梓の非日常/第六章・ニューヨークにて(六)ピアノの旋律
2021.03.21

梓の非日常/第六章・ニューヨークにて


(六)ピアノの旋律

 執務室。
 本日の業務はすでに終了して、渚は居間の方でくつろいでいる。
 ニューヨーク市警から戻ってきてすぐ、麗香は梓同席の下、専属メイドを呼び集めていた。
『ああいった場合、お嬢さまを最優先で逃がしてさし上げるのが本道でしょう』
 梓を目の前にして、メイド達を叱責している麗香。
『いや、それは、あたしが……』
『お嬢さまは、黙っていて下さい!』
『え、あ……』
 麗香の強い口調に言葉を失う梓。
『確かに喧嘩をはじめてしまわれたのはお嬢さまかもしれませんが、それを無理にでもお止めするのが本筋でしょう。なのに、一緒になって喧嘩に参加するとは。本末転倒じゃないですか』
 自分が関わったことで、メイド達が直属の上司である麗香に叱責されているところを、目の当たりにすることほど、苛まれることはない。自分自身が直接叱責されるよりも辛いものである。
 もちろん、主人である梓を麗香が叱責できるはずもなく、そうすることで関節的に自嘲することを促しているわけである。

 ドアがノックされてメイドが入ってくる。
『お嬢さま、渚さまがお呼びでございます。居間の方でお待ちです』
『ん? 今、いく』
 向き直ってから、
『それじゃ、麗香さん。美智子さん達をあまり責めないで』
 と言い残して退室する。
 梓が退室したのを見て、声の調子を落とし、表情を和らげる麗香。
『お嬢さまは、屋敷から出られないあなた達を不憫に思われて、わざわざ観光にお誘いくださったのよ。そんな使用人思いのやさしいご主人なんてそうざらにはいませんよ』
 と微笑みながら諭していく。
『はい』
『私達の大切なお嬢さまです。自分がどうなろうとも、お守りして差し上げる。そんな気持ちでいられるようにしたいですね。どうですか?』
『はい。その通りでございます』
『そう。判れば結構です。今日はもう部屋に戻って休みなさい』
『かしこまりました』

 居間に姿を現した梓。
『なあに、お母さん』
 ソファーに腰掛けている渚が答える。
『幸田先生から連絡があったわよ』
『幸田先生?』
『ええ、音楽コンクールのピアノ部門、審査員特別賞だったそうよ』
『審査員特別賞?』
『金賞に準ずるんですってよ。課題部門は文句なく一位だったそうだけど、自由部門で見事なオルガンの演奏を弾いたものの、ピアノではないということで、特別賞に決まったらしいわ。ともかく参加者の中の一位には違いないって』
『ふうん……』
『ちゃんと言いつけを守って、ピアノのお勉強を続けていたようね。安心したわ。久
しぶりに、聞かせてくれるかしら。梓ちゃんのピアノの演奏』
『う、うん』
『コンクールの自由部門で弾く予定だった曲がいいわね』
『わかった……』
 ピアノの椅子に腰掛け、呼吸を整えて、静かに弾きはじめる。
 美しい旋律が屋敷内に流れていく。
 目を閉じ、娘の演奏に聞き入っている渚。
 麗香が入ってくるが、梓の演奏を邪魔しないように、音を立てないようにそっとソファーに腰を降ろす。
 屋敷内を行き来するメイド達も、足を止め、仕事の手を休めて聞き惚れている。

 一方、解放されて美智子の部屋に集まったメイド達。
 開けたままの扉の外から、梓が演奏するピアノの旋律が流れてくる。
『きれいな曲……お嬢さまが弾かれているのね』
『相変わらずお上手』
 じっと聞き耳をたてて聞き入っているメイド達。
『この美しい曲は、お嬢さまの心の内を現しているみたいね。わたし達を気遣うやさしさとか』
『気遣う心か……。ねえ、美智子さんが風邪でダウンした時のこと覚えてる?』
『覚えてる。お嬢さまがわざわざ学校の帰りにリンドウの花を買ってきてくださったのよね』
『そうそう、その一件があって、かほりさんが仲間入りしたんだよね』
 言われてメイド達は過去を思い起こしていた。

