特務捜査官レディー(三十二)性転換
2021.08.05

特務捜査官レディー
(響子そして/サイドストーリー)


(三十二)去勢手術

 黒沢医師の言った【あそこ】とは、黒沢産婦人科病院の地下施設である。
 いわゆる闇病院として非合法的な治療を行っている。

「お、重いよお」
 男達を運ぶのを手伝われる真樹。
 敬が上半身を支えて、真樹が足を持って、黒沢医師が持ってきた患者用移送ベッド
に乗せている。真樹に万が一のことがあった時のために用意していたようだ。
「なさけないなあ……。これくらいで根を上げるとは」
「なによお。わたしは女の子なのよ、少しは気遣ってよ」
 幼少の頃から女性として暮らしてきた非力な真樹にはつらいものがあった。
 体格は完全に女性の身体つきをしているのだ。
 筋肉よりも脂肪の方が多く、腕を曲げてみても二の腕に力こぶすらできない。
「へいへい。確かに女の子でしたね」
 敬もそのことは良く知っているが、ふざけて言っているのである。
「もう……」
 ふくれっ面を見せる真樹。
「おいおい。いちゃついてないで、早く運んでくれ」
 黒沢医師がせっついている。
「いちゃついてないもん!」
「判った。判ったから早くしてくれ」

 ともかく部屋から地下駐車場までの間を、四人分都合四回もエレベーターの昇降を
繰り返す。途中数人の通行人と鉢合わせたが、こういう所に出入りする人間は、事な
かれ主義のものが多いので、いぶかしがりながらも黙認するように態度をみせて、そ
れぞれの目的の場所へと移動していく。最悪となれば、二人が持っている警察手帳を
見せればいいのだ。
 地下駐車場には、黒沢医師の助手が救急車で迎えに来ていた。
「よし。無事に運び終わったな」
 何とか男達を救急車に乗せ終わった。
「それじゃあ、先生。わたしはここで帰ります」
 美智子が別れることになった。
 真樹の救出を終えたところで用事は済んでいた。
「悪かったね。こいつらからアジトを聞き出したら、またお願いするかもしれないの
で、その時はよろしく」
「判りました。麗華様にはそう伝えておきます。では」
 レース仕様の重低音のエンジンを轟かせながら、美智子の運転するスーパーカーが
立ち去っていった。
「それじゃあ、私達も行くとしよう」
 黒沢医師の言葉を受けて、男達と一緒に救急車に乗り込む。
 前部の運転席には助手と先生とが座り、後部の救急治療部に適当に寝転がせた男達
と敬と真樹が乗り込んだ。
「狭いわ」
「我慢してくれ。すぐに着くから」
 救急車である。
 当然サイレンを鳴らしながら走り出す。男達が目を覚ます前に目的地に到着しなけ
ればならないからである。
 赤信号を注意しながら走りぬけ、混んでいる道も反対車線を難なく走り続けていく。
 そしてものの十数分で目的地に到着したのである。
「さすがに救急車だわ、早いわね。急用があったら乗せてもらおうかしら」
 事も無げに真樹が言うと、敬がたしなめるように答える。
「あのなあ……。無理言うなよ」
「言ってみただけじゃない」
「お帰りなさいませ」
 病院に勤務する医師や看護婦が出迎えていた。
「先生、手術の準備は完了しています」
「よし。男達を降ろして中へ運び入れる。裸の二人とこいつは睾丸摘出して、例の場
所へ移送してくれ」
「判りました」
 先生が指示したのは男優二人とカメラマンだった。
 どうやらここにいる医師団によって分業で同時に手術するようだ。
「たまたま……取っちゃうんですか?」
「ああ、これまでの悪行の罪を償ってもらう。盗聴していた会話を聞いていれば、罪
のない素人の女性を無理矢理強姦生撮りAV嬢に仕立て上げたり、散々な酷いことを
重ねていたようだからな」
「例の場所ってどこですか?」
「決まっているだろう。玉抜きした人間の行き着く場所は一つだよ。裏のゲイ組織で
働いてもらうのさ。まあ、よほどのことがない限り、そこから出ることはできないだ
ろう」
「ちょっと可哀想ね」
「同情かね。敬が飛び込まなければ、こいつらに犯されていたんだぞ」
「そ、それは……」
 言葉に詰まる真樹。
 法の番人の警察官として、ちゃんと裁きに掛けるのが筋だと思っているからである。
このような私刑というべき行為は許されていないのではないか……。
「私は、こいつを担当する」
 指差したのは、真樹をあの雑居ビルに連れ込んで、AVビデオを撮ろうとした勧誘
員だ。男達のリーダー的存在だった奴。
「やっぱり、たまたま取っちゃうのですか?」
「いや、こいつには別の手段を使う。何せ、売春組織のことを洗いざらい吐いてもら
わなければならないからな。組織のことを知っているのは、こいつだけだろうから
な」
「どんな手段ですか?」
「まあ、見ていたまえ」
 そう言って、含み笑いを浮かべたかと思うと、勧誘員を乗せた移送台を押して病院
の中へと入っていった。
 真樹と敬もその後に続いて行く。


 その勧誘員を運び込んだ部屋は、産婦人科で使われるあの診察台のある部屋だった。
「手伝ってくれ。こいつを診察台に乗せるんだ」
 言われるままに勧誘員を診察台に乗せるのを手伝う二人。
「そうしたら、こいつの手足を台に縛り付ける」
 両腕を台に縛りつけ、両足を足台に乗せた状態にして、動けないように固定する。
「よし、準備完了だ。目を覚まさせよう」
 薬品棚から瓶を取り出して、ガーゼに含ませている。
「気付け薬ですか?」
「そういうこと」
 そのガーゼを勧誘員の鼻先に近づけると……。
「ううっ!」
 といううめき声を上げて目を覚ました。
「こ、ここはどこだ?」
 開口一番、ありきたりな質問だった。
 まあ、それ以外には言いようがないだろうが。
 そして診察台に固定されていることに気づいて、縛られている状態から抜けようと
して盛んに身体を動かしていた。
 しかし無駄な行為だった。
「とある病院だよ」
「俺を、どうするつもりだ?」
「貴様が売春婦の斡旋業をしていることは判っているのだ。若い女性を『アイドルに
してあげよう』とか言葉巧みに誘い込んで、強姦生撮りビデオを撮影していた。そし
て、その後には売春組織に売り渡していたこともな」
「そ、それは……」
 図星を言い当てられて言葉に窮する勧誘員。
「これまでに侵した罪を償ってもらうことにする」
「な、何をするつもりだ?」
「強姦された挙げくに売春婦にされてしまった罪もない女性たちの苦しみをおまえに
も味わってもらうことにする」
「どういうことだ」
「おまえを女に性転換して、売春婦として一生を惨めに生きてもらうのさ」
「性転換だ……。売春婦だと? 馬鹿なことを言うな」
「信じたくもないだろうがな……」
 と言いながら再び薬品棚から別な薬剤の入ったアンプルを持ち出してくる黒沢医師。
「さて……。これが何か判るか?」
 アンプルを取り出して、その中の薬剤を注射器に移している。
「な、なんだ?」
「究極の性転換薬だ」
「性転換薬だと? 嘘も休み休み言え!」
「信じられんだろうな。だが、明日の朝になれば真実かどうか判る。その目で確認す
るんだな」
 その声は相手を脅すには十分過ぎるほどの重厚な響きを伴っていた。
「や、やめてくれ!」
 診察台に縛り付けられて、どこからともなく漂ってくる薬剤の匂い。明らかに病院
の中だと判る場所。
 そんな所で言われれば、さすがに本当なのかと思い始めているようだった。
「た、たのむ。何でも言う事を聞く。組織のことも喋る。おまえら警察だろう?」
 勧誘員の声は震え、懇願調になっていた。
「無駄だよ。お前の運命は決まってしまったんだ」
「本当だ。嘘は言わない。組織のことを喋る。おまえらそれが知りたいんだろう?」
 しかし、冷酷な表情を浮かべて、押し殺すような声の黒沢医師。
「諦めるんだな」
 そいういうと、注射を勧誘員の腕に刺した。
「やめろー!」
 黒沢医師が止めるはずもなかった。
 注射器のシリンダーが押し込まれ、薬剤が勧誘員の体内へと注入されていく。
「い、いやだ……やめて……くれ」
 勧誘員の声が途切れ途切れになり、そしてそのまま意識を失ってしまったようだ。

