特務捜査官レディー(十)人生再出発
2021.07.14

特務捜査官レディー
(響子そして/サイドストーリー)


(十)人生の再出発

 とあるビルの屋上。
 一人の男が、背に負っていた長尺のケースから、ライフルを取り出し眼下のビルの
谷間にその銃口を構えた。いかにもスナイパーという風貌だ。
 H&K社製MSG90(狙撃銃)
 同社製のG3の技術を流用して開発された超高性能にして超高価なPSG1の廉価
版である。湾岸戦争において米国のデルタフォースなどの特殊部隊が使用していたこ
とで有名である。射撃性能はPSG1とほぼ同等に1.7kgの減量に成功した。街中を
隠し持って歩くにはちょうど良い。
 狙撃目標は、ビルとビルの谷間を縫った僅かな間隙の先にあるニューヨーク市警本
部の玄関先。数人の部下を引き連れて市警本部長が出てくる。

 スコープを覗いていた男が、焦点を正確に合わせるためにサングラスを外した。そ
の顔は死線を何度も掻い潜り、精悍な鋭い目つきをしていたが、まさしく沢渡敬だっ
た。
「薫はいずれ性転換し、戸籍性別変更の手続きを踏んで女性になるはずだった。そし
て俺はその薫と晴れて結婚するつもりだった。俺と薫の幸せな将来を踏みにじったお
まえの罪は重大だ。死んで薫に謝罪しろ!」
 引き金を引く敬。
 発射された弾丸は一直線に進み、市警本部長の眉間を撃ち抜いた。
 血飛沫をあげて倒れる本部長、駆け寄るSP達の慌てふためく姿が、スコープを通
して見える。
 命中を確認した敬は、ライフルをケースに戻し、排莢された空薬莢を拾ってポケッ
トに収めると、しずかにその場を立ち去って行った。

 帰国してからほぼ半年が過ぎ去っていた。
 やさしい母、理解のある父親。
 真樹として、両親は温かく迎えてくれた。
 何不自由なく幸せな日々が続いている。
 両親は、真樹の薫だった過去を聞きだそうとはせずに、そっとしておいてあげよう
というやさしい性格を持っていた。両親は薫が当然女性だと思っているし、真樹も告
白できないでいるのだが、もし移植された以外の臓器、元々の薫自身の組織のDNA
を調べられれば男性だったことが知られて、一悶着となっているに違いない。騙し続
けることになるのだが、だからといって今更どうすることもできない。過去はどうあ
れ現在は女性の何者でもないし、両親の血を引いた子供を産む事で、親孝行して返せ
ばいいと考えていた。
 真樹は薬科大学に在学していたから、成り代わって自分が女子大生として通学をは
じめて勉強することとなった。薬科大学での授業に対して、何の知識もなく当初は苦
労の連続だったが、持ち前の気力と根性で猛勉強し授業に付いていけるようになった。
 友達もできた。もちろん女性だ。


「ねえ、真樹」
「はい。何でしょうか?」
「あなた、実家には連絡くらいはしてるの?」
 実家という言い方をしているが、薫としての生家のことを示していた。
「え?」
「してないでしょう?」
「は、はい。でも、以前のあたしは死んだことになってますから……」
「あなたが生きていると知ったら喜ぶわよ」
「でも……」
「あなたの生活態度とかみると、いかにお母さんが大切に育ててくれたかが良く判る
わ。そんな素晴らしいお母さんがいるのに、黙って放っておくなんて親不孝よ。わた
し達だって、あなたを独り占めするのも申し訳ない気持ちで一杯よ。わたし達に気を
遣ってくれるのは嬉しいけど、たまには帰って元気なところを見せてあげなくちゃ。
とにかく一度帰りなさい。これは母の命令です」
 そこまで言われては断るわけにはいかなかった。
「判りました。実家に一度帰ってみます」
 気は重いが、正直には会いたい気持ちはあるにはあった。
 死んだことになってる自分に会って母がどういう気持ちになるかが心配だったので
ある。
 とにかく会うだけは会ってみよう。