↓ 1日1回、クリックして頂ければ励みになります(*^^)v



にほんブログ村 本ブログ 小説へ
にほんブログ村



11
梓の非日常/第六章・ニューヨークにて(五)暴漢者達
2021.03.20

梓の非日常/第六章・ニューヨークにて


(五)暴漢者達

 梓達一行を柄の悪い連中が取り囲んでいた。
『エルドラドを降り立った時から、ずっとつけていたみたいですよ』
『お金の話しをしながら歩いていたからかなあ』
『というよりも、大金を持ち歩いている日本人観光客は目をつけられているからですよ』
『あたし達、観光客に見えるんだ』
『十分観光客に見えますよ』
 梓達が流暢な英語を喋っているので、意外といった表情の暴漢達。
『おまえら、英語が判るのか?』
 暴漢の一人が確認してきた。
『判るもなにも、地元だよ。この街で生まれ育ったよ』
 梓が答える。明らかにニューヨークなまりとわかる本場の英語である。
『ちっ! はずしたか……。まあいいや。なら、話しは早い。金を出しな』
『おお! 単刀直入にきたか』
『車から降りるときに財布を手渡されたのを見てる。全部出せ』
 といいつつ手を差し出す。
『やっぱり、車からつけてきていたんだ』
『早くしな!』
『やだね』
 あかんべえをする梓。
 暴漢に囲まれているというのに、落ち着き払っていて、少しも脅えていない。
『なんだとお。少し痛い目に会いたいようだな』
『痛い目って、魚の目か?』
『また、言ってる! 今どういう状況かわかってるの?』
 絵利香が金きり声をあげる。
『うーん……暴漢者に囲まれてる』
 とぼけた表情で答える。
『このお、ふざけやがって』
 いきなり殴りかかってくる暴漢。
 しかし梓は冷静に体をかわして、その腕を関節技に極めて、相手の勢いに乗せて投げ飛ばした。
『うおおお、い、いてえよお』
 地面に伏した暴漢は苦しみのたうちまわっている。
 暴漢はまともに技が決まってどこか負傷したようだ。受け身を知っていれば何ということのない技なのだが、暴漢達が知る術もなし。
『肘の関節が外れたよ、早く医者に診てもらった方がいいぞ』
『こ、こいつ。柔道が出来るのか?』
 暴漢達が尻ごみする。いとも簡単に大男が投げ飛ばされたのだ。当然の事だろう。
『柔道? 合気道だよ』
『しようがないですよ。投げれば、柔道。蹴れば、空手。棒切れ振り回せば、剣道。ぐらいしか知識がないんですから。攻撃技のない合気道はメジャーじゃないんです』
 といいつつ自分に襲いかかってきた相手に回し蹴りを食らわしている美智子。
『へえ、あなた達も武道のたしなみがあるんだ』
『当然ですよ。でなきゃ麗香さまが、お嬢さまのこと任せてくれたりしませんよ』
 と平然と男を投げ飛ばす美鈴。
『専属メイドの採用条件に、英語堪能という他に武道の心得も必須になっているのです。お嬢さまの護衛の任もあるんです』
 今度は明美が、踵落としを決める。
『わたし達の得意はそれぞれ違うんですよね』
 美智子の縦拳が相手の顔面に炸裂して、もんどりうって倒れる暴漢。
 合気道、空手、柔道、テコンドー、日本拳法。まさに技のオンパレードであった。
『そうなんだ……おおっと、絵利香ちゃん危ない!』
 背後から絵利香に近づこうとした暴漢を、跳び膝蹴りで撃退する梓。
 武道の心得のない絵利香をかばように、梓やメイド達は動きはじめた。

 その頃、ブロンクス屋敷の執務室では、非常事態を察知して動きだしていた。
 梓の行動を二十四時間監視している人工衛星が、警報を鳴らしたのである。
 パネルスクリーンには暴漢達に囲まれている梓達が映しだされている。
『大至急、ニューヨーク市警のコードウェル署長に連絡して』
 渚が指令を出す。
『かしこまりました』
 いったん屋敷に戻っていた麗香であるが、取って返して梓の元へと、エルドラドを走らせていた。

