるしかないな」
 そのカーグ少佐は、戦闘機相手に奮戦していたが、圧倒的多数に苦戦していた。
 が、撃墜していく中で気が付いたのだった。
「報告! 敵戦闘機は無人だ!」
 そうなのだ。
 撃墜した敵戦闘機には人が乗っていないことが判明した。
「無人戦闘機だと?」
「おおう。有人機は一機もいねえよ」
「これではこっち側だけの消耗戦ではないですか。相手は撃墜されても人的被害はゼロです」
「なるほどな。帰還の必要のない無人機なら使い捨てだ。しかも生命維持装置や脱出装置など必要ないから、格安に大量生産できるというわけか」
「3Dプリンターで打ち出した機体に、エンジンと機関砲そして制御装置を組み込んで。はい! 一丁出来上がりですね」
「いわば百円ライター戦闘機ですか?」
「戦闘は遠隔でしょうか?」
「違いますね。プログラムをインプットされた自動戦闘でしょう」
「どういうことだ?」
「まずは設定目標に対して攻撃、進路を妨害されたら逃げるか攻撃目標を変更。最終的に燃料切れ寸前に自爆か特攻という具合です。どうやら敵さんの中に自動実行のアルゴリズムを構築できる優秀なプログラマーがいるようです」
「優秀なプログラマー? まさか例のジュビロ・カービンという奴か?」
「彼はハッカーじゃないか。綿密なプログラムなど組めるのか?」
「しかし実際に、この要塞を奪取した際にはプログラム再構築に参加してましたよね」
「そ、そうだった」

「敵さんは、この要塞の詳細を知り尽くしているからな。弱点とかもな」

「これだけの戦闘機です。橋の中のどこかに空母が潜んでいると思われます」
「だろうな。よし、一発お見舞いしてみるか。要塞砲の発射準備をしろ!」
「要塞砲発射準備!」
 陽子反陽子対消滅エネルギー砲は、銀河随一の破壊力を持つ究極の兵器である。
「陽子・反陽子加速器始動開始!」
「要塞奪取時に発射テストを行って以来だ。入念にチェックをしろよ」
「了解」
「アレックスは二度と発射することはないだろうと言っていたが、こんな形で実行することになるとはな」
「軸線上にある艦艇を下げます」

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2021.08.20 07:05 | 固定リンク | 第二部 | コメント (0)
銀河戦記/鳴動編 第二部 第十四章 アクティウム宙域会戦 Ⅵ
2021.08.19

第十四章 アクティウム海域会戦





 ウィンディーネ艦隊が前に突出してゆく。
 続いて本隊にも命令を下す。
「本隊も動くぞ。全艦全速前進だ!」
「御意!」
 ついに皇太子派の全軍も進軍を始めた。

 ウィンディーネ艦隊の猛烈な攻撃により、摂政派軍の中央が崩されてゆく。左右に分断され指揮系統も混乱を始めていた。
 やがて中央突破に成功したウィンディーネ艦隊が反転攻撃を開始する。
 分断されて混乱の極みに達した
「ウィンディーネに打電! 敵の右翼に砲撃を集中させよ!」
 通信士が打電する。
「了解! ウィンディーネは敵右翼に集中攻撃せよ!」
 左翼を相手にせず、右翼だけに集中すれば、対する艦数はほぼ互角となる。

 そして迂回していたマーガレット皇女艦隊が到着し、側面攻撃を開始した。
 戦闘機一機は戦艦一隻に相当する。
 ここに至って、艦数で皇太子派軍は俄然優勢となり、右翼の艦隊は壊滅に至った。
「これ以上、無駄な血を流すこともないだろう。投降を呼びかけてくれないか」
「御意!」
 残された左翼も、完全包囲される格好となり、アレックスの投降の呼びかけに応じて白旗を揚げた。
「殿下、皇太子派軍の勝利です」
 誇らしげに勝利宣言を発表するジュリエッタ皇女だった。


