特務捜査官レディー(二十九)特務捜査課
2021.08.02

特務捜査官レディー
(響子そして/サイドストーリー)


(二十九)特務捜査課

「響子さんを監禁していた人たちはどう?」
 響子さんの手術が終わった翌日、敬に会って確認してみる。
 今回の響子さん救出作戦は、敬が取り仕切ったのと女性の監禁ということで、警察側が容疑者を取り調べることとなっていた。
 容疑は、覚醒剤所持と女性監禁及び暴行傷害罪である。
「だめだな……。口が堅すぎて、黒幕のことは一切口に出さないぜ」
「それで……、響子さん。覚醒剤を射たれて、その……やられちゃったの?」
「ああ、間違いない。彼女の身体から男の精液が検出された。これで響子さんが死んでしまったら、間違いなく死刑が求刑されるところだ。刑法第220条と221条、第227条、そして第241条だ」
「241条は、響子さんが自ら投身自殺したのだから、違うのじゃない?」
「投身自殺じゃないだろ。逃げ出そうとしての転落事故だ。逃げ出さなければ廃人にされてしまう。監禁され、唯一の逃げ道はそこしかなかった。十分241条の適用範囲だと思うぞ」
「なるほどね。敬にはしては、よく勉強してるじゃない」
「あのなあ……。俺は警察官だぜ。司法警察官の真樹ほどじゃないが、刑法のすべてを把握はしていないが、自分の管轄するところの条文くらいは知ってるさ」
「ふんふん♪ よろしい」
「あのなあ……」
「それで、磯部健児のことは一切だめ?」
「ああ、奴らが磯部健児と関わっているのは間違いないのだが。頑固に口を割らない」
「そうか……。せっかく逮捕したのに」
 これまでにも、健児と関わっていそうな人物を何人も捕まえているのだが、いずれも頑なに口を閉ざしていた。
 何せあの政界にも顔の利く財界のドン、磯部京一郎氏の甥っ子なのだ。その血筋を背景に銀行からの融資も多く、中でも海運業においてはかなりの営業収益を上げている。だがその裏では麻薬覚醒剤の密輸入の総本山と言われている。あまたの暴力団が彼を匿うのも当然といえた。
「いっそのこと、どこかのビルの屋上から奴を狙撃でもするか?」
「それ! いいわね。いつやるの?」
「あほ……。本気にするな」
「なんだ、冗談なの、つまんないわね」
「まあ、何にせよ。奴を直接挙げるのはほとんど不可能だ。周囲から少しずつ囲い込むようにして追い込んでいくしかない」
「健児の周囲の人間から落としていくわけね。局長みたいに」
「そうだ。それに、俺達が公安委員会に申請している、例の件さえ通れば少しは動きやすくなるからな」
「特務捜査課ね」
 警察・麻薬取締部・税関・海上保安庁・各都道府県など、麻薬銃器等の密輸・密売、及び売春や人身売買(密入国)に関わる取り締まり機関はさまざまあるが、縦割り行政のなんたるかという奴で、それぞれ独自に捜査を執り行なって横の連絡は皆無に近い。複数の機関が連携しての検挙の例もあるが、その実績は少ない。
 その弊害を説いて、以前から上層部に上申していた「特務捜査課」の設置があった。前任の生活安全局長に握り潰されてしまった件である。
 今回麻薬取締部と警察との連携によって、覚醒剤取り引きと売春斡旋を行っていた暴力団組織員を逮捕に至ったことで、具体的な話が進展しつつあった。この件に関しては麻薬銃器取締課の課長さんが熱心に動いてくれているそうである。感謝!