『もう、いい加減にしてよ!』
 いくら倒しても切りがなかった。次々と新手が出てくし、そうこうするうちに倒した相手が起き直って再び向かってきたからだ。
 さすがに疲れが見えはじめた頃、遠くからサイレンの音が聞こえてきた。
 すると暴漢者達は、ここまでと撤退をはじめた。
 その後ろ姿を見つめながら、
『あの、執拗さ……どうやら、金目当てだけじゃなかったみたいね』
『もしかして婦女子誘拐団だったりして……誘拐した婦女子が財産家だったら、身代金をとり、庶民なら薬づけにして、売春とかをさせるあれ?』
『たぶんそうじゃないかな。だって高級車のキャデラックら降り立った所を見られてるんだもの。身代金目的で誘拐するつもりだったのかも』
 パトロールカーが梓達の前に集まってきた。
 警官達が降りてきて、倒れている暴漢者達を確保していく。
 そのうちの一人が梓に近づいてくる。
『真条寺梓さんですね?』
『え、あ……はい』
『やっぱり。渚さまに生き写しだからすぐに判りましたよ』
『あなたは?』
『ニューヨーク市警のコードウェルです』

 ニューヨーク市警本部。
 その署長室に集まった梓達。
 麗香も後追い到着していた。
『お久しぶりですなあ。お嬢さまがた』
『ええと……いつ、お会いしましたっけ?』
『あはは。そうか、覚えておられませんか。そうですねえ、まだ五歳でしたものね』
『コードウェル署長は、お嬢さまが五歳の時に、迷子になられた時の捜査責任者です
よ。当時は警視でした』
 梓達の身柄引取に市警に出迎えていた麗香が答えた。
『麗香さんは、その当時から世話役をなされていましたね。お嬢さまが迷子になったと、真っ青になって駆け込んできた十三歳当時のこと覚えていますよ。コロラド大学の一年生でしたっけ』
 麗香は才媛なために、成績優秀飛び級で大学進学を許されていた。
『はい。その通りです』
『五歳で迷子というと、セント・ジョン教会とヴェラザノ神父のことは覚えているけど……』
『ああ。そう言えば、ヴェラザノ神父、お亡くなりになったそうですね』
『はい。こちらに戻ってきたのは葬儀に参列するためでした』
『そうでしたか。神父は音楽に造詣の深いお方でしたね』

↓ 1日1回、クリックして頂ければ励みになります(*^^)v



にほんブログ村 本ブログ 小説へ
にほんブログ村



11
梓の非日常/第二部 第八章 小笠原諸島事件 (九)津波襲来
2021.03.19

梓の非日常 第二部 第八章・小笠原諸島事件


(九)津波襲来

 生徒達が原始的生活に勤しんでいるその時だった。

「みんな、あれを見て!」
 生徒の一人が、海の方を指さして、異変を伝えた。
 水平線の一部が大きく盛り上がっていた。
「な、なに?」
 全員が海に注目した。
 海の盛り上がりは次第に大きく、そしてまさしく近づきつつあった。
 尋常でない事態が発生している。
「も、もしかして……津波じゃないのか?」
「つ、つなみ? まさか……」
「俺、TVで津波の映像見たよ。間違いないよ」
 
 天候は予報できるが、地震とそれによって引き起こされる津波は予測困難である。
「無線で救援を求めて!」
 無線を管理している下条教諭に伝える。
「今から連絡するが、到底間に合わないよ」
 言いながら無線機を手に取った。

「父島の方でも、ハワイの太平洋津波警報センターから地震津波速報を受けているはずだよ。今対策を講じているよ」

「みんな木に登るんだ! 津波がくるぞ!!」
 島全体に聞こえる大声で誰かが叫んだ。
 全員大慌てで、木に登り始めた。
 しかし、女生徒など木登りができない者もいる。
 男子が、その尻を押し上げる。
 恥ずかしいなどとは言っていられない。
 生命が掛かっているのだ。

