梢ちゃんの非日常 page.7
2021.07.26

梢ちゃんの非日常(ルナリアン戦記前章譚)


page.7

 夜になった。
 パジャマに着替える梢だが、三歳ではまだ自分一人でボタンを止められないので、絵利香が手伝っている。以前はボタンのないパジャマを着せていたが、三歳になってからはボタンの着け外しの練習をかねて、胸元にボタンありのパジャマに変えた。
『はい。いいわよ』
『わーい!』
 はしゃぎながら、ベッドにダイブインする梢。絵利香が泊まりに来た時は、いつも梢ははしゃぎまわる。躾にきびしい梓と違って、絵利香はわりと自由にさせてくれることを知っているからだ。
『梢ちゃん。何か忘れてなあい?』
『ないよ……』
 ベッドの上でとぼけた表情を見せて、ぷるぷると首を横に振る梢。その仕草は、梓が何かをごまかそうとする時に、よくやるのとまったく同じだった。
 ……姿形だけでなく、こんなところまで梓に似てるんだから……
『もう……歯磨きは?』
『ん……しなくちゃ、だめ?』
 じぃー、と絵利香を上目つかいにみつめる梢。ばれてしまったが、できればやりたくないって感じだ。年齢的に第一反抗期に入っているので、ちっちゃな抵抗をみせているのだ。
 梓がいるときは、否応無しにやらされるのだが、絵利香は自主性を大切にしたいと思っている。だから何とか自分から歯磨きする気にさせればいいのだが。
『だーめ。お利口にしてなくちゃ、ママからお土産もらえないわよ』
『はーい』
 意外に素直に答えたかと思うと、ベッドから降りて洗面所に向かった。梢は、本来聞き分けの良い娘である。小さな抵抗をみせて、それが通ればいいな、という程度のものである。絵利香も後を追って洗面所に行く。梢は踏み台を持ち出して、それに乗っかって棚の上から、歯ブラシの入ったコップを取り出した。
『はい、絵利香のだよ』
 絵利香は時々泊まるので、専用のコップと歯ブラシが置いてある。それには稚拙な文字で「ERIKA」と書かれてある。各自のコップを判別するために、梢が自分でサインペンで書いたものである。他には「MAMA」「KOZUE」というコップが置かれてある。アルファベットの全部をすら覚えていない梢だが、その三つの単語のスペルだけは、梓から教えてもらって書けるようになっていた。文字を覚えた梢は、至る所でその名前を書きまくっていた。個人が常用として使用するもの、梢のおもちゃ類から、梓の部屋のノブに掛けられた「MAMA&KOZUE」というプレートをはじめとして、食堂やバルコニーの椅子の背もたれの裏とかである。
『ありがとう』
 コップを受け取る絵利香。その隣に並び、自分のコップを取って、一緒に歯磨きをはじめる梢。

 絵利香は近くのソファーに腰掛けて言った。
『はい。梢ちゃん、横になって』
『はーい』
 ソファーに横になり、絵利香の膝に頭を乗せる梢。
『はい。あーんして』
 梢が大きく口を開ける。
 梢の歯磨きは、自分一人ではまだ十分にできないので、梓や絵利香の手できれいに歯ブラシで磨いてあげるのだ。もちろん歯磨き粉などは使わない。だいたい虫歯一本なく、虫歯の原因でもあるミュータンス菌すら保持していない、梓や梢そして絵利香達には必要のないもので、歯ブラシだけで充分だ。歯磨き粉に含まれる研磨材は、きれいな歯を削ってしまうだけで逆効果である。
 ひとしきり磨いてあげて、きれいになったと判断した絵利香は、
『はい、いいわよ。うがいして』
 と、解放してやる。
『はーい』
 洗面所での歯磨きを終えて、ふたたびベッドに戻った梢。
『絵利香、ここ、ここ』
 といって、自分の右側をぽんぽんと叩いている。一緒にベッドに入ろうと言っているのである。ちなみに左側は母親である梓の定位置であり、パンダのぬいぐるみが寝かせつけてある。梓が出張外泊で、絵利香が代わりに添い寝してあげる時には、いつもベッドに持ち込んでくるのだ。パンダには梓の香りが染み付いているので、身代わりのつもりで置いているようだ。梓がいないのを寂しがっているのではなくて、母娘三人での川の字寝を思い起こしてのことらしい。
 絵利香は、絵本を持ち出してベッドに入る。
『お利口だったから、絵本を読んであげましょうね』
『うん』
 目をきらりと輝かせる梢。
 眠くなるまでの間、いつも梓や絵利香から絵本を読んでもらっている梢であった。

