梢ちゃんの非日常 懐かしの学園へ(最終回)
2021.08.17

梢ちゃんの非日常 懐かしの学園へ

 その日から、十二年の年月が流れた。
 絵利香は、梢と真理亜を連れて日本へ渡り、二人を聖マリアナ女学院中等部、そして城東初雁高校に入学させた。その進学コースは、絵利香が通った同じ学校に行きたいという、二人のたっての願いを実現させてあげたものだった。
 城東初雁高校の入学式の当日、二人を連れて懐かしの学校の正門をくぐる絵利香だった。
「十五年ぶりか……あんまり変わっていないわね」
「お母さん、感傷に浸るのは後にして。講堂に急がないと入学式がはじまっちゃうわ」
「お母さん、早く、早く」
 梢と真理亜が、両側から絵利香の手を引っ張っていく。
「そ、そうね」
 講堂に入り、絵利香は父兄席に、二人は一年A組の席に前後並んで座る。アメリカ国籍である真理亜は、外国人登録名として、母親の旧姓であり親権代理者である絵利香の性である篠崎を登録しているため、梢と仲良く並ぶことができたのだ。
 周りの生徒達の視線が梢に集中しているのに気づく絵利香。ため息をついたり、隣の生徒とひそひそ話ししていたり。
 ……そういえば、梓は人気者だったわね……こんな風に見られていたんだ。わたし達って……
 式は進んで、新入生代表による答辞となった。
「新入生代表。真条寺梢さん」
 一同の注目を浴びながら、席を立って壇上へと向かう梢。右手には学校側から手渡された答辞の書かれた書面を持っている。
 梢は書面を両手で掲げ持つと、ひと呼吸おいてから静かに答辞文を読みはじめた。
 それは流暢な英語だった。
 唖然とする校長以下の教職員達。場内からざわめきが湧きはじめる。
 いっきに答辞文を読み終えると、深く一礼して静かに退場する梢。
「ええと……ありがとうございました。真条寺梓さんでした。なお彼女はアメリカ国籍の帰国子女でありまして、英語での答辞でした」
 おどおどとした口調で、司会の教師が場をつくろうために以上のように説明を加えた。
 真理亜にピースサインを示しながら、自分の席に戻る梢。


 入学式の後で、職員室に立ち寄り、下条教諭と幸田教諭にあいさつにゆく絵利香。
 どちらも絵利香が、この学校の生徒だった時の担任と音楽担当の教諭である。
 その間二人は校庭で繰り広げられているクラブ活動勧誘の場へと向かっている。
「先生方が、この学校におられて助かります」
「まあ、何とかへばりついているよ。しかし、梢くんが答辞で、英語を喋りはじめた時は肝が冷えたぞ」
「ああ、あれですか。本人によると、『学校側から手渡された答辞をただ読むのでは、面白くなかったからよ』ということらしいですよ」
「うふふ、さすがに梓さんのお嬢さんらしいですね。梢さんをはじめて見た時は、ほんとに驚きましたよ。お亡くなりになった梓さんと瓜二つで、十五歳当時のままの姿で現れたんですから。性格もどうやらそっくりそのまま受け継いでいるようですね」
「真理亜くんも結構絵利香くんにそっくりじゃないか。てっきり君の子かと思ったぞ。血の繋がった従姉の子なら、まあ似ていても不思議ではないがね。しかしさすがにコロンビア大学を首席で卒業した絵利香くんが育てた二人だ。入学試験では、二人揃ってトップを分けあうなんて。日本語というハンデもなかったようだね」
「本当は真理亜ちゃんの方が総合学力では優れているのですが、精神面で多少弱い所がありましてね、異国の地での慣れない日本語での入試で実力を発揮できなかったようです。その点梢ちゃんの方は、母親の死というものを克服していますから、いざという時はタフなんですね」