 摂政派軍敗北の報が、アルタミラ宮殿に届いた。
「我が軍が敗北しただと?」
 青ざめるロベスピエール公爵だが、玉座にあるロベール皇帝は何のこと? といった表情で首を傾げている。
 皇太子派軍が帝国本星に向けて進撃を開始したのを受けて、公爵は自国のウェセックス公国へと落ち延びていった。
 エリザベス皇女は、事態の収拾を図るために宮殿に留まることを決断し、アレクサンダー皇太子到着の前に、やるべき事を次々と行った。
 まずは摂政派の要人に対して、身の振り方の確認をし、ニューゲート監獄に収監されていた皇太子派の要人達を解放した。
 国民を虐げていた憲兵組織の解散。
 閉鎖されていた皇室議会の開場。
 空港・鉄道などの公共機関の解放。
 報道機関の検閲廃止と自由化など。
 そして何よりの衝撃は、ロベール皇帝の廃嫡を宣言したのである。
 退位ではなく、そもそも即位がなかったとしたのだ。そうでなければ、帝位を奪った者として処断される可能性もあったからである。

 数日後、アレックスが二皇女を引き連れてアルタミラ宮殿に入った。
「アレクサンダー皇太子殿下、マーガレット皇女様、ジュリエッタ皇女様、ご入来!」
 近衛兵が、謁見の間に通じる重い扉を開けながら宣言する。
 招聘された大臣や上級貴族、そして高級官僚の立ち並ぶ謁見の間の真紅のカーペットの上を歩いて玉座に向かう三人。
 アレックスが目の前を通る度に、深々と頭を垂れる大臣達。
 中には、摂政派に属していた者達もいたが、転身してもはや異議を訴える者は一人もいない。
 壇上への数段の階段を上り、玉座の前に立つアレックス。
 かつてロベール皇帝が着座していたが、廃嫡宣言によって空席となっている。
 玉座の脇で深々と頭を下げて、アレックスの着座を促しているエリザベス皇女。

 謁見の間の参列者を嘗め回すように見渡してから、静かに着席した。
「皇太子殿下、万歳!」
 マーガレットが高らかに唱える。
「皇太子殿下、万歳!」
 釣られる様に参列者達も続いて唱えだした。

第十四章 了

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2021.08.19 06:36 | 固定リンク | 第二部 | コメント (0)
銀河戦記/鳴動編 第二部 第十四章 アクティウム宙域会戦 V
2021.08.18

第十四章 アクティウム海域会戦





 戦況は一進一退を続けていたが、アレックスは冷静沈着であった。
「第二戦線の方はどうかな? そろそろ戦端が開始される頃だと思うが……」
 第二戦線という名称で有名なのは、対独戦争における米英軍のノルマンディー上陸作戦である。当時独軍は東部戦線(ソ連方面)に兵力を集中していたが、ソ連はその勢力を分散させるよう同盟国である米英に背後からの攻撃を要請した。

 その第二戦線。
 カスバート・コリングウッド提督率いる部隊は、摂政派軍の側面攻撃のために船の墓場を迂回しつつ進軍していた。
 突然、警報が鳴り響く。
「前方に戦闘機多数出現!」
「戦闘機だと?」
「後方に空母アークロイヤルを確認しました」
「敵艦隊は、第二皇女マーガレット様のもよう」
「馬鹿な! 敵の方が数が少ないというのに、勢力を分散させてこちらに回ってくるなんてあり得ない! 自滅を早めるだけじゃないか」
 勢力分散など兵力に余裕のある時というのが提督の持論のようだ。
 数万機の戦闘機群に取り囲まれる別動隊。
 戦列艦を主体としているだけに、艦載機を搭載した空母など一隻もいなかった。
 護衛の戦闘機なしでは、いかに火力のある戦列艦とて歯が立たなかった。

 空母アークロイヤル艦橋。
「やはり別動隊が動いていたようですね」
 というマーガレット皇女の呟きに、司令長官のアーネスト・グレイブス提督が応答する。
「はい。殿下の先見の明は確かでした」
「さすが殿下というしかありませんね」
「どうやら勝利は時間の問題です」
「敵将は誰か分かりますか?」
「カスバート・コリングウッド提督のようです」
「同じ帝国軍です。降伏を進言してください」
「かしこまりました」