「どうしたんですか?」
 真樹が近づいて尋ねる。
「薬剤の中に睡眠薬を入れておいた。明日の朝まではぐっすりだ。逃げられないよう
に、このままの状態で置いておく」
「睡眠薬? 性転換薬じゃなかったのですか?」
「睡眠薬も入っているということだ。性転換薬というのは本当だ」
「冗談でしょう?」
 真樹は麻薬取締官であると同時に薬剤師でもある。
 現在市場に流通している薬剤のことならすべて知っている。
 性転換薬など、許認可されてもいなければ、開発されたという噂すら聞いたことも
ない。
「私の運営している会社は知っているだろう?」
「もちろんです。医者は副業、本職は薬剤メーカーの社長さんですよね」
「その通りだ」
「まさか、開発に成功されたのですか?」
「いや、奴に射ったのは試験薬だ。人間に投与しての臨床試験に入っていない」
「まさか、この男で人体実験を?」
 敬が核心に触れるように言った。
 意外なところで他人の心を読み取ることがある。
「あはは、その通りだ。何せ、臨床試験しようにも、出来る訳がないだろう? 女に
なりたいという人間は数多くいても、どうなるかも知れない怪しげなる薬を試してみ
ようという人間はいないさ。もっと確実に性転換できる手術が発達しているからな」
「なるほど……」
「明日の朝っておっしゃってましたけど……」
「ああ、動物実験から類推するに人間なら一晩で可能なはずだ」
「本当にできるのでしょうか?」
「だから、人体実験だよ。明日が楽しみだ」
 といって笑い出す先生だった。
「そんな……」
「まあ、興味があって成果を見たいなら明日来てみるんだな。成功か失敗か、いずれ
にしても面白いものが見られるはずだ」
「見に来ます! 乗りかかった船ですよ。最後まで見届けたいです」
「いいだろう。明日の午前九時にきたまえ。囮捜査のことで、明日も出勤日ではない
のだろう」
「はい。明日の九時ですね。必ず参ります」

 というわけで、奇妙なる性転換薬というものの存在を知り、もっと早くこれが完成
していて自分がそれを使うことが出来ていたら……。
 心底そう思う真樹だった。

↓ 1日1回、クリックして頂ければ励みになります(*^^)v




にほんブログ村 本ブログ 小説へ
にほんブログ村



11
特務捜査官レディー(三十一)雑居ビル
2021.08.04

特務捜査官レディー・特別編
(響子そして/サイドストーリー)


(三十一)雑居ビル

 勧誘員が案内したのはどこにでもありそうな雑居ビルの一つだった。
 雑居ビルでは当然ともいうべき小汚い通路からエレベーターに乗って上へと向かう。
 車のなかにおいてもそうだが、怪しい男と二人きり、狭い場所に閉じ込められた状
態というのは息苦しいものである。勧誘は時折ちらちらとこちらの胸や足元にいやら
しい視線を投げかける。
 どの階でもいいから早く止まれ!
 女性なら誰しも思うだろう。
 やがてエレベーターは七階で止まった。
 相変わらず小汚い通路だ。どの階も同じなのだろう。
 火災とか起きたときの避難路とかは大丈夫かしらね……。

「ここだ」
 勧誘員が立ち止まったのは705というプレートの貼られた扉の前。
 ”エンジェルカンパニー”というどこにでもありそうなありきたりの企業名らしき
看板……というかシールが貼られていた。
 エンジェルカンパニー?
 あまりにも俗すぎて思わず噴出しそうになる。
 ○○カンパニーとか○○企画とかいうのはこの業界でよく使われる名前だ。
 その営業場所は、こういった雑居ビルやワンルームマンションなどである。
 決して一所で長期間も事務所や店を構えることはせずに、警察の摘発を避けるため
に転々と居場所を変えていくのである。また警察内部の事情に詳しくて、摘発情報を
売る情報屋などというものの存在もある。
「そういえば、あの刑事……今頃どうしているかしらね」
 佐伯薫として生活安全局の警察官としてAV業界の摘発を行っていた頃を思い出し
た。
 その刑事は、こういった場所や裏ビデオショップとかブルセラショップとかに出入
りしては、摘発情報を教えては幾ばくかの情報料をせびる悪徳刑事だった。ついでに
裏ビデオとかもただでくすね取る奴だった。裏事情に詳しく店を変えても執拗に居場
所を探し出してしまう。そいつに逆らってはこの業界では食っていけなくなるので、
店主達は仕方なくいいなりになっていた。
 こういった組織やその背後にある暴力団とかと密接に関わって、甘い汁を吸おうと
する悪徳刑事はいくらでもいる。
 摘発屋からの情報と背後関係とかを極秘裏に調べ上げて、その組織と刑事を逮捕に
至ったのである。懲戒免職の上、地方裁判所にて懲役5年の刑が下され、控訴したと
聞いたがその後の事は判らない。
「入りたまえ」
 勧誘員がドアを開けて中へと誘う。
 中へ入ると、ドアに鍵を掛けた。
 だろうね。
 こんな所に入ってこられると困るだろう。

「今、カメラマンを呼んでいるところだ。しばらく待っていてくれないか」
 応接セットを指差して、流し台のある方に行ったかと思うと、カップを持って戻っ
てきた。
「まあ、コーヒーでも飲みながら雑誌でも読んでいてくれ」
 と、持ってきたコーヒーカップとアイドル情報が載っている雑誌を、目の前のテー
ブルの上に置いた。
「コーヒーか……」
 おそらく睡眠薬が入っていると思われる。
 準備が整うまで眠らせておこうという魂胆である。
 これからこの男と、おっつけやってくる組織員とによって、繰り広げられるだろう
場面が想定された。
「素人本番シリーズ! 強姦生撮り! 奪われた処女!!」
 とかいったタイトルが付けられるだろうAV撮影場面である。
 誘いこんだ女性を身動きできないようにしておいて、本番の強姦シーンを撮影しよ
うというのである。
 それは女性が目を覚ましてから撮影が開始される。眠っていては迫力ある強姦シー
ンなどあり得ないからである。
 もちろん女性はまさしく強姦されるわけだから、逃げようとし必死で泣き叫ぶだろ
う。
 そんなことはお構いなしに、犯され苦痛にゆがむ様を生撮りしていくのである。
 強姦マニアにはよだれもののAVビデオの出来上がりである。
 撮影が終われば、
「言う事を聞かないと、今撮影したビデオをAV業界に売り渡すぞ」
 とか脅迫して口止めとすると共に、次なる段階である売春婦の道へといざなうのだ。
 女性が言う事を聞いて売春婦となるもならないも、結局ビデオは売られてしまうの
だ。

