思いはるかな甲子園~父親来店~
2021.06.28

思いはるかな甲子園


■ 父親来店 ■

 レストランの前を通りかかるベンツ。
「社長。こちらのレストランのようです」
 後部座席の窓から顔をだしてレストラン前景を見る父親。
「そうか……石井。駐車場に入ってくれ」
「はい。かしこまりました」
 ベンツはウィンカーを出して駐車場に入っていく。
 停車したベンツから降りて来た一行は、それぞれレストランを眺めている。
「昼時を過ぎていますから、この時間帯は空いているでしょう」
 というのは社長秘書の竜崎麗香である。
「そうだな。今なら梓の邪魔にならないだろう」

「いらっしゃいませ」
 一行が入ると一斉に声がかかる。
「うん。あそこの席にしよう」
 開いている窓際の席に座る一行。
 仕事先などで商談以外でレストランで食事をする時は、運転手の石井も同席するのが常であった。父親は使用人だからというこだわりを持っていない。それに相席することで、他のお客の迷惑をかけない配慮でもある。
「いらっしゃいませ」
 ウェイトレスがトレーに乗せて水を持ってきた。
 それぞれの前にコップを置いてから、メニューを差し出す。
「メニューです。お決まりになりましたらお呼び下さい。では、ごゆっくりと」
 と一礼して下がっていく。
「お父さん!」
 父親の姿を見つけて驚く梓。
「おお! 梓か」
「どうしたの?」
「近くを通ったものだから。食事がてら梓の仕事ぶりを拝見しようと思ってね」
「もう……」
「社長……」
 麗香が自分の服の襟を軽くつまみながら梓の方に視線を送った。
(ああ、そうか……)
 麗香の合図が判った父親は、娘のユニフォーム姿を眺めてから、
「その制服、似合っているじゃないか。可愛いよ」
 とその姿を誉めた。
 麗香は自分より、父親に誉めて貰ったほうが、より効果があると判断したのである。
「あ、ありがとう」
 顔を少し赤らめる梓。
「梓、悪いがお店の責任者のところに案内してくれないか」
「ええ? どうするの」
「決まっているじゃないか。挨拶だよ。娘が働いているんだ、父親としてちゃんと挨拶するのが、礼儀ってものだよ」
「い、いいわよ。そんな事しなくても」
「梓。一つ注意しておくよ。今日の私は父親としてよりも、客として来ているんだ。
その客が会わせてくれと言ってるんだ。案内するのが当然だろ。公私混同はいけないよ」
 社長という経営者側に立つ父親だけに、例え娘でもその勤務態度を黙っておられずに注意する。
「ごめ……も、申し訳ありませんでした……ご案内致します」
「うん。ああ、君達はメニューを決めておいてくれ。私は店長お勧め品で頼む」
「かしこまりました」
「じゃあ、梓、頼む」
 立ち上がる父親。
「はい。こちらです」

 オフィス前でドアをノックする梓。
「どうぞ」
 中から返事があって、父親を連れて入る。
「あら、梓さん。そちらの方は?」
「はい。わたしの父です。ご挨拶に伺いました」
「お父様でいらっしゃいましたか。マネージャーの深川と申します。どうぞ、こちらへ」
 隣の部屋の応接室に案内するマネージャー。
「梓さん、来客用のお茶をお出ししてください」
「はい。かしこまりました」
「いや、それは遠慮しますよ。連れの者達と食事に来ていますので」
「そうでしたか。では、梓さんは、お仕事に戻ってください。お父様と二人だけでお話ししますから」
「悪いな、梓。そうしてくれ」
「はい」
 これから話される内容が気になるが、二人に出ていけと言われればそうするしかない。
「失礼します」
 そっと退室する梓。

「ねえ、ねえ。今の梓ちゃんのお父さんだよね」
 絵利香が寄って来て話し掛ける。今は余裕があるので、フロアの状況を見つめながら、おしゃべりする。
「そうよ」
「マネージャーに挨拶に来たのね」
「うん」
「娘の様子を見に来るなんて、愛されている証拠ね」
「そうかな……」
「そうよ。わたしのお父さんも、いつか来るかな……」
「来ると思うよ。絵利香ちゃんの大好きなお父さんでしょ。うちのお父さんみたいに心配しているよ。だからね」
「そうだね」

 やがて父親がフロアに戻って来る。

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