特務捜査官レディー(三十四)新しい生活へ
2021.08.07

特務捜査官レディー
(響子そして/サイドストーリー)


(三十四)新しい生活へ

 というわけで、とんでもない展開になってしまったが、勧誘員の情報を得て、警察と麻薬取締部が結束して、売春組織の壊滅に成功したのである。

 それから数ヶ月が過ぎ去った。
 その勧誘員は……。いや、そういう言い方はやめよう。

 彼女の名前は、榊原綾香。
 黒沢医師による性転換手術を受けて、完全なる女性として生まれ変わった。
 もちろん完全であるからには、妊娠し子供を産み育てることのできる真の女性としてである。
 黒沢産婦人科病院にて女性看護師見習いとして忙しい毎日を送りながらも、正看護師になるべく看護学校に通っている。
 おだやかな性格で、子供に対してもやさしく、入院している妊婦達からの評判も上々で、まさしく看護師となるべくして生まれてきたような仕事振りだった。
 そんな働き振りを見るにつけても、性転換を施しすべての罪を許すという、黒沢先生の決断は正しいと言えるかもしれない。
 例の薬によって、脳の意識改革が行われて、男性脳から女性脳へと再性分化が起きたと考えられている。もはや心身ともに完全に女性に生まれ変わったのである。
 彼女は性転換されることによって罰を受け、さらに看護師として人の命を守る職につくことで、罪を償っている。
 罪を憎んで人を憎まず。
 彼女はもはや一人の善良なる女性に生まれ変わったのである。

 ところで、この榊原綾香のこともそうではあるが、黒沢産婦人科病院にはもう一人、気にしなければならない患者が入院していた。

 磯部響子である。
 覚醒剤の犠牲となり、母親殺しから少年刑務所に入り、その後には暴力団の情婦として性転換して女性に生まれ変わって生活していたものの、暴力団の抗争事件から捕らえられて覚醒剤を射たれた挙句に投身自殺した、あの悲劇の女性である。
 綾香の勤務ぶりを視察した後で、話題を切り替える真樹だった。
「響子さんの具合はどうですか?」
「ああ、やっと覚醒剤を体内から除去できたよ。フラッシュバックも起きないだろう。もうしばらく様子をみたら退院だ」
 フラッシュバックとは覚醒剤特有の再燃現象と呼ばれるもので、大量に飲酒したり、心理的なストレスが契機となって、幻覚・妄想といった覚醒剤における精神異常状態が再現されるものである。
→薬物乱用防止「ダメ。ゼッタイ。」ホームページ http://www.dapc.or.jp/data/kaku/3-3.htm
「良かったですね。もし響子さんに何かあったら、一生後悔ものです」
「会っていかないのかね?」
「いえ……。わたしは麻薬取締官です。わたしの身の回りは麻薬の匂いにまみれ、麻薬に関わる人間達との抗争の毎日です。そんな世界に生きるわたしが、響子さんのそばにいればいずれ麻薬の災禍が降りかからないとも限りません。遠くから見守るだけにした方が、響子さんのためだと思います」
「そうだな……。君の言うとおりかも知れないな。君が麻薬取締官である限り、犯罪組織と関わらざるを得ない。組織に君の顔が知られることもあるだろう。そうなった時に響子君がそばにいれば身代わりにされることも起こりうるというわけだ」
「ですから、会わないほうがいいんです。これ以上、響子さんを覚醒剤の渦中に引きずり込むことは避けたいのです」
「判った」

 それから数ヶ月して、磯部響子は無事に退院し、黒沢先生の経営する製薬会社の受付嬢として就職。
 ごく普通のOLとしての平和な日々を暮らしているという。
 さすがというか、思春期以前から女性ホルモンの投与をし続けてきたおかげで、どこからみても女性にしか見えない美しい顔とプロポーションで、指折りの美人受付嬢として社内はおろか出入りする業者の間でも評判となっていた。

