梢ちゃんの非日常 page.9
2021.07.28

梢ちゃんの非日常(ルナリアン戦記前章譚)


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 動物園に着くまでの間、そのパンフレットを梢と一緒に眺める絵利香。
『ねえ。パンダは?』
『ええとね……あった。園の西側にいるみたいよ。でも、パンダを見るのは、お昼を食べてからにしましょうね』
『うん。いいよ』
 メインディッシュは最後の方に出るものである。先にパンダを見せてしまうと、すぐに飽きてしまって、帰ると言い出すかもしれない。興味のあるものを最後にしておけば、ずっと引き延ばすことができる。
 東のあしかショーを見て、少しずつ西へ移動しながら、園内の動物やアトラクションを見てまわって、最後にパンダを見ることにする。
 こうやって予定を先に立てることができるのも、白井がパンフレットを取ってきてくれたおかげである。心から感謝する絵利香。

 あしかショーの会場。
 場内の前の方の席に陣取り、ショーを観覧する梢と絵利香。
 あしかのおどけた仕草と、インストラクターの絶妙な話法で、観客を虜にしている。梢も夢中になって見ている。
『それじゃ、ここで会場の子供達にも手伝ってもらおうかな。だれか、手伝ってくれる子はいるかなあ! 手伝ってくれる子、手を挙げて』
 司会役のインストラクターが場内にむかって問いかける。
 すると、
『はい、はい、はい!』
 なんと梢が、小さな手を挙げて、元気一杯に叫んでいる。
『はい。そこの小さなお嬢さん。前に出てきてくれるかな。お母さんも一緒にお願いします』
 司会が梢を指差して、手招きしている。観客の視線が一斉にこちらに向いている。
『なんてこと……』
 頭を抱える絵利香。
 とことことプールサイドの方へ歩いていく梢。
『早く、早く』
 後を着いて来ない絵利香に、梢が手招きして呼んでいる。
『しかたないなあ……』
 ゆっくりと立ち上がって梢の後を追ってプールサイドへ向かう絵利香。

 屈みこんで、マイクを向けて梢に話し掛ける司会役。
『お嬢さんの、お名前とお歳はいくつかな』
『あのね。梢は、三歳だよ』
『ありがとう、梢ちゃん』
 司会役は立ち上がって、場内に向かって語りはじめる。
『さあ、お手伝いしてくれるのは、梢ちゃん。三歳だそうです。はきはきとした元気なお嬢さんですね』
 その時、あしかが前びれを動かしながら鳴き声をたてる。
『あら、あしかさんが握手したいそうよ。梢ちゃん、あしかさんと握手しようか』
『うん』
 司会に誘導されて、あしかの前に進み出る梢。そして前びれをつかんで握手である。
『えへへ。あしかさんと握手しちゃった』

 その間、別のインストラクターが絵利香にそっと耳打ちしている。
『お母さん。梢ちゃんは、足し算できますか?』
『ええ、一桁内なら、指を使ってなんとか』
 梓が車で移動中などに、梢に足し算を教えていて、指十本を使っての計算ができることを知っていた。
『ありがとうございます』
 確認して、司会役の方に合図を送っている。
『さて、あしかさんと仲良くなりました。梢ちゃんは、足し算はできるかな?』
『できるよ』
『じゃあ、足し算やってみる?』
『うん、いいよ』
 するとあしかが鳴き声をあげる。
『ええと、あしかさんも足し算をしたいそうですよ。梢ちゃんと、どっちが先に答えを出せるか競争しましょう。いいかな、梢ちゃん』
『梢、負けないもん』
 たいした自信である。実際に一桁内の足し算なら、指計算で正確に答えを出せることは知っている。しかし競争となれば、正確さに加えて迅速さも必要なのだが。

