梓の非日常/第二部 第八章 小笠原諸島事件(十)津波の後で
2021.03.26

梓の非日常 第二部 第八章・小笠原諸島事件


(十)津波のあとで

 津波は過ぎ去った。
 無事に生き残った生徒達が、恐る恐る地上へと降りてゆく。
「みなさん、大丈夫ですか?」
 IRが生存確認を始める。
 互いに見合わせるが、
「梓さんがいません!」
「沢渡君も見当たりません!」
 念のために島内に届く大声で、点呼を取ってみるが返事はなかった。
「流されたのか?」
 一人の女子生徒が前に出た。
「梓さん、あたしを木に登らせようと、お尻を押し上げようとしていたんです。その時……」
 とここまで言って、顔を手で覆って泣き伏した。
 他の女性達が寄り添って慰めている。
「沢渡君は、梓さんが流されるのを見て、救助しようと追いかけるように波に出たようです」
 引率していた生徒が行方不明になったことで狼狽える下条教諭とIR。
 無線機は津波に流されてしまって、連絡を取ることができない。
 津波が発生したことは、船の方でも分っているはずだから、安否確認のために島までやってくることを期待するしかない。


 それから数時間後。

 とある島の砂浜に打ち上げられている梓。
 気絶している梓の頬をさざ波が打ち付ける。
「ううん……」
 唸るような声を出して、梓が気が付いた。
 起き上がって周囲を見回すと、離れたところに慎二が倒れていた。
 駆け寄る梓。
「慎二!」
 身体を揺すって起こそうとする。
「ううん……」
 と一言唸ってから目を覚ます慎二。
「目が覚めたようね」
「ああ……」
 辺りを見回して、他の生徒がいないのを確認してから、
「みんなは?」
「いないわよ」
「なぜ?」
「どうやらあたし達だけ、別の島に流されたみたいよ」
「流された?」
「頭打ってない? 大丈夫?」
「大丈夫……みたいだ。それより、ここは?」
「分からないわ。津波に流されて、ここにたどり着いたってところ」
「他の生徒は?」
「それも分らない。ここに流されたのは、あたし達だけみたい」
「そっかあ……」
 すっくと立ちあがって、大声を張り上げた。
「誰かいませんかあああ!」
 しばらく待ったが、返事はなかった。
「やはり、他には誰もいないようね」
 というと、適当な木切れを拾って砂浜に何かを描き始める梓。
「なにやってるんだ?」
「救助信号のS.O.Sを書いているのよ」
「救助?」
「こうやって書いていれば、捜索出動で近くを通ったヘリコプターに『ここにいるよ!』って知らせることができるでしょ」

 梓ならば、救助ヘリではなくても、宇宙から人工衛星の探査カメラで確認できるだろう。
「慎二の着ているシャツを貸してくれない?」
「なにすんだよ?」
「いいから。でなきゃ、あたしが脱ぐしかなくなるでしょ?」
 何かしらんが……という顔しながら、シャツを脱いで渡す。

 シャツを受け取ると、信号を描いた棒にシャツを括り付けて、旗のようにして砂浜に突き刺した。
「これで船からでも、ここにいることが分かるでしょ」
「なるほどね」

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梓の非日常/第七章・正しい預金の降ろし方(三)和食のおもてなし
2021.03.25