 それから数時間後、カスバート・コリングウッド提督は降伏し、別動隊は進軍を停止した。あまつさえ、説得に応じた従順な指揮官達がマーガレット皇女の配下に入ったのである。
 そして今度は、摂政派軍への側面攻撃に向けての逆進行を開始した。


 第二戦線からの報告を受けたアレックス。
「そうか想定通りだったな。それに比べてこちらは大変だ……」
 皇太子派軍は第二皇女艦隊六十万隻が抜けて、百四十万隻で戦っていた。対する摂政派軍は戦列艦が抜けたとしても総勢二百六十万隻と、相変わらずの圧倒的優勢である。
 第二皇女が戦域に到着して側面攻撃を開始するまでは持ち堪えられそうにない。
「そろそろ頃合いかな……」
 戦闘が順調に続いて、帝国の将兵たちも戦闘慣れしてくる頃だった。
「ウィンディーネに突撃命令を出せ! 敵陣に飛び込んで中央から分断せよ!」
 その命令を、パトリシアがウィンディーネのゴードンに伝える。

「閣下! 提督から突撃命令が出ました!」
「よおし! 待っていたぞ、全艦突撃開始せよ!」
 立ち上がって下礼するゴードン。
「今度こそ、汚名を晴らす好機である。与えられたチャンスを逃すことなく、ウィンディーネの底力を見せつけてやれ!」
 ゴードンの奮起に、
「おおお!」
 と、歓声を上げるオペレーター達。

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2021.08.18 06:46 | 固定リンク | 第二部 | コメント (0)
梢ちゃんの非日常 懐かしの学園へ(最終回)
2021.08.17

梢ちゃんの非日常 懐かしの学園へ

 その日から、十二年の年月が流れた。
 絵利香は、梢と真理亜を連れて日本へ渡り、二人を聖マリアナ女学院中等部、そして城東初雁高校に入学させた。その進学コースは、絵利香が通った同じ学校に行きたいという、二人のたっての願いを実現させてあげたものだった。
 城東初雁高校の入学式の当日、二人を連れて懐かしの学校の正門をくぐる絵利香だった。
「十五年ぶりか……あんまり変わっていないわね」
「お母さん、感傷に浸るのは後にして。講堂に急がないと入学式がはじまっちゃうわ」
「お母さん、早く、早く」
 梢と真理亜が、両側から絵利香の手を引っ張っていく。
「そ、そうね」
 講堂に入り、絵利香は父兄席に、二人は一年A組の席に前後並んで座る。アメリカ国籍である真理亜は、外国人登録名として、母親の旧姓であり親権代理者である絵利香の性である篠崎を登録しているため、梢と仲良く並ぶことができたのだ。
 周りの生徒達の視線が梢に集中しているのに気づく絵利香。ため息をついたり、隣の生徒とひそひそ話ししていたり。
 ……そういえば、梓は人気者だったわね……こんな風に見られていたんだ。わたし達って……
 式は進んで、新入生代表による答辞となった。
「新入生代表。真条寺梢さん」
 一同の注目を浴びながら、席を立って壇上へと向かう梢。右手には学校側から手渡された答辞の書かれた書面を持っている。
 梢は書面を両手で掲げ持つと、ひと呼吸おいてから静かに答辞文を読みはじめた。
 それは流暢な英語だった。
 唖然とする校長以下の教職員達。場内からざわめきが湧きはじめる。
 いっきに答辞文を読み終えると、深く一礼して静かに退場する梢。
「ええと……ありがとうございました。真条寺梓さんでした。なお彼女はアメリカ国籍の帰国子女でありまして、英語での答辞でした」
 おどおどとした口調で、司会の教師が場をつくろうために以上のように説明を加えた。
 真理亜にピースサインを示しながら、自分の席に戻る梢。