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梢ちゃんの非日常 page.6
2021.07.25

梢ちゃんの非日常(ルナリアン戦記前章譚)


page.6

 夕食の時間である。
 梢の手を引いて食堂に行くと、すでに他の人々は席についていた。かつては主人が着席するまでは全員立って待っていなければならなかったが、封建的で現代的ではないと、渚の母親の恵の代になってから自由に座っていいことにされた。
 絵利香が、いつもの第一主賓席に座ろうとすると、
『絵利香、ここ、ここ』
 と言いながら、いつも梓が座っている最上位主人席を引いて、梢がそこに座るように促している。
 渚の方を見てみると、軽く頷いている。
 仕方ないわねと思い、言う通りに主人席に座ると、梢がよっこらしょっとばかりに、絵利香の膝の上にちゃっかり座ってきたのである。幼児用の高椅子もそばに用意してあったのだが、完全に無視している。
 この頃の梢は、運動能力や平衡感覚がかなり発達してきて、自分の力だけで椅子を這いあがって、腰掛けている母親の膝の上に座れるようになっていた。
 その梢の小さな膝の上にナプキンを広げながら、思わず苦笑する絵利香。
 さかんに足をばたつかせて上機嫌の梢。
『梢ちゃん、やけに嬉しそうね』
『うん。あのね、梢知ってるよ。絵利香が来るとね、梢の大好物がでるんだよ』
『あら、そうなの?』
『うん!』
 梢の言うとおり、お守り役として絵利香が泊まりにきたときには、自分の大好きな料理が必ず出されることを、経験学習で気づいてしまったのである。
 いくら大好きでも毎日出していると、飽きてしまって好きでもなくなるので、こういった時にしか出さないようにしている。これは、梢の絵利香に対する印象を良いものとするために、梓達が決めたことである。
 梢が着席したのを見計らって、料理が運ばれてくる。
『オードブルは、エスカルゴのタルタルソースかけでございます』
 真条寺家専属の第一厨房総料理長が、梢の前までやってきて料理の説明をする。
 第一厨房はフランス料理専用の厨房で、設備も料理人も五つ星ホテルにも負けないものを誇っている。各国国王や米・仏大統領など世界各国の要人を招いた各種のパーティーが開かれるので、それだけのレベルのものが必要だからでもある。他に中華料理専用の第二厨房と、その他の料理用の第三厨房がある。
『わーい。エスカルゴ、エスカルゴ』
 いきなり大好物が出てきたので、はしゃいでしまう梢。
 好物の中でも、貝類と甲殻類は特に好きなようである。牡蠣、アムール貝、オマール海老など、むき身にしてあれば、苦手なナイフを使わずにフォークだけで、しかも一口サイズで食べられるのもいい。
 絵利香の前には、他の者の前に並んだ皿より、大目に盛られた皿が出されている。梓がそうしていたように、梢と分けあって食べることになる。これは料理によっては切り分ける必要がある場合、ナイフを使えない梢のために、代わりに切ってあげるためである。
『あのね、梢と半分こだからね』
『はい、はい』
 梢は目の前の料理には手を出さずに、絵利香を見つめている。
 ……あ、そうか。梢は、梓がフォークなりスプーンなり手渡して、食べなさいと言わない限り、手を出さないように躾られているんだ……
 最上席に絵利香が座り、その膝に梢が座っていること。すなわち梓の役目は絵利香にあるということであり、梢はそれをきちんと守っているわけで、小さいなりにも殊勝な心掛けである。
『はい、梢ちゃん。食べていいわよ』
 といいながら、エスカルゴフォークを手渡してやる絵利香。
『うん。いただきまーす』
 大好きなだけあって、エスカルゴを器用に食べる梢。殻の中に残ったスープもライ麦パンに染み込ませて食べている。
『梢ちゃん、おいしい?』
『うん! とってもおいしいよ』
 精一杯の笑顔を見せる梢。
 梢が食べはじめたのを見て、他の者も食事を開始する。
 夕食は真条寺家のしきたりにのっとって進められるので、席次順位が梓に次ぐ上位である梢が、一番に食事に手をつけることになる。ただし食前酒(梢には特製ジュース)は運ばれた時点で自由に食してよい。
 なお、最上位の者の皿が空になるか、終了の意志表示をしない限り、次の皿が出されないのもしきたりの一つである。だから梢はゆっくりと味わって食べることが出来るのだ。
 エスカルゴの後は、海の幸と干し貝柱入りスープ、ホタテと季節野菜のロールキャベツ、舌ビラメのムニエル、ズワイガニのコキール、オマール海老のロースト・季節の野菜添え、フランス産マグレ鴨胸肉のトリュフソースと続く。絵利香のために二皿のメインディッシュが用意されている。
 ちなみに食べ残した料理は番犬達の餌となる。
 そして最後のデザートは、チョコレートケーキ・洋梨のタルト・バニラアイスクリームの盛りあわせである。
 梓は、デザートはいつも全部食べさせてやっているので、絵利香もそれにならうことにした。梢も当然といった表情で無心に食べている。
『しかし今日は、梢ちゃんの大好きフルコースじゃないですか。どうしたんですか?』
 食後の果実酒を頂きながら尋ねる絵利香。
『いやね、メニューを決めたのは梓なんだけど。二晩も留守にするのは、はじめてのことじゃない。だから食事で気を紛らせてやろうという母心じゃないかな。そうすれば絵利香さんの負担も軽くなるし、一石二鳥というところ』

