梢ちゃんの非日常 page.12
2021.08.01

梢ちゃんの非日常(ルナリアン戦記前章譚)


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 食堂に入る四人。
 四人用の食卓に、大人用と幼児用高椅子が向かい合ってセッティングされている。
『幼児用高椅子か……さて、梢ちゃんはどうするかな』
 ふと小さく呟く絵利香。
 真理亜はいつもそうしているので高椅子に自ら昇って座るが、梢は高椅子と絵利香の膝元を交互に見比べながら思案しているようであった。
『うふふ。考えているわね』
 絵利香の膝元は恋しいが、仲良しになった真理亜は高椅子に座っている。本能に従うか、プライドを取るかで、悩んでいるようだった。
『どうしたの? 梢ちゃん。椅子に一人で座れない?』
 美紀子の一言で、梢の意志が決定したようだ。一人で座れない? などと言われたら反発したくなる。
『座れるもん!』
 絵利香の膝元に自力で座れる梢だ、幼児用高椅子に座ることなど造作もない。梢は、幼児用高椅子によじ登るようにして座り込んだ。するとメイドが近づいて、梢が座った高椅子をテーブルに寄せてあげた。
 自分の右隣に絵利香、左隣に美紀子、そして正面には真理亜がにっこりと微笑んでいる。
 目の前には、梢が見たこともないような日本料理の数々が所狭しと並んでいる。
『わあ! すごい』
 真理亜が目の前に勢揃いした豪華な品々に感嘆の声を上げている。普段は一汁三采がせいぜいで、これほどの品が並ぶことはないからだ。その上自分の大好きな品が盛沢山だからもう流涙ものである。
『真理亜ちゃん。今日は特別メニューよ』
『特別?』
『梢ちゃんと仲良しになった記念よ』
『梢ちゃんと?』
『そうよ。梢ちゃんに感謝しなくちゃ』
『うん。梢ちゃん、ありがとうね』
 目の前の大好きな品々も、確かに梢が来たからには違いないようなので、素直に感謝する真理亜。
『ん? う、うん』
 自分では何もしていないのに感謝され、意味が判らずも答える梢。


 まずは壱の膳に取りそろえられた基本の一汁三采である、一対の漆塗りの木椀にはご飯にあさりと豆腐の味噌汁、向付には中トロと鯛の刺し身、煮物椀には鶏の砂肝と肝臓に生姜を利かせ輪切りの大根と共に煮たもの、突き出し皿には脂の十分に乗った真鰯を天然岩塩をまぶして焼いて大根おろしに醤油とスダチの汁を掛けたもの、そして割り山椒の器にはかぶと人参と胡瓜の酢味噌和え。ここまでは毎日の食卓に並ぶ程度のものなので、真理亜も目新しさを覚えていない。その視線が集中しているのは弐・参の膳の方である。
 弐の膳には、さざえの炭火壺焼き、ミズダコ・青柳・赤貝・ハモ・小肌・白甘海老のお造り、くるま海老と野菜の天ぷら、タラバガニの生姜酢醤油添え。
 参の膳には、活伊勢海老の特製マヨネーズ和え&甲羅揚げ、銀杏と椎茸の蒸し椀、炊き合せに加茂なす・鶏・冬瓜の白ゴマあん掛け。蒸し牡蠣の特製山椒味噌ダレ添え。鶏の臓物と長ねぎを串に刺して特製タレで焼き上げたもの。
 ひと目宴会料理のオンパレードというところだが、懐石が基本となっているので、一品あたりの量は少ない。
 とにもかくにも海産物王国の日本料理、圧倒的に海の料理が多数並ぶ。もっとも梢の好きそうな物を拾っていったらそうなったというところか。和と洋で共通にある食材となれば海の幸が一番である。海は全世界につながっているから。
 これだけの日本料理は、篠崎グループの一つである国際観光旅行社のレストラン事業部が経営する日本料理店(ニューヨーク・ロサンゼルス・ハワイなど全米店舗数十二)から派遣されている板前達が調理している。オーナーである篠崎邸で腕をふるって眼鏡にかなうことになれば、各店舗の板前長やチーフに抜擢されるのも夢ではない。篠崎邸に配属されることは出世コース、そう考えている板前達は多く、味噌汁のだし取り一つにも、全精力を傾け、持てる技術のすべてを出している。実際にもチーフや板前長を選出するには、篠崎邸に候補者達を呼んで、絵利香達も審査員となり最終選考会が執り行われることになっている。もちろん最終決定権は、グループの特別顧問常任取締役である絵利香が持っている。