 津波に関する次のようなデータがある。

① 津波の速度={水深mx重力加速度(9.8m/s*2)}の平方根
② 津波の高さ≒水深の四乗根に反比例(グリーンの法則)することが分かっているが、地震の規模や発生過程によって変わるので明確な公式はない。
③ 水平線までの距離=1.06{h(2r+h)}の平方根(h は観測者の目の高さ、r は地球半径)

 太平洋の平均水深は4800mであるから、①式に当てはめると津波の速度は時速約780kmとなる。新幹線を遥かに上回る波が押し寄せることになる。ちなみに水深100mくらいになると時速約100kmまで落ちる。
 1960年に発生したチリ地震(Mw9.5)では、地球の裏側17000kmの彼方から22時間かけて到達し、最大6.1mの津波が発生した。
 身長1m80の人間が見える水平線までの距離は③式から約5km。
 よって水平線に津波が見えたならば、約23秒後にはもう津波はやってくるということになる。

 周囲に何もない太平洋のただ中ならば津波はそれほど怖くない。
 津波という名の通りに、ただの波なので船に乗っていれば、上下に浮かんだり沈んだりするだけだ。縄跳びの一カ所だけを見れば上下に振れていることが良く分かるだろう。
 津波が怖いのは、陸地に近づいてから。
 大陸棚に入り深度が浅くなって速度が落ちることによって(②式)、後ろから続く波によって押し上げられるように高くなる。
 ただの波が海水の流れと変わって寄せるようになるからだ。

 孤島の場合を考えてみよう。
 確かに深度が浅くなって津波の高さが上がってくることが想像できるが、実際にはそれほど急上昇はしないはずだ。
 これは川の流れの中にある岩を考えれば分かる。
 水は岩に当たっても、両側に素直に分かれてしまうからだ。
 津波が頻繁に行き来する太平洋の中の小さな島国が生き残っていられるのもこのせいである。
 ところがこれが堰や堤防となると、行き場を失った水はそれを乗り越えて、場合にはそれを決壊させてしまう。陸地を襲う津波がこれである。

 津波はすぐそこまで迫っていた。
「背中側を波に向けるように木にしがみ付いて!」
 その態勢は、波が来ても身体が木に押し付けられる格好になるからである。
 波の方に顔を向けていれば、木から剥がされて流されるということである。

 そしてついに、到来した津波が生徒達を襲った。

 木に登った生徒達の眼下では、島に上陸した波が砂浜を洗っている様子が見られる。
 波の高さは50cmくらいであろうか、海がまるで川のように流れている。
 ずり落ちないように必死で木にしがみ付いている生徒達だった。

↓ 1日1回、クリックして頂ければ励みになります(*^^)v



にほんブログ村 本ブログ 小説へ
にほんブログ村



11
梓の非日常/第六章・ニューヨークにて(四)スベリニアン寄宿舎
2021.03.18

梓の非日常/第六章・ニューヨークにて


(四)スベリニアン寄宿舎

 ニューヨーク五番街にあるスベリニアン寄宿舎の前に立つ梓達。
 メトロポリタン美術での鑑賞会を終えて、かつて暮らしていた場所を再訪したのであった。
『へえ。外観は昔と変わっていないみたいだわ』
『さあ、入ってみましょうよ』
『まず寮長にご挨拶しなきゃね』
『お部屋は、入ってすぐ右手だよね』
 オークウッドの重厚な扉を開けて中に入る梓達。
 ほとんどの学生達が外出中で照明の落とされたロビーは、ひんやりとした空気が漂い、かつて梓達が暮らしていた頃のまま、時が留まっていたようにも感じられた。
『うーん。この雰囲気もかわってない』
 人が入ってきた気配を感じたのか、右手の寮長の部屋が開いて、中から出てきた女性。その姿を見るなり、梓と絵利香が同時に叫んだ。
『キディーさん!』
 そして、思わず目に涙をためて、その胸の中へ飛び込んだのだった。
『あらあら、どうしたの? 二人とも』

