梢ちゃんの非日常 page.10
2021.07.29

梢ちゃんの非日常(ルナリアン戦記前章譚)


page.10

 あしかショーが終わって、会場を出る絵利香と、一抱えもあるぬいぐるみを大事そうに抱えた梢。
『ねえ、絵利香』
『なに?』
『あのお姉さん。絵利香のこと、お母さんって呼んでたね。えへへ』
『梢ちゃん、嬉しそうね』
『だって、絵利香は、梢のお母さんだもん』
『あのね……』
『お母さん、お母さん』
 ぬいぐるみを抱えながら、はしゃぎまわっている。
『はあ……好きに言ってなさいよ。もう……』
 動物園内で、二十一歳の絵利香が、三歳の梢を連れていれば、誰だって母娘だと思うだろう。動物園に来る前から、母娘だと間違われるだろうことは、覚悟の上だった。だから、あしかショーで、お母さんと呼ばれても、あえて訂正しなかったのである。それこそ何十回と言われるかも知れないのに、いちいち訂正などしていられない。逆に勘繰られてややこしいことになる可能性もある。
 それに以前から梢は、梓と絵利香の事を比べて、
『ママが二人だよ』
 と自ら発言している通り、絵利香を母親的存在として認めている。だから他人に、絵利香が梢に対してお母さんと呼ばれることに喜びを感じているようだ。


 家族達が行きかう動物園内。
 木陰になって風通しの良いベンチに腰掛けて本を読んでいる絵利香。その膝を枕にして、気持ちよさそうにお昼寝中の梢。その足元には、あしかショーでもらったぬいぐるみも置いてある。
 園内のレストランで昼食をとってしばらくすると、目をこすりはじめたので、このベンチに連れてきて、膝枕してあげると、ぐっすりと寝入ってしまったのである。寝冷えしないように、自分の着ていたカーディガンを掛けてやっている。
 屋敷の寝室でも、フリートウッドの座席でもない。こんな人通りの多いベンチでも安心して眠っていられるのは、絵利香に絶大な信頼を抱いている証拠である。
 ベンチは半分ほど空いているのであるが、寝ている梢を起こさないように、来園者は皆遠慮して通り過ぎていくようだ。さすがに子供連れで来園している人々だ。子供とその母親の心情を理解している。
 やがて大きな伸びをして梢が目を覚ました。
『あら、お目覚めね』
『ん……』
 まだ眠いのか目をこすりながらも、身体を起こしてくる梢。
『お顔を洗ってらっしゃい』
 といってハンカチを手渡しながら、目の前にある水飲み場を指差す絵利香。
『うん。洗ってくる』
 ハンカチを受け取って、顔を洗いに水飲み場に向かう梢。肩から下げたポシェットには、自分用のハンカチやティッシュも入っているのであるが、ここは手渡された絵利香のハンカチを使うようだ。
『あは、冷たい!』
 蛇口を捻って冷たい水で顔を洗えば目覚めもすっきり、渡されたハンカチで顔を拭って絵利香の元に戻る梢。
『はい。返すね』
 ハンカチを絵利香に返して、隣に座りなおす梢。もうすっかり眠気も取れたようだ。
『今度はどこに行くの?』
『そうね……』
 そろそろ退園時間の予定が近づいている。最後としてパンダ舎を見に行くか。そう思って梢を見ると、往来する人々の手に握られたソフトクリームを、物欲しそうに見つめているのに気づいた。
 そういえば三時のおやつがまだだった。
『あのソフトクリーム、食べたい?』
『うん。食べたい』
 園内を見渡せば幸いにも視界内に、ちょっと離れた所にソフトクリームの屋台が見えた。
 梢のそばを離れるのは、誘拐の危険があってできない。仕方なく梢の手を引いて、その屋台まで歩いて行って、ソフトクリームを買うと再びベンチに戻る。その間、梢に右手でぬいぐるみを持たせ、自分は二つのソフトクリームを左手に、右手で梢の左手を引いていた。
 歩きながらでは、足元が不確かになって転ぶ恐れがあるので、ベンチに腰掛けたまま食べることにする。
『はい。梢ちゃん』
 ソフトクリームを手渡されるも、往来の中で食べ物を取るということは、梢には経験のないことである。きょろきょろとあたりを見回したりするが、すぐそばでは絵利香が平然とソフトクリームを食べている。
『梢ちゃん。ソフトクリームはね、こうやってお部屋の外で食べてもいいのよ』
 絵利香は、梢が外で食べたことがないだろうと、先に食べて見せていたのである。
『うん。いただきまーす』
 絵利香が実際に食べているのを見て、安心して冷たいソフトクリームを頬張る梢。
『冷たくて、おいしい』


