梢ちゃんの非日常 page.8
2021.07.27

梢ちゃんの非日常(ルナリアン戦記前章譚)


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 翌朝。
 梢の髪を解かしてあげている絵利香。梓ゆずりのしなやかで細くて長い髪質は、ブラシを通すたびに素直にまとまっていく。そのそばで梢の世話役になったばかりの早苗が、その手順を学んでいる。いずれ自分の役目になるからである。
 髪梳きが終わったその時、絵利香の携帯電話が鳴った。オーストラリアの梓からだった。
『ハーイ。絵利香、今オーストラリアのAFC事業所よ。梢は元気してる?』
『元気よ。変わろうか?』
『うん。お願い』
 絵利香は梢に携帯電話を渡しながら言った。
『梢ちゃん。ママからお電話よ』
『ママから!?』
『そうよ』
 梢は携帯電話を耳に当てて話しだした。絵利香もすぐそばで聞き耳をたてている。
『ママ、ママなの?』
『はい、はい、ママですよ。梢ちゃん』
 聞き慣れた母親の声に、声の調子を変える梢。
『ママ。今、どこにいるの?』
『梢ちゃんのところから、地球をぐるりと裏側に回ったところよ』
 といっても、地球が丸いことを理解できないので、首を傾げている。
『わかんない』
『とっても遠いところよ。飛行機でね、朝ごはんから夕ごはんまでくらいの間、ずっと乗っていなきゃならないところなの』
 梢に九時間とか抽象的なことをいっても判らないので、食事の間隔で理解させようとする梓。
『ふうん……お腹がすいちゃうね』
 お腹がすいちゃうくらい遠いところということは、何とか納得してくれたようだ。
『昨日は、ちゃんとお利口にしていたかな?』
『お利口にしてたよ』
『ほんとかな?』
『ほんとだもん』
『うふふ、そうね。梢ちゃんは、お利口だものね』
『うん!』
『今日も、ちゃんとお利口にできるかな?』
『できるよ』
『そうね。じゃあ、今晩おねんねしたら、おみやげ持って帰るからね』
『うん。待ってるから』
『絵利香に代わってくれるかな』
『うん』
 携帯電話を絵利香に手渡す梢。
『ママが、代わってって』
『はい』
『絵利香、今日も一日、梢のことお願いね』
『それで、今日は動物園かどこか、外に連れ出そうと思うんだけど、いいかしら』
『いいわよ。屋敷の中だけで、今日丸一日世話するのは、大変でしょう。外に出れば、気分転換にもなるわね』
『動物園行く! 動物園、動物園』
 梢が、両手を軽く叩きながらはしゃぎはじめた。
『あら、梢ちゃんに、聞こえちゃったみたい』
『そうみたいね。こっちにも梢のはしゃいでるのが聞こえてる』
『幸いにも屋敷のすぐ近くにブロンクス動物園があるから、今日はそこで過ごすことにするわ』
『わかったわ。とにかく、予定通り明日の朝にはそっちに戻れるとおもうから、それまで梢をお願いね』
『まかせといて。もう一度梢ちゃんに代わろうか』
『悪いわね』
『はい、梢ちゃん』
 といって、梢に携帯電話を手渡す絵利香。
『ママ』
『梢ちゃん。今日も一日、絵利香の言うこと良く聞くのよ』
『うん、わかった』
『それじゃ、電話切るわね。元気でね』
 そういって、電話は切れた。
 少し寂しそうな表情を見せる梢。
『さあ、元気を出して。今日は動物園よ』
『うん。動物園行く!』
 再び明るさを取り戻す梢。母親はいないけど明日には必ず帰って来るのだし、大好きな絵利香もそばにいる。気を取り直して、動物園に行くことに気持ちを切り替えたようだ。

 食堂での朝食。
 梢は、例によって絵利香の膝に乗って、食事中である。
『あのね、あのね、動物園に行くんだよ』
『そう、動物園に行くの』
『うん!』
 よほど動物園に行くのが楽しいらしい。
『動物園で、何が一番見たい?』
『パンダ!』
 フォークを持った右手を高々と挙げて、大きな声で答える。
『そっかあ、ジュリアーノちゃんのお友達を見に行くのね』

 玄関車寄せに停車しているフリートウッド。白井が後部座席を開けて待機している。
 周囲にはメイド達が勢揃いして、梢お嬢さまの見送りに出ている。
『絵利香さま、これを』
 といって早苗が財布を手渡してくれた。梢を引率して動物園に行くための費用というところ。梓の依頼で梢の世話をしてもらっている以上、その費用を真条寺家が持つのは当然である。おこづかい程度の大した金額ではないのだが、一応の決めごとみたいなもの。
 二人水入らずで過ごしたいという絵利香の希望を入れて、梢の世話役である早苗は同行しないことになった。もっとも人工衛星からの監視と、シークレットサービスが気づかれないように行動することには違いないが。
『絵利香、早く』
 すでに先に乗り込んでいる梢が催促する。
『はい、はい』
 絵利香が乗り込むと、白井はドアを閉めて運転席に着く。
『それじゃ、行ってきます』
 窓を開けて、見送りに出ていた渚に言葉を掛ける絵利香。
『行ってらっしゃい。梢ちゃんをよろしくお願いね』
『はい』
 ゆっくりと動きだすフリートウッド。
『行ってらっしゃいませ。お嬢さま』
 ずらりと並んだメイド達が一斉に掛け声をあげる。
『動物園の開園は十時でございます。十分前ですから、丁度良い時分に到着します』
 白井が説明してくれる。
『そうね』
『十時半頃に、園の東にある水生動物館であしかショーが開演されます。結構楽しいですから、ぜひご見学なされるとよろしいかと存じます。お嬢さまはまだお小さいですから、あちこち動きまわるより、そういったショーを見てまわる方が疲れなくていいと思います。あ、これパンフレットです。各施設アトラクション紹介、ショーの時間などが記されています』
 といって、パンフレットを手渡してくれる。
『ありがとう、いつも気を配ってくれて』
『いいえ。どういたしまして』
 お抱え運転手の白井とは、梓を通してかれこれもう十八年の付き合いになる。気心も知れているし、梓同様に絵利香に対しても、心を込めて接してくれる。いたれりつくせりの素晴らしい人物である。白井に動物園に行くことを伝えた時に、パンフレットをわざわざ取りに行ってくれたようだ。

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