梓の非日常/第一章・生まれ変わり(八)思い出
2021.02.02

梓の非日常/第一章 生まれ変わり


(八)思い出

 それは突然のことだった。
「あ! あ! ああ!」
 と、絵利香を指差しながら叫びはじめたのだった。
「絵利香だ。そうだよ、絵利香ちゃんだ」
 今まで英語しか話せなかった梓が、絵利香を思い出したのを境として、急に日本語を喋りだしたのだ。
「な、なになに。急に」
「篠崎絵利香。篠崎重工社長令嬢の絵利香だあ」
「なんだ、ちゃんと日本語話せるじゃない。しかもわたしのことも、思い出してくれたのね」
 梓が日本語を話せるようになったのには、絵利香というキーワードが働いたことによる。そもそも梓と絵利香は、共に生まれも育ちもニューヨークの為、二人とも日本語は話せなかった。小学校に上がりスベリニアン寄宿舎での生活が始まり、共に寮生活をする梓の世話役の麗香が日本語を二人に教えはじめた。才媛の麗香の事、教え方も要領を得て、二人はめきめきと上達した。麗香の日本語の教え方は、梓と絵利香とを対話形式で質疑応答させるという手法だった。小学校を卒業する頃には、日常会話では何不自由なく話せるようになっていたが、二人の日本語のレベルは同等であり、常に相手の存在があったといえる。
 梓が、絵利香のことを思い出すと同時に、日本語を話せるようになった背景には、共に日本語を学んだことがあったようだ。

 梓の部屋に入る二人。
「でも、梓が交通事故にあったと聞いた時は驚いたわ。病院に見舞いにいっても重体だとかで、面会謝絶だったし」
「そ、そうだね」
「うーん。顔に傷がつかなったのは、不幸中の幸いかしら。
「うん」
「その男の人は、死んだと聞いたけど」
「うん。病院を退院するときにはじめて聞かされて、帰る途中でその人の遺影を拝ませてもらった」
「その人に感謝しなくちゃいけないわよ」
「そ、そうだね……」
 絵利香、何か考えている風に首を傾げている。
 突然絵利香が、梓をじっと見つめた。思わず顔をそむける梓。

「あなた、梓じゃないわね」

 いきなり核心をついてくる絵利香。梓を指差し、鋭い表情で睨んでいる。
「確かに身体は梓みたいだけど。雰囲気がまるで違うのよ。あなた、一体なにものなの」
 じっとにらみ合いが続く。
「渚さまは、六年間ほとんど離れて暮らしていたから気づかないのよ。でもね、わたしは寝食を共にしたジュニアスクール時代も含めて、三歳の頃からずっと一緒だったんですからね。あなたの心変わりが手に取るようにわかるのよ」
 梓は、記憶の糸を手繰り寄せ、絵利香の言うことが正しいことを確認した。
「そうだね。絵利香ちゃんには、隠しきれないね。正直に言うよ」
 梓は、静かに語りはじめた。自分の過去である男のことと、交通事故によって自分に起きた不可思議な事実を。

「ふうん……。交通事故のあと、あなたの過去であるその男の子の意識が、梓の身体に乗り移ったというわけね」
「自分もしばらく信じられなかった。でも事実なんだ」
「じゃあ、本来の梓の意識はどうなったのかしら」
「わからないよ。でもさ、その梓の記憶もちゃんと残っているんだ。絵利香ちゃんのこともちゃんと覚えている」
 じっと、梓の身体を見つめていた絵利香だったが、突然切り出した。
「ちょっと、あなたのこと試させてくれない」
「試すって?」
「あなたの梓としての記憶がどこまで正しいか確認したいの」
「わかった。何でも聞いてよ。すぐには思い出せないかもしれないけど」
「じゃあ、最初はね。私達が最初に紹介されたのはどこだったかしら」
「……うん。あたしの三歳の誕生パーティ会場に篠崎のおじさまに連れられてきたのが最初だったかな」
「そうね。その時以来の仲なのよね。じゃあ、次ね。保育園での運動会の競争でわたしとあなた、どっちが速かった?」
「ええと、絵利香の方。その頃は走るのが苦手だった」
「ピアノのお稽古は、どっちが先にはじめた?」
「絵利香」
「そう。でも上達の速かったのは梓の方だったわね」
「五歳のクリスマスにわたしがプレゼントしたものはなに?」
「五歳というと……パンダのぬいぐるみだったかな。今も大切に持ってるよ」
「ピンポン……うん、じゃあ。ここからは難しくなるわよ」
「う、うん。なんでも聞いて」

