あっと!ヴィーナス!!第五章 part-5
2019.12.26

あっと! ヴィーナス!!


第五章 part-5


 というわけで、今一緒に風呂に入っている。
 母とはいえ生の女性の裸を目の当たりにするのははじめてだった。そりゃあ、子供の時
は一緒に入っていた記憶があるにはあるが、異性を意識する年頃になってからはまだ一度
もない経験だった。
 あたりまえだ!
 この歳でまだ母と一緒に入っていたとしたら常識を疑う。
 それがいきなり女の子になって、自らの裸をさらすことも重なって、恥ずかしさの極み
だった。
 とにかく入浴は、裸と裸のぶつかり合い、じゃなくて……ちょっとエロチックな状態に
あるといえた。生身の女性の裸体をさらけ出し合って身体を洗いっこしたりして、
「いやーん。そこ、くすぐったい」
「あらん、ここが感じるのね」
 とか言いながら……。
 ちがう! ちがう!
 なに考えてんだよ。
 …………。

 胸もあそこも隠すわけにはいかないから恥ずかしくて、見られるくらいならずっと湯船
に浸かっていたいくらいだ。
 それじゃあ、のぼせちゃうって。
 でも母はまるで気にもかけていない。そりゃまあ、これまでにも公共浴場に入ったこと
は数知れないだろうし……。身を分けた実の娘だもんな。
「いい? 女の子の肌はソフトに洗わなければいけないの。特にお顔は念入りに専用の洗
顔フォームを使わなくちゃだめよ。普通の石鹸はアルカリ性で肌を傷めちゃうのよ。だか
ら中性か弱酸性タイプの洗顔フォームが必要なの。洗うときはよーく泡立ててから使うの
よ。泡で汚れを落とすかんじよ」
 とにかく一から十まで、噛んで含ませるように丁寧にレクチャーしてくれる。
「ああ……。やっぱり女の子はいいわよねえ。こんなにも色白で柔肌で、もちもちっとし
た感触が最高よ。それに何より一緒に入れるのがいいわよね。これからも一緒に入りまし
ょうね」
 あ、あのねえ……。
「弘美ちゃん、いいわよね?」
 なんて目をじっと見つめられて真剣に尋ねられたら、
「う、うん」
 と、答えるしかないじゃないか……。
 しようがない、お願いを聞いてあげよう。親孝行の一貫ということで、母親だし。

「だめだめ、だめよ!」
 風呂から上がって身体を拭っている時だった。
「身体はともかく、お顔はそんなにごしごしやったらだめじゃない。刺激には一番敏感な
肌なのよ。いい? そっとタオルで押さえるようにするの。押さえるようによ」
 とにかく、一つ一つの動作にチェックが入る。
 なんて面倒なんだ。
 さらにはドレッサーの前に座らされて、就寝前のお肌の手入れだった。
「中学生に化粧は必要ないとは言うけれど、お肌を常に最高の状態に保つためには、やは
り手入れは絶対よ。アルカリに傾き加減の肌を弱酸性にするためのローション。入浴で失
ったお肌を覆っていた脂肪を補って、水分の蒸発を避けるための乳液。ちゃんと毎晩しっ
かりと手入れをしなくちゃ」
 もう……うんざり。
「聞いてるの?」
「聞いてるよ」
「はい! これで完璧よ」

 母から解放されたのはそれから三十分後だった。
 女の子としての在り方のうんちくをさんざん聞かされた。
 こんなことが毎日繰り返されるのだと思うと……。

 頭が痛い!

「だから、わたしがあなたのそばに付き添っているのよ」
 ヴィーナスの声が聞こえたような気がした。
 いや、確かに脳裏に語り掛けてきたようだ。
 いついかなる時も、ヴィーナスの庇護下にあるようだ。

 パジャマに着替えようとタンスを開けてみると。
 ない!
 以前着ていた男物の衣類が一切なくなっていた。
 捨てられた?
 学校に行っている間にだろう。
 女の子になったからには、もう必要のないものとはいえ、愛着のある服もあった。それ
を無断で処分されては気分を害された感じ。
「いつまでもうだうだ言ってんじゃないよ。いい加減あきらめな」
 ヴィーナスの声だ。
 四六時中監視されているというところかな。
 ところで女神も寝るのだろうか?
 酒なんか飲んで酔っ払っているところをみると、いかにも人間臭いからやはり寝るんだ
ろうな。
 しようがねえな……。
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中心静脈点滴
2019.12.26

