梓の非日常/第二部 第五章・別荘にて(三)乗馬クラブ
2021.05.31

続 梓の非日常/第五章・別荘にて


(三)乗馬クラブ

 翌日のこと。
 梓付きのメイド達四人を前に訓示をたれている麗香。
「今日と明日の午後、昼食後から夕食前を自由時間にします」
「本当ですか?」
 満面に笑顔を見せて飛び上がるように喜ぶメイドたち。
「お嬢さまの御厚意です。お嬢さまのおやさしい心使いを忘れないように、真条寺家のメイドとしての規律を守って、羽目を外さずに行動しなさい」
「はーい!」
「あなた達が遊んでいる間にも、別荘勤務のメイド達が汗水流して働いていることを忘れないでください」
 真条寺家のメイドには二種類の職種があった。
 麗華や明美達が梓専属のメイドとして働いているように、主人の身の回りのお世話をする職種。
 部屋の掃除や給仕・洗濯といった屋敷内での日常業務を担っている、屋敷付きの職種とである。
 屋敷付きのメイドは、夜勤を含めて三交代で勤務時間がはっきりしている。基本的に週休二日制で、長期休暇もある。ごく普通のサラリーマンと何ら変わりはない。肉体労働ではあるがきちんと休みがあるので疲労が溜まることはない。
 一方の専属メイドは、仕えている主人に常に付き添って行動するために、勤務時間が明確に決められていない。夜討ち朝駆けだったり、いきなり海外へ渡航しちゃうこともある。主人との軋轢もあって、精神的ストレスに責め苛むこともしばしばである。それも主人次第ということで、梓のような心優しい人間に当たれば悪いことなしである。ちゃっかりと旅行気分を味わえたりするわけである。
 屋敷付きメイド主任の神楽坂静香に声を掛ける麗華。
「静香さん。お手数かけますね」
「いいえ。お気になさらなくて結構ですわ。あの娘達がお嬢さまのお世話をしながら、どんなに大変な思いをしているかわかりますから。厳格な礼儀作法を守りながら、常日頃から気配りを絶やさずにお嬢さまの身の回りのお世話をする。別荘勤務が忙しいのは、お客様がいらした時だけですけど、あの娘達は毎日ですからね」
「ありがとう。そう言って頂くと助かります」

 数時間後。
 とある牧場の乗馬クラブに梓と絵利香の姿があった。
 乗馬に興ずる梓と絵利香。
 馬の動きに合わせて見事な手綱捌きをみせていた。
 アメリカ仕込みの腕前は本物だった。
 牧場を軽やかに闊歩しながら、存分に乗馬を楽しむ二人だった。
 それにしてもいつも梓にべったりの慎二の姿が見えないのが不思議だった。
 その頃、慎二はメイド達と一緒に行動していた。
 牧場の付帯設備である購買部の土産物屋の中をうろついていた。
「慎二さん。今日はお嬢様と一緒じゃないんですか?」
 美鈴が首を傾げるように尋ねる。
「ほんとですよ。いつも一緒なのに」
「そうそう」
 明美とかほりも同意見のようだ。
「まさか、乗馬が苦手だとか……」
 恵美子に至っては、疑心暗鬼な表情。
「みなさん、そんなに責めちゃだめでしょ」
 土産を手に品定めしていた美智子がたしなめた。
「まあ、いいさ。ほんとのことだからな」
「ええ? ほんとうなのですか?」
「ああ、以前馬に乗ろうとして蹴られた。それでも強引に乗ったら、急に駆け出して振り落とされて腰を痛めたよ」
「暴れ馬だったんですか?」
「観光牧場のおとなしい馬だよ。どうも俺は馬が合わないようだ。喧嘩ばかりしているから、殺気を感じているのかもな」
「今の慎二様からは想像もできませんけど……」
「あ、ははは。梓ちゃんの前ではいい子ぶっているだけだよ。本性は荒くれ者さ」
 確かに【鬼の沢渡】と呼ばれ恐れられていた頃に比べれば、まるで天使のような人格と言えるだろう。
 梓と出会って人格的に成長したというべきか。
「慎二さん。このソフトクリームおいしいですよ」
 店頭販売していたソフトクリームを頬張りながら勧めている美鈴。
「そうか? そいじゃ、俺もひとつ」
 といって、同じものを買って食べ始める慎二。
「うん。うまい!」
「でしょ」
「絞りたてのミルクから作るから、味が濃厚なのよね」
「牛乳もそうだけど、一般の市販の乳製品ってのは高温加熱殺菌するから、成分が変質してしまってどうしても味が落ちてしまうんだよね」
「ここで売っているのは、低温で長時間殺菌しているらしいよ。だから味も濃厚なのね」
 ところで美智子たちにとって慎二は、主人の親友であり客人である。丁重に挨拶を交わし、言葉使いを選ばなければならない立場のはずであった。
 にも関わらず慣れ親しい会話を続けているのには、慎二の人柄によるところが大きいだろう。決して客人という態度を表さずに、常日頃から友人とでも接しているようであった。
 梓もまた、メイド達と慎二との係わり合いを微笑ましいものとして、注意することはなかった。だいたいからして梓自身、慎二を客人と思っていないからだ。
 このひととき、自由時間を楽しんでいた。


