特務捜査官レディー(三十六)遺言状公開
2021.08.09
特務捜査官レディー
(響子そして/サイドストーリー)
(三十六)遺言状公開
「ひろしは……いや、響子だったな……。響子は、私を許してくれるだろうか?」
京一郎氏は、母親殺しに至った孫のひろしに対して、祖父として何もしてやれなかったことを後悔していた。実の娘である弘子を殺されたことと、手に掛けたのが孫のひろしということで、人間不信に陥ってしまっていたのである。
「磯部さんの気持ちは判ります。響子さんだって、自分のしたこととして反省をすれ、祖父であるあなたを恨む気持ちなどないでしょう。双方共に許しあい手を取り合えば気持ちは通じるはずです。血の繋がった肉親ですからね」
「あなたにそういってもらえると少しは気持ちも治まります。ありがとう」
「どういたしまして」
「それでは、響子を迎えに行くことにしましょう」
ということで、磯部氏は出かけていった。
屋敷内に残されたわたし。
「さて、わたしも屋敷内を見回ってみるか……」
健児を迎えて、想定されるすべての懸案に対して、どう対処すべきか?
逃走ルートはもちろんのことだが、健児のことだ拳銃を隠し持っている可能性は大である。
銃撃戦になった場合のこと、メイドに扮した女性警察官を人質にすることもありうる。
あらゆる面で、屋敷内での行動指針を考え直してみる。
「それにしても広いわね……」
つまり隠れる場所がいくらでもあるということになる。
遺言状の公開は大広間で行う予定である。
問題はすべて大広間で決着させるのが得策である。
事が起きて、大広間から逃げ出されては、屋敷内に不案内な捜査員や女性警察官には不利益となる。
何とかして大広間の中で、健児をあばいて検挙するしかないだろう。
「うまくいくといいけど……」
計画は綿密に立てられた。
必ず健児はぼろを出すはずである。
やがて磯部氏が響子さんを連れて戻ってきた。
車寄せに降り立った磯部氏と響子さんの前にメイド達が全員勢ぞろいしてお出迎えする。
「お帰りなさいませ!!」
一斉に挨拶をするメイド達。
響子さんの後ろで、もう一人の女性がびっくりしていた。
誰だろうか?
予定にはない客人のようだった。
計画に支障が出なければいいがと思い悩む。
執事が一歩前に出る。
「お嬢さま、お帰りなさいませ」
全員女性警察官にすり替わっているのだから、メイド達のことを響子さんが知っているわけがないが、この執事だけは顔馴染みのはずだ。
「お嬢さまだって……」
女性が響子さんに囁いている。
「そちらの方は?」
執事が尋ねると響子さんが答えた。
「わたしの親友の里美よ。同じ部屋で一緒のベッドに寝るから」
そうか、例の性転換三人組の一人なのね。
名前だけは聞いていた。
「かしこまりました」
「わたしのお部屋は?」
「はい。弘子様がお使いになられていたお部屋でございます」
引き続き執事が受け答えしている。
メイドには話しかける権利はなかった。
相手から話しかけられない限り無駄口は厳禁である。
「紹介しておこう。響子専属のメイドの斎藤真樹くんだ」
磯部氏がわたしを紹介する。
「斎藤真樹です。よろしくお願いします。ご用がございましたら、何なりとお気軽にお申しつけくださいませ」
とメイドよろしくうやうやしく頭を下げる。
「こちらこそ、よろしく」
「響子、公開遺言状の発表は午後十時だ。ちょっとそれまでやる事があるのでな、済まぬが夕食は里美さんと二人で食べてくれ。それまで自由にしていてくれ」
「わかったわ」
そういうと執事と一緒に奥の方に消えていった。
他のメイド達もそれぞれの持ち場へと戻っていく。
残されたのは響子と里美、そしてわたしの三人だけである。
「里美に、屋敷の案内するから、しばらく下がっていていいわ」
響子がわたしに命じた。
「かしこまりました、ではごゆっくりどうぞ」
下がっていろと言われて、それを鵜呑みにしてしまってはメイド失格である。
わたしは響子さんの専属メイドである。
主人の身の回りの世話をするのが仕事であり、万が一に備えていなければならない。
目の前からは下がるが、少し離れた所から見守っていなければならなかった。
響子さんが、里美さんを案内している間にも遠めに監視を続けることにする。
やがて夕食も過ぎ、午後九時が近づいてとうとう遺言公開の時間となった。
次々と到着する親類縁者たち。
響子さんの専属であるわたしを除いた他のメイド達が出迎えに出ている。
自分の部屋でくつろぐ響子さんと里美さん。
「ぞろぞろ集まってきたみたい」
窓から少しカーテンを開けて覗いている響子さんと里美さんだった。
遺言公開の場に出ない里美さんはネグリジェに着替えていた。
「お嬢さま、旦那様がお呼びでございます」