 それから数日後だった。
「例の組織の売春婦斡旋勧誘員、つまりスカウトだな。その一人が判ったぞ」
 と敬が情報を仕入れてきた。
「ほんとう?」
「ああ……。しかし、本当にやるつもりか?」
「もちろんよ」
「そうか……」
 情報は与えてくれたが、あまり乗り気を見せない敬。
 当然でしょうね。
 自分の恋人を危険な囮捜査に駆り出すことになるのだから。
 ただ、組織を壊滅させたいという情熱には逆らえないといったところでしょう。
 放っておけばより多くの女性が苦しむことになる。
 彼の正義感が、私情を振り払ってまで行動に出ているのである。
「ごめんね……」
「いいさ。それでな……」

 そのスカウトの手口は、若い女性に言葉巧みに近づき、
『アイドルになってみませんか?』
 誘いに乗ってきた女性をマンションに連れ込む。
 写真撮りするなどして一応それなりにアイドルにさせるような素振りを見せながら、
『緊張しているね、この薬を飲むと落ち着くよ』
 と、覚醒剤を使う。
 やがて覚醒剤の虜となってしまうその女性を、売春婦へと調教していくそうだ。
 覚醒剤の魔力によって抵抗する意識を奪われ、スカウトの言いなりになっていく。
 今時の若い女性のアイドル願望心理を突いたあくどいやり方だ。
「いつもながら、ひどい話ね」
「まあな……。女性を金儲けのための商品としか見ていないからな」

「今回の任務は、売春婦斡旋業として暗躍する組織員に近づいて、奴らの地下組織を明らかにすることだ。そこには覚醒剤を射たれ、その魔力によって売春婦に仕立て上げられようとしている女性達が捉えられている。その女性達を救出する。斉藤真樹」
 わたしの名前が呼ばれる。
「はい!」
「心苦しいところではあるが、囮としてその組織員に近づき、地下組織への潜入をはかる役目をやってもらいたい」
「判りました!」
「その組織員に面識のある人物に依頼して、君がアイドルになりたいと紹介させる手筈になっている。組織員の本当の目的は売春婦斡旋だ。当然のごとくして、君は地下組織へ送られる事になるだろう。うまく成りすまし潜入を果たしてもらいたい」
 課長はたんたんと説明しているが、部下に危険な任務を与えねばならない苦渋の選択を強いられて、顔にこそ出さないが心底苦悩しているに違いない。
「決行の日は明後日である。くれぐれも慎重に行動してくれたまえ」
「はい!」
 自分から志願したこととはいえ、いざ決行となるとやはり緊張する。

 早速、先生のところに連絡しなくちゃ……。


 決行の日。
 黒沢先生の元を訪れるわたしだった。
「そうか、ついにやるのか……」
「はい。それで以前にお願いしました通りに……」
「判っている。覚醒剤を中和する薬を用意しておいた。腕を出してくれ」
「注射ですか?」
「ああ、錠剤なんかだと、肝臓に負担を掛けるからな。筋肉注射にして、徐々に血液に流れ出すようにする」
「プロギノンデポーみたいなものですか?」
 プロギノンデポーとは女性ホルモン製剤の一種で、先生が言ったように筋肉注射である。経口薬の場合、小腸から吸収された栄養素や薬物は、門脈を通って肝臓を通るようになっているが、有毒成分などはここで解毒して体内に通さないようにしている。薬剤やホルモンなども解毒の対象となっていて、小腸から吸収されても肝臓でどんどん処理されるわけである。処理し切れなかった残りが体内へ入っていって効果を発揮するわけね。より効果を高めようとするにはより多くの量を飲まなければならないし、反面肝臓の負担がよりますというわけ。
 そこで注射や点滴などで、肝臓を迂回させて直接血管や筋肉に注入すれば、無駄なく効果を期待できる。それがデポ剤である。とはいえ血液に乗って体内を巡って効果を与えた残りは、結局肝臓に流れ込んできて処理されてしまう。
「そういうことだ」
 早速、袖を捲くって腕を差し出す。
「うん。きれいな白い柔肌だ。覚醒剤はやっていないな」
「当たり前です!」
 ぷんぷん!
 麻薬取締官が覚醒剤やってたらしゃれにならない。
「場合によっては、この腕に消えないあざがいくつも残るようなことにもなりかねないのだぞ」
「わざと言ってませんか? 恐怖を煽って囮捜査を断念させるつもりで」
「ばれたか……」
 もう……。
 しかし、確かにこの腕にあざが残るような事態にもなりうるわけよね。
 でも今更……。
 何があろうとも、絶対に後悔はしないわ。
 捉われた女性達を助けなくちゃ。
 響子さんみたいな哀しい運命をたどるよなことは避けたい。
 だれかが犠牲になってでも……。
「んじゃ、射つよ」
 用意されていたアンプルから、注射器に阻害剤が注入され、そしてわたしの腕に注射された。
「どうだ気分は?」
 脈を測ったり、顔色を窺ったりしながら、わたしの状態を確認している先生。
「うん……今のところは、なんとも……」
「そうか……。なら大丈夫だな」
「ありがとうございました」
 捲くった袖を戻しながらお礼を言う。
「ところで、妊娠阻害剤の方はどうですか?」
「いや、それは薬じゃない方法を取ることにしよう」
「……といいますと?」
「IUDを君の子宮内に装着するのさ」
「避妊リングですね」
「そうだ。長期に作用する避妊薬だとどうしても副作用が避けられないし、脱出できなくって薬の効果が切れてしまったら元も子もない。その点IUDなら装着している限り避妊を継続できるし、生理も自然に到来するから、薬のせいで不妊になってしまったということもない。取り出せばいつでも妊娠が可能になる便利グッズだ。もっとも100%避妊というわけにはいかないし、どちらかというと出産の経験のある女性向きなんだが、今回の任務の特殊性を考えればそれが一番良いと思う」
「入れる時に、痛くないですか?」
「大丈夫だ!」
 ちょっと強い口調で断定する先生だった。
 あ……。
 いらぬことを訊いてしまったという感じ。
「じゃあ……。お願いします」
「判った。診察台に上がりたまえ」
「はい」
 産婦人科用の専用診察台……。
 両足を大きく拡げるようになった脚台のついたアレだ。分娩台と兼用にもなる。
 いつものことであるが……。
 気持ちのいいものではない。