「それにしても絵利香さんは、たいへんだったでしょう。親友の梓さんの代わりに梢さんを、ここまで育てるなんて、しかも真理亜さんも一緒にね」
「梓が亡くなる以前から、二人ともわたしになついてくれていたし、聞き分けの良い娘達だったから、育てるのは楽でしたよ」
「ところで二人の日本語は、やはり麗香さんが教えたのかね」
「ええ。教えるのは彼女が上手ですから」
「その麗香さんも日本に?」
「もちろんです。わたしの世話役に就任していますから」
「話しは変わるんだけど、梢さんが梓さんの性格を受け継いでいるとなると、音楽の方はどうなのかしら、ピアノとかは弾けるの?」
「やっぱり気になりますか?」
「そりゃあもう……音楽教師ですからね」
「一応弾けることは弾けます。ただ梓の死がトラウマとなって母親を強く思い出させるピアノから、しばらく遠ざかっていました。音感性が最も発達する時期でしたから、梓ほどには上達しませんでした。残念なことです」
「そうでしたか……。しかし素質を受け継いでいるのなら、これからの精進次第では梓さんに優るとも劣らない技術を身に付けることも可能だと思いますよ」
「だといいんですけどね。現在の梢ちゃんの興味は別なところにありますから」
「それってまさか?」
「今頃クラブ活動の勧誘の広場へ向かっていますよ。たぶん体育会系のクラブを物色してるんじゃないかな」
「ほう……すると僕の空手部に入ってもらえるのかな」
「そ、そんなこと……私が許しません! 絶対、我が音楽部に入ってもらいます」
 二人の教師の確執を目にして思わずほくそえむ絵利香。
「絵利香さん。何を笑っていらっしゃるの。失礼ですよ」
「ふふふ、ごめんなさい。昔の自分達と先生方のことを思い出してしまって。歴史は繰り返すんですね」
 顔を見合わす二人の教師だが、やがて気がついて笑いだす。
「あはは、そういえばそうだ。梓くんを巡って似たようなことやってたな」
「その通りですわね。うふふ」
「一応念のために言っておきますけど、以前幸田先生がお使いになった手は梢ちゃんには通じませんから。いくら音楽部に入れたくてもね」
「あら、何の事かしら。おほほ」


 二人の教師との面談を終えて、娘たちのいるであろう校庭へと出てくる絵利香。
「お母さん、探しちゃったじゃないの」
 梢が、真理亜と仲良く連れ立って歩いて来る。
「感慨深げに何を見つめてたの?」
 真理亜が尋ねる。
「ここはね、梢ちゃんのパパとママの出会った場所なの。だから……」
「パパとママが! ふうん、ここがそうなのか……小さい頃、ママに聞いたことがある」
 梢は、三歳の頃を回想していた。
 おやつの後の時間、いつものように梓の膝の上に腰掛け、テーブルの上に三歳児向けの算数の絵本を広げて、梓や自分の指を折りながら数を数える勉強の最中だった。いくら大好きな母親の膝元とはいえ、物語じゃない算数の絵本なので、飽きがきはじめていた頃合だった。
『ねえ、ママ』
『なあに』
『ママは、パパとどうして知り合ったの?』
 物語の絵本では、男女が出会って、めでたく結婚するというものがたくさんある。
『パパとはね。ここから遠い国、日本という国で出会ったのよ』
『にほん?』
『そうよ。今、パパが住んでいる国で、そこの学校というところで、ママはパパを好きになったのよ』
『がっこう……?』
『梢ちゃんが通っている保育園みたいなところよ』
『ふうん……』
 男の子と女の子が一緒に勉強したり遊んだりしている保育園から、三歳なりにパパと ママの出会いと恋愛を思い描こうとしている梢。

「そういえば、わたしもお母さんから聞いたような記憶があるわ。梢ちゃんのパパとママが日本とアメリカに別れて暮らしているのは、どうしてなのかを聞いたんだと思う」
「あら、よく覚えていたわね。それって、真理亜ちゃんが四歳の時よ」
「コロンビア大学を首席で卒業したお母さんに、みっちり教育されてるもの。記憶力はお母さんゆずりよ」
「そんなこと言ってると、ママが泣くわよ」
「だってほんとのことだもの。わたしを教育してくれたのはお母さんで、ママじゃないのは確かよ。第一、ママとお母さんは従姉同士、同じ篠崎家の血筋じゃない」

「ところで、梢ちゃんはどこのクラブに入ったのかな」
「聞いてよ、お母さん。梢ちゃんたら、空手部に入っちゃったのよ」
 真理亜が代わりに答える。
「やっぱりね。で、真理亜ちゃんの方は決めたの?」
「わたしはまだよ。梢ちゃんのことが心配で」
「まったくう。真理亜ちゃんは心配症なんだから」


 執務室。
 正面の窓を境にして、右側に二つ左側に三つの机が並び、向かって右側では絵利香と麗香が、左側では早苗が末席で執務をとっている。明いている机は、学校にいる梢と真理亜のものだが、梢の机の上にはパンダのぬいぐるみと、梓の膝の上でパフェを食べている三歳当時の梢という母娘むつまじい写真が飾られている。
 絵利香は、母親の梓のことを忘れないように、ことあるごとに母娘仲睦まじい頃のアルバムを見せたり、昔の思い出を語ったりして、梢を教育してきたのだ。二度に渡って命懸けで娘の梢を救った梓の魂を安らかにさせるためにも……。
 その甲斐あって、梢の心には梓との思い出が、しっかりと植え付けられていたのである。また梢にはパンダのぬいぐるみと同じくらい大切なあしかのぬいぐるみもあるが、こちらは寝室の方に飾ってある。もちろんそれに関わる絵利香との動物園の思い出もしっかりと記憶の中にある。ただ動物園に行ったというだけならとっくに忘れていただろうが、あしかのぬいぐるみという思い出深い形見があるので、それを見るたびに思い出されるからだ。
 本来執務に関わらない真理亜の机があるのは、二人を姉妹同様に分け隔てなく育ててきた絵利香の方針である。梢が真条寺グループを継承した後も、オブザーバーとして良き協力者となってもらいたいという願いである。もちろん真条寺グループに次ぐ世界第二位の巨大組織となった篠崎グループとの橋渡し役となっている絵利香の後任としても期待しているのだ。


