梢ちゃんの非日常 page.12
2021.08.01

梢ちゃんの非日常(ルナリアン戦記前章譚)


page.12

 食堂に入る四人。
 四人用の食卓に、大人用と幼児用高椅子が向かい合ってセッティングされている。
『幼児用高椅子か……さて、梢ちゃんはどうするかな』
 ふと小さく呟く絵利香。
 真理亜はいつもそうしているので高椅子に自ら昇って座るが、梢は高椅子と絵利香の膝元を交互に見比べながら思案しているようであった。
『うふふ。考えているわね』
 絵利香の膝元は恋しいが、仲良しになった真理亜は高椅子に座っている。本能に従うか、プライドを取るかで、悩んでいるようだった。
『どうしたの? 梢ちゃん。椅子に一人で座れない?』
 美紀子の一言で、梢の意志が決定したようだ。一人で座れない? などと言われたら反発したくなる。
『座れるもん!』
 絵利香の膝元に自力で座れる梢だ、幼児用高椅子に座ることなど造作もない。梢は、幼児用高椅子によじ登るようにして座り込んだ。するとメイドが近づいて、梢が座った高椅子をテーブルに寄せてあげた。
 自分の右隣に絵利香、左隣に美紀子、そして正面には真理亜がにっこりと微笑んでいる。
 目の前には、梢が見たこともないような日本料理の数々が所狭しと並んでいる。
『わあ! すごい』
 真理亜が目の前に勢揃いした豪華な品々に感嘆の声を上げている。普段は一汁三采がせいぜいで、これほどの品が並ぶことはないからだ。その上自分の大好きな品が盛沢山だからもう流涙ものである。
『真理亜ちゃん。今日は特別メニューよ』
『特別?』
『梢ちゃんと仲良しになった記念よ』
『梢ちゃんと?』
『そうよ。梢ちゃんに感謝しなくちゃ』
『うん。梢ちゃん、ありがとうね』
 目の前の大好きな品々も、確かに梢が来たからには違いないようなので、素直に感謝する真理亜。
『ん? う、うん』
 自分では何もしていないのに感謝され、意味が判らずも答える梢。


 まずは壱の膳に取りそろえられた基本の一汁三采である、一対の漆塗りの木椀にはご飯にあさりと豆腐の味噌汁、向付には中トロと鯛の刺し身、煮物椀には鶏の砂肝と肝臓に生姜を利かせ輪切りの大根と共に煮たもの、突き出し皿には脂の十分に乗った真鰯を天然岩塩をまぶして焼いて大根おろしに醤油とスダチの汁を掛けたもの、そして割り山椒の器にはかぶと人参と胡瓜の酢味噌和え。ここまでは毎日の食卓に並ぶ程度のものなので、真理亜も目新しさを覚えていない。その視線が集中しているのは弐・参の膳の方である。
 弐の膳には、さざえの炭火壺焼き、ミズダコ・青柳・赤貝・ハモ・小肌・白甘海老のお造り、くるま海老と野菜の天ぷら、タラバガニの生姜酢醤油添え。
 参の膳には、活伊勢海老の特製マヨネーズ和え&甲羅揚げ、銀杏と椎茸の蒸し椀、炊き合せに加茂なす・鶏・冬瓜の白ゴマあん掛け。蒸し牡蠣の特製山椒味噌ダレ添え。鶏の臓物と長ねぎを串に刺して特製タレで焼き上げたもの。
 ひと目宴会料理のオンパレードというところだが、懐石が基本となっているので、一品あたりの量は少ない。
 とにもかくにも海産物王国の日本料理、圧倒的に海の料理が多数並ぶ。もっとも梢の好きそうな物を拾っていったらそうなったというところか。和と洋で共通にある食材となれば海の幸が一番である。海は全世界につながっているから。
 これだけの日本料理は、篠崎グループの一つである国際観光旅行社のレストラン事業部が経営する日本料理店(ニューヨーク・ロサンゼルス・ハワイなど全米店舗数十二)から派遣されている板前達が調理している。オーナーである篠崎邸で腕をふるって眼鏡にかなうことになれば、各店舗の板前長やチーフに抜擢されるのも夢ではない。篠崎邸に配属されることは出世コース、そう考えている板前達は多く、味噌汁のだし取り一つにも、全精力を傾け、持てる技術のすべてを出している。実際にもチーフや板前長を選出するには、篠崎邸に候補者達を呼んで、絵利香達も審査員となり最終選考会が執り行われることになっている。もちろん最終決定権は、グループの特別顧問常任取締役である絵利香が持っている。


