響子そして(二十九)裏と表の境界線
2021.08.02

響子そして(覚醒剤に翻弄される少年の物語)R15+指定
この物語には、覚醒剤・暴力団・売春などの虐待シーンが登場します


(二十九)裏と表の境界線

 そのままでは、また組織に命を狙われてしまうと考えた医師は、あたしの顔をその脳死患者そっくりに整形手術もしてくれていて、その患者のパスポートと身分証を使って、アメリカを脱出して日本に帰国しなさい。そういう医師の協力を得て無事に日本に戻ってこれたのです」
 実に長い告白だった。
「じゃあ、今のあなたは、その脳死した患者の身分を騙っているというわけですね」
「はい。ですが、その患者だったご両親にはすべてを話して許して頂きました。そしてあたしを実の娘、斎藤真樹として認めてくださり、一緒に暮らすようになりました。なぜならあたしの身体には、その患者の子宮や卵巣を含む臓器のすべてがあり、その両親と血の繋がる子供を産む事ができるからです」
「そういうわけだったの……」
「あたしが麻薬取締官としてすぐに実務につけたのは、警察官としての経験があったからです」
「敬さんはどうなさったの?」
 女性警察官からある程度のことは聞いていたが、あくまで噂に過ぎない。真樹さんから真実を聞きたかった。
「あたしが撃たれた時、実は一緒にいたんです。『あたしを置いて逃げて。もう助からない』という声を無視してまで、傷ついたあたしを抱きかかえて逃げようとしてくれていました。しかし、追っ手がすぐそこまで迫っていたので、悲痛の思いであたしを置いて逃げました。やがて彼は、追っ手から逃げるために、特殊傭兵部隊に入隊して、腕を磨き時を待ったのです」
 女性警察官の話したこととは内容がちょっと違うが、傭兵になったということは正しかったようだ。
「あたしは彼に何とか連絡を取ろうと考えましたが、傭兵部隊に入った事も知りませんでしたし、連絡手段がありません。そのうちにあたしと彼の死亡報告が日本の警察にされた事を知りました。致し方なく斎藤真樹として日本に帰り、あたしを実の娘として扱ってくれる新しい両親の下で、何不自由のない女子大生として暮らしていました。ところがある日、敬から突然『帰国するからまた一緒に仕事しよう』というエアメールが届いたのです。
 実はあたしを助けてくれた先生が、四方八方手を尽くして敬の居所を突き止めて、あたしが斎藤真樹として生きて日本に帰国したことを伝えてくれたのでした。もちろん、敬を愛していたあたしは再び彼と一緒に仕事をするために、麻薬取締官となるべく勉強をはじめ、見事合格採用されることになったのです。あの生活安全局長を覚醒剤取締法違反で逮捕して、その地位を剥奪・名誉を奪って復讐しようと考えたのです。そのためには一介の警察官では無理です。地方組織ではない国家的機関である麻薬Gメンにしか、それを可能にできないでしょう。そしてあたし達は、ついにそれをやり遂げて彼を逮捕に成功したのです。そして現在に至っています」
 聞けば聞くほど哀しい人生の連続じゃない。まるで、わたし自身の経験にも良く似た悲哀が込められていた。見知らぬ世界へ飛ばされ、恋人の死に直面し、自分自身の存在の抹殺と再生、そして恋人の生還。わたしと秀治が生きて来た人生とどれだけ重なる部分があるだろうか。

 しかしどうも解せないことがある。
 産婦人科医と臓器移植という言葉を聞くと、どうしてもある人物の名前が浮かび上がってくるのだ。

「……さて、そろそろお暇しましょうか。長い間ありがとうございました。また何かありましたら何なりとご連絡下さい。あ、これ。名刺です」
 名刺を受け取り、これまで喉のところまで出かかっていた言葉を発した。
「あの……」
「何か?」
「もし差し支えなければ、執刀医のお名前をお尋ねしてもよろしいでしょうか? せめて日本人かどうかでも……」
 期待はしていなかった。どうやら非合法的に移植が行われたようだし、整形手術を行って身分擬装工作の手助けをしたとなれば、執刀医の名を明かす事は医師生命に関わる場合があるので、秘密にしてくれと口封じされたはずである。
 彼女の口からは意外な答えが返ってきた。
「それ以上のことは詮索しない事が身の為だ。それ以上を知ると再び裏の世界に引き戻されることになる。……わたしの先生の口癖です、お判りになりますか?」
 ああ……その言葉……。間違いない。
「そうでしたか……判りました」
「そういうことです。では、失礼します」
 そうなのだ。真樹さんは、暗に黒沢先生のことを言っている。どうやら黒沢先生は移植の本場アメリカで技術を磨いたのだろうと思った。その時に真樹さんに偶然出会って、命を助けたのだ。そう確信した
 黒沢先生のことは、詮索してはいけない。まして、他人にそれを話してもいけないのだ。時々裏社会のことを話してくれはするが、もちろん他言無用の暗黙の了解の上なのだ。たとえ相手もそれを知っていると確信していてもあえて言わない。問わない。
 裏と表の境界線上に生きる人間の最低限のルールなのだと悟った。

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