銀河戦記/鳴動編 第一部 第十七章 リンダの憂鬱 Ⅷ
2021.04.01

第十七章 リンダの憂鬱




「諸君、そのまま聞いてくれ」
 と一言置いてから、静かに言葉を紡いでいく。
 食堂は静まり返り、提督の話を聞き漏らさないようにと、耳を澄ましていた。
「すでに諸君らも聞いていると思うが、連邦の艦隊がついに出撃を開始した」
 ざわざわとどよめきが沸き起こる。
 とうとう来たかというため息が漏れる。
「このシャイニング基地には三個艦隊が押し寄せていることが判明した。しかしだからと言って、恐れおののき、慌てふためくことだけはしないで貰いたい。今後の作戦は、これから参謀達と協議して決定するが、すべてを私と配下の有能なる指揮官に委ねて欲しい。私には君達の生命を守り、家族の元へ送り届ける義務がある。無駄死にするような戦いに誘い、悲惨な結果となるようなことは決してしないから安心してくれたまえ。そしていざ戦いとなった時は、己の能力のすべてを引き出してそれぞれの任務を全うして欲しい。諸君の健闘を期待する。以上だ」
 ざわめきが去り、静けさが食堂を覆いつくした。事の重大さに動くものはいなかった。
 それぞれにアレックスの語った内容を吟味しているのであろうか。
「さて、食事だ」
「え? すぐにでも作戦会議を招集するのでは?」
「それは食事の後だ。戦闘の前にはちゃんと腹ごしらえしなくちゃな。それも軍人の責務だ」
「はあ……そういうものでしょうか?」
「そうだよ。食べられる時に食べておくもんさ」
「わたしもご一緒してよろしいですか?」
「ああ、かまわんよ」
 放送を終えて、テーブルに戻ろうとした時だった。
「提督。質問があります」
 一人の下士官が勢い良く手を挙げて立ち上がった。
「何かね。アンドリュー・レイモンド曹長」
「え?」
 いきなり名前と階級を当てられてびっくりしているレイモンド曹長。
「提督は、どうして一介の下士官である自分の名前をご存知なのですか?」
 本来の質問の前に、確認してみる。
「作戦大会議に召集されたにも関わらず寝坊して遅刻し、罰として会議室の後方で立たされた上に、居住区の男子トイレ全部の清掃を命じられた君の事は忘れるはずがなかろう」
 食堂に大爆笑が湧き上がった。
「そ、そんなことまで覚えてらっしゃるのですか?」
「遅刻してきたのは君だけだ。しかもぐっすり眠っていたなんて、よほどの図太い精神を持っていると感心していたのだ。それで覚えていた」
 食堂のあちらこちらから、くすくすという笑い声が聞こえている。
 便所掃除をさせられている当人をからかったりした者もいるだろう。しばらく艦内の話題の人となっていた。そんな思い出し笑いが続いている。
「提督って意外と物覚えがいいんですね」
 フランソワがレイチェルに囁いている。
「あら、知らないの?」
「何がですか?」
「提督の記憶力は艦隊随一なのよ。一度覚えた将兵の顔と名前は絶対に忘れないわ」
「え? お姉さまが一番じゃなかったんですか」
「一応そういうことになってるだけ。記憶力はパトリシアの十倍以上は軽くあるんじゃないかしら」
「う、うそでしょ?」
「計算能力でも、艦隊一と言われているジェシカをはるかに凌いでいるのよ。類まれなる記憶力と計算処理能力があってこそ、不時遭遇会戦での突然の敵艦隊との戦闘が起こっても、あれだけの完璧な作戦を考え出し、見事な勝利へと導いてくれることができるのよ」
「知りませんでした」
「いいこと、この事は他言無用よ。提督はご自身の自慢話になるようなことはあまり公表されたくないらしいの。艦隊参謀長の副官であるあなただから教えてあげたのだから」
「判りました」

 さすがに情報参謀のレイチェルだと実感したフランソワであった。自分の素性のすべても把握されているんじゃないかしらと少し不安にもなる。がどうなるでもなし、取りあえずは意外な提督の素性を知ったことを胸にしまって置くことにした。
 フランソワとレイチェルが小声で囁きあっている間、レイモンド曹長は顔を赤らめその時の状況を思い起こしているようだった。
 頭を掻きながら謝るレイモンド。
「そ、そうでしたか……その件では申し訳ありませんでした」
「それはいい、もう済んだことだ。質問を続けたまえ」
「あ……は、はい」
 敵艦隊の来襲を告げられて緊迫感に押し潰されそうだった乗員達だったが、二人のやりとりですっかりリラックスしてきていた。
 それはアレックスが場の雰囲気を和ませようと、とっさに機転を利かした話題転換だったのである。
「たった今、三個艦隊もの敵艦隊が押し寄せてきていることを伺いました。提督はいかがなされるおつもりですか? この後参謀達を交えて具体的な作戦を練られると思いますが、作戦会議においては事前に提督ご自身の考えをいつも用意していると聞きうけております。今回の場合も、すでに作戦の概要をまとめておられるのではないですか? できればこの場で率直なご意見をお伺いできないでしょうか?」
 別の隊員が乗り出すようにして尋ねる。
「徹底抗戦ですか? 策略を巡らしての奇襲ですか? それとも撤退しますか?」
 他の隊員達も思いは同じようで、聞き漏らさないようにと聞き耳を立てているようであった。
「残念だが、今はまだ君達に言えることは何もない。不確かなことをここで言っても不安を駆り立てる結果となるだけだからだ。いずれ作戦が本決まりになれば、君達に発表するからそれまでおとなしく待っていてくれたまえ」
「提督のことを、私達は信じております。提督が何時如何なる時も私達のために、精進努力してらっしゃることも重々承知しております。しかしこの情勢下にあっては、少なからず不安を抱いております。せめて、攻めるのか守るのかだけでも知ることが出来れば、安心して枕を高くして眠れるというものです」
 枕を高くして眠るという言葉が、宇宙でどれほどの意味があることなのかを理解して使ったのではないだろうが、本人にしてみればぐっすり眠れるという単純な意味合いだろうと思う。
「曹長、提督をこれ以上、困らせないでください。いずれ作戦は発表されます。おとなしく待っていてあげてください」
 レイチェルがやんわりとたしなめた。
 こういった場を収めるのは、レイチェルの得意であった。乗員達の間のもめごとや騒乱を丸く治めることも主計科の任務の範疇に入っている。
 憧れの的でもあるレイチェルに、そう言われればおとなしく引き下がるよりなかった。
 女性士官達だけでなく、男性士官達の間でもレイチェルの人気は抜群だったのである。
 やがて食堂内は、いつものざわめきが戻り始めていた。
 アレックスを信じ、すべてを任せよう。
 絶大なる信頼関係に裏打ちされた上官と部下達との心温まる食堂での一件であった。

「ところでレイチェル」
 アレックスが小声で囁く。
「リンダの事、ありがとう」
「いいえ。どう致しまして」

 第十七章 了

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2021.04.01 13:13 | 固定リンク | 第一部 | コメント (0)

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