梢ちゃんの非日常 page.16
2021.08.06

梢ちゃんの非日常(ルナリアン戦記前章譚)


page.16

 ロイヤル席。
 『イタチョウさん呼んでくるね』
 そういって真理亜が、厨房室につながる直通扉へと、梢の手を引いて入って行く。
 そこへ前田達が入れ代わりにフロアから入ってくる。
 絵利香の前に立ち並んだ三人。
『いらっしゃいませ、絵利香さま』
『前田さん。そちらのウェイトレス、確かにマニュアル通りの接客はまあまあだけど、少しでもマニュアルからはずれた行動をお客にとられると、しどろもどろで全然なってないわよ』
 早速叱責の言葉を投げかける絵利香。
『は、申し訳ございません』
 深々と頭を下げて陳謝する前田。
『新人教育が疎かになっているんじゃなくて? ウェイトレスの教育は、フロアマネージャーの下沢さんの担当だったわね』
『その通りでございます』
『ウェイトレスの人数が足りなくて、タイムシフトに苦労しているのは知っていますけど、新人にはベテランをそばにつけてやるのが本筋でしょう。いきなり一人きりで実務に出させるのは可哀想ですよ』

 一方、厨房室に入った真理亜。
 板前達の邪魔をしないように入り口付近より奥には入らないように心得ている真理亜。屋敷の厨房室にも、しょっちゅう顔を出すので、絵利香に中へは入らないように躾られているのだ。
 真理亜の顔を知っているチーフコックの深沢がやさしく声を掛ける。
『いらっしゃい、お嬢さま。お食事ですか?』
『うん。イタチョウさんは?』
『奥の部屋で、帳簿をつけてますよ。ほら』
 と指差す先には、部屋のガラスごしに帳簿をつけている松原板前長が見えている。
『イタチョウさん。来たよ!』
 奥に向かって大声を張り上げる真理亜。
 甲高い声が、調理の雑多な音にも遮られずに板前長の耳に届いたようだ。こちらに気づいて振り向いた板前長に、大きく手を振る真理亜。
 立ち上がり部屋を出て、真理亜のもとに歩み寄る板前長。
『真理亜ちゃん、いらっしゃい』
 と言いながら真理亜の前に屈みこむ。
 この板前長は、屋敷での夕食で特別料理が出される時に、必ず出張してきて腕を奮っている。だから真理亜も、大好物を料理してくれる彼を、イタチョウさんと呼んで親しんでいるのだ。ちなみにイタチョウは板前長の略なのであるが、真理亜は彼の名前だと思い込んでいる。
 彼は、日本料理店「しのざき」全米店の総板前長であり、前田ゼネラルマネージャーと同格の地位にあたる。

『お食事に来たよ』
『そう。じゃあ、腕によりを掛けなくちゃね。おや? そちらのお嬢ちゃんは』
『真理亜のお友達の梢ちゃんだよ』
『お友達ができたんだ。よかったね』
『うん!』
 大きく頷く真理亜。
『こんにちは、梢ちゃん』
 板前長がやさしく話しかけると、
『こんにちは』
 とにっこりと微笑み返す梢。
『さあ、ロイヤル席に戻ろうね』
 と言いながら、二人の手を引いてロイヤル席への直通扉から厨房室をでる板前長。ロイヤル席にいる絵利香の姿を見届けて歩み寄る。
『いらっしゃいませ。絵利香さま』
『松原さん。今日も、お手間かけさせます』


 それまで二人のマネージャーに、アルバイトのタイムシフトについて細々と注意をしていた絵利香だったが、板前長が見えたので、一旦打ち切ることにする。
『それでは下沢さん。以上の事、もう一度検討してください。明日の昼までに解答を出して屋敷に報告に来てください』
『かしこまりました』
 深々と頭を下げて退席する下沢。
『君はここに残っていてくれ。ロイヤル席にはウェイトレスを一人、給仕役として専属でつけることになっているんだ。これも職務の一つだ、覚えておいてくれたまえ』
 前田がウェイトレスに指示している。
『かしこまりました』

 二人の子供は、窓際にぺったりとへばりついて、展望ルームからの外の景色を眺めている。超高層からの眺望がはじめての梢は、瞳を爛々と輝かせて見入っている。
『すごいね。何もかもがちっちゃく見えるよ。道を歩いてる人も車も、点にしか見えないよ』
『ほら、あれがマンハッタンだよ』
 真理亜が指差す方向に、ニューヨークの名所マンハッタンのビル群が広がっている。日が落ちて明かりが灯る時間になれば、すばらしい夜景が見られるはずである。
『ねえ、絵利香。あっちとこっち。どっちが高いのかなあ』
『あのね……高さはあっちの方が高いけど、広さはこっちのほうが広いし、エレベーターの数も多いのよ』
『ふうん……』


『ねえねえ。梢のお家が見えるよ』
 あれだけ大きな屋敷だ、ブロンクスの街を展望できる場所からなら、一目瞭然で見渡せる。広大な敷地に自然緑地や私設飛行場を抱えた雄大な屋敷が輝いている。
『うん。見えるよね』
 真理亜も、ここからの眺めの中に大きな屋敷があることには、以前から気づいていたが、それが仲良しの梢の家と知って感激している。
『真理亜ちゃんのお家は見えないね』
『真理亜のお家なら、こっちから見えるよ』
 と言って梢の手を引いてロイヤル席を出ていく真理亜。
『私、見て来ます』
 二人の身に万が一のないように、早苗が後を追う。
『お願いします』
 三人が出ていくのを、横目に見ながら、絵利香にオーダーを確認する板前長。
『さて、今日は、何を召し上がりますか?』
『そうねえ。まずは、牡蠣とほうれん草・まいたけのスープを頂こうかしら。次に一汁三采として、ご飯と伊勢海老の味噌汁・香の物添え、ロースカツと伊勢海老のジューシーフライ、京生麩と湯葉と姫さざえの和え物、かつおのたたきサラダ風以上です。そして松茸の茶碗蒸し。そしてデザートは……おまかせするわ。あ、大人二人と子供二人分ね』
『かしこまりました』
『何か、お薦めのものはありますか?』
『そうですね……。一昨日下関で取れたばかりの極上の白子が入ったトラフグが、空輸されて届いておりますので、ふぐ刺しなどはいかがでしょうか。もちろん白子も召し上がって頂きます』
『子供達はまだ食べたことがないわね……いいわ。それでお願いします。スープの後で出してください』
『かしこまりました。早速調理に入りますので、これで失礼します』
 と一礼して厨房に戻る板前長。
 そしてひと呼吸おいてから、
『おい。深沢』
 とチーフコックを呼んだ。
 この時、今まで子供達や絵利香と対していたようなやさしい表情ではなく、職人のきびしい表情に代わっていた。
『はい。板長、お呼びですか』
『絵利香さまからのご注文だ。おまえも手伝え』
『わかりました。なんなりとご指示を』
 深沢チーフは、真理亜が姿を見せた時から、サブチーフにすべてを任せて、身体を開けていたのである。
 今の時間帯は、寿司盛り合せや刺し身定食、天ぷら定食とかオムレツなど、近隣のサラリーマンとかファミリー向けのメニューがメインで作り置きもある程度できるし、本格的な日本料理の注文がないため、サブチーフの力量でも十分こなせるからだ。
『まずは、牡蠣とほうれん草・まいたけのスープからだ。具の方の下茹でをしてくれないか、牡蠣はあまり火を通さずに半生でたのむ。あ! 牡蠣の茹で汁は捨てるなよ。俺は、スープ本体を作る』
『かしこまりました』

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