 食事を終え、梢を降ろして立ち上がるとするが、足が痺れて立てなかった。
『どうしたの?』
 梢がきょとんと首をかしげている。
『足がしびれたの。もうしばらく座らせておいてね』
『あはは。慣れないうちはそうなりますよ。身体が小さいとはいっても、体重は十四キロ近くあるのよ。正座と一緒でね、時々微妙に足の位置をずらして、痺れを逃がすんですよ』
『梓は毎食三回ブラスおやつの時間、これをやっていたんですね。足はしびれるは、食事を取るのも面倒だしと。わたしも梢ちゃんや真理亜ちゃんを膝の上に乗せて、おやつを食べさせてはいたけど。ディナーのような長い時間を、座らせたことなかったから』
『傍目には微笑ましく映る情景も、当の母親がいかに大変なことかわかったでしょう』
『自分の愛娘だから、できることなんでしょうね』
『ふつうの母親なら、ここまではしないだろうね。適当に椅子に座らせて、隣の席から食べさせる程度でしょう』
『渚さまも、梓をこうやって育てたんですよね。梓の幼年期のアルバムに、渚さまの膝の上でアイスクリームを食べている三歳くらいの梓の写真がありました』
『ああ、あの写真ね。今から見ると、梓が梢を抱いているようにも見えるんだよね。三代揃ってそっくり似ているから。まあ、梓の養育の仕方は、私がやってきたのと同じだよ。自分が育てられた通りに、梢を育ててる』

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銀河戦記/鳴動編 第二部 第十四章 アクティウム宙域会戦 Ⅱ
2021.07.24