 一方の梢は、今まで見たこともない日本料理を前にいぶかしがっている。
 さざえを見て梢が言った。
『おっきなエスカルゴだね』
 食べられる巻き貝といえば、エスカルゴしか知らない梢の言葉に、思わず吹き出す絵利香と美紀子。
『これはね、エスカルゴじゃなくて、さざえっていうのよ』
『さざえ?』
『海の底にいるのよ。おいしいわよ、食べてみて』
 といって絵利香はフォークを手渡した。
 いざ食べようとするが、目の前の真理亜が見慣れぬ二本の棒で、さざえを食べはじめたのに気づいて尋ねる。
『真理亜ちゃん。それ、何?』
『これ?』
 真理亜が、握り箸式に手にしている二本の棒をかざして確認する。こっくりと頷く梢。
『これね。お箸っていうんだよ』
『お箸?』
『うん』
 そう言うと真理亜は、さざえの中に二本の棒すなわち箸の先端を差し込み、貝殻のカーブに合わせて軽く捻るようにして動かして、中身をするりと引き抜いた。したたり落ちる肉汁から香ばしさが漂うその身を口に運び、
『おいしい』
 と満足げに微笑みを浮かべている。貝の中に残った肉汁は、あさりの味噌汁に入れている。その豊潤な旨味と香りが、同じ貝類の具の味噌汁をより一層おいしく感じさせることを知っているからだ。
 そして次に蒸し牡蠣の方に箸をのばしている。
 その仕草を見ていた梢は、
『絵利香。梢も、お箸で食べたい』
 と言って絵利香の方を向いて催促する。
『あのね、お箸は難しいのよ。真理亜ちゃんは、ずっと小さい時からお箸使ってるから、食べられるけど。梢ちゃんは、お箸使ったことないでしょ』
『うう……ねえ、絵利香。お箸、教えて?』
 真理亜が箸を使えるのに、自分が使えないということに納得がいかないようだった。
『絵利香、教えてあげなさいよ』
 美紀子が助け船を出している。
『でも食べるのに時間掛かっちゃうわよ』
『いいわよ。じっくり待ってあげるから。日本食にフォークとナイフってのも変だし』
『仕方ないわね……』
 ため息をついてから、
『梢ちゃん。お箸の使い方教えるから、絵利香のお膝にいらっしゃい』
 と言って、梢が座れるように椅子を引き、膝をぽんと叩いた。
『うん!』
 絵利香の膝に座れるのは願ってもないこと。メイドがテーブルから少し引き離した幼児高椅子を、ぴょんと飛び降りると、絵利香のもとに寄って椅子を這いあがり、その膝の上によっこいしょと座り込む。
『あーん。梢ちゃん、ずるい!』
 絵利香の膝に座りたいのは真理亜も一緒。自分で食事が取れるようになって一人座りができるまでは、真理亜も絵利香の膝に座っていたのである。
『真理亜ちゃん、ごめんね。今日だけ、梢ちゃんに、絵利香の膝に座らせてね』
『ごめんね。真理亜ちゃん』
 梢も、手を合わせて謝っている。謝られては、真理亜も引き下がるしかない。
『うーん……。今日だけよ』
『ありがとう、真理亜ちゃん』
 真理亜は箸をよく落とすので、予備に何組か用意してあるものを使う。
 早速梢の小さな手に子供用の箸を握らせて、扱い方を伝授する絵利香。もちろん三歳の年齢では、正しい箸の持ち方などできないので、真理亜もやっているように、いわゆる握り箸という持ち方である。
 梢に箸の扱いを教えている間にも、他の人達には自由に食べてもらっている。
 特に真理亜はより好物なものから食しているようだ。これだけの量があると全部食べきれないだろうから、食べにくい魚料理などあまり好きでないものを最後の方に残すつもりのようだ。
 それで残した物はどうするかというと、全然箸をつけていなければ、この後に使用人達が食事を取るので、希望者に分けられるし、箸をつけていれば親達が始末したり、邸内で飼っている番犬達におすそ分けされる。

『……でね。こうやってにぎにぎしてみて』
 まずは、箸だけ動かさせてみる。ある程度動きがスムーズになったところで実地に入らせる。
『それじゃあ、お箸を使って、実際に食べてみようか』
『うん』
 梢は、梓が直々に教えているピアノのバイエル教則本を難無く弾きこなすほど、手先は器用である。最初はぽろぽろと食べ物をこぼしていたが、ものの数分もするとすぐに慣れて、ほとんどこぼさずに食べれるようになっていた。
『さすがに運動神経抜群の梓の娘ね。こんなに早く、箸使いを覚えるなんて思いもしなかったわ』

『真理亜ちゃん。ご飯もちゃんと食べなさいね』
 海老の天ぷらを天汁につけて食べていた真理亜に絵利香が注意する。
『はーい』
 真理亜は主食のご飯には手をつけずに、いわゆるおかずばかり食べていたのである。
 米は日本人の心であり、エネルギー源としての炭水化物として重要であり、良質の蛋白質も含んでいる。どんなにご馳走が並んでも、ご飯と味噌汁だけは必ず食べるように躾ている。
 一方の梢が、タラバガニに手をつけようとしているが、これはフォークでは食べられないし、握り箸の真理亜にも無理である。三歳の幼児には難物である。
 最初から身だけ取り出して皿に盛って出してあげれば簡単なのであるが、それだと食物の学習にならない。海老なら海老、カニならカニの形状を覚えさせ、殻からの身の取り出し方とその味を知ること。そういった一見なんでもないようなことも、重要な食文化の勉強になるのである。さざえを見て、エスカルゴと言った梢も、その形状と名前そして味を覚えて、食べ物に関して一つ利口になったはずである。
 こつさえ覚えれば簡単にカニから身は取り出せる。絵利香と美紀子がカニから身を取り出して見せて、小皿に取り分けてあげる。梢と真理亜は親達がする手つきをじっと見つめて覚えようとしている。
『タラバガニって、カニとはいうけど、ヤドカリの仲間なんだよね。腹部がやわらかいのもそのせいよ。知ってた?』
 絵利香が呟くように言った。
『食べておいしければ、なんだっていいわよ』
 確かにその通りである。食卓で生物分類の話しをしても興ざめするだけである。
『そうだったわね。ともかくね、日本では缶詰にされちゃうんことが多いんだけど、調理の仕方次第では結構いけるのよこれが』

