梢ちゃんの非日常 page.5
2021.07.23

梢ちゃんの非日常(ルナリアン戦記前章譚)


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 絵利香が勉強していると、携帯電話が鳴りだす。相手は梓からだった。
『ハロー。絵利香、お願いがあるんだけどいいかなあ』
『また出張で、梢ちゃんの世話して欲しいのでしょう?』
『さすが絵利香。以心伝心、よくわかってるじゃない』
『で、今回はどこなの』
『オーストラリア。宇宙ジェットコースターの視察よ』
『ジェットコースター? ああ、ルナベースシャトル発射基地ね』
 ルナベース(月面基地)には、現在五十万人に及ぶAFC{Azusa Foundation Corporation}職員が働いており、資源探査や発掘などを行っている。
 そこへ食料や水、工作機械などを運ぶためにシャトルが運航されていた。
 そのシャトルを打ち上げるための基地が、梓がジェットコースターと呼ぶ、超電導リニアシャトルバスターミナルである。
 グレート・ヴィクトリア砂漠に建設されている。
『地球の裏側じゃない、ずいぶん遠いところに行くのね。オーストラリアなら、一日二日じゃ帰ってこれないわね』
『あたり! 今回は三日間の旅なの。三日目の朝に帰ってくるから、二晩の間、梢ちゃんをお願いしたいの。頼めるのは絵利香しかいないから』
『判ったわよ。おみやげ忘れないでね』
『コアラのぬいぐるみでいいかな』
『それって、梢ちゃんへのおみやげ?』
『あはは。コアラのぬいぐるみって、どこでも売っているんだけど、いいのかな』
『別にいいんじゃない。梢ちゃんには、オーストラリアなんて言っても判らないし、要は気に入ってもらえそうなものならいいのよ』
『パンダのぬいぐるみをすでに持ってるけど』
『ああ、わたしがあげたパンダ、梢ちゃんに譲ちゃったんだっけ』
『そう、たいそう気に入っちゃって、ジュリアーノって名前つけてる。本当はあげたんではなくて、取られちゃったんだけどね』
『あれには、長年の梓の香りが染み付いているから、梢ちゃんにはママの温もりが感じられるんじゃないかな。まあ、女の子なんだから、ふわふわしたものは、結構気に入ってもらえると思う。ぬいぐるみぐらいいくつあってもいいじゃない』
『じゃあ、コアラにしよう。真理亜ちゃんにも買ってあげようと思う。絵利香がこっちに来るということは、真理亜ちゃんが寂しい思いをするはずだから。毎晩絵本を読んであげたり、添い寝してあげているんでしょう?』
『まあね……』
 といってベッドの方を見ると、すこやかに眠る真理亜がいる。
 真理亜は、篠崎邸で一緒に暮らす従姉の娘で、梢と同じ三歳である。まだ学生の絵利香が、大学の講義や勉強の合間に、真理亜を連れて外出したり遊んであげたり、夜には寝入るまでの間に絵本を読んであげたりしていた。そうこうするうちにすっかりなついてしまって、毎晩絵利香のベッドで眠るようになっていた。
『ついでに絵利香の分も買ってきてあげる』
『わたしは、ついでなのね』
『そういうこと』
『まあ、いいわ。で、いつそっちに行けばいいのかな』
『うん。明日の午後四時に出発だから、それまでにお願い』
『わかった。じゃあ、三時に行くわよ。丁度、おやつの時間ね』
『悪いわね。二十分前くらいに、白井さんに迎えに行ってもらうから。じゃあ、待ってるわ』
 電話を切る梓。
『さてと、今度は梢ちゃんの方の説得ね。と言いたいところだけど、もう寝ちゃってるから、明日にしましょう』
 ベッドの上で安らかな寝息をたてて眠る梢。つい二十分前まで、絵本を読み聞かせて、ようやく寝かせつけたばかりだったのだ。
『あたしも早く寝ておかなくちゃ。明日から、強行軍が待っているんだから』
 地球の裏側まで、行って帰って来なくてはいけないのだ。往復だけでも一日はかかるし、時差もある。まともに寝ている時間はないかもしれない。
 携帯電話をサイドテーブルに置き、梢の脇に入り込む梓。
『おやすみ、梢ちゃん』
ベッドサイドの照明を落として眠りにつく梓。

