梓の非日常/第三章・ピクニックへの誘い(七)二人きり
2021.02.20

梓の非日常/第三章 ピクニックへの誘い


(七)二人きり

 食事を終えて階下に降りてくる一同。
 早速売店で品定めを始めている。
「当店で販売している乳製品は、すべて当牧場で搾取した取れたての牛乳を、その日のうちに工場で加工しました。バターやアイスクリームは保存期間一ヶ月以内の鮮度抜群の品々です。またチーズに関しましては、温度や湿度など完全管理された熟成庫で、半年以上もの間じっくりと寝かせて味わい深いものに仕上げています」
 試食のチーズを手渡しながら、説明を続ける売り子の口調には、商品に対する自信のほどがよく現れていた。
「みなさん。乳絞り体験及び乳製品加工工場の見学をなされる方は、表のマイクロバスにお乗り下さい。まもなく出発します」
 従業員が案内している。
「梓ちゃんは、どうするの?」
 絵利香が尋ねる。
「うーん。どうしようかな……乳絞りって、牛舎の匂いとかが鼻につきそうだし、髪に匂いが移ったら嫌だなあ……やっぱり売店でぶらぶらしてる」
「梓ちゃんらしいわね。何かにつけても、自慢の髪を心配する方が先にくるんだ」
「女の子としては当然の反応じゃないかな」
「そうだね。とにかく、わたしも売店めぐりにしよう」
 そこへ慎二がやってくる。
「なあなあ、乳絞り行こうぜ。乳絞り」
「行かない!」
「一言のもとに否定したな。それじゃあ、何のために牧場に来たか判らねえじゃん」
「ここの雰囲気だけでも十分だよ。澄み渡る牧場{まきば}の梢に風薫る」
「なんだ? 俳句のつもりか」
「とにかく行くなら一人で行けよな」
「ちぇっ! 一人で行ってもしょうがねえから、牛と遊んでるよ。売店で買い物するたちじゃないから。じゃな」
 というとすたすたと外へ出て行く。
 牛舎、乳絞りに参加した女子生徒達がきゃーきゃー言いながら乳を絞っている。
 乳製品加工工場でも係員に説明を受けている生徒達がいる。
 それぞれに牧場の雰囲気を楽しんでいる。

 一方、牧場の柵に腰掛けて牛をぼんやりと眺めている慎二。団体行動の苦手な彼には、そうするより時間を潰す方法がなかったのだ。
 その姿を建物のベンチに腰掛けて見つめている梓と絵利香。
「何か、慎二くんに悪い事してるみたいね」
 絵利香がぽそりと呟いた。
「どうして?」
「だって慎二くん、梓ちゃんと一緒にいたいから旅行に参加したんでしょ。あんな風にみんなから離れて、一人寂しくしているところなんて、あまり見たくないわね」
 しばし慎二を見つめていたが、ついと立ち上がってソフトクリーム売り場の方へ歩いて行く。
 やがて両手にソフトクリームを手に慎二に近づく梓。
「ほれ。食べろよ。絞りたての牛乳から作ってるからうまいぞ」
 といいながら、慎二にソフトクリームを差し出す梓。
「梓ちゃん!」
「どうしてみんなと仲良くしないんだ? いい機会とは思わないか」
 ソフトクリームを受け取る慎二の隣に腰を降ろし、自分のソフトクリームを食べる梓。
「俺は一人が好きなんだ。今までそうやって生きてきたからな。番長グループとかの誘いも全部断って、反攻する奴等は腕力でかたづけてきた」
「で、あまりの強さに鬼の沢渡とか、地獄の番人とか言われ続けてきたわけだ」
「ああ、気がついたら俺の姿を見ただけで、皆がよけて通るようになっていた」
「寂しいな……」
 ぽそりと呟いて空を仰ぐ梓。
 蒼く澄み渡った五月晴れの空に雲が流れて行く。
 一人で生きてきたという慎二に対して、梓は親身になってくれる大勢の人々に囲まれていた。母親の渚は遠くブロンクスの屋敷にいても、常に梓のことを心配してくれている。麗香をはじめとして、運転手の石井、メイド達屋敷の人々達。生まれた時から今日まで、一人きりで寂しいと思ったことはない。
「ところで、親から離れて、一人でアパート暮らししていると聞いたが本当か?」
「ああ、生活費なんかもバイトして稼いでいる」
「バイトしてるってことは、その会社なり店の人たちと協調して働いているってことだよね。会社の人とは付き合うことができるのに、何でクラスメートと仲良くできないの?」
「そりゃあ、生活が掛かってるからだよ。仕事ではわがままとか言ってられないから。無理してでも同僚達と仲良くせにゃならんこともあるさ」
「そっか……。でも少しずつでもいいから、クラスメートとも仲良くするように、努力しろよな」
「そうは言ってもなあ。これまでが、これまでだし……」
「ん……?」
 じろりと慎二を睨みつける梓。
「努力……するよな」
「は、はい。努力します」
 しぶしぶ承諾し、うなだれる慎二。
「あ! マイクロバスが戻ってきたよ。みんな見学が終わったようだから、戻ろうか」
 ひょいと両足を振り上げ跳ねだすように柵を離れる梓。
 体操競技風に説明すれば、両手支持両脚前方振出し浮き腰着地というところか。
「そうだな……」
 梓と同じように柵を離れようとした慎二だったが、足を振り上げた瞬間、柵がその体重を支えきれずに、バキッと鈍い音を立てて折れてしまった。ドサッと尻から落下する慎二。一瞬何が起きたのか判らないと、惚けた表情をしている。
 その情けないような情景に、たまらず声を上げて笑う梓。
「あははは。何やってるのよ」
「笑うなよ」
「悪い悪い。ほれ、立てよ」
 と手を差し出す梓。
「一人で立てるよ」
 差し出された手を軽く払いのけて立ち上がる慎二。
「そっかあ、じゃあ行くよ」
 ロッジの方へさっさと歩きだす梓。後に続く慎二。

 絵利香の元に戻る二人。
「柵を壊しちゃったよ。弁償する」
「いいわよ。支配人にあたしから言っておく」
 ばつが悪そうな慎二。
「集合がかかっているぞ。バスに乗るぞ」
 話題を変えて、そそくさとバスに向かう。
 絵利香が尋ねる。
「二人で何を話し合っていたの?」
「世間話だよ」
 惚けた表情をする梓。
「世間話ねえ……。ま、いいわ。行きましょう、みんなが待ってるよ」
 歩き出す二人。

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