 梢が刺し身を箸でとんとんと軽く叩くような仕草をして尋ねる。
『ねえ、これなに?』
 どうみても生のようだし、食べられるのか不審に思っているようである。最後の方まで残していたのもそのためか。本当なら一番先に食して欲しかった一品であったのだが。
『お刺し身よ』
『お刺し身? 生……だよね』
『そうよ。お魚の身を切ってあるの』
『これ、お魚なの? 食べても、大丈夫なの?』
『大丈夫よ。お醤油をつけて食べるの』
 といって刺し身に醤油をつけて食べてみせる絵利香。相手は子供なので、わさびはつけないで食べさせるようだ。
『ふうん』
 教えられた通りに、刺し身に醤油につけて食べる梢。
『ん……なんかへんなの』
 率直に答える梢。淡白であまり歯ごたえのない食感に、的確な言葉を探せないでいる。日本の醤油の味にも慣れていないせいでもある。
『やっぱり、わさびをつけないとだめかな……』
『わさび?』
『この緑色のがそうよ。刺し身にほんの少しつけて食べるの。梢ちゃんなら、これくらいが適当じゃないかな』
 といって梢の刺し身に、わさびを適量つけてあげる絵利香。本人に任せてしまうと、以前梓がはじめて刺し身を食した時にわさびをつけ過ぎて失笑をかったようになってしまう。梓だから笑って澄まされたが、幼児の梢だと泣いてしまって、二度と刺し身を食べなくなるだろう。
 もういちど刺し身を口に放り込んで、
『うん。さっきより、おいしく感じるよ』
 わさびのぴりりとした刺激が、刺し身と醤油の旨味と調和して、おいしさを倍増させたようだ。
 ちなみに真理亜はわさびを醤油に溶かし込んでわさび醤油にして食べている。その方がせわないからであるが、本来は邪道な食べ方である。

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11
梢ちゃんの非日常 page.11
2021.07.30

梢ちゃんの非日常(ルナリアン戦記前章譚)


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 篠崎邸花岡家に入るフリートウッド。
 屋敷の所有は篠崎家のままであるが、現在は篠崎重工アメリカのCEOとして、渡米してきた花岡一郎氏とその家族が住んでいる。妻の文子、長男の賢治・美紀子夫妻とその娘三歳の真理亜である。美紀子は、篠崎良三氏が篠崎グループの会長に就任して、その後を引き継いで篠崎重工社長となった実弟の健四郎氏の娘で、絵利香とは従姉妹同士である。
 かつてこの屋敷には良三氏の兄である伸一氏一家が住んでいたが、航空機事故で一家全員死亡して、一時主がいなくなっていた。やがてアメリカ出張となった良三氏夫妻が移り住み、絵利香が生まれた。その後先代社長が引退を表明、良三氏が絵利香を残して日本に戻って社長を引き継ぎ、代わりに健四郎氏一家がやってきた。
 一人絵利香が残されたのは、親交厚い真条寺家にも梓が生まれて、幼馴染みとして仲良く育ていこうという、両家の意向があったからである。その子守りには六歳年上の美紀子があたることになった。かれこれ二十年余ほど前の話しである。
 その後も屋敷に留まった美紀子は、アメリカ出張で篠崎邸に居候することになった花岡賢治氏と恋愛結婚し、真理亜が生まれた。絵利香も、梓とともにコロンビア大学に入学するために戻ってきて、以前に使っていた部屋にそのまま住んでいる。

『ねえ、ここは?』
 見知らぬ屋敷に入るのを見て、梢が尋ねた。
『ここはね。絵利香のお家よ』
『絵利香の?』
『そうよ。ここに住んでいるの』
 『梢のお家より小さいね』
 素直に感想を述べている。
『あのね。梢ちゃんのお家は特別なの。これでも大きい方なのよ』
「ブロンクスのベルサイユ宮殿」との別名のある真条寺家の屋敷は論外として、篠崎邸はブロンクスでも五本の指に入る豪邸と呼ぶにふさわしい屋敷なのだ。
『ふうん……そうなんだ』
 絵利香が住むという篠崎邸を、改めて窓から眺める梢。
 やがて車寄せに到着する。
『お帰りなさいませ。絵利香お嬢さま』
 真条寺家とは比べものにはならないが、こちらにもそれなりのメイドがいる。しかも篠崎家時代からそのまま引き継いでいるので、絵利香とは懇意の関係である。
『絵利香ちゃん、お帰り』
『ただいま、お姉さん』
 美紀子が出迎えている。六歳年上の彼女とは、幼少の頃にこの屋敷で姉妹のように育っているので、仲がすこぶる良い。
『その娘が梢ちゃんね』
『そうよ。梓の娘』
『いらっしゃい、梢ちゃん』
 絵利香が手を引いている梢にも、かがみこんで挨拶をする美紀子。幼児と会話するには、視線の高さを合わせた方が、より親近感がでる。
『こんにちは』
 と、あしかのぬいぐるみを抱えたまま、にっこりと微笑みかえす梢。
『あらあ、ちゃんとご挨拶ができるのね。お利口なのね』
 梢の頭をなでる美紀子。
『うん。梢は、三歳だよ』
『うふふ。先に言われちゃったわね』
 梢は、やさしそうな女性から話し掛けられたら、名前と年齢を言うことにしているようだ。どうせ必ず聞かれる事柄なので、先に言ってしまおうということか。
『三歳というと、うちの真理亜と一緒ね』
『まりあ?』
 その時、ぱたぱたと小走りに駆けてくる足音が近づいてくる。
 現れたのは真理亜。一人遊びしていたところに、絵利香の声が聞こえたので、あわてて廊下を駆けてきたのである。そして絵利香の姿を見るなり、飛び付いてきた。
『お帰りなさい!』
『ただいま、真理亜ちゃん』
 かがみこんで真理亜の抱擁を受ける絵利香。
『真理亜ちゃん。紹介するわ。梢ちゃんよ』
 といって、真理亜に梢を引き合わせた。
 対面する梢と真理亜。年齢も背格好も同じなので、共感を覚えるのか、梢が真理亜に接近して話し掛けはじめる。
『梢だよ。仲良くしようよ』
 にっこり微笑みながら、真理亜にその小さな手を差し出す梢。
『うん。真理亜よ』
 おずおずと手を差し出して、梢の手を握る真理亜。真理亜は人見知りするタイプであるが、さすがに同い年の女の子には気を許すようである。
『真理亜、お部屋に行って二人で遊んでおいで。夕ご飯になったら呼びに行くからね』
 絵利香がそっと二人を押し出す。絵利香の言うことには素直に従う真理亜。
『わかった。梢ちゃん、こっちよ』
『うん。絵利香、これ持っててね』
 といって大切なあしかのぬいぐるみを絵利香に預ける梢。
 そして、仲良く手をつないだまま部屋に向かう二人。
 梓の娘と、絵利香の姪。真条寺家と篠崎家の血の絆というべきか、やはり引き合うものがあるようだ。
 真理亜も梢同様まだ個室を与えられていないので、絵利香の部屋が子供部屋を兼ねている。ドアノブに、背伸びして手を掛けて、ドアを開ける真理亜。
『ここよ』
『うん』