(五十四)睡眠薬

 それでも言う事を聞かない女性には、覚醒剤である。
 奴らの本当の目的は売春婦を斡旋することであり、AVビデオは副業として行って
いることなのだ。
 目の前に置かれた睡眠薬の入ったコーヒー。
 さて、どうするべきか……。
 飲まなければ、いつまで経っても先に進まない。
 覚醒剤の中和剤を投与しており、これは睡眠薬に対しても効果がある。
 だから薬で眠らされることはないのだが、眠っている振りをするのも、果たして上
手くいくかが問題だった。
 まあ、何とかなるでしょう。
 コーヒーカップを手に取って飲んでいく。
 コーヒーの独特の苦味によって、薬の味はかき消されている。
 コーヒーに含まれるカフェインは本来覚醒作用のあるものだが、睡眠薬の方が強力
なのでやがて眠りへと入っていく。
「あれ……。何だか眠くなってきたな……」
 いかに中和剤を飲んでいるとはいえ、完全に睡眠薬の効果を遮断することは不可能
だ。ある程度は効果が現れてしまう。
 そもそもこの囮捜査に際して、緊張と興奮によってここしばらく不眠状態が続いて
いたのである。睡眠不足と睡眠薬との相乗によって、いつしかまどろみを感じはじめ
ていた。
「まあ、いいわ。どうせ、組織員がやってくるまではしばらく時間がかかるだろうし
……」
 それに、今この状況は敬にも聞こえているはずだから……。
 というわけで、ちょっとばかし眠らせてもらうことにした。

 その頃。
 敬は、スーパーカーの中で真樹の髪飾りに仕込まれている盗聴器から届けられる音
声に聞き耳を立てると共に、車載のナビゲーションシステムに釘付けになっていた。
 真条寺家のメイドである神田美智子が持ってきたこのスーパーカーには、最新式の
ナビゲーションシステムが搭載されている。
 上空の衛星軌道にあるスパイ衛星や通信衛星に接続され、ありとあらゆる情報がリ
アルタイムで判るのである。
「今映っているのは、真樹さんのいる部屋の透視映像です。二つの生命反応が見られ
ます。この動いているのが勧誘員でしょう。そしてこちらの動かない点が真樹さんだ
と思われます」
 生きている人間はもちろんのこと物質であるものはすべて、常に熱を発生して目に
見えない遠赤外線や電波を出している。それはコンクリートの壁を透過してしまうほ
どのもので、その遠赤外線や電波を軌道上にある三つの衛星を使って三点透視図法的
に画像処理すれば、どんな場所でも3Dな映像として現わすことができるというわけ
だ。また人間は電気を通す導体でもあるから、地球地磁気の中で動き回ればフレミン
グの法則どおりに電場も生じる。それらの極微弱な電流変動さえをも見逃さずに感知
できる、完璧な究極の探知システムである。そんな最新鋭のシステムの端末がこの車
には搭載されているのである。それらはすべて、真条寺家当主である「梓」の生命を
守るために開発されたセキュリティーシステムの一部で、その一部を間借りして使わ
せてもらっているのである。もちろんそのために梓の専属メイドの神田美智子が同行
してきているのである。参照*梓の非日常より
「動かない?」
「先ほどの会話を聞いていなかったのか? 出されたコーヒーは当然睡眠薬入りだろ
う。薬が効いて眠ってしまったか、眠った振りをしているかのどちらかだ」
 黒沢医師が解説する。
「なるほど……」
「とにかく奴らの仲間が来るまでは安全だろう。何にしても部屋の様子はこうして手
に取るように判るのだ。とにかく、気長に待つしかないだろう」
 敬としても判りきっていることである。
 奴は覚醒剤を所持しているはずである。
 それだけでもとっ掴まえる材料にはなるが、仲間をも一緒にまとめてしまったほう
が、後々のためにもなる。
 だいいち令状もなしに踏み込むことなどできないじゃないか……。
 とはいえ、恋人である真樹を渦中の只中に置いていることには心中ただならぬもの
があるのだ。今すぐにでも駆け込んで真樹を救出したいという気持ちで一杯であった。
「まあ、何にせよだ。真樹ちゃんは、身に降りかかるであろうすべてを承知の上で頑
張っているのだ。恋人としてやるせない気持ちは理解できるが、彼女が成果を挙げる
までは、ここから見守ってやろうじゃないか」
 その時、美智子が突然叫んだ。
「あ! 不審な車が駐車場に入っていきます」
「どれどれ?」
 黒沢医師と敬がナビゲーターに目を移す。
 黒フィルムを全面に張って中を見えなくした車が地下駐車場に入っていくところだ
った。
「いよいよだな」

(五十四)睡眠薬

 それでも言う事を聞かない女性には、覚醒剤である。
 奴らの本当の目的は売春婦を斡旋することであり、AVビデオは副業として行って
いることなのだ。
 目の前に置かれた睡眠薬の入ったコーヒー。
 さて、どうするべきか……。
 飲まなければ、いつまで経っても先に進まない。
 覚醒剤の中和剤を投与しており、これは睡眠薬に対しても効果がある。
 だから薬で眠らされることはないのだが、眠っている振りをするのも、果たして上
手くいくかが問題だった。
 まあ、何とかなるでしょう。
 コーヒーカップを手に取って飲んでいく。
 コーヒーの独特の苦味によって、薬の味はかき消されている。
 コーヒーに含まれるカフェインは本来覚醒作用のあるものだが、睡眠薬の方が強力
なのでやがて眠りへと入っていく。
「あれ……。何だか眠くなってきたな……」
 いかに中和剤を飲んでいるとはいえ、完全に睡眠薬の効果を遮断することは不可能
だ。ある程度は効果が現れてしまう。
 そもそもこの囮捜査に際して、緊張と興奮によってここしばらく不眠状態が続いて
いたのである。睡眠不足と睡眠薬との相乗によって、いつしかまどろみを感じはじめ
ていた。
「まあ、いいわ。どうせ、組織員がやってくるまではしばらく時間がかかるだろうし
……」
 それに、今この状況は敬にも聞こえているはずだから……。
 というわけで、ちょっとばかし眠らせてもらうことにした。

 その頃。
 敬は、スーパーカーの中で真樹の髪飾りに仕込まれている盗聴器から届けられる音
声に聞き耳を立てると共に、車載のナビゲーションシステムに釘付けになっていた。
 真条寺家のメイドである神田美智子が持ってきたこのスーパーカーには、最新式の
ナビゲーションシステムが搭載されている。
 上空の衛星軌道にあるスパイ衛星や通信衛星に接続され、ありとあらゆる情報がリ
アルタイムで判るのである。
「今映っているのは、真樹さんのいる部屋の透視映像です。二つの生命反応が見られ
ます。この動いているのが勧誘員でしょう。そしてこちらの動かない点が真樹さんだ
と思われます」
 生きている人間はもちろんのこと物質であるものはすべて、常に熱を発生して目に
見えない遠赤外線や電波を出している。それはコンクリートの壁を透過してしまうほ
どのもので、その遠赤外線や電波を軌道上にある三つの衛星を使って三点透視図法的
に画像処理すれば、どんな場所でも3Dな映像として現わすことができるというわけ
だ。また人間は電気を通す導体でもあるから、地球地磁気の中で動き回ればフレミン
グの法則どおりに電場も生じる。それらの極微弱な電流変動さえをも見逃さずに感知
できる、完璧な究極の探知システムである。そんな最新鋭のシステムの端末がこの車
には搭載されているのである。それらはすべて、真条寺家当主である「梓」の生命を
守るために開発されたセキュリティーシステムの一部で、その一部を間借りして使わ
せてもらっているのである。もちろんそのために梓の専属メイドの神田美智子が同行
してきているのである。参照*梓の非日常より
「動かない?」
「先ほどの会話を聞いていなかったのか? 出されたコーヒーは当然睡眠薬入りだろ
う。薬が効いて眠ってしまったか、眠った振りをしているかのどちらかだ」
 黒沢医師が解説する。
「なるほど……」
「とにかく奴らの仲間が来るまでは安全だろう。何にしても部屋の様子はこうして手
に取るように判るのだ。とにかく、気長に待つしかないだろう」
 敬としても判りきっていることである。
 奴は覚醒剤を所持しているはずである。
 それだけでもとっ掴まえる材料にはなるが、仲間をも一緒にまとめてしまったほう
が、後々のためにもなる。
 だいいち令状もなしに踏み込むことなどできないじゃないか……。
 とはいえ、恋人である真樹を渦中の只中に置いていることには心中ただならぬもの
があるのだ。今すぐにでも駆け込んで真樹を救出したいという気持ちで一杯であった。
「まあ、何にせよだ。真樹ちゃんは、身に降りかかるであろうすべてを承知の上で頑
張っているのだ。恋人としてやるせない気持ちは理解できるが、彼女が成果を挙げる
までは、ここから見守ってやろうじゃないか」
 その時、美智子が突然叫んだ。
「あ! 不審な車が駐車場に入っていきます」
「どれどれ?」
 黒沢医師と敬がナビゲーターに目を移す。
 黒フィルムを全面に張って中を見えなくした車が地下駐車場に入っていくところだ
った。
「いよいよだな」