梓の非日常/第七章・正しい預金の降ろしかた


(三)和食のおもてなし

 純和風建築の篠崎邸の平棟門を通って、客殿玄関先車寄せにベンツが入ってくる。
 ベンツの後部座席から降りてきたのは、この屋敷の主であり絵利香の父親の篠崎良三であった。ふと車庫の方に、中に入りきらないではみだしているファントムⅥを見出して、
「ロールス・ロイスがあるところをみると、梓お嬢さまが見えてるようだな」
 と出迎えに出ているメイドに尋ねる。
「はい。只今絵利香お嬢さまのお部屋にいらっしゃいます。今夜はお泊まりになられるそうです」
「そうか。どれ、お会いするとするか。しかし……車庫をもっと広げなきゃいかんな」
 頭を掻きながら屋敷の中へと入ってゆく。
 全体的には畳や障子で構成される和風様式だが、家族が出入りする客殿から続く渡り廊下の先に、絵利香の部屋や食堂など洋式に改造された棟がある。こういった改造が自由にできるのも、文化財指定を受けていない理由である。
 絵利香の部屋。制服から着替えを済ませて仲良く談笑している二人。時々泊まりにくることがあるので、衣装タンスには数日分の梓の衣装が用意されていた。
 ドアがノックされる。
「お父さんだよ。絵利香入っていいかい?」
「いいわよ」
 絵利香の許可を得て、良三が入って来る。
「お帰りなさい。お父さん」
「ただいま、絵利香」
「お邪魔してます、おじさま。今晩、おせわになります」
「やあ。気がねなく、ごゆっくりしていってくださいな」
「はい。でも、この時間におじさまが帰ってらっしゃるなんて、めずらしいですわね」
「ん? お嬢さまがいらっしゃるような予感がしてね。仕事を切り上げてきましたよ」
「うそつき。仕事の虫のお父さんが、仕事を放り出すなんてことないでしょ」
「ははは。今日はたまたま早く予定が終わったのさ」
 しばしの談話を続ける三人のもとに、メイドが知らせにきた。
「旦那様、お食事の用意が整いました」
「おう、すぐ行く」
 腕を差し出す良三。
「それでは、参りましょうか。お嬢さま」
 梓はその腕に自分の腕をからめて歩きだす。
「もう、お父さんたら。梓ちゃんには甘いんだから」
 しようがないなあ、といった表情で二人の後をついてくる絵利香。
 父親を早くに亡くしている梓には、良三は身近にいる唯一の親しい男性であり、理想の父親像を当てはめてなついていた。それを知っているからこそ、梓にもまた実の娘に匹敵するくらいの愛情を抱いている良三であった。

 食堂。テーブルを囲んで談笑する篠崎一家と梓。
 なお念のために述べておくと、真条寺家では家族同様の扱いで、一家の食事の列に同席を許されている麗香達世話役は、他家に招かれての食事会やお茶の席では、ただの使用人でしかないので席をはずしている。その間、麗香や運転手の石井は、使用人達用の食堂で食事をとることになっている。もちろん主人達に出されものとまったく同じメニューである。使用人だからといっても、上客には違いないからである。と言ってしまえば聞こえがいいのだが、かつて封建制度の色濃く残る昔、主人に出される料理のお毒見係り、というのが本当の役目だったというのが実情なのだ。真条寺家も篠崎家も戦国時代から綿々と続く豪族旧家なので、そんな風習が残っていても不思議ではないが、もちろん今日ではそんなことの有り様がない。
「わあ、今日は、お刺し身に天ぷらですね」
 鮪と鯛の刺し身。車海老と野菜の天ぷら。さざえの壺焼き。鰆(さわら)と絹さやの炒めもの。つくし・ぜんまい・せりのゴマ和え。舞茸と人参の吸い物。大根の吉野本葛あん掛け。筍と小松菜のおひたし。椎茸と銀杏の蒸し碗。山の幸、海の幸、ほどよく取り混ぜて食卓を賑わしている。
 梓が来訪した時の篠崎家のメニューは必ず和食になる。
 真条寺家別宅では、和食料理が出されることはない。フランス料理を専門とする第一厨房、中華料理を主としてその他の調理をする第二厨房、そして寄宿舎にある従業員用厨房、いずれも和食を調理できるような厨房になっていないからだ。
 以前に和食をメニューに入れられるように一流処の板前を雇おうとしたが、和食を調理できる厨房がないのと、何よりも屋敷全体の装飾や調度品があまりにも欧風にカスタマイズされているために、和食に合わないと無碍に断られてしまったのだ。
 自宅では和食を食べられない梓のために、篠崎家は和食をもって歓待することになったのだ。もちろん梓も来訪する時は、午前中までに知らせることにしている。突然のメニュー変更で食材の調達が必要になるかも知れないからだ。
 真条寺家の三代前の家督長の茜と、篠崎家の先々代の社長夫人の涼子は、大の仲良し幼馴染みで、以来両家は親戚同様の付き合いを続けている。梓と絵利香が紹介され仲良しになり、共に暮らせるようになったのも、そんな事情があったわけで、二人が双方の屋敷を遠慮なく出入りできるような環境が整っている。和食が食べたくなったらいつでも篠崎家を訪れる梓であった。
「でもはじめてお刺し身を出された時は、面白かったわね」
「しようがないじゃない。お魚を生で食べるなんて習慣なかったもん」

