梓の非日常/第二部 第二章・宇宙へのいざない(三)野次馬達
2021.05.05

続 梓の非日常/第二章・宇宙へのいざない


(三)野次馬達

 玄関に向かう途中の通路が人ごみで溢れかえっていた。
「こら。おまえら何をしておるか」
「い、いえ。真条寺梓さまがお見えになられていると聞きまして。丁度、休憩中なんで、遠巻きにでも野次馬しようと。はは……」
 さすがに梓の人気は圧倒的なものだった。
 グループの代表に会えるというのは、重役連中でさえそう滅多にあるものではない。ましてや華麗で清楚な十六歳のお嬢さまという噂を聞きつけて、誰しもが一目でも拝見しようと、あちらこちらの部署から集まってきたのである。
「わかった。しかし、あまり騒ぐなよ」
 そんな彼らに愛想うよく、手を振って答える梓。
 さながら敬宮愛子さまがご来訪されたような風景にも似て、カメラまで持ち出してきて撮影しようとする者もいた。
「おい、おまえら。許可なくお嬢様の撮影は禁止だぞ」
「どうしてですか?」
「それは、お嬢様が天使だからだ」
「何ですか、それ?」
「要するにだ。お嬢様はアイドルはじゃないということだ。真条寺グループの総帥たる人物の素顔が世に出ることは避けなければならない。写真に撮れば万が一にも、そのお姿が漏洩する可能性もあるじゃないか。今の世の中、パソコンにデータを置いておけば、いつハッキングされるか判らないからな」
「セキュリティーは万全なのでは?」
「それにだ……。この研究所は、カメラの持ち込み禁止ということを忘れているだろう」
「あ……」
 あわててカメラを隠そうとする研究員。
「遅い! 没収する」
「ああ……」
 カメラを没収されて消沈している。

 梓に近づいて行く研究所所長。
「お嬢様。ようこそ、いらっしゃいました。当研究所所長の角田です」
「はじめまして」
 ぺこりと頭を下げる梓。
「今日はどのようなご用件でお訪ねになられたのでしょうか?」
「いえね。近くを通ったものだから、寄ってみたの」
「そうでしたか、せっかくだから所内を視察されていかれますか? ご案内致します」
「そうですね。お願いします」
 人ごみの中をかき分けて玄関フロアーに現れた人物がいた。篠崎重工社長の姿をみとめて、軽く礼をして話し掛ける梓。
「篠崎のおじさま。おひさしぶりです」
「やあ、お誕生日いらいですな」
「絵利香ちゃんとは何度も会いに伺っているのですが、いつもおじさまはいらっしゃらなくて」
「はは、何かと忙しくてなかなか家によることができませんのですよ」
「絵利香ちゃん、寂しがってますよ。たまの日曜くらい、父娘で食事にでもお出かけになっては?」
「そうですね。いずれそうすることにしましょう。ところで、今日は梓グループの代表として、視察にみえたのですか?」
「いえ。ほんとは近くを通ったついでに寄ってみただけで、視察なんてつもりじゃなかったんですけど。何か大袈裟になっちゃって」
 と、人だかりに視線を移してみせる梓。
「いいんじゃないですか。梓さまに身近でお会いできるのは、グループ内でも重役クラスの大幹部だけですからね。確か、この研究所では所長と副所長だけじゃなかったかな。梓さまにお会いしてるのは。これを機会に、研究職員との親睦を深めるのも一興かと」
「ふふ、そうかも知れませんね。ところで、おじさまは、どのようなご用事でこちらに?」
「財団法人AFCが来年四月に、大容量・超高速通信用の人工衛星『あずさ三号C機』を静止軌道上に打ち上げるのはご存じですか?」
「あずさ三号C機? ですか。知りませんでしたわ」
「代表になられる以前からの計画ですし、相談役の渚さまが推進していますので、お嬢さまがご存じでないのも仕方がありませんかな」
「今は学業の方を優先しなさいって、母はAFCのことをあまり話してくれないんです」
「ははは、とにかくですね。三号C機は改良と最新技術の導入で、先代の三号B機に比べて二十パーセントもペイロードが増えちゃったんですよ。それで打ち上げロケットもこれまでのものが使用できなくなったため、推進力のより大きなロケットが必要になったのです。今後のことも考えあわせて、現在の二倍の推進力を持つロケットエンジンの設計を、この研究所の所員と一緒に開発しているのです」
「エンジンの設計って、大変なんでしょうね」
「そうですね。一ミリにも満たないほどの誤差が原因で、燃焼実験において大爆発、数十億の施設が一瞬でパーになったことがあります」
「へえ!」
「社長、そろそろ」
「ああ、そうですね。お嬢さま、もっとお話ししたいですけど、仕事がありますので、これで失礼します」
「あ、はい。こちらこそ、お時間とらせてしまってすみません。今度機会があったら続きをお話ししてくださいませんか」
「いいですとも。では」
「はい」
 ゆっくりと元来た通路を戻って行く篠崎社長と副所長。
「それでは、お嬢さま。研究所内をご案内いたしましょう。おい! おまえらもそろそろ部署に戻れ」
 所長が、野次馬を追い返し、梓を所内視察へと案内する。