 三階バルコニー。
 梓と渚と世話役三人に絵利香がテーブルを囲んでいる。そしてなぜか梓ではなく絵利香の膝の上でチーズクリームケーキを食べている梢。おやつの時間が終われば梓は執務室に戻ってしまうが、絵利香は梢と遊んでくれるために来ていることが多い。だから梓と絵利香が一緒にいる時は、いつしか絵利香の方を選んで座るようになったのである。
『梢ちゃん。ママはね、ちょっと遠いところに行ってくるの。その間、絵利香と一緒に仲良くしていてくれる?』
『絵利香と?』
 言いながら絵利香の方を見つめる梢。
『わたしと一緒じゃ、いや?』
 にっこりと微笑みながら尋ねる絵利香。
『絵利香とならいいよ』
『ありがとう、梢ちゃん』
 再び梓を見つめる梢。
『いつ、帰ってくるの?』
『あのね。梢ちゃんが、二晩おねんねしたらよ』
『二晩、おねんねしたら、帰ってくるの?』
『そうよ。お利口にしていたら、おみやげ買ってきてあげるわよ』
『おみやげ?』
『欲しくない?』
『欲しい!』
『じゃあ、お利口にして待っていてくれるわね』
『うん。待ってるよ』

 真条寺家の屋敷に隣接されて飛行場がある。
 私設飛行場とはいえ、れっきとした国際空港なので、出入国管理所、検疫所、税関などの諸施設が完備されており、国家機関の正式な職員が派遣されて来ている。
 すぐ近くに世界最大級のJ.F.ケネディー空港があるというのに、なんで私設飛行場なのかという批判も多数ある中で、真条寺家の財力と政治力とで開港の運びとなった。一般市民の利用する空港では、爆弾テロ事件やハイジャックが起きる危険性を避けられない。そこで真条寺家に関わる人々だけが利用する私設飛行場を建設する必要があったのである。
 もちろん住民紛争が一切起きないように、立ち退き料や近隣住民への補償もたっぷり支払われたらしい。渚が二十歳で梓が二歳の時であった。はじめて飛行機が飛来してきた時、梓はそれがよく見える北側バルコニーに陣取って、ひがな一日中眺めていたという。

 飛行場へ続く国際線送迎ロビー。通関ゲートを挟んで、梓と梢、麗香と早苗が対面している。
 通関ゲートより先はパスポートなしでは通れないので、見送りはここまでである。
 麗香は早苗に、留守中のこまごまとした注意点を指摘しているようだった。
『それじゃ、梢ちゃん。行ってくるわね』
『いってらっしゃい』
 大きく手を振って梓を見送る梢。
 出国検査室へ消える梓達。
『梢ちゃん。屋上から飛行機を見送りましょうか』
『うん!』
 梢の手を引いて屋上へのエレベーターに乗る絵利香。


 屋上。
 エレベーターが開いたかと思うと、梢が駆け足で屋上の手すりまでやってくる。
 AFCのマークを尾翼に描いた自家用ジャンボジェット機が、誘導路から発着滑走路に進入するところだった。渚時代にはジャンボジェット機は、滑走路が短く離着陸できなかったが、梓の代になってから拡張工事が行われ、新滑走路が完成して就航できるようになった。新滑走路3800Mと、旧滑走路2400Mが平行して走っている。梓の切り開いた宇宙開発事業部は順調に伸び続け、宇宙ステーションの第一期工事が始まっていた。その関係者が打ち合わせのために、真条寺家を頻繁に毎日のように訪れるようになり、空港の拡張工事となったのである。
 また極秘ではるが、強行着陸しようとする不審機があった場合に備えて、対空砲・地上支援機関砲などの諸施設も完備しているし、空港火災に備えた消防隊員も、戦闘訓練を受けた米軍海兵隊の予備兵から集められている。梓や梢の命を狙う組織の存在が確認されて依頼、念を入れての厳重警備体制が敷かれているのだ。

『あの飛行機に、ママが乗っているんだよ』
 飛行機を指差す梢。
『そうね』
 飛行機をじっと見つめる梢。
『なかなか、動かないね』
『飛行機はね、自動車と違って、勝手に発進したりしたらだめなのよ。ほら、あそこに高い建物があるでしょ』
 絵利香が指差す先には、管制塔が建っている。
『うん』
『あそこで働いている人が、発進していいよ、って言ったら発進できるのよ』
『ふうん。そうなんだ』
 しばらく待っていると、ゆっくりと飛行機が動きだした。
『あ、動いたよ』
『発進するわよ、ママに手を振りましょう。ここからママは見えないけど、ママからは梢ちゃんが良く見えるから』
『うん、わかった』
 飛行機に向かって大きく手を振る梢。
『ママ、行ってらっしゃい!』
 轟音を立てて空高く舞い上がるジャンボジェット機。梢達が見守る中、しだいにその機影が小さくなり、やがて空の彼方に消えてしまった。
『いっちゃったわね』
『うん』
『ママがいなくなって、寂しい?』
『うん。でも、絵利香がいるから、大丈夫だよ』
『ありがとう』

『さて、夕食の時間になるまで、飛行場の見学でもしましょうか?』
『うん』
 梢の手を引いて、再びエレベーターに乗り、展望台から階下の空港施設へと向かう絵利香。

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