『はい。それでは、ここに「1」から「5」までの数字板があります』
 手伝いのインストラクターが、観客にも良く見えるように高く数字板を掲げる。
『この中から、梢ちゃんに、二枚引いてもらいます』
 数字を裏に向けて梢に引かせる司会。
 客に数字板を引かせるのは、前もって答えを教えていないというジェスチャーで、「5」までしか数字がないのは、足し算して一桁を越えない配慮であろう。
『ここにあります二枚の数字板の数を足し算してもらいます。答えが出たら、大きな声で答えてね、梢ちゃん』
『うん』
『あしかさんには、後ろにあります「1」から「9」までのプラカードを引いて答えを出してもらいますよ』
 司会が示す場所には、数字の書かれたカードが順列で並べられている。あしかはそれを咥えることで答えを示すということらしい。
『さて、梢ちゃんが、引いたのは「2」と「3」でした』
 正面にある大きな掲示板に釘が出ていて、穴の空いた数字板を引っ掛ければ数式が表されるようになっている。
 2+3=?
 という一桁の足し算である。
『それじゃあ、2たす3です。梢ちゃんはわかるかな』
『えっとね……』
 梓が、三歳の梢のために教えた計算方式をはじめる。
 まずは左手指を二本たて、右手指を三本たてる。次に右手指を一本降ろして、左手指を一本上げる。それを繰り返すと左手指が五本全部上がることになる。つまり答えは「5」である。
 しかし、梢がそうやって数えている最中に、あしかが先に動いた。
 踏み台から滑るように、数字の列のとこへ行って、「5」の数字を引き当てたのである。
『正解です。答えは「5」です。残念ですねえ。あしかさんの方が先に答えてしまいました』
『ううん……負けちゃった』
 悔しがる梢。
 本当にあしかが答えを出したと信じているらしい。
 実際には誰かが判らないように、あしかにサインを送って、答えを教えていると思うのだが、実に巧妙ですぐそばにいる絵利香も気づかない。

『それでは、次の質問ですよ。今度は、同じようにお母さんに数字板を引いていただきましょう』
 言われるままに数字を引く絵利香。
『はい、お母さんが引いたのは、「3」と「4」でした』
 3+4=?
 再び掲示板に数式が掲げられた。
『それじゃ、梢ちゃん。わかるかな』
『ん……』
 再び指計算に入る梢。
 左手に指三本、右手に指四本を立ててから、右手の指を一本降ろして左手の指を一本立てる。これをもう一度繰り返して、左手五本、右手二本となる。左手の指が五本全部立ったところで、はじめて立っている指を数える。左手はもちろん「5」となるので、右手に移って二本たっているから、「6」・「7」と数えていく。答えは「7」である。
 こんなまわりくどいやり方をしなくても、立っている指を「1」から順番に数えていけば「7」という数を答えることができるのだが、左手五本の指「5」のブロックをわざわざ作るのには意味がある。指先がなめらかに動くようにする鍛練を兼ねて、5から9までの数は、5+Xということを覚えさせるのがねらい。
 今後として、
 6+7=?
 というような一桁を越える計算を理解させるのに重要となるのである。

 その間、あしかの方は考えている風に首を傾げている。
『さあ、梢ちゃん、どうかな。あしかさんも首を傾げて考えていますよ』
 そして、計算が終わって、
『7!』
 と、数字を示した両手を勢いよく挙げて、答えを叫ぶ梢。
『はーい。正解です』
 あしかが、さかんに前びれを振っている。
『お利口な梢ちゃんに、あしかさんも、拍手していますよ』
『えへへ……』
 誉められて思わず頬を赤らめる梢。
 実際には客に恥じをかかせないような演出で、二度目の計算は必ず先に梢が答えるようにしていたのであろう。

『これで、梢ちゃんのお手伝いは、おしまいです。梢ちゃんには、参加賞として、このあしかのぬいぐるみをプレゼントいたします。会場のみなさん、この元気でお利口な梢ちゃんに、大きな拍手をお願いします』
 割れんばかりの拍手が巻き起こる場内。
『梢ちゃん。どうもありがとう。大変勉強になりましたよ。どうぞ、席に戻ってください』
『ありがとう』
 手提げ状のビニール袋に入った大きなあしかのぬいぐるみを手渡されてお礼を言う梢。そしてゆっくりと歩いて元の席に戻る。
『えへへ。もらっちゃった』
『よかったわね。梢ちゃんがお利口だったからよ』
『うん!』
 ……しかし、こんなぬいぐるみもらったら、梓が持ってくるコアラが影薄くなっちゃうわね。ま、仕方ないか……


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