(五十五)強姦生撮り

 それからしばらくして、例の透視映像に三つの点滅が増えた。
 そして真樹のそばに近づいていった。
「一人はビデオカメラマンで、後の二人は……おそらく男優だろうな」
 と、ぽつりと黒沢医師が呟いた。
 強姦生撮り撮影が開始されるというわけである。
 男優一人では強姦生撮りは難しい。女性が必死で抵抗すれば事を成されることを防
ぐこともできる。
 そこで抵抗する女性を押さえつける役も必要というわけであろう。気絶させては迫
力ある強姦シーンにはならないからだ。
 あくまで泣き叫ぶ女性の姿が欲しい!
 というところだ。

 つと敬が腰を上げた。
「行くのか?」
 それには答えずに黙って車から降りて雑居ビルの方へと一人歩き出した。
「しようがないな……。まあ、恋人が犯されるのを黙ってみている訳にもいかないか
……」
 それを眺めて美智子が尋ねる。
「行かせてよろしいのでしょうか? 当初の予定ではここから売春組織のあるアジト
まで案内させるはずでしたよね。今踏み込んでしまえば、その機会を失うことになる
のではないでしょうか。彼らを捕らえたところで、そう簡単には組織を売るようなこ
とはしないでしょう」
「まあな。通常の手段で、奴らのアジトを吐かせることは無理だろう」
「では、なぜ?」
「私に考えがある。否が応でも吐きたくなるような方法をね」
 と言って、黒沢医師も車を降りて敬の後を追った。
 一人残された美智子。
「もう……。わたしは何のために来たのか……」
 実は、相手を策略に掛けてアジトを探し出し、売春組織を壊滅させる。
 そんなスリリングな期待を抱いていたのである。
 ここで踏み込んでしまえばそれでおしまいである。
「つまらないわ……」
 ぼそっと呟いて苦虫を潰したような表情の美智子であった。

 雑居ビルの一室。
 ベッドの上で眠っているその周囲でカメラ機材を並べている男達がいる。
 部屋の隅では男優とおぼしき男二人が服を脱いでいる。
 その傍らで勧誘員が説明をしている。
「今日は強姦生撮り撮影だ。女が目を覚ましたところからはじめるぞ。いつも通りに、
女が泣き叫ぼうがなんだろうが、構わずにやってしまえ!」
「女は処女ですか?」
「いや、そうでもなさそうだ」
「ちぇっ、それは残念だ」
「ふふん。で、今日はどっちが先にやるんだ?」
「今日は、俺からっすよ。前回はこいつでしたからね」
「しかし今日のは、ずいぶん綺麗な女じゃないですか。前回のはひどかったですから
ね。仕事だから仕方なくやりましたけど」
「だめっすよ。交代はしませんからね」
「とにかく一ラウンド目はいつも通り。ニラウンド目は、覚醒剤を打って淫乱女風に
なった状態で撮る」

 そんな男達の会話を、真樹は目を覚ました状態で聞いていた。
 うとうとと眠ってしまったが、男達が周りで動き回る音に目を覚ましたのである。
「ひどいことを言ってるわね……」
 覚悟していたとはいえ、いざ男達に取り囲まれ、強姦生撮りされると思うと、さす
がに緊張は極度に高ぶっていた。
 しかし、それもこれもより多くの女性たちを救うための人身御供である。
 何とかこの試練に耐えて、奴らのアジトに潜入しなければならないのである。
 身が引き締まる思いであった。

「よし! ビデオの準備OKだ。はじめてくれ!」

 その合図で、男優達が動き出した。
 真樹の横たわっているベッドに這い上がってきた。
「きた!」
 思わず身を硬くする真樹であった。

(五十六)手を上げろ!

 きしきしとベッドが鳴る。
 男優がすぐ間近に近づいてくる。
 さすがに心臓が早鐘のように鳴り始める。
 あ……ああ。
 捜査のための囮とはいえ、やはり後悔の念がまるでないとは言えない。
 ごめん、敬……。
 貞操を汚されることにたいして、敬には許してもらいたくも、もらえるものではな
いだろう。
 ごめん、敬……。
 何度も心の中で謝り続けていた。

 そしてついに男が身体の上にのしかかってきた。
「おい。頬を引っ叩いて目覚めさせろ。眠っていちゃ、いい映像が撮れねえよ」
 カメラマンが忠告する。
「判った」
 ちょっとお、わたしは敬はおろか、母親にだってぶたれたことないのよ。

 その時だった。
 部屋の扉がどんどんと叩かれたのだ。
「なんだ?」
 一斉に扉の方に振り向く男達。
 そして次の瞬間。
 扉がバーン! と勢い良く開いて……。
 敬だった。
「何だ! 貴様は?」
「おまえらに答える名前はない」
 と背広の内側から取り出したもの。
 拳銃だった。
 え?
 敬、それはやばいよ。
 ここはアメリカじゃないのよ。日本なのよ。
 取り出したのはS&W M29 44マグナムだ。
 敬の愛用の回転式拳銃である。
 その銃口が男達に向けられている。
 さすがに男達も驚き後ずさりしている。
「か弱き女性に手を掛ける極悪非道のお前達に天罰を加える」
 と、問答無用に引き金を引いた。
 一発の銃声が轟いた……。
 ……はずだったが、銃声がまるで違った。
 実弾はこんな音はしないだが……。
 振り向いてみると、裸の男優の胸が真っ赤に染まっている。
 驚いている男優、そしてそのまま倒れてしまった。
 それを見て、他の男達が怯え震えながら、
「た、助けてくれ!」
「い、命だけは」
 と土下座して懇願している。
 つかつかと男達に歩み寄っていく敬。
「この外道めが」
 と、軽蔑の表情を浮かべ、当身を食らわして気絶させてしまった。
 そして、
「おい、真樹。大丈夫か?」
 と声を掛ける。
「大丈夫も何も……。計画が台無しじゃない」
 ベッドから降りながら、敬に詰め寄る。
「もう……。これじゃあ、こいつらからアジトの情報を得ることができなくなったじ
ゃない。せっかくわたしが囮となって潜入した意味がないわよ」
「だからと言って、真樹が犯されるのを黙ってみていられると思うか? おまえだっ
て俺のそばで他の男に抱かれたいのか?」
「それは……」
 急所を突いてくる敬。
 ここで肯定したら関係がまずくなるのは間違いない。
 声がかすれてくる。
「で、でも……。アジトが判らなくなったわ」
「それなら何とかなるだろう」
 と、後ろから声が掛かった。
 振り返ると、黒沢医師がのそりと部屋に入ってくる。
「先生。それはどういうことですか?」
「説明は後だ。ともかくこいつらを私の仕事場に連れて行く」
「仕事場って……。あそこですか?」
「そう……。あそこだ」
「判りました」
「ともかく目を覚まさないように、麻酔を打っておこう」
 と、手にした鞄を開いている。まったく……用意周到なドクターだ。
 それにしても男優はどうしたんだろう?
 敬の撃ったのは実弾じゃない。
 明らかにペイント弾だった。
「この人はどうしたの? ペイント弾が当たっただけでしょう?」
 胸を真っ赤にして倒れている男優を指差して尋ねる。
 それに先生が答えてくれた。
「ああ、撃たれて真っ赤な血のようなものを目にすれば、誰だって本当に撃たれたも
のと勘違いする。ショックを起こして気絶しても無理からぬことだろう」
「そんなものでしょうか?」
「ああ、銃口を向けられただけでも怯えてしまうくらいだからな」

 やがて麻酔注射を射ち終えた男達を運び出すことなった。
 奴らが乗ってきた車を探し出して分乗して、あそこへと向かうのだ。
 先生は一体何をしようというのだろうか……?

