特務捜査官レディー(二十)初出動
2021.07.24

特務捜査官レディー
(響子そして/サイドストーリー)


(二十)初出動

 相手は産婦人科医である。どんな診察がなされたかは、各自の想像にまかせるとしよう。

「……で、最後に血液を採取して終わりだ」
「ほ、ほんとに終わりですかあ……」
 疲れ切っていた。
 まさか、ここへ連れてきた敬も、わたしがこんなことされるために呼び出されたとは、想像すらしなかったであろう。
 応接室で、欠伸を連発しながら、
「ずいぶん長い診察だな」
 と思ってはいるだろうが。
 やっと解放されて衣服を着なおす。
 もちろん敬に気取られないように、しっかり服の乱れを直すことを忘れてはいけない。
 わたしの気持ちを知ってか知らずか、
「診断の結果が判るのは、二週間後だ。その頃にまた来てくれないか」
 と平然と再来訪を求めた。
「まさか、また同じような診察するんじゃないでしょうねえ」
「するわけないだろう! 何か変に勘ぐってはいないだろうな?」
「いえ、確認しただけです。先生のことは信じてますから」

 診察を出て、敬の待つ応接室に戻る。
「やあ、長かったね」
 こっちの気も知らないで……。
 と、思ったが事情を全く知らない敬に苛立ちを覚えてもしようがない。
 うん。
 妊娠したら、絶対に分娩に立ち会ってもらうからね。
 覚悟してよね。

 いつものようにオフィスレディーしていた真樹だったが、その日は慌しく飛び込んできた職員の一声で、事態は急展開することになる。
「課長!」
「どうした?」
「例の女が動き出しました!}
「そうか、動き出したか」
「はい! 間違いありません」
 例の女?
 配属されたばかりの真樹には、何のことやら判らない。
 首を捻っていると、課長が真樹に向かって言った。
「真樹君。君の出番だ」
「え?」
「この件は女性がいないとだめなんだ」
「どういうことですか?」
「相手が女だからだ」
「つまり女性しか入れない場所……」
 女子更衣室や女子トイレ・化粧室などが浮かんだ。
「その通り。覚醒剤の受け渡しにレディスホテル、しかも念入りに化粧室が使われているんだ。男性である俺達が入れない場所だ。踏み込むには、確実に覚醒剤を所持しているところを押さえなければならない」

 話を要約するとこうであった。
 覚醒剤中毒者から売人を探し出して逮捕し、流通経路を吐かせたところ、とある仲買人の存在が浮かび上がった。しかも女性だというのだ。
 その女性は、覚醒剤を自ら携行することは決してせずに、ホテルの化粧室を受け渡しの場所として利用していた。当然その相手も女性に限ることになる。
 レディスホテルのとある階の化粧室で運び人から覚醒剤を受け取り、今度はその足で階を移動して、別の化粧室で末端の密売人に売り渡すのである。
 男性ばかりの麻薬取締官にとって、レディスホテルのしかも化粧室という女性だけに許された密室で行われる覚醒剤取引を摘発することは不可能であった。取り押さえられるとすれば、運び人か密売人ということになるのであるが、確実に覚醒剤を持っているという保証はない。万が一所持していなければ、とんでもないことになるのだ。ただでさえ相手は女性である。その身体に触ることさえ困難である。
 女性麻薬取締官の真樹に白羽の矢が立つのは当然といえた。
「とにかく今回動けるのは、この課内で唯一の女性である君だけしかいない。相手も抵抗してくるだろうし、拳銃を持っているかも知れない。自分の身を守るのも君自身しかいない。そこでこれを君に預ける」
 と言って、机の引き出しから出したものは、小さな拳銃だった。

 レミントンダブルデリンジャー。

「君が以前に、制式拳銃の換わりを申請していた奴だ。やっと手に入れることができたのだよ。手に入れるのも、当局に所持携帯の許可を取るのにも相当苦労したんだぞ。君専用の護身銃だ。大切に扱えよ」
「はい! ありがとうございます」
 早速デリンジャーを手にとって見る。
 女性的な真樹の小さな手にもしっくりと馴染む大きさと形状をしていた。
 これならハンドバックに忍ばせて携行することができる。
「銃弾は二発きりだが、今回の任務ならこれで十分だろう。もっと装弾数が多い銃が必要な任務の時はまた考える」
「装弾数が多い?」
「ああ、今回は個人が相手だから、それで十分だが。組織を巻き込んだ大掛かりな麻薬取引摘発の時には装弾数の多い自動拳銃が必要になるだろう」
「これ以外にも銃を与えてくれるのですか?」
「そのデリンジャーは、君が女性と言うことで特別に支給する護身銃だ。任務遂行中以外でも常に携行してもらっても構わない。組織に顔を覚えられて付け狙われる可能性があるからだ。美人だからな……」
「ありがとうございます」
「課長、いいですか?」
 先ほど飛び込んできた職員が間に入ってきた。
「ああ、頼む」
「それじゃあ、真樹ちゃん。行こうか」
「はい!」
 さあ!
 ついに取締の現場への出動だ!
 頑張りましょう。