『あなたが生まれた街はどこかしら? 英語で答えてくれるかしら』
 絵利香がいきなり英語を使って尋ねてきた。
 しかし、英語は梓の本来の国語であるから、何の抵抗もなく受け答えできる。
『ニューヨーク・マンハッタンの総合病院で生まれた。だから、あたしの国籍はアメリカになってるわ。もちろんお母さんもアメリカ。自宅はブロンクスにあるわ』
『ふふん。それでは、小学校はどこに通っていた?』
『ええと……セントマリー学園』
『担任の先生の名前は?』
『サリア・マクエロイ先生』
『どこに住んでいたかしら』
『五番街の女子留学生専門のスベリニアン寄宿舎。寮長はフランス語も堪能なキディー・アーネストさん。あたしと絵利香にフランス語を教えてくれた』
『では、小学生のわたし達が親許を離れて寮生活をはじめた理由は?』
『真条寺家のしきたりで、六歳を境に親元を離れて生活することが決まっていたの。といっても絵利香ちゃんが一緒に暮らすことになったけど。それは大目に見てくれた』
『はは、わたしが梓ちゃんと離れたくないってぐずったのよね。それでは次の質問。その寮にはもう一人大切な人が一緒に住んでいたわよね』
『竜崎麗香さん。コロンビア大学に通いながら、私達の世話をしてくださっていたわ。真条寺家の跡取り娘には世話役が必ずつくことになってるから』
「ふふふ。生まれついての英語は忘れていないようね。日本語に戻していいわ。それじゃあ、最後のテストをしましょう」
「最後のテスト」
「一緒にお風呂に入りましょう」
「お風呂?」
「どうしたの? 一緒に入れないかしら」
「大丈夫だよ」

 浴室は広々とした空間に大理石が敷き詰められ、天窓からはさんさんと陽光が降り注ぎ採光も充分である。
「確かに身体つきは梓そのものね。すべすべした肌も」
 じっと梓の身体を見つめる絵利香。
「ねえ、わたしの身体を見て何か感じるかしら」
「きれいだなって思う」
「他には? 男として欲情を感じたりしない?」
 ぷるぷると首を横にふる梓。
「男としての感情は、こっちには持ってきていないんだ。それに、いつも一緒に入っていたから」
「私の裸は見慣れているということね。感情は女の子のものしかないってわけか。それじゃあ……」
 といって、いきなり梓の胸をつかむ絵利香。
「きゃん!」
 可愛い叫び声を出して胸を隠す梓。
「ふふふ、その反応と表情。正真正銘の梓に間違いないわ」
「もう……」
「合格よ。梓……よかったわね」
 抱きついてくる絵利香。微かに涙ぐんでいるようだった。

 梓の部屋。ネグリジェになりベッドの上に横になる二人。
 すっかり打ち解けて仲良しになっていた。
「判ったことは、あなたが梓の記憶や体験のすべてをそのまま引き継いでいるってことね」
「う、うん。そうみたい」
「梓の身体に、梓の記憶と体験、先程のピアノの演奏にしても、感受性は女性的なものを持ってるし、つまり梓以外の何者でもないってことじゃない。ま、早い話し、ちょっと男の子っぽくなった梓だと思えばいいわけよね」
「そ、そうなるのかな」
「まあ、いろいろとあったみたいだけど。これからもよろしくね。梓ちゃん」
 といって絵利香が、にっこりと微笑んで手を握り締めてきた。
「こ、こちらこそ、よろしく」

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