第十四章 アクティウム宙域会戦





 アルデラーン宇宙港。
 宇宙空間に浮かぶ戦艦の元へと、次々と連絡艇が発進している。
 その様子を遠巻きに見つめている帝国市民がいる。
「どうやら本格的な戦争に突入するようだ」
「摂政派と皇太子派、どっちが勝つのかな?」
「三百万隻対二百万隻だろ? 数で言うなら摂政派の勝利は確実だね」
「皇太子は共和国同盟の英雄だろ? 十倍の敵に対しても勇猛果敢に戦って勝利したというじゃないか。俺は皇太子派に賭けるね」
「その摂政派というのは止めないか? 摂政のエリザベス皇女さまは、内乱には関わっていないんだろ? 公爵派と言うべきだよ」
「しかし公爵の言動に対して、黙して語らずを貫いている以上、その責任は免れないんじゃないかな」
「やばい! 見回りが来るぞ、逃げろ!」
 ちりじりに散会する人々。
 見回り、正確に言えば治安部隊(Security Force)の要員のことである。
 クーデターを起こした為政者は、必ずといっていいほど治安部隊を組織する。
 古代地球史においては、国防軍備予算よりも治安維持予算の方が多いという国もあった。他国からの侵略よりも、国内暴動などを抑える方が先決というわけである。


 アルタミラ宮殿謁見の間。
 玉座に座るロベール皇帝と、その両脇にロベスピエール公爵とエリザベス皇女が着席している。
 その御前で、大臣たちがひそひそと話し合っている。
「静まれ!」
 デュプロス公爵の一声で沈黙する大臣たち。
「ご報告いたします」
 と、国務大臣が前に出る。
「反乱軍二百万隻が、この帝都に向けて進撃を開始しました」
「ついに来たか! 我が軍の方はどうなっているか?」
 その問いには、国防大臣が答える。
「艦隊編成に手間取っておりまして、反撃体制に入るにはもうしばらくかかるかと」
「何をほざいておるのか! これまで十分時間はあったはずだろうが。儂が出芸命令を出すまで何をしていたのか?」
「そうは申されましても、これまで戦など経験したことないのです。艦隊編成などまともに行ったこともありません」
「ドレーク提督がいなくなったのが痛かったな……。これなら候女誘拐の任に着けるべきではなかった……誘拐などという、海賊行為は彼が一番適任だと思ったのだがな……」
 海賊の頭領をやっていただけに、船の動かし方や乗員の扱い方に精通していたので、第一艦隊の提督に迎えたのだった。
 帝国でもっとも優秀な指揮官を、自分の判断ミスで失ったことは辛かった。
 頭を抱える公爵だった。


 宇宙空間。
 帝国艦隊が集結して出撃の時を待っていた。
 旗艦である戦列艦ヴィル・デ・パリスでは、カスバート・コリングウッド提督が指揮を執っていた。志願兵からのたたき上げの提督で、男爵の爵位を与えられている。
「提督、公爵閣下より入電です」
「繋いでくれ」
「繋ぎます」
 正面パネルスクリーンに、ロベスピエール公爵の姿が映し出される。
「出撃準備はどうなっておるか?」
「はい。つい先ほど完了しました。まもなく出撃します」
「そうか。頼んだぞ」
 通信が途絶えて、映像も消えた。
 ため息をつく提督。
 そんな中、兵士たちが囁きあっていた。
「頼んだぞか……。聞いたかよ。我らの公爵様は、安全な場所でご観戦のようだ。皇太子殿下は、自ら陣頭指揮に出て艦隊の最前線に出ておられるというのに」
「しいっ! 司令官に聞こえるぞ」
「聞こえたって構わんさ。どうせ俺たちゃ死ぬんだから」
「随分と悲観的だな」
「悲観的にもなるさ。相手は共和国同盟の英雄だぞ! 戦歴も華々しいものばかりだ。それに引き換え俺たちはまともな戦もしたことない甘ちゃんだ」
 兵士たちの憤懣(ふんまん)やるかたない気持ちは抑えようがないものだった。
 どうせなら皇太子派の戦艦に配属されたかったと思う。

 アレックスの艦隊に送れること二日と三時間後。
 摂政派の艦隊がやっと動き出した。

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2021.07.24 09:46 | 固定リンク | 第二部 | コメント (0)
梢ちゃんの非日常 page.5
2021.07.23