 その夜、軽井沢一帯は激しい雷雨に見舞われた。
 折りしも遊びに来ていたクラスメート達にとっては、はじめて経験する豪雨だった。
 梓たちは、リビングでくつろいでいたが、窓に打ち付ける大きな雨音に打ち消されて、会話の声も届かない。
 そして突然の停電。
 一瞬真っ暗闇となったが、すぐにバッテリーによる非常灯に切り替わった。
「停電ね」
 非常灯の薄暗い部屋の中、成り行きを見守るしかない一同。
「大丈夫よ。もうじき自家発電機が動きだすわ」
「自家発電機があるのか」
「落雷による停電は日常茶飯事みたいなもの。しかも一度停電すると、二三日は復旧しないこともある。だから自家発電機が必要なのさ」
 だが、五分経っても停電は復旧しなかった。
 別荘内をメイド達が火の灯ったローソク片手に、行き来している。別に驚いた風でもなく、いつものことといった表情であった。
「どうしたのかしら?」
 その時、電話が鳴った。
「停電なのに、電話機が使えるのか」
「バッテリーが内臓されていますし、回線が切断されていなければ通じます。でも、これは内線みたいですね」
 おもむろに麗華が送受機を取る。
「機械室からです」
 梓邸の地下には、機械室が設置されていた。
 停電時の給電を担う自家発電装置、調理室や各部屋のシャワー・風呂そして冷暖装置に温水を供給するボイラー室などがあり、それぞれに国家資格を持った技術者が待機している。
「電機技師が、まだ帰ってきていない?」
 内線による連絡によると、電機技師が街へ用事で出掛けたものの、途中の道ががけ崩れにあって帰れなくなったというものだった。
 電気技術者がいなければ、自家発電装置の始動もままならなかった。
「がけ崩れ?」
「はい、電話回線も切断されたらしく不通です。衛星電話から連絡がありました」
「つまりこの別荘は孤立してしまったということ?」
「そういうことになりますね」
「じゃあ、自家発電は無理?」
「電機技師による通電試験を行わないと危険ですから……。無理です」
「しようがないなあ……」
 バッテリー供給による非常灯も次第に暗くなって、やがて真の闇夜がやってくる。
 この別荘は都会から遠く隔たれた森深い山間部の中にある。
 隣の別荘は何キロも離れていて遠く、周囲には街灯一つなし。例えあったとしても停電では同じことである。
 雷雨はさらに激しさを増し、嵐の様相を呈してきていた。
 テラス窓の前に佇んで、外の様子を伺っている相沢愛子。
「しかしこんな夜には幽霊がでてもおかしくないかもね」
 と、梓が呟くように応えた。
「出るわよ」
「え?」
 喉の奥底から搾り出すように声を出す梓。
「実は、この別荘が立つ前は……」
「いや! 聞きたくないわ」
 絵利香が耳を塞いだ。
「あはは、絵利香は、幽霊とかオカルトとかいった話しが苦手なのよね」
「百物語をしようよ」
 慎二が提案した。
 すると、
「うん。やろうやろう」
 と、賛同の声があがった。
 青くなる絵利香。
 メイドに人数分のローソクを用意させて、じぶんのテーブルの前に立てた。
 ローソクの揺れる炎に照らされて、各自の表情が不気味に変化する。
「それじゃあ、あたしからね」
 梓が一番乗りした。

↓ 1日1回、クリックして頂ければ励みになります(*^^)v




にほんブログ村 本ブログ 小説へ
にほんブログ村



11

- CafeLog -