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梓の非日常/第七章・正しい預金の降ろしかた(二)篠崎邸にて
2021.03.24

梓の非日常/第七章・正しい預金の降ろしかた


(二)篠崎邸にて

 延々と続くかと思われるほど長い土塀と銀杏並木に囲まれた中、広大な日本庭園を伴った篠崎邸が建っている。三百年程前に川越随一とも言われた豪商、絵利香のご先祖さまが金にあかせて建てた総檜真壁造りの豪邸である。基本的に桃山時代以降に発展した武家屋敷に取り入れられた書院造りに準じた屋敷となっている。書院造りとは、桃山時代の工匠が記した【匠明】に詳しい。
 東側の御成門をくぐると主殿(客座敷・母屋と呼んでいる)から御成御殿(主客間)、中書院(居間・良三夫妻の部屋)と続く。
 家族が出入りする北東の平棟門からは客殿(居間)、大台所(食堂・厨房)、北書院(絵利香の部屋)と続いている。
 南東門からは、茶会を開く数奇屋と路地、南書院(客間)、主殿に相対する位置に能舞台と楽屋など催事関連の寝殿が建っている。
 そしてそれらの本殿を取り囲むように、中庭を挟んで使用人が暮らす長屋が連なっている。それ以外にも随所に土蔵や小部屋が散らばっている。
 邸宅だけでも現在の価値にして、総工費三十二億円は下らないだろうと噂されている。主殿の二尺角の大黒柱だけで八千万円相当の価値があるそうだ。
 大黒柱に連なる尺五寸のはり受け、それに台持継ぎされた屋根を支える尺寸の小屋ばり、そして軒げた・敷げた・もや等々、天井裏をのぞけば三百年の風雪に耐えたその頑丈さを証明してくれるだろう。その頑丈な骨組に本瓦の屋根が乗っている。現代に良くみられる桟瓦は、江戸時代以降に発明されたものであるから当然であろう。
 これらの屋敷や調度品には、国宝や国指定重要文化財としての価値があるものがあり、文化庁からの申し出があるのだが、篠崎家は文化財指定を頑なに断り続けている。

 日本庭園には、四季折々の木々や草花が咲き誇り、一般市民に随時解放されて憩いの場ともなっている。事前の承認が必要だが、句会や茶会なども頻繁に開催されている。但し第一・第三・第五水曜日は休園なので注意。
 春の桜とすみれやアイリス、梅雨時のノイバラと菖蒲や紫陽花、夏のクチナシと露草や向日葵、秋の金木犀と菊や秋桜、そして冬には椿と水仙やシクラメンなどなど。もちろんこれらはほんの一部の紹介でしかない。一年中入れ代わりで、それぞれの季節に花を咲かせる樹木と、和洋取り混ぜた草花が咲き乱れる。日本庭園というくらいだから、当初は花鳥風月枯れ山水というような、純日本風のたたずまいだったのだが、庭園を市民に解放してからというもの、現代風の花壇造りが三分の一を占めるまでになっていた。ボランティアで草花の手入れをしてくれている、「花を愛する市民グループ」の意向があったからだが、花の種や球根を持ちより毎日入れ代わりでかいがいしく世話をしている。
 もちろん花期とは別に、秋の紅葉を楽しむこともできるし、銀杏並木での地面に落ちたギンナン採集は近隣家庭の楽しみとなっている。そのかわりに並木の落ち葉などの清掃が暗黙の約束ごととなっているが。

 もうひとつの人気のスポットは、日本庭園入り口から並木を隔てた反対側、旧倉庫跡に隣接されて建っている『誕生日の花と花言葉の展示館』である。入館は無料で、一年三百六十六日の誕生花が植えられており、その花の植性と花言葉の解説がパネル展示されている。当然花期からずれているものは、青葉のみとかパネル展示だけという寂しいものもあるのだが、自然が相手なので仕方ないだろう。
 こちらは絵利香の草案で三年前に建設されたものだが、現在は「誕生日に花を送る会」というボランティアグループが主催・運営しており、その主旨から年中無休である。その日が誕生日になっている来館者には、花の種のプレゼントがある。またグループが丹精込めて栽培した切り花・種・球根の廉価販売も行われており、誕生日や花言葉に関わる贈り物として買っていく来館者も多い。梓が美智子の病気見舞で花を買ったのもこの展示館だった。
 ついでに付け加えると、市民に無料で常時解放され、ボランティアグループが主催しているということで、日本庭園と展示館にかかる固定資産税は、市の条例による公園管理特例法が適用されて納税を免除されている。また、団体客はご遠慮下さい、ということで観光ルートには入っていない。