 入学式の後で、職員室に立ち寄り、下条教諭と幸田教諭にあいさつにゆく絵利香。
 どちらも絵利香が、この学校の生徒だった時の担任と音楽担当の教諭である。
 その間二人は校庭で繰り広げられているクラブ活動勧誘の場へと向かっている。
「先生方が、この学校におられて助かります」
「まあ、何とかへばりついているよ。しかし、梢くんが答辞で、英語を喋りはじめた時は肝が冷えたぞ」
「ああ、あれですか。本人によると、『学校側から手渡された答辞をただ読むのでは、面白くなかったからよ』ということらしいですよ」
「うふふ、さすがに梓さんのお嬢さんらしいですね。梢さんをはじめて見た時は、ほんとに驚きましたよ。お亡くなりになった梓さんと瓜二つで、十五歳当時のままの姿で現れたんですから。性格もどうやらそっくりそのまま受け継いでいるようですね」
「真理亜くんも結構絵利香くんにそっくりじゃないか。てっきり君の子かと思ったぞ。血の繋がった従姉の子なら、まあ似ていても不思議ではないがね。しかしさすがにコロンビア大学を首席で卒業した絵利香くんが育てた二人だ。入学試験では、二人揃ってトップを分けあうなんて。日本語というハンデもなかったようだね」
「本当は真理亜ちゃんの方が総合学力では優れているのですが、精神面で多少弱い所がありましてね、異国の地での慣れない日本語での入試で実力を発揮できなかったようです。その点梢ちゃんの方は、母親の死というものを克服していますから、いざという時はタフなんですね」

「それにしても絵利香さんは、たいへんだったでしょう。親友の梓さんの代わりに梢さんを、ここまで育てるなんて、しかも真理亜さんも一緒にね」
「梓が亡くなる以前から、二人ともわたしになついてくれていたし、聞き分けの良い娘達だったから、育てるのは楽でしたよ」
「ところで二人の日本語は、やはり麗香さんが教えたのかね」
「ええ。教えるのは彼女が上手ですから」
「その麗香さんも日本に?」
「もちろんです。わたしの世話役に就任していますから」
「話しは変わるんだけど、梢さんが梓さんの性格を受け継いでいるとなると、音楽の方はどうなのかしら、ピアノとかは弾けるの?」
「やっぱり気になりますか?」
「そりゃあもう……音楽教師ですからね」
「一応弾けることは弾けます。ただ梓の死がトラウマとなって母親を強く思い出させるピアノから、しばらく遠ざかっていました。音感性が最も発達する時期でしたから、梓ほどには上達しませんでした。残念なことです」
「そうでしたか……。しかし素質を受け継いでいるのなら、これからの精進次第では梓さんに優るとも劣らない技術を身に付けることも可能だと思いますよ」
「だといいんですけどね。現在の梢ちゃんの興味は別なところにありますから」
「それってまさか?」
「今頃クラブ活動の勧誘の広場へ向かっていますよ。たぶん体育会系のクラブを物色してるんじゃないかな」
「ほう……すると僕の空手部に入ってもらえるのかな」
「そ、そんなこと……私が許しません! 絶対、我が音楽部に入ってもらいます」
 二人の教師の確執を目にして思わずほくそえむ絵利香。
「絵利香さん。何を笑っていらっしゃるの。失礼ですよ」
「ふふふ、ごめんなさい。昔の自分達と先生方のことを思い出してしまって。歴史は繰り返すんですね」
 顔を見合わす二人の教師だが、やがて気がついて笑いだす。
「あはは、そういえばそうだ。梓くんを巡って似たようなことやってたな」
「その通りですわね。うふふ」
「一応念のために言っておきますけど、以前幸田先生がお使いになった手は梢ちゃんには通じませんから。いくら音楽部に入れたくてもね」
「あら、何の事かしら。おほほ」