 ロビーの応接セットに腰を降ろす一同。
『ほんとこんなに大きく美しくなって、最初誰だかわからなかったわ』
『まだ寮長をされてたなんて思いもしませんでした』
『何か、居心地がよくってね。居着いちゃったのさ。ニューヨークの一等地にあって交通の便もいいし、何たって家賃がただ! だから』
『うふふ。キディーさんらしいですね』
『みんなに紹介するね。あたし達がこの寮で生活していた時に、いろいろとお世話になった寮長のキディー・アーネストさん。寮生活に関わる細々としたことや、フランス語を教えてくださったの』
 美智子が立ち上がって自己紹介をした。
『はじめまして。お嬢さまの身の回りのお世話を仰せ付かっております美智子です。同じく美鈴さん、明美さん、かほりさん』
 他の三人も立ち上がって挨拶した。
『はじめまして』
『梓ちゃん達は、住んでたお部屋を見てらっしゃいよ。部屋は空室だから大丈夫』
『はい。それじゃあ、見せてもらいます』
 と言いながら、絵利香が立ち上がる。
『悪いけど、美智子さん達はロビーで待ってていてね』
『はい。ごゆっくりと昔を懐かしんでください』
 寄宿舎に関りのないメイド達までぞろぞろと歩き回るわけにはいかない。
『この娘たちには、私から当時の事話してあげてるわ』
 席を立って、かつて生活していた部屋のある二階へと階段を昇っていく。

『天井、こんなに低かったっけ?』
『何言ってんのよ。わたし達が成長して背が高くなったせいじゃない』
『ああ、そうか』
 二階の通路の突き当たりに、その部屋はあった。
 神妙な面持ちで扉を開けて入る二人。
『変わってないわね』
 アールデコ風に統一された調度品。
 欧米において調度品は、その部屋に最初からセットされて用意されているものである。日本のようにまず空き部屋の状態から、住居人が自由に買い揃えるというものではない。
『そっちのベッドに麗香さんが寝て、あたし達はこっちのベッドに並んで寝てたんだよね』
 梓がベッドの縁に腰掛けて懐かしんでいる。
 絵利香は窓辺により、外の景色を確認している。
『外の風景は、ずいぶん様変りしているわ』
『この寄宿舎の中だけ、時間が止まっているみたいね』
『そう感じるのは、わたし達の記憶にあるイメージがそのまま残っているからよ』
『思い出はいつまでも永遠にあたし達の心の中にあるということか』
 かつて麗香と共に生活していたあの頃のことを回想している二人であった。
『麗香さんも一緒に連れてくれば良かったね』
『うん……』

↓ 1日1回、クリックして頂ければ励みになります(*^^)v



にほんブログ村 本ブログ 小説へ
にほんブログ村



11
梓の非日常/第六章・ニューヨークにて(三)メトロポリタン美術館
2021.03.17

梓の非日常/第六章・ニューヨークにて


(三)メトロポリタン美術館
 
『さあ、みなさん乗車してください』
『はーい』
 専属メイド達は、ウキウキしながらフリートウッドの後部座席に乗り込む。
 神田美智子、花咲美鈴、井上明美の三人にとって、こんな超高級車に乗るのは、初めてのことだろう。
 ちなみに、エルドラドの定員数は5名、フリートウッドは6名である。
 小柄な日本人なら、後1名は余裕で乗れるだろう。
 梓と絵利香は、運転手がドアを開けて促す後部座席に鎮座する。
 麗香は前部助手席に腰を降ろす。