 居間のソファーに深々と腰を降ろしている絵利香。
『しかし、今日は一日、梢ちゃんを動物園に連れ添って、疲れちゃったわ。動物が良く見えるように抱っこしてあげたりしたせいね』
『それは梢ちゃんも、同じでしょう。ちっちゃな足で広い園内を歩き回るのは疲れるでしょう』
『梢ちゃんは、お昼寝してるから、疲れはあまりないみたい。子供って一眠りするだけで、疲れも取れちゃうんだよね。この年過ぎると、夜ぐっすり寝ても、朝に疲れが残っていることがあるんだけど』
『新陳代謝が活発だから、疲れ物質もすぐに除去されるのよ』
『そうでしょうね。ところで、お願いしてた夕食は、大丈夫だった?』
『うん。梢ちゃんの好物は一通り揃ったわ。でも朝になって急に言い出すものだから、材料が間に合うか心配だったわ。日本料理店の前田マネージャーに至急取りそろえてもらったんだから』
『ありがとう。恩に着るわよ、お姉さん』
『どういたしまして』
『ところで今夜も、旦那様はご不在ですか』
『仕方ないわ。賢治もお義父様も、お仕事が忙しいのよ』
『わたしのお父さんもそうだったけど、真条寺家と取り引きするようになって、会える日が数えるほどになってしまったのよね』
『真条寺家との取り引きは、まず研究開発から始まるので、通常の商取引と違って、部下に任せきりというわけにはいかない、とぼやいているわ。良三伯父さまだって、ロケット開発で奔走していたじゃない。特に梓ちゃんが宇宙産業に手を広げてからは、家に帰る暇もなくなったわね』
『まあ、仕事だから仕方がないと言ってしまえばそれまでだけど。娘としては、寂しい限りよ』
『でもね。真理亜ちゃんの場合は、父親の代わりに絵利香がいるから、ちっとも寂しがっていないわよ』
『というよりも、まだ父親というものがわかってないからよ。真理亜ちゃんが起きている時に、帰って来たためしがないんだものね』

 夕食の支度が整ったことをうけて、二人が絵利香の部屋にいる子供達の元に迎えにいくと、梢も真理亜も床に画用紙を広げ、腹這いになって、くれよんで絵を一所懸命に描いているところであった。楽しそうに二人で語らいながら、自由になっている足を交互にぱたつかせて描いている。
『あ、絵利香。ほら、ママの絵だよ。絵利香も一緒』
 といって立ち上がり、梢が描いた絵を見せてくれた。
 画用紙いっぱいに描かれた、長い髪で目鼻立ちのしっかりした大きな顔の梓と、ほぼ同じくらいの大きさの絵利香の絵である。二人の周りにある物体? はどうやら今日の動物園の動物達のようだ。子供は印象度の高いものをより大きく描く傾向にある。母親と住んでいる家を描かせたら、母親を大きく、背景に家を小さく描くのが普通である。梢の描いた絵を見る限り、梓と絵利香の印象度はかなり接近していると言えるのではないか。
『そうか、ママと絵利香の絵を描いてくれたんだ。お上手よ』
 といって頭をなでてやる絵利香。
 元々が芸術性には優れた梓の娘である。何のためらいもなく自由自在に描いており、三歳にしてはなかなかの出来映えである。
『真理亜も、ママと絵利香の絵を描いたよ』
 といって美紀子に画用紙を大きく広げて見せている。
『ありがとう、真理亜。うれしいわ』
 二人の子供は、頭を撫でられ誉められて、嬉しそうにしている。にしてもどちらも絵利香を一緒に描いていることは特筆すべきことである。二人とも父親不在のまま成長しているようだが、しっかりと第二の母親としての絵利香を認めているのは確かだ。

『子供の相手をするには、やはり同じ年頃の子供にさせるに限るわね。親が面倒みなくても、好き勝手に二人で遊んでくれるから』
『これなら、動物園に連れていかなくても済んだかもね』
『それはないわよ。いくら仲良しになっても、朝から夕方まで一緒にいたら、さすがに飽きがきちゃう』
『そんなものかしら』
『絵利香は、まだ子供の事が良く判っていないわね』
『あたりまえじゃない。子供を生んだことがないから。真似事はできても、真の母親にはなりきれない』

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梢ちゃんの非日常 page.10
2021.07.29

梢ちゃんの非日常(ルナリアン戦記前章譚)