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梓の非日常/第七章・正しい預金の降ろしかた(一)おしゃべり
2021.03.23

梓の非日常/第七章・正しい預金の降ろしかた


(一)おしゃべり

 放課後の校門前。
 手を振りながら別れる梓と慎二。
「梓ちゃん」
 自分の名を呼ぶ声に梓が振り返ると、絵利香とクラスメート達が歩み寄ってくる。
「ねえ。みんなでおしゃべりしようって、これから喫茶店に行くんだけど、梓ちゃんもいらっしゃいよ」
「ねえねえ。行きましょうよ」
 愛子が後ろから梓の肩を押していく。
 ……おしゃべりねえ。絵利香ちゃん以外の女の子同士の会話って苦手なんだけど……
「う、うん」
 近くの喫茶店に向かって歩きだす女子高生達。
 城下町川越の町並みをそぞろ歩きながらも、女の子の会話は尽きない。
 観光名所となっている初雁城址、時の鐘を経て蔵造りの町へと続く。
「あ、ここよ」
 菓子屋横丁の近くに店を構える和風喫茶に入る女の子達。
 テーブルは満席だったが、梓の姿を認めた一グループが、軽く会釈して席を開けてカウンターに移動したのだ。どうやら青竜会の一員のようだ。
「好意は無碍にするものじゃないものね」
 せっかく開けてくれたテーブル、相手に軽く手を振って遠慮なく座る梓とクラスメート達。
 六人席に座る女子高生のそれぞれの前に、それぞれが注文した品物が並んでいる。
「ねえ。真条寺さん」
「梓でいいわよ。あたしもあなたのこと愛子って呼ぶ」
「んーっ。じゃあ、梓さん」
「なに」
「沢渡君とはどういう関係なの?」
 単刀直入に切り出してきた愛子。
「なにを、いきなり」
「だって結構親しげじゃん」
「あいつとは何でもないよ。ただの喧嘩友達ってところよ」
「ふうん。喧嘩友達ねえ」
「二人は、沢渡君とは初対面だったんでしょ」
「うん。入学式にいきなり喧嘩して、投げ飛ばしちゃんだよね」
「なに、それ。沢渡君を投げ飛ばしちゃったっていうの」
「うん。あいつと会う時はなぜか喧嘩ばかりしてた」
 入学式の時、二人で暴漢達とやりあった時、そしてスケ番の時。それぞれの時の状況を思い出している梓。
「そうこうしているうちにさあ。何故か馬が合っちゃったというか……」
「でもさあ。沢渡君って、変わったわよね」
「そうそう、悪魔をも恐れさせると言われた、あの沢渡君よ」
「うん。沢渡君も、梓ちゃんといる時だけは、やさしい表情を見せるよね」
「そうなのかな……」
「やさしい表情といえば、ここ最近ぎらぎらした目つきのいかにもスケ番というような人達がいなくなったよね」
「そうそう。縄張り争いでさ、対抗グループが島荒らしをしていないか、見回りしてたみたいだけど」
「噂では、スケ番の二大勢力が一つに統合されたって聞いたけど。縄張り争いがなくなったせいじゃないかな」
「よほど強力な統率者が現れたんでしょう」
「ねえ。梓さん、沢渡君から何か聞いてない?」
「そうねえ。沢渡君なら、裏の事情をよく知ってると思うよ」
「さ、さあ……聞いてないわ」
 女子生徒達の会話に冷や汗かきっぱなしの梓。まさかその当事者が自分などとは口に出しても言えない。
 それを横目で見ながら、ほくそえんでいる絵利香。

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梓の非日常/第六章・ニューヨークにて(七)りんどうの花言葉
2021.03.22