 二人の教師との面談を終えて、娘たちのいるであろう校庭へと出てくる絵利香。
「お母さん、探しちゃったじゃないの」
 梢が、真理亜と仲良く連れ立って歩いて来る。
「感慨深げに何を見つめてたの?」
 真理亜が尋ねる。
「ここはね、梢ちゃんのパパとママの出会った場所なの。だから……」
「パパとママが! ふうん、ここがそうなのか……小さい頃、ママに聞いたことがある」
 梢は、三歳の頃を回想していた。
 おやつの後の時間、いつものように梓の膝の上に腰掛け、テーブルの上に三歳児向けの算数の絵本を広げて、梓や自分の指を折りながら数を数える勉強の最中だった。いくら大好きな母親の膝元とはいえ、物語じゃない算数の絵本なので、飽きがきはじめていた頃合だった。
『ねえ、ママ』
『なあに』
『ママは、パパとどうして知り合ったの?』
 物語の絵本では、男女が出会って、めでたく結婚するというものがたくさんある。
『パパとはね。ここから遠い国、日本という国で出会ったのよ』
『にほん?』
『そうよ。今、パパが住んでいる国で、そこの学校というところで、ママはパパを好きになったのよ』
『がっこう……?』
『梢ちゃんが通っている保育園みたいなところよ』
『ふうん……』
 男の子と女の子が一緒に勉強したり遊んだりしている保育園から、三歳なりにパパと ママの出会いと恋愛を思い描こうとしている梢。

「そういえば、わたしもお母さんから聞いたような記憶があるわ。梢ちゃんのパパとママが日本とアメリカに別れて暮らしているのは、どうしてなのかを聞いたんだと思う」
「あら、よく覚えていたわね。それって、真理亜ちゃんが四歳の時よ」
「コロンビア大学を首席で卒業したお母さんに、みっちり教育されてるもの。記憶力はお母さんゆずりよ」
「そんなこと言ってると、ママが泣くわよ」
「だってほんとのことだもの。わたしを教育してくれたのはお母さんで、ママじゃないのは確かよ。第一、ママとお母さんは従姉同士、同じ篠崎家の血筋じゃない」

「ところで、梢ちゃんはどこのクラブに入ったのかな」
「聞いてよ、お母さん。梢ちゃんたら、空手部に入っちゃったのよ」
 真理亜が代わりに答える。
「やっぱりね。で、真理亜ちゃんの方は決めたの?」
「わたしはまだよ。梢ちゃんのことが心配で」
「まったくう。真理亜ちゃんは心配症なんだから」


 執務室。
 正面の窓を境にして、右側に二つ左側に三つの机が並び、向かって右側では絵利香と麗香が、左側では早苗が末席で執務をとっている。明いている机は、学校にいる梢と真理亜のものだが、梢の机の上にはパンダのぬいぐるみと、梓の膝の上でパフェを食べている三歳当時の梢という母娘むつまじい写真が飾られている。
 絵利香は、母親の梓のことを忘れないように、ことあるごとに母娘仲睦まじい頃のアルバムを見せたり、昔の思い出を語ったりして、梢を教育してきたのだ。二度に渡って命懸けで娘の梢を救った梓の魂を安らかにさせるためにも……。
 その甲斐あって、梢の心には梓との思い出が、しっかりと植え付けられていたのである。また梢にはパンダのぬいぐるみと同じくらい大切なあしかのぬいぐるみもあるが、こちらは寝室の方に飾ってある。もちろんそれに関わる絵利香との動物園の思い出もしっかりと記憶の中にある。ただ動物園に行ったというだけならとっくに忘れていただろうが、あしかのぬいぐるみという思い出深い形見があるので、それを見るたびに思い出されるからだ。
 本来執務に関わらない真理亜の机があるのは、二人を姉妹同様に分け隔てなく育ててきた絵利香の方針である。梢が真条寺グループを継承した後も、オブザーバーとして良き協力者となってもらいたいという願いである。もちろん真条寺グループに次ぐ世界第二位の巨大組織となった篠崎グループとの橋渡し役となっている絵利香の後任としても期待しているのだ。


