梢ちゃんの非日常 page.6
2021.07.25

梢ちゃんの非日常(ルナリアン戦記前章譚)


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 夕食の時間である。
 梢の手を引いて食堂に行くと、すでに他の人々は席についていた。かつては主人が着席するまでは全員立って待っていなければならなかったが、封建的で現代的ではないと、渚の母親の恵の代になってから自由に座っていいことにされた。
 絵利香が、いつもの第一主賓席に座ろうとすると、
『絵利香、ここ、ここ』
 と言いながら、いつも梓が座っている最上位主人席を引いて、梢がそこに座るように促している。
 渚の方を見てみると、軽く頷いている。
 仕方ないわねと思い、言う通りに主人席に座ると、梢がよっこらしょっとばかりに、絵利香の膝の上にちゃっかり座ってきたのである。幼児用の高椅子もそばに用意してあったのだが、完全に無視している。
 この頃の梢は、運動能力や平衡感覚がかなり発達してきて、自分の力だけで椅子を這いあがって、腰掛けている母親の膝の上に座れるようになっていた。
 その梢の小さな膝の上にナプキンを広げながら、思わず苦笑する絵利香。
 さかんに足をばたつかせて上機嫌の梢。
『梢ちゃん、やけに嬉しそうね』
『うん。あのね、梢知ってるよ。絵利香が来るとね、梢の大好物がでるんだよ』
『あら、そうなの?』
『うん!』
 梢の言うとおり、お守り役として絵利香が泊まりにきたときには、自分の大好きな料理が必ず出されることを、経験学習で気づいてしまったのである。
 いくら大好きでも毎日出していると、飽きてしまって好きでもなくなるので、こういった時にしか出さないようにしている。これは、梢の絵利香に対する印象を良いものとするために、梓達が決めたことである。
 梢が着席したのを見計らって、料理が運ばれてくる。
『オードブルは、エスカルゴのタルタルソースかけでございます』
 真条寺家専属の第一厨房総料理長が、梢の前までやってきて料理の説明をする。
 第一厨房はフランス料理専用の厨房で、設備も料理人も五つ星ホテルにも負けないものを誇っている。各国国王や米・仏大統領など世界各国の要人を招いた各種のパーティーが開かれるので、それだけのレベルのものが必要だからでもある。他に中華料理専用の第二厨房と、その他の料理用の第三厨房がある。
『わーい。エスカルゴ、エスカルゴ』
 いきなり大好物が出てきたので、はしゃいでしまう梢。
 好物の中でも、貝類と甲殻類は特に好きなようである。牡蠣、アムール貝、オマール海老など、むき身にしてあれば、苦手なナイフを使わずにフォークだけで、しかも一口サイズで食べられるのもいい。
 絵利香の前には、他の者の前に並んだ皿より、大目に盛られた皿が出されている。梓がそうしていたように、梢と分けあって食べることになる。これは料理によっては切り分ける必要がある場合、ナイフを使えない梢のために、代わりに切ってあげるためである。
『あのね、梢と半分こだからね』
『はい、はい』
 梢は目の前の料理には手を出さずに、絵利香を見つめている。
 ……あ、そうか。梢は、梓がフォークなりスプーンなり手渡して、食べなさいと言わない限り、手を出さないように躾られているんだ……
 最上席に絵利香が座り、その膝に梢が座っていること。すなわち梓の役目は絵利香にあるということであり、梢はそれをきちんと守っているわけで、小さいなりにも殊勝な心掛けである。
『はい、梢ちゃん。食べていいわよ』
 といいながら、エスカルゴフォークを手渡してやる絵利香。
『うん。いただきまーす』
 大好きなだけあって、エスカルゴを器用に食べる梢。殻の中に残ったスープもライ麦パンに染み込ませて食べている。
『梢ちゃん、おいしい?』
『うん! とってもおいしいよ』
 精一杯の笑顔を見せる梢。
 梢が食べはじめたのを見て、他の者も食事を開始する。
 夕食は真条寺家のしきたりにのっとって進められるので、席次順位が梓に次ぐ上位である梢が、一番に食事に手をつけることになる。ただし食前酒(梢には特製ジュース)は運ばれた時点で自由に食してよい。
 なお、最上位の者の皿が空になるか、終了の意志表示をしない限り、次の皿が出されないのもしきたりの一つである。だから梢はゆっくりと味わって食べることが出来るのだ。
 エスカルゴの後は、海の幸と干し貝柱入りスープ、ホタテと季節野菜のロールキャベツ、舌ビラメのムニエル、ズワイガニのコキール、オマール海老のロースト・季節の野菜添え、フランス産マグレ鴨胸肉のトリュフソースと続く。絵利香のために二皿のメインディッシュが用意されている。
 ちなみに食べ残した料理は番犬達の餌となる。
 そして最後のデザートは、チョコレートケーキ・洋梨のタルト・バニラアイスクリームの盛りあわせである。
 梓は、デザートはいつも全部食べさせてやっているので、絵利香もそれにならうことにした。梢も当然といった表情で無心に食べている。
『しかし今日は、梢ちゃんの大好きフルコースじゃないですか。どうしたんですか?』
 食後の果実酒を頂きながら尋ねる絵利香。
『いやね、メニューを決めたのは梓なんだけど。二晩も留守にするのは、はじめてのことじゃない。だから食事で気を紛らせてやろうという母心じゃないかな。そうすれば絵利香さんの負担も軽くなるし、一石二鳥というところ』

 食事を終え、梢を降ろして立ち上がるとするが、足が痺れて立てなかった。
『どうしたの?』
 梢がきょとんと首をかしげている。
『足がしびれたの。もうしばらく座らせておいてね』
『あはは。慣れないうちはそうなりますよ。身体が小さいとはいっても、体重は十四キロ近くあるのよ。正座と一緒でね、時々微妙に足の位置をずらして、痺れを逃がすんですよ』
『梓は毎食三回ブラスおやつの時間、これをやっていたんですね。足はしびれるは、食事を取るのも面倒だしと。わたしも梢ちゃんや真理亜ちゃんを膝の上に乗せて、おやつを食べさせてはいたけど。ディナーのような長い時間を、座らせたことなかったから』
『傍目には微笑ましく映る情景も、当の母親がいかに大変なことかわかったでしょう』
『自分の愛娘だから、できることなんでしょうね』
『ふつうの母親なら、ここまではしないだろうね。適当に椅子に座らせて、隣の席から食べさせる程度でしょう』
『渚さまも、梓をこうやって育てたんですよね。梓の幼年期のアルバムに、渚さまの膝の上でアイスクリームを食べている三歳くらいの梓の写真がありました』
『ああ、あの写真ね。今から見ると、梓が梢を抱いているようにも見えるんだよね。三代揃ってそっくり似ているから。まあ、梓の養育の仕方は、私がやってきたのと同じだよ。自分が育てられた通りに、梢を育ててる』

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