 一方の梢は、今まで見たこともない日本料理を前にいぶかしがっている。
 さざえを見て梢が言った。
『おっきなエスカルゴだね』
 食べられる巻き貝といえば、エスカルゴしか知らない梢の言葉に、思わず吹き出す絵利香と美紀子。
『これはね、エスカルゴじゃなくて、さざえっていうのよ』
『さざえ?』
『海の底にいるのよ。おいしいわよ、食べてみて』
 といって絵利香はフォークを手渡した。
 いざ食べようとするが、目の前の真理亜が見慣れぬ二本の棒で、さざえを食べはじめたのに気づいて尋ねる。
『真理亜ちゃん。それ、何?』
『これ?』
 真理亜が、握り箸式に手にしている二本の棒をかざして確認する。こっくりと頷く梢。
『これね。お箸っていうんだよ』
『お箸?』
『うん』
 そう言うと真理亜は、さざえの中に二本の棒すなわち箸の先端を差し込み、貝殻のカーブに合わせて軽く捻るようにして動かして、中身をするりと引き抜いた。したたり落ちる肉汁から香ばしさが漂うその身を口に運び、
『おいしい』
 と満足げに微笑みを浮かべている。貝の中に残った肉汁は、あさりの味噌汁に入れている。その豊潤な旨味と香りが、同じ貝類の具の味噌汁をより一層おいしく感じさせることを知っているからだ。
 そして次に蒸し牡蠣の方に箸をのばしている。
 その仕草を見ていた梢は、
『絵利香。梢も、お箸で食べたい』
 と言って絵利香の方を向いて催促する。
『あのね、お箸は難しいのよ。真理亜ちゃんは、ずっと小さい時からお箸使ってるから、食べられるけど。梢ちゃんは、お箸使ったことないでしょ』
『うう……ねえ、絵利香。お箸、教えて?』
 真理亜が箸を使えるのに、自分が使えないということに納得がいかないようだった。
『絵利香、教えてあげなさいよ』
 美紀子が助け船を出している。
『でも食べるのに時間掛かっちゃうわよ』
『いいわよ。じっくり待ってあげるから。日本食にフォークとナイフってのも変だし』
『仕方ないわね……』
 ため息をついてから、
『梢ちゃん。お箸の使い方教えるから、絵利香のお膝にいらっしゃい』
 と言って、梢が座れるように椅子を引き、膝をぽんと叩いた。
『うん!』
 絵利香の膝に座れるのは願ってもないこと。メイドがテーブルから少し引き離した幼児高椅子を、ぴょんと飛び降りると、絵利香のもとに寄って椅子を這いあがり、その膝の上によっこいしょと座り込む。
『あーん。梢ちゃん、ずるい!』
 絵利香の膝に座りたいのは真理亜も一緒。自分で食事が取れるようになって一人座りができるまでは、真理亜も絵利香の膝に座っていたのである。
『真理亜ちゃん、ごめんね。今日だけ、梢ちゃんに、絵利香の膝に座らせてね』
『ごめんね。真理亜ちゃん』
 梢も、手を合わせて謝っている。謝られては、真理亜も引き下がるしかない。
『うーん……。今日だけよ』
『ありがとう、真理亜ちゃん』
 真理亜は箸をよく落とすので、予備に何組か用意してあるものを使う。
 早速梢の小さな手に子供用の箸を握らせて、扱い方を伝授する絵利香。もちろん三歳の年齢では、正しい箸の持ち方などできないので、真理亜もやっているように、いわゆる握り箸という持ち方である。
 梢に箸の扱いを教えている間にも、他の人達には自由に食べてもらっている。
 特に真理亜はより好物なものから食しているようだ。これだけの量があると全部食べきれないだろうから、食べにくい魚料理などあまり好きでないものを最後の方に残すつもりのようだ。
 それで残した物はどうするかというと、全然箸をつけていなければ、この後に使用人達が食事を取るので、希望者に分けられるし、箸をつけていれば親達が始末したり、邸内で飼っている番犬達におすそ分けされる。