梓の非日常/第六章・ニューヨークにて


(七)りんどうの花言葉

 数ヶ月前に遡る。
 学校から帰ってきて自室で着替えている梓。
 その着替えを手伝っている美智子だが、顔色が悪く具合が悪そうだ。
「美智子さん。大丈夫ですか?」
 気がついた梓が心配そうに表情をうかがう。
「いえ。大丈夫です」
 脱いだ衣類を受け取ってワゴンに乗せ、押して行こうとした時だった。
 その場にうずくまってしまったのだ。
「美智子さん!」
 駆け寄って額に手を当てる梓。
「ひどい熱だわ。誰か、来て!」
 悲鳴にも似た甲高い梓の声に、メイド達が大慌てで集まってくる。
「お嬢さま、どうなさいましたか?」
「誰か主治医を呼んで来て頂戴。美智子さんが病気です」
「かしこまりました」
 ルーム・メイドの一人が医者を呼びにいく。
「お嬢さま……私は……」
 美智子が弱々しくこたえる。
「今日は部屋に戻って休みなさい。これは命令です。いいですね」
「は、はい。わかりました」
「美鈴さん。美智子さんを部屋に連れていって看病してあげてください」
「かしこまりました」
「明美さんは、麗香さんを呼んできて」
「はい」
 やがて麗香が梓のところにやってくる。
「美智子さんのこと聞きました」
「仕事の前の打ち合わせで、気がつかなかったのですか? 美智子さんの具合が悪いこと。ただ仕事の分担の打ち合わせするだけでなくて、メイド達の健康状態をチェックするのも麗香さんの役目でしょう?」
「もうしわけありません。配慮が足りませんでした」
「麗香さん。メイドのローテーションに問題があるんじゃなくて? 病気だというのに無理して働いたりして、きっと自分が休むと他のメイド達に迷惑かけるって思ったんでしょうね。本当は休日なのに出てきている時も、たまに見掛けます。あたしが指摘すると部屋に戻りますが。美智子さんは一番頭だから、自分が休んだら迷惑かけると思っているんでしょうね。そんな職場環境は改善しなければなりません。休日はちゃんと取れて、仕事のことを完全に忘れて身体を休められるように、メイドを一人増やしてください」
「わかりました。メイドを一人増やします」
「それと、麗香さん。あなた自身もです。お休みの日は、ちゃんと身体を休めていますか? 少し疲れているんじゃない? よく気がつく麗香さんが、こんな失態を犯すとは思わないから」
 思わず苦笑する麗香。
「大丈夫ですよ。わたしは、メイド達と違って肉体労働がありませんから。御髪を解かしたりして、お世話してさし上げてる時間が幸せと感じているんです。疲れも取れてしまいますのよ」
 二人の会話を聞いていた明美は、お嬢さまが使用人思いの素敵なご主人であることに感動し、メイドとしてこれからもしっかりとお嬢さまのお世話をしようと心新たにしたのである。

 翌日。
 美智子の部屋、美鈴が花瓶に青紫色の花をいけている。
「きれいな花。リンドウね」
「あら、目が覚めたのね。気分はどう?」
「少し楽になったわ」
「お嬢さまが、学校の帰りにわざわざ花屋さんに寄って、買ってきてくださったのよ」
「お嬢さまが?」
「正確にはエゾリンドウって言うそうよ。花言葉知ってる?」
「気遣う心、でしょ」
「そう、身体を気遣いなさいというお嬢さまの心遣いよ」
「お嬢さま、やさしいから……」
「とにかく休息をとることが肝心ね」
 開いていたドアをノックして、明美が入って来る。
「美智子は、頑張り過ぎなのよ。でもこれからは、少し楽になるわよ」
「明美、お嬢さまの方はいいの?」
「うん。ピアノのお稽古の時間だから」
 しばらくすると開いたドアから、ピアノの旋律が聞こえてきた。
「楽になるってどういうこと?」
「お嬢さまが、麗香さんにメイドを増やすように指示してたのよ」
 梓が麗香を叱責していたことを一部始終話す明美。
「お嬢さまが麗香さまを叱るところなんてはじめて見たわ」
「麗香さまを叱れるのは、この屋敷ではお嬢さまだけだものね」
 ピアノの旋律に耳を傾けながら、使用人思いの自分達の主人に思いをはせるメイド達であった。
 それから数日後。
「成瀬かほりです。よろしくお願いします」
 一般のメイドの中から選りすぐられた新しい専属メイドが梓に紹介された。
 顔を見合わせて微笑む美智子達。

 再びブロンクス屋敷。
 梓のピアノの旋律が聞こえている。
『ん……いろいろ思い起こせば、やっぱりお嬢さまはやさしい』
『わたし達の事を大事に思ってくれているよね』

第六章 了

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