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 あしかショーが終わって、会場を出る絵利香と、一抱えもあるぬいぐるみを大事そうに抱えた梢。
『ねえ、絵利香』
『なに?』
『あのお姉さん。絵利香のこと、お母さんって呼んでたね。えへへ』
『梢ちゃん、嬉しそうね』
『だって、絵利香は、梢のお母さんだもん』
『あのね……』
『お母さん、お母さん』
 ぬいぐるみを抱えながら、はしゃぎまわっている。
『はあ……好きに言ってなさいよ。もう……』
 動物園内で、二十一歳の絵利香が、三歳の梢を連れていれば、誰だって母娘だと思うだろう。動物園に来る前から、母娘だと間違われるだろうことは、覚悟の上だった。だから、あしかショーで、お母さんと呼ばれても、あえて訂正しなかったのである。それこそ何十回と言われるかも知れないのに、いちいち訂正などしていられない。逆に勘繰られてややこしいことになる可能性もある。
 それに以前から梢は、梓と絵利香の事を比べて、
『ママが二人だよ』
 と自ら発言している通り、絵利香を母親的存在として認めている。だから他人に、絵利香が梢に対してお母さんと呼ばれることに喜びを感じているようだ。


 家族達が行きかう動物園内。
 木陰になって風通しの良いベンチに腰掛けて本を読んでいる絵利香。その膝を枕にして、気持ちよさそうにお昼寝中の梢。その足元には、あしかショーでもらったぬいぐるみも置いてある。
 園内のレストランで昼食をとってしばらくすると、目をこすりはじめたので、このベンチに連れてきて、膝枕してあげると、ぐっすりと寝入ってしまったのである。寝冷えしないように、自分の着ていたカーディガンを掛けてやっている。
 屋敷の寝室でも、フリートウッドの座席でもない。こんな人通りの多いベンチでも安心して眠っていられるのは、絵利香に絶大な信頼を抱いている証拠である。
 ベンチは半分ほど空いているのであるが、寝ている梢を起こさないように、来園者は皆遠慮して通り過ぎていくようだ。さすがに子供連れで来園している人々だ。子供とその母親の心情を理解している。
 やがて大きな伸びをして梢が目を覚ました。
『あら、お目覚めね』
『ん……』
 まだ眠いのか目をこすりながらも、身体を起こしてくる梢。
『お顔を洗ってらっしゃい』
 といってハンカチを手渡しながら、目の前にある水飲み場を指差す絵利香。
『うん。洗ってくる』
 ハンカチを受け取って、顔を洗いに水飲み場に向かう梢。肩から下げたポシェットには、自分用のハンカチやティッシュも入っているのであるが、ここは手渡された絵利香のハンカチを使うようだ。
『あは、冷たい!』
 蛇口を捻って冷たい水で顔を洗えば目覚めもすっきり、渡されたハンカチで顔を拭って絵利香の元に戻る梢。
『はい。返すね』
 ハンカチを絵利香に返して、隣に座りなおす梢。もうすっかり眠気も取れたようだ。
『今度はどこに行くの?』
『そうね……』
 そろそろ退園時間の予定が近づいている。最後としてパンダ舎を見に行くか。そう思って梢を見ると、往来する人々の手に握られたソフトクリームを、物欲しそうに見つめているのに気づいた。
 そういえば三時のおやつがまだだった。
『あのソフトクリーム、食べたい?』
『うん。食べたい』
 園内を見渡せば幸いにも視界内に、ちょっと離れた所にソフトクリームの屋台が見えた。
 梢のそばを離れるのは、誘拐の危険があってできない。仕方なく梢の手を引いて、その屋台まで歩いて行って、ソフトクリームを買うと再びベンチに戻る。その間、梢に右手でぬいぐるみを持たせ、自分は二つのソフトクリームを左手に、右手で梢の左手を引いていた。
 歩きながらでは、足元が不確かになって転ぶ恐れがあるので、ベンチに腰掛けたまま食べることにする。
『はい。梢ちゃん』
 ソフトクリームを手渡されるも、往来の中で食べ物を取るということは、梢には経験のないことである。きょろきょろとあたりを見回したりするが、すぐそばでは絵利香が平然とソフトクリームを食べている。
『梢ちゃん。ソフトクリームはね、こうやってお部屋の外で食べてもいいのよ』
 絵利香は、梢が外で食べたことがないだろうと、先に食べて見せていたのである。
『うん。いただきまーす』
 絵利香が実際に食べているのを見て、安心して冷たいソフトクリームを頬張る梢。
『冷たくて、おいしい』


