梢ちゃんの非日常 page.2
2021.07.20

梢の非日常(ルナリアン戦記前章譚)


page.2


 廊下の方から、ぱたぱたと小走りに駆けて来る小さな足音が聞こえてくる。
『ママ、絵本持ってきたよ』
 と言って、梢が絵本を抱えて戻ってきた。
 おやつを食べに来る時に、ついでに絵本も持ってくれば時間も節約できるのだが、梢の年齢ではそこまで知能が回らなかったようだ。食べることと、絵本を読んでもらうこと、それぞれ一つずつしか考えられない。
 やっぱりね。
 といった表情をみせる四人。
 梢は、テーブルの上に絵本を置き、抱き上げてとばかりに、梓に向けて両手を挙げて催促している。抱き上げて膝の上に乗せてやる梓。
『それじゃあ、梓。先に行ってるわ。絵本を読んで聞かせ終わったらいらっしゃい』
『ん、悪いわね』
『それじゃあ、梢ちゃん。またね』
 渚が軽く手を振ると、
『うん。ばいばいね』
 と梢も手を振って答える。
 廊下に消える三人。メイドも気を利かせて姿を隠し、バルコニーに残ったのは梓と梢の母娘の二人となった。皆が去って少し寂しい梓だが、梢には母親さえいれば十分である。
 テーブルの上の絵本を見ると、先日梢を本屋に連れていって選ばせて、買ってきたばかりの絵本だった。読み聞かせはこれがはじめてである。
『それじゃあ、読んであげましょうね』
『うん!』
 瞳を爛々に輝かせて、母親がめくる最初のページに目を移す梢。


 コロンビア大学の構内。
 梢が私服姿の専属メイドに連れられて歩いている。その前後には四人の女性ボディーガードが付き添っている。
 大学生の梓には、午前中は講義を受けなければならない。その間おとなしく屋敷で待っている梢だが、お昼近くになれば待ちきれずに、フリートウッドに乗って迎えにくるのだ。
 今日は午後も講義がある事を知らされている梢は、大学生協の食堂へ向かっている。途中水のみ場で手を洗い、肩から下げたポシェットからハンカチを取り出して拭っている。そして食堂に着くといつもの窓際の席を陣取るのだ。
 なおメイドは窓際に静かに立っており、ボディーガードも目立たないところから目を光らせている。
 学生達や食堂職員の間では、母親が学生でこの食堂を利用していることが知られているので、馴染みの客として扱われており、決して追い出されることはない。食堂を走りまわったり騒いだりすることなく、いつもの席にちょこんと座り、じっとおとなしく母親の来るのを待っている姿は、微笑ましくも可愛らしい。
 時々女子学生がやさしく声を掛けていく。人見知りしない梢は、にっこりと微笑みながら言葉を返している。今ではすっかり食堂のマスコット的存在になっていて、ちょっとした人気者である。だから今梢の座っている席は、誰かがジョークで『梢ちゃんの指定席』というプライスカードを作って置いてあり、いつも必ず空いている。
 やがて梓が、絵利香やその他の女子学生達と共に食堂に現れる。母親の姿を見つけた梢が、手を大きく振って合図している。軽く手を振って応えて、バイキング式にカウンターに並んでいるメニューの中から、梢が好きそうな数皿を選んでトレーに乗せていく。ポタージュスープ、ビーフステーキ、パン、レタスサラダ、そしてデザートにはメロンである。
 ここの食堂は腹を空かせた食べ盛りの学生達のために、質より量ということで、安くてボリュームのある品々を出している。梓一人では食べきれない量だが、梢と一緒に食べて丁度よいところ。

 それらを持って梢のところへ行き、食堂の食卓は梢の小さな身体には合わないので、いつものように膝の上に座らせる梓。
 ナイフが上手に使えない梢のために、ビーフステーキを小さく小分けしてやり、持参した子供用の柄の太いフォークを手渡してやると、おいしそうに頬張る。肉好きなため、放っておくとそれだけで食事が終わってしまって、栄養が偏ってしまうので、時折肉を口に運ぶ手を休ませて、ポタージュスープとパンとサラダを食べさせてやる。
 梓自身の食事は、梢が食べきれそうにない分量を、少しずつ食べている。いつも一緒に食事をしているので、梢がどれくらい食するかよく判っている。
 一通り食事が終わって、デザートのメロンである。これもナイフで皮を取り除き切り分けて、全部梢に食べさせてやる。
 とにかく梢に食べさせたいだけ食べさせて、自分は残り物を食べるというのが、この食堂での母娘の食事風景である。成長期にある梢の食事が優先されなければならないし、自分は食事を一回抜いたぐらいでどうなるでもなし。
 そんな微笑ましい母娘の情景を、じっと見つめていた絵利香が感慨深げに、
『そうやっているところを見てると、梓もすっかり母親なのよねえ』
 と、しみじみとした口調で言った。なお、以前はもう一人と区別して梓ちゃんと呼んでいたが、子供が生まれてからは同じ呼び捨てに変わっている。
『以前の梓なら、子供なんて煩わしいだけで面倒だなんて言っていたのにね』
『これだけはもう一人の誰かさんだけで済む問題じゃないからね。子供を欲しがったその誰かさんのおかげで、否応無しに母親になるしかなかったんだ』
『それにしては、母親らしさが板についているけど』
『十ヶ月もお腹にかかえて、母乳を飲ませてきたんだ。母親としての愛情が芽生えなければ女じゃないよ』
『愛情を掛けて育ててやれば、それに応えてなついてくる娘の可愛らしさってところね。ほんと梢ちゃんて、天使のように可愛いものね。躾は行き届いているし、母親の言うことはしっかりと聞いているしね』
『まあね。この子は、真条寺家の跡取り娘ですからね。グループを背負っていくのにふさわしい人物に育てていくつもり』
 メロンを食べ終えた梢の口元を、ナプキンで拭ってやる梓。
『梢ちゃん、おいしかった?』
 絵利香がやさしく尋ねる。
『うん。おいしかったよ』
 にっこりと微笑んで答える梢。
『ママと一緒だから、おいしいのよね』
『うん!』
 最高に幸せそうな表情を見せる。

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