↓ 1日1回、クリックして頂ければ励みになります(*^^)v




にほんブログ村 本ブログ 小説へ
にほんブログ村



11
響子そして(三十)大団円(最終回)
2021.08.03

響子そして(覚醒剤に翻弄される少年の物語)R15+指定
この物語には、覚醒剤・暴力団・売春などの虐待シーンが登場します


(三十)大団円(最終回)

 舞台稽古に向かっていたあの日。
 あの舞台は演じられることなくお蔵入りになったはずだった。
 しかし、わたしの人生という舞台においてそれはすでに開幕し着々と進行していたのだった。裕福だったわたしが、少年刑務所で娼婦となり、明人という王子さまが登場して婚約。組織抗争という戦争で死んだと思われた王子さまは、生きて戻って来た。
 そして今、舞台は大団円を迎え、娼婦だったわたしは、憧れの王子さまとの結婚式に臨んでいる。

 ついにその日を迎える事ができた。
 軽井沢別荘近くにある教会。
 わたしと里美、そして由香里と三人娘。花嫁の控え室で真っ白なウエディングドレスに身を包んでいる。里美の縁談もまとまってこの日を迎えることができた。何せ、最初に縁談を持ってきたのは相手の方、花婿が社内一の美人な里美に一目惚れ、黒沢英子という資産家のバックボーンもあれば、まとまらないはずがなかった。その後の交際で里美もその見合い相手を気に入り、相思相愛となっていた。何度か見たけど、結構いい男って感じね。
 里美と由香里には母親が付き添って化粧などを手伝ったりしている。母娘共々、本当に幸せそうな顔をしている。
 わたしには母親がいなかった。代わりに屋敷のメイドが数人来ている。
 母親をその手に掛けたのは自分自身だった。
 哀しかった。
 この姿を母親に見てもらいたかった。
 今ここに生きた母親を連れて来てくれたなら、何千億という財産のすべてを差し出してもいい……。しかしそれは適わぬ夢。いくら英子さんでも灰になってしまった母親を生き返らせてくれることはできない。
「お姉さん、大丈夫?」
 里美が声を掛けてきた。
 長らく一緒に暮らしているから、わたしの一喜一憂を感じ取ることができる……みたいだ。
「表情、ちょっと暗いよ」
「そう見える?」
「うん……」
 そうよ。
 わたしが哀しい表情をしていると、里美まで哀しい思いをさせることになる。
「ちょっと昔のことを思い出してたからかな……」
「あの……お母さんを殺した……?」
「ええ、でも……もう、どうしようもないのよね……」
 思わず涙が出てきた。
 それは、母親を手にかけたあの時の涙……のような気がした。
 ああ、こんな時にだめだよ。そう思えば思うほど涙が溢れてくるのだった。
「お姉さん。泣いちゃだめだよ」
「そういう、あなたこそ泣いてるじゃない」
 里美は涙もろい。人が泣いているとすぐにもらい泣きする。
「だって、お姉さんが泣いているから」

 そうだ。
 いつまでも過去の涙を流し続けているわけにはいかない。
 麻薬取締官の真樹さんにも言ったじゃない。
「もう気にしていないわ。過ぎてしまったことは仕方ありませんから。楽しい思い出だけを胸に、前向きに生きていきたいと思っています」
 ……と。

「ごめん、ごめん。泣いている場合じゃないわよね」
「そうだよ。これから幸せになるんだからね」

 その時、真菜美ちゃんが三人の花婿達そして祖父を連れて入ってきた。
「じゃーん! 花婿さんを連れてきたわよ」
「わーお。きれいどころが三人もいる。素敵だあ」
 わたしの夫となった磯部秀治の姿もあった。
 磯部家を残したかった祖父の希望を入れて、磯部を名乗ることにしたのだ。祖父の養子として入籍したのではなく、婚姻届で夫婦名の選択で磯部を選んだのだ。元々柳原は他人の名前だから、何の未練もないと言ってくれた。
「なんだ、泣いていたのか?」
「うん。お母さんのこと考えてたら、つい……」
「その気持ちは俺にも判るよ。しかしいつまでも過去にばかりこだわっていちゃだめだよ」
「判ってるわ」

 結婚式がはじまった。
 荘厳なオルガンの演奏される中、わたしはおじいちゃんに誘導されてバージンロードを、神父の待つ教壇に向かって歩いている。その後ろには、同じように里美と由香里が続いている。誰が先頭を行くかというので一悶着があったが、結局歳の順ということで決着した。婚約順とか若い順とか、わたしは意見したのだが、歳の順という二人に負けた……。言っとくけどわたしは再婚なんだからね。
 教壇の前に立つ秀治の姿が目に入った。
 おじいちゃんが抜けて、わたしは秀治の隣に立つ。他の二人も両脇の新郎にそれぞ
れ並んだ。

 
 真樹さんもその隣に、恋人と仲良く並んで座っている。英子さんが招いたようだ。英子さんにとっては、わたし達も真樹さんも、自ら臓器移植を手掛けた患者はすべて、大切なファミリーの一員と考えているのだ。

 曲が変わって、結婚の儀がはじまった。
 よくあるような祝詞が上げられ宣誓の儀を経て誓いのキスとなった。
「それでは三組の新郎新婦、誓いのキスを……」
 三人の花婿が一斉に花嫁と向かい合った。秀治が覆っているベールを上げて唇を近づけてくる。静かに目を閉じそれを受け入れるわたし。
 場内にどよめきがあがった。
「神の御名において、この三組の男女を夫婦と認める。アーメン」


 結婚式は滞りなく終了し、わたし達三人は、晴れて夫婦となった。
 教会の入り口で、参列者から祝福を受けるわたし達。
 親戚一同、会社の同僚達が集まって、歓声をあげている。
「三人ともきれいだよ」
「お幸せにね」
「ブーケ、お願い」
 わたし達花嫁はそれぞれブーケを手にしている。恒例のブーケ投げだ。それを受け取ろうと未婚の女性達が群がっていた。
 わたしの視界に、ブーケ取りの群衆から少し離れたところにいる真樹さんの姿が映った。隣には敬さんの姿もある。真樹さんは、敬さんと結婚するつもりみたいだから、ブーケ取りには参加しないのかな。
 その敬さんに向けてブーケを投げるわたし。強く投げ過ぎたブーケは弧を描いて、
敬さんの頭上を通り過ぎるが、軽くジャンプしてそれを受け止めてくれた。それを真樹さんに手渡して、頬にキスをした。
「もう……いきなり、何よ」
 怒ってる。でも本気じゃない。
「何だよ、ほっぺじゃ嫌か。それなら」
 抱きしめて唇を合わせる敬さん。
 おお!
 公衆の面前で唇を奪われて、しばし茫然自失の真樹さんだったが、気を取り戻して、

 パシン!