 あしかショーの会場から、西へ移動しながら点在する動物を鑑賞していく二人。
 やがてお昼となって、食事のために園内レストランに入る絵利香と梢。
 レジの脇に、ビニール製の食品サンプルが収められたショーケースがあった。
 梢はサンプルケースを右に左に見回しながら品定めをしている。以前にも何回か、デパートなどの大衆レストランで食事をしたことがあるので、サンプルケースがメニューブック代わりになっていることを知っている。
『極上サーロインステーキ(sirloin steak)か……こんな場末のレストランじゃ、まともな肉じゃないでしょうね。硬くてまずいかな』
 絵利香はサンプルの一つを眺めながら、思いをめぐらす。牛一頭を解体して、ロース肉の極上部分を切り出せば、確かに嘘はついていないかも知れないが、牛そのものがまともなものでなければ意味が無い。乳の出なくなった乳牛だったり、役牛だったり、その素性が知れたものではない。
 真条寺家で出される肉類は、畜産農家と個別契約して厳選された極上品質のものを手に入れている。屋敷や寄宿舎、飛行場、医療センターなど二百人からの従業員の食事を賄うためである。
 いつのまにか絵利香の脇に梢がくっついている。
『梢ね。これがいいな』
 と絵利香を見つめながら、極上サーロインステーキを指差している。
 肉好きな梢の事、目ざとく一番大きな肉を選んだようだった。
『ああ、もう決めちゃったのね』
 手間ひまかけて調理されるフランス料理に馴染んでいる絵利香や梓は、肉塊のまま焼いて出すだけのビーフ・ステーキは好みではない。シャトーブリアンなるビフテキ様のフランス料理もあるにはあるが……。
 とはいえ、大衆レストランにフランス料理を望むのは無理である。梢にしても、料理の真髄よりも肉が大きければ、感動ものなのである。
 とにもかくにも、梢の選んだ極上サーロインステーキと、野菜サラダ、コンソメスープ、そしてパン、デザートにカスタードチーズケーキ。それらの食券一人前ずつを購入して中に入り、テーブルにつく二人。あしかのぬいぐるみは足元に置いてある。
 例によって梢は絵利香の膝の上である。他の幼児達は、幼児用高椅子にちゃんと座っているのだが、梢はどこ吹く風のごとく我が道を行くである。梓によって、そういう風に育てられたのだから、梢自身には罪はない。
『梓、やっぱりあまやかし過ぎじゃないかな』
 絵利香は、思わず呟いてしまう。
『ん。なに?』
 その呟きを聞きつけて梢が首を傾げる。
『何でもないわよ。あ、ほら。料理がきたわよ』
 梢の目の前に、焼きたてのステーキが運ばれてくる。
 絵利香は早速ナイフでステーキを小さく切り分けはじめる。その行為は本来食事のマナー違反なのであるが、ナイフが使えない三歳の梢に自由に食べてもらうためには、いたしかたないところだ。思った通り、肉は極上と呼ぶにはおこがましく、あまり良い品質のものではなかった。それでも繊維が固いというほどでもないので、梢でも食べられるものであった。
 その間、梢は舌なめずりして、絵利香がフォークを手渡してくれるのを待っている。こういう点は他の幼児にはない、躾の行き届いたところである。
『はい、梢ちゃん。食べていいわよ』
 半分ほど切り分けたところで、持参した幼児用フォークを梢に手渡す絵利香。
『いただきまーす』

↓ 1日1回、クリックして頂ければ励みになります(*^^)v


ファンタジー・SF小説ランキング


小説・詩ランキング



11
コメント一覧
コメント投稿

名前

URL

メッセージ

- CafeLog -