梢ちゃんの非日常(ルナリアン戦記前章譚)


page.5

 絵利香が勉強していると、携帯電話が鳴りだす。相手は梓からだった。
『ハロー。絵利香、お願いがあるんだけどいいかなあ』
『また出張で、梢ちゃんの世話して欲しいのでしょう?』
『さすが絵利香。以心伝心、よくわかってるじゃない』
『で、今回はどこなの』
『オーストラリア。宇宙ジェットコースターの視察よ』
『ジェットコースター? ああ、ルナベースシャトル発射基地ね』
 ルナベース(月面基地)には、現在五十万人に及ぶAFC{Azusa Foundation Corporation}職員が働いており、資源探査や発掘などを行っている。
 そこへ食料や水、工作機械などを運ぶためにシャトルが運航されていた。
 そのシャトルを打ち上げるための基地が、梓がジェットコースターと呼ぶ、超電導リニアシャトルバスターミナルである。
 グレート・ヴィクトリア砂漠に建設されている。
『地球の裏側じゃない、ずいぶん遠いところに行くのね。オーストラリアなら、一日二日じゃ帰ってこれないわね』
『あたり! 今回は三日間の旅なの。三日目の朝に帰ってくるから、二晩の間、梢ちゃんをお願いしたいの。頼めるのは絵利香しかいないから』
『判ったわよ。おみやげ忘れないでね』
『コアラのぬいぐるみでいいかな』
『それって、梢ちゃんへのおみやげ?』
『あはは。コアラのぬいぐるみって、どこでも売っているんだけど、いいのかな』
『別にいいんじゃない。梢ちゃんには、オーストラリアなんて言っても判らないし、要は気に入ってもらえそうなものならいいのよ』
『パンダのぬいぐるみをすでに持ってるけど』
『ああ、わたしがあげたパンダ、梢ちゃんに譲ちゃったんだっけ』
『そう、たいそう気に入っちゃって、ジュリアーノって名前つけてる。本当はあげたんではなくて、取られちゃったんだけどね』
『あれには、長年の梓の香りが染み付いているから、梢ちゃんにはママの温もりが感じられるんじゃないかな。まあ、女の子なんだから、ふわふわしたものは、結構気に入ってもらえると思う。ぬいぐるみぐらいいくつあってもいいじゃない』
『じゃあ、コアラにしよう。真理亜ちゃんにも買ってあげようと思う。絵利香がこっちに来るということは、真理亜ちゃんが寂しい思いをするはずだから。毎晩絵本を読んであげたり、添い寝してあげているんでしょう?』
『まあね……』
 といってベッドの方を見ると、すこやかに眠る真理亜がいる。
 真理亜は、篠崎邸で一緒に暮らす従姉の娘で、梢と同じ三歳である。まだ学生の絵利香が、大学の講義や勉強の合間に、真理亜を連れて外出したり遊んであげたり、夜には寝入るまでの間に絵本を読んであげたりしていた。そうこうするうちにすっかりなついてしまって、毎晩絵利香のベッドで眠るようになっていた。
『ついでに絵利香の分も買ってきてあげる』
『わたしは、ついでなのね』
『そういうこと』
『まあ、いいわ。で、いつそっちに行けばいいのかな』
『うん。明日の午後四時に出発だから、それまでにお願い』
『わかった。じゃあ、三時に行くわよ。丁度、おやつの時間ね』
『悪いわね。二十分前くらいに、白井さんに迎えに行ってもらうから。じゃあ、待ってるわ』
 電話を切る梓。
『さてと、今度は梢ちゃんの方の説得ね。と言いたいところだけど、もう寝ちゃってるから、明日にしましょう』
 ベッドの上で安らかな寝息をたてて眠る梢。つい二十分前まで、絵本を読み聞かせて、ようやく寝かせつけたばかりだったのだ。
『あたしも早く寝ておかなくちゃ。明日から、強行軍が待っているんだから』
 地球の裏側まで、行って帰って来なくてはいけないのだ。往復だけでも一日はかかるし、時差もある。まともに寝ている時間はないかもしれない。
 携帯電話をサイドテーブルに置き、梢の脇に入り込む梓。
『おやすみ、梢ちゃん』
ベッドサイドの照明を落として眠りにつく梓。