 敬さんに平手うちを食らわした。
「もう! 知らない!」
 頬を真っ赤に染め、すたすたと会場を立ち去っていく。敬さんがあわてて後を追う。真樹さんが、会場出口付近でふと立ち止まり、ブーケを持った手を高く掲げて叫んでいた。
 サンキュー!
 声はここまで届かなかったが、そう言ってるみたいだった。
「敬さんと仲良くね。今度のヒロインは真樹さん。あなたなんだから」
 わたしは心の中でエールを送った。

 了

↓ 1日1回、クリックして頂ければ励みになります(*^^)v




にほんブログ村 本ブログ 小説へ
にほんブログ村



11
特務捜査官レディー(三十)潜入
2021.08.03

特務捜査官レディー
(響子そして/サイドストーリー)


(三十)潜入

 とある喫茶店の指定の席に腰掛けて、囮捜査に掛かる情報を持ってきたという人物を、敬と二人で待っていた。
「ねえ、今更聞くのもなんだけど……、ニュースソースは確かなの?」
「あのなあ……。そういうことはもっと前にちゃんと確認するものじゃないのか? ただでさえ、身の危険をともなうことなのに」
「だって……」
 たしかに敬の言うとおりだった。
 響子さんに酷い目に合わせた、覚醒剤・売春組織の情報が入手できたというので、舞いあがっていたのである。
 よし!
 組織を壊滅してあげるわ。
 ……てな感じで、猪突猛進だった。
 喫茶店のドアが開いて、それらしき二人の人物が入ってきた。
 敬が手を挙げて招き寄せる。
 二人が、わたし達の席に合い席で座った。
 早速敬が紹介をはじめた。
「紹介するよ、今回の捜査に協力してくれる金さんだ。例の勧誘員とはかつての親友だったらしい」
 金というと韓国か中国系の人かしら……。
 金さんは、流暢な日本語で喋りだした。
「彼とは仲が良かったんですが、暴力団の組織に入っだけでなく、売春婦の斡旋なんかはじめて……。友として、女性を辱めるそんなことなんかやめろと何度も言ったんですが……」
 ちょっと中国系のなまりかしら……。
「というわけで、親友をこんな仕事から足を洗わせたいと情報をくれたんだ。その情報を元に、こっちの捜査官が奴に引き合わせる役をやる」
 もう一人の男性が挨拶する。
「どうも、都庁の春田です。よろしく」
「どうも……」
 もう一人は、ちょっとよれよれの背広を着た、一見コロンボ刑事のような感じの男性だった。
 都庁の職員か……。
 都道府県にもそれぞれ売春防止法に関わる部門があるわけだから。
 まあ、いかにも刑事というような目の鋭い人物だとまずいのだろう。
 というわけで、情報をくれたという人物が説明を始めた。
「彼は芸能プロダクションのアイドル勧誘員と称しておりますが、実際には売春婦の斡旋業が本業です。若い女性に声を掛けては、スタジオ撮りと称してマンションに連れ込み、覚醒剤を使って言いなりにさせて売春婦に仕立て上げるのです。
 まずはその場で強姦生撮りAVビデオを撮影して、AV業界に売り渡します。まさしく本人の同意を得ない無理矢理の強姦シーンを生撮りするわけです。泣き喚き抵抗する女性達の本番生撮りですから臨場感抜群ですからね。バージンなんかだったりしたら「強姦! 処女の生贄シリーズ」とかいうタイトルのアダルトビデオは奴らの作品ですよ。バージンなんてのは売春婦には無用の長物ですからね。
 犯された挙句に、言う事を聞かないとこのビデオをばらまくぞと脅されて、泣く泣く売春婦として働かされる場合もあるのです。まあ、結局はAVビデオとして売られてしまうのですがね。それで言いなりにならない場合は、覚醒剤の虜にしてからということになります」
 以前にも内容を聞いたが、ほんとうにひどい話だった。
 本番生撮り強姦シーンを撮られて、素人AV女優デビュー。
 その後は覚醒剤の虜にされ、逃げることも適わずに売春婦とされてしまう。
 そんな女性達が地下組織に捕われて、売春婦として調教され売られていく。
 見逃すわけにはいかない。
 誰かが組織を壊滅しなければ……。
 そうよ。
 このわたし……。
「それじゃあ、打ち合わせをはじめるぞ」
 敬が切り出した。
 その勧誘員に紹介する際の、こまごまとした打ち合わせをはじめるわたし達だった。


 そして二時間後、わたしはその勧誘員に会っていた。
 都庁職員の姪とということで、アイドルになりたいという設定だった。
 芸能プロダクションの友達がいると金さんから聞いて紹介してもらおうとやってきたということになっている。
「金なら知っていますよ。僕の親友ですからね」
 親友だった、の間違いじゃないの?
 にしても、喋り方が丁寧だ。
 まあ、女性を引っ掛けるのが商売だから、言葉使いには気をつけているのだろう。
 都庁職員が、勧誘員に頼んでいる。
「……というわけで、姪っ子をアイドルにしてやってくれないか」
「ほう……」
 じろじろとわたしの身体を嘗め回すように観察する勧誘員。
「何歳ですか?」
「24歳です」
「年食ってますね」
 失礼ね!
 そりゃあ確かに、アイドルとくれば二十歳未満だろうけどさ……。
 それに実年齢も……。
「まあ、いいでしょう。で、いつから来てくれるのでしょう」
 でしょうねえ……。
 こいつの本当の目的は、若い女性を勧誘して覚醒剤の売春婦を探して組織に売り渡すこと。
 そこいらの売春婦程度なら、高校生・大学生でなくても大丈夫だから。
 要はセックスができればそれでいい。
 顔なんか、二の次三の次くらい。
「今からでも結構です」
「そうですか……」
 呟くように言うと、携帯電話を取り出した。
「ちょっと芸能プロダクションに連絡を取ります」
 言いながら、席を外した。
 芸能プロダクション?
 よく言うよ。
 売春組織でしょう?
 外へ出てどこかへ連絡している勧誘員の姿が、大きな店のガラス越しに見えている。
 やがて、
「お待たせしました」
 と戻ってくる。
「それでは早速スタジオに行きたいと思いますがよろしいですか? 芸能プロダクションに紹介するための写真を撮りたいと思いますので」
 早速きたわね。
「はい、大丈夫です」
 わたしは、立ち上がった。

 さあ、囮捜査の開始だ!
 どんなことになるのか……。
 神のみぞしる。


 それから勧誘員の運転する自動車に乗って、そのスタジオへと向かった。
 もちろん捜査員と別れて、わたしと勧誘員の二人だけである。
 わたしを陥れようとしているのに、邪魔なこぶ付きを許すわけがない。
 後部座席に腰掛けているわたしを、ルームミラーでちらちらと眺めながら車を走らせる勧誘員だった。

 その頃、敬は……。
 勧誘員の自動車を着かず離れず、後ろから追いかけていた。
 女性の運転する自動車の助手席に陣取っている敬。
「見失わないで下さいよ」
「大丈夫ですよ。これをご覧下さい」
 という女性の指差すところには、車載ナビゲーターがあった。
 GPSと連動して、自車の位置をリアルタイムで地図上に表示する装置である。
「赤い点滅がこの車で、青い点滅が真樹さんです」
 ナビゲーターに表示された地図に、赤い点滅と青い点滅が明滅していた。
「発信機ですよね。いつの間に取り付けたんですか?」
「取り付けたんじゃない。真樹の身体に装着してあるんだ」
 後ろの座席から、黒沢医師が顔を出して答える。
 黒沢も、真樹のことが心配で囮捜査のバックアップ部隊に参加してきているのであった。
「装着? 以前、真樹が髪飾りがどうのとか言ってましたけど……」
 と敬が尋ねると、
「それは真樹君の体内に埋め込んだ発信機からの信号だよ」
 黒沢医師が答えた。
「発信機を身体の中に埋め込んだんですか!?」
「そう驚くことはないだろう。埋め込んだとは言ってもメスを入れたんじゃんない。女性には男性にはない隠し場所があるだろ?」
「え?」
 一瞬首を傾げる敬だったが、
「あ……。ああ、そういう事ですか。判りました」
 と納得する。
「髪飾りだと外れることがあるし、何かにぶつかって壊れることもあるからな。彼女のために、万が一を考えて妊娠しないようにとIUDを装着してやった。それに発信機がついているのだよ。本人には内緒だがね」
 妊娠しないようにか……。
 その言葉を聞いて、言い知れぬ不快感を覚える敬だった。
 覚醒剤密売の組織の本拠地を探り、売春婦として無理矢理捉えられている女性を解放するために、囮捜査で潜入することを、自ら志願したとはいえ……。
 将来を誓い合った恋人してはやり切れないものがあった。