 結局、実家に舞い戻ってきてしまった。
 
「あの……うちに、何かご用でしょうか?」
 振り返ると母が立っていた。
 見つめ合う二人。
「ちょっと、早く中に入って」
 急に態度が変わり、真樹の手を引いて中へ招き入れる。
 扉を閉めると表情を変えて話し出す。
「あなた、薫ね。整形してるみたいだけど……」
「どうして判るの……?」
「あなたの母ですよ。どんな姿になろうとも判りますよ」
「そうなんだ」
「生きていたのね」
「はい」
 そう言うと、真樹を抱きしめて涙を流しはじめた。
「よかった……ほんとうに良かった」
 心底再会できて感激している様子が感じられた。
「どうして今まで連絡を寄越さなかったのよ。警察の方からニューヨークで殉死した
という報告があって、葬式まで出して……」
「遺体もなしに葬式しちゃったんだね」
「しようがないでしょ。警察側から死亡報告書を提出されたんじゃ、葬式するしかな
いじゃない」
「でも遺体が見つからないから、心の底でもしかしたら生きているんじゃないかと思
ってたんでしょ。だから家の前で会った時に気づいたのね」
「そりゃそうよ。母だもの、この目で確認しない限り信用できなかったのよ」
「でも整形して容姿が変わってたのに、何を基準にあたしと判断したの?」
「雰囲気ですよ。身体からにじみ出ているの。さっきあなたは家を見つめながら、い
かにも懐かしいといった雰囲気を漂わせていたのよ。まるで嫁に行った娘が実家に帰
って来たという表情してたよ。そんな人間といえば薫しかいないじゃない」
「そうか……。そんな表情してたんだ」
「どうやら性転換……したみたいだね」
「うん。あたしの意志じゃなかったけど……、いずれはやろうとは思ってた」
「意志じゃない? まあ、それはともかく、玄関先で立ち話もなんだから、とにかく
上がりなさい」
「うん、そうだね。色々と積もる話しもあるから……」


 長い話が終わった。
 ニューヨークでの事、斉藤真樹として帰国し、今は斉藤家の長女として不自由なく
暮らしている事。
「そう……。そういうわけだったの」
「うん。今はそのご両親の娘の真樹として暮らしてる。そして、お母さんが、実の母
に会って無事でいることを話してきなさいとおっしゃってくださったの」
「その方もできた人なのね。自分の本当の娘が亡くなって哀しいはずなのに、あなた
を実の娘として迎えてくれるなんて」
「だから今後もそのお母さんと一緒に暮らして、親孝行していくつもりなんだ。母さ
んには悪いと思うけど」
「当たり前じゃない。その方の娘さんの命を貰ったんだから、親孝行して恩を返さな
くてどうするんですか」
「うん……。でも時々は電話するよ」
「そうね、そうして頂戴。元気な声を聞けるだけでも安心できるから」
 姿形は代わっても、母娘の情愛には隔たりはなかった。
 どんな事でも許し、どんな事でも共感しあう。
 これからも母と娘という関係は続くのである。

「ところで、敬から連絡とかきてなかった?」
「きてないわ。たぶん敬くんのお母さんの方にも連絡はないみたいよ」
「そうか……」
「でも、あきらめちゃだめよ。わたしが、薫は必ず生きているとずっと信じていたか
ら、こうして帰ってきてくれたの。あきらめない限り、運命の女神がいつかどこかで、
その願いをかなえてくれると信じるの。いいわね」
「判ってるわ。自分がそうだったから、遺体を見せ付けられない限り、信じてずっと
待ってる。約束だもの、必ず迎えにきてくれる」
「そうよ。それでいいのよ」


 実家での実の母娘の水入らずな時間は瞬く間に過ぎて行く。
 名残惜しさを胸いっぱいに、実家を後にした。
「どうだった? ご両親、生きてたと判って、涙流して喜んでいたでしょ?」
 家に帰ると、母がやさしく微笑みながら出迎えてくれた。
「はい。でも、父とはまだ会っていないんです。まだ帰っていなかったので。母が申
しますには、肉体的精神的に強い絆で結ばれている母娘と違って、父親というものは
なかなか娘とは折り合えないだろうと、今日は取り合えず会わずに帰ることにしまし
た。これから少しずつ生きていることをそれとなく気が付かせるようにして、父がぜ
ひ会いたいという意思が固まった状態で再会した方がいいだろうという事になりまし
た」
「そうですねえ。真樹とお父さんのことを考えれば、確かに納得しますね。母娘と違
って父娘は、どこか隔たりがありますから」
「同性ということもあるでしょうし、やっぱり母娘はへその緒で繋がって産まれてく
ることにあるんですかしらね」
「そうでしょうね」
 納得する母娘であった。
「これからもたまには帰ってあげなさいね」
「いいんですか?」
「当たり前ですよ。あなたには二人の母がいるんだから。それぞれ平等に親孝行しな
くちゃいけないの。もちろん今のあなたの母はわたしですからね。それさえ忘れてい
なければ、会いたくなったら日帰りならいつでも帰って結構よ」
「ありがとうございます」
 真樹と今の母とは、実の母娘以上に親しい間柄になっていた。
 何でも気を許しあい、心と心が通じ合っていた。
 斉藤真樹としての居場所がここに確かにある。
 それを心に踏みとどめ、二人の母親への親孝行を忘れないように、日々の暮らしを
続けている真樹だった。

↓ 1日1回、クリックして頂ければ励みになります(*^^)v




にほんブログ村 本ブログ 小説へ
にほんブログ村



11
コメント一覧
コメント投稿

名前

URL

メッセージ

- CafeLog -