 あしかショーの会場から、西へ移動しながら点在する動物を鑑賞していく二人。
 やがてお昼となって、食事のために園内レストランに入る絵利香と梢。
 レジの脇に、ビニール製の食品サンプルが収められたショーケースがあった。
 梢はサンプルケースを右に左に見回しながら品定めをしている。以前にも何回か、デパートなどの大衆レストランで食事をしたことがあるので、サンプルケースがメニューブック代わりになっていることを知っている。
『極上サーロインステーキ(sirloin steak)か……こんな場末のレストランじゃ、まともな肉じゃないでしょうね。硬くてまずいかな』
 絵利香はサンプルの一つを眺めながら、思いをめぐらす。牛一頭を解体して、ロース肉の極上部分を切り出せば、確かに嘘はついていないかも知れないが、牛そのものがまともなものでなければ意味が無い。乳の出なくなった乳牛だったり、役牛だったり、その素性が知れたものではない。
 真条寺家で出される肉類は、畜産農家と個別契約して厳選された極上品質のものを手に入れている。屋敷や寄宿舎、飛行場、医療センターなど二百人からの従業員の食事を賄うためである。
 いつのまにか絵利香の脇に梢がくっついている。
『梢ね。これがいいな』
 と絵利香を見つめながら、極上サーロインステーキを指差している。
 肉好きな梢の事、目ざとく一番大きな肉を選んだようだった。
『ああ、もう決めちゃったのね』
 手間ひまかけて調理されるフランス料理に馴染んでいる絵利香や梓は、肉塊のまま焼いて出すだけのビーフ・ステーキは好みではない。シャトーブリアンなるビフテキ様のフランス料理もあるにはあるが……。
 とはいえ、大衆レストランにフランス料理を望むのは無理である。梢にしても、料理の真髄よりも肉が大きければ、感動ものなのである。
 とにもかくにも、梢の選んだ極上サーロインステーキと、野菜サラダ、コンソメスープ、そしてパン、デザートにカスタードチーズケーキ。それらの食券一人前ずつを購入して中に入り、テーブルにつく二人。あしかのぬいぐるみは足元に置いてある。
 例によって梢は絵利香の膝の上である。他の幼児達は、幼児用高椅子にちゃんと座っているのだが、梢はどこ吹く風のごとく我が道を行くである。梓によって、そういう風に育てられたのだから、梢自身には罪はない。
『梓、やっぱりあまやかし過ぎじゃないかな』
 絵利香は、思わず呟いてしまう。
『ん。なに?』
 その呟きを聞きつけて梢が首を傾げる。
『何でもないわよ。あ、ほら。料理がきたわよ』
 梢の目の前に、焼きたてのステーキが運ばれてくる。
 絵利香は早速ナイフでステーキを小さく切り分けはじめる。その行為は本来食事のマナー違反なのであるが、ナイフが使えない三歳の梢に自由に食べてもらうためには、いたしかたないところだ。思った通り、肉は極上と呼ぶにはおこがましく、あまり良い品質のものではなかった。それでも繊維が固いというほどでもないので、梢でも食べられるものであった。
 その間、梢は舌なめずりして、絵利香がフォークを手渡してくれるのを待っている。こういう点は他の幼児にはない、躾の行き届いたところである。
『はい、梢ちゃん。食べていいわよ』
 半分ほど切り分けたところで、持参した幼児用フォークを梢に手渡す絵利香。
『いただきまーす』

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11
梢ちゃんの非日常 page.9
2021.07.28

梢ちゃんの非日常(ルナリアン戦記前章譚)


page-9

 動物園に着くまでの間、そのパンフレットを梢と一緒に眺める絵利香。
『ねえ。パンダは?』
『ええとね……あった。園の西側にいるみたいよ。でも、パンダを見るのは、お昼を食べてからにしましょうね』
『うん。いいよ』
 メインディッシュは最後の方に出るものである。先にパンダを見せてしまうと、すぐに飽きてしまって、帰ると言い出すかもしれない。興味のあるものを最後にしておけば、ずっと引き延ばすことができる。
 東のあしかショーを見て、少しずつ西へ移動しながら、園内の動物やアトラクションを見てまわって、最後にパンダを見ることにする。
 こうやって予定を先に立てることができるのも、白井がパンフレットを取ってきてくれたおかげである。心から感謝する絵利香。

 あしかショーの会場。
 場内の前の方の席に陣取り、ショーを観覧する梢と絵利香。
 あしかのおどけた仕草と、インストラクターの絶妙な話法で、観客を虜にしている。梢も夢中になって見ている。
『それじゃ、ここで会場の子供達にも手伝ってもらおうかな。だれか、手伝ってくれる子はいるかなあ! 手伝ってくれる子、手を挙げて』
 司会役のインストラクターが場内にむかって問いかける。
 すると、
『はい、はい、はい!』
 なんと梢が、小さな手を挙げて、元気一杯に叫んでいる。
『はい。そこの小さなお嬢さん。前に出てきてくれるかな。お母さんも一緒にお願いします』
 司会が梢を指差して、手招きしている。観客の視線が一斉にこちらに向いている。
『なんてこと……』
 頭を抱える絵利香。
 とことことプールサイドの方へ歩いていく梢。
『早く、早く』
 後を着いて来ない絵利香に、梢が手招きして呼んでいる。
『しかたないなあ……』
 ゆっくりと立ち上がって梢の後を追ってプールサイドへ向かう絵利香。

 屈みこんで、マイクを向けて梢に話し掛ける司会役。
『お嬢さんの、お名前とお歳はいくつかな』
『あのね。梢は、三歳だよ』
『ありがとう、梢ちゃん』
 司会役は立ち上がって、場内に向かって語りはじめる。
『さあ、お手伝いしてくれるのは、梢ちゃん。三歳だそうです。はきはきとした元気なお嬢さんですね』
 その時、あしかが前びれを動かしながら鳴き声をたてる。
『あら、あしかさんが握手したいそうよ。梢ちゃん、あしかさんと握手しようか』
『うん』
 司会に誘導されて、あしかの前に進み出る梢。そして前びれをつかんで握手である。
『えへへ。あしかさんと握手しちゃった』

 その間、別のインストラクターが絵利香にそっと耳打ちしている。
『お母さん。梢ちゃんは、足し算できますか?』
『ええ、一桁内なら、指を使ってなんとか』
 梓が車で移動中などに、梢に足し算を教えていて、指十本を使っての計算ができることを知っていた。
『ありがとうございます』
 確認して、司会役の方に合図を送っている。
『さて、あしかさんと仲良くなりました。梢ちゃんは、足し算はできるかな?』
『できるよ』
『じゃあ、足し算やってみる?』
『うん、いいよ』
 するとあしかが鳴き声をあげる。
『ええと、あしかさんも足し算をしたいそうですよ。梢ちゃんと、どっちが先に答えを出せるか競争しましょう。いいかな、梢ちゃん』
『梢、負けないもん』
 たいした自信である。実際に一桁内の足し算なら、指計算で正確に答えを出せることは知っている。しかし競争となれば、正確さに加えて迅速さも必要なのだが。