「にしても……。こんなスーパーカーで出張ってくるなんて。目立ちすぎはしませんかね?」
 敬が運転席の女性に話しかける。
 敬たちが追跡に使っている車は、そんじょそこらにあるような車ではなかった。世界有数の企業グループである篠崎重工が四百周年記念に十台限定生産で発売した、篠崎重工製「erika-markⅡ スーパーエンジェル」という七千万円はするかという代物だった。
 それを所有しているのが、かつて敬が所属していた特殊傭兵部隊を傘下にしていたセキュリティーシステムズco.ltdの統括運営母体、世界最大財閥の真条寺家。その所有のスーパーカーであった。
「仕方がありませんよ。真樹さんの発信機からの電波を受信できるのは、お嬢さまのファンタムⅥと、麗華さまのこの車に搭載したこのナビゲーターしかないんですから」
 と答える運転席の女性は、真条寺家のメイドの神田美智子。
 麗華とは、美智子がお嬢さまと呼んだ真条寺財閥総帥である真条寺梓、その執権代理人こと竜崎麗華のことである。
 警察によって殉職したとして戸籍を抹消されたはずの敬が、パスポートなしで日本に入国できたのは、この竜崎麗華のおかげである。
 自動車が止まった。
「どうやら芸能プロダクションとやらに着いたようです」
 ナビゲーターの点滅が、先ほどから動かなくなっていた。
 どこかの駐車場にでも入ったのだろう。
「どのマンションですか」
「マンションじゃなくて、いわゆる雑居ビルですね。ナビゲーターにビルの全体像を投影してみましょう」
 美智子が捜査すると、ナビゲーターにビルが映し出された。
 ○○金融、ビデオレンタル……、というような看板や窓ガラスの大きな広告が目立つビルで、狭い敷地一杯に建てられていた。しかし、その映像はどう見ても上空から鳥瞰したものであった。
「この映像はどこから撮影しているのですか?」
「衛星軌道上の『azusa5号A』という資源探査気象衛星からです」
「衛星からですか?」
「ええ、5号B機に世代交代して引退したものを、今回の捜査のために利用させてもらっています」
「衛星からの映像を自由に扱えるなんて、さすがに真条寺財閥ですね。いっそのことその財力で覚醒剤密売や売春組織も壊滅してくれれば、世のため人のためになるというものを」
 敬が呟くように言うと、黒沢医師がそれに答える。
「光があれば闇もあるものだ。相反するものではあるが、必要でないようにみえて実は必要という事もある。例えば人間の腸に寄生する、腸内細菌は栄養をかすめとる一見悪者のように見えるが、ビフィズス菌や乳酸菌のように悪玉菌の繁殖を抑えることをやっている善玉菌もいる。また太陽から吹き寄せる太陽風エネルギーは、強烈な放射線を伴っていて人間は数秒とて生きてはいられないが、その太陽風がバリヤーとなってもっと光速で高エネルギーな外宇宙からの宇宙線を遮断している。そういう場合もあるということさ」
「はあ……。難しくて判りません」
 正直に感想を述べる敬だった。
「もっと判りやすくいえばだ。闇の臓器売買組織を考えてみてくれ。裏の誘拐団組織が殺した人間から臓器を摘出し、臓器売買の世界に臓器を流している。確かに極悪非道の世界かも知れないが、その反面臓器移植で助かる人間もいるし、臓器移植の技術や臓器長期保存の技術も革新的に進歩してきている」
「あのう……。確かにそうかも知れませんが、覚醒剤や人身売買で苦しんでいる人の気持ちはどうなるのですか? それでいいんですか? 高次元なレベルじゃなくて、もっと身近なレベルで考えてくださいよ。我々は警察官です。人が苦しんでいる。それを助けるのが任務なのですから」
「あははは……。確かにそうだ。えらい!」
 とぽんと敬の肩を叩いて笑い出す黒沢医師だった。

↓ 1日1回、クリックして頂ければ励みになります(*^^)v




にほんブログ村 本ブログ 小説へ
にほんブログ村



11
特務捜査官レディー(二十九)特務捜査課
2021.08.02

特務捜査官レディー
(響子そして/サイドストーリー)


(二十九)特務捜査課

「響子さんを監禁していた人たちはどう?」
 響子さんの手術が終わった翌日、敬に会って確認してみる。
 今回の響子さん救出作戦は、敬が取り仕切ったのと女性の監禁ということで、警察側が容疑者を取り調べることとなっていた。
 容疑は、覚醒剤所持と女性監禁及び暴行傷害罪である。
「だめだな……。口が堅すぎて、黒幕のことは一切口に出さないぜ」
「それで……、響子さん。覚醒剤を射たれて、その……やられちゃったの?」
「ああ、間違いない。彼女の身体から男の精液が検出された。これで響子さんが死んでしまったら、間違いなく死刑が求刑されるところだ。刑法第220条と221条、第227条、そして第241条だ」
「241条は、響子さんが自ら投身自殺したのだから、違うのじゃない?」
「投身自殺じゃないだろ。逃げ出そうとしての転落事故だ。逃げ出さなければ廃人にされてしまう。監禁され、唯一の逃げ道はそこしかなかった。十分241条の適用範囲だと思うぞ」
「なるほどね。敬にはしては、よく勉強してるじゃない」
「あのなあ……。俺は警察官だぜ。司法警察官の真樹ほどじゃないが、刑法のすべてを把握はしていないが、自分の管轄するところの条文くらいは知ってるさ」
「ふんふん♪ よろしい」
「あのなあ……」
「それで、磯部健児のことは一切だめ?」
「ああ、奴らが磯部健児と関わっているのは間違いないのだが。頑固に口を割らない」
「そうか……。せっかく逮捕したのに」
 これまでにも、健児と関わっていそうな人物を何人も捕まえているのだが、いずれも頑なに口を閉ざしていた。
 何せあの政界にも顔の利く財界のドン、磯部京一郎氏の甥っ子なのだ。その血筋を背景に銀行からの融資も多く、中でも海運業においてはかなりの営業収益を上げている。だがその裏では麻薬覚醒剤の密輸入の総本山と言われている。あまたの暴力団が彼を匿うのも当然といえた。
「いっそのこと、どこかのビルの屋上から奴を狙撃でもするか?」
「それ! いいわね。いつやるの?」
「あほ……。本気にするな」
「なんだ、冗談なの、つまんないわね」
「まあ、何にせよ。奴を直接挙げるのはほとんど不可能だ。周囲から少しずつ囲い込むようにして追い込んでいくしかない」
「健児の周囲の人間から落としていくわけね。局長みたいに」
「そうだ。それに、俺達が公安委員会に申請している、例の件さえ通れば少しは動きやすくなるからな」
「特務捜査課ね」
 警察・麻薬取締部・税関・海上保安庁・各都道府県など、麻薬銃器等の密輸・密売、及び売春や人身売買(密入国)に関わる取り締まり機関はさまざまあるが、縦割り行政のなんたるかという奴で、それぞれ独自に捜査を執り行なって横の連絡は皆無に近い。複数の機関が連携しての検挙の例もあるが、その実績は少ない。
 その弊害を説いて、以前から上層部に上申していた「特務捜査課」の設置があった。前任の生活安全局長に握り潰されてしまった件である。
 今回麻薬取締部と警察との連携によって、覚醒剤取り引きと売春斡旋を行っていた暴力団組織員を逮捕に至ったことで、具体的な話が進展しつつあった。この件に関しては麻薬銃器取締課の課長さんが熱心に動いてくれているそうである。感謝!