○月○日 中心静脈点滴


 やがて劇的な報告がなされる。
「クローン病ではないか?」
 という仮診断が下されたのである。
 連日のような消化管造影検査(注腸造影)や内視鏡などによる腸内検査も、これを確
定させるためのものだったのである。
 クローン病(クローンびょう、英:Crohn's disease; CD)は、主として口腔から肛門
までの消化管全域に、非連続性の炎症および潰瘍を起こす原因不明の疾患である。
 本疾患における病変は消化管の粘膜から漿膜までの全層を侵し、進行すると腸管が狭く
なる狭窄によって腸閉塞をきたすことや、腸管に穴のあく穿孔や瘻孔(ろうこう)、それ
らに膿が溜まった膿瘍ができることがある。潰瘍性大腸炎とともに炎症性腸疾患(英:w:
Inflammatory bowel disease; IBD) に分類される。
 膠原病の一つで、特定疾患治療研究事業【医療費助成制度】(対象:56疾患)の一つに
入っている難病であった。
 発症の原因不明、根治治療方法もない。
 治療は対症療法しかなく、生涯薬を飲まなければならないという難病である。

 その日から、点滴の方法が変わった。
 中心静脈点滴というものである。
 今までは、腕から点滴の針を刺していたのだが、鎖骨のところの静脈(鎖骨下静脈)か
らカテーテルを通して、心臓の近くを通る上大静脈に直接輸液を注入するという方式であ
る。脚の付け根の下大静脈から点滴を行うこともある。
 寝たきりの人なら脚からの点滴を選択できるだろうが、動き回れる健康人なら鎖骨下か
らの点滴ということになる。

 これは、高濃度・高カロリーの輸液を滴下できるようにするためのもので、腕からの末
端静脈点滴では 血管炎や血栓を起こすからである。
 血管炎を起こしやすい抗がん剤の滴下や、カテーテルを通して中心静脈の静脈圧が測れ
たり、体液量の増減やうっ血性心不全の程度を把握するのに役立つ。
 もちろん看護師にはカテーテルを通すなどの施術を行う資格がないので、当然主治医の
出番となる。
 静脈に通したカテーテルは抜けないようにしなければならないので、鈎針のようなもの
が三本ついていて皮膚に引っ掛けるようにして固定する。さらに上から固定テープを張っ
て動かないようにしておく。

 クローン病の治療薬として、メサラジン(ペンタサ錠250 等)が追加された。

 ああ……。
 それにしても、鼻からの導入管から解放されて、食事が出されるかと期待したのだが、
当分の間はお預けという状況になったのである。

 寂しい……。
あっと!ヴィーナス!!第五章 part-4
2019.12.25

あっと! ヴィーナス!!


第五章 part-4

 楽しい夕食のはずだった。
 母のお手伝いをして、自分が包丁を入れて料理の下ごしらえをしたのだ。
 それはそれでいいとして、問題はここにいる……。

「ヴィーナス! なんでおまえが夕食の席に並んでいるんだよ! それもお父さんの席に
陣取りやがって」

「ん?」
 ヴィーナスの前には、酒瓶が並んでいる。
 しかもすでにできあがっている。
「いまなんかいったかろー」
 酔っ払ってるじゃんか。
 人の家に勝手に上がり込んで勝手に酒飲んで酔っ払って、こいつは一体なに考えてんだ
か。
「弘美ちゃん、いいのよ。わたし達の願いをかなえてくれたんだもの。これくらいのこと
しなくちゃね」
「そうらろ……しなくたいかぬのらろ」
 なに言っとるんじゃ。ろれつが回ってない。
「うらうらいってっと、ぶたにしちまうぜよ」
 げっ!
 豚にされたらたまらん。この酔っぱらい状態じゃ、ほんとにやりかねないぞ。
 ここはおとなしく持ち上げていたほうがいいみたいだ。
「はい。ヴィーナスさまには感謝しています。今後ともよろしくお願いします」
「うむ。よろひい!」
 と納得して再び酒をのみはじめる。

 ほんとにこれでも女神なの?
 確かに、女の子にしたり戸籍を改竄したり、関係者を洗脳したりと超人的な能力を持っ
てはいるようだけど、人格というか神の資質に問題があるんじゃない?
 きっと男女の生み分けの際にも酔っ払ってたとか?
 ありうる!

 ひとしきり飲んで酒がなくなった後にヴィーナスは帰っていった。
 この調子だったら、酒にありつこうと毎晩やってくるんじゃないだろうか。ただでさえ
お母さん達は、感謝感激雨霰ってかんじだもんな。
「ねえ、お母さん。大丈夫なの?」
「なにが?」
「酒代だよ」
「心配いらないわよ。弘美ちゃんが女の子でいられるなら、全財産を食い潰されても構わ
ないくらいよ」
 おいおい。それはないよ。
「それより、今夜は一緒にお風呂に入りましょうね」
「ええ! なんでえ?」
「これから女の子として暮らしていくには、いろいろと避けて通れないこともあるじゃな
い。たとえば修学旅行や社会人になれば慰安旅行と、共同浴場に入ることもあるわよね。
当然自分の裸体をさらけ出すことになるし、他人の裸も目に入るわ。そんな時のために今
から経験しておかなければいけないでしょ? お母さんを相手にね」
「そりゃそうだけど……」
「それに女の子の肌や髪はデリケートだから、それなりの身体の洗い方とかも教えてあげ
る必要があるの」
「そ、そんなの適当でいいじゃない」
「だめ! ちゃんとできるようになるまで一緒に入るわよ」
 言い出したら利かない母の性格だった。

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小腸内造影検査
2019.12.25
○月○日 小腸内造影検査


 ともかく、入院して検査漬けの毎日が始まる。
 X線、CT、大腸内視鏡……。

 今回は、小腸内造影検査というものが新しい項目に入った。


 再び、口腔から管を挿入しての検査があった。
 ただし今回は、五メートルもの長さのある導入管を鼻から喉を通して差し入れ、造影剤
を注入して小腸をTV-X線撮像装置で撮影する検査である。リアルタイムで腸内の様子
が検査できる方法である。この管は造影剤を送るだけで、カメラは内臓されていない。

 五メートル?

