梢ちゃんの非日常 page.4
2021.07.22

梢ちゃんの非日常(ルナリアン戦記前章譚)


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 講義を終えて、梢の待つフリートウッドに戻ると、当の本人はシートに横になってぐっすりお寝んね状態であった。
『何だ、寝ちゃってるね』
『いつものことよ。お腹がいっぱいになったら、その後一時間くらいはお昼寝するのよね』
『お嬢さまは、ここはママの匂いがするとかいって、安心して眠れるみたいです。移り香によって、母親に抱かれている気分になれるのでしょう』
 付き添いのメイドが答えた。
『そういえば、パンダのぬいぐるみもママの匂いがするといって、えらく気に入っちゃって、取られちゃったのよね』
『梢ちゃんも香りには、結構敏感だからね。梓が長年抱いてきて移り香が染み付いていたパンダをお気に入りにしちゃうのは当然よ』
『梢には、あたしの匂いってどういう風に感じているのかな。この子が生まれてから香水とかオーデコロン類は変えていないんだけどね。香水とか変えてみたら、どうなるかな』
『およしになられた方がいいですよ』
『そうよ。ママの香りがするとか言って、安心して寝ていられるのは、乳飲み子の頃からずっと今と同じ香りの中で育ってきて、母親の香りのイメージがすっかり出来上がっているからよ。香水を変えることは、梢ちゃんにいらぬ混乱を招き、精神不安の原因になるわ』
『そうなのかな……』
『抱きかかえたり、膝抱っこしてあげたり、一緒に寝ている間は、当分香水は変えないことね』

 梢を起こさないように静かに乗り込み、そろりとフリートウッドを発進させた。
『うふふ。ほんとに可愛い寝顔だこと』
『梢って、梓に生き写しなのよね。梓の二・三歳頃の写真見るとよく判るよ』
『そうなのよねえ……あたしはあたしで、お母さん似だし。三代揃ってそっくりさんで、写真だけじゃ誰なのか判らないのよね』
『真条寺家って、よほど強力な優生遺伝子を持っているみたいね。おまけに生まれてくる子もほとんどが女の子っていうじゃない。そんなのあり?』
『あるのよねえ。この子で八代連続の女の子らしいし』
『家が断絶しなかったのも、徴兵制度に引っ掛からなかったということがあるわよね』
『そうね。名門の中でも、家督を継ぐべき長兄以下の男子が徴兵されて全員死んじゃったという家系もあるものね』

『それはそうと、麗香さん。最近迎えに来ないのね』
 絵利香が、いままで不思議に思っていたことを口にした。
『仕方ないわよ。あたしがはじめた宇宙開発事業のことで、執行代理人としての仕事で手一杯なのよ』
『静止軌道上に建設中の軌道エレベータ宇宙ステーションね』
『新規事業だから各方面との擦り合わせがかかせないから。あたしや梢の世話まではとても手が回らないってところ。あたしが大学卒業するまでは当分忙しい日が続くでしょうね』
『大変ね』
『一応、お母さんや恵美子さんにも手伝ってもらってるけど。そちらはエレベーター素材に欠かせないカーボンナノチューブ関連でね』
『梢の世話というと、世話役はもう決まったの?』
『それが、まだなのよ』
『メイドの早苗さんはどうなの?』
『早苗さん?』
『その様子じゃ、知らないみたいね』
『どういうこと? 教えて』
『それがね……』

『暇だったから、梢ちゃんに絵本でも読んであげようかなと思って、尋ねてきたんだけどね。丁度、梢ちゃんが絵本を抱えて廊下を歩いているのに出会ったのよ。絵本どうするの? って聞いたら、早苗さんに読んでもらうんだとか言ってたわ。別の日には、仲良く手をつないで庭を散歩する姿も見掛けたわね。その時の早苗さんは普段着だった』
『梢ちゃんと早苗さん、そんなに仲が良いの?』
『どこまで仲が良いのかは、知らないけど。梢ちゃんが、絵本を読んでとせがむのは、梓とわたし以外にいたかしら。渚さまや麗香さんにだって、読んでもらおうとはしないじゃない』
『そりゃそうだけど……』
『早苗さんは、非番の日には梢ちゃんの相手をしているんじゃないかな。絵本を読んでもらったり、手を繋いで散歩したり、梢ちゃんは早苗さんにだいぶなついているみたいよ』
『早苗さんて、確かここへ来てまだ三ヶ月じゃなかったかな』
『そんな短い時間で梢ちゃんの心を捕らえたんなら、なおさらのことじゃないかな。とにかく本人に確認してみたら?』
『そうね。貴重な情報ありがとう、助かるわ』
『どういたしまして』
『今日は、泊まっていく?』
『そうね』

『絵利香、ここ、ここ』
 といいながら、梢がベッドをぽんぽんと叩いている。
 梢を挟むように梓と絵利香がベッドに入る。いわゆる「川」の字寝というところ。キングサイズのダブルベッドには、女性二人と幼児一人くらいは楽に寝られる。
 久しぶりに絵利香が泊まりにきたのではしゃぎ気味の梢。
『梢ちゃん、嬉しそうね』
『だってママが二人だもん。えへへ』
『あら。絵利香のこと、ママと思ってくれるんだ』
『うん。ママと同じくらい、大好きだよ』
『ありがとう。梢ちゃん』
 梓が仕事で出張外泊となった時に、屋敷に泊まりにきてくれて眠くなるまで絵本を読んでくれるし、昼間は一緒に遊んでくれて、動物園やデパートなどへ連れていってくれたりもする。梢にとって、一緒に風呂に入ったり添い寝してくれる絵利香は、梓以外では唯一の人物である。
 常日頃から母親代わりとなって、梢の世話をしてくれているので、すっかりなついているのだ。梓と同年齢で同質の香りのする絵利香は、梢にとってもう一人の母親なのである。
 梓にとっても、大切な愛娘を預けることのできる無二の親友である。
『ところで、真理亜ちゃんの方は大丈夫なの? 絵利香がこっちに泊まって帰ってこないとなると、寂しがるんじゃない。添い寝してあげてるんでしょ』
『まあ、一晩くらいなら大丈夫よ。ちゃんと本物の母親がいるんだから』
『本物ねえ……真理亜ちゃんにしろ、梢ちゃんにしろ、本物以上に母親しているんだものね』
『そうかな……』
『そうじゃない。よちよち歩きの頃から、梢ちゃんを真ん中に立たせて両側からおいでおいですると、七・三の割りで絵利香の方に歩いてくんだもの』
『そうだったかしら』
『そうよ』
『それは多分、よそいきの明るい服装で来てるから、目につく方に寄ってきたんじゃないかな』

『ねえ、ねえ、絵利香。絵本、読んで』
 梢が、絵利香の袖を引っ張りながらじっと見つめるように催促した。
『あ。はい、はい』
 書棚へ行き、絵本を取って戻る絵利香。
 その耳元でささやく梓。
『ね! あたしじゃなく、あなたに読んで欲しがったでしょ』
『そりゃあ、梓には毎日読んでもらってるから、たまに来たわたしに敬意を表しているのよ』

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