 スカートとショーツを脱いで、下半身裸の状態で診察台に上る。
 先生が取り出したのは、クスコと呼ばれる……。
 ……とこれ以上語るのはよそう。
 自分で自分を陵辱するような言動は控えたい。

 ……。
「よし、装着完了だ」
 手馴れたものだった。
 おそらく裏の組織から頼まれて、数多くの女性に施術しているのであろう。
「取れなくなっちゃうことはないですよね」
「ない。タンポンを使うようなものだ」
「わたし……。タンポン使ったことないんですけど」
「ほんとか? 処女でもないのに?」
「処女が関係あるのですか?」
「言ってみただけだ」
「もう……先生ったら」
「あはは。何にせよ、大丈夫だ。一応言っておくが、IUDを使っていても妊娠することがあることだけは覚えておいてくれ」
「万が一ですが、そんな場合どうなります?」
「IUDを入れたままでも、妊娠の継続は可能だよ。受精卵が一旦子宮に着床してしまうと、IUDの効果が薄れてしまうんだな」
「そうなんだ……」

 それにしても……。
 性転換手術を受けてからというもの、先生と会うといつも妊娠がらみの会話になってしまう。
 もしかして、自分が手術した患者が正常に妊娠し出産するまでは見届けたいという、医師としての責任感からであろうか……。
 ともかくも、敬との将来を考えれば、避けて通れない話題ではあるわね。
 妊娠したら、やはり先生に診てもらうことになるわけだし……。
 自分の現在の状況を考えれば、他の産婦人科病院には通えないだろう。

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響子そして(二十九)裏と表の境界線
2021.08.02