『しかし梓って、大きな車が好きだね。ファントムⅥもこのエルドラドも』
『え? 白井さんの好みじゃないの。あたし、知らない』
『いいえ、お嬢さまがお選びになられたのですよ。お忘れですか?』
『うそ』
『お嬢さまが五歳の時でした。送迎用の車をお決めする際に、車庫にお連れして、どれでもお好きな車を選んで下さいと申しましたら、一番にファントムⅥ、次にエルドラドを選ばれたのですよ。大きい順に選ばれたようですね』
『そうなの? 覚えてない』
『五歳ですから、仕方ありませんよ。それで二台選ばれたので、どちらかにしてくださいと申しましたら、だだをこねられまして、結局二台ともお嬢さまの送迎車になりました。特にお気に入りのファントムⅥは常にお嬢さまのお側に、エルドラドは本宅用に置くことになりました』
『そんなことがあったんだ。でも確か三歳の頃から、白井さんはあたしのお抱え運転手じゃなかった?』
『そうですよ。五歳までの間は、渚さまのインペリアル・ル・バロンにお乗りでした。渚さまは、車よりも飛行機で移動なされることがほとんどでしたから』
『そのル・バロンも大きいね。お母さんの車でなかったらきっとエルドラドじゃなくてそっち選んだんだろうな』
『というよりも、ル・バロンには渚様とご一緒によく乗っておられましたので、すでに自分のものと思われていらしたからですよ』
『そ、そうなんだ……あはは。あたしって独占欲強かったんだ』
『でも本当のところは、絵利香さまや私にプレゼントなさるおつもりで、車をご用意なされたようですよ。実現はしませんでしたけれど』
『そっかあ、絵利香ちゃんと麗香さんに……全然覚えてないな。五歳だから、しようがないか……』

 メトロポリタン美術館前にエルドラドとフリートウッドが停車している。
 麗香とメイド達はすでに先に降りて、梓の降車を待ち受けている。
 降りる準備をしている梓達。
 みんなで美術館での鑑賞会というところだが、麗香は別行動ということになっている。
『これを渡しておきます』
 麗香がメイドの一人一人に紙包みを渡している。
『お小遣いです。無駄使いしないように』
『ありがとうございます』
『はい。お嬢さまにも』
 麗香が梓と絵利香に渡したのは紙包みでなくちゃんとした財布だった。
『あ、ありがとう』
『ありがとうござます』
『それじゃあ、お嬢さま。午後五時にワシントン広場でよろしいのですね?』
『うん。その時間に迎えに来て』
『かしこまりました。十分前にはお迎えに参ります』
『よろしく』
『じゃあ、あなた達。くれぐれもお嬢さまをよろしくね』
 麗香がメイド達に再確認をとる。
『はい。おまかせください』
 ぺこりと頭を下げるメイド達。
 二台の車が走り去って行く。手を振りながらその後ろ姿を見送る一行。
『ねえ、いくら入ってる?』
 やはり紙包みの中身が気になるのだろう、メイド達が袋を開けて確認している。
『十ドル紙幣が十枚で、百ドルよ』
『これって多いのかな、少ないのかな』
『どうかな、ニューヨークの物価しだいだね』
『あの……お嬢さま方のお財布の中にはいくら入っていました? よろしかったら教えていただけませんか』
『わたしは五百ドルよ。梓ちゃんは?』
『ん、五百ドルとあたし名義のクレジットカードが入っていた』
『カード持ってるの? 見せて見せて』
 絵利香がカードを覗きこむ。
『わあ、梓ちゃんの写真が印刷されてる。可愛いじゃない。写真映りばっちりよ。不正利用されないためね』
『でも未成年でもカード持てるのですか』
 ここでいう未成年とは、アメリカでの成人年齢に対しての十八歳未満を意味している。日本での二十歳ではない。
『現にここにありますよね。要はカード会社が本人を信用できるかどうかでしょう?
 その点、お嬢さまは完璧』
『カードがあるのは、どうぞご自由にお使いくださいってことでしょうか』
『違うと思いますよ。カードは万が一の時のためのものでしょう』
『ところで、このおこづかいって麗香さまのポケットマネーかな。やっぱり』
『多分ね。だってわたし達の外出って、公務じゃないもの。公費から出せるわけないわ』
『お嬢さまの分は?』
『絵利香ちゃんの分も含めて必要経費から出てると思う。お小遣いにしても、ホテルを使用した時の宿泊費とか、あたしが使うお金って麗香さんが管理しているんだけど、お母さんの方から年間いくらって予算が与えられているみたいなのね』
『その予算っていくらくらいなんですか?』
『教えてくれないの。「お金のことで思い悩む時間があったらお勉強してください」ってね』

↓ 1日1回、クリックして頂ければ励みになります(*^^)v



にほんブログ村 本ブログ 小説へ
にほんブログ村



11

- CafeLog -