特務捜査官レディー(二十六)響子とひろし
2021.07.30

特務捜査官レディー
(響子そして/サイドストーリー)


(二十六)響子とひろし

 ある日のこと。
 敬が血相を変えて、わたしのところに飛び込んできた。もちろん麻薬取締部にである。
 警察署内では、生活安全局の局長が覚醒剤密売と押収物横領の容疑で逮捕されて以来混乱していた。そこで何かと言うと麻薬取締部の方にちょくちょく顔を出すようになっていたのである。本来地方公務員の警察官が、厚生労働省麻薬取締部にそうそう出入りできるものではなかったのだが、先の両組織連携による生活安全局長逮捕の功労者として、特別に許されていたのであった。
「大変だ! 響子が組織に捕まったぞ」
 わたしは思わず、持っていた花瓶を落としそうになった。
「なんですって! 響子さんが?」
 響子といえば、性転換した磯部ひろし君の女性名である。
 とある暴力団の情婦として暮らしていると聞いていたが、組織に捕まったということは対抗組織と言うことか。おそらく警察の暴力団対策課からの情報を入手したのであろう。
「ああ……。暴力団組長が狙撃されて、情婦として傍にいたから連れて行かれてしまったそうだ」
 なんてことよ。
 情婦とはいえ、それなりに幸せに暮らしていると聞いていたのに……。
 また不幸のどん底に突き落とされた……。
「それで相手の組織は?」
「最近、麻薬や覚醒剤密売で勢力を広げつつあった組織でね。響子のとこの組織と日頃から抗争事件が絶えないそうだ。実は、あの磯部健児も関わっているらしい」
「なんですって?」
 その名前を聞けば驚きもしようというものである。ずっと追い続けている張本人だからである。
「沢渡君、私にも聞かせてくれないか?」
 課長の耳にも届いたらしく聞き返してきた。
 麻薬となれば当然この麻薬取締部の管轄の範囲に入るからである。
 麻薬取締部としても、その二つの組織に関しては独自に捜査を進めていたからである。
 もっとも女性のわたしは、捜査から外されていた。
「済まないね。真樹ちゃんみたいな若い美人が、捜査陣の中にいると目立っちゃうんだよ。令状取った後の強制捜査とかには参加させるから、我慢してくれたまえ」
 尾行しててもすぐに気づかれるし、張り込んでいても通りがかりの若者から「お茶しようよ」とちょくちょく声を掛けられてしまう。
 捜査にならないというわけである。
「ああ、課長。実はですね……」
 磯部ひろしこと、情婦の響子について事情を話す敬だった。
 この件に関しては、斉藤真樹としては一切関わっていないわたしからは、詳しい内容を言えるはずがなかった。一応、覚醒剤密売の捜査協力として小耳に入れたということにしてある。
「……なるほど、そういうことか。その事件のことなら私も知っている。磯部健児は我々も追っているが、証拠が集まらないで困っているよ。暴力団を隠れ蓑にしているのでね」
「その磯部健児が絡んでいる暴力団の一派が、響子の旦那である暴力団組長を狙撃したということです。その際に、響子が連れ去られてしまいました」
「となるとその響子さんが危ないな。その組織は、誘拐した女性に覚醒剤を打って中毒患者にし、否応なく売春させているという噂も聞いている」
「そうなんですよ。響子は、俺達が手をこまねいている間に、覚醒剤の虜になってしまった母親を殺してしまったんです。彼女がこのような境遇に陥ったそもそもには、俺達の責任でもあるんです。これ以上、不幸にさせたくはありません」
「私たちも協力しよう。覚醒剤が関わっている以上、黙っているわけにはいかないからな。前回と同様によろしく頼む。そちらの麻薬課や暴力団対策課の情報が欲しい」
「判りました。一致協力して、磯部健児を逮捕し暴力団を壊滅させましょう」
「わたしも協力します」
「真樹ちゃんも?」
「だって、覚醒剤を使って売春させているとしたら、女性がいなくちゃねえ」
「おいおい、ちょっと待って。何を言っているのか判るのか? まかり間違えば」
「判ってます。しかし囮捜査でもしなければ、売春組織を完全に壊滅することは不可能ではありませんか?内部深くに潜入して確たる証拠を掴み、黒幕共々一網打尽にしなくてはだめなんです」
「だが、ミイラ取りがミイラ取りになりやしないかね。私はそれを心配しているのだよ。そんなことになっては君のご両親に合わせる顔がなくなる。売春行為に関しては、この際目をつぶってだな……」
「売春は、麻薬捜査と直接は関係ないからとおっしゃるのですか? それじゃあ、官僚腐敗制度の汚点ではありませんか。課長がそんなことおっしゃられるとは」
「い、いやそうじゃなくて……。君の事を心配してだな……」
「課長!」
「わ、わかった。ただ私の一存では決定できないから、上司に相談してみるよ」
「お願いしますよ」


 勤務時間を終えて、敬の車で帰宅するわたし。
 助手席に座り運転席の敬を見ると、何か考えている風に黙々と車を走らせていた。
 課長に対してはあんなことを言ってはみたものの、敬と二人きりになって冷静になってみると、やはり済まないという気持ちになるわたしだった。
 いくら職務に責任感ある行為とはいえ、将来を誓い合った恋人としては、やるせない気持ちになっていることだろう。敬も正義感の強い性格をしているから、同じ警察官としてそれを拒むことが出来ないでいるのだ。
「ごめんなさい……」
「何を謝っているのだ」
「だって……」
「身体を張って囮捜査に出ようと言う君の考え方は賛成できないな。もちろん恋人としてそんなことはさせたくないというのは正直な気持ちだ。万が一失敗して組織に捕らえられれば、麻薬覚醒剤を打たれ売春婦に仕立て上げられるのは間違いない。最悪には我々に対する見せしめとして、陵辱された挙句にどこかの路上で裸状態の死体となって発見されることもありうる。そうなって欲しくない」
 わたしには反論する言葉がない。
 敬が強く反対したら、それに従うつもりだった。
「しかしこのまま放っておけば、泣いて苦しむ女性達が今後も増え続けるのも事実だ。同じ警察官として、君の正義感溢れる行動態度は理解できる。磯部健児を挙げるには、その組織を壊滅しなければならないし、多方面からアプローチした方が、より確実に包囲網を狭めることができるということも判っている。……君が後悔しないと確信できるなら、思ったとおりにやればいいよ。俺は、君の意思を尊重したいし、たとえどんなことになろうとも、将来を誓い合った同士として見守ってあげたい」
 考え抜いた末のことであろうと思う。
 警察官としての正義と、恋人としての優しさ思いやり。
 両天秤に掛けてもなお、自分達の事でなく、より多くの被害者を出さないために最善を尽くすことの重大さを踏まえての意見だろう。
「あ、ありがとう……」
 敬の言葉で、わたしの意志が固まった。
「とにかくじっくりと考えてから実行すべきことだよ」
「そうね」

↓ 1日1回、クリックして頂ければ励みになります(*^^)v




にほんブログ村 本ブログ 小説へ
にほんブログ村



11
コメント一覧
コメント投稿

名前

URL

メッセージ

- CafeLog -