 そしてわたしの方にも大きな変化があった。


 その朝、麻薬取締部目黒庁舎に赴いたわたしは課長に呼ばれた。
「真樹君。非常に特殊なケースなのだが、君の警察庁への出向が決定した」
「警察庁へ出向……? どういうことですか?」
 敬をまみえて、麻薬取締官と地方警察が一致団結して、売春組織&覚醒剤密売組織を壊滅させたことと、例の生活安全局局長押収麻薬・覚醒剤横流し事件と合わせて、縦割り行政によらない新しい組織の発足が促されたというのである。
 警察庁特殊刑事部特務捜査課。
 これが新しく発足した組織名だ。
 警察庁はもとより、厚生労働省麻薬取締部・財務省税関・海上保安庁・東京都警視庁/福祉保険局/知事局治安対策本部などから、麻薬・銃器取締や売春(人身売買)取締にあたる捜査官が集められた。
「一応階級は巡査部長待遇ということになっている。君は国家公務員採用試験I種行政の資格を持つ国家公務員だから、本来ならキャリア組としての警部補からスタートしても良いはずなのだが、出向組ということで巡査部長からということになった。まあ……実情を話せば君が女性ということなんだ。警察というところは、今なお男尊女卑的な部分があって、女性の配属されるのは交通課と決まっている。そもそも警察官は初任配属先は地域課もしくは交番勤務と人事規定され、キャリアでも最初は地域課に配属されるのだが女性警官の場合は原則的に交通課なのだ。実際に危険が伴う部署、いわゆるおまわりさんと呼ばれる交番勤務などは全員男性だ。一般的な地方警察職員は地方公務員で、警視正以上になってはじめて国家公務員扱いとなる。つまり資格から言えば君は地方警察ならば警視正と同等以上ということになるのだが、いかんせん麻薬取締部と警察では、その構成員の数が一桁も二桁もまるで違う。警視正と言えば、警察庁の各警察署長や地方警察本部方面部長にも任命されようかという地位で、その配下に収まる警察職員は数千人から数万人規模にもなる。そんな地位にいくらなんでも、大学出たばかり麻薬取締官ほやほやの君が就任できるわけがない。双方の構成員と部下として動かせる人員から考えて、巡査部長待遇が順当という線で落ち着いた。
どう思うかね」
 課長の長い説明が終わった。
「巡査部長ですか……」
「不満かね?」
「いえ、そんなことはありません。巡査でも身に重過ぎるくらいです」
「まあ、そう言うな……。国家公務員がいくらなんでも平巡査待遇では、麻薬取締部の沽券(こけん)に関わるからな。これだけは譲れないというところだ。本来なら警察大学校卒同様に警部補あたりからはじめてもいいのだがな」
 警部補といえば地方警察署の課長クラスである。
 わたしとしては、別に平巡査でも構わないと思っている。
 何せ前職の時の階級は巡査だったもの。
 敬は日本に帰ってきて、研修を終えたと言う事で巡査部長に昇進したけどね。
 生死の渕を乗り越え、特殊傭兵部隊で鍛えられたんだから、それだけのお手盛りがあってもいいだろう。
 しかしわたしは……。
 何もしていない。
 先生に救われて斉藤真樹として生まれ変わって、女子大生として気楽に生活していただけだから。
 
 なんにしても、警察庁出向か……。
 元の鞘に納まるという感じがなきにしもあらずである。

「ああ、それから君の友達の沢渡君も一緒だよ」
「敬もですか?」
「ああ、何せ我々と一緒にこれまでの事件を解決してきた功労者でもあるし、組織改革を上申して新組織の発足を促した本人だからね」
 そうだったわ。
 以前からずっと、上層部に上申してきたんだったわ。
 それがやっと認められたということ。
「ところで個人的な質問なんだが……」
「何でしょうか?」
「君と彼は、随分親しいようだが」
「ええ、婚約しています」
「そうか、やっぱりね」
「何か問題でも?」
「いやなにね、結婚となると寿退社するんじゃないかと思ってね」
「大丈夫です。結婚しても、この仕事は続けます。もっとも妊娠すれば、出産・育児休暇を願い出ると思いますけど」
「そうか……。安心したよ。君みたいな優秀な職員を失うのは、局の一大損失になるからね」
「ありがとうございます。そう思って頂けていると思うと光栄です」
「まあね……」
 一般の会社なら、育児休暇を好ましく思っていない所も少なくなく、退職を勧められたり、復帰しても居場所がなくなっているということも良くあることである。
 しかしわたしの所属する麻薬取締部は厚生労働省内の一部局である。
 男女雇用均等法やら育児休暇促進委員会とかが目白押し。
 「寿退社」という慣用句で、女性を退職に追いやることは不可能だ。
「それで、警察庁へはいつから出向ということになりますか?」
「来週の月曜からだ。その日に直接その足で警察庁へ赴きたまえ」
「判りました」
「それから、新しく君に交付された警察手帳を渡しておこう」
「警察手帳ですか?」
「麻薬取締官としての身分と、警察庁職員としての身分の双方を記してある、特別誂えの手帳だ。君の今持っている警察手帳と交換してくれ」
「はい」
 わたしは、現在持っている麻薬取締官証と引き換えに、その新しい警察手帳を受け取った。
 開いてみると、最初のページは今まで通りの麻薬取締官証と同じものであった。次のページを開くと懐かしい警察手帳の図案が飛び込んできた。中身の様子は、上部には顔写真、階級、氏名、手帳番号が書かれた証票、下部には警察庁という名と、POLICEの文字が入った金色の記章(バッチ)がはめ込まれている。ちなみに大きさは縦10.8センチ、横6.9センチ。
「なるほど、巡査部長になってるわ」
「これで君は、あらゆる警察犯罪を取り締まることができるようになったわけだ。しっかり心して任にあたってくれたまえ」
「判りました」
 警察流の敬礼をしてみせるわたしだった。
 今後はそういうことも多くなるだろう。
「もちろん麻薬取締官としての自覚と任務も忘れないでくれ」
「はい」

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