お母さん、やめないで


 梢の十六歳の誕生日を間近に控えたある日。パーティの準備で、ブロンクスの本宅に戻った絵利香と真理亜そして本人の梢。

 執務室で打ち合わせが行われている。
『絵利香さん、遠いところお疲れ様です。今日までの間、本当にありがとうございました。梢も無事十六歳の誕生日を迎えることができそうです』
『そんな堅苦しいことをおっしゃらないでくださいよ。梢ちゃんのこと、本当の娘のように思っているんですから、何でもないことです』
『そう言っていただけると助かります』


『招待状を出した各国首脳からご出席のご返事が届いております。米国大統領と第七艦隊司令長官、英国からは皇太子様と首相殿、仏露大統領、独伊首相、EU議長……出席予定率百パーセントです』
『まあ、梢の十六歳の誕生日は歴然として変わるはずもないから、みなさんこの日のために、一年以上も前からスケジュールを組んでいらっしゃったようですね』
『空港での政府専用機の出迎えの準備や、要人警護の手筈も万端整っています』
『パーティーの料理の準備はどうかしら。メニューは決まったのかしら』
『第一厨房のフランス料理、第二厨房の中国料理共、メニューは決定しました』
『結構です。絵利香さんの方はどうかしら』
『わたしの担当の日本料理の方も大丈夫ですよ。メニューを一通り試食してみましたけど、十分ご来賓のみなさまを満足させるだけの自信があります。ふぐ料理なども考えましたけど、さすがに万が一を考えると出すわけにいかず、板前達は残念がっていましたよ』
『お手数かけましたね。後は当日を迎えるだけですか』


 三階バルコニーで渚や麗香と共にお茶の時間を楽しんでいる絵利香と梢。
『梢ちゃんも、もう十六歳か。母親としてのわたしの役目も、そろそろ終わりね』
『何よ、母親をやめるって言うんじゃないでしょうねえ』
『梓が遺言したとおり、わたしの母親としての役目は、梢ちゃんが十六歳になるまでということだったから。今までわたしのことを、お母さんって呼んでくれたのは嬉しかったけど』

『いやだよ。お母さん。お母さんは、ママから依頼されたから、母親代わりを引き受けたわけじゃないでしょ。あたしのこと、心底愛していたから大切に思っていたから、母親になったんでしょ。哀しいこと言わないでよ』

 梢は涙をぽろぽろと流しながら、記憶の中にある母娘の情景を語りだした。
『あたし、ママが亡くなった時の事覚えているよ。お母さんが、あたしを慰めようと一所懸命に世話してくれていたこと。お母さんに向かって『ママじゃないもん』って口答えして飛び出しちゃったけど、本心で言ったんじゃないよ。後で後悔してベッドの中でお母さんに謝っていたよ。その頃心労がたたってお母さんは胃潰瘍で入院してたんだよね。あたし何も知らなくて、夢中で屋敷中お母さんを探しまわったよ、でもどこにもいなくて寂しくなって、このまま会えなくなるのかと思って泣きじゃくってた。病室でお母さんに会えた時は本当に嬉しかった。泣いていたあたしを慰めようと差し出してくれたお母さんの手は、とっても温かったよ。そしてあたしを見つめるその表情も、やさしさと愛情に満ち溢れていたのを感じたよ。もう二度と離れたくないと思ったから、お母さんのネグリジェをぎゅっと握りしめながら、病室のベッドで一緒に眠ったこと覚えてるよ』
 梢の顔は、涙でくしゃくしゃになっている。
『わかった。わかったわよ。わかったから、もう泣かないで』
 バックからハンカチを取り出して梢に渡す絵利香。
『だって、お母さんが母親をやめるなんて言うんだもん。お母さんは梢にとっては本当の母親なんだよ』
 涙を拭ってから渚に向かって、
『グラン・マ』
『ん?』
『そういうわけだから。これからもお母さんの事よろしくね』
 とお願いする梢。
『ああ。言われなくても最初からそのつもりだったよ』

 こうして絵利香は、引き続き梢の母親としての生活を続けるのだった。

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