 某レディスホテルの表玄関を見渡すことのできる、道路を隔てた側にあるビルの谷間の路地にバンが停車している。その運転席と助手席には双眼鏡を構えてホテルのほうを監視している怪しい人物がいる。
 その一人が振り向いて、後ろの座席に待機している真樹に語りかける。
「大丈夫か? 真樹ちゃんにとっては、今日が初仕事だからね。震えていない?」
「大丈夫です。ご心配なく」
 平然として答える真樹だった。
「銃はちゃんと持ってきてるよね。弾は入ってる?」
 こと細やかに真樹の心配をする同僚達であった。
 確かに麻薬取締官としては初仕事ではあるが、警察官としての経験なら豊富にある。
 銃の取り扱いにも慣れている。もっともその時のはザウエルのP220だったが。
「ちゃんと持ってますし、弾も入ってます」
「それなら、大丈夫だね」
「相手が銃を持っていて、撃ってくるようだったら、迷わずに撃つんだよ」
「判りました」
「それから、これを君に渡しておく」
 と、SONY製のPalm OS-5 200MHz ネットワーク手帳「PEG-NX80V」を手渡された。
 無線LANと130万画素のカメラ及び手書き認識ソフトなどを搭載した通信機器である。
「こちらとの連絡は、このネットワーク手帳を使用する。無線LANで、メールで逐次情報をやりとりできる。レディスホテルを利用する女性には、いわゆるキャリアガールと呼ばれるビジネスライクな人間が多い。このようなデジタル手帳を持っていても不思議ではないから、怪しまれる危険性は低いと思う。常にオンラインにしておいて、何かあれば書き込んで送信してくれればいんだ。カメラも搭載してあるから、これで奴の写真が撮れれば万全だ」
「連絡なら携帯電話のメールでも十分なんじゃないですか? 写真だって撮れますよ」
「いやね。携帯電話だと、やたら迷惑メールがくるだろう?」
「それは仕方がないですよね。ドメイン指定とかして防いでますけど」
「業務用で使用するとなると困ることが多いそうだ。それで、今度からこいつで連絡を取り合うことになったらしい。というか……これを扱ってる業者のテストモニターで無料で手に入れたらしい。業者としてもこのモニターから、気に入ってもらえれば、ゆくゆくは官庁への指定業者となれるかも知れないだろう?」
「へえ……無料のモニターですか。モニター期間が終わったら、ただで貰えるんでしょ?」
「ああ、まあ……そういうことになっているらしい」
「じゃあじゃあ、あの……これ、貰えるんですか? あたしに……」
 非常に多機能の最新機器である。
 個人として、是非とも欲しくなったのである。
「いや……。一応、この件の連絡用にと備品として手に入れたんだ。あげるわけには……」
「ねえ、そう言わないで。何とかできませんか?」
 精一杯の甘えた声を出してねだる真樹だった。
 可愛い女の子にせがまれたら、男の意思もぐらつく。
「そう言われてもなあ……」
 と主任取締官は、同僚達と顔を見合わせている。
「今回の件で奴を見事逮捕して、無事解決したらご褒美にあげてもいいんじゃないですか?」
「そうそう。課長に上申してはいかがでしょうか?」
「おまえら、気楽に言うが……」
「大丈夫だ。主任も課長もやさしいから」
「そうそう! あげるというのではなくても、拳銃みたく支給貸与という名目にすればいいんですから。それなら問題ないでしょう?」
「そりゃそうだが……」
 というわけで、どうやら自分のものになりそうな雰囲気になって喜ぶ真樹だった。
 ここは一押ししておく方がいい。
「ありがとうございます」
 精一杯の笑顔を作り、出来る限り可愛い声で感謝の意を表す。
「まったく……しようがない奴らだ。みんな真樹ちゃんに甘いんだからな」
「そういう主任こそ甘いですよ」
「言うな!」


ネットワーク手帳などの機器は執筆当時のものです。
今では、スマートフォンのアプリがあって、さらに高性能となってますね。


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