そうこうするうちに、別のメイドが知らせにきた。
「いよいよね」
「頑張ってね。お姉さん」
何を頑張るのかは判らないが……。
里美さんを残して部屋を出て、響子さんを大広間へと案内する。
わたしと別のメイドの後について、長い廊下を歩いていく。
大広間の大きな扉の前で一旦立ち止まって、
「少々、お待ち下さいませ」
軽く会釈してから、その扉を少しだけ開けて入って行く。
「お嬢さまを、ご案内して参りました」
「よし、通してくれ」
「かしこまりました」
指示に従って、大きな扉をもう一人のメイドと共に両開きにしていく。
広い部屋の真ん中に、矩形にテーブルが並べられている。
一番奥のテーブルには磯部氏が座り、両側サイドのテーブルには親族が座っている。そして一番手前には、きっちりとしたスーツを着込んだ弁護士らしき人物が三名座っている。
その一人は、弁護士に扮した敬だった。
上手くやってよね。
声にはならない声援を送る。
まかせておけ。
そう言っているように見えた。
響子さんの入場で、親族達は一様に驚いていた。
それもそのはず。
響子さんは、母親の弘子に瓜二つだというのだから。
「弘子!」
全員の視線が響子さんに集中している。
「そんなはずはない! 弘子は死んだ。それに年齢が違う」
「そうだ、そうだ」
そんな声には構わず祖父が手招きをしている。
「良く来たな。響子、儂のそばにきなさい」
テーブルを回りこむようにして、彼らのそばを通り過ぎて祖父のところまで歩いて行く。
わたしも、しずしずと響子さんの後ろに付いていく。
弘子じゃないとすれば、一体この女は何者だ?
一同がそんな表情をしていた。
やがて磯部氏が事情を説明しだした。
目の前のこの女性が、まぎれもなく磯部ひろしであり、性転換して響子と戸籍を変更したこと。
そして、その証拠である戸籍謄本。医師の発行した性同一性障害に関する報告書、裁判所の性別・氏名の変更を許可する決定通知書などが公開された。
「つまり男から女になったというのね」
親族の一人が納得したように呟いた。
「そ、そんなことしたって、ひろしの相続欠格の事実は変わらないぞ。今更、出てきてもどうしようもないぞ」
早速、健児が意義を申し立てる。
そりゃそうだろうな。
磯部氏の財産を狙っているのだから、新たなる相続人の登場を快く思わないだろう。
この場に現れたのだから、なにがしかの財産が譲られるだろう事は誰にでも想像できる。
「そうよ。健児の言う通りよ」
親族の意義申し立てとかには構わずに磯部氏は話を続ける。
「さて、この娘が儂の孫であることは、書類の通りに事実のことだ。その顔を見れば、弘子の娘であると証明してくれる。儂が言いたいのは、相続人として直系卑属はただ一人、この響子だけということだ」」
「それがどうしたというのだ」
「儂は、今この場で生前公開遺言として、この響子に財産のすべてを相続させる」
椅子を跳ね飛ばして、四弟の健児が興奮して立ち上がった。
「馬鹿な!」
「でも健児、遺留分があるから、すべてを相続させることできないんじゃない?」
「姉さん、知らないのかい? 直系卑属の響子に遺言で全額相続させたら、俺達の遺留分はまったく無くなるんだよ。被相続人の兄弟姉妹には遺留分は認められていないんだ」
「ほんとなの?」
「そうだよ」
さっきから、何かにつけて意義を唱え続けている、四弟の健児。
さすがに、動揺しているわね……。
明らかに響子さんを拒絶する態度を示している。響子さんが性転換したひろしだと紹介された時からずっとだ。
「まあ、落ち着け健児。先をつづけるぞ。では、儂の生前公開遺言状を発表する。弁護士、よろしく」
「わかりました……」
三人並んだ中央にいた弁護士が鞄から書類入れを取り出した。
「それでは、公開遺言状を読み上げますが、これは正式には公正証書遺言となるもので、遺言者の口述を公証人が筆記し、証人二人が立ち会って署名押印したものです。
なお、証書は縦書きになっておりますので、そのように理解してお聞きください。
読み上げます。
その内容は、ほとんどすべての財産を響子さんに譲り、兄弟には一人当たり金十億円という示談金的な金額を譲るというものだった。
そして当の健児だけが、たった五百万円という額が相続されるとした。
もちろん健児が黙っているはずがなかった。
「馬鹿な! なんで俺だけが五百万円なんだよ」
「おまえは、弘子の遺産を譲り受けているじゃないか。それを相殺したんだ」
「弘子の遺産だと? そんなもん知らん」
「ならば、もう一つの調書を見てもらおうか」
弁護士が再び書類を配りはじめる。
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