 それから数日後だった。
「例の組織の売春婦斡旋勧誘員、つまりスカウトだな。その一人が判ったぞ」
 と敬が情報を仕入れてきた。
「ほんとう?」
「ああ……。しかし、本当にやるつもりか?」
「もちろんよ」
「そうか……」
 情報は与えてくれたが、あまり乗り気を見せない敬。
 当然でしょうね。
 自分の恋人を危険な囮捜査に駆り出すことになるのだから。
 ただ、組織を壊滅させたいという情熱には逆らえないといったところでしょう。
 放っておけばより多くの女性が苦しむことになる。
 彼の正義感が、私情を振り払ってまで行動に出ているのである。
「ごめんね……」
「いいさ。それでな……」

 そのスカウトの手口は、若い女性に言葉巧みに近づき、
『アイドルになってみませんか?』
 誘いに乗ってきた女性をマンションに連れ込む。
 写真撮りするなどして一応それなりにアイドルにさせるような素振りを見せながら、
『緊張しているね、この薬を飲むと落ち着くよ』
 と、覚醒剤を使う。
 やがて覚醒剤の虜となってしまうその女性を、売春婦へと調教していくそうだ。
 覚醒剤の魔力によって抵抗する意識を奪われ、スカウトの言いなりになっていく。
 今時の若い女性のアイドル願望心理を突いたあくどいやり方だ。
「いつもながら、ひどい話ね」
「まあな……。女性を金儲けのための商品としか見ていないからな」

「今回の任務は、売春婦斡旋業として暗躍する組織員に近づいて、奴らの地下組織を明らかにすることだ。そこには覚醒剤を射たれ、その魔力によって売春婦に仕立て上げられようとしている女性達が捉えられている。その女性達を救出する。斉藤真樹」
 わたしの名前が呼ばれる。
「はい!」
「心苦しいところではあるが、囮としてその組織員に近づき、地下組織への潜入をはかる役目をやってもらいたい」
「判りました!」
「その組織員に面識のある人物に依頼して、君がアイドルになりたいと紹介させる手筈になっている。組織員の本当の目的は売春婦斡旋だ。当然のごとくして、君は地下組織へ送られる事になるだろう。うまく成りすまし潜入を果たしてもらいたい」
 課長はたんたんと説明しているが、部下に危険な任務を与えねばならない苦渋の選択を強いられて、顔にこそ出さないが心底苦悩しているに違いない。
「決行の日は明後日である。くれぐれも慎重に行動してくれたまえ」
「はい!」
 自分から志願したこととはいえ、いざ決行となるとやはり緊張する。

 早速、先生のところに連絡しなくちゃ……。


 決行の日。
 黒沢先生の元を訪れるわたしだった。
「そうか、ついにやるのか……」
「はい。それで以前にお願いしました通りに……」
「判っている。覚醒剤を中和する薬を用意しておいた。腕を出してくれ」
「注射ですか?」
「ああ、錠剤なんかだと、肝臓に負担を掛けるからな。筋肉注射にして、徐々に血液に流れ出すようにする」
「プロギノンデポーみたいなものですか?」
 プロギノンデポーとは女性ホルモン製剤の一種で、先生が言ったように筋肉注射である。経口薬の場合、小腸から吸収された栄養素や薬物は、門脈を通って肝臓を通るようになっているが、有毒成分などはここで解毒して体内に通さないようにしている。薬剤やホルモンなども解毒の対象となっていて、小腸から吸収されても肝臓でどんどん処理されるわけである。処理し切れなかった残りが体内へ入っていって効果を発揮するわけね。より効果を高めようとするにはより多くの量を飲まなければならないし、反面肝臓の負担がよりますというわけ。
 そこで注射や点滴などで、肝臓を迂回させて直接血管や筋肉に注入すれば、無駄なく効果を期待できる。それがデポ剤である。とはいえ血液に乗って体内を巡って効果を与えた残りは、結局肝臓に流れ込んできて処理されてしまう。
「そういうことだ」
 早速、袖を捲くって腕を差し出す。
「うん。きれいな白い柔肌だ。覚醒剤はやっていないな」
「当たり前です!」
 ぷんぷん!
 麻薬取締官が覚醒剤やってたらしゃれにならない。
「場合によっては、この腕に消えないあざがいくつも残るようなことにもなりかねないのだぞ」
「わざと言ってませんか? 恐怖を煽って囮捜査を断念させるつもりで」
「ばれたか……」
 もう……。
 しかし、確かにこの腕にあざが残るような事態にもなりうるわけよね。
 でも今更……。
 何があろうとも、絶対に後悔はしないわ。
 捉われた女性達を助けなくちゃ。
 響子さんみたいな哀しい運命をたどるよなことは避けたい。
 だれかが犠牲になってでも……。
「んじゃ、射つよ」
 用意されていたアンプルから、注射器に阻害剤が注入され、そしてわたしの腕に注射された。
「どうだ気分は?」
 脈を測ったり、顔色を窺ったりしながら、わたしの状態を確認している先生。
「うん……今のところは、なんとも……」
「そうか……。なら大丈夫だな」
「ありがとうございました」
 捲くった袖を戻しながらお礼を言う。
「ところで、妊娠阻害剤の方はどうですか?」
「いや、それは薬じゃない方法を取ることにしよう」
「……といいますと?」
「IUDを君の子宮内に装着するのさ」
「避妊リングですね」
「そうだ。長期に作用する避妊薬だとどうしても副作用が避けられないし、脱出できなくって薬の効果が切れてしまったら元も子もない。その点IUDなら装着している限り避妊を継続できるし、生理も自然に到来するから、薬のせいで不妊になってしまったということもない。取り出せばいつでも妊娠が可能になる便利グッズだ。もっとも100%避妊というわけにはいかないし、どちらかというと出産の経験のある女性向きなんだが、今回の任務の特殊性を考えればそれが一番良いと思う」
「入れる時に、痛くないですか?」
「大丈夫だ!」
 ちょっと強い口調で断定する先生だった。
 あ……。
 いらぬことを訊いてしまったという感じ。
「じゃあ……。お願いします」
「判った。診察台に上がりたまえ」
「はい」
 産婦人科用の専用診察台……。
 両足を大きく拡げるようになった脚台のついたアレだ。分娩台と兼用にもなる。
 いつものことであるが……。
 気持ちのいいものではない。

 スカートとショーツを脱いで、下半身裸の状態で診察台に上る。
 先生が取り出したのは、クスコと呼ばれる……。
 ……とこれ以上語るのはよそう。
 自分で自分を陵辱するような言動は控えたい。

 ……。
「よし、装着完了だ」
 手馴れたものだった。
 おそらく裏の組織から頼まれて、数多くの女性に施術しているのであろう。
「取れなくなっちゃうことはないですよね」
「ない。タンポンを使うようなものだ」
「わたし……。タンポン使ったことないんですけど」
「ほんとか? 処女でもないのに?」
「処女が関係あるのですか?」
「言ってみただけだ」
「もう……先生ったら」
「あはは。何にせよ、大丈夫だ。一応言っておくが、IUDを使っていても妊娠することがあることだけは覚えておいてくれ」
「万が一ですが、そんな場合どうなります?」
「IUDを入れたままでも、妊娠の継続は可能だよ。受精卵が一旦子宮に着床してしまうと、IUDの効果が薄れてしまうんだな」
「そうなんだ……」

 それにしても……。
 性転換手術を受けてからというもの、先生と会うといつも妊娠がらみの会話になってしまう。
 もしかして、自分が手術した患者が正常に妊娠し出産するまでは見届けたいという、医師としての責任感からであろうか……。
 ともかくも、敬との将来を考えれば、避けて通れない話題ではあるわね。
 妊娠したら、やはり先生に診てもらうことになるわけだし……。
 自分の現在の状況を考えれば、他の産婦人科病院には通えないだろう。

↓ 1日1回、クリックして頂ければ励みになります(*^^)v




にほんブログ村 本ブログ 小説へ
にほんブログ村



11

- CafeLog -