響子そして(覚醒剤に翻弄される少年の物語)R15+指定
この物語には、覚醒剤・暴力団・売春などの虐待シーンが登場します


(二十九)裏と表の境界線

 そのままでは、また組織に命を狙われてしまうと考えた医師は、あたしの顔をその脳死患者そっくりに整形手術もしてくれていて、その患者のパスポートと身分証を使って、アメリカを脱出して日本に帰国しなさい。そういう医師の協力を得て無事に日本に戻ってこれたのです」
 実に長い告白だった。
「じゃあ、今のあなたは、その脳死した患者の身分を騙っているというわけですね」
「はい。ですが、その患者だったご両親にはすべてを話して許して頂きました。そしてあたしを実の娘、斎藤真樹として認めてくださり、一緒に暮らすようになりました。なぜならあたしの身体には、その患者の子宮や卵巣を含む臓器のすべてがあり、その両親と血の繋がる子供を産む事ができるからです」
「そういうわけだったの……」
「あたしが麻薬取締官としてすぐに実務につけたのは、警察官としての経験があったからです」
「敬さんはどうなさったの?」
 女性警察官からある程度のことは聞いていたが、あくまで噂に過ぎない。真樹さんから真実を聞きたかった。
「あたしが撃たれた時、実は一緒にいたんです。『あたしを置いて逃げて。もう助からない』という声を無視してまで、傷ついたあたしを抱きかかえて逃げようとしてくれていました。しかし、追っ手がすぐそこまで迫っていたので、悲痛の思いであたしを置いて逃げました。やがて彼は、追っ手から逃げるために、特殊傭兵部隊に入隊して、腕を磨き時を待ったのです」
 女性警察官の話したこととは内容がちょっと違うが、傭兵になったということは正しかったようだ。
「あたしは彼に何とか連絡を取ろうと考えましたが、傭兵部隊に入った事も知りませんでしたし、連絡手段がありません。そのうちにあたしと彼の死亡報告が日本の警察にされた事を知りました。致し方なく斎藤真樹として日本に帰り、あたしを実の娘として扱ってくれる新しい両親の下で、何不自由のない女子大生として暮らしていました。ところがある日、敬から突然『帰国するからまた一緒に仕事しよう』というエアメールが届いたのです。
 実はあたしを助けてくれた先生が、四方八方手を尽くして敬の居所を突き止めて、あたしが斎藤真樹として生きて日本に帰国したことを伝えてくれたのでした。もちろん、敬を愛していたあたしは再び彼と一緒に仕事をするために、麻薬取締官となるべく勉強をはじめ、見事合格採用されることになったのです。あの生活安全局長を覚醒剤取締法違反で逮捕して、その地位を剥奪・名誉を奪って復讐しようと考えたのです。そのためには一介の警察官では無理です。地方組織ではない国家的機関である麻薬Gメンにしか、それを可能にできないでしょう。そしてあたし達は、ついにそれをやり遂げて彼を逮捕に成功したのです。そして現在に至っています」
 聞けば聞くほど哀しい人生の連続じゃない。まるで、わたし自身の経験にも良く似た悲哀が込められていた。見知らぬ世界へ飛ばされ、恋人の死に直面し、自分自身の存在の抹殺と再生、そして恋人の生還。わたしと秀治が生きて来た人生とどれだけ重なる部分があるだろうか。

 しかしどうも解せないことがある。
 産婦人科医と臓器移植という言葉を聞くと、どうしてもある人物の名前が浮かび上がってくるのだ。

「……さて、そろそろお暇しましょうか。長い間ありがとうございました。また何かありましたら何なりとご連絡下さい。あ、これ。名刺です」
 名刺を受け取り、これまで喉のところまで出かかっていた言葉を発した。
「あの……」
「何か?」
「もし差し支えなければ、執刀医のお名前をお尋ねしてもよろしいでしょうか? せめて日本人かどうかでも……」
 期待はしていなかった。どうやら非合法的に移植が行われたようだし、整形手術を行って身分擬装工作の手助けをしたとなれば、執刀医の名を明かす事は医師生命に関わる場合があるので、秘密にしてくれと口封じされたはずである。
 彼女の口からは意外な答えが返ってきた。
「それ以上のことは詮索しない事が身の為だ。それ以上を知ると再び裏の世界に引き戻されることになる。……わたしの先生の口癖です、お判りになりますか?」
 ああ……その言葉……。間違いない。
「そうでしたか……判りました」
「そういうことです。では、失礼します」
 そうなのだ。真樹さんは、暗に黒沢先生のことを言っている。どうやら黒沢先生は移植の本場アメリカで技術を磨いたのだろうと思った。その時に真樹さんに偶然出会って、命を助けたのだ。そう確信した
 黒沢先生のことは、詮索してはいけない。まして、他人にそれを話してもいけないのだ。時々裏社会のことを話してくれはするが、もちろん他言無用の暗黙の了解の上なのだ。たとえ相手もそれを知っていると確信していてもあえて言わない。問わない。
 裏と表の境界線上に生きる人間の最低限のルールなのだと悟った。

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