『はい。それでは、ここに「1」から「5」までの数字板があります』
 手伝いのインストラクターが、観客にも良く見えるように高く数字板を掲げる。
『この中から、梢ちゃんに、二枚引いてもらいます』
 数字を裏に向けて梢に引かせる司会。
 客に数字板を引かせるのは、前もって答えを教えていないというジェスチャーで、「5」までしか数字がないのは、足し算して一桁を越えない配慮であろう。
『ここにあります二枚の数字板の数を足し算してもらいます。答えが出たら、大きな声で答えてね、梢ちゃん』
『うん』
『あしかさんには、後ろにあります「1」から「9」までのプラカードを引いて答えを出してもらいますよ』
 司会が示す場所には、数字の書かれたカードが順列で並べられている。あしかはそれを咥えることで答えを示すということらしい。
『さて、梢ちゃんが、引いたのは「2」と「3」でした』
 正面にある大きな掲示板に釘が出ていて、穴の空いた数字板を引っ掛ければ数式が表されるようになっている。
 2+3=?
 という一桁の足し算である。
『それじゃあ、2たす3です。梢ちゃんはわかるかな』
『えっとね……』
 梓が、三歳の梢のために教えた計算方式をはじめる。
 まずは左手指を二本たて、右手指を三本たてる。次に右手指を一本降ろして、左手指を一本上げる。それを繰り返すと左手指が五本全部上がることになる。つまり答えは「5」である。
 しかし、梢がそうやって数えている最中に、あしかが先に動いた。
 踏み台から滑るように、数字の列のとこへ行って、「5」の数字を引き当てたのである。
『正解です。答えは「5」です。残念ですねえ。あしかさんの方が先に答えてしまいました』
『ううん……負けちゃった』
 悔しがる梢。
 本当にあしかが答えを出したと信じているらしい。
 実際には誰かが判らないように、あしかにサインを送って、答えを教えていると思うのだが、実に巧妙ですぐそばにいる絵利香も気づかない。

『それでは、次の質問ですよ。今度は、同じようにお母さんに数字板を引いていただきましょう』
 言われるままに数字を引く絵利香。
『はい、お母さんが引いたのは、「3」と「4」でした』
 3+4=?
 再び掲示板に数式が掲げられた。
『それじゃ、梢ちゃん。わかるかな』
『ん……』
 再び指計算に入る梢。
 左手に指三本、右手に指四本を立ててから、右手の指を一本降ろして左手の指を一本立てる。これをもう一度繰り返して、左手五本、右手二本となる。左手の指が五本全部立ったところで、はじめて立っている指を数える。左手はもちろん「5」となるので、右手に移って二本たっているから、「6」・「7」と数えていく。答えは「7」である。
 こんなまわりくどいやり方をしなくても、立っている指を「1」から順番に数えていけば「7」という数を答えることができるのだが、左手五本の指「5」のブロックをわざわざ作るのには意味がある。指先がなめらかに動くようにする鍛練を兼ねて、5から9までの数は、5+Xということを覚えさせるのがねらい。
 今後として、
 6+7=?
 というような一桁を越える計算を理解させるのに重要となるのである。

 その間、あしかの方は考えている風に首を傾げている。
『さあ、梢ちゃん、どうかな。あしかさんも首を傾げて考えていますよ』
 そして、計算が終わって、
『7!』
 と、数字を示した両手を勢いよく挙げて、答えを叫ぶ梢。
『はーい。正解です』
 あしかが、さかんに前びれを振っている。
『お利口な梢ちゃんに、あしかさんも、拍手していますよ』
『えへへ……』
 誉められて思わず頬を赤らめる梢。
 実際には客に恥じをかかせないような演出で、二度目の計算は必ず先に梢が答えるようにしていたのであろう。

『これで、梢ちゃんのお手伝いは、おしまいです。梢ちゃんには、参加賞として、このあしかのぬいぐるみをプレゼントいたします。会場のみなさん、この元気でお利口な梢ちゃんに、大きな拍手をお願いします』
 割れんばかりの拍手が巻き起こる場内。
『梢ちゃん。どうもありがとう。大変勉強になりましたよ。どうぞ、席に戻ってください』
『ありがとう』
 手提げ状のビニール袋に入った大きなあしかのぬいぐるみを手渡されてお礼を言う梢。そしてゆっくりと歩いて元の席に戻る。
『えへへ。もらっちゃった』
『よかったわね。梢ちゃんがお利口だったからよ』
『うん!』
 ……しかし、こんなぬいぐるみもらったら、梓が持ってくるコアラが影薄くなっちゃうわね。ま、仕方ないか……