 応接室に戻った篠崎社長が質問する。
「ところで皆さん、梓さまのことをお嬢さまと呼ばれてたようですが、よろしいのですか。仮にも、AFCの代表ですよ」
「篠崎さんこそお嬢さまと呼ばれてらしたじゃないですか」
「はは、私の場合はいいのです。お嬢さまが『篠崎のおじさま』と個人的な呼び方をされたのでね」
「おじさまですか。いいですね、それ。あの可愛い声で、私もそう呼ばれたいですな。ともかく、お嬢さまは、まだ高校生ですし、これから大学にも進学されるでしょう。ご結婚されるか、相談役の渚様が完全引退されるまでは、お嬢さまでいいんじゃないですか」
「なるほどね」


 梓の行く先々では、梓の来訪を知った幹部や研究所員の熱烈な歓迎を受ける。
 それらに笑顔で接して応対を受ける梓だった。
 そして、研究所の中核施設へと入って行く。
 本来なら一般研究員は入ることの出来ない隔離されたブロックだ。
「ここからは、第四セキュリティーレベルです。指紋照合と音声照合が必要です」
 指示されたとおりにセキュリティー認証装置のチェックを受けて、その先に進んで行く梓。
 そこは企業秘密の厚いベールに覆われた人工衛星の開発設計室だった。
 資源探査気象衛星「AZUSA」の六分の一ミニチュアを前に、所員の熱い説明を受けている梓。
「このAZUSAシリーズは、稼動中の三基と予備の二基が軌道上を順次回っています。各種のレーダーで、地表及び地下を探査して資源を調査するのが任務です。その一方では、大気の雲の分布状況や海洋表面温度などの気象観測も守備範囲としています」
「ねえ、あずさって通信衛星じゃありませんでした?」
「ああ、一号機から三号機がひらがなで呼称される通信衛星の『あずさ』で、四号機から六号機がアルファベットで呼称される資源探査気象衛星の『AZUSA』ということになっております。なお、号数の後にBとかCとついているのは、故障したり改良されたりして世代交代した機体であることを意味しています」
「電源は太陽電池ですか?」
「一部補助で太陽電池を使っておりますが、主電源は燃料電池です。ほらこれです」
 所員がミニチュアを指し示して解説してくれる。
「寿命は?」
「そうですね。だいたい電池寿命は三年を目安としておりますが、姿勢制御用噴射ガスの残量も衛星の寿命に影響します。衛星は、ジオイドの変動、塵の衝突、太陽フレアによる地磁気のぶれ、地球自転の章動などによって、軌道や姿勢が変えられてしまいます。そこでガスを噴射して姿勢を元に戻します」
「こらこら、お嬢さまが首を傾げているぞ。難しい専門用語はよせ」
 所長が研究員の話しを止めた。
「あ、申し訳ありませんでした」
 確かにジオイドだの章動だのと言われても、十六歳の少女には理解できない天文知識だった。

「ここは、これくらいでよろしいでしょう。次ぎは衛星の追跡コントロールセンターを紹介しましょう」
「追跡センター?」
「ここから先は第五セキュリティーレベルになります。網膜パターン照合にパスした者だけが、通過できることになっています」
「網膜パターン?」
「お嬢さま、実際にやってごらんになさいますか? すでにお嬢さまの網膜パターンは登録されていますから」
「そうだっけ?」
「十六歳の誕生日に代表に就任した時、ブロンクスの屋敷のセキュリティーセンターで登録したではありませんか」
「ん……そうだったかな」

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