 信じられない。
 そんな長いものを鼻から喉を通して小腸まで差し入れるなんて……。

 確かに小腸はとぐろを巻いて、非常に長い消化器官である。
 日本人の平均的な、その長さは6メートル以上あるといわれている。
 当然、導入管もそれなりの長さが必要なのは理解できるが……。
 実際に、鼻から差し入れるところを目撃すると、恐怖が先走る。
 管にたっぷりとゼリー(たぶん麻酔剤含む)を塗って、ゆっくりと差し入れられる。
 喉を通過するあたりでは、やはり嗚咽感が起こるが、胃内視鏡に比べれば楽である。
 するりと胃の中に入ってゆく。
 そして十二指腸へ。
 さて、ここら辺りから、苦しみがはじまる。
 小腸はまっすぐではない。
 くねくねと曲がっているから、導入管の先っぽが腸壁に当たって痛いのである。
 導入管には針金のようなものを通す穴が平行して通っているが、その針金を操作して先
っぽを自在に曲げて、小腸の屈曲に合わせるようにして、先へ先へと送り込んでいくので
ある。
 何度も何度も曲がりくねった腸壁にぶち当たる。
 痛い。
 針金を操作して屈曲を通過させる。
 また当たる。
 痛い。
 針金を操作して……。
 これの繰り返しで、少しずつ先へと送り込んでいく。
「造影剤を注入しますよ」
 所々で、造影剤を注入して撮影が行われる。

 やがて、
「今日のところは、ここまでにしておきましょうか」
 ということだった。
 やっと終わったかと思ったのだが……。
 しかし、導入管は差し入れたままだというのである。
 まだ小腸の半分にも達していないので、毎日少しずつ先へと送り込んでいくというので
ある。
 鼻から管を通したまま病室へ戻る。
 5mの管をそのままにできるのは、絶飲絶食中だから。腸内に繋がった管からは腸から
の分泌物などが常時湧き出てくるので、瓶を置いてその中に受け止める。

 その5mの管から解放されたのは、十日後のことだった。
あっと!ヴィーナス!!第五章 part-3
2019.12.24

あっと!ヴィーナス!!


第五章 part-3

「疲れたあーっ!」
 家に帰りついて、ソファーに寝そべるようにして、足の疲れを癒す。
 とたんに、
「弘美ちゃん、はしたないわよ」
 と注意される。
「へい、へい」
 起き上がって、腰掛けるように座ると、
「両足は広げずにちゃんと揃えてね」
 となる。
 女の子としての躾に、一所懸命なのは理解できるけど……。
 ああ、女の子ってなんて面倒くさいんだ。

 なんて考えていると、
「はい、弘美ちゃん」
 何か手渡された。
 広げてみると……。
「エプロンじゃない……」
「そ、夕食の支度のお手伝いね」
「な、なんでえ! 今まで、そんなことさせなかったじゃない」
「お料理は、女の子のたしなみよ。お手伝いしてもらいながら、少しずつ教えていくから
ね」
 そんなの男女不平等だよ。
 男が料理したっていいんだから。
 女の子だからっている理由だけで……。
「はい、はい。お台所へ行きましょう」
 しかし、母さんには通用しないみたい。
 ヴィーナスじゃないけど、このあたしを女の子として人前に出しても恥ずかしくないだ
けの躾をしようと一所懸命なのだ。
 ほとんど強引に台所へ連れていかれて手伝いをさせられるはめになった。
 それから包丁を持たされて、下ごしらえとしてにんじんやら肉などのカットをやらされ
た。

 手伝いをすること小一時間。
 そのうちに三々五々家族達が帰ってくる。
「母さんのお手伝いか。弘美ちゃん、えらい!」
 そう思うなら兄さんも手伝えよ。
 しかしそれっきりリビングに行ってしまった。
 母も兄弟達には手伝わせる気はないようだ。
「いいわ。弘美ちゃん、テーブルにお皿を並べて頂戴」
「うん……」
 すでにテーブルには皿や茶碗が重ねて置いてある。それを各自の前に並べていく。
「それじゃあ兄さん達を呼んできて」
 兄弟は全員帰ってきていた。
 母の家庭方針で、食事時間は午後七時と決められていた。
 家族はそれまでに帰るか、遅くなるときは必ず連絡することになっていて、全員ちゃん
と守っていた。そういった物事のけじめには、幼少の頃から厳しい母だったからである。

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