 三階バルコニー。
 梓と渚と世話役三人に絵利香がテーブルを囲んでいる。そしてなぜか梓ではなく絵利香の膝の上でチーズクリームケーキを食べている梢。おやつの時間が終われば梓は執務室に戻ってしまうが、絵利香は梢と遊んでくれるために来ていることが多い。だから梓と絵利香が一緒にいる時は、いつしか絵利香の方を選んで座るようになったのである。
『梢ちゃん。ママはね、ちょっと遠いところに行ってくるの。その間、絵利香と一緒に仲良くしていてくれる?』
『絵利香と?』
 言いながら絵利香の方を見つめる梢。
『わたしと一緒じゃ、いや?』
 にっこりと微笑みながら尋ねる絵利香。
『絵利香とならいいよ』
『ありがとう、梢ちゃん』
 再び梓を見つめる梢。
『いつ、帰ってくるの?』
『あのね。梢ちゃんが、二晩おねんねしたらよ』
『二晩、おねんねしたら、帰ってくるの?』
『そうよ。お利口にしていたら、おみやげ買ってきてあげるわよ』
『おみやげ?』
『欲しくない?』
『欲しい!』
『じゃあ、お利口にして待っていてくれるわね』
『うん。待ってるよ』

 真条寺家の屋敷に隣接されて飛行場がある。
 私設飛行場とはいえ、れっきとした国際空港なので、出入国管理所、検疫所、税関などの諸施設が完備されており、国家機関の正式な職員が派遣されて来ている。
 すぐ近くに世界最大級のJ.F.ケネディー空港があるというのに、なんで私設飛行場なのかという批判も多数ある中で、真条寺家の財力と政治力とで開港の運びとなった。一般市民の利用する空港では、爆弾テロ事件やハイジャックが起きる危険性を避けられない。そこで真条寺家に関わる人々だけが利用する私設飛行場を建設する必要があったのである。
 もちろん住民紛争が一切起きないように、立ち退き料や近隣住民への補償もたっぷり支払われたらしい。渚が二十歳で梓が二歳の時であった。はじめて飛行機が飛来してきた時、梓はそれがよく見える北側バルコニーに陣取って、ひがな一日中眺めていたという。

 飛行場へ続く国際線送迎ロビー。通関ゲートを挟んで、梓と梢、麗香と早苗が対面している。
 通関ゲートより先はパスポートなしでは通れないので、見送りはここまでである。
 麗香は早苗に、留守中のこまごまとした注意点を指摘しているようだった。
『それじゃ、梢ちゃん。行ってくるわね』
『いってらっしゃい』
 大きく手を振って梓を見送る梢。
 出国検査室へ消える梓達。
『梢ちゃん。屋上から飛行機を見送りましょうか』
『うん!』
 梢の手を引いて屋上へのエレベーターに乗る絵利香。


 屋上。
 エレベーターが開いたかと思うと、梢が駆け足で屋上の手すりまでやってくる。
 AFCのマークを尾翼に描いた自家用ジャンボジェット機が、誘導路から発着滑走路に進入するところだった。渚時代にはジャンボジェット機は、滑走路が短く離着陸できなかったが、梓の代になってから拡張工事が行われ、新滑走路が完成して就航できるようになった。新滑走路3800Mと、旧滑走路2400Mが平行して走っている。梓の切り開いた宇宙開発事業部は順調に伸び続け、宇宙ステーションの第一期工事が始まっていた。その関係者が打ち合わせのために、真条寺家を頻繁に毎日のように訪れるようになり、空港の拡張工事となったのである。
 また極秘ではるが、強行着陸しようとする不審機があった場合に備えて、対空砲・地上支援機関砲などの諸施設も完備しているし、空港火災に備えた消防隊員も、戦闘訓練を受けた米軍海兵隊の予備兵から集められている。梓や梢の命を狙う組織の存在が確認されて依頼、念を入れての厳重警備体制が敷かれているのだ。