お母さん、やめないで


 梢の十六歳の誕生日を間近に控えたある日。パーティの準備で、ブロンクスの本宅に戻った絵利香と真理亜そして本人の梢。

 執務室で打ち合わせが行われている。
『絵利香さん、遠いところお疲れ様です。今日までの間、本当にありがとうございました。梢も無事十六歳の誕生日を迎えることができそうです』
『そんな堅苦しいことをおっしゃらないでくださいよ。梢ちゃんのこと、本当の娘のように思っているんですから、何でもないことです』
『そう言っていただけると助かります』


『招待状を出した各国首脳からご出席のご返事が届いております。米国大統領と第七艦隊司令長官、英国からは皇太子様と首相殿、仏露大統領、独伊首相、EU議長……出席予定率百パーセントです』
『まあ、梢の十六歳の誕生日は歴然として変わるはずもないから、みなさんこの日のために、一年以上も前からスケジュールを組んでいらっしゃったようですね』
『空港での政府専用機の出迎えの準備や、要人警護の手筈も万端整っています』
『パーティーの料理の準備はどうかしら。メニューは決まったのかしら』
『第一厨房のフランス料理、第二厨房の中国料理共、メニューは決定しました』
『結構です。絵利香さんの方はどうかしら』
『わたしの担当の日本料理の方も大丈夫ですよ。メニューを一通り試食してみましたけど、十分ご来賓のみなさまを満足させるだけの自信があります。ふぐ料理なども考えましたけど、さすがに万が一を考えると出すわけにいかず、板前達は残念がっていましたよ』
『お手数かけましたね。後は当日を迎えるだけですか』


 三階バルコニーで渚や麗香と共にお茶の時間を楽しんでいる絵利香と梢。
『梢ちゃんも、もう十六歳か。母親としてのわたしの役目も、そろそろ終わりね』
『何よ、母親をやめるって言うんじゃないでしょうねえ』
『梓が遺言したとおり、わたしの母親としての役目は、梢ちゃんが十六歳になるまでということだったから。今までわたしのことを、お母さんって呼んでくれたのは嬉しかったけど』

『いやだよ。お母さん。お母さんは、ママから依頼されたから、母親代わりを引き受けたわけじゃないでしょ。あたしのこと、心底愛していたから大切に思っていたから、母親になったんでしょ。哀しいこと言わないでよ』

 梢は涙をぽろぽろと流しながら、記憶の中にある母娘の情景を語りだした。
『あたし、ママが亡くなった時の事覚えているよ。お母さんが、あたしを慰めようと一所懸命に世話してくれていたこと。お母さんに向かって『ママじゃないもん』って口答えして飛び出しちゃったけど、本心で言ったんじゃないよ。後で後悔してベッドの中でお母さんに謝っていたよ。その頃心労がたたってお母さんは胃潰瘍で入院してたんだよね。あたし何も知らなくて、夢中で屋敷中お母さんを探しまわったよ、でもどこにもいなくて寂しくなって、このまま会えなくなるのかと思って泣きじゃくってた。病室でお母さんに会えた時は本当に嬉しかった。泣いていたあたしを慰めようと差し出してくれたお母さんの手は、とっても温かったよ。そしてあたしを見つめるその表情も、やさしさと愛情に満ち溢れていたのを感じたよ。もう二度と離れたくないと思ったから、お母さんのネグリジェをぎゅっと握りしめながら、病室のベッドで一緒に眠ったこと覚えてるよ』
 梢の顔は、涙でくしゃくしゃになっている。
『わかった。わかったわよ。わかったから、もう泣かないで』
 バックからハンカチを取り出して梢に渡す絵利香。
『だって、お母さんが母親をやめるなんて言うんだもん。お母さんは梢にとっては本当の母親なんだよ』
 涙を拭ってから渚に向かって、
『グラン・マ』
『ん?』
『そういうわけだから。これからもお母さんの事よろしくね』
 とお願いする梢。
『ああ。言われなくても最初からそのつもりだったよ』

 こうして絵利香は、引き続き梢の母親としての生活を続けるのだった。

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