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梢ちゃんの非日常 page.8
2021.07.27

梢ちゃんの非日常(ルナリアン戦記前章譚)


page.8

 翌朝。
 梢の髪を解かしてあげている絵利香。梓ゆずりのしなやかで細くて長い髪質は、ブラシを通すたびに素直にまとまっていく。そのそばで梢の世話役になったばかりの早苗が、その手順を学んでいる。いずれ自分の役目になるからである。
 髪梳きが終わったその時、絵利香の携帯電話が鳴った。オーストラリアの梓からだった。
『ハーイ。絵利香、今オーストラリアのAFC事業所よ。梢は元気してる?』
『元気よ。変わろうか?』
『うん。お願い』
 絵利香は梢に携帯電話を渡しながら言った。
『梢ちゃん。ママからお電話よ』
『ママから!?』
『そうよ』
 梢は携帯電話を耳に当てて話しだした。絵利香もすぐそばで聞き耳をたてている。
『ママ、ママなの?』
『はい、はい、ママですよ。梢ちゃん』
 聞き慣れた母親の声に、声の調子を変える梢。
『ママ。今、どこにいるの?』
『梢ちゃんのところから、地球をぐるりと裏側に回ったところよ』
 といっても、地球が丸いことを理解できないので、首を傾げている。
『わかんない』
『とっても遠いところよ。飛行機でね、朝ごはんから夕ごはんまでくらいの間、ずっと乗っていなきゃならないところなの』
 梢に九時間とか抽象的なことをいっても判らないので、食事の間隔で理解させようとする梓。
『ふうん……お腹がすいちゃうね』
 お腹がすいちゃうくらい遠いところということは、何とか納得してくれたようだ。
『昨日は、ちゃんとお利口にしていたかな?』
『お利口にしてたよ』
『ほんとかな?』
『ほんとだもん』
『うふふ、そうね。梢ちゃんは、お利口だものね』
『うん!』
『今日も、ちゃんとお利口にできるかな?』
『できるよ』
『そうね。じゃあ、今晩おねんねしたら、おみやげ持って帰るからね』
『うん。待ってるから』
『絵利香に代わってくれるかな』
『うん』
 携帯電話を絵利香に手渡す梢。
『ママが、代わってって』
『はい』
『絵利香、今日も一日、梢のことお願いね』
『それで、今日は動物園かどこか、外に連れ出そうと思うんだけど、いいかしら』
『いいわよ。屋敷の中だけで、今日丸一日世話するのは、大変でしょう。外に出れば、気分転換にもなるわね』
『動物園行く! 動物園、動物園』
 梢が、両手を軽く叩きながらはしゃぎはじめた。
『あら、梢ちゃんに、聞こえちゃったみたい』
『そうみたいね。こっちにも梢のはしゃいでるのが聞こえてる』
『幸いにも屋敷のすぐ近くにブロンクス動物園があるから、今日はそこで過ごすことにするわ』
『わかったわ。とにかく、予定通り明日の朝にはそっちに戻れるとおもうから、それまで梢をお願いね』
『まかせといて。もう一度梢ちゃんに代わろうか』
『悪いわね』
『はい、梢ちゃん』
 といって、梢に携帯電話を手渡す絵利香。
『ママ』
『梢ちゃん。今日も一日、絵利香の言うこと良く聞くのよ』
『うん、わかった』
『それじゃ、電話切るわね。元気でね』
 そういって、電話は切れた。
 少し寂しそうな表情を見せる梢。
『さあ、元気を出して。今日は動物園よ』
『うん。動物園行く!』
 再び明るさを取り戻す梢。母親はいないけど明日には必ず帰って来るのだし、大好きな絵利香もそばにいる。気を取り直して、動物園に行くことに気持ちを切り替えたようだ。

 食堂での朝食。
 梢は、例によって絵利香の膝に乗って、食事中である。
『あのね、あのね、動物園に行くんだよ』
『そう、動物園に行くの』
『うん!』
 よほど動物園に行くのが楽しいらしい。
『動物園で、何が一番見たい?』
『パンダ!』
 フォークを持った右手を高々と挙げて、大きな声で答える。
『そっかあ、ジュリアーノちゃんのお友達を見に行くのね』

 玄関車寄せに停車しているフリートウッド。白井が後部座席を開けて待機している。
 周囲にはメイド達が勢揃いして、梢お嬢さまの見送りに出ている。
『絵利香さま、これを』
 といって早苗が財布を手渡してくれた。梢を引率して動物園に行くための費用というところ。梓の依頼で梢の世話をしてもらっている以上、その費用を真条寺家が持つのは当然である。おこづかい程度の大した金額ではないのだが、一応の決めごとみたいなもの。
 二人水入らずで過ごしたいという絵利香の希望を入れて、梢の世話役である早苗は同行しないことになった。もっとも人工衛星からの監視と、シークレットサービスが気づかれないように行動することには違いないが。
『絵利香、早く』
 すでに先に乗り込んでいる梢が催促する。
『はい、はい』
 絵利香が乗り込むと、白井はドアを閉めて運転席に着く。
『それじゃ、行ってきます』
 窓を開けて、見送りに出ていた渚に言葉を掛ける絵利香。
『行ってらっしゃい。梢ちゃんをよろしくお願いね』
『はい』
 ゆっくりと動きだすフリートウッド。
『行ってらっしゃいませ。お嬢さま』
 ずらりと並んだメイド達が一斉に掛け声をあげる。
『動物園の開園は十時でございます。十分前ですから、丁度良い時分に到着します』
 白井が説明してくれる。
『そうね』
『十時半頃に、園の東にある水生動物館であしかショーが開演されます。結構楽しいですから、ぜひご見学なされるとよろしいかと存じます。お嬢さまはまだお小さいですから、あちこち動きまわるより、そういったショーを見てまわる方が疲れなくていいと思います。あ、これパンフレットです。各施設アトラクション紹介、ショーの時間などが記されています』
 といって、パンフレットを手渡してくれる。
『ありがとう、いつも気を配ってくれて』
『いいえ。どういたしまして』
 お抱え運転手の白井とは、梓を通してかれこれもう十八年の付き合いになる。気心も知れているし、梓同様に絵利香に対しても、心を込めて接してくれる。いたれりつくせりの素晴らしい人物である。白井に動物園に行くことを伝えた時に、パンフレットをわざわざ取りに行ってくれたようだ。

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