『あの飛行機に、ママが乗っているんだよ』
 飛行機を指差す梢。
『そうね』
 飛行機をじっと見つめる梢。
『なかなか、動かないね』
『飛行機はね、自動車と違って、勝手に発進したりしたらだめなのよ。ほら、あそこに高い建物があるでしょ』
 絵利香が指差す先には、管制塔が建っている。
『うん』
『あそこで働いている人が、発進していいよ、って言ったら発進できるのよ』
『ふうん。そうなんだ』
 しばらく待っていると、ゆっくりと飛行機が動きだした。
『あ、動いたよ』
『発進するわよ、ママに手を振りましょう。ここからママは見えないけど、ママからは梢ちゃんが良く見えるから』
『うん、わかった』
 飛行機に向かって大きく手を振る梢。
『ママ、行ってらっしゃい!』
 轟音を立てて空高く舞い上がるジャンボジェット機。梢達が見守る中、しだいにその機影が小さくなり、やがて空の彼方に消えてしまった。
『いっちゃったわね』
『うん』
『ママがいなくなって、寂しい?』
『うん。でも、絵利香がいるから、大丈夫だよ』
『ありがとう』

『さて、夕食の時間になるまで、飛行場の見学でもしましょうか?』
『うん』
 梢の手を引いて、再びエレベーターに乗り、展望台から階下の空港施設へと向かう絵利香。

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梢ちゃんの非日常 page.4
2021.07.22

梢ちゃんの非日常(ルナリアン戦記前章譚)


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 講義を終えて、梢の待つフリートウッドに戻ると、当の本人はシートに横になってぐっすりお寝んね状態であった。
『何だ、寝ちゃってるね』
『いつものことよ。お腹がいっぱいになったら、その後一時間くらいはお昼寝するのよね』
『お嬢さまは、ここはママの匂いがするとかいって、安心して眠れるみたいです。移り香によって、母親に抱かれている気分になれるのでしょう』
 付き添いのメイドが答えた。
『そういえば、パンダのぬいぐるみもママの匂いがするといって、えらく気に入っちゃって、取られちゃったのよね』
『梢ちゃんも香りには、結構敏感だからね。梓が長年抱いてきて移り香が染み付いていたパンダをお気に入りにしちゃうのは当然よ』
『梢には、あたしの匂いってどういう風に感じているのかな。この子が生まれてから香水とかオーデコロン類は変えていないんだけどね。香水とか変えてみたら、どうなるかな』
『およしになられた方がいいですよ』
『そうよ。ママの香りがするとか言って、安心して寝ていられるのは、乳飲み子の頃からずっと今と同じ香りの中で育ってきて、母親の香りのイメージがすっかり出来上がっているからよ。香水を変えることは、梢ちゃんにいらぬ混乱を招き、精神不安の原因になるわ』
『そうなのかな……』
『抱きかかえたり、膝抱っこしてあげたり、一緒に寝ている間は、当分香水は変えないことね』

 梢を起こさないように静かに乗り込み、そろりとフリートウッドを発進させた。
『うふふ。ほんとに可愛い寝顔だこと』
『梢って、梓に生き写しなのよね。梓の二・三歳頃の写真見るとよく判るよ』
『そうなのよねえ……あたしはあたしで、お母さん似だし。三代揃ってそっくりさんで、写真だけじゃ誰なのか判らないのよね』
『真条寺家って、よほど強力な優生遺伝子を持っているみたいね。おまけに生まれてくる子もほとんどが女の子っていうじゃない。そんなのあり?』
『あるのよねえ。この子で八代連続の女の子らしいし』
『家が断絶しなかったのも、徴兵制度に引っ掛からなかったということがあるわよね』
『そうね。名門の中でも、家督を継ぐべき長兄以下の男子が徴兵されて全員死んじゃったという家系もあるものね』

『それはそうと、麗香さん。最近迎えに来ないのね』
 絵利香が、いままで不思議に思っていたことを口にした。
『仕方ないわよ。あたしがはじめた宇宙開発事業のことで、執行代理人としての仕事で手一杯なのよ』
『静止軌道上に建設中の軌道エレベータ宇宙ステーションね』
『新規事業だから各方面との擦り合わせがかかせないから。あたしや梢の世話まではとても手が回らないってところ。あたしが大学卒業するまでは当分忙しい日が続くでしょうね』
『大変ね』
『一応、お母さんや恵美子さんにも手伝ってもらってるけど。そちらはエレベーター素材に欠かせないカーボンナノチューブ関連でね』
『梢の世話というと、世話役はもう決まったの?』
『それが、まだなのよ』
『メイドの早苗さんはどうなの?』
『早苗さん?』
『その様子じゃ、知らないみたいね』
『どういうこと? 教えて』
『それがね……』