『……でね。こうやってにぎにぎしてみて』
 まずは、箸だけ動かさせてみる。ある程度動きがスムーズになったところで実地に入らせる。
『それじゃあ、お箸を使って、実際に食べてみようか』
『うん』
 梢は、梓が直々に教えているピアノのバイエル教則本を難無く弾きこなすほど、手先は器用である。最初はぽろぽろと食べ物をこぼしていたが、ものの数分もするとすぐに慣れて、ほとんどこぼさずに食べれるようになっていた。
『さすがに運動神経抜群の梓の娘ね。こんなに早く、箸使いを覚えるなんて思いもしなかったわ』

『真理亜ちゃん。ご飯もちゃんと食べなさいね』
 海老の天ぷらを天汁につけて食べていた真理亜に絵利香が注意する。
『はーい』
 真理亜は主食のご飯には手をつけずに、いわゆるおかずばかり食べていたのである。
 米は日本人の心であり、エネルギー源としての炭水化物として重要であり、良質の蛋白質も含んでいる。どんなにご馳走が並んでも、ご飯と味噌汁だけは必ず食べるように躾ている。
 一方の梢が、タラバガニに手をつけようとしているが、これはフォークでは食べられないし、握り箸の真理亜にも無理である。三歳の幼児には難物である。
 最初から身だけ取り出して皿に盛って出してあげれば簡単なのであるが、それだと食物の学習にならない。海老なら海老、カニならカニの形状を覚えさせ、殻からの身の取り出し方とその味を知ること。そういった一見なんでもないようなことも、重要な食文化の勉強になるのである。さざえを見て、エスカルゴと言った梢も、その形状と名前そして味を覚えて、食べ物に関して一つ利口になったはずである。
 こつさえ覚えれば簡単にカニから身は取り出せる。絵利香と美紀子がカニから身を取り出して見せて、小皿に取り分けてあげる。梢と真理亜は親達がする手つきをじっと見つめて覚えようとしている。
『タラバガニって、カニとはいうけど、ヤドカリの仲間なんだよね。腹部がやわらかいのもそのせいよ。知ってた?』
 絵利香が呟くように言った。
『食べておいしければ、なんだっていいわよ』
 確かにその通りである。食卓で生物分類の話しをしても興ざめするだけである。
『そうだったわね。ともかくね、日本では缶詰にされちゃうんことが多いんだけど、調理の仕方次第では結構いけるのよこれが』

 梢が刺し身を箸でとんとんと軽く叩くような仕草をして尋ねる。
『ねえ、これなに?』
 どうみても生のようだし、食べられるのか不審に思っているようである。最後の方まで残していたのもそのためか。本当なら一番先に食して欲しかった一品であったのだが。
『お刺し身よ』
『お刺し身? 生……だよね』
『そうよ。お魚の身を切ってあるの』
『これ、お魚なの? 食べても、大丈夫なの?』
『大丈夫よ。お醤油をつけて食べるの』
 といって刺し身に醤油をつけて食べてみせる絵利香。相手は子供なので、わさびはつけないで食べさせるようだ。
『ふうん』
 教えられた通りに、刺し身に醤油につけて食べる梢。
『ん……なんかへんなの』
 率直に答える梢。淡白であまり歯ごたえのない食感に、的確な言葉を探せないでいる。日本の醤油の味にも慣れていないせいでもある。
『やっぱり、わさびをつけないとだめかな……』
『わさび?』
『この緑色のがそうよ。刺し身にほんの少しつけて食べるの。梢ちゃんなら、これくらいが適当じゃないかな』
 といって梢の刺し身に、わさびを適量つけてあげる絵利香。本人に任せてしまうと、以前梓がはじめて刺し身を食した時にわさびをつけ過ぎて失笑をかったようになってしまう。梓だから笑って澄まされたが、幼児の梢だと泣いてしまって、二度と刺し身を食べなくなるだろう。
 もういちど刺し身を口に放り込んで、
『うん。さっきより、おいしく感じるよ』
 わさびのぴりりとした刺激が、刺し身と醤油の旨味と調和して、おいしさを倍増させたようだ。
 ちなみに真理亜はわさびを醤油に溶かし込んでわさび醤油にして食べている。その方がせわないからであるが、本来は邪道な食べ方である。

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