『暇だったから、梢ちゃんに絵本でも読んであげようかなと思って、尋ねてきたんだけどね。丁度、梢ちゃんが絵本を抱えて廊下を歩いているのに出会ったのよ。絵本どうするの? って聞いたら、早苗さんに読んでもらうんだとか言ってたわ。別の日には、仲良く手をつないで庭を散歩する姿も見掛けたわね。その時の早苗さんは普段着だった』
『梢ちゃんと早苗さん、そんなに仲が良いの?』
『どこまで仲が良いのかは、知らないけど。梢ちゃんが、絵本を読んでとせがむのは、梓とわたし以外にいたかしら。渚さまや麗香さんにだって、読んでもらおうとはしないじゃない』
『そりゃそうだけど……』
『早苗さんは、非番の日には梢ちゃんの相手をしているんじゃないかな。絵本を読んでもらったり、手を繋いで散歩したり、梢ちゃんは早苗さんにだいぶなついているみたいよ』
『早苗さんて、確かここへ来てまだ三ヶ月じゃなかったかな』
『そんな短い時間で梢ちゃんの心を捕らえたんなら、なおさらのことじゃないかな。とにかく本人に確認してみたら?』
『そうね。貴重な情報ありがとう、助かるわ』
『どういたしまして』
『今日は、泊まっていく?』
『そうね』

『絵利香、ここ、ここ』
 といいながら、梢がベッドをぽんぽんと叩いている。
 梢を挟むように梓と絵利香がベッドに入る。いわゆる「川」の字寝というところ。キングサイズのダブルベッドには、女性二人と幼児一人くらいは楽に寝られる。
 久しぶりに絵利香が泊まりにきたのではしゃぎ気味の梢。
『梢ちゃん、嬉しそうね』
『だってママが二人だもん。えへへ』
『あら。絵利香のこと、ママと思ってくれるんだ』
『うん。ママと同じくらい、大好きだよ』
『ありがとう。梢ちゃん』
 梓が仕事で出張外泊となった時に、屋敷に泊まりにきてくれて眠くなるまで絵本を読んでくれるし、昼間は一緒に遊んでくれて、動物園やデパートなどへ連れていってくれたりもする。梢にとって、一緒に風呂に入ったり添い寝してくれる絵利香は、梓以外では唯一の人物である。
 常日頃から母親代わりとなって、梢の世話をしてくれているので、すっかりなついているのだ。梓と同年齢で同質の香りのする絵利香は、梢にとってもう一人の母親なのである。
 梓にとっても、大切な愛娘を預けることのできる無二の親友である。
『ところで、真理亜ちゃんの方は大丈夫なの? 絵利香がこっちに泊まって帰ってこないとなると、寂しがるんじゃない。添い寝してあげてるんでしょ』
『まあ、一晩くらいなら大丈夫よ。ちゃんと本物の母親がいるんだから』
『本物ねえ……真理亜ちゃんにしろ、梢ちゃんにしろ、本物以上に母親しているんだものね』
『そうかな……』
『そうじゃない。よちよち歩きの頃から、梢ちゃんを真ん中に立たせて両側からおいでおいですると、七・三の割りで絵利香の方に歩いてくんだもの』
『そうだったかしら』
『そうよ』
『それは多分、よそいきの明るい服装で来てるから、目につく方に寄ってきたんじゃないかな』

『ねえ、ねえ、絵利香。絵本、読んで』
 梢が、絵利香の袖を引っ張りながらじっと見つめるように催促した。
『あ。はい、はい』
 書棚へ行き、絵本を取って戻る絵利香。
 その耳元でささやく梓。
『ね! あたしじゃなく、あなたに読んで欲しがったでしょ』
『そりゃあ、梓には毎日読んでもらってるから、たまに来たわたしに敬意を表しているのよ』

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